第9話 プロローグ
アダプター2、通信塔の復旧と同時に飛び込んで着た報せ――
新たに現れた、"純種の可能性がある正体不明のタタリギ"。
詩絵莉とギル、そしてフリッツの三名は復旧任務をマルセル達に託すと急ぎ、13A.R.K.へと帰投する。
久々に顔を合わせるY028部隊、彼らを待つ新たな任務を前に、一同は覚悟を胸に灯す。
「暁!」
第13A.R.K.、作戦指令室へと続く廊下――
壁に背を預け、口元に右手を添え考え込む様に佇む斑鳩に、詩絵莉は小走りに駆け寄りながら手を上げる。その声に気付くと、斑鳩は背で跳ねるように壁から離れると、彼女に向かって小さく頷いた。
「詩絵莉……ギル。 済まなかったな、帰投を急がせてしまって」
「何言ってンのよ、事が事じゃない。 ただまぁ、フリッツの運転は雑ね……。 帰り道、装甲車ブッ飛ばしてくれたのはありがたいんだけど、お尻が痛いってもんじゃなかったわ」
済まなそうに眉間にしわを寄せる斑鳩の二の腕を、詩絵莉は笑顔で気にするな、と言わんばかりに叩く。そして言葉尻、表情を曇らせやや大げさに肩を竦めてみせると、自らの臀部を軽くぽんぽん、と叩いて見せた。
それもそのはず。
普段ローレッタが運転する装甲車は、驚くほど揺れが少ない。それは、式梟の小さな特技……と言う程のものではないかもしれないが、荒れた路面、タイヤが通る道を計算、選択し、機微なハンドルさばきとアクセルワークで揺れを最小限に抑えている走行技術の賜物に他ならない。
今後のミーティング、そして作戦に少しでも疲れが出ないようにと帰路への運転を買って出たフリッツは、当然ながらそういった特技は持ち合わせていない。かつ、火急の事態とあって割とスピードを出したその車内……旧時代の名残、ある程度整地された道路とはいえ、多々荒れ崩れた路面がもたらす揺れは、かなりのものだった様だ。
続いて、後ろからは少し遅れて追い縋ったギルが歩み寄る。
「よぉ、イカルガ」
「ああ」
二人は手を挙げると、挨拶とばかりにパン、と勢い良く互いの手の平を併せる。
その光景に、詩絵莉は一瞬面白くないといった表情を浮かべると、臀部を撫でていた自らの右手へと眉をひそめて視線を落とす。
「……キサヌキとアールは?」
彼女の様子に気付く事なく、ギルは斑鳩越しに廊下の奥、指令室の扉の方へと視線を巡らせる。
「ローレッタはアールを呼びに、教授のラボに向っている。 もうじき――と、来たぞ」
「ごっめーん! みんな! 待った!?」
斑鳩の台詞が終わるや否や、通路の角から二つの影が現れた。
言わずもがな、ローレッタとアールの二人だ。彼女たちは足早にこちらに駆け寄ると、数日ぶりの再会となるギルと詩絵莉、それぞれと挨拶を交わす。
「アール、すっかり怪我の具合は良さそうだな、心配してたんだぜ!」
言いながら、ギルは久々の再開に喜ぶと、にんまりと口角を上げアールへとその顔を近づける。
「ち……ちかい……」
「ギルやん、距離感!!」
目を白黒させると、やや仰け反るように顔をそらすアール。傍らから見かねたローレッタが少し背伸びをしながらギルの頭をはたく。
まったく、と苦笑する詩絵莉も加わり談笑が咲くいつもの光景の外から、斑鳩はアールの横顔を見つめていた。
――あれから、アールに変わった様子はない。 本当に、ただ体調が悪かっただけなのか……いや……
あの夜。
彼女が珍しく……いや、初めて見せたと言っても過言でない、頑なな態度――
斑鳩は今朝がた、招集が掛かる前に峰雲教授に彼女の容体を聞いたが、特別診察などでは変わったところはない、と彼は問診票を片手にそう言った。しかしもっともこの第13A.R.K.の施設において、式神に対しての診察・検査がどこまで信憑性を持てるかは定かではない。
