第8話 Side:13A.R.K. 暮れ往く病室で
第13A.R.K.、その中心に近い位置にある大きな軍事病棟―。
アダプター2で負った傷も癒えた斑鳩は、退院する為に荷物を片付けていた。
そこへ、2人の珍しい客が現れる。
「……お、押すなよノマ……」
第13A.R.K.の病棟の一室――。
斑鳩、と書かれたネームプレートの下、頭一つ分ほど開けたドアの隙間から、覗く視線が一つ。
その後ろからは、「居る? ねえ、居る?」と可愛らしい少女の声が、部屋を覗く少年の後頭部を押していた。
「……ん?」
斑鳩は退院の準備と、ベッドの脇にある荷物や古ぼけた数冊の本を鞄にねじ込みながら背後を振り返る。
「あっ、ほら気付かれちゃったじゃんか……ノマのせいだぞ」
「えーっ、兄ちゃんが声出したからだよう……」
振り返った斑鳩と、ドアの隙間越し目が合ってしまった少年――ベルは、バツが悪そうに扉へと手を掛けると、ガラガラと横に引き開けながら背後の少女――妹のノマに口を尖らせて抗議する。一方ノマはその批判を笑顔で受け流し、斑鳩にチラリと視線を向けたと思うとすぐに照れる様に兄――ベルの背後へと身を隠した。
「誰かと思ったら、ベルとノマじゃないか。 久しぶりだな、元気してたか?」
予想していなかった二人の小さな来訪者に、斑鳩の表情が少し緩む。
「……まあな! ……なあ、ノマ。 お前いつまで兄ちゃんの後ろ、隠れてんだ」
鞄を置き、ベッドへと腰を下ろす斑鳩に、ベルは半ば強引に、呆れ顔でノマの身体を自らの影から斑鳩の前へと引っ張り出した。
「……初めて会ったときより随分顔色が良くなったな、ノマ。 元気そうだ」
「……っ!」
どこか影がある大人の笑み――とでも言うのだろうか。
ノマは斑鳩の言葉と表情に顔を赤らめると、こくこくと小さく頷いてみせる。
「それで、よくここが分かったな? 誰かに聞いたのか?」
そう言うと壁に掛けられた時計に一瞬視線をやる。
峰雲のラボラトリから通常の病棟へと移り、早くも退院を迎えた今日……この後の予定まで、時間には余裕がある。
斑鳩は手近にあった来客用の2脚の椅子を彼ら兄妹の前へと置き並べると、座ってくれと優しく視線で促した。
「ホントだよ! 病棟には何度か来た事があったけど……相変わらず迷路みたいでさあ」
「はは、そうだな」
座りながら開口一番、疲れたと言った風に両肩を竦めるベルに、斑鳩は笑ってみせる。
確かに、この第13A.R.K.の病棟の構造は複雑だ。
格納庫から繋がるこの建物は、タタリギが現れる前にあった大きな軍属病棟を長年、改築と補修で持たせている物だ。老朽化した内部を強引に補修・増築してきたせいで、今や階を登れば登る程、慣れない者にとってその構造は迷路に近いものに感じられることだろう。
「迷ってたら、白衣の先生に会って……ええと眼鏡の……みね……みね……」
「ミネズモだよ」
「峰雲だな」
ふふん、と答えたベルに思わず正しい名前を被せた斑鳩に、ベルは一瞬ジト目を向けて見せるが、すぐに誤魔化すように咳払い一つ。
「ごほん。 そう、その先生が教えてくれたんだよ。 にしても、水臭せーぞ暁兄ちゃん。 箱舟に帰ってきてんなら、声くらい掛けてくれてもいいだろ~?」
「兄ちゃん……駄目だよ、暁兄ちゃん、怪我してたんだから。 ……わがまま言ってたら嫌われちゃうよ」
座ったまま椅子をガタガタ鳴らしながら器用に斑鳩に詰め寄るベルを、後ろからノマ諭す様に止める。
斑鳩はその様子に、ここ数日――アダプター2、そしてA.R.K.に帰還してからの日々を少し忘れるように笑ってみせる。
「なんだ、ノマは随分しっかりしてるんだな。 ……ベル、これじゃ悪い事は出来ないな?」
「わ、悪い事なんてしてねーし! これでも今暮らしてる所の中で立派に仕事だって任せれてるんだぜ!?」
