第9話 閑話:参照/13028.DEED.08:R_f.A.R.K.14
未知なるタタリギ、マシラ。
その正体に驚きながらも、依然闘志を高め挑むY028部隊の闘いを冷たい瞳で傍観する者が居た。
彼の地で俯瞰する者達の思惑とは、いかに――。
「……何だ、これは」
白い壁と、床。そして、煌々と灯を放つ天井。
染み一つない真っ白な部屋の中央に置かれた、机の上に並ぶ幾多の薄型モニター。
ヒューバルトは腰掛け慣れた椅子に不機嫌そうに座したまま、そこに写るヒト型の黒い影に眉間にシワを寄せ憮然と呟いた。
「聞いているのか、クロエ」
ヒューバルトは眉間に深く刻まれたシワをそのままに、まるで殺意を孕んだかの如く鋭い視線を脇に立つ白衣の女性へとゆっくりと向ける。だが、幾重の資料が閉じられたファイルを胸に抱えたまま、白衣の女性――クロエはその視線に微塵も臆する様子なく、クスクスと笑ってみせた。
「何……って、知らないわぁ。 突然呼び出されたと思ったら不躾ねえ……大尉殿?」
言うと顔に掛かる髪の毛を妖艶な仕草で搔き上げながら、右上に「No13A-Y028-M02」と表示されたモニターを覗き込む。そこには、見慣れぬタタリギと思しきヒト型の黒い影と果敢に戦う彼ら――そして、彼女が執心する、白髪の少女――Rの姿もあった。
「……お前以外に誰に聞けと言うのだ。 なら質問を変えてやる。 ……これは、お前の差し金か? こんなタタリギの存在は、俺は確認していないぞ」
クロエの様子に「ちっ」と舌打ちすると、ヒューバルトはモニターへと視線を向け、式梟が操るドローン……木兎から送信される動画が流れるモニターをコンコン、と左手で弾く。
「失礼しちゃうわぁ、私が大尉殿に隠し事が出来る器用な女に見える……? 誓って、私も知らないタタリギよ、これは……」
クロエは口角をにい、とゆっくり上げると、凄まじい速度でY028部隊と切り結ぶ黒い影を瞳に映すと、目を細めうっとりとした表情を浮かべる。
「……本当に知らないのか」
「ええ……まさか、ここに来て外で明らかな新種……自然発生した新形態のタタリギが発見されるなんて。 ここ10年……いえ、15年は無かった事だわぁ」
「……」
ヒューバルトはモニターを食い入る様に見つめるクロエの横顔を一瞥する。
研究者としては有能極まりない、この女。
D.E.E.D.理論の構築、検体調整から実証実験に至るまで全てを担う、いわば"式神の母"の一人……。長年の付き合いになるが、確かにクロエはことタタリギが絡む事柄に関してと断定して言えば、その発言に信頼は置ける。
「てっきり俺はお前の玩具の一つかと思ったが……本当に新種なら、だ。 どうにもこいつは元人間……丙型、丁型に属する外寄生深過型の様だが、お前はどう診る、クロエ」
「……」
クロエはヒューバルトの言葉に、無言で真っ白なテーブルの上に置かれたキーボードと机に埋め込まれたトラックボールに指を躍らせる。
するとリアルタイムの映像が表示されていると思しきモニターの横にある新たな画面に、黒い影――斑鳩たちが"マシラ"と呼ぶ個体の静止した拡大映像が幾つか表示される。
「……診たところ、時間経過を経て深過が進んだ寄生個体とは、明らかに違うわねぇ。 あくまで丙、丁型は内部からタタリギの侵食を受けて変異するものだけど……これは、まるでタタリギが外皮となってヒトを覆っているわぁ。 そのタタリギの細胞皮が、外骨格……いいえ、外部筋肉として駆動している様ねえ」
普段とは表情は変わらないものの、初めて診る症例にやや興奮しているのか。普段より早口で饒舌に語るクロエの言葉に、ヒューバルトは口元に手を添えモニターを再び凝視する。
「タタリギを着ている、とでも云うのか、これは」
「まあ、その表現が一番近いかもしれないわねぇ……タタリギ細胞皮を利用したパワード・スーツ? 中々面白い発想だわぁ」
彼女はそう言うとカラカラと笑い、ふう、と一息つくと再びモニターへと目を落とす。
