第9話 真価の果てに (3)
復帰した斑鳩が訪れた指令室。
他の仲間たちの現状を聞く彼へと唐突に放たれた台詞。
「その命を、僕に預けて貰えるか」
キースが何気なく発した言葉に、斑鳩は彼の瞳を真っ直ぐに見据える。
その言葉の意図と真意。誰に言われるでもなく……斑鳩は、理解していた。
「…………」
変わらず笑みを湛えたまま言い放ったキースの言葉。
その声に、ヴィルドレッドは眉間に軽く握った拳を押し付け、ヴィッダはせわしなくタイピングを行っていた手を一瞬止める。
斑鳩は彼の細く開かれこちらを見据える瞳を表情一つ変えず、その黒い瞳で刺すような視線を受け止めていた。
「斑鳩くん、彼は……」
後ろから聞こえた峰雲の声を、斑鳩は振り返らず首を横に振って応える。
「いえ、分かっています。 司令代行の意向はもっともだと」
「理解は……してくれているようだね」
斑鳩を見詰めたまま、キースは小さく肩を竦める。
「ええ。 この身に起きた事を有耶無耶にするつもりはありません。 一度は確かに深過を遂げた……それがいかに、看過できない事態であるかと言う事は」
「…………」
自らの左肩――
マシラに噛まれた場所を右手でそっと押さえると、斑鳩は少し俯く。
その姿を、眉間に拳を添えたままヴィルドレッドは静かに見据える。
「前例も無い。 詳細な検査をする時間も、設備も13A.R.K.にはない。 快復したのか、それとも一時的にヒトとしての側面を取り戻しただけなのか。 ……俺にも分かりません」
斑鳩の言葉に、キースは一瞬、その表情を曇らせる。
「――ですが。 あの瞬間、判断を下したのは他ならぬ俺自身です。 責任の全ては俺にあります。 当然、司令代行……いえ、13A.R.K.として憂慮すべき事態となったその時は……覚悟は出来ているつもりです」
「……うん。 申し訳ないけれど、君の首輪のセーフティはこちらで管理させて貰おうと思う。 改めて説明する必要はないと思うけれど……君の存在は、ある意味彼女……アールくんと変わらないものとして扱わせて貰いたい。 もしも、君の身に何か事があれば、その時は……」
――処分。
斑鳩は先に彼が紡ぐであろう言葉を、当然の処置として認識していた。
A.M.R.T.を深過させ、卓越した戦闘能力を得て――結果、一度タタリギへと堕ち掛けたのだ。アールの制御、と呼んでいいものか。とにかく彼女の再深過共鳴によって事なきを得たとはいえ、前代未聞という言葉をいくら重ねても足らない状況には違いない。
峰雲の言う通り、検査の結果いつも通りなのが不気味とさえ斑鳩当人も感じていた。
……いや、むしろ、どちらかと言うとすこぶる調子が良い。思考も、視野も、目覚めてからというもの聡明そのもの。式狼としての治癒能力も上がっているようにすら感じる。着替える時に見たマシラに噛まれた左肩……そこには一切の傷痕すら残っていなかった。
A.R.K.としての処置は妥当だ。
もし、斑鳩 暁がA.R.K.に……ヒトに危害を加える様な存在に再び成る事があるのであれば。彼らは上官としてやるべき事を、やる。
しかし、斑鳩は逆にどこか気持ちが軽くなるのを感じていた。
本来、それは式梟……ローレッタの役回り。彼女が言い渡されてもおかしくない内容だ。
それを彼女にではなく、彼が……いや本部が担う、と示した。ヤドリギを扱う責任の所在。その心遣いは、素直に嬉しく感じる事が出来る。
――それに……。
「Y028部隊、式狼! ギルバート・ガターリッジ、入ります!」
「――!」
キースがくくる言葉を選ぶため一瞬、迷った瞬間だった。
斑鳩の思考に応えるように、背後の入り口に敬礼したまま佇む男の声に、一同はハッと顔を上げる。
「入れ」
「失礼します」
普段の言動からは中々想像付かない、彼のやや不慣れで丁寧な言葉に、斑鳩の表情が僅かに緩む。
