第9話 進むは深く、示すは真価 (1)
斑鳩たちはアールに貰った命を。
アールは斑鳩たちに感じる居場所…そしてその身に起こる"異変"を胸に秘め。
Y028部隊はそれぞれ覚悟を新たに、指令室へと、その足を踏み入れる。
「斑鳩隊……お久しぶりですね」
入室の口上を終え、指令室の扉を潜った先。
作戦地図が広げられた広い机の脇、そこには司令補佐を務める中年の女性――ヴィッダが一人、斑鳩たちを出迎えた。彼女は僅かに表情を緩めると五人それぞれの顔を確認する様に見渡し、そのまま目線を上げ、壁に掛けられた時計へと向ける。
「……司令代行と局長も、もう直ぐお見えになられます」
「了解です」
斑鳩は頷きながらも、小さな疑問が頭をよぎった。
今まで作戦会議を行う際、ミルワード司令代行とヴィッダは必ず二人、この指令室で待機していた。当然ながら、事前の打ち合わせや確認、各方面への通達など、任務通達前の準備として実動隊以外に対する業務を行う為だ。
しかし不思議な事に今、目の前には彼女のみ。ミルワード司令代行の姿は見えない。
「……珍しいね、代行が後から来るなんて?」
斑鳩の後ろで同じ疑問を感じたローレッタが首を傾げる。
その言葉を耳にしたヴィッダは、斑鳩たちに振り返ると小さく頷く。
「各部署への通達は、今回作戦会議の後に予定しています。 ……少々、些事がありまして」
「……何か、逼迫した事態でも?」
不安そう――と言うよりは、どこか不測の事態に対して警戒を強める様な表情を浮かべながら口を挟んだ詩絵莉に、ヴィッダはゆっくりと首を横に振ってみせると、それでもどう伝えたものか、と悩むように首を捻ってみせる。
作戦会議の都度、顔を合わせていた間柄とはいえ今までミルワードの補佐を務める彼女と直接言葉を交わす機会が皆無だった斑鳩たちは、彼女のしぐさや表情を初めて垣間見る。
「いいえ、そういう訳では……いえ、現作戦の状況を差し置いてこの言い方は語弊がありますが……」
ううん、と悩みながら捻った首を逆に傾げようとしたその時、斑鳩たちの背後で静かに扉が開く音が室内へと響く。
「――すまなかった、少々遅れてしまったな」
皆が振り返ると、まず現れたのはヴィルドレッド局長。
いつもながら整えられた髭を撫でながら作戦机に向かいつつ斑鳩たちの顔を見渡すと、遅れた事を詫びるように真剣な表情で小さく頭を下げる。
そして、その彼の後に続くのは、ミルワード司令代行――ではなかった。
「……いやあ。 皆さん遅れてしまって申し訳ありませんね。 なにぶん、13A.R.K.は数年ぶりで、道に迷ってしまって……ははは」
ややウェーブ掛かった金色に近い薄い茶髪をツーブロック……きっちり7:3に分けた、初めて見る男性。年の頃は、30代後半……と、言ったところだろうか。
纏う制服はどこか良く言えばアンティーク感……いや、どこかくたびれた様な、管理職に配給される制服に袖を通してはいるものの、着ている、というよりは着られている、というようなイメージが強く感じられる。
斑鳩たちに礼儀正しく一礼を送るその男に、彼らも思わずつられて頭を垂れる。
「――さて、こうしてY028部隊……斑鳩、君ら全員の顔を再びこうして見る事が出来た事をまずは喜ぼう。 ギルバート、そして泉妻。 アダプター2での激務に続いての修繕任務、ご苦労だった。 そして突然の帰投に応じてくれて、感謝する」
状況が呑み込めないままではあったが、ヴィルドレッドの言葉に一同は背筋を伸ばし敬礼の姿勢を取る。
ヴィルドレッドの横で7:3男は、その様子をどこか懐かしむ様に眼を細くしながら眺めていた。
「ヴィッダ、彼らに説明は……?」
「いえ、申し訳ありません。 どこから伝えればいいものか……と」
この作戦司令室、加えて任務通達の際、入室出来る人物は通常ならば限られている。
見慣れぬ男に戸惑う斑鳩たちに、ヴィルドレッドはヴィッダの言葉に「そうだったか」と髭を触りながら申し訳なさそうな表情を浮かべると、傍らに立つ7:3男の背中をどん、と叩いてみせる。
