第10話 Y028部隊 (4)
13A.R.K.を一望出来る局長室の窓際。
ヴィルドレッドとキースは、閉ざされた西門の向こう――遂に訪れた戦車部隊を遠く荒野に見ていた。
アガルタより配備されるそれらに、彼らは希望と、それにも劣るとも勝らない不安を同時に感じる。
一方、ラボの峰雲は斑鳩とアールから採取した血液の検査を終えようとしていた。
彼は結果に冷たい汗を身体に浮かべながらその資料を小脇に抱え、局長室へと向かう。
「……さて、お前はどう見る」
局長室の窓際。
眼下に広がる格納庫、軍備倉庫、そして訓練施設……前線基地としての表情を晴天の光に鈍く輝かせる、13A.R.K.。
その先――ヴィルドレッドは固く閉ざされた西門の外、遠く荒野を砂煙巻き立てながら迫る一団に、瞳をわずかに凝らしていた。
憮然とした表情で問うその隣には、「さてさて」とつぶやきながら単眼望遠鏡を窓越しに一団へ向ける、今やすっかり馴染んだ様子を見せるキースの姿。
「正直本当に来るのかと疑ってましたが……。 戦車一両を特殊装甲車2台でけん引しながらとはまた豪気なことで。 戦車だけと言わずあの装甲車も合わせて借り上げたいものですが、ねえ局長?」
「……キース」
ひょうひょうと笑顔で単眼望遠鏡を覗き込みながらそう笑う彼を、ヴィルドレッドはため息と共に低い声でたしなめる。
「冗談ですよ。 いやまあ、少なからず本気ではありますが。 しかし局長、自分に聞かれても回答しかねますよ。 なにせ、兵器として実働する戦車なんて自分たちの世代でもお目に掛かった事などないですからねぇ。 元ヤドリギとしての意見……と言うことであれば、あれは破壊する対象にしか過ぎない、というのが本音ですか」
変わらずひょうひょうと答える彼だが、望遠鏡を覗くその眼光は鋭い。
かつてはラティーシャと肩を並べ、式隼として戦場を駆けたキースらしい物言いに、ヴィルドレッドは「ふ」と小さく一つ笑うが、すぐにその表情を引き締めた。
「……俺とて、複雑ではある。 まだ若造だった頃、兵器と称される類のモノはことごとくタタリギに飲まれ、さながら無人兵器の様にこちらへと無言で進軍してきたのだ。 思えば、むしろ敵として相対した時間の方が長いかもしれん」
「なるほど。 しかしまあ、戦力としては本物でしょう。 丙・丁型に対しては搭載された機銃によるけん制掃射。 甲・乙型など大型タタリギに対しては砲撃による芯核の露出を狙う事も可能……と。 機銃用の銃弾、及び砲弾共に今後潤沢とはいかないものの、供給の目途も立っています。 専守防衛としてこのA.R.K.内で運用する限り、頼れる味方であって欲しい……そんなところ、ですかねぇ」
ため息交じりに「やれやれ」と口元を緩め、肩を竦めながらも未だ眼光鋭く望遠鏡を煙る一団へ向けるキースに、ヴィルドレッドは深く頷いてみせる。
「……専守防衛、か。 純種の出現……加えてそしてあの猿どもの顕現からこのアークを取り巻く状況も大きく変わってきた。 そこに来て、守りの要としてあのアガルタでも防衛戦力として実際に運用されている特殊戦車の導入だ。 本格的な軍備増強としては申し分ない……が」
「ええ。 皮肉ではありますが、アガルタだから"こそ"……素直に喜べないというのも事実、と」
望遠鏡をパチリと小気味良い音を立て折り畳むと、キースはその表情を曇らせる。
言わずもがな、式神……D.E.E.D.計画からなる、アールを取り巻く不穏な事情。それだけではない。装甲車のコンソール内部に身を隠すよう設置された、通信機器と思しきブラックボックス。そして今は露とその気配を消した彼、ヒューバルト大尉の動向……。
「……彼女からは、まだ何も?」
険しい表情のまま窓の外を眺め、あごひげをゆっくりと撫でるヴィルドレッド。
肩を並べたまま同じ方向を見据え、静かにに呟くキースに彼は表情そのまま、僅かに首を横へと振る。
