第8話 Side:Adapter-1 再訪、A2へ向けて(2)
目を覚まし、詩絵莉は慌ただしく動くアダプター1でマルセルから現状を聞く。
Y036部隊は既に斥候を終え、通信塔修復の為にと動き出していた。
そんな中、詩絵莉は同じく休息を言い渡されていたギルが働いている姿を目撃し―。
「何ってお前……見たらわかんだろ? 通信塔修理する資材運んでんだよ」
呆れ顔で聞く詩絵莉に、ギルはきょとん、とした顔で事も無げにそう答えると、抱えた資材を丁寧に地面へと置いた。
同時に、ふう、と額に浮かぶ汗を拭うと、一仕事したと言わんばかりに白い歯を覗かせて笑う。
その言い伝えたい事が何一つ伝わっていない様子に、詩絵莉は思わず一歩前へと足を踏み出すとギルへと詰め寄った。
「……見りゃわかるわよ。 私が聞いてんのは! 休むようにって言われてたのに何してんのって事よっ!」
思わず声を上げる詩絵莉に、傍らでマルセルが苦笑しながら大げさに肩を竦めてみせる。
「休むよう、言ったつもりなんだが……どうしても身体を動かしたい気分だと、聞かなくてね」
「……はぁ」
その言葉に詩絵莉は「やれやれ」と言った風に両肩を落とした。
確かに、ギルの事だ。大人しく寝ている性質ではない事くらい、詩絵莉も知っている。だが、いくらギルとはいえ、あの純種から受けた傷はそう浅く無かったはず……。詩絵莉はジト目でギルの身体にゆっくりと視線を這わす。
「手伝うのはいいけどね。 それでまた傷口が開いちゃいました、じゃ洒落にならないでしょ、このバカ」
「ああ、それなんだけどよ」
ギルは詩絵莉の視線にひるむ様子も無く、言いながら身体を左右に捻って見せる。
「今回、いつもより傷の治りが早え気がすンだよ。 何だろうな?」
「……傷の治りが早い?」
「ああ、流石に少し傷痕がつっぱる感じはあるけどな? もう、荷物運ぶくらいなんともねえよ」
彼の言葉に、詩絵莉はぴくり、と眉を動かす。
言いながら身体を動かしてみせるギルに、確かに痛みを我慢している様子はない。
確かに、いくらギルと言えどあのアダプター2での死闘の後――そして今置かれる状況を楽観視して無茶をする程、空気が読めない男でもないだろう。これでも付き合いはそれなりに長い……といっても、それでも時たま抜けてたり、詰めの甘いところがあるのが彼らしいと言えば、彼らしく、恐ろしいところではあるのだが。
「ま、こう言ってくれてるんでね。 折角だから手伝って貰ってたのさ。 正直なところ、状況が状況だ。 人手はいくらあっても足りないくらいだからな」
「任せてくれよ、隊長さんよ。 Y028部隊が前線に出れるようになる前は、こういう資材運んだりの仕事が多かったからなぁ……むしろ懐かしいぜ」
マルセルはギルの言葉に「まあ許してやってくれ」と詩絵莉に目配せをしながら、笑みを浮かべてギルの肩を叩いてみせる。
確かに、斑鳩が不在の今このアダプター2において詩絵莉とギルに対する指揮権限を持つのは彼、Y036部隊マルセル隊長その人だ。その彼が許すなら、まあ……と、笑いあう二人を眺めながら、詩絵莉はむう、と口をへの字に曲げながらも、なんとか納得する様に息を吐きながら両腕を組み肩を竦める。
「隊長ぉ~! マルセル隊長ぉ~! ちょっとこっち来てくださいッス~!」
同時に、資材などが次々と積み込まれる装甲車に繋がれたキャリアーの横から、五葉がひょいと顔を出し声を上げる。その声にマルセルは振り返り、返事変わりに右手を挙げると「じゃあ、また後でな」と目配せするや否や、足早に彼女の元へと駆けて行った。
「アール、目を覚ましたって……聞いた?」
マルセルの後姿を腕組みを解き、軽い会釈で見送ると、詩絵莉はゆっくりギルへと向き直る。
彼女の言葉に、ギルは大きく頷くと安堵の表情を浮かべた。
「ああ。 アダプター2を出た時ゃどうなる事かと思ってけどよ……これで一安心ってモンだぜ、なあ」
「ったくもう、バカね。 ……これからが大変だってのに」
「……これから?」
ぽかん、とした顔で聞き返すギルに詩絵莉は再び腕を組むと、身体を縮こませる様にぎゅっと両の手に力を入れる。
「……ギルだってわかってるでしょ? アールが……普通のヤドリギじゃないって。 教授、言ってたじゃない。 今は目を覚ましてA.R.K.に居るかもしれないけど……もし本当に教授の言う通りの……その……"式神"だったら。 この先……どう扱われるのか。 アガルタだって、黙っていないだろうし……」
