第一章-1
「ん……」
まなは目を覚ました。目の前にお母さんの喜代江、お父さんの高雄、そしてお兄ちゃんの京介。家族みんなの泣きはらした顔があった。
「まな、分かる?」
お母さんの問いかけにこくりと小さく頷いた。お父さんとお兄ちゃんの安堵のため息がやけに大きく聞こえた。
「まな、良かった……」
お兄ちゃんがまなの小さな手をぎゅっと握りしめた。温かい感触が手の甲に感じられる。
まなはゆっくりと周りを見回した。
心電図モニターが規則正しく電子音を発している。点滴筒内に透明の液体がぽたぽたとこれは心電図よりやや遅いテンポで規則正しく滴っていた。
死に損なった……。
喜びも絶望もなく、ただぼんやりとそう思った。
「どうだい、気分は悪くないかい?」
白衣を着たすらっとしたイケメンが声をかけてきた。一目で医師と分かる。名札には松田と書いてあった。どうやら主治医らしかった。
まなはこくりと頷いた。
「先生、ありがとうございます。ありがとうございます」
お母さんの涙声が病室に響く。パーティションに区切られているとは言え、ICUは完全な個室ではない。他の患者さんもいるんだから静かにすればいいのに、とちょっと思った。
大袈裟だなぁ。ちょっと生き残っちゃっただけじゃないか……。
「いや、こんなこともあるんだなって思いました。完全に心静止になっていたのに。突然自力で動き出すんですから。まなちゃんもお母さんたちの呼びかけに答えたんだと思いますよ」
あんなに遺書をいっぱい書いたのに生き残ってしまったんだな、と思うと何だか気まずい。特にお兄ちゃん。いつも喧嘩ばっかしてたのに、大好きなんて書いてしまってなかったっけ。ツンデレもいいとこだ。
まぁ、お母さんたちの喜ぶ顔を見ていると生き残って良かったのかなと思わないでもない。でもまたいじめの日々に戻るのかと思うと、そのまま死なせて欲しかったとも思ってしまう。
「まぁ、とりあえず今は安静が一番です。面会時間もそろそろ終わりになりますし、お母さんたちもこの辺りで」
「はい、そうですね。本当にありがとうございました。まな、ゆっくりするのよ」
松田先生に促されて、お母さんたちが引き上げていった。
後には先生と、いつからそこにいたのか分からないが看護師さんが残った。
「うーん……」
お母さんたちがいなくなったのを見計らったかのように先生は唸った。
「何かあります?松田先生」
担当の看護師さんが怪訝そうに聞いた。
「いんや。特にはないよ。心拍数五十、血圧七十。そんなにいい状態とは言い難いんだけどなぁ。よく覚醒したなぁって思って」
「若いからじゃないですか」
看護師さんが笑いながら答えた。
「そういうもんかぁ?まぁ、ちょっと輸液とカテコラミン増やしとくか。七瀬さん、後はとりあえず任せた。また何かあったら連絡して。まだ当分院内にいるけど。じゃ、よろしくー」
「はーい」
七瀬と呼ばれた看護師さんの間延びした返事を聞いてか聞かずか、松田先生は忙しそうにICUから出て行った。
七瀬看護師がベッドサイドにやってきて、慣れた手付きで体温計をまなの腋に挟んだ。
「わかる?」
「はい……」
名札には『七瀬瑠花』と書いてある。ぴぴぴ、っと体温を測り終えた音が鳴った。
「三十四・八度。まあこんなもんか……」
「あの……」
状況の再確認をしたくなり、瑠花に話しかける。
「うん、どうしたの?」
改めて見て美人だな、と思う。ただ少し化粧が濃いめで学生の頃はギャルしてました、という感じだ。髪の毛はまとめているから髪型は分からないが、ちょっと暗めの茶髪をしていた。
「ここは、どこですか」
「あだしの病院よ。そこのICU」
あだしの病院。家の近所にある比較的大きな病院だ。そういえば自分が生まれた病院もここだっけ。
「私、死に損なっちゃったんですね……」
紐が切れたのか誰かがたまたま近くを通りかかったのか。まなには知る由も無い。
すると瑠花は微笑みながら、そっとまなの頭を撫でた。
「まなちゃん、今は余計なこと考えないで、よく眠りなさい。お腹が空いたらご飯も出してもらえるから。今はいっぱい寝て、いっぱい食べるの。いい?よくなったら、またお話もしてあげるから。ね?」
あんなことがあった直後だ。そりゃしばらくは安静だ。幸い、目覚めたところで頭はまだ明晰とは言えず、眠気もまだ強かった。
「はい……。もう少し、寝ます」
もう一度目を閉じる。色々考えるのは眠気が取れてからだ。そう思っている内に、まなは再び眠りに落ちた。
