第三章-4
『食べ放題焼肉・牛鬼』でまなは焼肉を貪り食べていた。周りのみんながその食べっぷりに驚くほどだ。
「どうしたん、急に?」
亜衣が聞くと、まなは簡単に答える。
「グールになりたくないので」
契約が無くなってしまい、フリーのアンデッドとなってしまった以上、いち早く安定化しなければならない。骨喰いをしてグール化するぐらいなら、焼肉を貪り食ってワイトになってやる、そんな気持ちだった。もちろん、焼肉を食べ続けたぐらいでワイトにはなれないだろうが。
「で、何でこの人がここにいるあるか?」
そこにいるのは華山院厳柳だった。
「拙僧、肉食は絶っておるゆえ、焼き野菜のみ食べる」
「食べるのかよ!最近、野菜の方がコスト高いんだぜぇ?」
瑠花の状態が安定しているということで、みんな少し明るく、口も軽い。まなはいつもの調子のように見えるみんなの中に瑠花がいない寂しさをひしひしと感じていた。
桜子がそっと口を開いた。
「今日集まってもらったのは、蘭丸のことで相談するためよ」
まなの手が一瞬止まる。
「蘭丸……」
「なので、華山院厳柳さんにも意見を貰おうと思って来ていただきました」
部外者をこの集会所に入れるのは相当珍しいことだ。しかし実質被害が出ていることから考えても、それだけ事は深刻だという事の裏返しでもあった。
そういう意味では、今までずっと蘭丸を追いかけて来た厳柳なら、その対策もあるだろうというところだ。
「蘭丸には特殊な武器しか効かぬ」
グールとゾンビに関しては普通の武器でも頭を潰せば倒せる。ただ蘭丸、すなわちワイトに関しては特殊な武器でしか効果がないという。
「例えばこの宝棒」
巌柳がいつも持ち歩いている宝棒を見せた。その宝棒にはびっしりと経文が彫られており、聖儀式を経た仏具であることは見て取れた。
「この宝棒では十分に対抗できる。拙僧の持つ仏具はいずれも効果はあるだろうが、これが一番長くあの刀には対抗しやすい」
「わたし達の剣とかぎ爪もそうあるな」
美蘭の剣は直線の剣であり、刀身に経文が彫られていた。
「その剣、仏具なんや?」
「昔、戦争の頃、曾祖父さんが助けた日本人からもらったと言ってたある」
かぎ爪の方は道士の使う霊符が彫られていた。これは曾祖父さんの自作だそうだ。
「どっちも霊体に効果ある武器あるよ」
厳柳は鑑定するように二つの武器をまじまじと見、頷いた。
「いかにも。これらなら蘭丸にも対抗できよう。他に対抗しうるものは持っておられるか?」
「うーん、うちはどっちかっていうと防御とか待ち伏せ担当やからなぁ」
亜衣が持っているのは式神を呼び出す和紙と筆、そして榊ぐらいである。物理的には弱い。
「その代わり、素早いやつを罠にはめて捉えるのは得意や」
「やつはグールより素早い。その能力はありがたい」
礼司は魔法陣から作り出す炎式霊斬刀である。物理的攻撃を跳ね返す力はないが霊体へダメージを与えることは出来る。ただ蘭丸の刀に対しては素手で挑むようなものなので危険ではある。
「何か持った方が良いな」
「あんな獲物を持っているアンデッドが相手って初めてだからな。沙樹さん、何か作ってくれよ」
「そうですねー」
沙樹は聖儀式が得意で、攻撃・防御というよりそのサポートがメインだ。彼女の手にかかればほとんどの武器を霊体に有効な武器に変えることが出来る、いわばエンチャンターと言ってもいい。
「包丁でも武器にします?」
「いや、いくら使い慣れてるって言っても真剣にはかなわねぇだろ」
「霊斬刀と一緒に使えばいいのでは?」
「まぁ、戦い方次第かもしれねーけど……」
にしても包丁なあ……と少し不満そうだ。
隼人は一応武器は持っている。警棒二本だ。