「……ああ、その事か」
目を伏せ、右手を無意識に口元に充てながら呟く詩絵莉に、ギルは傍らに置いた資材を拾い上げながら事もなげに言葉を口にする。
詩絵莉はその態度に思わず表情をしかめると同時、ずい、と一歩彼に詰め寄った。
「ああその事かって……!」
「俺も寝転がってる間、考えてたンだけどよ」
だが、詰め寄る詩絵莉に対して、ギルはいつになく冷静に言葉を続ける。
普段なら詰め寄る自分に怯むか、謝るかするであろう彼だったが、その予想が外れた態度に詩絵莉はやや面食らった顔で彼を見上げる。
「……周りはどうあれ、結局俺らがどうしたいか、だろ? ……シエリ、お前こそアールの素性を知ってどうなんだよ?」
「……え?」
「あいつの、式神ってのが……教授の言う通りの、得体の知れないモンだとしたら、どうなんだ? 怖いかよ?」
真っ直ぐ見つめ返すギルの青黒い瞳に、詩絵莉は少したじろいだが、すぐにギルの視線を真っ直ぐ見つめ返した。
「見損なわないで。 ……そんな訳ない。 あたしにとっても、式神だろうがなんだろうが、アールはアールよ。 あの子は、あたしたちの為にその身を投げ打ってでも守ろうとしてくれた……そう、仲間だわ。 だから……」
「――だろ? 俺だって同じだよ。 A.R.K.を発つ前にはリアと店をぶらついて、美味いモンに目が無くて、いろんな物に興味深々って感じでな。 俺たちとなんら変わらねえよ。 …しいて言えば、アレだ。 すげぇ強えって事くらいなもんだよ、あいつは」
彼女の言葉を遮るように言葉を挟むと、「よっ」と掛け声ひとつ、重そうな資材を再び両脇に抱え上げるギル。 持ち上げた資材が、彼の脇でガチャガチャと金属音を奏でる。
「っと……。 結局、式神だのなんだのってのは俺にもよく分からねえ。 いや、だからってあいつの事を放るって意味じゃなくてだな……なんだ、その。 アールはひょっとしたら、すげえ辛い人生を送ってきたのかもしれねえ。 ……だけどあいつは黙って、俺たちと一緒に戦って、命張って助けてくれただろ。 ……それで十分だと、俺は思うぜ」
ギルの言葉に、詩絵莉は思わず口をつぐんだ。
峰雲が言う通り、彼女がそういう存在ならば……生まれた時から既に、タタリギと戦う為に生まれてきた……タタリギと戦う為に、生かされてきた人生だったのならば。それは言葉で紡げない程、選択の余地もなく、あるいは過酷で凄惨な道のりそのもの……だったのかもしれない。
だが、ギルの言う通り――
彼女は、それでもあの窮地に……その身を省みず、自分たちを助けてくれたのだ。それは……式神とは、そういう存在だったからだろうか?タタリギと戦う為に在る存在だから、そう、行動したに過ぎないのだろうか?アガルタから派遣され、Y028部隊に在籍し――任務を全うする為に、ああしたに過ぎないのだろうか……?
――ちがう。
詩絵莉は首を小さく、だが強く横に振る。
満身創痍でアダプター2より帰投する装甲車の中、詩絵莉とギルは気を失っていた間の出来事をローレッタから聞いていた。
……信じて欲しい。と。
彼女は、そう言ったと聞いた。それだけで、ここに居れた意味がある、と――。
アールは自分たちに、何を見ていたのだろうか。詩絵莉は改めて、胸に奔る痛みを感じる。
確かに彼女はおおよそ普通と言える存在ではない。それはあの戦いぶり、姿、そして戦いの後の状態からも明らかだ。
けれども――彼女は、それでも間違いなく、仲間……なのだ。
どんな過去があったのか、どんな道を辿ってきたのか。
それは今、詩絵莉にもギルにも分からない。
けれど、彼女はY028部隊と共に笑い、戦い、辛い戦いも戦果も経て、肩を並べ……そして、誰かの為に命を張れる……紛うことなのないその事実が差し示す彼女の姿は、ヤドリギそのものだ。
そしてアールはその志を同じくするY028部隊にこそ、居場所を観ていたのかもしれない。
他のどこでも無く、Y028部隊に――。
それは……そう、それは、みんな一緒。
何の事はない、誰とも違わない。詩絵莉も、ローレッタも、きっとギルも……暁も。
――あたしはそう信じてるよ。 アール……暁。
「はあ……まったくもう、これだから敵わないわ。 ほんッと、色々あれこれ考えてたあたしがバカみたいじゃない」