そもそも式神である彼女に対して、検査と呼べる行為にも至っていないのが現状だ。
勿論、峰雲――いや、ヴィルドレッド局長を含め、彼女の真の成り立ちを知るものからすれば、このA.R.K.の為にも精細な検査を行いたいのは必然である。しかしながら、ヒトの形こそしていれど一般的なヒトやヤドリギにとっての致命傷……いや、死を免れないであろう深手から快復せしめたその理外の身体に対する検査経験など、当然このA.R.K.に経験がある者は居ない。
式神に関する問診や、彼女の記憶を紐解くための精神的なケア、加えて体温や、瞳孔反応。
彼女を過度に追い詰めてしまわないように、今はゆっくりと、焦らず式神との間を縮めていく――そんな作業が、峰雲を以てしても関の山だった。
――今は、彼女がここに居て、また再び仲間として共に居れる……それがきっと、大事なんだ。
斑鳩にも逸る気持ちはある。
だが、今は一つずつでいい。自分に……自分たちに出来る事を、一つずつ。
そのために……仲間が居るんだ。
今までの様に全てを思考に組み込んで、想定し、まだ見えぬ『その先』へ至る道を視ようとする傲慢さとは、距離を置く…いや、止めだ。今は目の前の事を受け入れて、一歩ずつ……。
「……暁?」
考え込む斑鳩の顔を、詩絵莉がひょい、と覗き込む。
「あっ、ああ、すまない……」
「その顔。 また何か難しい事考えてたっぽいよ、うちの隊長サンは」
そういたずらっぽく笑いアールたちに振り返る詩絵莉に、斑鳩は静かに首を横に振った。
「……そうじゃない、逆さ」
「逆……?」
「ああ」
斑鳩は苦笑しながら、ふう、と息を漏らすと、ちらり、とその視線をアールへと向ける。
彼女はその視線に気付くと昨晩の斑鳩とのやり取りを思い出してか、少し気まずそうな表情を浮かべ、視線を僅かに外す。
「……そう言えば、フリッツはどうした?」
その言葉に詩絵莉とギルは互いに顔を見合わせると、やや不敵な笑み浮かべる。
腕を組みながら、ふふん、と、どこか得意気に詩絵莉は斑鳩に向き直ると、こほん、と咳払い一つ。眼鏡をクイと指で直す仕草と共に、フリッツの声色を真似てみせる。
「いつでも出撃出来る様に準備しておくのが今の僕の仕事……だそーよ」
「ブリーフィングの内容は、後で聞かせてくれとよ。 あいつ、ちっと顔付きが変わった気がするぜ」
ギルは詩絵莉の物まねにやれやれ、と肩を竦めながらもフリッツを頼もしく語る姿に、斑鳩の表情も僅かに緩む。
「そうか、確かに……そうだな。 その様子だと、心配は要らないみたいだ」
「フリッツも……頑張ってるんだね」
誰に言うでもなくふとアールがぽつりと呟いたその言葉に、斑鳩は彼女の横顔に小さく頷く。
そして振り返ると、通路の先に見える指令室の扉を見据えた。
「第一報時に併せて聞いたんだが、今回の作戦会議には局長も同席するらしい」
「局長が? あまりねえ話だな……相当なやっかいごとって事か……」
斑鳩はいぶかし気な表情を浮かべるギルへと視線を向ける。
「……かもしれないな。 何しろあの純種との遭遇からそう日も経っていないのに、再び現れた正体不明のタタリギだ」
「またアレとやり合うかもしれないって事……か」
詩絵莉は先程までとはうって変わって真剣な表情を浮かべ眉間にしわを寄せると、ぎゅう、と自らを抱き抱える様に組んだ腕へと力を籠める。
