第三章-1
「じゅ、じゅ、じゅーごまんっ!」
まなの手が震える。手には十五万円の札束。女子高生としてやってきてこんな大金を手にしたことは初めてだ。
「本当は十万の予定だったけど、月丘さんは今回頑張ったから五万上乗せね」
他のみんなは十万ずつ。お留守番役でも均等に割り振られるのがこの結社のルールだった。ただ美蘭と美鈴はお試しということもあって二人で十万だった。
そして今日は美蘭と美鈴の歓迎会という形で『食べ放題焼肉・牛鬼』に貸切で集まっている。
「しかし、この事件、まだ解決したとは言い難いけどねー」
隼人が焼肉を突きながら呟いた。
「前回の少年のグールと言い、今回のグールと言い、こんなに連続してグールが出ること自体珍しいもんね」
瑠花がハラミを口に運びながら言った。
「誰かがグールを作っている、か」
『朝霞亭』のグールは女将の息子だった。屋根からの転落事故で首の骨を折って即死したらしい。
「前の少年のグールも事故死っぽかったな」
礼司がてっちゃんを焼きながら言った。
「まぁ、それは偶然やと思うけど、問題は死に瀕した人間のところに必ずグールにするやつが現れてるということやんなー」
そういうテロリスト的なネクロマンサーがいる、ということだ。
『朝霞亭』の息子が亡くなったのは一年前。墓地のところに新館『朝霞亭』を建てたのが半年ほど前のことだ。
「そっか。『朝霞亭』はあそこにわざわざ別館を建てたんですね」
ご先祖さまたちのお骨を掘り返し、そのお墓を壊して建てた新館。グールと化した息子を匿うための隠れ蓑だったわけだ。そしてその先祖代々のお骨を息子に餌として与えていた……考えれば悲しい母の愛情とも言える。
「でもご先祖さまがそれを許さなかったって訳か。因果なこった」
しかしまなにしてみてもこれは他人事には思えなかった。一つ間違えればグールになっていたのはまなだって同じなのだ。
「瑠花さんが担当看護師さんで良かったー」
『朝霞亭』の息子さんは事故で死んだ。そして前の少年もそうだろう。二人の不運はそのテロリストのようなネクロマンサーに出会ってしまったことだ。ゾンビになること自体幸運とは言い難いかもしれないが、どうせアンデッドになるなら主のいるゾンビの方がましに思えた。
「でも、そんなちょうど良いタイミングで居合わせるものかな」
まなはカルビを口に運びながら呟いた。
素直な疑問である。あの少年のグールにしてもそんなに古い感じはしなかった。つまり死んで間もないぐらいに死霊術を受けたような印象がある。『朝霞亭』の息子さんにしてもそうだ。
事故って、死んだらそこに居合わせる。そんなにうまいタイミングで?
タイミング良すぎる。そんなタイミングで駆けつけられるのは警察か葬儀屋さん、あるいはお坊さんぐらいだろう。その中にネクロマンサーがいるのだろうか……。もしくはそういうのとは関係ないフリーのネクロマンサーがどこからともなく現れるとかか……。いずれにしても現実離れしている気がした。警察にしても葬儀屋さんにしても、お坊さんにしたって管轄となる範囲が決まっている気がしたから。
「考えるのは後。今日は歓迎会なんだから」
瑠花に言われて思考を止める。そうだった。今日は美蘭、美鈴の歓迎会だった。とは言うものの、二人は意外にあっさりとみんなに馴染んでいる。加入前に一緒に仕事をしたのが良い感じに馴染みやすくさせたようだった。
「何か劉姉妹の武勇伝みたいなのはねーの?」
礼司もそこそこ酔っている感じで尋ねた。美蘭もいい感じに酔っているのか口が軽くなっているようだった。
「そうあるなぁ。瑠花さんと戦う時より二週間前ぐらいにもグールと戦ったあるよ」
依頼はなく、美鈴の霊視能力で見付けたグールだったらしい。
「珍しく凶暴なグールだったあるよ」
イービルスピリットが不安定な間は比較的臆病なグールも、安定してくると凶暴になってくる。下手をすると人を殺して食べる者も出て来ることがある。
それと戦ったというのだ。
「本当?そこまで放置される前にあたし達に依頼来ること多いんだけどな」