それから一週間が過ぎた。まなの経過は順調過ぎるぐらい順調だった。意識を取り戻した翌日にはお腹が空き始めたので一般食をもりもり食べることができた。翌々日にはICUを出て、一般病棟に戻れた。相変わらず血圧と心拍数は低いと言われていたが、若い女の子だからこんなものなんじゃないかということで皆納得した。
リハビリも問題なく進み、明日には退院できるとまで言われた。
「まなの生命力はすげーな」とお兄ちゃんは驚いていたが、それはまな自身も同じで、自分ってこんなに強かったんだと改めて思った。
「じゃあ、明日十時に迎えに来るからな」
お父さんは仕事を休んで迎えに来てくれる約束をしてくれた。
「うん。十時ね」
みんな極力遺書のことには触れない。でもきっと家族間ではいっぱい話し合っているはずだった。そのことを考えると気が重たくなった。何だか心配かけて申し訳ない気持ちと、生き残ってしまって情けないような気持ちと色々複雑に絡み合った感情だった。
「どうしたの?」
少し顔が曇ったのをお母さんは見逃さなかった。まるで全てを見透かしているような、いや実際見透かしているであろう視線であった。
「ううん。何でもないよ」
にこっと笑顔を作って見せる。お母さんの視線から逃れることはできないが、それならせめて少しでも心配をかけまいとする笑顔だ。
「そう?じゃあそろそろ時間だし……お母さんたち、帰るわね」
「うん。また明日……十時ね」
正直、退院はしたくない。退院すればまた日常に戻るから。でもこんなに元気になってしまった以上、いつまでもいるわけにはいかない。いじめのことはまた家族に相談しないといけないだろう。それが何となく憂鬱だった。
面会時間が過ぎると何時間もしないうちに消灯時間がやって来る。色々考えていると寝付けなくなりそうだが、入院生活に慣れてしまったのか、消灯時間がやってくると規則正しく眠くなった。
どのくらい経っただろう。ふと人の気配を感じて目を覚ました。
多分夜勤担当の看護師さんが見回りに来てくれたのだろうと思ったが、そこにいたのは白衣の天使ではなかった。
「……誰ですか?」
暗闇が背景なのに顔がはっきりと見えた。ICUの看護師、七瀬瑠花だった。白衣ではなく私服を来ているのですぐには分からなかったが、顔に見覚えはあった。
「あ、七瀬さん」
「明日、退院って聞いたから来たの」
時計をちらりと見ると十二時を指していた。
「準夜明けでね。それに明日は休みだから今しか時間が取れなくて。遅くにごめんね」
「いえ、大丈夫です。その節はお世話になりました」
すると瑠花はそっとメモを手渡した。
「それ、あたしの連絡先が書いてあるわ。退院して落ち着いたら、あたしに連絡して会いに来なさい」
え、なんで?と思ったが、口からついて出た言葉は一言だった。
「……はい」
「よろしい。じゃあ待ってるわ」
瑠花は優しく笑うと病室を出て行った。
彼女が出ていくとまた急速に眠気が襲ってきた。
なに?どういうこと?色んな疑問が湧いてきたが眠気にかき消されていく。そしていつの間にかまなは眠りに落ちていた。
退院してからの一週間は安静の日々だった。食べて、寝る。寝ては、食べる。この繰り返しだった。
「そんな脂っこいもの食べて大丈夫か?」
ある日とんかつをもりもり食べていたら、お父さんが逆に心配になって聞いてきたぐらいだ。
「退院した途端すげー食欲だな。あっという間に太るぞ、お前」
お兄ちゃんがにやにやしながら茶化してくる。
「うっさいなぁ……」
しかし茶化されても、食欲が落ちない。ロース四百グラム、ご飯をお茶碗に三杯、きゃべつ無尽蔵。
「何か、リミッター外れたんじゃね?」
言われてみればそんな風に見えなくもない。首を吊る前の三倍は食べている気がする。
「だって、お腹が空くんだもん」
「いいけど、壊さない程度にしなさいよ」
さすがにお母さんからも心配の声が出たのでとりあえずそこまでにしておいたが、まだまだ食べられそうな気がした。いや、明らかにまだお腹が空いていた。
「うぅ……どうしちゃったのかなぁ……私の体。突然大食い選手権に出られそうな感じ……」
ふと頭の中に言葉が響いた。退院前夜のことだ。
『退院して落ち着いたら、あたしに連絡して会いに来なさい』
あの後すぐに眠りに落ちてしまったからもやもやしていたが、確かにそう言われていた。瑠花さんに。
(もしかしたら、何か知ってるのかもしれない。明日連絡してみようかな)
