でもね、あなたはそんなことしなかった
あなたはいつでも私の心を照らし続けた一筋の光だった。
魔王を倒す勇者として選ばれて旅立ったあなたは覚えていたかしら。
私を、そして故郷を考えていたかしら。
覚えてる?間違ってあなたのお父様の形見の懐中時計を壊してしまったとき。
あなたは自分の父をとても尊敬してしていたわ。
それを一番理解していたのに、手が滑ってそのまま…。
一生口をきいてくれないと思いながらもあなたに謝った。
正直絶縁されると思ったくらい。
でもね、あなたはそんなことしなかった。
どうせいつかは壊れるものからしょうがない、って私を慰めた。
今はあなたの優しさがどうしようもないほど恋しい。
私は昔からよくやらかす方だったわね。
そういえば、私が待ち合わせに遅れることが何度もあった。
大抵遅れる方は私だったけれど、覚えてるいるかしら。
年末にある女神様の誕生日とされる祝日に、一緒に出かけよう、って言ったわね。
祝日に開いている店なんかなかったから、ただの散歩だったけれど、私は寝坊して一時間も待たせてしまった。
急いで向かうと、あなたは凍りつく真冬の朝からずっと私を待っていた。
暖かい服を重ねて着ていたあなたは鼻まで赤くなっていた。
待ちくたびれて不満でいっぱいで、激怒して怒鳴ると思った。
でもね、あなたはそんなことしなかった。
ただ、私の姿を確認した途端に笑顔で迎えてくれた。
早く行こう、って優しく声をかけてくれたね。
忘れていないよね?
あなたが聖剣に勇者として白羽の矢が立ってしまった日。ちゃんとしたお別れ会をする事も叶わなかった。
だから代わりに私のお気に入りのペンダントをお守り代わりに渡したよね。
透明感に溢れるグリーンアメジストはあなたの目の色によく似合っていたわ。
あなたはその煌く稲穂色の髪を靡かせて言ったよね。
「君がくれたこのお守りがあるから絶対に死なないよ。約束する。帰ったら祝言をあげよう。」
あなたの言葉にどれほど嬉しかったか。
私は笑顔であなたを見送った。
だって、約束したもの。絶対に帰ってくるって。
生きて帰って来て、祝言をあげるって。
やっと、あなたの婚約者から妻になれる。
でもね、あなたはそんなことしなかった。
魔王討伐が無事に終わったという知らせはすぐに広まった。
やっとあなたが帰ってくると分かって上の空だった。
王都からの使者が訪ねてきた時にはあなたもいると思っていた。
だけど帰ってきたのは私が贈ったペンダントだけ。
洗っても洗っても落ちなかったのだろう。赤黒い染みがついた鎖があなたの行く末を物語っていた。
あなたの『形見』を受け取った私は泣くしか出来なかった。
魔王の消滅に喜ぶは大勢。その中で私はぽっつり哀愁に呑まれるだけ。
その日のお祭りには行かなかった。
例え念願の魔王討伐の祝いだとしても、大切な婚約者がいない世界で祭りになんか行く気力もない。
「なんで行っちゃったの……。帰ってくるって…言ってたじゃない……。」
泣きじゃくりながら言葉を吐き出した。
悲しさに圧迫された喉からはかすれた声しか出てこなかった。
あなたがひょっこり現れて答えてくれるんじゃないかという淡い期待を抱いていたのかもしれない。
でもね、やっぱりあなたはそんなことしなかった。