「でも凶暴かつ素早かったあるよー。それを二人のコンビネーションで倒したね」
しゅしゅっと美蘭は軽くシャドウでジャブして見せて、楽勝だったことをアピールした。
「誰かのゾンビだったってオチじゃないでしょうね……」
「そんなことないあるよぉ。瑠花さんも意地悪あるなぁ♡」
まなを襲ったことをあることから考えても見落としてる可能性は無きにしもあらずな気がするが、確かに凶暴化するまで主が放置しているというのも考えにくい。主が無差別攻撃を命じていたとしたら、それはそれで問題なので狩る対象にはなるだろう。どちらにせよ、倒さざるを得ない案件だったのは確かなようだ。
「凶暴化したグール……私たちの手の届かないところで増えてたりするのでしょうか」
沙樹がぽそっと怖いことを言った。
「グールは滅多に出て来ないが、出て来たら最優先で倒している。グールが安定化するまで何ヶ月も放置することなんてないんだけどなぁ……」
隼人も少し困り顔でそう言った。
「ちなみに、それはどこの話?」
桜子がロースを突つきながら聞いた。
「んー……岐阜?お城の近くだったあるよ」
「ロープウェイがあるところ?」
「そうそう。そこの麓の河川敷で戦ったあるよー」
どこかのローカルな戦隊物のようなシチュエーションだ。
「岐阜市なら『稲葉会』の管轄ですねー」
歩くデータベース、沙樹が管轄の退魔結社をすぐに割り出した。
「『稲葉会』?」
まなはこの業界に入って間もないので、言われてもぴんとは来ない。
「岐阜市にあるうちみたいな結社よ。人数だけならうちより多いわ」
瑠花がその疑問に答えた。『エゾルチスタ』は少数精鋭という形を取っているが、『稲葉会』は人数を揃え、システマティックに経営している結社らしい。精鋭ではないが、粒ぞろいという感じとのことだった。
「『稲葉会』がそこまで放置しとくとも思えないけどなぁ。手に負えないと判断したらうちに援軍要請も出して来るし」
「凶暴なグールがいきなり出てくることも稀ではあるけどありえますし、どうでしょうね」
瑠花がそう言うとやはりネクロマンサーの言うことにはみんな素直に納得する。
「まぁ、細かいことは今回は抜きにして食べましょう」
まながそう言うと、みんなそうだねーと言ってまた食べだした。
結局歓迎会でもついつい会議の様相の呈してしまう『エゾルチスタ』の面々であった。
シルバーウィークも明け、事件も一応は片付いたとなれば通常モードに戻るのが普通なことで、そしてもう少ししたらテスト期間が来たりする。
今日はまなとかんな、凛の三人で教室に居残り、テスト勉強中である。最近大人とばっかり付き合っているせいか、奇妙な事件ばかり見ているせいか分からないが、同世代の友達と比べても落ち着いている気がする。何となく二人に合わせている感が否めない。もちろんただの背伸びした結果であり、実際はそんなに大差ないのだろうが。
「ねえねえ、ここの問題出るって言ってたけど、覚えてる?」
「あぁ、これは……」
ゾンビ特典で才女になった気分。記憶が良くなった。もちろん記憶が良くなっただけで、応用力自体は元の人間レベルに準じてしまうのだが、暗記で何とかなる科目はやたら強い。
「すごいね。写真記憶ってやつ?」
「あはは、どうだろー」
もともと社交的ではないから、友達と呼べるのはこの二人だけ。それでも随分学校生活は楽になった。生前送りたかった学校生活に近付いた気がする。
「あー、つっかれたー」
かんなが問題集を閉じた。かれこれ三時間は休憩もせずに続けている。それに結構はかどった。
「今日はこれぐらいにしとく?」
「さんせー」
まなの提案に凛もかんなも賛成する。
帰り支度をしながら、かんながふと思い出したように言った。
「そうそう。そう言えばこの前変な噂聞いたよ」
「変な噂?」
「本田先輩のことで」
あの不良の親玉。
その啓太がまた何か始めようとしているのだろうか。
「なんか、あの人暴走族みたいなのやってるらしいじゃん。それでまなちゃんを狙っているって噂」
「マジかー……」
