第二王子と転生令嬢の秘密の約束
「すまない、即位することになった」
私、ソフィア・エミルフォークはティーカップを片手に固まった。うっかり中身をこぼしそうになった。あぶなかった…。
目の前で申し訳なさそうな顔をしているのは私の婚約者のデヴィッド・マクラグレン。薄い金色の髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ齢十八の好青年だ。
「えっと…、もう一回言ってくださる?」
もしかして聞き間違いかと思い聞き返した。しかし、デヴィッドは変わらず困った顔をしているので聞き間違いではなかったと察してしまう。
「すまない、即位することになった」
「えっと……陛下、亡くなったのですか?」
「いや、生きている。生前退位だ」
「それは……なぜ?」
「緊急提案で退位させられた」
「させられた!?」
驚いて思わず叫んでしまう。緊急提案とは国王が絶対権力を持たないようにブレーキとして与えられた他の貴族の権利だ。ただ貴族たちの三分の二以上の賛成を得られなれば発令しないはずだが、よっぽど国王の政治がまずかったのだろう。
確かに国王はこの国が弱小国にも関わらず戦争したがるわ、その戦争の兵量確保のため税を上げようとするわ、第一王子に様々な面で激甘だわで尊敬できる部分はあまりなかった。もちろん口は禍の元なので言ってませんよ。緊急提案が出たことでいろいろと思い巡らせていると、とあることを思い出したので先程の興奮を抑えて確認で聞いてみた。
「えっと、デイヴの王位継承権は?」
「第二位だ」
「継承権第一位のアルガーノン殿下は? 彼が王位を継ぐのでは?」
「廃嫡となった」
「廃嫡!?」
また驚きすぎて叫んでしまい、口元をすぐに両手でふさいだ。デヴィッドは実はマクラグレン国の第二王子で王位継承権第二位。第一王子のアルガーノン・マクラグレンが王位を継ぐと明言されていたためデヴィッドは今まで臣下として仕えていた。しかし、万が一の事態に備えて国王になるための教育は受けてはいる。ここでその教育が生きるとは思わなかったが。
王が退位、王太子が廃嫡。戦好きで周りの苦労など気にしないアホ王はともかく、アルガーノンを廃嫡したことはなかなか思い切った事をしたと思う。
「ウィルフレッドの婚約披露時に、ウィルフレッドの婚約者のシェアスミス公爵令嬢を自身の希望で兄上の側室に任命しようとして、ウィルフレッドとシェアスミス公爵を完全に敵に回してしまった」
「あー……」
ウィルフレッドはデヴィッドの弟で第三王子だ。すでに第一、第二王子がいたので、彼も次の王の臣下として育てられた。この第三王子、なかなかのやり手であらゆる情報を元手にして自分に有利な方へ持っていくのがとてつもなく上手い。第一王子が王位を継ぐという明言がなければ、王位継承権争いでかなり上の方にいっていたのではないだろうかと思う。そして、その彼には溺愛している婚約者がいる。彼女はリディア・シェアスミス公爵令嬢。淑女教育を幼い頃から受け淑女の教養と呼ばれる音楽やダンスはもちろん、言語や歴史なども十分熟達している。そんな彼女は第一王子と婚約予定だったのだが、彼女が婚約できる年齢の十六になって「真実の愛を見つけた」とかなんとかでアイネソン伯爵令嬢を見初めてしまって内定をいきなり取り消したのだ。父親であるアホ王は息子の味方をし、あまつさえ弟のウィルフレッドの婚約が未定だった事もあり「代わりに」とあてがったことにより、リディアの父親であるシェアスミス公爵の逆鱗に触れてしまったは予想できるだろう。けれど、流れ的に行ったリディアとウィルフレッドが初めて顔合わせの後、二人たっての希望でそのまま婚約内定、そして今年彼が十六になると即婚約した。あの時何があったのかは知らないが、二人は出会いから変わらず幸せそうに過ごしている。
そんなすでに恨まれて刺されてもおかしくない状況なのに追い討ちをかけるように、リディアを取り上げ、不幸にしようとしたのならば返り討ちにあっても仕方がないだろう。
この国の中でも王家と縁付かせることができるくらい力あるシェアスミス公爵と頭の切れるウィルフレッドでは到底敵わないと思う。
「それは庇いようのない状況ですね」
「王が退位、王太子が廃嫡となったので、私に王位が回ってきた。正しくはあの二人が私を推薦している状態だが、おそらく提案で通ってしまうだろう。しかし……」
「私との婚約時の約束……破ることになりますね」
