第9話 進むは深く、示すは真価 (4)
未知のタタリギ、マシラ討伐に第14A.R.K.へと向かう斑鳩たち。
―その道中で、彼らはかつての仲間の遺体を発見する。
タタリギに堕ちている可能性を考慮し、斑鳩とギル、そしてアールは警戒しながら亡骸へと近づくのだった。
「……周囲にタタリギの気配は、無いな」
先頭を歩いていた斑鳩は、警戒を崩さず後ろを振り返る。
振り返った視線の先――
装甲車の運転席に座するローレッタは機器の隙間から親指を立て、装甲車の上部甲板に身を乗り出し銃を構える詩絵莉もまた、彼に向って大きく頷いた。
斑鳩はそれを確認すると、左右を固めるギルとアールに頷き、螺旋撃牙の装填を一瞬確認すると、第14A.R.K.へと続く道の中央、血だまりの中に倒れたままピクリとも動かない同胞の脇へと膝を着いた。
「よく、ここまで歩いてこれたな……」
横たわる亡骸の酷い有様に眉をひそめると、僅かに視線だけを第14A.R.K.の方へと向ける。
荒れた道に点々と描かれた血痕の標に、思わず深いため息が漏れる。地面に染みる血液から見て、この隊員が事切れてからそう時間は経っていないだろう。
「深過……は、しなかったみてえだが…………どうする、イカルガ」
周囲を警戒しつつ落とす視線。
ギルまた、惨たらしく果てた仲間の亡骸を捉えると唇を強く噛みしめる。同時に装填したままの螺旋撃牙を僅かに上げるギルに、アールはそれを制するように静かに首を振った。
「……ギル、だいじょうぶ。 このヒトは、だいじょうぶだよ」
アールが発した静かな言葉に、斑鳩も小さく頷く。
深過し、タタリギへと堕ちない為の、撃牙によるとどめ――。
一見、起き上がるはずもない亡骸が深過を経て、討つべき敵として蘇る……それはある意味、彼らヤドリギにとって何よりも恐ろしい事だ。
ギルは僅かに掲げた撃牙を静かに下ろすと、横たわる亡骸を一瞥し、周囲を警戒するようにそれに背を向けた。
何度目にしても、直接関わりが無い者であったとしても、共にタタリギに立ち向かった仲間だった者の無残な最期を目にするのには、やはり慣れるものではない。
「ローレッタ、本部に連絡してくれ。 腕章を見るに回収班の隊員だろう……彼の回収を要請しておこう」
『……わかった、タイチョー。 ……本部、応答願います。 こちらY028部隊――』
斑鳩の言葉に、すぐさまローレッタは本部へと入電を開始する。
それを聞きながら、斑鳩は横たわり変わり果てた者の傷にどこか違和感を覚えた。首を少し傾げると、すぐにその違和感を確かめるように傷口を覗き込み確認し始める。
「斑鳩、このヒトの傷……」
「アールも気付いたか」
同じ違和感を感じ取っていたのか傍らに立つアールもまた、厳しい表情を浮かべながらその亡骸を見下ろしていた。
「こんな傷は、あまりお目にかかった事がないな……なんだ?」
言いながら、斑鳩はさらに眉間にシワを寄せる。
タタリギを相手にした場合、最も負う事が多い傷は"打撃よる損傷"である。
例えば、丙型や丁型……ヒト型タタリギからの力任せの殴打。
兵装を効果的に操る事が無いそれらのタタリギの主な攻撃手段は、自らの守りなど一切省みない、腕や脚を使った強靭な打撃、または装着した兵装――いわば、鉄塊として扱う如く、撃牙による叩きつけである。
乙型などの兵器寄生型のタタリギが相手であれば、搭載した兵器を手足の様に使用するその特性から、銃創を負う場合も当然ある。だが、兵器寄生型のタタリギはその移動すら脅威であり、単純な体当たりであっても致命傷足りえる。また深度が深まったものであれば、タタリギ"そのもの"でもある黒い触手の様な蔦根による殴打や捕縛が例に上がる。
だが、今目の前に横たわる身体は、打撃による内出血が認められるものの……
「この裂傷……まるで……そう、噛み千切られたような……」
そう、銃創でもなく、斬撃による傷などでもない。
規則正しく――と言うには語弊はあるものの、一定間隔で並ぶ小さく、深く身体に刻まれた様な裂傷。それを背中越しに確認すると、ギルはさらに表情を曇らせ毒づいた。
