抜け落ちる
「やべぇ、酔った……。」
リンドブルム行き、豪華客船ブラウの客室。ここで俺は人生最大のピンチを迎えていた。
出航したときは快晴、向かうリンドブルムの天気も予報では晴れだと言っていた。そのはずだったというのにそれが今や嵐と言っても過言ではないほどの大雨と暴風。あまりの荒れ様に船が時折浮いているのではないかと思うくらいに激しく動いている。
いくら豪華客船とはいえ、そんな中無事で済むような頑丈な船ではない。内装がアンティークな感じであちこちに高そうな壺やら何やらが置いてあるが、船の作り自体はそこらの船と変わらないだろう。
その証拠に先ほどから木が割れるような大きな音が鳴り響き、足元には何処かから入ってきた海水が流れ込んでいる。船に何かがぶつかって損傷したようだ。このままではこの船は確実に沈むだろう。
まさに非常事態ともいえる状況に、ドアの向こうではバタバタと走る音と我先に逃げ出そうとしている乗客の叫び声が響いていた。俺はというとまだ客室で座りながらボーッと周りの音を聞いているだけだ。
(これは無事に着く、どころか俺死ぬんじゃないか)
むしろこの状況で助かると思えるほど俺はポジティブでもなければバカでもない。それでも逃げようとしないのは、ここで死んだ方がまだマシかもしれないと思っている部分があるからだ。
死んだらこのクソみたいな、本当に何一つ楽しくもない仕事から解放されるし、まだギリギリ幸せな人生だったと思えるかもしれない。どうせロクな死に方はできない人生だ、ここで海に消えた方が良いに決まっている。
まぁ仕事のためとはいえ、海の幸が美味しいリンドブルムに行けるのはわりと楽しみだっただけに少し後悔もあるが。
(特産の鮭のお刺身と秋刀魚のお刺身を限界まで食いたかったなぁ……。)
しかしそんな希望も叶いそうにない。もう海水が膝まできており、沈むのも時間の問題だろう。
船員や他の乗客は相変わらず救命ボートだなんだと騒いでドタドタと走り回っているが、この大荒れの海の中ボートで助かるとも思えない。かなり運が良くてどこかに漂流だろう。
「何も楽しくない、クソみたいな人生だった。幽霊になったら無駄に壁すり抜けたりして幽霊満喫しよう。」
そんなことを呟いていると突如客室の壁が音を立てて割れた。壁がないということはもうその先は海であり、当然のように俺の身体は海に飲み込まれていく。
(幽霊満喫宣言て。最期の言葉があれでいいのか俺……。)
遠のいていく意識を感じつつ、ほんの少しだけ後悔した。
「まだ起きないの? おかしいな、そろそろ目覚めてもいい頃なのに……。」
柔らかい女性の声が聞こえる。
「はぁ、それにしても見た目細いのに重かったわね……。意外と着痩せするタイプ? いやそれにしても細いような気がするしそこらの女性と良い勝負な気がする。」
女性は俺が起きていることに気づいていないのか、次から次へと男としてはあまり嬉しくない評価を言ってくれている。確かに人より細い自覚はあるし、筋トレしてもガタイが良くなったこともなくわりと自分でも気にしていた。
だからと言ってこれ以上悪口を言われてたまるか、と俺は目を開けていつのまにか横になっていた重たい体を起こした。
「誰が見た目ヒョロガリもやしクソ野郎だ。」
「わああああああ! ご、ごめんなさいでもそこまで言ってない!」
横に腰掛けていた見知らぬ女性が慌てた様子で立ち上がった。見たところ歳は同じか、少し下だろうか。軽めのパーマがかかった腰あたりまであるピンク混じりの金髪がふわふわと揺れており、可愛らしい顔によく似合っていた。
そんな彼女から視線を少し外すとここが見慣れない部屋であることに気づく。パステルカラーの可愛らしい雑貨やたくさんのぬいぐるみが置いてある部屋。どう見ても18歳の男がいても良い部屋ではない。
寝かされていたのもこれまた可愛らしい薄ピンクのベッドで、俺なんかが使ってごめんなさいという気分になった。
(というか、何処だ、ここ。俺の部屋じゃないのはわかるが。)
聞いてみるしかないか、と俺は横にいる女性に話しかける。
「あー、すまん、その、ここは?」
そう聞くと、女性はハッとしたようにこちらを見た。
「リンドブルムの港町にある私の家よ。あなた浜辺で倒れてたからここまで引きずってきたの。」
「リンドブルムだと!?」
「そうだけど。」
まさか目的地に漂流していたとはなんたる幸運。これなら仕事にも支障はない、と考えたところで妙な違和感を感じた。
リンドブルムに来て仕事をするはずだったのは覚えている。しかしその仕事が一体何なのか、思い出そうとするとすっぽり抜けているかのように何も思い出せない。
仕事以外のことは大体覚えている、はずだ。名前もわかるし年齢だってわかる。なんならリンドブルムが緑豊かな国というのもわかる。