「いや、済まなかったな……紹介が遅れた。 この男はキース……本日付けで、ミル……いや、ラティーシャの代わりにこの第13A.R.K.司令代行を務める事になった……これが赴任して初の任務となる。 宜しくしてやってくれ」
『……!?』
ヴィルドレッドの言葉に、斑鳩たち一同は目を見開いて驚く。
その反応を見るや否や、キースと呼ばれた男は少し困ったような表情を浮かべると、否定する様に目の前でぱたぱた、と手を振ってみせる。
「ああ、いや、司令代行と言うのは、どうだろう……ラティーシャの一時的な代わりなわけだからなあ。 司令代行代行……になるのかな? はは、なんだかややこしいねえ」
驚く一同をよそに、キースはどこ吹く風といったように笑うと、一歩前に出ると斑鳩へと右手を差し出した。
「ともあれ宜しく、斑鳩隊長……紹介に預かったキース・ミルワードだ。 ここへ来る前は第11A.R.K.で民間居住区の苦情受付を担当していたんだ、まあその、お手柔らかに頼むさ」
「は、はあ……よ、宜しくお願いします、キース・ミルワード、代……行……?」
温和な表情を浮かべる彼から差し出された手を握り返しながら、斑鳩はふと名前に違和感を覚える。
それは、斑鳩の後ろ――皆もキースが口にしたファーストネームに「……ん?」と疑問の表情を浮かべる。
「……失礼、キース司令代行。 今、なんと……」
「ん? あれれ、聞いてなかった? ……まったくヴィルドレッド局長も、相変わらずお人が悪い」
キースはあっけに取られる彼らに少し困った様な表情を浮かべながら、斑鳩との手を解くとヴィルドレッドを振り返る。
だが、既にヴィルドレッドはこちらには関せず、といった風に作戦資料を手にヴィッダと真剣な面持ちを浮かべ小声でやり取りをしていた。その様子にやや肩を竦めると、改めて斑鳩たちへとその顔を向ける。
「キース・ミルワード。 一応、ラティーシャとは夫婦なんだ」
・・・・・・。
"夫婦"。
彼が発したまさかの言葉に、斑鳩を始めギル、詩絵莉、ローレッタは驚愕の表情を浮かべたまま固まってしまった。
斑鳩の隣で、唯一アールが一拍遅れて、「……ふうふ?」と首を傾げる。
「な……ミ、ミルワード司令代行の……お、夫……!?」
「代行、結婚……してたのかッ!?」
「えっ、えっ……夫婦……!? あのミルワード司令が……え、ウッソ!?」
「そんな……仕事一筋って感じの、あのカッコいい代行が……えぇ……えぇ……!?」
斑鳩は目を見開き。ギルは開いた口が塞がらないと言った表情で、詩絵莉は信じられないと口元を手で覆いながら、ローレッタは何故か失望するように頭を抱え。アールの言葉に弾かれる様にそれぞれ驚愕を口にする彼らのその騒ぐ様子を手にした資料越しに眺めると、ヴィルドレッドは「ふうぅ……」と眉間を抑えため息をついてみせる。
「……な、言っただろう、こうなると。 だからお前たち、少しは夫婦の時間を持てとあれ程……」
「そ、そんなに驚かれるとは……。 ラティは余程、隙の無い良い司令代行を勤めている、という事かな……」
ヴィルドレッドはじと目でキースをぎろり、と睨む。
その視線にキースは気まずそうに瞳を逸らすと、たらり、と冷や汗ひとつ。
「ね! ロール、アール! 聞いた!? ラティ、だって!」
「き、聞いたぁ……聞いちゃったぁ……」
「……ふうふ?」
キースが口にしたラティという愛称に、詩絵莉は「ひゃー」と小さく叫ぶと、ローレッタとアールの肩を抱く。その様子に見かねたか、ヴィッダは一歩前に出ると、たん、と作戦机を右手で叩き鳴らす。
「……こほん。 皆さん、騒ぎもそのあたりで。 ここは作戦会議室……ミルワード司令代行がここに居たら、激を飛ばされていますよ」
「た、確かに……申し訳ありません、少し……驚いてしまい」
斑鳩はどこかミルワード……ラティーシャ司令代行の迫力を彼女に感じると、右手で皆を制し思わず背筋を伸ばす。
その様子に、ヴィッダは「……気持ちはわかりますが」と苦笑してみせる。
ヴィルドレッドは彼女の一喝に思わずにやり、と口角を上げると、ヴィッダの肩に手を添えた。
「その胆力。 代行は君でも良かったかもしれんな、ヴィッダ」