言うと、ベルは「どうだ」と言わんばかりに胸を張ってみせる。
「みんなのお洗濯物出したり、干したり……お洗濯隊長だもんね、兄ちゃんは」
「あっノマのバカ! その名前はカッコ悪いからやめろって、言っただろ!」
身を翻し背後でくすくすと笑う妹、ノマの右手を勢い良く掴むベル。
だが、彼女に痛がる様子は無い。一見ガサツそうに見えるベルだが、この歳でも兄として、男としての分別が着いているのだろう。斑鳩はその様子にふと顔を緩めると同時に、目の前の光景に自らの過去を振り返っていた。
――家族、兄妹……か。
タタリギの襲撃から逃れる最中、親兄弟と別れ天涯孤独の身となって何年が経つだろうか。
自らも言わば孤児である斑鳩は、目の前の光景にふと過去を振り返る。
丁度、ベルくらいの年頃だっただろうか。
家族を失ってからというもの、前だけを見続けタタリギと戦う道を選び、その結末を思い描き進んできたと思っていたその実……本当は只々、自分は逃げ続けていたのかもしれない。
思えばタタリギ対し、人類は"勝つ事は出来ない"という確証を得る事を……最善を尽くすという上辺の中、自分は望んでいたかもしれない。
裏を返せば自分の無力さに対する、確固たる言い訳を求めていたに過ぎなかったのでは、と……本当は己の境遇に悲観し、現実に広がる光景を斜に取らえていただけなのではないだろうか、と。
自分でも一体どこに視線と足を向けていたのだろうか。
傷に伏せていたこの数日、考えれば考える程……本当に、情けのない話だ。
いや、今は……止めよう。 結論の出ない思考を巡らせるのは、やはり俺の悪い癖なのだろう。
斑鳩は落ちる感情を否定する様に首を左右に軽く降る。
「……ベル、ノマ。 あれから、暮らしはどうだ? 皆、良くしてくれているか?」
じゃれ合うように攻防を続ける二人に、斑鳩は苦笑しながら声を掛けた。
「あー……うん、まあね。 暁兄ちゃんが紹介してくれたところだしな」
ベルはそう答えると少し寂しそうに視線をやや外す。
その様子に、隣でもみ合いにより少し乱れた服を直しながらノマも頷いた。
「マルセルたいちょー、今は居ないけど……でも、みんないい人だよ。 二人で居た時より、ずっと楽しいもの」
「そうか。 ……マルセル隊長に押し付けるような形になってしまっていたからな。 心配していたが……大丈夫そうならなによりだ」
再び苦笑すると、斑鳩は小さく頷き二人へ交互に視線を送る。
そう、今では随分昔の事の様感じる、あのアダプター1への最初の任務――。
通信中継局を設営する為に向かったあの場所で出会った兄妹。
斑鳩はマルセルと出会い交わす会話の中で、彼が孤児を引き取り共に生活する場を管理していると聞いて、この二人を引き合わせたのだ。
今でこそ互いに言葉に出さないが、本来の彼らの保護者でもあったザック――ヤドリギの青年は、生きて帰る事は敵わなかった。
斑鳩たちの部隊が接触出来なかったタタリギの最後の一人……
後に、あのアダプター1の残骸覆う地下で、丙型タタリギを呼び寄せた幼樹――
あれが、恐らくザックその人だったのだろう。身に着けていたものもろとも灰と散った今、確たる証拠は無いが……無常にも状況がそれを指し示していた。
13A.R.K.でザックの帰還を待っていたベルとノマは、一時帰還した斑鳩の表情から、ザックが――兄貴と慕う家族が、もう戻らないという事を感じ取る。だが、二人は涙を流すでもなく、怒り斑鳩に詰め寄るでもなく、それを受け入れた。
息絶えた兄貴を見下ろした訳でもない、その彼の最期を看取った者も居ない。
言わば、忽然と消えたザック……そして、アダプター1で実際に自らの目で目撃した脅威、タタリギ。