私はそう言って視線を下に落とし、デヴィッドは低い声で「ああ」と悲しそうに同意した。
実は私は物心ついた時から前世の記憶がある。今よりもかなり科学が発達した時代で生きていたが、交通事故で二十九で命を散らした。死ぬギリギリまで結婚もせず仕事に生きてきたので、生まれ変わったと知った時少しホッとしたのだ。
もう働かなくていいんだ、と。
だから今世では普通に結婚してのんびり暮らそうと考えていた。けれど、私は名のあるエミルフォーク侯爵家の令嬢。小さな頃から第一王子の婚約者候補として名が挙がっていた。
もし婚約者になり第一王子と結婚したら私はいずれ王妃となる。普通の乙女なら夢見るものだが、前世で夢と現実はかけ離れているということを嫌というほど知っているアラサーの女だから今更夢など見れない。王妃なんてなってしまったら、貴族夫人たちの派閥調整やら国内外問わず夫人との交流や情報収集をする仕事をしていかなければならない。のんびり暮らすことからかけ離れていくのは御免被る。
だから、父であるエミルフォーク侯爵が満足する相手と婚約内定させてしまえば、第一王子との婚約は阻止することができるのではないか。
そのような思惑を巡らせていた時に、私はデヴィッドと出会ったのだ。
私が六歳の時、アルガーノンの十歳の誕生パーティーが開かれた。誕生パーティーとは名ばかりで、十歳になる第一王子の婚約者を探すための会であることは丸わかりだ。
私はエミルフォーク侯爵に連れられてアルガーノンに挨拶した後、適度に彷徨い歩いて誰もいない中庭の方に避難した。うっかり目に留まってしまって婚約者に選ばれたら今後の人生詰んでしまいかねない。
王宮の中庭ということもあって時間をかけて整備されたことがわかる美しい庭園だった。赤、黄色、白などの色とりどりの美麗な花が咲き誇っている。私は近くに置かれているベンチに腰掛け、咲き誇る花を堪能する。
「毎日こんな美しい花が見られるなんて羨ましいな」
「そうか。それは庭師が喜びます」
「え?」
声のする方向に顔を向けると、後ろの方から一人の男の子が出てきた。薄い金色の髪にエメラルドグリーンの宝石のような瞳、あまりの精悍な顔立ちに目が釘付けになってしまった。
「私もこの庭がお気に入りなのだ、エミルフォーク侯爵令嬢」
「……私を知っているの?」
話しかけられてはっと我に返る。なぜ私と同じくらいの歳の子が私を知っているのだろうかと疑問に思う。私の訝しむ表情に気付いているのか気付いていないのか、男の子は誤魔化すように大人がする愛想笑いを一つした。
「ええ。……ところで今日は誕生パーティーなのに、なぜこんな人もいないところにいるのですか?」
「それは……」
正直に言っていいのか迷い、口籠ってしまう。アルガーノンと婚約になってしまう事態は避けたいから身を隠していました、なんて正直に言ってしまったらどうなるだろう? しかも、相手は本人ではないとはいえ、誰かわからない。
言葉にするのを躊躇する私に男の子はこてんと首を傾げる。
「未来の国王様の誕生パーティーだぞ? もし見初められたら未来の王妃だぞ? もったいなくはないか?」
「いや、それが嫌なの」
「え?」
有難いことだと言わんばかりの態度に私は苛ついてつい言い返してしまった。私の冷たい声に呆気に取られたのか、男の子は張り付けていた笑顔が一瞬崩れた。
「嫌とはどういうこと?」
「だって王妃になったらたくさん仕事をしないといけないでしょ?」
「ええ、それはまあ」
「私は将来、のんびり暮らしたいの。どこかの夫人にでもなって読書や刺繍とかして自分のために時間を使いたい。だから自分から茨の道に進むようなことはしないわ」
おっと興奮しすぎて子どもらしくない言い回しになってしまった。畳みかけるように話したせいか男の子は言葉を失っていた。ここまで言ってしまったらもう自棄だ。
「だから、できたらアルガーノン殿下とは違う方と早く婚約を結んでしまいたい。まあお父様の納得する方じゃないと無理なので十分に吟味しないといけないけど」
ここまで言い切り、胸に秘めていた思いを吐き出すことができてすっきりした。吐き出された先の男の子は笑顔は完全に消え、呆然とした顔をしている。ちょっと胸の内を曝け出しすぎたかな。
知らない相手に暴露してしまったことに焦燥感を抱きつつ反応を待つ。すると、男の子は呆然とした顔から一転、急に笑い始めた。
え、笑う内容なんかないよね? こっちは死活問題なんだよ?