そっとメモを見ると、電話番号とラインのID、そしてメールアドレスまで丁寧に書かれていた。
(ラインなら今から打っといてもいいか……)
友達登録を手早く済ませ、メッセージを送る。
「月丘まなです。その節はお世話になりました。突然ですが、あした、会えますか?……と」
送信ボタンをタップ。お仕事をしている相手だから返事は期待していなかったが、意外にも既読はすぐについた。そしてすぐに返事が来た。
「はや。えっと『明日日勤なので、夕方六時ぐらいから会えます。その時間に会いましょう』、か」
わかりました、と返信。すぐにまた既読。
『六時頃に病院前に来てください』
それには返信せず、小さな声ではーいと答えた。
翌日。夕方に家を抜け出すことをどう説得するかが問題だったが、あだしの病院の看護師さんにお礼してくると言うだけで両親は快諾してくれた。
午後六時。あだしの病院前で瑠花が出て来るのを待った。
「お待たせ」
遅れること十三分、私服姿の瑠花がやって来た。
「あ、どうも」
ぺこり、とお辞儀して迎える。
「んー、ここで立ち話も何だから、私の家まで来てもらおうかな。すぐそこだし」
「え、あ、はい」
あれ、なんで家に?と思いかけたがその疑問もすぐに搔き消える。そして残ったのは了承の返事だった。何か変だな、と思わないでもないが、そんな疑問ももやがかかったようにまた消えていった。
「ワンルームでそんなに広くないけど、ま、寛いでちょうだい」
病院から歩いてほんの五分のところにあるアパートに瑠花は住んでいた。病院の借り上げ物件らしく、格安で借りれるからラッキーなんだそうな。そんな話聞いても仕方ないのだが、とりあえず命の恩人の一人だから話は合わせておいた。
部屋の中には魔法陣柄のタペストリーがそこかしこにかけられており、ハーブの甘い香がほのかにする、まるで占いの館のような部屋だった。
「あのー、七瀬さん」
「瑠花でいいよ」
お茶とお菓子をまなの前に並べながら瑠花は言った。
「じゃあ、瑠花さん。あの……話って何ですか?」
「そうねー。どこから話そうか」
わざとらしく虚空を見つめて考える。そして不意にまなと視線を合わせて尋ねた。
「最近、体調に変化はない?」
「え……あ、じゅ、順調だと思います。自分でも怖いぐらいに」
瑠花はうんうん、と頷いてさらに質問を重ねた。
「どういう風に順調?」
「そうですね……」
言い出したら色々あるのだが、やはり一番気になるのは食欲だろう。両親に心配され、お兄ちゃんにはからかわれる、そんなレベルの食欲だ。
「何か、障害が残っているとかなんですかね」
心臓が一回止まったとは聞いて知っている。その時に満腹中枢みたいなのがやられたのかなと思わないでもない。世界のニュース的な番組によくある奇病みたいなものがあるのかもしれない。もしかしたら瑠花はそれを知っているのかもしれない。そんな気がした。
「うんうん、そっか、なるほどね」
瑠花は腕組みをした。その両腕の上に乳房がぼんっと乗っていて、つるぺたの自分とは正反対の体をしていることに今更ながらに気付く。着痩せするタイプなのだろう。
「何か知っているんですか?」
瑠花は真剣な表情になった。じっとまなを見据えて、重々しくしゃべり出した。
「落ち着いて聞きなさいね」
「はい……」
「まなちゃん。あなたは自分の心臓が一回止まったことは知ってるわよね」
こくりと頷く。
「でも、すぐ動き出したんですよね」
すると、瑠花は首を横に振った。
「すぐじゃないわ。心静止して一時間は蘇生処置を受けた。しかし戻らずに心静止のまま。それを見届けて、松田先生がちゃんと看取りまでされた。そして三十分弱はそのままの状態に安置されていたのよ。それからよ。再び動き出したのは。まなちゃん。あなたは一回死んだの。いや、一回死んだって言うのは語弊があるわね。まなちゃんは今も死んでるのよ」
「へ?」
意味がわからない。目が点になるとはこのことかもしれない。
「死んでるってどういうことですか?私、動いてますよ?しゃべってますよ?」
「そ。つまり、まなちゃんは生ける屍ってこと。アンデッド、って聞いたことない?」
「あん、でっど?」
何だっけ。RPGとかで聞いたことある気がするけど……。
「もっと噛み砕いて言うと、ゾンビね」
「あ、そっか、ゾンビ……え?えええええ?」
ゾンビ?あの何とかオブ・デッドとかいう映画には必ず出て来るあれ?