ギルは峰雲に促されるまま斑鳩の隣へと並ぶと、ヴィルドレッドとキースに敬礼を行い、そのまま僅かに斑鳩へと身体を傾けた。
「……イカルガ。 ひょっとして俺、マズイときに来ちまったか?」
こう見えて流石のギルも空気を読めるらしい。
いや、この場合ギルですら読める重い空気、と言ったほうが正しいだろうか。
斑鳩は一瞬俯き――再び、キースへと視線を向ける。
「司令代行。 先の通達、異存はありません。 原隊復帰に当たりお気遣い感謝します。 ……ですが、俺には頼れる仲間が居る。 その時が来ても、身を託せる仲間が居ます」
――身を託せる、仲間。
キースは斑鳩の言葉に、ゆっくりとその視線をギルへと向けた。
ギルバート・ガターリッジ。彼もまた優秀な式狼である。斑鳩と部隊を共にする前、そしてY028部隊でも何度も死線を潜り抜けた男。
そして、斑鳩が目覚めた時がもし、その時ならば。
彼は斑鳩に対する処置……身柄の拘束、及びその危険性が認められた場合の、殺害。他の仲間からの猛反対を一人諫め、3日間、昏睡する斑鳩の傍で撃牙と、チョーカーの起動スイッチを握り続けた。
斑鳩自身の覚悟は、計る事は出来ない。
キースは現役時代に想いを馳せていた。今より安定性に乏しく、A.M.R.T.によって堕ちゆく仲間。誰もがそれを覚悟し、それでも戦ってきた。しかして覚悟や誇り……その言葉が瀬戸際で裏返る事を、自身が体験してきた。
仲間への葬送の一撃を躊躇えば、第二、第三の被害を生む。
「…………」
――後悔。
ふと、キースの脳裏に積み木街であったギルの妹……コーデリアとの会話が過る。そうなったときに、後悔しても遅い……自分は彼らに、過去の自分を重ね戒めているのに過ぎないのではないか。
「キース。 こいつらは、やるさ。 俺が見込んだ連中だからな。 ……お前と同じ様に、な」
「……局長」
言葉に詰まったキースへと掛けられた、ヴィルドレッドの真っ直ぐな眼差しと言葉。
キースは一瞬寂しそうな表情を浮かべるが、ひとつ咳払いをすると、いつもの飄々とした笑みへと戻っていた。
「……とまあ、そういう事だ、斑鳩くん。 これも上司の仕事の一つでね。 いや、確認させるような事を言ってすまなかった」
「いえ、至極当然の事です。 むしろ俺としてもA.R.K.の意向をはっきりと聞け、安心しました」
今一度敬礼を行う斑鳩に、キースは少しバツが悪そうに口角を上げ後頭部を恥ずかしそうにぽりぽりと掻いてみせる。
「では、通達は以上だよ。 早速だけど、君らにはアダプター1へと向かって欲しいんだ。 この後、アダプター1へと物資を補給する為の装甲車が出る予定でね。 君らの箱……N33式兵装甲車で追従・護衛を行いながら同行して貰えるかな」
「……アダプター1か、何だか懐かしいぜ」
キースから手渡される書類をそれぞれ受け取りながら、ギルは小さく頷く。
「そこに駐在しているY036部隊……マルセル隊長指揮下のアールくんと合流。 追って本日中に別動隊で戦術共有と通達を行っている泉妻くん、ローレッタくん両名との合流。 彼女らの送迎手配はこちらに任せておくれ。 アールくんを加え現地で部隊を再編制の後、アダプター1、2を含む13A.R.K.南東区域全域の防衛任務に就いて欲しい」
手渡された資料には、その概要と南東区域に展開する部隊の詳細などが細かい文字でびっしりと並ぶ。Y028部隊は部隊単独での哨戒に加え、他部隊との連携、護衛、物資搬送など多岐に渡る任務項目が記されていた。
「南東区域全域……ですか」
やや表情を曇らせる斑鳩の言葉に、ヴィルドレッドは椅子から立ち上がると大きく頷く。