「……ヴィルドレッド局長も止めて下さい、私はあくまで司令代行補佐……彼女の代わりなど、とても務まりませんよ」
「なに、ラティーシャが君を頼っていた理由も分かるというものだ」
少し困ったように眉をひそめる彼女に、ヴィルドレッドは小さく笑ってみせると、一転、変わってその表情を引き締める。
「……ラティーシャ・ミルワード司令代行は、先日昇進試験を受ける為に第1A.R.K.へ出向した。 彼……キースはその代わり、という訳だ」
「……!!」
改めて斑鳩たちに向き直り口にしたその台詞に、斑鳩は眉間に力を籠めるように表情に強張らせる。
このタイミングで、彼女が昇進試験を受けるために内地……それも、第1A.R.K.へ向けて発った……それが意味する事は、ひとつだ。
――司令代行からの昇進試験……という事は、局長を務める資格を得る為……となると、アガルタにも……
確かに現在アダプター2を奪還し、不測の事態が発生したとは言え当初の予定ならば全滅した14A.R.K.の奪還も視野に入っている時期……。加えて彼女は、誰が見ても優秀な戦歴と、前線基地における指揮経験とそれに伴う能力を持っている。新たに局長の資格を、と言うのは妥当な話だ。
だが、その真意は――そこではないのだろう。
ヴィルドレッドは斑鳩の意図を孕んだ視線を真っ直ぐ受け止めると、僅かに頷いてみせる。
――それが、局長たちが打った手……か……
理由こそ妥当で、正当性はある。
だが、アガルタの暗部がその腹に一物を抱えているのは明白だ。式神……D.E.E.D.……彼の地を探るという手としては、安全な手とは言い難いだろう。
……いや、むしろ危険の方が大きい。彼女はこの前線基地において局長の右腕と称してもいい人物。この出向、アガルタが警戒しない訳はない……。
彼の地を探るにはこれより良い手を早急に打つ事は出来ないと分かっていても、ラティーシャ、ひいては局長に対して、逆手を打たれるのでは、と考え込む斑鳩に、その思惑を推し量ったかの様にヴィルドレッドは「心配するな」と言わんばかりに大きく頷いてみせた。
「ラティーシャは自らの責務を必ず果たし、戻ってくる。 ……いいな、斑鳩」
「……はい。 そう……ですか…そう、ですね。 ……あの人なら、必ず」
既に打たれた手だ。今更ここでその危険性を説く意味はない。それにこのヴィルドレッド局長と、彼女……ラティーシャ・ミルワードが互いに納得し打った手でもある。今はそれをただ、信じるしかない。
斑鳩は返事から遅れたものの、ヴィルドレッドの瞳を真っ直ぐ見つめたまま大きく頷き応える。
「ところで、その……さっき、ええと……」
口を挟み辛い空気の中、ローレッタがおずおずとキースに視線を向け、口ごもりながら右手を小さく挙げた。そんな彼女に、彼は変わらず柔らかい笑顔を浮かべたまま頬をぽりぽりと右手でかいてみせると、気さくに答える。
「キース……で構わないよ、式梟、木佐貫・ローレッタ・オニールさん。 ミルワード司令代行では呼びにくいだろう?」
「は、はぁ……じゃなくて! はい、ありがとうございます。 ……ええとでは、失礼ながらキース司令代行は、前任は民間居住区の苦情受付、だったとか……」
どう聞いたものかと、戸惑いながらも距離感を計る自らのフルネームを初対面ながら淀みなく呼ばれた事に一瞬驚きの表情を浮かべたローレッタの横で、ギルはぽん、と左の掌を拳で叩いてみせる。
「! そ、そうそれだ! そんな前線と関係ねえような役所勤めが、なんで司令代行なんぞを……いってえ!」
「…上官に対して! このバカ!!」
思わず口を付いて出た、と言った風なギルの言葉に、すかさず詩絵莉が後ろから諫める小声と同時、ギルの脇腹へと鋭く拳を叩き込む。
「はっ……い、いや、つい……」
詩絵莉は「まったく!」と嗜めながら、ちらり、とキースを横目で視界に入れる。
ギルの失言に、前任はどうあれ現在は上官である彼。眉の一つでもしかめるか、と思ったが、そんなそぶりは全く見せない。むしろ、こちらの反応を楽しんでいるような表情を浮かべているようにすら見える。