そう思い、キッと睨みつけると男の子は微かに笑いつつも息を整えた。
「すまない、ここまで言い切れるのも凄いなと思ってな……。それで、貴女はアルガーノン殿下と婚約したくない、ということでよいか?」
「可能性を無くしたい、の方が正しいけれど、合ってる」
「なるほど……。それでその相手の当てはあるか
?」
「全くないから難航しています……」
お父様のお眼鏡にかなう権力を持つ貴族はたくさんいるが、私を娶ることでその家が利益を得るとは言い切れない。また私は精神年齢が高くとも幼き六歳だ。コネクションがないので接触も難しい。そのため当てもない状態で非常に困っている。
「それならば、私と婚約はどうだろう?」
突然すぎる提案に男の子を凝視する。
「私なら貴女の希望を満たせる」
「ど、どういうことでしょう?」
自信満々に言う男の子に私はたじろいでしまう。
そう言えば誕生パーティーなのにこの子もここにいるということはそれだけで訳ありの可能性もあったのだ。なのに、私は自分の思惑を話してしまった。うわ、私のバカバカ!
「私はデヴィッド・マクラグレン。王位継承権を持つ第二王子だが、次誰が王になるかはもう知っているよな?」
私は愕然としてしまい固まってしまった。婚約者になりたくない、と当人の弟に言っていたのだ。よく見たら先程挨拶したアルガーノンに多少なりとも似ているではないか。なぜ気付かない自分。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
何も反応しない私に対して、デヴィッドは翠緑の目を細めた。
「次の王は父上の言葉通りアルガーノン兄上だ。なので私は兄上に万が一の事態があった時の代わりなので王位が回ってくることはないだろう」
「そ、そうですね……」
知らないと思われたのかデヴィッドが補足してきた。もちろんそのことは知っていたけれど、目の前にいる男の子が王子であるという事実の方が驚きが大きすぎて肯定できなかっただけだ。
やっと少し落ち着いて冷静に思索すると、確かに好物件ではないかと思う。まず王族であること。これでお父様は十分に満足してくれるだろう。しかも、私の思惑を知っているので私自身も気が楽だ。しかし、これではデヴィッドにメリットはない。一応侯爵令嬢ではあるが、他にも令嬢はいる。私でなくても、自分に利をもたらす令嬢を選ぶ方が良いのではないか。
「なので、私と婚約しませんか?」
側から見ると思春期の女子がキャーキャー言いそうな台詞を吐かれて、私は恥ずかしさで顔を赤くしてしまう。こんな淡い金色の髪をサラつかせて、あどけなさが残る笑顔で言われると誰でもときめいてしまうよ! いや、顔に騙されるな、しっかりしろ、ソフィア!