その二つの事実は、幼い二人にとって余りにも大きすぎる衝撃だった事は、想像に難くない。同時に「ザックはもう帰ってこない」という事実を、心の底にゆっくりと――染み広がる黒い染料の様に、静かに、だが確実に。二人の兄妹の心を染めるには十分だった筈だ。
こんな世界である以上、二人の様な境遇の子供は珍しくも無い。
だが、それでも残された者は生きていく。
明日を紡ぐ、などという大義名分の為にではなく、ただ、生きていくのだ。
決して、身内の――ザックの死が軽いものという訳ではない。
それは年端のいかぬ子供たちでさえ、静かに受け入れざるを得ない。それが残酷な……今、人間が立たされている場所だ。
斑鳩とこの兄妹は、言えば数度しか顔を合わせてはいない。
だが、二人の屈託の無い笑顔と態度に、斑鳩は思う。彼らは、無意識に家族だった"ザック"を周囲に求めているのだろうと。そうでなければ、前に……ザックが居た場所を越えて生きる事など、無理なのだろうと。
そして、そんな子供たちはこの13A.R.K.にも沢山いる。
その拠り所の一つとなっているのが、マルセルなのだろう。斑鳩が頼んだこの二人の事を、出撃前多忙な時間にも関わらず彼は……彼とその仲間たちは、何の躊躇も無く受け入れてくれた。それは、斑鳩には出来ない事だ。
13A.R.K.内、通称積み木……コンテナハウスが積み上げられ、ひしめくその一角に、彼らが暮らす場所がある。
そこは、今は亡きY035部隊隊長ドーヴィンが遺した、マルセル本人や五葉たちの出身の場所でもあるそうだ。
「ホントは暁兄ちゃん家に転がり込んでやろうと思ってたんだけどな」
少し口を尖らせるベルに、斑鳩は後ろ頭をぽりぽりと掻く。
ヤドリギが孤児を引き取る事は、そう珍しい事ではない。だがヤドリギ本人の意向にも依るが、引き取るにあたり当然、本部への申請などの手続きも必要になってくる。
「もう、だめだよ兄ちゃん……暁兄ちゃんだって、忙しいんだから……」
少し困り顔を浮かべた斑鳩を察してか、再びベルの後ろからその袖口を引っ張りながら、申し訳なさそうな表情を浮かべるノマ。
その時だった。二人の背――病室の閉じられた引き戸が不意に開かれる。
「……斑鳩、いい?」
そっと開いた扉から顔を覗かせるのは、白髪の少女――アールだ。
彼女は病室内、視界に入る斑鳩の前に座る二人の小さな来客につぶらな瞳を向けられると、少し驚いた様な表情を浮かべた。
「ああ、アール。 どうかしたか?」
アールは頷き入室を促す斑鳩に、おずおずと扉の隙間からゆっくりとその身体を病室に入れる。
「ローレッタが、退院祝いと、えっと……報告兼ねて、コーデリアと3人でご飯食べようって」
「そうか。 それで呼びに来てくれたのか? すまないな」
答えながらベッドの上に放った鞄を手に取り立ち上がる斑鳩と不思議そうな視線を向けてくる二人の子供に、アールは交互に視線を送る。
「……えっと……コドモ、サン?」
「……ちがう」
首を傾げ眉間にシワを寄せながらのアールの言葉に、斑鳩は一瞬よろめく様に腰を再びベッドへと落とす。
その様子に、ベルとノマは一瞬驚いた様な表情を浮かべたが、思わず顔を見合わせて吹き出すと、アールへと向き直る。
――そ、そうか……ベルとノマに出会ったのはアールに出会う前、か……もう、随分と一緒に居る気がするな……
斑鳩は「むむむ」と複雑な表情を浮かべながらも、アールに二人との出会いを軽く説明する。
……しかしそもそも"子供さん"なんて単語を、どこで覚えたのか。……アガルタ?まさかな……。と、無意識に腕組みをしながら考える彼の脇で、ベルは椅子の上でくるりと身を反転させると、アールへと振り返った。
「姉ちゃんは、誰? 暁兄ちゃんの仲間か?」
元気よくニカッと笑う少年に、アールは一瞬、何かを考える様な視線を斑鳩に向けた後――大きく、深く……笑顔で頷いた。