「ったく、今思い返してもゾッとするぜ……確かに、こりゃあ俺とシエリが純種のヤロウに噛まれた傷に近いな。 ……イカルガ」
「……ああ」
正体不明のタタリギ――マシラ。あの写真の不気味な姿が、斑鳩の脳裏に浮かぶ。
思えば、僅かな光に照らされた口元には牙が覗いていた。
「マシラに受けた傷……か」
「噛むタタリギ、なんてのはアレが初めてだったぜ。 やっぱり、マシラは純種……なんじゃねえのか?」
ギルの言葉に、斑鳩はもう一度深くため息を吐く。
あの純種との戦いから数日。
その数日の間――覚悟を確かなものにするべく自らを奮い立たせていた。純種戦での自分との決別を、そして反面抱く仲間との絆と、アールを護るという意志を胸に。
――もしマシラが、あの凄まじい強さを持つ純種と同等の脅威だとしたら……俺は、今度こそ戦い抜く事が出来るだろうか。
決意と覚悟は腹に決めたつもりだった。だが、この作戦で討つべき存在は、あの純種との戦いに近いものになるかもしれない。前情報も無く、蓄えた知識も役に立たないかもしれない……まるで未知の相手。
だが、自分と共に在った仲間たちは、ずっと……そうだったのかもしれない。
それでも、彼らは自分が立てた作戦を疑わず、信じて戦ってくれてきた。
ギルに詩絵莉、ローレッタ、そしてアール。
……彼らは、きっと自分よりも、強いのだ。
……そう、ずっと。
しかし今、不安な思いはあれどその強い仲間たちと共に居る事に、斑鳩は感じた事の無い心強さを感じる。未知の相手を控えてなお、闘志は衰えたりはしない。
「……かもしれないな。 だが、俺たちなら大丈夫だ。 ……そうだろ?」
立ち上がる斑鳩に浮かぶ覚悟を秘めた表情に、ギルはク、と口角を上げる。
「……ああ、お前が大丈夫っつうんなんならよ。 大丈夫に決まってんだろ」
何を言い出すのか、と言わんばかりに彼の言葉に頷くと、ギルは「なあ」とアールに視線を向ける。
だがその視界に彼女の姿が写らない。一瞬疑問の表情を浮かべるが、すぐにギルは彼女が亡骸の傍にしゃがみ込んでいる事に気付く。
「……斑鳩。 このヒトは、おうちに……帰りたかったんだね」
彼女は言いながら、横たわる亡骸の手に白く小さなその手をそっと重ねる。
「……ああ。 そう……かもしれないな」
「――暁! ロールが本部との連絡終わったって。 すぐに遺体回収に動いてくれるみたい。 これを彼に――ギル」
アールの傍らにしゃがみ込み、肩越しに振り返り頷く斑鳩へと詩絵莉は声を投げると、マスケット銃を抱えたまま、片手に持つ袋を装甲車の上からギルへと身を乗り出して手渡した。
「本部から回収班が到着するまで1時間はある……あたしたちじゃ回収してあげれない。 せめて、これを掛けてあげて」
「……ああ」
詩絵莉が手渡したのは、第13A.R.K.の部隊章が縫い込まれた薄手のブランケットが収納された袋だった。ギルは手早くそれを袋から抜き取ると、立ち上がった斑鳩と共にそれを広げる。
「……アール、いいか?」
斑鳩はギルと広げたブランケットを亡骸に被せようと、未だ横たわる彼に手を重ねるアールに声を掛けたとき、彼女の異変に気付く。
「……う」
「……!?」
明らかに顔色を悪くし、ぺたん、と後ろに尻もちを着くように腰を下ろすアール。
その様子に斑鳩とギルはすぐに互いに頷き合うと、ギルは斑鳩の手から布を引き抜き手早く亡骸へ掛け、斑鳩は地面に膝を着くとアールの背中を抱え支えるように左手で抱える。
「……大丈夫か? どうした?」
斑鳩に支えられたアールは、眉間にしわを寄せたまま閉じていた目をうっすらと開くと、ギルが丁寧に掛けたブランケット越しの亡骸を険しい表情で見つめていた。
「……わから、ない……でも急に、何……かが……」
やや虚ろな目でそう呟くと、自らが斑鳩に抱えられている事に気付いたのか、慌てて彼の腕を支えにして身を起こす。
「……も、もう……平気だから」
「本当か……? やっぱりお前、どこか……」