こうなるとちょっと話がややこしい。裏稼業はバイオレンスなことやってるんだから、せめて表ぐらいは平和でいてほしいんだけど……。
「いくら何でも、女の子一人にそこまでしないと思うんだけど、一応気をつけてね」
「まぁ、大丈夫だよ、うん」
最近食事も順調に摂ってるし、この体にも慣れて来ている。オーラも若干黄色味ががって来ている。一ヶ月過ぎようとしているのだから早い人ならもう安定化する頃だ。まなのイービルスピリットは若干安定化に時間がかかるらしいが、少しずつ進んでいる。安定化した時の強さは不安定の時より相当強くなるらしい。ってことは、人間では勝ち目はますます無くなる。
頼むから来ないで、人間離れした力で倒さなきゃいけなくなる……。そう願わずにはいられなかった。
だが運命の女神はまなにさらに過酷な試練を与えるのである。
その噂を聞いたわずか三日後、かんなが攫われてしまったのである。
「ええええええええっ!」
「まなちゃん、どうしよう……」
凛と一緒にいるところをバイクと車高を低くした車の集団が現れ、かんなだけ攫ってしまったのである。そして凛はまなに大高緑地に来いと伝えるように残された。
「まなちゃん、かんなちゃんが……どうしよう……」
一人でもどうにかなりそうだがあまり危険なことはしちゃだめと言われている。かと言って瑠花さんは今日は夜勤でいない。
「ちょっと、知り合いに聞いてみる……」
スマホで電話をかける。悔しいが頼れるのは彼女らしかいない。
『はいな?まなちゃんアルか?どうしたアル?』
「美鈴さん、もうどうしていいか分からないので……助けてください……」
『っ!?分かった。すぐ行くアル』
理由も聞かず、美鈴は二つ返事で承諾してくれた。
二十分ほどして、美鈴は美蘭と共に配達用カブで現れた。
「何あるか?急に。美鈴が緊急事態って言うから飛ばして来たあるよ」
「ごめんなさい、美蘭さん。でも、友達が……」
まなは事の顛末を手短に話した。そしてまなにとって大事な友達であるということも。
「そういうことあるか。しかしわざわざ攫うとは肝の小さいやつある」
「ま、まなちゃん……この人たちは……?」
凛が不安そうに聞いた。そりゃチャイナドレスの女が二人突然カブに乗って現れたら誰でもびっくりする。
「あー……私の色んな意味で体術を教えてくれてる人……」
ってことにしといて、と小声で二人に伝える。
「五万で手を打つあるよ」
「姉さんっ」
「うそうそ、冗談ある♡」
しかしカブ一台では四人はきつい。いや、凛は家に帰らせるにしても三人乗りはダメだ。
「いけるあるよ、三人ぐらい」
「いや、見つかったら怒られるから」
どこぞの雑技団じゃあるまいし、と言うと、美蘭はぽんっと手を打った。
「じゃあリーダーに車借りるある」
いや、無法が過ぎるっ!と思ったがすでに美蘭は電話をしていた。どう見ても楽しんでいる。
「もしもし、ソロール・ジオーヴェあるよ……」
凛から少し離れたところで話をし始める。交渉はわずか数分だった。
「来てくれるって」
「……」
来てくれる桜子も凄いがそれを押し通す美蘭も凄いな、と思った。
待つこと十五分。桜子の車がやって来た。白塗りのベンツSクラス。かなりいかつい。そういえば表向きは下着か何かのメーカーの社長さんだっけ、と思い直した。
「さ、乗って。行くわよ」
凛はまなの交友関係がどんどん分からなくなって、呆気に取られるばかりである。下手をしたらどこの暴力団とお知り合いですか、という感じにも見えないことはない。
まなと凛がリーダーの車に乗り、劉姉妹はカブでそれを追い掛けた。よく考えたら凛を置いて来た方が良かった気もするが、成り行きで乗せてしまった。
高速道路をぶち抜いて行けば大高緑地公園まではそんなに時間はかからない。ただここまでに少々時間を食ってしまった。相手がならず者連中だけにかんながどんな目に遭わされているか分からないのが不安だった。
「まぁ、何もしてないと思うけどね」
桜子はそう言った。目の前でひどい目に遭わせた方が効果的だからだ。