「うん、仲間だよ。 ……二人も、斑鳩の仲間?」
「まっ、そんなとこだな! なあ、暁兄ちゃん!」
言いながらベルは、アールの笑顔に顔を赤らめ照れると、それを誤魔化す様に斑鳩の膝をピシャリと叩いてみせた。
赤くなったままニヘヘと笑うベルに、斑鳩は思わずジト目を向ける。
「綺麗な髪……お姉ちゃん、お名前は?」
一方で、ノマは椅子から立ち上がるとアールの元へと歩み寄り、13A.R.K.……いや、今まで見てきた誰とも違うその白髪と紅い瞳に、キラキラと目を輝かせる。アールは彼女の視線に一瞬、普段拠点内で目立たぬ様にと纏っていたフードを被り損ねている事を思い出し、咄嗟に頭に手をやるが……目が合う斑鳩がゆっくり頷くのを見て、少し照れる様にその手を下げた。
「ア、アールだよ」
「アールお姉ちゃん! 宜しくね!」
にっこりと笑うと、ノマは嬉しそうに手を差し出した。
それが握手を求める手だという事を今度はすぐに理解し、彼女は右手を伸ばし、その小さな手を優しく握り返した。
――……暖かい。
ノマの手の平から感じる、斑鳩たちとは違う柔らかさと暖かさに、アールは目を大きく見開く。
思えば、非戦闘員――民間人と交流するのは、ギルの妹であるコーデリア以来だ。握り返すその小さな手は、コーデリアと同じ……なんとも言えない、ヤドリギたちとは違う力強さと、安らぎの様なものを感じさせる何かがある。
ノマは、ぎゅ、ぎゅ、と握り返すアールの手と、彼女の紅い瞳を不思議そうに交互に見つめる。
その様子に遅れて気付くと、アールは慌ててその手を放した。
「……お姉ちゃんの手、冷たい?」
「……」
子供の素直なその感想に、アールは少しだけ胸に奔る痛みを感じた。
「ノマ、知ってるか? 心が温かい人の手は、冷たいそうだ。 昔、何かの本で読んだ事がある」
不意に斑鳩が発した言葉に、3人はその視線を彼へと向ける。
「そうなの?」
「ああ。 心が……体の中心が暖かく燃えてるぶん、他の場所が少し冷たいんだそうだ」
「斑鳩……」
真面目な顔をしてそう答える斑鳩に、アールは目を閉じると――少しだけ、嬉しそうに笑う。
ノマはその言葉に、なるほど!とばかりに手の平をポンと合わせて笑う。
「ああ~、そっか……! だからお兄ちゃんの手は熱いんだね? ……心が冷たいから?」
「……ベル、お前なあ……それが昨日お前の仕事を手伝ってやった兄ちゃんに対して言う台詞か!?」
「だって、そのぶんだって言って、ノマの夜ご飯、横取りしようとしたじゃない……」
再びワイワイともみくちゃになる兄妹に、斑鳩は苦笑しながらベッドから今度こそ立ち上がると、アールの前へと歩み寄る。
「……身体の方はもう、大丈夫か」
「うん、斑鳩。 峰雲先生に診て貰った……分からないけど、問題は無いだろうって。 ……少し怖かったけど、ローレッタが一緒に居てくれたから、平気だったよ」
小さく頷く彼女に、斑鳩は良かった……と思わず安堵からのため息ひとつ。
「斑鳩も、もう大丈夫そう? 怪我、斑鳩のほうが酷かったから……」
言いながら、螺旋撃牙の芯が刺し貫いた横腹にチラリと視線を落とすアールに、斑鳩は問題無い、と身体を捻り、伸ばして見せる。
「ああ、この通りもう平気さ。 ……しかし、何だろうな。 完治までもう少し掛かると思っていたが、今回の傷は治りが早かった……皆が適切な応急処置をしてくれたお陰……かな」
「……良かった。 ほんとに」
アールは小さく頷くと、笑顔を斑鳩に向ける。
今まであまり見た事の無い、屈託の無い彼女の笑顔に斑鳩は少し驚くが、すぐに目を閉じ頷いてみせる。
「……そうだ、それでアール。 ローレッタとコーデリアが呼んでいるのか?」
