第8話 Side:Adapter-1 再訪、A2へ向けて(3)
詩絵莉とギルは改めて先を見据え、仲間の為に強くあろうと、その胸に誓う。
資材の積み込みに戻ったギルを見送ると、彼女は五葉が伝えたフリッツの元へと向かうのだった。
「……! いずの……しえ、詩絵莉!」
「や」
資材の搬入に戻ったギルを見送った後、詩絵莉は一心不乱に作業するフリッツのテントへと足を運んだ。
間近になるまで彼女の存在に気付かなかったフリッツは、突然目の前に現れた詩絵莉に文字通り少し飛びあがって驚いてみせる。
「も、もう怪我は……いいのかい?」
おずおずと詩絵莉の身体に視線を這わすフリッツの視線に、詩絵莉はわざとらしく両腕を抱えてみせる。
「……何だか視線がいやらしいわね」
「!! ばっ、ち、違う違う違う!!」
からかう様な口調にも関わらず、フリッツは再び飛びあがると器用にもそのまま空中で180度回転すると、背中を見せ着地する。
その動きに、詩絵莉は一瞬目を見開いて驚いたが、すぐに吹き出す様にからからと笑ってみせた。
「じょ、冗談だってば! ……はあ、おっかしい。 でもま、こんな事言えるくらいには、もう平気よ」
「……ま、まったく人が悪い……」
ゆっくりと振り返るフリッツに、詩絵莉はガッツボーズで応える。
その姿は、出立前の彼女と変わらない……いや、むしろどこか、吹っ切れたような印象すら伺える。フリッツは先ほどの動きでズレた眼鏡を掛け直すと、改めて彼女に頷いて見せた。
「……聞いたよ、アダプター2で何があったか……マルセル隊長から、だいたいの事の経緯は。 ……よく、無事で」
「アールのお陰よ。 彼女が居なければ、みんな生きて帰る事なんて出来なかった」
言いながら、詩絵莉は机の上に広げられた資料を一枚、二枚と手に取ると目を通す。
書かれた文字は、フリッツのものだろうか。細かいながらも丁寧な文字で、修繕に必要な行程や必要な資材が綴られていた。
「それで、例の通信塔は……何とかなりそう?」
「うん、そっちは任せてくれ。 ……想定してたより損傷はあったけれど、何とか集めた資材で中継局としての機能を持たせる事は出来そうなんだ」
資料を見つめたまま目を動かす詩絵莉を見つめながら、フリッツは答える。
彼の言葉に、詩絵莉は「そっか」と笑みを浮かべながら、今度はホワイトボードに書かれた文章や走り書きされた設計図のようなものを眺める。
そんな彼女を見つめながら、同時に緊張がフリッツの身を駆けていた。
よくよく考えれば、詩絵莉……彼女と二人きりで話すというのは、これが初めてだ。こうして間近で彼女を見ると、どうにも上手く言葉が出ない。それは勿論、彼女がフリッツが信奉する、憧れそのものでもある、あの作品に登場するヒロイン……アーリーンに瓜二つ……という理由もあるのだが、今は少し違う。
「……こうして、戦いの外で君らのサポートを務めるのが僕の今の仕事だ。 ……だけど、それが今、少しだけ悔しい」
「フリッツ?」
もし、彼女――いや、Y028部隊が全滅していたら。
フリッツは無事で、確かにそこに居る彼女を前にしても身震いが身体を襲う。聞くところによると、本当に紙一重の闘いだったらしい。詩絵莉の言う通り、彼女――アールが居なければ、あるいは……。
Y028部隊は前線に身を置く存在だ。
任務の為に、護りたいものの為にその身を呈す……それがヤドリギだ。それは、理解しているつもりだった。送り出す時も、彼らの勝利を信じて疑わなかった。
だが、現実は違う。
送り出したその先で、彼らは確かに危機に瀕し……そして紙一重、まさに細い綱をわたる様な戦いを、幸運にも遂げたのだ。
それに比べると、なんと自分の存在が小さく見える事か。
分かっている筈だった。彼らの戦いと、自分の戦いは確かに同じ場所ではない。それはどちらかが重要だとか、優先度が高いとかでもなく……そう、対等だと。少なくとも、斑鳩は、彼らはそう本心から思ってくれている。
――でも、やっぱり……君が戻ってこないかもしれないと思うと、僕は。
フリッツは詩絵莉の視線に目を伏せる――
そんな彼を観ながら、詩絵莉は苦笑しながらため息を付いた。
――少しだけ悔しい、か……
その言葉に、戦いの最中、ギルに……そしてアールに感じた感情が心の隅に湧き上がる。
式隼は戦場を俯瞰する。
