悪妻になる時〜元サーファーの夫は隠れてあの人に会いにいく〜
寒い朝、隣で寝ていた筈の夫は居ない。
布団はもう冷たかった。
――今日もまた、行ってしまったのね。
出張という名目で、周りには伝えてあるのだろう。
ゆっくりベッドから起き上がると、リビングへ向かい暖房をつける。静かな部屋は無機質な音だけが響く。
考えまいとするが、視線は自然と壁にいく。
夫の趣味で壁に飾られているロングボードとショートボード。その横には、それを抱える夫の写真。
まあ、正直イケメンの部類だ。
腰さえ痛めなければ、きっとまだサーフィンに夢中だっただろう。未だに、日焼けし筋トレが趣味な夫はとても50代には見えない。職場の女性や、近所からの評判も良い。
早朝から、一人で波乗りに行っていた頃を思い出す。
「サーファーだった頃の方がましだったわ」と本心がこぼれ落ちた。
スマホを取り出すと、会ったこともないあの人のSNSをチェックする。
だが、まだ今日はアップされていない。
いつも、夫が載るのは夕方くらいだ。私が、このSNSを知っているとは夢にも思っていないはず。
湯気の揺れる紅茶を一口のむと、サーフボードを見て溜め息を吐いた。
「海の女神に気に入られたのね」
その女神はきっと美しいのだろう。
◇
『これから帰る』
夕方、夫から帰宅時間のメッセージが届いた。
こういう所はマメだと感心する。私の夕飯の支度を気遣ってのことだ。
私は、スマホを取り出すとあの人のSNSをチェックした。
案の定、最近では私に見せなくなった、嬉しそうな笑顔の夫の写真。
その傍らには――。
まるで私が見ているのに気付いているかのような目が、勝ち誇ったみたいにこちらを見据えている。
ゾクッと背筋が凍るようだった。
思わずスマホを落とし、私はペタリと力なく座る。
「……悔しいけど」
薄暗い部屋の中、スマホの画面は煌々と光っている。
『本日の竿頭!!』
赤文字が貼られ、巨大な魚を片手にピースする夫。
「私に巨大魚は捌けないっ!」
夫のお気に入り……海釣り漁船の船長さんのサイトをそっと閉じる。
出刃包丁を研ぎに、重い足でキッチンへ向かおうとするが、足を止めて振り返った。
海の女神様、次こそは魚を上手く逃がして下さいね!
私は、夫の背後で輝く海の写真に、次回のボウズを切に願った。
竿頭……釣り船でその日一番魚を釣れた人。
ボウズ……魚が一匹もつれないこと。
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