「……ただ、ふざけた発想だけど効果は中々ね。 式狼の反応を凌駕した速度を見せるなんて。 これは研究し甲斐がありそうねえ。 正直戦闘を中断させてでも、ここにも取り寄せたい気分だわぁ」
ちらり、とクロエに濡れた瞳を向けられたヒューバルトは「フン」と面白くなさそうに顎を上げる。
「確かに人型のまま、これ程の戦闘力を見せる個体は貴重だな。 ……見ろ、式神の反応と拮抗している」
モニターに対して前のめりに腕を組むと、ヒューバルトは写し出された映像に細い目をやや見開く。そこには式神――Rと対等のフットワークを魅せながら攻撃を繰り出すマシラの姿があった。
「確かに凄いわねぇ……。 けどあの子が深過解放すれば、3分あればカタは付きそうなものだけど……?」
「……こっちとしても、あの時の再現を観測したいのは山々だが……恐らく、今回その機会は無いだろうな」
「あら残念。 まぁでも確かに……このお猿さん一人じゃあ、再実証に足る相手では無さそうねぇ」
あの時の再現――
それは言うまでもなく、アダプター2で観測された深過開放、深過共鳴……。
その後崩壊する予定だった式神、D.E.E.D.検体であるRが今も無事に身体と精神を保てている要因。二人はその再検証、そしてそこから再びより絞り込んだデータを得る事が課題となっていた。
「確かにこの……彼らはマシラと言ったか。 この新種の戦闘力は目を見張るものがある。 だが所詮単騎では今の彼らを追い詰める事は不可能だろう」
現に、よく戦っている――ヒューバルトは冷静に彼らY028部隊の闘いを観察していた。
式神、Rを攻撃の主軸とし、式狼二名での牽制。斑鳩とギルバートの両名は、互いに持ち味を生かし、対象との速度差を連携で埋めている。そして要所要所、それでも回避が困難な攻撃に対しては式隼による適格な狙撃で対応・阻害……その式隼の単独運用を可能にしているのが、常にマシラと式隼を直線で結ばぬ様に徹底した位置取りを指示する式梟の存在。
「……」
式神の投入先として候補に上がった部隊の中で、斑鳩――彼らの部隊選考した理由は特別なものではなかった。ただ式神の存在を、先で隠匿する事を考慮した際……部隊構成人数は少なければ少ないほど、よい。事故が起きた際、情報操作もさることながらA.R.K.にとってさしたる痛手とならない点も重要だった。
そして彼らは、都合が良い事に13A.R.K.の中でも浮いた存在だったのも大きかったと言える。
勤勉さと、異常と言える適合値を合わせ持ちながら、重なった不慮から事故を起こし謹慎していた、ローレッタ。天性の素質と直感で対象を誰よりも速く、正確に撃ち抜く技術を有していたものの、部隊と折り合いを付けれず除隊された、泉妻。恵まれた体格と適正値を持ちながら、適正な運用を受けずその力を持て余す形となっていた、ギルバート。
優秀だからこそ、律された集団の中……自らの意志だろうと、そうでなかろうと、外れていった者たちの寄せ集め。例え明日、13A.R.K.から彼らが消えたとしても「誰も気に留めない」存在。……部隊。
だが、今や彼らの実力は折り紙付きと言ってもいいほどに成長を遂げている。
式神を加えたとはいえ、たかだか五人の少数部隊――その実力は、正直なところ一目置くべきものがあるだろう。公的な成績は他部隊には劣るが、個々の実力は最前線を維持し続ける13A.R.K.の中でも、今やトップクラスと言って差支えはない筈だ。
その成長を可能にしたのは、個々の才はもちろん、短期間とはいえ、厳しい戦いを潜り抜けた修練の結果でもあるだろう。そして、その部隊を束ねる……斑鳩 暁の存在。
――あの目。
ヒューバルトは、歯を食いしばりマシラの致命傷に足る一撃を紙一重で避ける斑鳩を見つめる。
斑鳩と初めて顔を合わせたあの13A.R.K.の指令室で、ヒューバルトは凛とした態度で言葉を返した彼に対して、直感に近いものを感じていた。一見、仲間を想う若き良き隊長でありながら、その実、あの黒い瞳に浮かんだ"濁り"の様なものを。
――お前は"こちら側"の人間ではないか?