「そうだ。 14A.R.K.、本来ならば再度奪還に務めたいところだが……マシラの出現により施設への被害はさらに拡大している。 拠点として機能を取り戻すには現状、難しいと言わざるを得ない。 対してアダプター1はお前たちが確保してくれた後、近隣拠点とすべく物資の運搬、施設の再建が行われている。 ここに投資した資材は無駄には出来んからな……アダプター2も同じだ。 あそこの通信塔も、再び失う訳にはいかん」
「マシラの出現は南東区域に限らずこの13A.R.K.周辺に散見されているからねえ。 しかも対象は昼夜問わず、だ。 現状、壊滅的被害を受けた14A.R.K.は放置せざるを得ない状況なんだ。 今はこのA.R.K.を守る事が急務……だけど」
キースは、び、と二本指を立てた手を机の上に広げられている13A.R.K.、その南東区域を指し示す。
「君らはフットワークの軽さを活かし交戦区域を巡って貰い、そして可能であればマシラに限らず単独でタタリギを撃破……必要があれば、別動隊との共闘も視野に、遊撃部隊として活躍して貰いたいんだ」
「遊撃部隊、か……。 聞こえは良いが、またリスキーだな、おい……」
ふう、とため息を着くギルの横で、斑鳩は首を小さく横に振る。
「いや、俺たちの部隊は13A.R.K.の他の部隊と比べても今や異質な存在。 可能な限り、彼女の存在を伏せながら戦う……そう言う事、ですね?」
「それもそうか」と納得する様に頷くギルの隣。資料越しにちらり、と向けられる斑鳩の視線に、キースとヴィルドレッドは頷く。
「――ああ。 ヒューバルト大尉から主だった通達もない……現状Y028部隊の扱いをこちらへ一任しているとはいえ、あまり派手に動く事は望ましくないだろう。 こちらはあくまでも、あの小僧が提示した条件下で動く必要がある。 ……当然、不測の事態には目をつむって貰うがな」
ヴィルドレッドが言いたいのは、交戦域が期せずして被ってしまい別部隊と共闘する可能性、という事だろうと、斑鳩は小さく頷く。
「あくまでも君らの存在をある程度把握しているマルセル隊長たちとの連携を主軸に据え、各地を防衛して貰う、という建前だね。 今渡してる部隊運用計画書はアガルタにも提示しなければならないから、こういった手前で書かせて貰ってるけれど」
ぽん、と資料を片手で叩くキースの傍らで、ヴィルドレッドは腕組みをしたまま眉間にシワを寄せる。
「先にも言った通り、どうにもあの小僧らの出方が分からんのだ。 あの14A.R.K.での戦闘ログは提出している、むろん斑鳩、お前の事は伏せて、だが……。 だが、以前と違いこれと言った反応が無い。 ミルワードからの連絡も無い以上、こちらから少し突いてみるのもその書類の意図の一つだ」
「……なるほど。 本来彼らの目的は式神の存在を公にする事を避けた実証実験のはず……ならば、他部隊との合同作戦を提示すれば、何かしら反応があるかもしれない、と」
斑鳩は言葉と同時に書類を睨み付ける。
偽装チョーカーのデータが何らかの形でヒューバルト大尉……D.E.E.D.計画にまつわるアガルタの連中に通じているならば、アールの深過共鳴、そしてそれによって引き起こされた斑鳩の状況、状態を看過するはずはないだろう。だが事実、そのイレギュラーに関してなんの反応もない……そんな事は、あり得るだろうか。
思えば、マシラに関してもそうだ。
ヴィルドレッドたちからの報告と要請……そして13A.R.K.を取り巻く状況を知れば、アールを含む自分たちY028部隊がどの様に運用されるか、式神という秘匿性が高い存在が関係者以外に漏れる事を憂慮しているなら、あくまで部隊は単独運用しろ、という通達があってもおかしくはないだろう。
局長はあくまでヒューバルトとの取り決めを守る必要がある。