「で、ですが……、私と婚約することで貴方に利はないと思うのですが……。理由などあるのでしょうか……?」
笑顔を直視できずチラチラと挙動不審な感じでデヴィッドを見ながら、言葉を絞り出す。王子ならもっと良い相手がいるはずだ。なのになぜ私を選ぼうとするのか。
「それは貴女といたら毎日が楽しそうで面白そう、と思ったからでしょうか」
「それは嘘ですね」
そこはきっぱりと言い切る。いくら第二王子といってもそんな理由で伴侶を選ぶことはないだろう。もしそうならば、この王族はもう駄目だと思う。
「……信じてもらえないのは悲しいですが、まあそれは半分くらいですね」
「半分もあるのですか……」
「残りは貴女の聡明さかな。貴女はまだ十歳にもなっていないのに読み書き計算だけでなく、この国の地理や歴史も理解しているとか。エミルフォーク侯爵が父上に自慢していたぞ」
……お父様、私のことゴリ押ししてるじゃない!
自分の父が王太子妃に私を望んでいることが改めてわかり消沈する。前世の記憶で大学まで出ていることもあって、この世界の勉学はそれなりにできて困ることはなかった。しかし、国王にまで報告しているとは思わなかった。
「それを聞いて私は貴女に興味が湧いた。だから今日会えると思っていたら、貴女は会場から出て行って中庭に行ってしまった。だから声をかけたのだ」
それって一歩間違えたら変質者じゃないか、と声に出さず心の中で突っ込んでおいた。
「実際話してみて確信した。言葉の言い回しから貴女は聡い。だから私は貴女の力を借りたいのだ」
「私を……?」
私が聞き返すと、デヴィッドはこくりと頷いた。
「ある程度の年になったら特例で私の部下として王宮勤めして欲しかったのだが、難しそうだと判断した。なのでたまにでいいので、私に助言してほしい」
「助言、ですか?」
「ああ。私は臣下としてですが国の政策を充実させたい。貴女と協力関係でありたいから貴女の希望を叶えようと思ったのだ」
希望を叶えるというよりは恩を売っているだけでは…、と思うが、確かに協力関係であるのは悪くはないと思う。そして何よりアルガーノンとの婚約は回避できる。しかし気になる点はある。
「いいとは思うのですが、殿下に……もし何かあった時はどうされますか? 貴方は次の王太子として、となると思うのですが……」
王太子はアルガーノンだが、万が一何かあった時はデヴィッドにお鉢が回ってくる。そうなってしまったら婚約者の私は逃げられないのではないか。本末転倒な話となってしまう。
その話にデヴィッドはにこりと笑った。
「その時は私有責で婚約、婚姻を破棄させてもらう。貴女が困らぬようにほとぼりが覚めたら、次の婚約を斡旋する」
「なるほど……」
それならばこちらとしてはメリットしかない。多少助言という仕事をしなければならないが、そこまで多くは求めてはいないだろう。
これは話に乗っておいていいかもしれない。
「そこまでこちらにとって良い話なら断るのはもったいないですわ。お受けさせていただきます。ただし私の名前は出さないでくださいね」
「それは……。仕方ない。承知した」
そう言ってデヴィッドは微笑んだ。そして、右手を差し出してきたので私は右手でそれに応えた。その手は温かく、私の胸はドクン、と高鳴った気がした。
その後、正式に婚約の申し込みが王家からやってきた。お父様も満足なのか上機嫌で承諾の返事をしたことで、無事に婚約内定した。私が十六になったら正式に婚約することになる。
そして、デヴィッドは約束通り私の元に定期的にやってきては、国のことで相談を持ちかけられた。