過去の戦績や上官からの報告書を読むまでもなく、感じた。……こいつは優秀なのだろう、と。
そう、優秀だからこそ――お前はヒトの、ヤドリギの限界に気付いている……ヒトは、タタリギに勝つ事など出来ない、そう、確信している。確信しながらも、戦っている――我々と同じ様に、と。ヒューバルトは目を不快そうに細め、足を組み替える。
――お前の瞳は、そう矛盾を語る素晴らしい淀みを湛えていたというのに。
ヒューバルトは今一度モニターに映る彼の瞳に視線を落とす。
――お前ともあろう者が、らしくない目だな……斑鳩 暁。
純種に勝利した事により、思い描く理想の未来が崩れたのか?
ヤドリギは、タタリギを駆逐する事が出来るとでも勘違いしてるんじゃあないのか?それはお前の力じゃあない……それは、お前が思っている式神とは、"そんな存在"では、断じてない。
――所詮は駒だ、斑鳩 暁。 そうだろう? お前なら……分かっているはずだ。
「――それで、どうするの? 大尉殿?」
ヒューバルトはクロエの声に、意識に混同した私情にまぶたを閉じ、ゆっくりと瞳を開くと憮然とした表情で黒ぶち眼鏡を片手で添え直した。
「このままじゃあ埒が明かないけど……フフッ、ひょっとしてあの時みたいなサプライズがあるのかしらぁ」
「……この場所であれは用意出来ん。 今はその時ではない事くらい、お前にも理解出来るだろう。 第一、触媒となる材料も足りん。 想定以上に13A.R.K.の回収班は優秀な様だ」
ヒューバルトの言葉に、クロエは「はぁ~~」とわざとらしく大きなため息を付いてみせる。
「……じゃあ私はこの新しいお猿さんを診る為にわざわざ呼び出されたのぉ? 深過解放も経ない通常戦闘のデータだけなら、大尉殿だけでも取ってくれるって約束したじゃない。 私、こう見えても結構忙しいのよぉ?」
「フン……違う。 ――いや、違わない、か。 戦闘のデータに関してはいい。 今回お前に同席して貰った理由は――このマシラが、ヒトの食料を漁り貪っていた、という事に関しての見解を聞きたいのだ」
ヒューバルトの言葉を聞くが否や――
クロエの気怠そうな表情がみるみると笑顔……いや、狂気に染まっていく様を、ヒューバルトは黙って横目で見上げていた。
「……本当、なの? 人間の食料を? タタリギが?」
「事実だ。 記録映像もある」
即答する彼に、クロエはゆっくりと、白く輝く天井を見上げた。
「そう、食事をしたの……それは……驚きね……」
「タタリギは外部からエネルギーを摂取する必要はないはず。 だが、この"マシラ"は現に食料を口にした。 何度も、だ。 ここ十数年において……いや、タタリギ顕現より初の事例だろう」
先程までと比べ明らかに様子が違うクロエに対してヒューバルトはモニターに向けた顔はそのまま、それに気付いてか、それともあえて無視しているのか、構わず言葉を続ける。
「……何か心当たりがあるといった様子だな」
ヒューバルトはちらり、と視線を向けるが、そこには普段通りのクロエの姿があった。
彼女は手に持つファイルを持ち直すと、にんまりと口を歪ませる。
「思い当たるフシがないではない……わぁ。 でも、どれも推論の域を出ないわねえ……」
「……マシラがタタリギを着ている人型タタリギ、だとして……いわばその内部に餌を与えている……いや、あり得ないな」
その言葉に、クロエは大きく頷いてみせる。
「ええ、そうねぇ。 自らを包む程の面積のタタリギ……ヒトの特性を有したままでは不可能ねぇ」
「……ならば何かを口にする必要はない。 そもそもヒト型のタタリギの身体は、人間として完全に死亡している状態だ。 例え胃袋に物を詰め込んだとしても、消化する事不可能だな。 ……式神を除いて、だが」
再び口元へと手を添え考え込むヒューバルト。
クロエはゆっくりと彼が腰掛ける椅子へと手を添えながら、激しい戦闘が映し出されるモニターに、愛おしそうにその細い指を這わす。
「D.E.E.D.は少量ならヒトと同じ様に食事を摂る事が可能……本来タタリギにはない、味覚と嗅覚もあるわぁ。 後天的寄生型とは、まるで別の存在……。 タタリギが食事をした事が事実なら、それをどう取り込んでいるのか……彼らに消化器官はそもそも存在しないものねぇ。 もしタタリギそのものが"食事を覚えた"のであれば……」