「……ないな。 表上はアークを取り纏める局長、士官となるため研修、加えて試験だ。 こちらに文を飛ばせる状況ではないかもしれん。 とは言え、沙汰が無いまま2か月……か。 無沙汰は無事の報せ、とは昔から言うが……な」
「連絡を寄越そうにも、手紙では検閲もあるでしょう。 通信はもっと現実的ではないでしょうし。 徹底的に情報が管理されているのは局長も知っての通りだと思いますが、加えて局長昇進や、士官候補生としての試験や研修内容……まぁ、まっとうな組織であるならば、その流出は防ぎたいところですか。 もっとも、流出したとしてそれが選定に響くかと言われれば、それまでですが」
言いながら、キースは畳んだ望遠鏡をゆっくりと懐にしまう。
彼の言う通り、A.R.K.の局長……そしてましてやアガルタの士官への登用は当然、狭き門である。筆記試験だけに合格すればよいという単純なものではない。当然ヤドリギであろうがなかろうが、本人の資質、過去の成績……その知識や器量も問われる事になる。
「しかし彼女の事は貴方が一番近くで見てきたはずです、局長。 紅のミルワード……ですよ、彼女は。 そして貴方の義娘でもある」
「俺が一番とは、可笑しな事を言うのだなキース。 だがまあ……信じているだの、いないだの、そういう次元の話ではない事はお前にも分かっているだろう。 正直、不安はある……アガルタの裏で、もし本当にD.E.E.D.計画などという狂気が渦巻いているなら、尚更な。 お前とてそれは同じだろう」
キースは窓越しに空を見上げ、ヴィルドレッドの言葉に小さくため息を吐いた。
「……そうですね、心配してないと言えば嘘になる。 ご存知でしょうが事実、彼女から最初にこの話を聞かされたとき自分は引き止めましたし。 しかし、それでもラティーシャは止まる事はない。 ……あの頃と同じ様にね」
まだ二人がヤドリギであった頃。
聡明で冷静な判断と作戦を展開するキースの言葉を振り切り、それでも活路を切り開いてきた彼女の背中を思い出し、キースは思わず苦笑する。
「あの頃から変わったとすれば、貴方の傍にいてそのしたたかさも身に着けた事だ。 この13A.R.K.において司令代行が務まるのは彼女を置いて他、居ないでしょう。 ならば自分は、彼女の留守を預かるのみ……このA.R.K.を守る、それが今の自分の務め、と思ってますよ」
ふう、と肩を竦ませ、ヴィルドレッドに向き直ったキースだったが、彼の全てを見透かしたような青い瞳と、僅かに上げた口角に気付くと「話が逸れましたね」と、どこかバツが悪そうにゆっくりと窓の外へとその視線を向ける。
「斑鳩たち……Y028部隊は出迎え準備に就いたか?」
言いながらヴィルドレッドは一歩窓の前に歩を詰める。キースは視線を未だ遠く煙る一団から外す事無く大きく頷いた。
「ええ。 戦車部隊迎え入れの為に長時間、南門の解放する……その間の守りは、彼らが。 まあ、実際迎え入れの最中戦闘に及ぶ事はないでしょう。 幸い、周辺に展開させた斥候部隊からの報告ではこのA.R.K.周囲にタタリギは確認されていません」
「……周辺にタタリギは確認されていない、か」
ヴィルドレッドはキースの言葉にやや表情を曇らせた。
大規模に及ぶ掃討作戦の成果……と思いたいところではあるが、斑鳩からの報告によれば突然タタリギの気配が遠のいたと言う。その報せも気になるところではある。
「確かに彼らの報告も気になるところですが……今は何よりも手早くあの一団を迎え入れるのが先決でしょう、局長」
「そうだな……。 よし、指令室のヴィッダに入電してくれ。 西門を一団の進行速度に合わせ、開門を準備させろ。 戦車部隊の速度を落とさせる事なく入場させるのだ。 加えてクリフ……だったな。 彼には早速だが戦車部隊に通信帯域を通達、通信中継用の木兎を稼働させる。 試運転には丁度よい機会だ」