膝を着いたまま、心配そうに見上げる斑鳩の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返すアール。
あの夜とは違う、まっすぐこちらを見つめ返す紅い瞳に、斑鳩は何かを言い掛けたが、すぐに口をつぐんだ。
「……ごめん……ちょっと……ううん。 うん、もう本当に、平気だよ」
対するアールも、何かを言い掛けようとしたようだったが、自分でもどう表現したらいいのか――という表情を一瞬見せると、彼女はふるふると小さく首を横に振り、制服の裾についた土を払い落とす。
――アール。 やはりあの夜は……いや、今はよそう……。
『タイチョー、14A.R.K.までの距離は約500mくらいだけど……どうする? このまま、行く?』
再び湧き上がる疑念を振り払う様に立ち上がる斑鳩の耳に、インカム越しにローレッタの声が響く。斑鳩は大きく頷くと、遠方――緩やかな坂を下った先に見える14A.R.K.に視線を向けた。
「ああ、このまま行こう。 ……彼の事は、回収班に任せよう」
『了解、タイチョー。 一応木兎での上空からの探索もしてるけど、物陰には十分気を付けて。 シェリーちゃん、14A.R.K.方面で何か見つかったら教えてね。 ……あ、フリフリも後方確認お願いだよ』
ローレッタの声に詩絵莉は斑鳩と頷き合うと、装甲車の上でマスケット銃を構え直し、照準越しに14A.R.K.へと身体を向ける。
『――えっと……こうか。 ――わ、わかっ……いや、了解だ、後方は異常無しだよ』
同時に聞こえてきたフリッツのたどたどしい通信に、斑鳩たちは少し驚く。恐らくローレッタが出撃後にインカムの予備を彼に渡したのだろう。
「フリッツ、助かる。 だが無理はするなよ」
『ああ、分かってる。 皆の作戦の邪魔はしない……けど、現地に入ったら僕はローレッタの横でモニターするよ。 何か兵装の事や、設備の事で聞きたいことがあったら遠慮なく聞いてくれ』
「了解だ」
やや緊張を纏うフリッツの声。
ヤドリギでない者が作戦に同行する――それは、並大抵の覚悟では無し得ないだろう。
だが、彼もまた戦っているのだ。部隊を内側から支える者として、Y028部隊の一員として。
斑鳩はもう一度ブランケットが掛けられた亡骸に目を落とすと、黙祷するように一瞬瞳を閉じて唇を噛みしめる。この物言わぬ彼もまた、自分たちと同じように誰かと支え合い、誰かにとってかけがえのない存在だったことだろう。
「――よし。 ……往こう、みんな」
静かに瞳を開くと、斑鳩は今一度胸に灯った覚悟を確かめるように、ゆっくりとその足を前へと送り出すのだった。
◆
◆◇◆
◆◇◆◇
斑鳩たちY028部隊が侵攻を再開してから、約40分。
短い距離とはいえ、警戒を敷いての前進は思った以上に時間を取られる事となった。
あの遺体の場所から、幸いタタリギの襲撃は無く――無事に第14A.R.K.に到達したY028部隊だったが、度重なる戦闘により荒れ果てたA.R.K.の入り口で、思わずあっけに取られていた。
第14A.R.K.は、斑鳩たちが拠点とする第13A.R.K.よりその規模は小さい。
そもそも当てられた数字から見ても分かる様に13A.R.K.より以降に建設された場所である。やや13A.R.K.よりもアガルタから離れた場所に位置するものの、本来この場所はタタリギによる被害が比較的少ない地域だった。
ここが建設された目的は、鉱物資源の獲得や、万能ナッツの種子などの栽培――言わば生産拠点の一つとして、近隣の拠点を潤してきた。そのため重要施設には違いなく、最前線とされる13A.R.K.程ではないにせよ、比較的護衛の為の兵力は揃っていた。
だが、今や無防備にもタタリギの侵攻を防ぐためにある13A.R.K.と変わらぬ防壁に設けられた扉は残骸として外側に向けて開け放たれている。
A.R.K.ひとつが丸々全滅……その原因は不明という、まさに前代未聞の事態。