言うとそろそろ落ち着けと言わんばかりに、未だ言い合いを続けるベルとノマの間に手を差し込みながら斑鳩は壁に掛けられた時計を見る。時計は午後7時を回ろうとしているところだった。
「うん……斑鳩、来れる? もし、何か用事があったら……料理だけ、とっておくって。 コーデリア言ってた」
「そうだな……行ける事は行けると思うんだが、少し遅れると伝えておいて貰えるか? この後、ヴィルドレッド局長の元へ行かないといけないんだ」
「局長……。 何か、大事な話?」
斑鳩の言葉にアールは少し心配そうに首を傾げるが、彼は苦笑すると首を横に振ってみせる。
「いや、退院祝いに一杯奢ってくれるらしい。 今回の事、局長にも随分世話になっているからな。 改めて礼を言ってから、そっちに向かうよ。 場所は、ギルのコンテナか?」
「あ、暁兄ちゃんたちずるいぞ! パーティだろ! 俺たちも混ぜてくれよ!」
その言葉にアールが「うん」と返事をするや否や、斑鳩の腕に纏わりつくベルが飛びあがる。
だが、斑鳩の反対の手――遠慮がちにその腕に触れているノマは、ぷうと頬を膨らませベルを睨み付けた。
「兄ちゃん! 邪魔しちゃだめだよ……もう……」
呆れる様に抗議の声を上げるノマに、アールはその傍らへとゆっくりしゃがみ込む。
「コーデリアがパイを焼くの……とてもうまいやつ、だよ。 ……二人も、来る?」
「えっ、お姉ちゃん、いいの?!」
言うと、途端ぱあっと顔を明るくするノマの視線を受けて、アールは上目遣いで斑鳩をチラリと見上げる。
こうして民間人、それも子供と触れ喋る事など今までの彼女の人生には無かっただろう。だが、意外な程二人の兄妹と上手くやりとりが出来ている彼女を見て、彼女は存外、子供が好きなのかもしれないな、と斑鳩はアールの視線を受けて心の中で呟いていた。
「ローレッタならベルとノマにも面識があるからな……大丈夫だろう。 じゃあ悪いが、先に二人を連れて行って貰えるか? 俺も用事が済み次第合流するよ」
「うん。 後で来るって、伝えておくね」
言いながら少し名残惜しそうに斑鳩の眼を一瞬視界に捉えると、アールは小さな二人の来訪者を連れて病室を後にしていく。
廊下からは、ベルとノマの楽しそうな声が、遠ざかりながらも響いていた。
「――さて」
彼らの気配が消えた後――ため息一つ、傍らの鞄を肩に掛ける。
何気に振り返ると、カーテンの無い窓に写る自らの姿――日が落ち暗がりが広がる空に浮かぶそれに、斑鳩は目を細めた。
ヴィルドレッドからの、斑鳩一人だけの呼び出し。……退院の祝い?いや、局長の事だ。それだけではないのだろう。病棟を訪れたミルワード司令代行から、彼がアガルタ相手に、きっちりと覚悟を示したと聞いた。そして、彼女はこうも言った。
――「斑鳩君。 彼女と共にあろうとするならば、貴方は貴方の覚悟を今一度示す必要があるでしょう。 ……この言葉の意味は、分かりますね」
――言われなくとも。
正直、あのアダプター2での純種との戦闘――そして、アールが見せたあの姿と、気高くも儚い覚悟を眼にしてからというもの、自分が一体何者なのか、本心がどこにあるのかが、わからない。アールの事も、そしてギル、詩絵莉、ローレッタ……フリッツに、マルセル達。彼らを思うこの気持ちは、本物だと思いたい。
だが、あの時アダプター2で直面した全滅という2文字の前に、何も出来なかった。
信じて欲しいという彼女に応える事すら敵わなかった……それが、今までの自分だ。
だが、今は違う。
しかし、黒闇を湛える窓に浮かぶ自身の姿が――その表情が、ぐにゃりと歪む。
お前は彼女の気高さに、儚さに、そして心に灯す、紅く熱いあの炎に焦がされているだけだ――と。
「……なら、灰になるその時まで、今度こそ俺は……」
部屋の明かりを消すと同時に消える、窓に映る自身の姿に。
斑鳩は拳を強く握り込み――病室を後にした。