例えばこの国の税について。現国王は国土を増やしたいらしく武力にお金を使っているらしい。そのため国民への課税が酷くなってきているようだ。デヴィッド自身、父親を説得しても駄目だったのか、かなり疲れた顔をしていたので相当酷い有様なのだろう。なので、私は国民だけでなく貴族からも税を取ることを提案した。ただし、新しいものを導入する時は貴族に利点があるようにしないとあらぬ反発が出てしまうことも付け加えておく。税は国民からという固定概念があったのか目から鱗だったらしい。また、領土を無闇に増やすよりもまず持っている国土を豊かにし、税収を上げるようにも助言しておいた。ついで肥料や二毛作などの農法も知っている限り教えておいた。その後、デヴィッドは実際に人を使って教えた方法を試し、有効だと判断した上で会議で提案したようだ。もちろん導入に反発はあったが、税を納める代わりとして有効だと判断した農法を教えることで高まる不満を軽減できた、と後でデヴィッドが嬉しそうに報告してくれた。国王も上手いこと丸め込んだようで無駄な戦もここ数年はなかったので、私も安堵していた。
それ以外にも医療制度、税の徴収法など、前世で知り得た知識をこの世界用に少し変えながら伝えた。「こんな方法、どのようにして思いつくのか?」とデヴィッドが尋ねてきたが、前世のことを知られるのはややこしいので、「……夢に出てきたのです」と誤魔化しておいた。不可思議な顔をしていたがそれ以上は聞いてはこなかったので、放っておいている。
もちろん仕事の話だけでなく、デヴィッド自身の話も聞いたり、私の近況の話もしたりしていた。むしろそちらの方が多かった。特にデヴィッドは王宮での流行や読んだ本の話など他愛のない話をしてくれた。また、私が「中庭の美しい花を毎日見られるのは羨ましい」と言ったことを覚えていたのか、毎回色とりどりの花を花束にして持ってきてくれた。季節によって変わる花々はとても美しかったので、一部は押し花にして栞に加工した。初めは数枚しかなかった栞が徐々に増えていき、数年が経つと引き出しいっぱいになるくらいになっていた。
捨てようと思えば捨てられたが、何故か捨てたくなかった。花束を差し出す彼の顔、言葉、指先までもが鮮明に思い出され、胸の中が温かくなるのだ。
そしてその温かさが私はよくわからないまま、十六を迎え、予定通り十九になったデヴィッドと婚約した。しかし数ヶ月後、冒頭の話に戻り、国王と王太子が失脚しデヴィッドが予定になかった即位を迎えることになる。
「あの時の約束通り婚約解消になります、ね……」
「そうだな……」
何故か心が締め付けられる感覚がして私は胸を押さえた。デヴィッドは目線を下げている。
出会って約十年ほど。今までのデヴィッドとの思い出が走馬灯のように駆け巡る。すると視界がぐにゃりと歪んだ。
「泣いているのか……?」
「え……?」
頬に手をやると冷たいものが伝っているのがわかる。
ああ、これは涙だ。そう感じた瞬間、ふわりと体が温かいものに包まれる。抱きしめられていることに気付くまでに少しかかってしまった。
「フィアも悲しいと思ってくれているのか……?」
デヴィッドに言われて初めてこの婚約解消が悲しいと思っていることに気付く。しかし頭の中がぐちゃぐちゃで何の言葉も発することができない。
「いきなりのことだ。心の整理が要るだろう。……また、来る」
待っていかないで、その言葉が喉から出てこない。そう戸惑っているうちにデヴィッドの体がすっと離れていく。そしてそのままデヴィッドは部屋を出て行ってしまった。
私は何も言えなかった。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
デヴィッドはただの協力関係だった? ……いいえ。デヴィッドは私の知識だけに目を向けていたわけでなく、私自身に向き合ってくれていた。世間話だけをしに私の下を訪れてくれることも多かった。協力関係なら別にそんなに来なくていい、と彼に言えたのに私は言わなかった。なぜなら私は彼の訪問を楽しみにしていたからだ。
彼が持ってきてくれる花束を眺めるだけで笑顔になれた。心が安らいだ。また来る、というデヴィッドの言葉を脳内で反芻して幸せな気持ちになっていた。