「了解しました」
向き直り大きく頷くヴィルドレッドに、キースは局長室の机に備えられた内線受話器を手に取る。
それと同時。局長室の入り口が開かれ、分厚いファイルを小脇に抱えた峰雲が姿を現す。
彼はやや早歩で入室しながら、受話器を耳に当てたまま軽く会釈を行うキースを一瞬視界に入れるが、眉間にシワを刻んだまま足早に立派な机を挟んだ先――ゆっくりとした所作で椅子へと腰掛けるヴィルドレッドの前でその足を止めた。
「局長。 斑鳩 暁とアール、両名の検査結果が」
「峰雲。 すまんな、面倒を掛ける……それで、どうだ? 二人の状態は……何か分かったことはあったか」
キースの視線を感じながら峰雲は眼鏡をかけ直すと、小脇に抱えたファイルから数枚、びっしりと文字やグラフが書き込まれた書類を机の上に並べる。
「……申し訳ない。 やはりここの設備……いや、それは言い訳としても、どちらにせよ僕では今の彼らがどういう状態なのか。 完全に解明するには、力不足だと言わざるを得ません」
落胆の息を吐く彼に、ヴィルドレッドは目を閉じたまま大きく首を左右に振る。
「神の存在を証明出来る人間は居ない……それと同じだ。 アール、そして斑鳩の状態は元々、いや人類にとって理外の事象なのだ。 そう肩を落とすな、峰雲」
局長の諭すような口調。峰雲は少し押し黙るが、意を決したように眼鏡の奥の黒い瞳、その視線を資料へと落とす。
「しかし分かった事も……あります」
「興味深い。 ……自分にも聞かせて貰っても?」
ヴィルドレッドの横、峰雲の言葉に「ほう」とやや身を乗り出すヴィッダとの通話を終えたキースは、受話器を静かに置きながら峰雲へと改めて向き直った。彼は厳しい表情のまま、机の上に並べられた資料を局長、そしてキースへとそれぞれ手渡す。
「これはアールの血液検査の結果ですが……踏まえて、結論から述べさせて頂きたい」
峰雲は二人に渡したものと同じ資料を手に取ると、今から述べる言葉に自ら信じられない、といった表情で大きなため息を放つ。
「彼女……アールの血液は、すでにヒトのそれじゃあない。 血中に含まれる成分をこの2ヶ月、そして帰投した彼女から採取したものと照らし合わせながら出来うる限りの解析を試みましたが……。 彼女の身体に流れているのは、デイケーダー溶液の性質に極めて近い性質だと分かりました」
「……馬鹿な」
峰雲の言葉に表情を強張らせながら、キースは小さく呟く。
本来デイケーダー……崩壊弾に使用される溶液は、A.M.R.T.としてタタリギの片鱗をその身に宿すヤドリギたちにとって非常に危険なものである。
その僅かな飛沫を浴びる事もあるいは深過などの重篤な症状を引き起こす可能性がある。だからこそ弾丸は厳重に管理され、運用の際に至っては式梟の承認、式狼の退避を確認したのち、式隼が遠距離からの狙撃を用い使用する、という明確なルールが存在する。
仮にも式神――ヤドリギであるはずの彼女、アールの体内をそれが巡っているなど、普通では考えられない。キースは改めて峰雲が手渡した資料をいつになく厳しい表情で読み解いていく。
「……デイケーダー溶液。 正式名称は"九十三型コラプサー試薬"だったか。 確かなのか、峰雲」
「ええ、僕も信じがたいですが……事実です。 ……正確には、極めて九十三型コラプサー試薬に近いもの、としか言えない。 だとするなら……彼女、アールはヤドリギですらない、もっと別の次元のものであると証明される事になる」
峰雲の思考の片隅に、黒江教授の影が浮かぶ。
彼女の美しく輝いていた瞳が、いつしか光を亡くした頃。自らへと語った「タタリギに決して屈する事のない、新しいヒトの可能性」としての理論。
信じたくはなかった。アールを目の前にしてもなお、過去の彼女と戦おうと決意した今でも、やはりどこかで信じたくはなかった。だがもし彼女が、ヒューバルト大尉の言った通り"新型のA.M.R.T."を後天的に施された"ヤドリギ"であるならば。