―ギルが思わずああ言ってしまうのもわかる……司令代行としての迫力、みたいなもの、一切感じないんだもの……
僅かに首を傾げる詩絵莉の横で、アールが僅かに目を細めた。
「……見て。 あのヒトの、胸のところ」
脇腹をしかめっ面で押さえ批難の目を詩絵莉に向けるギルに、アールは微動だにせず言葉を口にする。
その彼女の視線を皆が追うと、彼の胸元――銀色のチェーンで繋がれた、簡素ながらも階級を現す小さなピンが、きらりと光っていた。
「あれ、前の司令と同じもの……だよね」
「そうだ。 この男はこう見えて、司令代行を勤める資格を持っている。 不安に思う気持ちは分からんでもないが、これはこれで、優秀な男だ。 ラティーシャが迷わず自らの後釜に推挙したと言えば、皆にも分かって貰えるか」
「……ミルワード司令代行が、自ら」
アールの言葉に、大きくヴィルドレッドは頷きそう口にした台詞に、斑鳩はなるほど、と考え込むように口元に手をやる。
「しかしラティーシャの推挙、そして資格を有しているとは言え、年単位で前線から離れていたのも事実だ。 今回私が作戦会議に同席する理由……今作戦、皆と直接情報を共有しておきたいという点に加えて、これの目付け役でもある。 もっとも、これもラティーシャからの言付けだがね」
ふふ、と、不敵な笑みを浮かべるヴィルドレッドに、キースはやや困った様な表情を浮かべると、バツが悪そうにぽりぽりと頭を掻き、参ったなあ、と小さくため息をついた。
「……自分としても、前の職場は気に入ってたんですがねえ。 住民からの苦情受付も、中々どうして一筋縄じゃないかないという点では、前線に通じるものがあるなあ、なんて」
「苦情受付……ね……」
詩絵莉は彼の言葉に、ふと共感する様に小さく呟いた。
自らも暮らすコンテナハウスが並ぶ"積み木"……そこでも、皆が幸せに何の不満もなく暮らしているわけではない。とりわけ、些事に首を突っ込む彼女は、今まで数える程ではあるが休日などに住民同士や、住民とヤドリギたちとの言い争いを目撃し、都度、仲裁に入った事を思い出していた。
この箱舟――13A.R.K.は、最前線基地だ。
軍事関係以外の職に就き、暮らす……いわば一般人は他のA.R.K.に比べれば少ないだろう。
それでもその家族など、一定数存在するのは事実だ。その彼らが物資も潤沢でない、狭い場所で暮らせばおのずと不満が出る事もある。
だが13A.R.K.には人員の関係か、住民の苦情受付、といった部署は存在しない。
逆に暮らす住民は前線基地に身を置いているという覚悟を持つ者も多く、目立った争いもそうそう起きないからだ。……だが、ここより内地は違う。
詩絵莉は幼い頃暮らしていた、第6A.R.K.を思い出していた。
この第13A.R.K.よりも内地なだけあり物資は比較的揃っていたし、何より自らの生まれた家は、それなりに裕福だった。だが、思い返せば住民同士、加えてA.R.K.に勤める職員との小競り合いなどはここよりも多かった様に覚えている。
――平和……か。 皮肉ね、だからこそ住人同志で争う余力があるって事だもの。
詩絵莉が眼を細め眺める先で、キースは苦笑を浮かべながら変わらず柔らかい表情でヴィッダが用意し机の上に広げられた一枚の資料を手に取る。
「けれどまあ、ラティにああも真剣に言われたなら、仕方ない。 彼女が戻ってくるまでは、自分に出来る事はやらせて頂くつもりですよ。 さて……」
『……!』
資料を手にした彼の眼に、一同はその場の空気が一瞬にして変わるのを感じる。
表情こそ、変わらず温和なままだが――資料を見つめるその眼差しは、ひょうひょうとした言葉とは裏腹にラティーシャ司令代行に勝るとも劣らない、聡明さと、鋭さを湛えていた。
「……そろそろ作戦会議、始めましょうかねえ。 新種のタタリギ……か。 やれやれ、住民からの苦情よりも、幾分やっかいそうだなあ」
――何とも懐かしい。 ……再びこいつのこんな目を拝める日が来ようとはな。
ヴィルドレッドはゆっくりと両の腕を組むと、横目でキースを眺め、にやり、と笑ってみせるのだった。
……――進むは深く、示すは真価 (2)へと続く。