それは多くの物資と引き換えに、新人ヤドリギの配属・運用を了承した立場である13A.R.K.……ヒューバルト大尉たちD.E.E.D.計画に携わる者たち以外に向けた、正規のアガルタ構成組織に対してのアピールにも繋がる。
現状、新人を有する少数部隊すら、激戦区へと投入しなければならない事態……という事が、いわば表のアガルタへと提出する計画表から見て取れるだろう。
ヒューバルトに対する牽制と、正規のアガルタに対する早急な支援要請。
その二つを強引に判断させる為の一手、と言ったところだろうか。
「なんだか難しい事になってんな。 まあ、そこら辺はお前に任せるけどよ」
ギルは目を細め書類と局長たちへと交互に視線を送り続けていたが、諦めたように唸ると、斑鳩の肩をぽんぽん、と叩く。
「良かったな、ギル。 詩絵莉が居たらゲンコツが飛んでくるところだ。 でも、難しい事じゃない……俺たちは今まで通り、俺たちに出来る事をすればいいだけだ」
「詩絵莉のゲンコツなら、お前がスッ転がってる間に飽きるほど喰らったからな? まあ、でもそうだな……俺らにやれる事、か」
言いながら、ギルは自らの頭頂部を撫でる。
その様子にヴィルドレッドは、ふ、と静かに瞳を閉じ笑うと、改めて二人へと向き直った。
「お前たちには苦労を掛ける。 危険な橋を今後も渡らせる事になるだろう。 だがこの13A.R.K.を取り巻く状況は急激に、かつてない程、緊迫の一途を辿っているのも事実だ」
ヴィルドレッドの言葉に斑鳩とギルは自然と背筋を伸ばし、大きく頷く。
キースもまた普段浮かべている笑みを薄め、一度俯くと二人に向けて真剣な眼差しを向ける。
「君たちY028部隊は、今や他の部隊とはあらゆる意味で一線を画す存在だ。 ……とは言え、ろくな休暇も出せず出撃が続くことを、心苦しく思うよ」
――休暇、か。
斑鳩は、ふ、と僅かに心を緩める。
一つの任務を終え、皆と笑い、テーブルを囲んだ日々が遠く感じる自分が居る。最後にそうしたのは、いつだったか。次の、そしてその先の作戦においても部隊のパフォーマンスを発揮させる為の息抜き。そう心のどこかで斜に構えていた自分が、今は恥ずかしく思う。
――あの場こそ……きっと、"その先"にあるべき場所なのかもしれない。
「でも。 局長もヴィッダさんも、そしておそらくラティーシャも……当然、出来得る限りの支援、そして事の解明に向けて動いている。 柄じゃあないけど……自分も、自分に出来る事をやっていけたら、今は思っている。 ……その先で、また美味しいご飯でも食べれる日が迎えられれば、とね」
期せずして重なったキースの言葉に斑鳩はキースの瞳を見据える。
様々な感情が入り混じったその視線に、彼は小さく頷いて応えてみせた。
「……よし、ではブリーフィングは終了、って事でいいですかね?」
キースはぽん、と資料を机の上に置き、「他に何かあれば?」とヴィルドレッド、峰雲、ヴィッダへと視線を流す。それぞれは小さく首を横に振り、意志を伝えた。
「では通達通り……現時刻をもってY028部隊再始動、と行こう。 丁度フリッツくんが式兵装甲車のメンテナンスをしている頃だね。 事情は説明してあるから、まずは彼と合流を。 兵站部や整備部にも話は通してある。 そうだね、後ほど僕も向かう。 出撃には立ち会わせて貰うよ」
「……キース司令代行。 アダプター1行きの物資運搬班より入電です。 予定通り、あと一時間以内に出立可能だと」
いつも通りの笑みを浮かべ、一転明るい声で伝えるキースの後ろから、ヴィッダの冷静な声が差し込まれる。キースは「おお、急だったけど流石だねえ」と彼女に振り返ると、く、と親指を立てて見せた。
「では、俺たちも格納庫へ向かいます」
「うんうん、ではまた後ほど」
「「了解!」」
斑鳩とギルは、カッ、と両踵を揃え敬礼を放つと、指令室を後にする。