こんなものが体内を巡っていて、無事であるはずがない。あろうはずがない。
"胎児期からのヒトと、タタリギ細胞との融合"――
やはりそれが、それこそが、彼女が提唱していたD.E.E.D.計画と呼ばれるものではないのか。
机に両手を着いたまま固く瞳を閉じ俯く峰雲の頬に、冷たい汗が流れる。
「……彼女がヒトでなく、ましてやヤドリギでもなく、むしろタタリギであると過程して……デイケーダーのようなもので、それを抑え込んでいる。 つまりこれは、そういう事、ですか」
流石にいつものひょうひょうとした態度も消えうせたキースに、峰雲はうなだれたまま小さく頷いた。
「その仮説が恐らく、正しい。 彼女がここへ持ち込んだ大量の飲料物も解析したが、まさに彼女の体液に近いものだった。 普通のタタリギが飲用しようものなら、直ちに死に繋がる……とまでは言えないけれど、危険な症状に見舞われるでしょう」
「…………」
ヴィルドレッドは峰雲の言葉に腕をゆっくりと組むと、大きく息を吐く。
確かに、彼女の見た目はヒトそのものだ。雪の様な白髪とあの紅い瞳をしていても、彼女の姿はヒトのそれであると言える。だが、峰雲の解析結果を見るに……式神とは、一体何なのか。
「教……峰雲先生。 ではその彼女に触れた、斑鳩 暁の容態は?」
キースは机の上へと静かに手にした資料を置きながら、峰雲を真っ直ぐと見据える。
「彼の身体はまだ、ヤドリギとしての特徴を保持している……。 呼吸、脈拍、血液、そのどれもがいわば正常値だ。 だけど……」
「……何かあるのか、峰雲」
やや言葉を濁し口元を覆う様に手を添える峰雲に、ヴィルドレッドは深く腰掛けた椅子に座り直しながら、先の言葉を催促した。その迫力に一瞬迷いながらも、峰雲は一枚の資料を机の上へと滑らせる。
「……これは?」
キースはヴィルドレッドの隣にやや詰めると、峰雲が提示した資料へと目を落とす。
「上のグラフが通常のヤドリギ……一般的な式狼のA.M.R.T.の解析データ。 その下が、斑鳩くんから採取したA.M.R.T.の解析データだ。 ……明らかに、変質しているのが分かると思う」
胸のポケットに刺したペンを抜き出し、峰雲は資料の上を指す。
彼の言葉通り細々と数値が書き記された二つのダイヤグラムが示す形は、まるで似つかない形を示していた。
「A.M.R.T.は常に改良が重ねられている。 だが根本的な基本構造は変わらない。 多少、各数値が増減する事はあっても……。 だが、斑鳩くんが今身体に宿すA.M.R.T.の状態は……これは、良く言えば"爆発的な進化"とも言える……それこそ、数十世代を跨いだかのように、だよ」
「良く言えば……ですか。 ならば、悪く言うなら……?」
キースは資料に目を落としたまま、峰雲の言葉を待つ。
「……コップの水」
ぼそり、と呟いた峰雲に、二人の視線が集まる。
「表面張力ギリギリに張り詰めた、コップの水……いつ零れるともしれない、そういう……類とも、言える状態だ……」
「……そう、か」
彼の言葉に、ヴィルドレッドはもう一度深く息を吐きながら、深く深く、椅子へと腰を埋め背もたれに身体を預けた。その様子を見届けたキースは、資料を覗き込んでいた上体を起こすとその視線をゆっくりと天井へ泳がせる。
「……彼らを拘束するか? キース」
いつになく鋭い眼光で天井の一点を静かに見つめ続ける彼に、ヴィルドレッドは言葉を投げ掛けるが……彼は不動のまま。さほど広くない局長室に、とてつもなく重い空気が流れる――が。その空気を打ち破ったのは、他でもないキースであった。
「……不思議に思うんですよ。 何故、アガルタが彼女をここへと送り込んだのか」
表情とは裏腹、静かに語り始めたキースに、ヴィルドレッドと峰雲は一瞬視線を合わせる。