ああ、これが愛しいというものか。私はデヴィッドを愛していたのか。何故すぐに気付かなかったのだろう。何故あの時「好き」と彼に伝えられなかったのだろう。
ぽたり、ぽたりと涙が零れ落ちる。両手で顔を覆うが、まだ涙は溢れ足元を濡らす。
「きちんと伝えなきゃ……」
このままでは終われない。デヴィッドに自分の気持ちを伝えられていない。私は両手で目を擦り溢れる涙を拭った。きっと目は真っ赤になっているだろうが気にしない。
「アン、王宮へ行く準備をお願い」
部屋の外で待機している専属侍女のアンを呼び、王宮に行く支度を手伝ってもらう。王宮にいるデヴィッドに会って私の気持ちを伝えるために。
「デヴィッド様でしたら中庭にいらっしゃいますよ」
王宮に到着し、道行く伯爵にデヴィッドの居場所を尋ねるとあっさりと教えてもらえた。新国王即位に向けて皆忙しなく動いている。居場所を教えてくれた伯爵もすぐに仕事へ戻っていってしまった。
……泣いていたこともあって支度に手間取ってしまったので到着が遅れてしまった。もう婚約破棄されていないかと首筋が寒くなりながらもデヴィッドがいるという中庭へと歩みを進める。彼と初めて出会ったのも中庭だった。私の運命の分岐点になる中庭に奇妙な縁を感じてしまう。城で一番大きい廊下を通り抜け、少し道を外れると中庭へと繋がる道に出る。
「…………、…………ませ!」
もうすぐ中庭だというところで甲高い甘ったるい声が聞こえてくる。私は不審に思いながら会話が聞こえるところまでゆっくりと近づき、物陰に隠れた。
「デヴィッド様、どうかわたくしを婚約者として迎えてくださいませ!」
ドクンと胸が鳴る。声の主を辿ると薄いピンクのドレスを纏った栗色髪の少女とデヴィッドがいた。私の両手が震えているのがわかる。
「ソフィア様との婚約を破棄されると言ったではありませんか。それならば、どうかわたくしを次の婚約者にしてくださいませ!」
デヴィッドに迫る少女はアルガーノンの婚約者のリリー・アイネソン伯爵令嬢だった。アルガーノンがシェアスミス公爵令嬢との婚約内定を蹴ってでも結ばれたいと思っていた令嬢が今、別の男性に必死に迫っている光景は異様に見えた。
「アイネソン伯爵令嬢、貴女は兄上の婚約者なのでは……?」
「廃嫡され今の身分を落とされるアルガーノン様と私では釣り合いませんわ。だから婚約を破棄しましたの。だから……」
舌足らずな声で楽しそうに話しデヴィッドにすり寄っていくリリー。アルガーノンとかつて愛を語った少女はこんなにもあっさりと愛した者を切り捨ててしまったのか。私は驚きを隠せなかった。
「だから、わたくしを選んでくださいませ」
リリーはそう言うと、デヴィッドに抱きついた。その瞬間、嫌悪感が体中を駆け巡った。
嫌、やめて! と叫び一歩前に出ようとすると、デヴィッドはリリーの体を黙って突き放した。
「デヴィッド様……?」
「確かにフィアとは婚約破棄することになると言ったが、私は今後新しい伴侶を迎えるつもりはない」
低く底冷えしそうな冷たい声でデヴィッドは言う。何を言っているのか理解できないリリーはデヴィッドを見上げている。
「婚約破棄をしたのは私がフィアとの約束を果たせなかったからだ。婚約破棄をしても私は彼女をこれからもずっと愛し見守り続ける。別の誰かを愛することができないとわかっているのに未来の伴侶として他の女性を私は選べない」
デヴィッドも私を愛してくれているの? 私は両手で口を押さえ込み上げるものを抑え込む。目が潤んでくる。
「だから諦めてくれ。私にはフィアしかいない。笑顔が可愛らしくて努力家なフィアを愛している限り、他の女性を愛することはできない」
「そ、んな……」
絶望した声を上げてリリーはその場に座り込んだ。デヴィッドはそれを見下ろすだけで手を取ろうともしない。私は我慢できずデヴィッドの前に飛び出した。
「フィア!」