「あなた、月丘さん……まなちゃんのお友達?」
不意に話しかけられて、凛の声は裏返った。
「は、はい。い、いつも仲良くしていただいていますっ」
「そう。これからも仲良くしてあげてね。それからこれはお願いなんだけど……」
バックミラー越しに見る桜子の目が鋭い。
「これから起こることは誰にも言っちゃダメよ」
怖いですって、それ普通に……。まなはそう内心呟いた。
時間的には夜八時なのだが、公園内は暗い。しかし派手なバイクや車高を低くした車が集まっているのですぐに場所は分かった。
「オフェンスは美鈴とまなちゃんあるな。数が多いからわたしは遊撃に回るあるよ」
「了」
どう見ても三十人ぐらいいる。凛には無謀としか思えなかった。
「桜子さんは凛ちゃんと車で待機してて下さい。後は私たち三人で何とかしますから」
「分かったわ。凛ちゃんとお話しでもして待ってるわ」
まなと劉姉妹は桜子のベンツを拠点にさっと暗闇の中に身を隠す。
「まなちゃん、とりあえず手をぐるぐる振り回すだけでもまなちゃんの力なら倒せるアル。変なこと考えなくても大丈夫アルよ」
美鈴のアドバイスに小さく「はーい」と答える。
慣れとは恐ろしい。ゾンビの体に慣れてしまって、あの数を見ても倒せそうとしか思わなくなってきていた。一ヶ月過ぎるとこんなに変わるのか。
「さ、行くアル」
まなは先頭切って進み出た。美鈴もそれに続く。
「おい、来たぞ。友達思いなこった」
「こんなチビにヘッドやられたのか?」
「おい、なめてんじゃねーぞ」
「@#$$%#@**&$っ!」
何か口々に言っているがまなにはよく分からない。一直線に啓太の隣で捉えられているかんなの所へ向かった。
「無視してんじゃねーぞ、こらぁっ!」
一人が掴みかかって来たのを見て、腕をぐるんっと振り回す。ぼぐっと鈍い音がして振り回した拳がその男の胸板を直撃したようだ。呼吸が一瞬止まり、簡単に昏倒した。
「な、なんだっ!何しやがった……」
「かかれっ!一斉にかかれっ!」
続いて木刀や鎖、バットを振り回して数人の男たちがやって来る。木刀を振りかぶってまなを攻撃しようとしてきた。頭に攻撃を受けるとまずいので頭だけは防御した。するとバットが胴を打ち、腕に鎖が当たった。どちらもダメージにならない。
その刹那に美鈴が割って入る。
「はっ!あいやぁっ!」
アンデッド歴の長く、イービルスピリットも安定化して強靭な肉体となっている美鈴のことだ。木刀やバットごときでは武器にすらならない。その蹴りは木刀をへし折り、バットを粉砕する。
「ぐふっ!」「あがっ!」
あっという間に三人、四人と戦闘不能に陥っていった。
バイクに乗って轢こうとする連中もいる。
「おらぁっ!」
まながえいっと体当たりするとバイクごと吹っ飛んだ。
美鈴と美蘭は華麗に飛び蹴りを決めてライダーだけ叩き落す。
「く、くそ……」
何とか持ち堪えたとしても遊撃に回った美蘭がきっちりとどめを刺して戦闘不能に落とし込んだ。
気が付けば半数は戦闘不能に陥っている。
「このやろぉっ!」
もう相手も自棄である。スパナ、警棒、ガラス瓶を持ち出し、振り回してくる。しかし出鱈目な攻撃は劉姉妹の敵ではなく、簡単に躱され、その肉体にパンチを食らう羽目になった。
「美鈴じゃなくてよかったあるな。わたしのパンチならまだダメージ少ないあるよ♡」
そう言いながら美蘭の容赦ない攻撃でとどめを刺す。
「えやぁぁっ!」
まなはその場で倒れたバイクを持ち上げ、えいっとばかりに投げつけたりしている。
啓太はその光景をぼんやりと眺めていた。
最初の敗戦でワルとしてのプライドに傷がついた。暴走族仲間の間でも陰口を叩かれる始末だった。これは自分のプライドを取り戻すために仕掛けた喧嘩だった。
たかが女。終われば辱めの限りを味わってもらう手筈だった。
手練れの仲間がいたことは計算違いだったが、それでもこちらは三十人からなる暴走族の集団だ。それをたった三人で切り込んで来て、しかも次々に戦闘不能にされていた。
何でこうなっている?