「僕は護身用しか持っていないんでね」
すでに沙樹の手によって聖儀式は通過している警棒だから脅威ではあるはずだ。生半可な刃物なら叩き折ることもできる物理的な武器としても有用である。
「護身術は少しは使えるけど、やたら素早いモンスターにどこまで有効かは分からないねぇ」
しかし滅多に見せることはないが、隼人の護身術はかなり本格的らしかった。
桜子は日本刀を持っていた。沙樹の聖儀式を経なくても、日本古来の神事として鍛えられ、魔をも断てる関の業物である。
「久々にこの刀を見た気がする」
長く一緒にいる隼人もそう呟くぐらい滅多に使わない代物らしい。
比較的在籍の浅い亜衣においては見たのは初めてらしく、「日本刀、使えるん?」などと桜子に尋ねるぐらいであった。
「元々居合の名手だよ」
隼人の言葉に桜子は手をぱたぱたと振って否定した。
「そんな、言うほどじゃないですよ」
桜子の肩書きは一体何個あるのか、『エゾルチスタ』の面々でもそれを全て把握している人はいないかもしれなかった。
「あとはまなちゃんの武器だなぁ」
焼肉を黙々と食べているまなの顔をみんなが一斉に見る。
「武器とか使えないので、いいです。私はあくまで彼を見つけ出すことに専念します。それに……」
まなは一旦食べるのをやめて、顔を挙げた。
「彼が何を勘違いしているのか分かりませんけど、彼の狙いは私です。言い換えれば、私を張っていれば、彼は必ず現れます」
「囮になるっちゅーうんか……」
亜衣の言葉にこくりと頷く。確かにそれで張っていればすぐに見つけられそうだが、あっちの攻撃も早い。もしみんなが駆け付けるまでまなが耐えられなければ結局は失敗に終わってしまうだろう。いわば諸刃の剣である。
(あるいは……)
まなはそう言いかけたものの、いやいやと首を横に振った。もう一つの方法が浮かんだが、それを言い出していいものか分からなかった。
「それはそうかもしれないけど、少しは対抗手段がないとね。我々が駆けつける前にまなちゃんが討ち取られても困るから、何か持っておきなさい」
隼人にそう諭され、まなは仕方なく頷いた。
「問題は、普段の護衛をどうするかだな」
みんな仕事がある。四六時中付き合える人はそうそういない。すると美蘭が挙手した。
「それなら、いい手があるあるね」
「というと?」
「美鈴をボディガードに付けるある」
戦闘力があり、索敵も可能。そして何より仕事もない。不眠不休でも動ける。確かにうってつけな人選だった。
「それなら、学校に編入させちゃうとかも手ですね。高校の場合は難しいですけど」
沙樹がそう言った。確かに高校の編入・転校は募集枠の加減があって難しいと聞いたことはある。
「豊南高校だっけ」
桜子の問いにまなは頷く。
「そうです」
「じゃあ、ちょっと問い合わせてみるわ。台湾の留学生一人編入出来るかどうか。後は交渉次第かもだけど、ダメ元で当たってみるわ」
確かに美鈴は十六歳で亡くなっているから姿形はその頃のまま。高校一年生でも通用する。
「美鈴、そういう訳だから、まなちゃんを守るあるよ」
「了」
右手を拳にして左の掌に胸の前で打ち合わせ、そう答えた。美鈴の顔は少し嬉しそうであった。
それから何日か過ぎた。やはり美鈴の存在に警戒したのか、蘭丸の動きはなかった。表向き平穏な日々が過ぎていっていると言ってもいい。
まなの日課としては学校終わりに美鈴と一緒にお見舞いに行く。そしてそこで桜子から容態を聞くの繰り返しだった。
美鈴が警護に付くようになってから十日が過ぎた。どういう力が働いたのか、美鈴が正式に豊南高校に編入することが決まった。しかもまなと同じクラスでだ。『エゾルチスタ』内では桜子の豪腕政治力と経済力によるものではないかと囁かれた。