「そう。それ。あたしは普段は看護師してるけど、裏稼業はネクロマンサーなもんでね」
ねくろまんさー?
「あの、瑠花さん。一から丁寧に教えていただけると有り難いのですが……」
「ネクロマンサーっていうのは死霊を操る魔術師のことよ。まぁ、あたしは魔女ってわけね。で、綺麗な体のままに死んだまなちゃんの体がとーっても勿体無かったんでねー。死霊術でまなちゃんをゾンビとして蘇らせたってわけ」
瑠花の話の半分は分からなかったが、自分がゾンビであるということだけははっきりと認識できた。
「あ、あの……ゾンビって、その……人を襲って食べたりしちゃったりするんですよね……。そして食べられた人はまたゾンビになっちゃうっていう、あれですよね……」
「まぁ、少しは当たってるけど、大半ハズレよ」
瑠花はお茶を一口飲んで続けた。
「生き物の生命活動には三つの要素があるの。肉体、霊体、そして魂ね」
瑠花の説明ではこうだ。
生命体が生きるためには肉体と霊体が必要であり、その二つを繋ぎ止める役割をしているのが魂ということになるらしい。死とは肉体と霊体の分離であり、二つを繋ぎ止めている魂が抜けてしまうことを指す。
「死霊術はその魂を別の物で代用し、肉体と霊体を繋ぎ止める術なのよ。その代用品のことをあたし達はイービルスピリットと呼んでいるわ。訳せば悪霊になるんだろうけど、霊と言っちゃうと霊体を指しちゃうからね。悪魂と無理やり訳している人もいるけど、イービルスピリットってそのまま呼んでる人が多いかな」
「???」
疑問符が顔から滲み出ているまなに対して、今の話は気にしなくていいよと言うように瑠花は手をぱたぱたと振った。
「要するに、肉体と霊体と魂の三つが揃って初めて『生き物』になるんだけど、死んじゃうと魂がどっか行って無くなっちゃうからそれをイービルスピリットで補う。それがネクロマンサーの死霊術ってわけ。そしてそうやって作られた『生き物』のような死体のことをアンデッドと呼ぶのよ。ゾンビはアンデッドの一種ね」
「……何と無くわかりました」
要するに、自分には今魂が無く、イービルスピリットなるもので補われたアンデッドになるらしい。
「知性は霊体に宿るから、生前の記憶はそのまま保持されるし、新たに学んでいくこともできる。けど魂は一度抜けているから生命活動自体はイービルスピリットのペースになるの。まぁ、ここからは難しい話になるから割愛するわ。少しだけ具体例であげると心臓はゆっくりとしたペースで動くし、体温も通常よりちょっと低くなるわ。病院でも言われたでしょ?低血圧で徐脈だったし、平熱も三十四度台が多かった。あれはイービルスピリットの特徴の一つよ」
「あ、あの……それじゃあ……ゾンビになったことと、今の食欲とは何か関係あるんですか?」
瑠花はこくりと頷いた。
「イービルスピリットってのは人工的に無理やりねじ込まれているからね。しばらくは非常に不安定な状態なのよ。個体差あるけど、一ヶ月から三ヶ月ぐらいは不安定な状態と思っていいわ。イービルスピリットが安定化するには宿主である肉体と霊体がイービルスピリットにとって居心地の良い環境である必要性があるの。つまり三大欲求を満たし続けることね」
「三大欲求……」
「そ。食欲、睡眠欲、性欲」
それで食欲がやたらとあって、眠気も激しかったのか、と納得できる。でも性欲……?