それ故、斑鳩の……暁の横で戦う事は出来ない。互いに言葉ではない何かで通じ合い、戦場で連携を取りあうその様子を羨む事はある。恐らく、フリッツもそうなのだろう。
その気持ちは……よく、分かる。
「まったく、ギルとは別ベクトルであんたもバカね。 あたしたちはあたしたちに出来る事をする。 いい? フリッツ。 改めて説明するまでもないでしょ、この通信塔の復旧だって、あんたが居てこそでしょ」
言うと、詩絵莉は掲げられたホワイトボード、そこに所せましと描かれた文章と図を指でなでる。
「こんな真似、他に誰がやれるのよ。 ――でしょ?」
「詩絵莉……」
ふと口を突いて出た、暁の言葉。
……きっと、フリッツも同じなのだ。
戦いたい場所に、いつも望む通りに立てるとは限らない。それでも、誰かが望んでくれるなら。信じてくれるなら。託してくれるなら。そこで、胸を張って戦えるはずだと、詩絵莉は想う。暁の言葉にも、そして今、目の前で拳を握る……フリッツにも。
改めてフリッツは、彼女の言葉に頭を垂れる。
もし自分に彼女と共に戦える力があればと願わずにには居られない。
……だが、叶わないのならば、せめて――。
「詩絵莉、これを」
フリッツは顔を上げ、意を決した強い意志を孕んだ瞳で詩絵莉を見据えながら――
テーブルの影に置かれた大きく縦長いケースを両手で抱え上げる様に持ち上げると、資料が並べられた机の上に、どがん、と載せる。
「……これは?」
「君が自分の得物に絶対の自信と信頼を寄せているのは理解しているつもりだ。 ……だけど、また今回の様な戦いがこの先無いとも言い切れない……だから、これを……使って欲しいんだ」
言いながらフリッツはケースを閉じるロック部分をばちん、ばちんと弾くように外すと、ゆっくりと上蓋を開ける。
詩絵莉はケースの中身に視線を落とす彼の横に歩み寄ると、そこに静かに横たわり収められた、鈍く光る何かに目を見開いた。
「取り敢えず、完成したんだ。 これが螺旋撃牙に続く、僕の独自機構を組み込んだ式隼使用火器追加兵装……その名も……」
フリッツが開いた箱に横たわるそれは、確かに銃器のパーツの様にも見えるが……恐らく、組み立て式の何か……なのだろうか。
細部に渡り軽量化が施された様伺えるそれらは、詩絵莉も今だ見た事がない代物だ。見た限りでは、どうやって使うものなのかも想像が付かないが……自らが使うマスケット銃、そのアタッチメントパーツを取り着ける部分と符合しそうな部品を見るからに、何かしら銃に装着して使う物なのだろうが……。
「その名も……?」
やけに溜めるフリッツの横顔を覗く詩絵莉に、彼は自身満々に大きく頷き、眼鏡の奥の瞳をぎらつかせる。
「その名も……ウィング・オブ・ワルキューレさ!!」
――スパァァンッ!!
拳を握りしめながら天を仰ぎ、恥ずかしげも無くその名を言い放ったその瞬間、抜群のタイミングで詩絵莉はフリッツの頭を力いっぱい叩いていた。
「……あんたね……どぉしてもあたしをアーリーンにしたいみたいね……」
「ちっ、違うんだ!? 詩絵莉、待ってくれ聞いてくれッ!!」
目を座らせ、ぎろり、と睨み付け、周囲を気にする様に小声ながら迫力のある声で迫る詩絵莉に、フリッツは慌てて両手で彼女を制する。
――ウィング・オブ・ワルキューレ。
それはフリッツ(と、皆に隠れて詩絵莉)が愛して止まない、今は遺物と化した旧世代の隠れた名作コミック『Guilty.A』に登場するヒロイン、アーリーン・チップチェイスが振るう魔法の名前の一つ……だった。
「……何が違うのかしら。 あたし、絶対使わないわよ、これ」
詩絵莉はジト目をさらに強め、いぶかし気にケースの中に座するフリッツが造ったパーツに視線を落とす。
「聞いたんだ。 アダプター2の地形……もし、この兵装が完成していて、君に手渡せていたら……詩絵莉、君はもっと、戦えた筈なんだ」
「……」
フリッツの言葉に、ぴくり、と詩絵莉は反応する。
――確かに、アダプター2での戦いは……式隼にとって不利を極めた様な地形だった。
幸い、なんとかギルの助けを得て一時的に高所を取る事は出来たものの、平地……しかも遮蔽物がまるで無い様な場所での戦闘は、おおよそ遠距離から射撃支援を旨とする隼にはこれ以上ないくらい不利な場所……。
いや、自分だけが不向きならば、まだいい――。