ギルがまず扉を潜った、その時だった。
「……斑鳩」
静かなヴィルドレッドの呼び声に、斑鳩は振り返る。
「…………」
鋭くこちらを見据える瞳。
斑鳩は、その視線に様々な言葉を感じ取った様に、静かに瞳を閉じた瞼を開け、大きく頷き――そして、指令室を後にしていった。
「…………っ」
斑鳩とギルの靴音が聞こえなくなった頃。キースは天井を見つめたまま、冷や汗をひとつ頬へと垂らしていた。その様子に、机の上に散らばる資料を片付けようと歩み寄ったヴィッダが気付くと、ややジト目を向ける。
「……どうしました、キース司令代行」
「ぶはあッ……!!」
その言葉を引き鉄とする様に、キースは大きく息を吐き出す。
「……慣れん事をするからだ」
ヴィルドレッドは深いため息と共に、ヴィッダが引いた椅子へと深く腰を掛ける。
同時に、峰雲も彼の横の椅子へと腰を下ろした。
「斑鳩くんに掛けた言葉……の事かい?」
「あれを伝えるのは俺の仕事だと、事前に言っただろう。 お前らしくないな、キース」
斑鳩へ伝えた言葉――君の命を、この13A.R.K.で預からせてもらう。
深過からの快復。もはや彼の存在は、ヒト……いや、ヤドリギと言えるのだろうか。その責任を感じていたのは、他ならぬヴィルドレッドだった。
死ぬな。倒れるな。
二人で酒を傾け、交わした言葉が……彼をヒトでないものへと追いやってしまったのではないか。
ヤドリギである以上、死は常に誰しもの隣に佇んでいる存在だ。それは彼とて例外ではない。だが、斑鳩は死を拒絶したのだ。報告にある事が事実だとするならば……彼女が、アールが彼の深層意識に触れ、A.M.R.T.を活性化させた。そうして、彼はヤドリギとしての存在から逸脱してもなお、現世へと留まる事を選んだのだ。
ヒトでないモノとして在る事を選ばせてしまった。
アールとは……選択すら許されず、式神として生まれた彼女とは違う。
ヒトをヒトとして扱わぬ事を是とするような存在を生み出した者たちに対する憤り。だが今、自分自身も方法は違えど斑鳩をそうしてしまったのではないか。
「いえ、これでいいんですよ……局長。 憎まれ役は慣れたもの……何しろ、"元"苦情受付係ですからねえ!」
「茶化すな、キース。 斑鳩に起きた事の発端は、あるいは俺にあるかもしれんのだ。 ならば、俺が伝えるのが筋だろう。 それをお前……」
「いや、局長。 それは違うと思う」
キースを睨み付けるヴィルドレッドに、峰雲が言葉を差し込む。
「斑鳩くんは……彼は、きっと局長の命を達する為にああしたんじゃあない。 きっとね。 彼は……不器用な男なんだろう、と今は思うよ。 局長、貴方と一緒でね」
「……む」
「局長は彼に生きろと言ったんでしょう。 なら彼にああ伝えるのは、他ならぬ自分の仕事……ですよ」
キースはどこか寂し気な表情を浮かべ、そう頷いた。
「……彼は、キースくんが命を預かると言った後、何一つ疑問を浮かべていなかった。 むしろ、本心から当然だと思っていたんじゃないかな……正直、褒められた感情ではない、と思う。 ……でも僕は彼を見ていて思うよ」
憮然とした表情を浮かべ、瞳を閉じて腕組みをするヴィルドレッドに、峰雲は静かに続ける。
「時折思っていた。 斑鳩くんはきっと、死ぬのに相応しい場所を探しているのかもしれないとね。 そしてそれは、あの14A.R.K.ではなかった。 だから……そうしたに過ぎない。 僕にはそう見えて、仕方がなかった。 ……局長、貴方のようにね」
「……俺は只の死にぞこないだ。 今も昔もな。 死に場所を探す、なんて高尚な趣味は今……持ち合わせておらんさ」
どこか自虐的に笑うヴィルドレッドに、峰雲は「それですよ」と頷いて見せる。