分からないまま事態は深刻な方向へ進んでいた。プライドどうこうの問題より以前に、このチーム自体がもうチームとしての形を成していない。
「なんなんだ、こいつらは……」
とんでもない女に関わったのかもしれない。そうだ、最初に自分でも言ったじゃないか。化け物め、と。
それじゃあ何で今その化け物と戦っている?そうだあの変な奴にそそのかされて……。
「本田先輩!」
はっと気付いた時には、もう誰も立っていなかった。まな、美鈴、美蘭の三人を除いて。
「返してもらいますよ。私の友達」
「よ、寄るなっ!」
啓太は錯乱していた。ポケットからナイフを取り出していた。もう何が何だか分からなくなっていた。
「ば、化け物めっ!殺してやるっ!」
「あ、危ないっ!」
かんなが叫ぶと同時に、啓太のナイフはまなの鳩尾にざっくりとめり込んだ。
「っく……っ!」
まなはしまった、と思ったが、もう遅かった。胸のところから血が溢れ出てきている。
「まなちゃんっ!いやああぁぁっ!」
かんなの悲痛な叫びが暗闇に響いた。
「へへへへ……やった、やったぜ……」
まなは悩んだ。もちろんこの程度で死ぬゾンビではない。ナイフを引っこ抜けば傷はあっという間に塞がるだろう。しかしそれをかんなの目の前でやるべきかどうか……。
それはそれで面倒なイメージを残すことになる。
それに気付いたのか、美鈴がさっとかんなの首を手刀で叩き、意識を落とした。
「あ……ごめん、ありがと」
「んーん、こういう時、アンデッドってのは面倒アルな」
「え……あれ……?なんで……?」
平然としているまなを見て、啓太はさらに混乱した。
「よかったですねぇ……下手したら先輩、殺人ものでしたよぉ?」
まなはがしっと啓太の襟首を掴んだ。そして恐ろしい力でぐいっと引き寄せる。
「あれ?え?確かに、刺して……」
まなは平手をすぅっと上げると軽くびしゃっ!とその頬に叩きつける。その軽さとは裏腹に、啓太の首は反対側に曲がった。
「ぶぺ……」
さらに反対側から手の甲でびしゃっと同じぐらいの力で叩きつける。それを連続して十発ほどお見舞いした。啓太の頬は漫画のように赤く腫れあがり、当の本人は気を失った。
「全くっ!」
「大丈夫アルか?」
美鈴がまなの鳩尾に手を当てて心配そうに見つめた。
「うん、服が破れちゃったけど、大丈夫……傷ももう塞がったよ」
「そっか。じゃあ、大丈夫アルな」
美鈴がそっとまなの鳩尾を撫でて無事を確かめた。
「こいつは大丈夫あるか?」
美蘭が啓太をつま先でつんつんと突く。熊とじゃれたってここまでにはならないなぁ、と内心呟く。
「記憶が吹き飛ぶぐらい殴ったつもりだけど」
ほんとに記憶が飛んだかは分からないが、ここまでやられれば記憶なんて恐怖でぐちゃぐちゃになるはず……と信じることにした。
「じゃあ、そろそろ退散するアルか」
かんなを抱き上げた美鈴の言葉に、まなも美蘭もこくっと頷いた。
その時である。
「いやー、凄い凄い。さすがって言うべきかな」
美蘭も美鈴もさっと身構えた。まなもびくっとしてその方向を見た。
そこにいたのは少年であった。にこにことした笑顔を作った美少年である。歳はまなとそんなに変わらない印象である。まるで着物のような稚児のような衣装を身に纏い、女性と見間違うような白いすらっとした脚がそこから覗かせていた。そんな少年が、車高を低くした族の車の屋根に座って手を叩いていた。
「何者?」
「聞かなくても何となく分かるでしょ?お姉さん達、そういうのが見える人なんだから。いや、二人は人じゃなかったね」
まなと美鈴はすぐに気付く。同族、アンデッドだ。
「グール……?」
「やだなぁ。そんな低俗なのと一緒にしないでよ。これでもボクはお姉さん達と同じ主持ちでね。あ、でもお姉さん達よりはボクの方が格上だと思うけどね」
まなの霊視では黄色いオーラをまとっているのが見えた。イービルスピリットの安定はすでに得られている証だ。
美鈴はかんなを美蘭に預け、戦闘モードに入る。
「やめておきなよ。ボクは戦いに来たんじゃないんだ。ま、キミたちの小手調べに彼らを使わせてはもらったけどね」