「いいなぁ。わたしも高校行きたかったあるよ。よく勉強してくるあるよろし」
美鈴の高校入りが決まった時に美蘭はそうこぼしていたそうである。
ホームルームの時間、美鈴は担任と共に入って来た。
「えっと。今日からみんなと一緒に勉強することになった劉美鈴さんです。台湾からの留学生になります。仲良くしてあげてください」
「すげ、留学生だって」
「めっちゃ美人じゃん」
「背高いー」
教室内は一斉にざわついた。それもそうだ。高校から途中編入してくる子は滅多にいないし、その上留学生だ。興味が注がれて当然と言えるだろう。
そして休憩時間には多くの学生が美鈴の元に集まり、逆に美鈴の方が不安になるほどだった。
「まなちゃん、あの子って……」
凛はもちろん乱闘騒ぎの時に一緒だったから見覚えがあった。
「うん、そう。あの時の友達だよ」
かんなは捕まっていて怖い思いをしていたところだから何となくしか覚えていない。しかし言われると何となくおぼろげながら思い出した。
「そっかぁ。じゃあ私の恩人だね」
「お礼言いたいけど、あの人だかりは凄いね……」
「確かに……」
美鈴ちゃんがわたわたする姿なんて珍しいな、とまなは心の中で呟いた。
お昼休みになると美鈴もさすがに学習したのか、みんなが集まる前に真っ先にまなのところへやって来た。
「まなちゃん、お昼ご飯一緒にするアルよ」
「お疲れ様。何だか大人気だねー」
「こんなだとは思ってなかったアル」
その様子を見ていたクラスから、何、月丘さんの友達?という声もちらほら聞こえて来た。
「何だか変な感じアル……」
「まぁ、高校からの転入は珍しいからねー。ましてや外国の人となるとね」
まなは大きなお弁当箱を出して机の上に広げた。美鈴も美蘭が作ってくれてというお弁当を広げる。まなぐらいはある大きなお弁当になっているのはやはりアンデッドの食欲ゆえだろう。
「しかし……まなちゃんの近くだと、誰も寄って来ないアルな」
「あはは、私、クラスじゃ浮いてるからねー」
まなは苦笑いしてそう答えた。今までいじめられていた対象に対し、かんなや凛のように素直になって友達になろうとする人は早々いない。いじめは無くなったと言っても、友達が増えるとはまた別問題であった。
そこへそのかんなと凛が合流してきた。
「この前はどうもありがとう……助けてもらって……」
「本当に助かりました」
開口一番、二人から美鈴にお礼を言った。
美鈴は手をぱたぱたとさせて、とんでもないアル、と答えた。
「まなちゃんが困ってたから、助けただけアルよ。お礼を言うならまなちゃんにアル」
「でも、私一人ではどうにもならなかったし、美鈴ちゃんがいてくれたから助かったんだよ」
そうまなに言われて、美鈴は嬉しそうに微笑んだ。
「まなちゃんのためなら、いっぱい助けるアルよ。どんな困難なことでも必ず」
そっと美鈴はまなの手の上に自分の手を重ねてそう言った。
「うん、ありがと……」
まなは美鈴に手を握られて少し恥ずかしくなったが、振りほどくようなことはしなかった。
「へぇ……二人って仲良しなんだねー。どこで知り合ったの?」
凛がその仲睦まじい様子にちょっとからかうような口調で言った。
「えっと、それはー……」
「二人だけの内緒アル♡」
そう言って美鈴は、あはは、と笑った。釣られてまなも笑うと、残り二人も思わず笑った。
「冗談アルよ。ワタシのお姉さんとまなちゃんがお店で知り合ったのがきっかけネ」
「お店?」
「『台湾紅玉飯店』ってお店、大須にあるの知らないアルか?」
「あ、あのタピオカの?」
さすが凛は流行に早い。すぐにその店がタピオカドリンクで行列が出来ていることを知っていた。