「このA.R.K.には、当然だが俺たちの他に純種と戦った経験を持つ部隊は居ない。 加えて俺たちには、式が……いや、アールが居る。 加えてフリッツが手掛ける武器に、アガルタ製の特殊兵装……単純な戦闘力だけ言えば、遊撃部隊の中で今、俺たちの部隊を超える戦力を有する部隊は居ないだろう」
言いながら、斑鳩はヴィルドレッドと交わした言葉を思い出す。
――斑鳩。 お前には今後、今までよりさらに危ない橋を渡って貰う事になるだろう。 彼女……あの式神と共に往くと決めたのならばな
いわばこれは、期せずしてヴィルドレッドの提示した条件のひとつ――。
当然覚悟を決めていたとはいえ、こうも早くその機会が訪れるとは。斑鳩は己に湧き上がる黒い感情を抑え込む様、無意識に、く、と唇を噛んでいた。
相手が再び、純種だとするならば――何しろ想定していなかった相手とはいえ、アールの決死の覚悟が無ければ倒し得なかった相手だ。療養中にもし次に同じ相手が現れたならとベッドの上で、再び相対した場合"如何にして勝利するか"という考察を重ねていた彼をしても、おのずと緊張に身が支配されるのは当然だろう。
「……」
表情を曇らせる斑鳩をちらり、と見上げながらアールは何かを言おうとして、口を閉じる。
それに気付いてか、場が沈んだ空気の中、ローレッタは「だいじょーぶっ!」と拳と共に一声上げると、一歩指令室の方向へと進み胸を張る様にして皆に振り返った。
「あの純種との戦闘ログは残ってない……けど! この私の頭の中には詳細に記録されているのだす!」
「……だす?」
大見栄を切ったものの、明らかに不自然だった語尾に対して首を傾げるアールに、ローレッタは小さく「……噛んじゃった」恥ずかしそうにそっぽを向く。
そのやり取りに、一瞬の静寂の後、一同誰からともなく笑いが零れる。
「そ、そうね……ロール。 仮にもし純種だったとしても、私たちは以前の私たちじゃあない」
詩絵莉はくすくす、と肩を揺らしてそう言うと、先程までの暗い表情から一転、どこか吹っ切れたような笑顔を浮かべる。
彼女の言葉に、斑鳩とギル――そして、アールも続くように大きく頷いた。
「ああ。 その通りだ、ローレッタ。 もう純種は未知の敵じゃあない……想定し対策すれば、必ず……」
「やるとなりゃあよ、次はアールにだけいい恰好はさせねえぜ、なあ」
言いながら、ギルはアールの背中をばしん、と叩く。俯いていた彼女は一瞬その衝撃に目をぱちくりさせると、自分を囲む仲間の顔を順番に眺め……そして、申し訳なさそうに少し俯くと、小さく口を開いた。
「……斑鳩、みんな。 もし――また、相手があの純種だとしたら、わたしは……」
――深過共鳴。
皆の脳裏に、あのアールの姿と、あの戦いの結末が鮮明に過る。
深過共鳴……いわば式神が行使する最後の手段。
自らの死へ向かう意識にタタリギを巻き込み自壊させる、恐るべき行為。
本来あの時、純種と共に崩壊していたはずだった――と、彼女は語った。
だが、何が原因なのか、それは所謂奇跡なのか……それとも他の何かが要因するのか、今こうしてアールは、ここに居る。
「……アール、俺たちはお前の死なんて望んじゃいない。 それに、お前の死に頼る様な事も……したくはない」
斑鳩の真剣な眼差しに、今日初めて彼女はゆっくりと――彼の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「確かにヤドリギはその死さえも仕事に含まれている……それは否定しない。 だが、だからと言ってお前にその手段を取らせるつもりは無い」
「アルちゃん、タイチョーの言う通りだよ。 私たちはアルちゃんを信じてる。 だから、アルちゃんも私たちを信じて。 もう、絶対に二度とあんな目には合わせない」