突発的に始まった戦闘とはいえ、斑鳩も、ギルも、アールも……そして、ローレッタも。平地という条件から詩絵莉をどう守るか、そして如何にすれば仕事が出来るか……負担を掛けてしまった事は明白だ。それは報告を受けたフリッツも把握していて不思議はない。
「……それで。 この魔法を使えばどうなっていた、と言うの」
詩絵莉は苦虫を噛み潰したような表情でフリッツに振り返ると、ケースを細い右人差し指でとんとん、と叩いて見せる。
「詩絵莉、斑鳩隊長から見せてもらった君の成績……能力……そして君が使うマスケットを何度か整備して理解出来た、射撃武器への群を抜いた適正値……君なら扱える筈なんだ! この魔法の翼があれば……」
あのアダプター2で、もっと君は戦えた筈だ、と。
言葉にこそ出さなかったが、強い光を湛えたフリッツのその瞳に、詩絵莉は彼の思いを理解する。
――魔法の翼、ね……
栗色の瞳を一瞬、寂しそうに陰らせながら俯く彼女に、彼は意を決した様に頷く。
ケースの中身を見つめる詩絵莉に、フリッツはてきぱきとパーツを取り出し、組み立てて見せながら使い方を説明し始める。
彼のネーミングセンスに絶望を感じながらも、詩絵莉は彼の突飛としか言えないこの兵装の使い方に耳を傾けるうち――その眼は真剣身を帯びていった。
「……どうだい、詩絵莉。 あとは実際にテストして貰えれば……僕の説明した理屈や意味をすっ飛ばして、君なら自由に扱えると思うんだけど……」
説明を終えると、フリッツはケースに"魔法の翼"を収めながら詩絵莉の横顔をちらり、様子を伺う様に覗き込む。
「どうもこうも無いわ。 アーリーンの"魔法の翼"……ウィング・オブ・ワルキューレとはよく言ったものね」
降参しました、といった風に肩を竦めながら両手を掲げる詩絵莉の表情は、先ほどとうって変わって感心と、呆れが浮かんでいた。
「……君にアーリーンを重ねている訳じゃない。 いや、正直言うとその、ちょっとは重ね……ああいや、そうじゃなくて」
ぱたん、とケースの上蓋を閉じながら、フリッツは呟く。
「でも、アーリーンも物語の中、何度も窮地を凌いでいった。 彼女は倒れながらも、何度も立ち上がって……そして、僕らに夢を見せてくれたんだ。 不屈……そう、僕は……詩絵莉。 君にアーリーンの様な、不屈さを観ていたいのかもしれない」
「……彼女は強大な魔法に否定的だった。 それを手にする事で、ヒトという存在から離れてしまうという恐怖があったから……。 けれど護る人の為に、力を手にしていった。 望む、望まないではなく……今、自分にやれる事を成す為に」
ケースを指でゆっくり撫でながら、詩絵莉は自分の言葉に、式神……そう、アールの姿を思い浮かべていた。
彼女こそ、アーリーンに相応しいかもしれない。
自分が"式神"だったとして、あたしは彼女と同じ行動が取れただろうか?
あの時、あの場所で……身を投げ打ち、暁を――皆を守る、その為の最後の手段を何の迷いも無く、選べただろうか?
……彼女の覚悟に比べれば、自分は、偽物に等しいのかもしれない。
でも……それでも。アーリーンに憧れる気持ちは本物だ。
彼女の様なヒーローになる為に、戦う事を覚悟したあの自分から……あたしは、どれだけ成長出来たのだろうか。
フリッツは複雑な表情を浮かべたまま、ケースを這わす指を止めたままの詩絵莉の横顔にどきりとする。
伏せるその表情は憂いを秘め、それでいてどこか遠くを見据える様な、強い意志を感じさせる迫力を纏う彼女の瞳――
――僕にとって、やっぱり君こそが……
ふと訪れた沈黙に、フリッツは我に返るようにぶんぶん、と首を振ってみせると、眼鏡を掛け直しながら言葉を口にする。
「……その話は、うん、第45話……『この背に翼を、この手に槍を。』 ……だね?」
「……あんた本当に、フリークね」
一瞬、あっけに取られた様な表情を浮かべたものの、詩絵莉は真剣な表情を浮かべ口にした彼の言葉に、ぷ、と思わず吹き出してしまった。先程まで浮かべていた思い詰めた様な表情が崩れた彼女の様子に、フリッツも釣られるように笑みを浮かべる。
「……分かった、分かりました。 ――これ、使わせて貰うわ……フリッツ。 上手く使えるか分からないけど……今やれる事に、可能性に幅を広げれるなら……みんなの足を引っ張りたくないのは、正直なところだもの。 それに……」
「……それに?」
――きっと、あたしが出来る事が増えたら……
「……ううん、なんでもないわ」
ふと浮かんだ斑鳩の顔を振り払う様に首を振ると、詩絵莉は「ん~」と声を上げながら両の手を前に、身体を伸ばす。