「夏は台湾かき氷もしてたよね」
「そうそう、あそこアル。あそこでワタシのお姉さんが働いているアルね。まなちゃんはお客さんで、たまたま話をして仲良くなったアルよ」
学校では内気なイメージしかないまながそんなに社交的だったことに二人は驚いたようであった。
「まぁ、色々あったから話しただけだよ」
まなもとりあえずそういうことにしておいた。
何はともあれ、こうして美鈴は名実共にまなの護衛が出来るようになった。
その日の放課後、まなは美鈴と共に港病院を訪れた。桜子といつも待ち合わせ場所である一階の院内カフェに入り、紅茶を注文する。美鈴も同じ物を注文した。
「ねぇ、本当に美鈴さんは大丈夫なの?」
「何がアルか?」
まなには少し不安がある。それは美鈴がずっとまなの護衛に付いていることだった。
「四六時中、私に付き合ってるから。寂しかったり辛かったりしないのかな、って」
この十日間、美鈴は文字通りまなをずっと警護している。夜も帰らず、家の周りで張り込んでいるのである。
「姉さんにそう命じられたから、それに従うまでアルよ。それがアンデッドの主従関係ってやつアル」
「そりゃそうだけど……」
まなにも感情があるように、美鈴にもある。独りぼっちで警戒し続けるにも限界があるような気がした。
「別にそういうのは無いアルよ?」
「ほんとに?私とか出来そうに無い……」
「瑠花さんがそう命令したら出来るアルよ」
確かに瑠花はアンデッドならではの無理の効く命令をまなに下したことは無い。もしかしたらそういう命令があれば自分でも出来るのかもしれなかった。
「それに、ワタシはまなちゃんを警護出来て幸せアルよ」
「そんな……大袈裟な……」
まなは笑って見せたが、美鈴は本気そうだった。
「そうアルなぁ……強いて言うなら、お風呂に入りたいアル」
そりゃそうだ、と思う。いくら不眠不休でも活動出来るアンデッドとは言え、同じ年の年頃の少女なのだ。お風呂に入れないのは辛い。
「そうだ。今日、うちに泊まったら?」
「え……そ、それは……ダメアル……」
「大丈夫だよ。友達が泊まるって言えばお母さんも納得してくれるから」
美鈴の顔が少しずつだが赤くなっていく。
「じゃ、じゃあ……お風呂だけ、借りるアル……」
「いいよ、うん、そうしよー」
そうこうしているうちに、桜子がやって来た。
「こんにちは、お二人さん」
「あ、桜子さん。どうでしたか?」
桜子は二人の席に三人目として座った。
「明日にも人工呼吸器が外れそうだって。意識も回復してるわ」
「ほ、ほんとですかっ!?」
まなは嬉しさのあまり、思わず大声をあげた。
「とりあえず、話しかけたら頷いたりはしてたから、大丈夫だと思う。ただお医者さんが言うには、ちょっと人工呼吸器の期間が長いから、気をつけて外さないとダメなんだそうよ」
「そうなんですね……でも、意識が戻ってるのは嬉しいです」
桜子も頷いた。
「そうね。後は人工呼吸器が外れた後に話が出来ればいいけど。うまく外れてもしばらくは声が出ないかもって仰ってたし」
それでも生きていてくれた。これ以上に嬉しいことはなかった。
「まぁ、まだしばらくICUだろうし、家族以外は面会出来ないと思うけど」
「それでもいいです……瑠花さんが無事なら……」
最後は嗚咽で言葉にならなかった。嬉しくて涙が溢れた。
「よかったアルな……」
「うん……本当に、良かった……」
大好きな瑠花に早く会いたい。会ってあの胸に飛び込みたい。ぎゅーってしてもらったり、頭をなでなでしてもらったりしたい。
喜びで頬を濡らすまなの横顔を、美鈴は複雑な表情で見つめていた。
「ちょっとお母さんにラインするね」