それだけに仕事のこととなると何をしていたかわからず、少し不気味な感じがした。一体俺は何をしていて、ここにきて何をするつもりだったのか。
少しでも何か思い出せないかとうんうん唸っていると、女性の方から俺に話しかけてきた。
「リンドブルムに用事があったの?」
「あぁ、確かに目的地はリンドブルムのはずなんだが……。その、何故来たかったのかがわからない。」
「わからない?」
「仕事のことだけ記憶が抜けているような、そんな感じがして思い出せない。他は多分覚えているのに、な。」
俺がそう言うと女性は困惑したような表情をして俯いた。困らせるつもりはなかったのでその様子に少し心が痛んだが、大丈夫だとも言えず俺も一緒になって黙るしかない。
さてこれからどうしたものか。着ている服以外の持ち物はこの腰にささっている双剣と自作のネックレスのみ。他には何もないしどこかに泊まるにしてもお金がない。手先は器用な方だから素材さえどこかから手に入れることができればアクセサリーでも作って売れるのだが。
リンドブルムの港町、ということは浜辺が近いだろうし魚や貝でも焼いて食べれば食はなんとかなる。寝るところは最悪野宿でも今の季節ならいけなくはないだろう。
とりあえず当分の間はそれで凌いでいくしかないな、と小さくため息をついた。体も動かせるくらいには回復しているし、助けてくれたお礼だけはしっかり言って出るとしよう。
「助けてくれてありがとな。今は何もお礼できないが、生活が落ち着いたらまた来る。」
それじゃ、と立ち上がると女性は驚いたような顔をして俺の前に立ち塞がった。まだ何かあるのだろうか。
「待って待って! まだ目覚めたばかりだし、どこかまだ悪いかもしれないし! 何も今すぐ出て行かなくてもいいじゃない!」
「そうよ〜、最低でも二、三日は安静にしてないとダメよ〜?」
どこかのんびりとした声とともに水色のショートカットの女性が部屋へ入ってきた。その女性は少し大人びた、それでいて柔らかな笑顔を浮かべている。癒し系とはこういう人を言うんだろうな、と思わず見つめていると、可愛い、というより綺麗が似合うその女性は遠慮なしにこちらに近づいてきた。
「えっと……? 貴女は一体?」
「ふふ、お姉さんはソフィア・ヴェントよ〜。ここの街で薬師をしているの。ほらほら座って〜。」
そう言うとソフィアは俺の肩を押してベッドに再び座らせた。体勢のせいで綺麗な顔立ちと見事な胸が近くにきて顔が赤くなるのを感じる。思春期の自分にはわりと目の毒だ。
これは、と思わずチラチラ見たくなる気持ちを無理矢理抑え、心を落ち着かせるべく不自然にも感じるほど思い切り視線を外す。するとこちらの考えがわかってしまったのか、ソフィアはクスクスと笑いながら俺に話しかけてきた。少し恥ずかしい。
「どこか痛むところある〜?」
「いや、どこも。薬師ってことはソフィアが俺を助けてくれたのか?」
「治療はお姉さんだけど、ここまで一生懸命運んでくれたのはリーナよ〜。」
ね〜? とソフィアが隣にいる女性に話しかける。
「そうか、ありがとう、ソフィアに……リーナ?」
「リーナ・フルール。別に食材探しに行ったらたまたま見つけただけよ。引きずってきただけで他何もしてないからお礼はいらないわ。」
そう言うとリーナはソフィアの後ろに隠れてしまった。先ほどまでは普通に話していたのに、急に顔も見せてくれなくなったリーナ。何か俺は気に障ることを言ってしまっただろうか。
不安に思いながら自分の態度を思う返してみるが、失礼な言動はしていないと思う。強いて言えばソフィアの巨乳を見た時に心の中で生きてることに感謝したのが気持ち悪かったかもしれない。
「あらあら、ずっと付きっきりで心配して寝る時もここの椅子で寝てたくせに急に照れちゃうんだから〜。」
「ソフィアうるさい! 余計なこと言わなくていいから!」
確かに目を覚ましたときもリーナはすぐ横に置いてある椅子に座ってこちらを心配そうに見ていた。見ず知らずの男をそこまで気にかけるあたり、かなり優しい人なんだろう。
「ごめんね〜、リーナほんとに照れ屋で〜。それで、ここ数日はまだ安静にしてもらうけどそれからどうするの? さっき聞こえてきたけど一部記憶喪失になってるんでしょ?」
そうだった、ソフィアが来て一気に空気が変わったのもあり忘れかけていたがここを出て行こうとしていたところだった。それを止めるべくリーナに立ち塞がれたし、薬師が安静にしろと言うなら数日はここで素直にお世話になるべきなんだろう。
とはいえ数日したら出て行くのは決定事項だ。いつまでもお世話になりっぱなしというのも情けないし、あちこち行った方が記憶の手がかりになるものに出会えるだろう。