「食事を覚える……? バカバカしい、ヤツらがそんな非効率なエネルギー摂取の方法を、今更選ぶわけがない」
吐き捨てる様に言い放ったヒューバルトの言葉に、クロエは口角を静かに上げる。
「そおねぇ……タタリギに必要なんて、ないでしょうねぇ。 ……でもその不必要こそが、時には必要となる時も、あるかもしれないわねぇ」
じっとクロエが追う視線の先には、激しくマシラと切り結ぶ式神――Rの姿が映し出されていた。
「……何を考えている、クロエ」
「可能性、よ。 大尉殿。 今はまだ、何とも言えない……わねぇ。 これは宿題にしておいて貰ってもいいかしら? この特異性を有したタタリギ……マシラ、ですっけ。 他にも個体が存在するのなら調べてみる必要がありそうねぇ」
「特異性……か。 いいだろう、今後この個体の事は特異型タタリギと呼称する。 新たな個体や遺体を回収した際は研究機関に回してやる」
「ふふっ、ありがとう、大尉殿……」
にんまりと笑顔を浮かべるクロエに、ヒューバルトは鋭い瞳だけを向けると低い声で、釘を刺す。
「……クロエ。 お前が何を考えているかは知らん。 興味も無い。 だが、己の役割を果たす事は忘れるな。 お前はその為にここに居るということを、な」
冷徹に響く彼の声に、クロエはうっすらと笑みを浮かべる。
「忘れた事なんて一日だってない……わぁ。 私はここへ来たときから、何も変わっていない……私から全てを奪ったタタリギをこの手で蹂躙し、解き明かし、骨の髄まで利用してみせる……その為の協力は、惜しまないつもりよぉ」
彼女の声色――
表情こそ笑ってはいるものの、裏に隠すつもりなど毛頭ない無い怨嗟と悔恨――そして妄執。一言で言うならば狂気そのもの……その狂気は十数年経った今も色あせる事はない。
その狂気こそ、D.E.E.D.計画全ての始まりだった。
ヒューバルトが属するアガルタの"裏"が是として掲げる、人類の救済。
ヤドリギの進化、そして深過、タタリギの生態解明と、研究……。その目的へと飛躍的に近付けてくれた彼女の功績は、筆舌に尽くしがたい。
「……どうやら彼らの戦闘も佳境の様だ。 無傷でこそないが、マシラ……特異型を完全に捉えている」
「やっぱりD.E.E.D.は優秀……ねぇ。 式兵としての運用認可、申請してみたら? 大尉殿」
本気ではないと分かっている、その冗談めいた声にヒューバルトは「フン」と鼻で笑い、モニター上……斑鳩の牽制により態勢を崩したマシラの胴へと撃牙を叩き込むRの姿を凝視する。
明らかに、以前にも増して斑鳩たちと連携が取れている。部隊に最適化した、という事か……と、ヒューバルトは口元に沿えた手で顎を撫でる。
式神がその性能を出し切り、部隊に適正する。そしてY028部隊は知る中でも優秀な存在。その二つが合わされば、純種ほどでないにしろ、他の部隊にとって脅威的な存在である特異型と言えど、問題ではない。今回はそれが分かっただけでも良しとする……か。
――次の実証実験……一段階前倒しに、踏み込んでみるのもいいかもしれん。
「戦闘そのものは平凡なものねえ。 あと数分もしないうちに撃破しそうねぇ、これ。 せめて特異型の遺体の断片でも回収出来るといいのだけど……私はこのあたりで失礼するわぁ、ちょっとやりたい事が出来ちゃったから……」
「……いや、待てクロエ」
目に見えている戦闘の結果にはさして興味はない、とばかりにため息を付き背筋を伸ばす彼女を横目に、ヒューバルトは幾重にも映る視界に違和感を覚えると、顎を撫でる手を止め、僅かに椅子から身体を浮かす。
「……どうしたの、大尉殿?」
クロエの言葉にヒューバルトは無言でコンソール上で手を動かし、戦闘が行われている食糧庫の外を哨戒する木兎の一機――それが捉える映像を確認すると、うっすら冷ややかな笑みを浮かべ、クロエへとその視線を向ける。
「……どうやらクロエ、これは思いがけぬいいデータが得られるかもしれんな……フフ」
「……あら、これは……」
彼が白い手袋に包まれた指を向ける先――
ローレッタが操る木兎の一機は、中央区画の隅を食糧庫へと向けて駆け奔る、新たな黒い影を捉えていた――。
……――第9話 進むは深く、示すは真価 (5)へと続く。