マイアの価値
コルディアが投げつけたワイングラス。
それはジャックの頭に当たり、彼の白い礼服を紫色に染め上げる。
「う、そ……」
コルディアは目を見開く。
衝動的な行動で、意識を取り戻したときにはすでに遅かった。
公爵家のギャスパルに対する不敬でも、相当な問題になる。
ましてや王子に怪我を負わせるなど。
一家が潰されてもおかしくはない。
「貴様、王子になんたる不敬を!」
「誰か、この娘を捕らえろ!」
周囲の近衛兵が一斉に動き出す。
「ち、ちが……私はそんなつもりじゃ……」
弁明も虚しく、問答無用に彼女は組み伏せられる。
マイアとジョシュアも、目の前で起こった光景に驚愕していた。
「ジャック様、大丈夫ですか!?」
マイアは慌ててジャックに駆け寄る。
ワイングラスを頭にぶつけられたというのに、ジャックは朗らかに笑った。
「うん、大丈夫。それよりもギャスパルは無事かい?」
「は、はい……! しかし殿下、傷が……!」
ジャックの額からは血が出ていた。
どうやらガラスで切ってしまったらしい。
ギャスパルは慌ててハンカチをジャックに手渡した。
「ありがとう。……でも、これは必要ないかも。なあジョシュア。君の奥さんの秘密、ここで皆にバラすのはどうだろう?」
マイアの秘密──それは「おまじない」以外に考えられなかった。
たしかに、おまじないを使えばジャックの傷は治せる。
しかし人前で披露してはいけないとも言われているのだ。
こんな大勢の貴族が見ている前で使えば、瞬く間に噂は広がるだろう。
「ふむ……こうなった以上は、例の能力を見せておいた方がいいかもしれんな」
「ジョシュア様、それはどういう意味ですか?」
「今回の一件で、ハベリア家は取り潰されるだろう。王族への不敬、及び傷害はさすがに死活問題だからな。そうすれば……俺とマイアの婚姻に文句をつける者も出てくるだろう。だから、君自身に……ハベリア家の血筋ではなく、マイアという人間に価値があると示すべきだと。ジャックは言いたいのだろうな」
マイアは得心がいった。
正直、ハベリア家で育ってきた彼女でも、ハベリア家に対する感謝や哀れみはない。
だから自分をハベリア家から切り離し、エリオット公爵家に移るという意味でも……この過程は必要だろう。
「わかりました。では、よろしいですか?」
「ああ。君の優しさを、皆に見せてやるといい」
ジョシュアに背を押されて、マイアはジャックに歩み寄る。
そして屈んで、彼の額に手を当てた。
「失礼します」
彼女が手をかざした部分にあたたかな光が宿り、ジャックの傷口を修復していく。
周りの貴族は信じられない光景を目の当たりにしていた。
もちろん、取り押さえられていたコルディアも同様に。
「な、なにそれ……お姉様がやってるの……?」
ジャックは黒髪をかきあげて、額を見せつけた。
傷ひとつない綺麗な肌を。
「これが新たにエリオット公の妻となった、マイア・エリオット嬢の力だ。私は以前、暗殺者に命を狙われたことがあってね。それで大傷を負った際も、マイア嬢に助けてもらったんだ! この能力は、個人的にかなり貴重なものだと思う」
実際は腕を怪我した程度なのだが、ジャックは誇張して表現した。
どうしてもマイアを皆に認めさせたいのだろう。
「すばらしい……!」
「さすがはエリオット公の妻に選ばれた方だ!」
「殿下の命の恩人であれば、無下にはできんな」
貴族たちは口々にマイアを賞賛し始める。
どこか面映ゆい感情を覚えつつ、彼女は毅然として振る舞う。
ジョシュアの隣に戻り、笑顔を浮かべて。
「嘘よ……あり得ない……! お姉様みたいなグズが、そんな力使えるわけない!」
ただ一人、コルディアは納得せず。
諦めずに喚き散らした。
彼女を抑えていた兵がジャックに尋ねる。
「殿下、この無礼者は?」
「とりあえず拘束しといて。不法侵入、不敬、傷害、悪評の流布など……罪は数え切れない。まあ、処遇は後で決めて……私は着替えてくるよ。この後、ダンスがあるからね!」
コルディアは口を塞がれ、強制的に別室へ移動させられた。
「マイア。よくやったな。これで君を……俺の正式な妻として迎えられる」
「はい。ありがとうございます、ジョシュア様。ジョシュア様のおかげで……私は幸せになれそうです!」
花のような笑顔を浮かべるマイアに、ジョシュアもまた笑い返した。