「デイヴ!」
私を一目見たデヴィッドは声を上げる。私はそのままデヴィッドを抱きしめた。
「あの時ちゃんと言えなくてごめんなさい! 私も貴方が好きなの、大好きなの!」
「フィア……」
きちんと気持ちを伝えた私をデヴィッドは両腕で強く抱きしめ返してくれた。温かくて幸せな気持ちで満たされていくのがわかる。
「王妃だってなんだっていい。私はデイヴの隣にずっといたい」
「いいのか……? 苦労を、かけることになるんだぞ?」
「いい! それが私の幸せだから」
きっぱりと言い切るとデヴィッドは嬉しげに顔を歪めた。その顔を見て私はさらに嬉しさが込み上げてきた。
「せっかく、せっかく……王太子妃になったと思ったら……」
地の這うような低い声がしたかと思うとゆらりとリリーが立ち上がる。甘ったるい高い声に馴染みがあったので、その声がリリーとはすぐに気付けなかった。
私を抱きしめくれていたデヴィッドは即座にリリーから私を守るように立ち塞がった。
「苦労して着飾ってアルガーノンに媚びてシェアスミス公爵令嬢を蹴落としたと思ったら、廃嫡……? あり得ない! 認めない! わたしは王妃になるのよ? ……そうでしょう? デヴィッド様」
頭をガシガシと掻きむしりながらリリーはデヴィッドに同意を求めた。しかしデヴィッドは同意することなく、首を静かに横に振った。
「貴女は王妃になれない。内面を磨く努力をせず、人に媚び外見を磨くだけなど、この国の母としてあってはならない。私は貴女を選ばない」
「あああああああ……!」
デヴィッドの言葉にリリーは泣き崩れた。私はただそれをデヴィッドの腕の中で見続けることしかできなかった。
その後リリーはそのまま近衛兵に連れられ王宮を後にした。ひと時の甘い夢を見せられたリリーにとってアルガーノンが王太子でない今を直視するのは辛いことだったのだろう。
「アイネソン伯爵令嬢は両親から追い詰められていたみたいだ」
「そう……」
これから華やかな繁栄が期待されたのにアルガーノンの廃嫡によって裏切られたと感じた両親はリリーを責めた。だからリリーはあの強硬手段に出たのだという。リリーも王太子の廃嫡により振り回された一人であることが悲しいほどわかる。
そしてリリーは自身の希望で修道院に入ることを決めたようだ。両親の呪縛から解き放たれるために。リリーが少しでも心穏やかに過ごせるといいが。
気持ちが沈んだ私を見て、デヴィッドは一つ手を叩いて話を変えた。
「さて、私たちの結婚のことも話さなくてはね」
「け、結婚!?」
あまりにも唐突だったので声が裏返ってしまう。デヴィッドはそれを見てエメラルドグリーンの目を細める。
「なぜそんなに驚く? 大切なことだろう? そうだな……、式は私の即位と一緒に挙げてしまう方がいいと思うんだけど、フィアはどう思う?」
「えっと……」
「私の隣にずっといてくれるのだろう? それならば私は早い方がいい」
デヴィッドは私の頬に手を当て、自分の端正な顔立ちを近づけて甘い言葉を囁いてくる。私の顔はきっと茹で蛸のように真っ赤になっているだろう。
「早く即位しないとウィルが煩いんだ。『早く延期した婚約披露をさせろ』って。私が即位しないとウィルの婚約披露ができないのだ。だからこれから大至急で準備していこう」
有無を言わせないデヴィッドの言葉に私はゆっくり頷いたのだった。
そして、たったひと月後にデヴィッドは国王として即位し、そのまま私との結婚式も行ったことで、私たちは晴れて夫婦となった。その後も私はデヴィッドを愛し、側で王妃として彼の隣で約束を守り続けている。私はデヴィッドの隣にいるだけで幸せだ。
デヴィッドは内部政策を充実させたことにより『賢王』、助言をし支え続けた私は『賢王妃』とそれぞれ呼ばれるようになるのは数十年後の話だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!