ローレッタはアールの冷たい手を取り、ぎゅ、と握りしめる。
詩絵莉も組んだ腕をゆっくりとほどきながら、その腕でアールの肩を優しく掴んだ。
「私たち、強くならなくちゃいけない。 ギルの言葉に乗るのは癪だけど……アール、あんただけにいい恰好は、させてらんないからね」
「……そこ、癪に感じる事ねえだろ!?」
強い意思を感じさせる詩絵莉の真っ直ぐな瞳。そして脇からすかさずその台詞に突っ込むギル。
そんな彼を笑いながら、その背中をばしん!と強く叩いてみせるローレッタ。
そしてその光景を、優しそうな表情で眺める斑鳩――。
アールは確かに感じる仲間としての暖かさに、胸の奥がぎゅう、と締め付けられる用な感覚に囚われる。
――身体の内側、胸の底……いたいけど、いたくない……不思議な、感覚。
この鈍くも暖かく身体を震わせる様な感覚――
いつだったか、遠い昔にも感じた事がある様な気がする。
……分かっている、斑鳩たちが自分の死を望まない事は……そう、痛いほどに。
それでも、彼らが逝くことは、それを超えて恐ろしかった。だからこそ、その天秤の先――式神としての最初の手段、そしてヤドリギとしての最後の手段を使った。例えこの身が果てても、彼らを護る事が出来たなら。彼らが護りたいものを護れたなら、と。
もし再び、皆の命が天秤に掛けられる状況が来たとき――わたしは、それでも……彼らが望まない事とは分かっていても、きっと……
――お前たちは、戦う度に失い往く存在だ。
ヒューバルトの冷たい言葉が、足元からまとわりつく様にぞわりと身を駆け登る。
失い往く存在……深過共鳴がもたらしたものは、彼の言葉の真意とは違った。それは実験と実戦における差異による不具合なのか……それとも、はたまた奇跡、とでも呼ぶものなのか。彼が言う"失う"という事象からは、何故か違えてしまった。
……この身は、この意識は、失われる事は無く、今もここに確かに在る。
けれど、きっと、今この身に起きている"異変"は、きっと……
式神とは、そういうもの……なのだろう。
――それでも……それでも、わたしは……
「こうしてここに俺たちが居られるのは……再び仲間と顔を合わせる事が出来るのは、お前にあの時、命を貰ったからだ、アール」
傍らに立つ斑鳩は、視線をギルたちに向けたまま口を開く。
「わたしに……貰った……」
アールは思わぬその言葉に、ふいに斑鳩の横顔を見上げる。
彼は視線はそのまま、どこか――決意を秘めたような、そしてそれでいて、どこか悲しそうな表情で続ける。
「お前に貰ったこの命、俺たちがどう使うか……お前も一番近くで見ていてくれ、アール。 そのために……一緒に往こう。 ……何が相手だろうと、誰が相手だろうと……一緒に」
難しく感じていた斑鳩の言葉は、不思議と今のアールにとって心から理解出来るものになっていた。
願わくば、いつまでも彼らと共に居たい。
それが……望み。きっと、彼らと自らの想いが、失い往くこの式神としての存在を繋ぎ止める、大事な……望み。
「…………うん」
アールは小さく笑い、ゆっくりと頷く。
斑鳩は、傍らの少女の短くも小さな返事をゆっくりと噛みしめる様に深く静かに、瞳を閉じる。
「……時間だ、皆。 往こう」
再び開かれた斑鳩の黒い瞳は、改めて共に往く仲間の姿を映す。
彼のその声に、表情に、そして瞳に宿る覚悟に。ギル、詩絵莉、ローレッタ……そしてアールは力強く頷き――。
踵を返し指令室の扉へと向かう彼の後ろを、覚悟を秘めた表情で続くのだった。
……――次話へと続く。