「教授……峰雲先生の事は、アガルタとて周知のはず。 そう、博士ならばこの結論に遅かれ早かれ辿り着く……それは明白でしょう。 彼女の存在が知れ渡る事になれば、大事は免れない。 戦闘能力だけじゃない。 不死性に加え、その身と引き換えに触れるだけでヤドリギを滅する事すら可能だという、正真正銘の"化け物"だ。 なのに何故、アガルタはD.E.E.D.という存在の発覚を恐れず、彼女をここに解き放ったのか?」
「……隠ぺいする事は容易い、という自信の表れか?」
キースはヴィルドレッドの言葉にゆっくりと視線を下ろし、再び机の上の資料を見据える。
「……あるいは彼女こそが隠ぺいを務める役割も持っているのかもしれない。 局長――14A.R.K.を思い出して下さい。 報告によれば、突如として音信不通となり、結果極々短い時間で丸ごと壊滅してしまった……」
「……まさか!?」
僅かに目を見開くヴィルドレッドの正面で、峰雲は思わず机に両手を叩き付ける。
「……式神が、彼女以外の式神があそこに……14A.R.K.に居たとでも言うのか!? あの壊滅が式神による隠ぺい、だったとでも……!?」
「あくまで可能性――です、峰雲先生。 しかしこのA.R.K.で、式神の存在を知っているのは……?」
振り返るキースに、ヴィルドレッドは静かに瞳を閉じながら口を開く。
「Y028部隊……斑鳩、ギルバート、泉妻、木佐貫、フリッツ。 後はここに居る我々と、ヴィッダ……そしてラティの10人。 いや、マルセルを入れて11人、だな」
「そうです。 その存在を知る者はごく少数だ。 もし彼女がその気になれば、我々を消した後、A.R.K.を内部から壊滅させるなど造作もないはず。 しかも彼女……式神は、タタリギに対して共鳴作用まで持っている。 ……あるいは感知だけでなく、タタリギを呼び寄せる事が出来るとしたら……」
「キース」
その言葉を強く遮る様にヴィルドレッドは目を見開くと、眼光鋭くキースを睨み付ける。
「……勘違いしないで下さい、局長。 これは現状から考えれる"最悪のケース"、という話です。 自分だってそうであって欲しくはない。 まだ付き合いは浅いとはいえ、彼らの事を悪戯に悪く言うつもりはない。 ですがそういう可能性もある、という事だけは……我々だけでも心に留めておく必要があるとは思いませんか」
「…………」
怒り――というよりは、どこか悲壮な取れる表情を浮かべ、ヴィルドレッドは俯き瞳を閉じる。
だが、キースが語った"最悪のケース"……それを感情論だけで否定する事は出来ない。
斑鳩たちY028部隊、彼らの部隊にアールを編入させる。その提案を飲んだのは、他でもない自分自身である。"もし"や"あるいは"が過ぎ去れば意味の無い言葉だという事は重々理解しているつもりだ。
――だが、あまりにも。 ……俺も、ろくでなしが過ぎる。
「……確かにお前の言う事はもっともだ。 最悪のケースを常に想定しなければ有事の際、対応は全て後手に回る。 希望的観測を持たずに居たからこそ、この13A.R.K.が長い間前線を守り続けてこれたと言っていい」
「局長……」
悲痛な表情で肩をゆっくりと竦めながら大きなため息を吐くヴィルドレッドに、峰雲は俯く。
「だがそれは、キース。 お前を含め、ヤドリギとして戦ってきた若者たちの命を……人生を犠牲にして手にしている安息だ。 我々はこうしているたった今でさえ尊い犠牲の上に座している事を忘れてはならない。 それが生き残ってしまった俺が務めるべき責務だと言うのならば、如何なる選択肢も受け入れる心構えはある。 ……だが」
無言でこちらを見つめるキースに、ヴィルドレッドは瞳を開く。
「キース、峰雲。 あの二人は見紛う事無く今、我々と同じヒトであり……そしてヤドリギだ。 その定義は……言えば式兵であるか、ましてや人間であるかなどではない」
真っ直ぐなヴィルドレッドの視線と言葉。