そんなのは問題じゃない、とでも言うように、手をひらひらとさせた。
「キミたちは現世界において、もっとも美しい屍と言っても過言じゃない。ボクの主はそういうのが大好きでね……言うなら、何て言うのかな。君たちのよく使う横文字で言うなら……そう、スカウトに来たんだよ」
美鈴はぎらっと目を光らせると、ばっと飛んで間合いを詰めた。
「ふざけるなっ!妖しいアンデッドは倒すのみアルっ!」
「美鈴さんっ!だめっ!」
まなの静止も聞かず、美鈴の素早い蹴りが少年の顔面を捕えようとした。が、その直前で止められてしまう。彼の手には刀の鞘が握られており、その鞘で蹴りを受け止めていた。そして美鈴の脚を弾くと同時に少年は何かを抜いた。
「……くぅっ!」
美鈴の脚からしゅうっと煙が上がっている。刀傷ができていた。少年の手には短刀が握られていた。
「さすが異国の拳法ってやつは速いね。もう一瞬遅ければその脚を切り落としてあげたのに」
美鈴はすでに安定化しているアンデッドだ。それだけにまなより再生能力も早いはず。それが煙を上げたままなかなか再生できないでいる。
「ボクの刀には不動明王が刻まれているからね。物の怪にも効くんだよ。さて、キミはどうする?」
まなの方に少年が向き直った。
「スカウトとか、意味が分かりません。具体的な話も何もないのに、突然言われてもはいともいいえとも言えないです」
すると少年はふふっと笑って頷いた。
「キミの方がなかなか話は分かりそうだね。確かに、ボクはまだ何も話してなかった。少し全部を話すには時間が無いんだけど、早い話、屍同士仲良くやろうってことさ」
少年はそう言うと、車の屋根の上に立って伸びをした。
「どうもボクが作り上げる屍は醜い喰人鬼しか出来なくってね。主に怒られっぱなしさ。それでもいい戦力になると思うんだけどね。そんな中でキミたちみたいな美しい屍を見つけた。主がキミたちを所望している。だからスカウトに来た。そんな感じ」
話が飛び過ぎてついていけなかった。ただ彼の主という人が自分たちを欲しているということだけは分かった。それなら答えは決まっている。
「そんな話、受けられる訳ないじゃないですか。私には私の主がいます。敬愛する主には絶対服従。それがアンデッドのルールじゃないですか」
少年は手をひらひらとさせてあははは、と笑った。
「分かってないのはキミの方だよ。そんなのキミを自由にする方法なんていくらでもあるんだよ。まぁ、出来るだけ乱暴な方法は取りたくはないけどね」
少年の目がきらりと光る。危ない目をしているのはまなでも分かった。
「ま、いいや。とりあえず時間だしボクはお暇するよ。名前だけ名乗っておくよ。ボクの名前は蘭丸。また返事を聞きに来るからね。ただ、これだけは覚えておいて欲しいな」
そう言って少年、蘭丸はふわっと宙に飛んだ。
「キミたちは屍人。いつまで生者の真似をしていられるつもりなのかな、ってことをね。ここにいる人間達を倒して違和感無いのかい?馬鹿みたいに強い力、か弱そうに見えても強靭な肉体、すでにキミたちはそっち側の存在じゃないんだよ、ってことさ」
そう言い残すと、ふっと暗闇に消えた。
蘭丸が消えたのを確認し、三人は気絶したかんなを連れて、桜子と凛の待つ車まで戻った。
「大丈夫?」
桜子が静かに聞いた。表情が険しい。さっきの蘭丸の霊気を感じ取っていたのだろう。
「とりあえずは。後でまた話します」
まなはそう言うと、桜子は頷いた。今はかんなの介抱を先にすることにした。
「手加減したアルからな、すぐに覚めるアルよ」
「じゃ、わたし達はここで解散するあるね」
「ありがとう、二人とも」
お安い御用ある、とだけ言って、二人はカブに乗って去って行った。
美鈴の言葉の通り、後部座席に少し寝かせただけでかんなは目を覚ました。
「こ、ここは……」
「まなちゃんとこの知り合いの車だよ……もう大丈夫だから……」
凛がかんなにゆっくりと聞かせるように話しかけた。
「ま、まなちゃんはっ?」
かんなが何かを思い出したようにがばっと起き上がった。
