あなたに報復を
星が煌めき月が街を照らすころ、私は興信所から届いた封筒の中身を見て愕然としていた。
(ケンジの奴、やっぱり浮気をしていたのね……)
2ヶ月前から彼氏であるケンジの様子がおかしいとは思っていた。常にスマホを持ち歩いていたこと、帰りが遅くなっていたこと、そして夜の営みが無くなったこと。浮気しているのかもと思い、一度本人に聞いたことがあった。その時は「そんなわけ無いだろ」と笑顔で言っていたのだ。
しかし不自然な行動が多くなり、不安になって興信所に依頼した。そして、ふたを開けてみれば私の予想通りだったのである。
目から水滴が一粒、二粒落ちていく。書類を持つ手がブルブルと震えた。
(私を騙してこんな事するなんて……絶対に許さない!)
胸の奥から怒りが沸き上がってくるのを感じていた。私は書類をグシャグシャに丸めて床に投げつけた。
(決めた。 心の痛みを知らしめるために、ケンジを殺そう!)
そう決意してからの行動は速かった。書類をゴミ箱に捨て、調理場にある凶器になり得そうなものを見繕った。ポピュラーな包丁・果物ナイフ、そしてキャップのついたアイスピックを取り出し、手に取りやすい位置に置いておく。彼がいつ帰ってきてもいいように、夕食を準備しているように見せかける準備をする。
親や友人からどんくさいと度々言われ続けてきた私だが、感情に任せて動くと案外テキパキと動けていることに自分で驚いてしまった。
(よし、あとはケンジが帰ってくるのを待つだけね)
今の時間は9時半をまわったところだった。いつも通りならそろそろ帰ってくる時間だ。私はコーヒーを飲んで優雅に座って待つことにした。
「ただいまー」
10分後、玄関からケンジの声が聞こえてきた。私は立ち上がり、夕食を作る振りを始めた。
「おかえり、ケンジ。 今日も遅かったね?」
「あぁ。 最近仕事が増えちゃってさ~、まいっちゃうよ~」
リビングに入ってきたケンジは、頭を掻きながらヘラヘラと答えた。
(本当は浮気相手とイチャイチャしていたんでしょ)
自然と包丁を持つ手に力が籠る。これから罪を犯す、そう考えただけで手が震えた。だが、ここで躊躇してはいけないと自分を奮い立たせた。そしてケンジに向かって走り出したときだった。
「へぶっ」
私は足元の延長コードに引っかかり、盛大に転んでしまった。その拍子に包丁を手放してしまった。それはクルクル回転しながら床を滑り、彼の近くで止まった。
「わっ、大丈夫か?」
「え、えぇ……大丈夫よ」
ケンジが手を貸してくれ、立ち上がらせてくれた。
おでこが痛むので撫でてみると、少し腫れていた。どおりでジンジンするわけだ。
ケンジは包丁を手に取り、台所に向かった。
私も凶器を取られたことに焦りながら、その後に続いた。彼が包丁を洗っている後ろで、果物ナイフを掴み鞘を抜こうとした。しかし、どれだけ力んでも鞘が抜けなかった。
苦戦している間に彼が私の方を振り向いた。
「あ、そのナイフ使えなくなったから捨てようと思ってたやつだ。 すっかり忘れてたよ」
(な、なんですってー!)
私は心の中で叫び、仕方なくナイフをゴミ箱に捨てた。他の洗い物も始めた彼を尻目に、アイスピックを手に取った。そして勢いよくキャップを取った瞬間――
(う、嘘でしょ!)
運が悪いことに先端ごと外れてしまい、キャップに引っ付いて取れなくなってしまったのだ。
(なによ! 天はこいつに味方をするつもりなの?)
私は天井を見上げて嘆いた。
そうこうしているうちに、ケンジが洗い物を終えてリビングに戻っていった。
もう一度包丁を使おうとしたが、私の目的を知ってか知らずか他の食器の下敷きになっていた。ここから取り出そうものなら、音で彼に気付かれてしまうだろう。
どうしようかと辺りを見回し、ふとまな板の横に置いてある豆腐のパックが目に入った。そのとき、とある言葉が頭をよぎった。
『あんたなんか、豆腐の角で頭をぶつけて死んじゃえばいいんだ!』
(いやいやいやいや! そんなの無理に決まっているでしょ!)
私は馬鹿なことを考えた自分に絶望し、頭を抱えながら跪いた。
「どうしたの、カオリ? 調子が悪いのか?」
彼が心配してか私に近寄ってきて、肩に優しく触れてきた。
私は「何でもないわ」と言い、本当に夕食を作り始めた。
彼は心配そうにこちらを見ていたが、少ししてまたリビングに戻った。
(どうやら、私の手では彼を裁けそうにないわね……)
冷静になった私はそう悟り、弁護士を雇う決意を固めたのだった。
注)この物語は犯罪を助長するものではありません。 また、実際の人物とも関係はありません。