帰りは桜子の車で送ってもらった。その道すがら、まなはお母さんにメッセージを送る。友達とお泊まり会したいんだけど、連れて帰っていい?と。
数分後、既読とともに返事が返って来た。
『いいけど、どこに泊まってもらうの?あなたの部屋?』
「うん、それでいい。パジャマも貸してあげるつもり」
『了解』
かなり簡単なやり取りでお泊まりの了解が得られた。
「泊まりに来ていいって」
「え、ほ、本当アルか……そんな簡単に……」
「何、お泊まり会するの?」
桜子がそのやり取りを聞いてそう尋ねた。
「はい。さすがにお風呂も入れないのはかわいそうなので」
「そうね。美鈴さんには四六時中警護させて申し訳ないわ」
「大丈夫アルよ。屍人はその辺りの感覚が鈍いアル」
心強い言葉を貰ったが、やはり十日間は長過ぎる。お風呂に入れてあげないとかわいそうだった。
「いいわね。まぁ、ゆっくりさせてもらいなさい。もっとも、奴が現れたらゆっくりもできないだろうけど。その時はすぐに私達も呼んでね」
「はい。ありがとうございます」
車はまなの家の前に着いた。二人を降ろすと、桜子は何かあったらすぐに連絡してね、と念を押すと、颯爽と走り去って行った。
「じゃ、いこ」
まなに促され、美鈴は緊張の面持ちでまなの家に入った。
「ただいまぁ」
「おう、友達連れで帰って来たのか」
お兄ちゃんが顔を覗かせる。
「これまた、えらく綺麗な人を……お前は自分と正反対の人間ばっかりと付き合ってるんだな」
「うっさいっ」
美鈴はぺこりとお兄ちゃんに一礼した。
「劉美鈴アル。まなちゃんとはいつも仲良くしてもらってるアルよ」
「お、外国の方?」
「台湾の留学生」
「これまたレアな……。兄の京介です。妹がいつもお世話になっております」
留学生というだけで最初はみんな言葉の壁を案じて身構えたが、意外に流暢な日本語を喋る美鈴に安心したようだった。
「今日はあり合わせしかなくてごめんなさいね。お口に合えばいいけど」
お母さんはそう言いながら、トンカツを揚げてくれた。
「全然、そんなことないアルよ。とっても美味しいアル」
瑠花の快方の知らせのこともあり、まなは久しぶりに楽しい気持ちで食事が出来た気がした。思えばこの十日間、ずっと暗い顔をしていた。食事を摂っても瑠花のことばかり気にかかっていた。またあの血塗れの光景が何度も繰り返され、恐怖心も煽られた。でも今日は久しぶりに良い知らせが聞けたのだ。人工呼吸器が外れればお話もきっと出来る。ご飯も食べられる。その内ICUから病棟に出て来るだろう。そうしたら、ようやく面会出来るはずだった。こんなに楽しみなことはなかった。
ご飯を食べ終えた後は美鈴が入りたがっていたお風呂の時間にした。
「一緒に入る?」
まなは美鈴を誘う。
「え……そ、それは、は、恥ずかしいアル……」
「えー、下呂でも一緒に入ったじゃん」
「そ、それはそうアルけど……」
「背中もよく流さないといけないし、十日分の汚れを落とさないと」
無邪気な誘いが美鈴の心を揺さぶる。結局、まなに押し切られる形で一緒に入ることになった。
「アンデッドになると、体のメンテは楽だけど、汚れだけはどうしようもないね」
「そうアルな……」
垢というのは出ないが、体に付着した汚れというのはあった。湯船に浸かる前に背中も柔らかなタオルで念入りに擦ってあげた。
「美鈴さんって綺麗な体してるよね……」
美鈴は瑠花や美蘭のような巨乳ではないが、美乳だった。それでいて引き締まった体をしており、脚も長い。まさに一言で言えばモデル体型だ。
「ま、まなちゃんも、可愛いアルよ……」
「あはは……でも、下呂で十二歳か?って言ったのは美鈴さんだよ?」