――最後にこの場所と連絡が取れたのはおおよそ半月前。
いつもと何ら変わらないA.R.K.間の定時連絡が突然途切れたことを不審に思ったヴィルドレッドが、数日後に安否確認の為に派遣した13A.R.K.の部隊員が目にしたもの――。
それは、分厚い外部扉を今にも打ち破らんとする大型タタリギと、大量の丙型・丁型タタリギが溢れた世にも恐ろしい光景だったと言う。
斑鳩たちがアールと出会い、南東方面攻略に当たったあの時から継続してこの場所で戦闘が行われてきたのだ。
――地面をところどころ染める黒い染みは、血痕か、はたまた別の"何か"か。
幾度となくヤドリギたちが……相対する丙型・丁型タタリギたちが踏み鳴らした地面には、無数の染みと足跡、打ち捨てられた薬莢や軍備品――戦いの痕跡が、ありありとこの入口に見てとれた。
「……ひでえ有様だな、こりゃあ」
「うん……」
思わずギルは警戒も忘れて当たりを見渡す。
アールも初めて目の当たりにする光景に、どこか悲痛そうに眼を細めていた。
「よっ、と……。 私は遠目から見てたけど、ホントに想像以上……ね」
装甲車の上からひらり、と身を翻し着地した詩絵莉は斑鳩の傍に歩み寄る。
同時に開いた大きな扉があった空間の向こうに見える景色に眼を凝らすと、彼女はますます眉間にシワを寄せてみせる。
「……暁」
だが、反面やる気満々、といった面持ちで傍らに立つ彼女に頼もしさを感じながら、斑鳩は腰に備えたバックパックから第14A.R.K.の見取り図を取り出す。
「ああ。 今回の任務は通常作戦規定に沿ったものだ。 万が一マシラを発見出来なかった場合でも、日没までには帰投する……ローレッタ」
『おーけー、目標の"マシラ"が発見された食糧貯蔵庫はそう遠くないよ。 入口、エリアF2区画から侵入の後、E2、E2の比較的広い通路を進行……目的の場所はD2区画。 交戦が無ければ10分で到達出来ると思う』
ローレッタの細い指が、キーボードの上で軽やか跳ねる。
モニターの一枚に表示された斑鳩が手にした見取り図と同じデータを見ながら、ミッションレポートにある資料と照らし合わせながら経路を確認する。
装甲車の前方では、インカムから聞こえるローレッタの説明に、詩絵莉、ギル、そしてアールは斑鳩の手元の地図を覗き込んだ。
「……要はこのA.R.K.のメインストリートを進めばいいってわけだな」
「幸い見通しは良さそうだな。 丙型や丁型……乙型の掃討はほぼ終了したとあるが、ここに来るまでと同じく警戒態勢を維持して向かおう。 ……詩絵莉」
斑鳩は見取り図を片手にギルの言葉に頷きながら顔を上げ、詩絵莉の名を呼ぶ。
彼女はその視線に頷くと、背にした"新兵器"を取り出し頑丈そうな骨組みを手際よく組み立てていく。
「……分かってる、暁たちの後方、少し距離を取って追従するわ。 ロールと一緒にね」
組立終わった機構を自らが手にしたマスケット銃の下部へと装着すると、詩絵莉は頭上にホバリングしたままの木兎を見上げながら、ぴ、と親指を立ててみせる。
それに応える様に、左右にローターを振ってみせる木兎の動きにくすり、と笑うと、左手に装着したグラウンド・アンカーの矢じりを組み立てた機構部分へと直結させてゆく。
「詩絵莉……それは、なに?」
「ふっふーん、凄いでしょ?」
全く目にした事のないその兵装の形状に驚く様に、詩絵莉が手にした"魔法の翼"――ウィング・オブ・ワルキューレ、通称"飛牙"をアールはまじまじと覗き込む。
いつものマスケット銃の上部に装着されたそれは、その名の通りまるで左右に翼を広げた様にも見える。その両端から張られた強靭そうな弦の中央にある金具に、左手のアンカーが装着されていた。
「な……なんだそりゃ?」
アールと同じく驚き覗き込むギルに、詩絵莉はどこか得意気に笑ってみせる。
「この弦……撃牙の装填にも使われてるものらしいわ。 私の力じゃ引けないから、アンカーの巻き取る力を利用して装填するの。 こうして……ね」
――ギュイイイイ……ィンッ ……ガチンッ!