言葉尻、詩絵莉は大げさにため息をつくとギルの腕をばしん!、と強く叩いた。
思いのほか力強かったその一撃に資材を手から滑り落としそうになりながら、なんとかギルは堪えてみせる。
「……ってえ!?」
「そうね、あたしたちは……アールの仲間、だもの」
その様子に、ふふ、と笑ってみせる詩絵莉に、ギルは口角を上げる。
「……イカルガだって同じだろうよ。 もちろんキサヌキのやつもな。 ……難しい事はあいつらが今、上手くやってくれてるだろうさ。 だから俺たちは、俺たちに今やれる事をやるだけだ。 ……そんで、もしあいつの身になんかあった、そん時は……」
「……そうね。 その時は、今度はあたしたちがアールを守る……ううん、一緒に……戦うわ」
見つめ返す真剣な眼差し。ギルは詩絵莉の栗色の瞳を真っ直ぐ見据えると、力強く頷いて見せる。
詩絵莉はゆっくりと右手を目の前に持ってくると、何かを確かめる様に手のひらを数度、開いては閉じてを繰り返す。そしてゆっくり辺りを見渡すと、周りでは変わらずY036部隊の隊員たちが声を掛け合いながら、いよいよキャリアーに搬出用の資材の積み込みを終え様としていた。
その様子をぼんやりと見つめながら――うわごとの様に、彼女は口を開く。
「……あたしたち、強くならなきゃ。 また、あんなのが出てきた時に……対等で居たいもの。 仲間、だから」
「ああ、同感だぜ。 どんなヤツが出てきてもよ、ぶっ飛ばせるだけの……な」
そう言うと、ギルと詩絵莉は不敵な笑みを浮かべると、どちらからともなく――何かを決意する様に、その想いを共有する様に……斑鳩たちが居る、第13A.R.K.がある方角の空を見上げていた。
「取り敢えずは、アダプター2の通信設備の復旧作業の護衛、だな。 ああそうだ、フリッツの奴も気合い入ってるみたいでよ。 螺旋撃牙、すげえ勢いで修復してくれた上に、さらに俺の戦い方のクセにあった調整までしてくれたんだぜ。 何でも、俺は撃牙を使う時……っておわあっ!?」
その時、嬉々として語り始めたギルの目の前に、ずざざあっ、と土煙を巻き上げながら一つの影が凄まじい速さで滑り込んできた。
……五葉だ。 明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた彼女に、思わず詩絵莉とギルは背筋を伸ばす。彼女はぎろり、とギルを見上げると、ビッ、と人差し指を突き立てた。
「んっもぉーギルさん!! 遅いッス!! 他の皆はもう、資材運び終えたッス!! それが最後に運ぶ資材……こっちはギル待ち状態ッスよ!!」
「わっ、悪ぃ……つ、つい話し込んじまって……!」
「言い訳は結構ッス! さあ、キリキリ運ぶッス!! 働くッス!!」
言うと、「背中はやめてくれぇえ」と情けない声を上げるギルを両手で押しながら、五葉は詩絵莉へと向き直る。
「そうだ、泉妻さん!」
「しっ、詩絵莉でいいわよ……五葉、さん」
気を抜いていたところ、急に振り返り呼ぶ名に、ひえっ、と思わず垂れる冷や汗をそのまま。応える詩絵莉に、五葉はパア、と表情を明るくする。
「むっ! なんだか距離が縮まった感じするッス! じゃあ私の事もごよちゃんと呼んで欲しいッス……ってそうじゃなくて。 フリッツさんの所に行ってあげて欲しいッス。 何か、詩絵莉さんに話したい事があるみたいだったッスよ」
ごよちゃん……。
そう言えば、ローレッタがアダプター2に出撃する前夜、宴の席でそんなあだ名、付けてたっけ。結構気に入ってたのかな……などとそんな事をぼんやりと思い出しながら、ギルの背中を押す彼女の向こう――詩絵莉は、仮設テントで変わらず一心不乱に資料を手に右往左往するフリッツを視界に入れる。
「ん、分かった。 ありがと、ごよ……ちゃん」
「いえいえ、"お安い五葉"!ってやつッス! ミーティング前にもう少し時間ある事だし、宜しくお願いしますッス!」
彼女は言うと、悲鳴を上げるギルの背中を押しながら敬礼ひとつ。
詩絵莉も苦笑を浮かべながら彼女を真似り、手を挙げると――傷口を押されてか、情けない声を上げるギルを笑い、切り替える様に苦笑と共にため息をひとつ。
ゆっくりと振り返ると、その足をフリッツが作業する仮設テントへと向けるのだった。
……――第8話 第8話 Side:Adapter-1 再訪、A2へ向けて(3)へと続く。