「そんな失礼なこと言ったアルか」
「ひどーい」
二人で笑い合いながら洗いっこした。美鈴はまなの裸を見るのは確かに初めてではないが、その幼い体付きにいつの間にか心奪われていることに気付いた。
瑠花がまなに夢中になる理由が美鈴には理解出来た。
「美鈴さん……?」
はっと我に帰る。美鈴はまなの体をうっとりと眺めていたことに気付き、恥ずかしくなった。
「な、何アルか?」
「んーん。急に黙って大丈夫かなって思って」
「大丈夫アルよっ。そろそろ湯船に入っても大丈夫ネ」
十分に体の汚れは流れ落ちた。でも淫らな心の汚れまで落ちたかは分からなかった。
まなと同じ部屋で眠るということに、美鈴の心はきゅんと締め付けられる。そして事あるごとに目をきらきらとさせて瑠花の話をすることにも、別の意味できゅんと締め付けられた。
まなはベッド、美鈴は絨毯の上に敷かれた敷布団で寝ることになっていた。
時間は夜の十時を指していた。
「もう寝る?」
ちょっと早い気もする。少しだけお話しながら寝ることにした。
まなの寝ているベッドに美鈴はそっと腰掛けた。
「美鈴さんってどうして亡くなったの?」
ふとまなは聞いた。そして続ける。
「私は自殺なんだ。学校でいじめられてて、それが辛くて……」
首についたロープの痕を見せた。
「だからいつもチョーカーつけて隠してるんだけどね」
そっと美鈴はまなの頭を撫でた。
「ワタシは、殺されたアル……」
「え……そうなんだ」
驚きはあった。でも、アンデッドになると死は途中経過でしか無いためか、生前よりはショックは少ない気がした。
「台湾マフィアに師匠が狙われてネ……居場所を言わなかったから、水に浸けられて溺れたアルよ」
「そんなことが……」
まなは口を噤んだ。溺れ殺される、なんて苦しい死に方なんだろうと思った。そして自殺ではなく、他殺であることから、その恐怖はまななんかよりもずっと大きなもののように思えた。
「そうなんだ……ごめんなさい……」
「んーん、いいアルよ。まなちゃんには知ってもらった方が嬉しいアル」
「でも、苦しいこと思い出させちゃった」
美鈴はまなの髪を撫でながら笑って言った。
「優しいアルな、まなちゃんは……」
しばらくの沈黙。不意に二人の視線が合った。そしてそれが甘く絡み合う。
そっと美鈴はまなに顔を近付けた。
「あ……だ、だめ、だよ……」
まなは小さく抵抗するが、イービルスピリットが求める欲望がそこにあることを意識してしまう。
そっと美鈴がまなの顎を摘んで顔を挙げさせた。視線がまた絡み合う。
「……本当にダメなら、本気で抵抗して欲しいアル……」
瑠花のことを考える。瑠花が大変な時にこんなことするのは最低の行為だと自分に言い聞かせた。しかし心のどこかで抵抗しきれない甘い誘惑がまなの胸の中に広がって行った。
あと一センチ。まなは目を閉じた。
「ん……」
「ふふ……冗談アル」
美鈴はそっと唇を逸らし、まなの頰にちゅっとキスし、その細い体をぎゅっと抱き締めた。
「好きな人がいるなら、ちゃんと守らなきゃダメアルよ」
「もう……驚かさないでよ……」
まなもそっと美鈴を抱き締め返す。しかし胸のときめきはしばらく収まりそうに無かった。
朝になった。まなは眠い目を擦りながら目を覚ました。しかし身動きが出来ない。背中に柔らかな感触を感じ、今自分が背中から美鈴に抱き締められながら寝ていたことに気付いた。
ふと昨日の夜のことが思い出される。
自分が自分でないみたいな感覚に酔いしれてしまった。もし美鈴がその気なら、恐らくなし崩し的に受け入れてしまっていたかもしれない。そんな甘美な罪悪感が胸の中を支配した。
(これって……浮気……になるのかな……)