「……優秀だが、本心が見えない。 それが斑鳩 暁という男の印象だった。 だけど今は少し、違ってみえる。 彼女……アールくんが現れてからか、彼は変わった様にも感じる。 今は、そう……本心を包み隠す事を忘れているかの様にね」
机へ落とした視線の先には、斑鳩のバイタルデータ。その書類の顔写真に映る、無表情な彼の黒い瞳を見つめながら、峰雲は静かに語る。
「……俺たちですら、正直思考を追いつかせるのがやっとの状況だ。 式神、アガルタの裏、十余年ぶりの純種の出現に、新たな種と思えるタタリギの発生……それら全てに触れながらも、前線を張り戦う斑鳩たちには……正直、頭が上がらん。 そして今回、ヤツの身に起こった事……」
整えられたヒゲへと手を伸ばし、ゆっくりとそれを撫でながら厳しい表情を浮かべるヴィルドレッドの横で、キースは手にした書類――Y028部隊の部隊員一覧と略歴が記された資料を開くと、ふうむ、と目を細めた。
「いち少数部隊の一つでしかなかった彼らを巻き込みながら、今や事は大きく動き出している、といったところですか。 ……自分はラティーシャの代理として、彼らとの交流はまだ浅いですが……正直、あまりに出来過ぎている、とも思えますがね」
――出来過ぎている。
その言葉に、峰雲はぴくり、とその身を揺らす。
「彼らを取り巻く全てが、アガルタの……いや、D.E.E.D.計画の一端、と?」
「さあ、そこまでは。 それに関しての何らかの答えを、ラティーシャが掴んでくれる……そうですよね、局長」
「だと、いいのだがな……」
振り向くキースの視線を受けながらも、視線は一点どこか遠くを見つめたまま呟くヴィルドレッドの表情は、厳しくも憂慮に満ちた表情だった。アガルタへと旅立ったラティーシャからの連絡は、未だない。
キースは気持ちを……いや、この場の空気を入れ替えるように、大げさに「ふう!」と息を吐くと、わざとらしく柔軟体操の様に手を添えた腰を捻る。
「……さて、それでは自分は関係各所に顔を出してきますよ。 あ、ああヴィッダさん。 流石にこの状況でフラフラ出来るほど、自分も薄情ではないので……あはは」
「頼みますよ。 ……次は角で行きますからね」
固いバインダーをチラつかせるヴィッダの厳しい視線にひきつった笑顔で応えると、ヴィルドレッドに一礼を放ち部屋を後にするキース。その彼に続くように、峰雲も席を立つ。
「……僕もそろそろ、一旦ラボに戻ろう。 僕も僕なりに、今あるデータから式神という存在に迫る義務がある」
「頼む、峰雲。 俺も引き続き本部に支援要請をしながら、あの小僧を洗う手立てを整える」
言うと、二人は互いに頷き合う。
軽くヴィッダに会釈し部屋を後にした峰雲の背を見送ると、ヴィッダは片付けの続きに取り掛かりながらヴィルドレッドの顔を覗き込む。
「局長も少しはお休みになられて下さい。 ここ数日、まともに睡眠も取られてないのでは」
彼女の視線を一瞥すると、ヴィルドレッドはそのまま視線を天井へと向けた。
「ヴィッダ、お前も感じるだろう。 ……何か胸騒ぎがするのだ。 こうも事が一度に動くものか、とな」
「……僭越ながら、同感です。 言葉には言い表せませんが……そう、胸騒ぎ。 そう表現するのが、一番、でしょうか」
とんとん、と広げられた資料をまとめ揃え、胸へと抱えたヴィッダもどこかその表情は厳しい。彼女もまた、長年彼――局長と共にA.R.K.を見守り続けた人物の一人。現状、立て続けに起きる事態に対しての憂慮は、彼と変わらない。
「斑鳩……ラティーシャ。 それでも俺はお前たちに生きていて欲しいのだ。 老人の、戯言に過ぎないとしても……な……」
ヴィルドレッドは、祈る様に小さくそう呟くと――
壁へと寄りかかるように手を添えた、疲れを確かに感じる老いた身体の無力さを憎む様に表情をしかめるのだった――
……――エピローグへと続く。