「ん?ここにいるよ?」
助手席に座っている。まるで何事も無かったかのように。
「起きたのならシートベルトしてね。車走らせるから」
そう言って桜子は車を発進させた。
とりあえず、今回の一件はまなにとって望ましい結果に終わったと言っていい。
かんなは乱暴な真似はされていなかったし、まなが刺されたのも夢だと思ってもらえた。
啓太らは知らないが、あれだけのことしておいたならもう何も言って来ないだろう。多分。
ただ一つ、蘭丸の件を除いてだが。
「スカウト……。その蘭丸と名乗るアンデッドが確かにそう言ったのね」
かんなと凛を送り届けた後、まなを家まで送る途中、その話になった。
まなはこくりと頷く。
「彼にも主がいて、その主が私や美鈴さんのようなゾンビが必要なのだと」
何かもう一つ重要なことを言っていた。
「それと、彼もアンデッドを作ったと言っていました。出来が良くなくて主に怒られてばかりだ、とも」
アンデッドがアンデッドを作るということ自体よく分からない。映画のゾンビと異なり、噛みついたり引っ掻いたりすることでゾンビが増える訳ではないことは前にも聞いた。ということはアンデッドが死霊術を使って別のアンデッドを作るということだろうか。この辺りは瑠花に聞いた方がいいのかもしれない。
「一部のアンデッドはそういうことも可能って聞いたことはあるけどね。まぁ、七瀬さんの方が詳しいかもしれないわね」
話している間にまなの家が見えてきた。
「瑠花さんとも相談しておきます」
「それがいいでしょうね。また後日、会議開くわ」
まなを下ろし、またねとだけ言って桜子は去って行った。結婚はしていないらしいが四十代であの姿はかっこいいなぁと純粋に憧れる。まぁ、自分は老けることも無いのだけれど。
「あ、そうだ。服破れちゃったんだ」
制服で良かった。まだ換えがあるから。とりあえず家に入る。すっかり遅くなってしまった。
「ただいまぁ……」
帰ると普段は遅いお父さんもすでに帰っていた。
「お帰りー。ずいぶん遅かったな」
「うんー、もうすぐ試験だから勉強してたの」
言い訳もすでに準備済み。するとお兄ちゃんがすかさずちゃちゃを入れてくる。
「どうせやってもそんなに成績変わんねーだろ」
「うっさいなー。今回は本当に落とせないんだからっ」
「もー、喧嘩してないで早く手を洗って、ご飯食べなさいっ」
お母さんに急かされて服をさっさと着替え、食卓に付く。
さっきまで大立ち回りしていたことや蘭丸という変なアンデッドのことを思うと、この瞬間だけはまともな日常だ。
お父さんがいて、お母さんがいて、お兄ちゃんがいて。
お父さんは寡黙で、お兄ちゃんはすぐにからかってきて、お母さんがそれを諫める。
「ずっとこうならいいのにな……」
「は?どうした?」
お兄ちゃんがきょとんとして聞いてきた。
「ううん、何でもない」
今日は山盛りの唐揚げ。これも平和な日常のスタイル。それを考えると、あの蘭丸は何か良からぬものを持ち込もうとしているように感じられた。
しかし心に刺さるものはある。かつて美蘭にも言われた言葉でもある。
(私は屍人。生者と一緒にはなれない……。彼も同じことを言った。いつまで生者のフリをしていられるのか……)
いつかこの生活は破綻する。それも時間とともに。みんなは老いていく。自分はいつまでも老いない。それだけでも生者と屍人の間にある隔たりが現れる。最悪、バレることも考えられるのだ。
(それでも……)
ここにいる家族は自分が生き返ったことを信じ、今も生きていることを疑っていない。生きていることを喜び、今この瞬間はこうしていつもの日常を幸せに送っている。
(将来のことは分からないけど……今の生活が脅かされるようなことを企てているのだとしたら……守らなきゃ)
はむっと唐揚げを口に頬張りながら、決意を新たにした。
寒くなってきましたね。暖冬とは思っているのですが最近はちょっと寒いです。二月ぐらいが一番寒いのでそろそろ暖房が手放せません。みなさん風邪はインフルエンザなど流行ってますのでお気をつけてくださいね。