「数日したら出て行く。手先は器用な方だから、その辺の貝殻でも加工してアクセサリー作って売るのもいいし、男だしなんとでもなる。そうしてくうちに何か思い出すだろ。」
「出て行かずにうちに住めばいい。」
「は?」
リーナのその予想外の言葉に思わず変な声が出た。うちに住めば良い、なんて見ず知らずの男に言って良い言葉ではない。それもお互いの年齢的にも絶対にダメだろう。
一体何を考えている、とソフィア越しにリーナを見ると、ソフィアの後ろに隠れたままリーナは言葉を続けた。
「この部屋以外にも部屋余ってる。浜辺近いから貝殻とかアクセサリーにできそうなものもすぐ取りに行けるし、昔一階でうちの親がレストランやってたから厨房もでかいし、私手伝ってたから料理できる方だし、風呂もトイレもあるわ! そうよ、ここに住みながらアクセサリー作って売ればいいじゃない。家賃代わりにたまに釣りで魚釣ってきてくれるとかでどう? 何も問題ないしいいわよね? よし、部屋綺麗にしてこなきゃ!」
まさにマシンガントークとでもいうのか、リーナは早口でここのアピールをした挙句勝手に一人で完結させた。あまりの勢いに一瞬何を言われたのか理解できず、頭の中で繰り返してようやくリーナがとんでもないことを言っていることを理解した。
魚を釣るのは好きだしそれに関しては何の問題もない。だがそれ以外はどう考えても問題しかないだろう。
呆気にとられて口を挟む隙もなかったが、部屋を綺麗にしに行こうと出て行きかけているリーナに声をかけて慌てて止めた。出ていかれたらこのまま押し通される未来しか見えない。
「ちょっと待て! 何が何も問題ないしだ! 自分で言うのも悲しいが怪しい男をホイホイと住まわせるのは問題しかないだろ……。普通に考えて危険すぎる。」
「リーナ可愛い顔してるし襲っちゃうわよね〜。」
「まぁ確かに可愛いと思うけど襲わねえよ! 俺が犯罪者とか悪者だったら危険だろって言ってんの! 思い出せない仕事だってそれこそ殺し屋とかかもしれない。俺がそういう裏社会の人間だったとしたら、何か思い出したときに殺されるかもしれないんだぞ。」
そう必死になって言うとリーナは何を言っているんだコイツはとでもいうかのような表情で俺を見てきた。先ほどのマシンガントークのときの俺の気持ちを思い知っただろうか。
「悪い人だったらわかった時点で警備隊に突き出すから大丈夫。居心地悪く感じたら出てけばいい。それじゃダメ?」
不安そうに聞いてくるリーナに少し心が揺らぎかける。俺は可愛い子を困らすのは好きじゃない。好きじゃないがここで頷いてもし本当に俺が悪いやつだったときが怖かった。
「お姉さんとしても君にはここにいてほしいな〜。女の子だけだといろいろと危険だし、君細いけど腕はたちそうじゃない?」
「細いは余計だ! コンプレックスなんだよ!」
1日に2回も言われてさすがに少し泣きそうになる。そんなに俺は細いだろうか、と自分の腕を見るが悲しい現実を突きつけられただけだった。
「あらごめんなさい。でもほら、君イケメンだし〜、あと頼りになりそうっていうか〜、とにかく行くところないんだからちょっとでも住んでみたらいいと思うわ〜。」
絶対にパッと思いついた褒め言葉を何も考えずに言ったであろうソフィアを少し睨みつけながら俺は考えた。
行くところがないのはその通りだ。行くところも、目的も、何もない。適当にぶらついても生きていけるだろうが、最近は野盗なんかが多いと聞く。俺は盗られるものなんかないが、ここを出て一人になったリーナが襲われないとも限らない。
だったら、近くにいた方が命の恩人を守れるのではないか。もちろん俺がその野盗よりタチが悪い可能性は十分にあるが。
何がそこまでさせるのか、恐らくはただの善意なのだろう。逃がしませんけど、といった表情をしているのはきっと見間違いか何かだと信じたい。
俺はもともと口が上手い方でもないし、このままいけば俺が折れるのは目に見えている。もうここは悪者だったらそれはそのときと考えて受け入れるしかないかもしれない。
「はぁ……。俺が悪者だったら、遠慮なく警備隊に突き出せよ。それか寝ているところを襲って殺せ。それを約束してもらえるなら、ここで世話になる。世話になる側なのに条件つけて申し訳ないが、それだけは守って欲しい。俺は恩人を殺したくはない。」
俺がそう言うとリーナとソフィアは顔を明るくし、嬉しそうに笑った。
「やった! じゃあこれからよろしくね! えっと……。」
「フィン。フィン・クラウザーだ。」
少し不安はあるが、過ごしていくうちに何か思い出すだろう。楽観的すぎるが今やれることなど何もないのだから仕方ない。
嬉しそうにはしゃぐリーナたちを見ながら漠然とした不安を必死に隠していた。この先俺はどうするのが正解なんだろうか。