「アンデッドは有機体であれば何でもイービルスピリットの餌に変えてしまうことができる。けど、イービルスピリットの本当の好物は魂。だから生きているものをそのまま食べる方が安定化は早い。そういう意味では映画みたいに生きた人間を襲って貪り食うってのは理にかなってはいるわね。でも生きた人間を襲って食べたくはないでしょ?だから食欲を満たし続ける必要があるの」
ふと以前、お兄ちゃんにしがみつきながら見たホラー映画を思い出す。まさか自分がそっち側に立つなんて……。
「うぅ……ご飯、いっぱい食べます……」
「太ることはないからがんがん食べた方がいいわよ。安定化するまでは特に。安定化しても生前よりは食べる量増えるけどね。あ、それと成長もしないわ。死んでるもの」
太らないのは嬉しいけど、背も胸も成長しないのは悲しい。
おぼろげではあるが、自分が何者になったのかは分かってきた気がした。
「ちなみに生きてる人間食べたり傷付けたりするぐらいでゾンビは増えないわよ。それで増えるなら苦労しないわ。ゾンビのコスト舐めんなよぉ」
何か知らないがゾンビを一体作るのに相当な労力が要りそうだった。そうなんですねー、と生半可な相槌を打っておく。
「睡眠に関しては生前と同じぐらいで大丈夫だけど、寝れるなら出来るだけ寝た方が安定化は早いわ。高位のアンデッドなんてほとんど寝てるらしいから」
「高位のアンデッド?」
「うん。ワイト、リッチー、マミー、ノーライフキングってとこね」
わいと?りっちー?
また顔が疑問符だらけになる。
「あー、いいの。そんなの覚えなくても。どうせ高位のアンデッドなんて歴史の中にしか出てこないから。存在はしてるんだろうけど、どこにいるのかは不明なぐらいレアだから」
「はぁ……」
そして、と妖しげな笑みを浮かべながらまなの顎をくいっとつまむ。
「性欲も満たせるなら満たした方がいいわ」
「え……」
性の営みをしたことはないが、どんなものかは知っている。生々しい性行為を想像して思わず照れる。生きていたら頰を赤らめているところだろうが、アンデッドになるとそういう身体反応は乏しいらしく、頰は赤らまない。だが照れる感情は生前通りあるようである。
「ゾンビって、その、えっちなこと、できるんですか……?」
どうしてもゾンビという単語には映画のイメージしか湧かない。それだけに気持ち悪い景色しか思い浮かべられなかった。
「そう、それそれ。まなちゃんぐらい新鮮なアンデッドなら可能。腐乱死体とかミイラ化死体はよっぽどのマニアでもさすがにしないでしょ」
うぅ、それは気持ち悪い……。まなの表情にはそう出ている。
「でも、高位アンデッドなら生殖能力も有すると言われているわ。ゾンビが生殖能力持つかどうかは誰も試してないから不明だけど、新鮮な男性ゾンビで射精が認められたという報告とか新鮮な女性ゾンビで月経が認められたという報告とかは読んだことあるけど」
何のレポートか分からないがどうやらそういう本みたいなのはあるらしい。
生々し過ぎる話の連続で、照れ隠しにお茶を少し飲んで誤魔化した。
「性感もあるらしいわよー」
まなは口に含みかけていたお茶をぶっと吐き出した。
「そ、そんな……えっちなことは……さすがに……」
「まぁ、するしないは任せるけど、する時は報告してね。いい研究材料だから」
「し、しないです!」
いくらゾンビでも高校一年生。その辺の恥じらいは十分にある。
「ま、そんなとこかしら。また何か気になったら聞いてもらえればいいけど……」
瑠花はじっとまなの顔を見つめた。まなも瑠花の顔を見つめ返す。瑠花はもともと派手な顔立ちのせいか、私服だとより派手に見える。髪型もロングで先っぽをカールさせていてお洒落さんだった。
どっちかというと地味でロリ属性のまなにしてみれば総じて羨ましい。
「じゃあ、ひとつ、いいですか?」
ゾンビのイメージが拭い去れないだけに、そうだったら嫌だなという疑問をぶつけてみる。
「あの、私、死んでるってことですけど……腐らないんですか?」
「腐りませーん」
予想していたのか即答だ。