「ありがと、フリッツ。 ああでも、名前は……そうね。 撃牙……いえ、そうね。 飛牙、とでもさせて貰うわ」
「……え"ッ!?」
露骨に表情を曇らせるフリッツに、詩絵莉は再びジト目で応える。
「……あんたね。 突然ウィング・オブ・ワルキューレ!なんてあたしが言い出したら……ああぁもう、考えたくも無い! あたしにとってギルティアはその……ひけらかすというか、そういう作品じゃないの! あんたと違ってねっ!!」
「そ、そうかい……? まあ、そう……だね……」
フリッツはやや寂しそうに言葉を濁すと、小さく頷きながら彼女の横顔に改めて視線を向ける。
身体をほぐす様に柔軟体操をしてみせる詩絵莉に、マルセルの言葉を思い出す。
「し、詩絵莉」
「……ん?」
改めて、ぴっと身を正し名を呼ぶフリッツに、詩絵莉は動かす身体を止め、両手を背中に回したまま少し首を傾げる。
「……その……ええと……」
――何か、部隊の事で心配があったら、僕で良ければ話を聞くよ。
そう、口に出そうとするが……どうにもそのセリフを上手く喉から滑り出す事が出来ない。
マルセルと話した、斑鳩の事……。マルセル、それに五葉が感じたという、斑鳩が纏い瞳に秘める印象を自分自身が直接感じたわけではない。
詩絵莉はそれに気付いている様だった、と彼は言ったが、それを勘ぐる様な言葉を口に出すのは、やはり憚られる。
……なんとも、もどかしい。
「何よ、気持ち悪いわねえ。 思った事があるなら言いなさいよ?」
「……い、いや。 うん……何でも、ないよ」
ずい、と詰め寄る詩絵莉の身体と視線を避ける様に、一歩後ろに身を引くフリッツ。
その瞳を詩絵莉はじいっと見詰めてたまま、数秒……。だがすぐに緊張の面持ちを浮かべる彼に、ふうっ、とため息を付くと、自らの両手をその腰に置いた。
「……ま、いいわ。 でも、分かってる……と思うけど、あんたもY028部隊の仲間なんでしょ。 何かあるなら、遠慮なんかするべきじゃないわ」
「詩絵莉……」
片眉を挙げて、やれやれ、と言わんばかりに彼女は続ける。
「あんたは実戦であたしたちと一緒に前線に出てないからって、引け目感じてるっぽいところあるけど。 誰一人、あんたを下になんて見てないわ。 暁も、ギルも、螺旋撃牙には本当に感心しているし、それにこのウィング……こほん。 ……飛牙だって、使いこなせればとんでもないシロモノよ」
言いながら、詩絵莉は閉じられた飛牙が収められたケースをぽんぽん、と優しく叩く。
「もう少し自信を持ちなさいよ。 ったく、逆にやり辛いっての。 ……わかった?」
ぴ、とフリッツの鼻先に延ばす彼女の指。
先の戦いで負傷したのだろう、幾重にも包帯が巻かれた細い指に、フリッツは口を一文字に結び眉間にしわを寄せて、頷いた。
「わ、わかった。 ……ありがとう、詩絵莉」
「……べつに。 大した事言ってないもの、あたし。 ……じゃ、そろそろ行くわ。 ミーティングの前に着替えておきたいし」
言って踵を返す彼女の背中に、フリッツは「あ、ああ、また後で!」と気の抜けた返事を送ると、ぽりぽりと頭を掻く。
悩みを聞くつもりが、逆にこちらの心を見透かされてしまった様だ。
なんとも情けない……が、それでこそ、彼女なのかもしれない。……でももし、詩絵莉が本当に一人悩む事があれば、その時は……今度こそ、肩を並べて彼女の話を聞けるようになろう。
彼女の言う通り、自分自身に負い目があるのは確かだ。
ヤドリギの試験に落ちた事は、とうの昔に吹っ切れたものと思っていたけれど…詩絵莉と――いや、Y028部隊の皆と居ると、思い出してしまう。
だけど、それを引き摺るのは……間違いだ。
詩絵莉は計らずとも、マルセルと同じ意味の言葉を、僕にくれた。
――ヤドリギを支えるのが、僕の役目……だ。
僕は僕なりのやり方で、今出来る事をするんだ。
それは……詩絵莉も言ってくれた、こんな真似は僕にしか出来ない事、なのだから。彼女の言葉を思い出す様に、フリッツは机の上に置かれた"魔法の翼"のケースにそっと手を置く。
差し当たって――そうだ。
Y028部隊がタタリギから取り返したアダプター2……あの通信塔を、完璧に修復してみせるぞ。
ぐ、意気込みを現す様に拳を強く握り、頷くと――
フリッツは、改めてミーティングに備えて資料を急ぎ整えるのだった。
……――次話へと続く。