そっと美鈴の戒めから逃れようとする。しかし再度抱き締め直され、逃れられなかった。
「……美鈴さん……起きてくださぃ……」
仕方なく声をかける。すると美鈴はゆっくりと目を開けた。
「ん……もう朝アルか……」
ようやく腕の力が緩んだのを見計らって戒めから逃れようとした。
「朝ですよ」
まなが振り返った瞬間、美鈴は唇をちゅっとまなの頰に押し当てて来た。
「你好♡」
まなをぎゅっと今一度抱き締め直してから解放する。
「わ、わ、私……その……あの……」
まさか朝から先制攻撃されるとは思っていなかったので、思いっきり動揺した。美鈴はにこっと笑って人差し指を自分の唇に近付けた。
「大丈夫、このことはナイショにしとくアルよ」
「あぅ……」
「ワタシもまなちゃんの気持ち知らないわけじゃないネ。でも、ワタシも好きな気持ち、止められないアルよ」
こういうところは姉妹似ているのかもしれない。行動力に関しては姉以上のような気もした。
「こんなワタシだけど、普段通り付き合ってくれたら嬉しいアル」
まなはため息をついた。そう言われて嫌だとは言えない性格である。
「ずるいなぁ……」
にこっと可愛らしく笑う美鈴に、まなは苦笑いした。
その日、瑠花の人工呼吸器が外れたという知らせを受けた。順調に快方に向かっており、声は出にくいようだったが、それ以外は特に問題もなく、桜子の言っていた問題もクリアしたようだった。ただ一部の記憶に障害がありそうだ、ということだけが気がかりだった。
ICUから出たのはそれから四日後のことだった。まなはようやく面会することが許された訳である。
放課後、まなは美鈴と一緒に病院を訪れた。受付で病室を聞いた。四階の四〇三号室。個室だ。逸る気持ちを抑えつつ、瑠花の病室に向かった。
「瑠花さんっ」
そこには病院服に身を包んだ瑠花がいた。いつものような化粧もしていないし、髪の毛もぼさぼさになっていたが、紛れもなく愛しい瑠花だった。
「良かった……無事で……」
まなは涙を溢れさせながら瑠花にしがみつくように抱き着いた。
「ほんとに、心配しました。ごめんなさい。私を守るためにこんな辛い思いさせて……」
いっぱいいっぱい話したいことがあった。どんなに寂しかったか。どんなに辛かったか、そしてどんなに大好きなのかを話したかった。
瑠花はゆっくりとまなの頭に手を置いた。まなは涙目でその顔を見上げた。しばし見つめ合う。そして瑠花が呟くように言った。
「……誰?」
「え……」
まなは唖然とする。
「……何、言ってるんですか……?」
瑠花は無表情に、首を横に振った。
「……ごめんなさい、誰か分からない……」
「まなですっ!月丘まなっ!……嘘ですよね?冗談ですよね?私のこと、忘れちゃったんですか……?あんなに……あんなに大好きって……」
そのまま泣き崩れてしまう。もうどうしていいか分からなかった。
その霊体ごと斬られた瑠花の記憶の一部は失われていた。それも最も残って欲しかったまなの記憶ごと斬られていた。まなは泣いた。誰の目を憚ることなく泣き崩れた。
「ごめんね……どうしても思い出せない……」
瑠花は一人の少女を泣かせている理由も見出せなくて、寂しそうに俯いた。
こんな深夜に更新してどうするんだと自問自答しつつ、upしました。
こんばんは、りりすです。
本編のまなちゃんではありませんが、りりすは水族館が好きです。
海洋生物が好き。イルカとかクジラとかシャチとか。
本編を書くにあたって参考のため近くの水族館に行ってみたら、シャチのトレーニングがパワーアップしてました。しばらく見ないうちにシャチも成長しているんですね。
あー、自分はいつになったら成長するんだろう……。