「イービルスピリットには現状を維持する能力があることが分かっているの。イービルスピリットが宿った瞬間、宿主のその形が一番居心地良いと判断する性質があるのではないかと言われているわ。だからもともと腐ってるゾンビでも実はイービルスピリットが入ってしまうとそれ以上は腐らない。まなちゃんは腐る前に術を受けているから、腐ること無く今のその状態が維持される。つまりどこまでも人間に近い形のゾンビってことね」
さらに続ける。
「このイービルスピリットの能力は極めて強くてね。もしまなちゃんが今腕を吹っ飛ばされたとするでしょ。その吹き飛んだ腕を数日間くっ付けておけば治るぐらいよ。治らないのはイービルスピリットが宿った時に付いている痕とか傷とかね。だから首を吊った痕は消えてないでしょ」
多少薄くなったとはいえ、首にはまだ痛々しい吊り痕が残ってはいる。これは消えないということらしい。
「でもその説も限界があるのよね。その論理で行くと、死んだ時に刺さっていた点滴の痕も残るはずなんだけど、それは治っちゃうのよね。だから細かい傷は現状回復しちゃう。だから傷の大きさにも左右されるんじゃないかな」
だんだんまなの理解がついていけなくなってきたので、簡単な話に戻すため質問を変えた。
「……じゃあ、死なないんですか?」
「アンデッドを倒す方法は映画と同じ。イービルスピリットが宿っている頭部を破壊することよ。それ以外は死なない」
もっとも、ノーライフキングだけは心臓なんだけどねぇ、と重要なのか重要でないのか分からない蘊蓄を呟いた。
「そっかぁ……ゾンビかぁ……」
改めて聞くと、人間に似ているようでもやはり異なる。もう人間じゃなくなっちゃったんだ、と思うと少し悲しいような寂しいような気がした。
「ま、自殺しようっていうぐらいなんだから、これぐらいのことでくよくよしないの。一回死んでるんだし、その体はもうあたしのものって言ってもいいんだけど、家族のところにも返してあげてるし、少しは人生やり直すチャンスと思ってもよくない?」
巻き込まれた身としては随分な言いようにも思えたが、確かに人生をやり直すチャンスではあるかもしれなかった。それに、もうなってしまったものは戻りようがない。
「あ、そうだ。ゾンビとして過ごす注意点を伝えておくわね。っていうか、これが今日の話の一番大事なポイントだからね」
そう言って瑠花は居ずまいを正した。まなも改めて座り直し、聞く体勢になった。
「ひとつ。基本的にはあなたを自由にする。今は休養期間かもしれないけど、時期が来れば学校にも行ってもらうし、今までと同じ生活を送ってもらう。でも、ネクロマンサーのあたしの命令には絶対服従になってるからそのつもりでいなさい。イービルスピリットはネクロマンサーにとって使い魔みたいなものだから、作り上げたネクロマンサーには絶対服従なのよ」
まなはこくりと頷いた。
そういえばさっきから彼女の命令口調には抗えない力が働いていたように思う。あれはこれだったのか、と納得できた。
「もうひとつ。あなたは死者だから、肉体有る無しに関わらず同類が見える。簡単に言えば霊視ができるってわけ。そして退魔師や魔術師のようにイービルスピリットを攻撃できる人種も感知できる。これはイービルスピリットには自己防衛本能みたいなものがあるからね。でもこれらのことは口外しない方がいいわ」
「うん……さすがにそれは言わない、かな」
もともと怖いものが嫌いなまなにとっては、別に主従関係の拘束がなくても幽霊が見えるなんて口外したくない。
「あと、最後にだけど。イービルスピリットの声に耳を傾けてはだめ。イービルスピリットという名前の如く、こいつは悪の道を囁きかけると思っておいた方がいいわ。それに従えばあなたは本物のモンスターになるかもしれない。イービルスピリットにそそのかされそうになったら、自分の頰を叩きなさい。頭部をちょっと刺激すれば大人しくなるから」
「壊れかけの家電ですか、私は」
瑠花はあはは、と笑って手をひらひらさせた。
「ま、あなたがイービルスピリットに飲まれたとしてもあたしの使い魔であることには変わりないんだけどさ。なるべくまなちゃんには綺麗でいて欲しいのよ。とりあえずあなたがするべき注意はそれぐらいよ。あとは、そうね。あたしが求めるデータは全部話してもらうからね。あたしもアンデッドに関してはまだ研究途上だし。知らないこともまだまだあるから」
「はい、分かりました」
こうして奇妙な主従関係は結ばれた。
整理でき次第、投稿続けます