昔と変わらぬ――いや、老いてなお、一層信念貫くと言わんばかりに凛とこちらを見据えるその瞳。全てを背負い、それでも前へと進むざるを得ないと決めた、覚悟と誇りを孕む瞳。
ヤドリギであった頃、全てを見透かされている様で。その視線に耐える事が出来なかった事を思い出すと、キースは気付かぬうちにそれを受け止める事が出来る様になっていた自分に、ふ、と小さく自虐的に笑う。
「……まったく、局長らしい物言いだ」
キースは肩を竦ませると、懐から安全装置が掛けられたままのトリガー型のスイッチ……バイタルチョーカーに仕掛けられた、深過してしまったヤドリギを処分――殺すための引き鉄を取り出し、指を掛ける。そのグリップには、「Y028-No.001」と刻まれたタグがぶら下がっていた。
「"権利には責任と覚悟が伴う。 全てはそれを背負えるかどうかだ"――ですか」
キースの言葉にヴィルドレッドは少し目を見開くと、ぎし、と座る椅子の背もたれへ体重を掛けた。
「なかなか良い格言を吐くな、キース」
「……貴方という人は。 自分がヤドリギだった頃、あなたから再三聞かされた言葉ですよ。 峰雲さんも何か言ってやってくださいよ」
「確かに、懐かしい言葉だね」
したり顔のヴィルドレッドと、緊迫した表情をやや崩しながら苦笑する峰雲に場の空気が僅かに弛緩する。キースはふう、とため息を吐くと、今一度手にしたトリガーへと視線を落とす。
「分かっています、局長……。 そろそろ時間です、我々も彼らと共に出迎えに向かいましょう」
願わくば、この引き鉄は弾きたくはない。
そう口にしたキースの表情は、ありありとそう告げているようだった。ヴィルドレッドは窓から差し込む日に陰る彼の表情に、昔を思い出す。
――キースは引退の間際、堕ちた仲間へ向け、ついに引き鉄を弾く事が出来なかった。 最期の、その時に。その重責を、今も感じている……だからこそ、A.R.K.から去ったのだ。
だが、ラティーシャは彼を呼んだ。彼もまた、それに応え――今、ここに居る。
彼女が彼を代理に立てると言い出したとき、果たして務まるかという不安があった。だが、今こうしてここに居る男は、間違いなく彼ら――斑鳩たちと共に、戦っていると分かる。
――コップの水……か。
ヴィルドレッドは静かに立ち上がると、峰雲とキースの二人に頷く。
遂に到着しようとする戦車部隊。
表と裏、二つのアガルタの思惑。斑鳩の容態……そしてD.E.E.D.、式神・アールの行く末。13A.R.K.を、いや、Y028部隊を中心に今、事態は大きく動きつつある。
何かが……そう、何かが一つ違えば、恐ろしい事態に繋がるのではないか。
――備えは多いほど良い、か……。
疑れば歩みは止まる。しかし止まれば、追い縋る破滅から逃れる事は出来ない。
なればこそ、進むしかない。毒と疑いながらも、知りながらも、その毒を制し往くしかないのだ。
――斑鳩……アール。 許せとは言わん。 だがお前たちを炎にくべる有象無象の薪のよう扱う事だけは……俺が必ず防いでみせる。
「峰雲。 この状況で多忙だと思うが、引き続き彼らの事も頼む。 何かあれば直ぐに報せてくれ。 分かっていると思うが、くれぐれも慎重に……な」
「了解です、局長……」
峰雲は局長の命に眼鏡に手を添えたまま深く頷くと、こちらに会釈するキースにも無言で頷き返し――広げられた資料を集め小脇のファイルに丁寧に納めてゆく。
ヴィルドレッドはその傍ら、13A.R.K.の軍旗の横。
壁に掛けられた制服を手に取ると大きく翻す様に身に纏った。
「……では往くぞ、キース」
「ええ……往きましょう、局長」
二人はそれぞれに決意を胸に――
窓の外、城門間近まで迫る砂煙を上げる一団を一瞥すると、互いに視線だけを一瞬合わせ。
重い靴音を奏でながら、局長室を後にするのだった。
……――第10話 Y028部隊(5)へと続く。