出会い
鼓膜を打った心地いい声。
煌めく金色の髪、宝石のように美しい碧色の瞳。
美しいながらも、どこか冷徹な雰囲気を感じさせる顔立ち。
軍服の上からも窺える引き締まった筋肉。すらりと長い手足。
彼──ジョシュアは高い背丈からマイアを見下ろしている。
「手が離せない用件があって遅れてしまった。申し訳ない」
彼はきっちりと頭を下げた。
これが超堅物、大の女嫌い、暴力漢のジョシュア公爵。
あまりに美しい容貌に、マイアは思わず立ち尽くしてしまった。
碌に社交界に出たことのない彼女にとって、ジョシュアはあまりに美しすぎた。
まるで物語に出てくる理想の王子様のようだ。
「……俺の顔に何かついているか?」
「ハッ! い、いいいいえ何でもありません!」
怪訝に眉をひそめるジョシュア。
マイアは意識を取り戻し、礼をしなくてはと慌てて足を動かす。
「マイア・ハベリアと申します」
落ち着き払ったフリをして、マイアはお辞儀する。
彼女の優雅な礼を見てジョシュアは首を傾げた。
曰く、まったく礼節を知らぬ悪人令嬢だそうだが。
今のところ、マイアからはかなり礼儀正しい印象を受ける。
それに見た目も聞いていたものとはずいぶん違う。
汚れてはいるが、素の見た目はかなり美人そうだ。
「まあ、座ってくれ」
「は、はい」
マイアは促されるままにジョシュアの向かいに座る。
正面を見ると、じっとジョシュアがこちらを見ていた。
恥ずかしくて目を合わせられない。
「紅茶を用意しよう。熱い飲み物は苦手か?」
「え、いえ……どっちでも大丈夫です!」
「では、熱い物と冷たい物。どちらかと言えば?」
「いえあの……紅茶なんてほとんど飲んだことないですし……」
「飲んだことない?」
──マズい。口を滑らせてしまった。
紅茶なんて実家では飲ませてもらえなかったのだ。
マイアは口に手を当てて混乱する。
とりあえず言い繕わなくては。
「そういう意味じゃなくてですね!? あの、あれです!
最近飲んでないという意味です!」
「ふむ……そうか。では、ほどよい温度の茶を用意させよう」
香りのよい茶が目の前のティーカップに注がれる。
注いでくれたのは、先程マイアを案内したアランという使用人。
紅茶など久しく飲んでいない代物だ。
使用人が下がったのを見てジョシュアが口を開く。
「さて、まずは今回の結婚について。これは契約結婚だ」
契約結婚。
つまり形だけの婚姻関係。
ジョシュアは説明を続ける。
「周囲が結婚しろとうるさくてな。俺は仕事に集中したいので結婚などする気はないのだが……地位を目当てにした女との結婚は御免だ。
というわけで、マイア嬢との契約結婚を望んだわけだ。社交界にも出ない君であれば、夜会で遊ぶことしか考えていない女よりはマシだろうからな」
ジョシュアがマイアを嫁に貰おうとした理由はわかった。
噂に聞いていた通り、仕事人間なのだろうか。
暴力漢だと聞いていたが、物腰はずいぶんと柔らかい。
手を出したりはしてこなさそうだが。
「ジョシュア様も大変ですのね……」
「まあな。いくら俺が公爵だといっても、これは契約結婚だ。
本当に婚約を交わしても構わないのか、よく考えるといい。君の役目は、公の場で俺の妻として振る舞うことだけ。数日考えてからでも返事は遅くな……」
「なるほど、承知いたしましたわ。謹んでお受けいたします」
食い気味に返答したマイアにジョシュアは面食らった。
愛のない結婚などと伝えれば、さすがにマイアも考えてくるかと予想していた。
「ほう……そんなに即断即決してもいいのか?
契約結婚という旨を伝えれば、しばらく考え込むものだと予想していたのだが」
「はい、問題ありませんわ」
やけに瞳を輝かせて頷くマイア。
ジョシュアも妻を愛することなく過ごすつもりだったが、ここまで肯定的だと心配になってくる。
「ふ、ふむ……俺は君と関わることはほとんどないだろう。仕事がかなり多忙を極めているし、部屋も別々にする。使用人に君の世話は任せるが、君に対して仕事を与えたりすることはほとんどない。
好きな物を買うだけの金は与えるから、自由に過ごしてもらうだけだ。君は公爵家に携わる役割をほとんど得られないのだぞ?」
「はい、ありがとうございます! この上なく嬉しいです」
「……あ、ありがとう?
いや、何でもない。君が問題ないと言うなら構わない」
礼儀正しく頭を下げるマイアに対して、ジョシュアはますます混乱する。
マイアが噂通りの人間であれば、公爵家の権力を使って色々と企みそうなものだが。しかしジョシュアにとって、マイアがおとなしくしてくれるのは好都合だ。
「マイア嬢。君は思っていたよりも話のわかる人だな」
「え!? そ、そうですか!? ごめんなさい……」
「どうして謝るのだ」
ジョシュアはティーカップを置いて立ち上がる。
それからマイアのソファの隣に座った。
「ジョシュア様……?」
彼は至近距離でマイアを見つめる。
これまで男性と関わった経験がほとんどないマイアにとって、この距離はまずい。
緊張のあまり耳まで真っ赤になる。
すぐ目の前にはジョシュアの美しい碧色の瞳。
彼はマイアの髪をゆっくり眺めて、それから垂れている髪を耳にかけた。
「ふむ、道中で何かあったか? やけに汚れているな。
それでは美しい姿がもったいない。夕食前に風呂に入るといい」
(美しい……私が?)
ジョシュアはマイアを美しいと言ったが、おそらく方便だろう。
これから妻となる者に対して、罵声を浴びせるわけにもいかないのだから。
ジョシュアは呼び鈴を鳴らし、使用人を応接間に呼び寄せる。
ほどなくして数名の使用人がやってきた。
使用人の一名……黒髪の女性にジョシュアはマイアを紹介する。
「セーレ、彼女が俺の妻となるマイア嬢だ。
彼女を部屋に案内して、風呂にも入れてやってくれ」
「承知いたしました。マイア様、どうぞこちらへ」
セーレと呼ばれた使用人。彼女はマイアに一礼する。
マイアもまた深く礼を返し、彼女の後に続いていく。
「マイア嬢。婚姻に関する詳細な話は夕食前に。
それまでゆっくり休んでくれ」
「は、はい! それでは失礼いたします」
去っていく彼女の背を見送り、ジョシュアはソファに身を沈めた。