言いながらグラウンド・アンカーのトリガーを握り込むと、同時にたわんでいたワイヤーが一気に引き絞られ、左右の翼の先端に繋がる弦がギリギリギリと小さな音を立て一気に張り詰める。その様子に、さらに目を丸くするアールの傍ら、ギルは目を大きく見開くと「なるほど!」と手を打ち鳴らした。
「ああこりゃ、昔何かの資料で観たな……もしかして、クロスボウってやつか……!」
『ご明察、ギル! ……飛牙は、軽量化した大型クロスボウなんだ。 アンカーの力を借りれば、式隼の詩絵莉でも装填出来る。 派手な射撃音もないし、ワイヤーで繋がれた特殊な弾頭を射出すれば……』
「はいはい、フリッツ! 説明はそ・こ・ま・で! あとは実戦で披露するわ。 ……ごめん暁、話に水差しちゃって」
ギルの声に嬉々として通信で割り込んできたフリッツを諫めると、謝る詩絵莉に斑鳩は「いや、構わないさ」と僅かに苦笑を浮かべる。
「……とにかく侵攻する陣形は通常の市街地戦通り、だ。 装甲車は作戦領域外周、つまりこの場所で待機……何か異変があった場合の判断は、ローレッタ……今回はお前に任せたい」
『えっ……私?』
説明しきれなかった事にやや悲しそうに俯く助手席のフリッツの横、HMディスプレイを装着しようとしていたローレッタは斑鳩の言葉に思わずきょとん、とした表情を浮かべてその動きを止めた。
『なにぶん今回は不確定要素が強い任務だ。 ……俺もまともな判断が出来ない場合もあるかもしれない……だからローレッタ。 ここからは式梟のお前に、今作戦の指揮を預けたいんだ。 ……頼まれてくれるか?』
――タイチョー……。
斑鳩の言葉にローレッタは、純種戦で観た彼の背中が脳裏に過る。
そう、アダプター2で、アールの言葉を前に……力無くうなだれていた――彼。
私をこの部隊へと、仲間へと導いてくれた……聡明で、冷静で、強くて、優しくて。
幾度となくモニター越しに観てきた、戦場を駆けていた彼の背中――だけどあの時……その背中は痛々しい程に、弱く観えて。
あの時の事を思い出すと、胸の奥がぎゅう、と強く締め付けられる。
私の……私たちの隊長は、13A.R.K.で受けている高い評価が物語るような、突出した特別な式兵ではないのかもしれない。
本当はとても繊細で……弱くて……。
それでもなお、私たちの隊長を演じてくれていたのかもしれないと思うと、あの時初めて観せた彼のあの背中を想う度、心の奥が痛む。
今や特殊な存在でもあるY028部隊を若くしてまとめ上げ、示した成績は確かに彼の手腕によるものは大きい。けれど、隊長は世間の評価通りの、決して"特別な存在"なんかじゃない。
ギル、詩絵莉、フリッツ……そしてアールと、なんら変わらない――そう……私にとっての、ただの"特別な仲間"なんだ、と。
『……むふん。 あい分かった、タイチョー! このローレッタちゃんにまっかせなさい!』
「……ああ、頼む」
一瞬の間。
ローレッタはにっこりと笑顔を浮かべ装甲車の狭い窓越しにこちらを見上げる斑鳩に親指を立てると、勢いよくディスプレイを頭に被る。
斑鳩はそれを見届けると、手にした見取り図を折り畳み背中のバックパックへと捩じり込むと、一度……静かに瞳を閉じ、大きく深呼吸をする。
僅かに鼻をくすぐる異臭と、舞う土煙と、硝煙と機械油の匂い。
アダプター2での自分は、もうここには居ない。
今ここに立つ自分は、あの戦いを越え、過去の自分と決別した自分……だ。
瞳を開くと、ちらり、とアールに視線を送る。
彼女もまた、どこか意を決した様な視線をこちらに向け、静かに……小さく、強く頷いてみせる。
斑鳩はその瞳に応える様に同じく小さく頷き返すと、インカムにそっと手を添えた。
「ローレッタ。 こちらは準備完了だ」
静かな斑鳩の声に、インカムの向こう――
装甲車の中のローレッタは各種計器を起動し確認すると、凛とした声で応える。
『――式梟、了解! 現時刻を以て作戦行動を開始してください。 ……皆、くれぐれも無事で!』
「「「「了解」」」」
斑鳩、ギル、詩絵莉――そしてアール。
彼らはローレッタの声を皮切りに、眼前に広がる荒れ果てた第14A.R.K.へと。
未知のタタリギ……"マシラ"の元へといよいよその足を、踏み出すのだった。
…………――――第9話 進むは深く、示すは真価 (5)へと続く。