第8話 Side:Adapter-1 再訪、A2へ向けて(1)
宿舎の狭いベッドの上で詩絵莉はまどろみの中、目を覚ます。
身体の節々に残る痛みに、生を実感しながら…。
A2では、斑鳩たちの帰投から、半日ほどが経過しようとしていた――。
「……んん」
詩絵莉は狭いベッドの上で寝返りを打つと、枕に顔を埋めたままゆっくりとまぶたを開ける。
13A.R.K.の自分が使うベッドのサイズと比べると、丁度半分程度の二段ベッド。寝心地は思ったより悪くないが、やはり狭く感じるのは間違いない。
寝ぼけ眼で上半身をゆっくりと起こし、左右、そして上のベッドに視線を巡らせる。
この宿舎になっているコンテナは女性隊員用だが、今は自分以外、床に就いている者は居なかった。
ベッドから垂らすようにゆっくりと足を床へと落とすと、詩絵莉は身体を伸ばし――背中に奔る痛みに、顔を僅かに歪ませる。
「……ふぅ」
純種から受けた傷は斑鳩や、ギル……そしてアール程ではないにしろ、それなりのものだ。
前線から離た位置で火器により戦う式隼――直接、身体に傷を負ったのは、いつぶりだろうか。感じる背中の痛みにぼんやりとそんな事を考えながら、詩絵莉はベッド脇に置かれた私物の鞄へと手を伸ばすと、手鏡を取り出し自らの顔を映す。
疲れた眼の上、額に巻かれた包帯と、頬に張られた絆創膏。
「眠そうね、詩絵莉」
なんとはなしに、自分の名を呼ぶ。
一般人と比べれば、A.M.R.T.の作用……強化された代謝能力の恩恵で、式狼程ではないにしろ怪我の治りは早い。少し表情をしかめつつ、絆創膏をぺりぺりと剥がしたその下……小さな切り傷は目立たない程に快復していた。
ベッドから遠く離れた洗面台近くのゴミ箱に、剥がし丸めた絆創膏を指で弾き見事に入れて見せると、詩絵莉は足元の靴に両足を滑り込ませ、立ち上がる。
「……あれから、15時間、か……」
ここ、アダプター1より斑鳩とローレッタ……そして眠ったままのアールが第13A.R.K.に帰投してから、半日以上が経過しようとしていた。
帰投した斑鳩たちと同じように、負傷したギルと詩絵莉には休息が言い渡されていた。
あの戦いの後――当然、気掛かりな事は多い。
負傷した仲間の事は元より、アールの事……そしてアダプター2に残った理由でもある、今後の作戦についての事。斑鳩程ではないにしろ手傷を負ったギルはまだしも、打撲と擦傷程度の詩絵莉は何か直ぐにでも手伝いたいとマルセルに伝えたが、「働き結果を出した者はそのぶん、休む義務があるのさ」と、その言葉を一蹴し、手当が済んだの確認すると最低限半日は何もせず休むようにと、大きく頷いた。
しかしマルセルも、フリッツも、そして五葉も次の作戦行動に向けて動いている間、横になるのは性に合わない――そう思っていた詩絵莉だったが、狭いベッドに身を横たえた途端、深い眠りに就いてしまっていた。
ふと、詩絵莉はもう一度時計を見上げる。時計の針は朝の5時を少し回ったところ。
作戦行動中、普段起きる時間よりやや早い程度だが、既に周りの床はもぬけの殻……見渡したところ、鉄パイプで誂えられた簡素な服掛けには、五葉を始めとしたY036部隊所属の隊員の制服が見当たらない。
皆、もう起きて何かしら行動してるのだろうか。
それに、斑鳩たちは……アールは、どう……なったのか。
詩絵莉は靴紐をぎゅ、と結ぶと、少しだけ軋む身体をほぐす様に大きく伸びをし、ハンガーに掛けれれた上着を羽織る。
ごと、ごと、と重たい靴の音を響かせながら洗面台の前に立つと、水道の蛇口を無駄遣いを避けるように慎重に捻り……つらつらと流れ出した水を手のひらにため、軽く顔を洗う。
「ん……。 よし……」
すっかり目が覚めた、と言わんばかりに大きな瞳を開くと、詩絵莉は勢いよく出口へと向かった。
・
・・
・・・
「あっ!! 詩絵莉さん!! おはようございま……ッス!」
「あ、五葉……さん。 お、おはようっす」
扉を開けた出会いがしら。
大きな荷物を両手に抱え、その小脇から顔を覗かせる五葉つかさが詩絵莉の前で足を止める。言わずもがな、彼女は護衛任務を主とし、今このアダプター1を切り盛りするY036部隊の部隊員……兵種は式狼、だったか。
詩絵莉は彼女にぺこりと頭を下げると、改めて周りを見渡した。
そこには、彼女だけではなくY036部隊の面々が、いそいそとそれぞれ物資を運んでいる光景。少し離れた場所には、第13A.R.K.からやってきたのだろうか。資材運搬用のキャリアーを連結させた装甲車も停車している。
「そうだ詩絵莉さん! 朗報ッス……と、ととと」
言葉と同時、五葉は荷物からこぼれ落ちそうになる鉄骨の様なものを何とかバランスを取って持ち直した。その様子に、詩絵莉は「だ、大丈夫?」と思わず彼女が抱える荷物に手を添える。
「ひゃあ、申し訳ないっす! ……そう、朗報ッス! 13A.R.K.に帰投したアールさん、意識を取り戻したそうッスよ!」
「――! 本当!?」
「ええ、数時間前にうちのマルセル隊長宛に、本部から通達があったみたいで! 斑鳩隊長共々、今は療養中だそうッス!」
――よかっ……た……
詩絵莉は彼女の言葉に、大きくため息を付きながら頭を地面へと垂らした。
峰雲の話では、目覚めるのはいつになるか見当もつかない、という話だったが……意識もある、という事なら、彼女の身体の事に関しては心配はないのだろう。
「アールさん、外傷は少なかったみたいッスけど、頭部への衝撃で昏睡状態、と聞いてたもんで心配してたッスが……ホント、無事でなによりッスね……!」
「そう、だね……うん、ホントに良かった。 安心したよ」
頭部への衝撃、か――
――そうか。 五葉さんは、アールに何が起きていたか、知らないものね。
あの戦いの後、アダプター2からここ、アダプター1へ帰投した際――
彼女を運び込む時、"あの状態"に関する詳細は、余計な混乱を招く可能性があると伏せたまま――気絶している、という事にして医務コンテナに運び込んだのは、斑鳩と言葉を交わしたマルセルの指示だった。
重症を負いながらも二言三言、ここに帰投して直ぐに会話を交わした斑鳩とマルセル――彼は最低限必要な"彼女"の情報をあの時、マルセルに伝えたのだ。だからこそその後の峰雲との連携もスムーズに行え、アールの扱いは"意識不明"の重体として、同じく負傷した斑鳩共々問題無く第13A.R.K.へと速やかに帰投し受け入れられる流れとなったのだ。
しかし、ここから先――彼女の処遇は、どうなるのだろうか。
式神としての彼女の事は、局長や司令代行も当然、知る事となるだろう。……アールは、その素性も含めて謎が多い。もし、峰雲が言う通りの存在だったとするなら……
言葉とは裏腹に表情をしかめる詩絵莉を不思議そうに覗き込む五葉の視線に、詩絵莉は気付くと首を数度、横に振る。
「教えてくれてありがとう、五葉さん。 それで……今はどういう状況、なのかしら……これは」
――それは今、私が考える事じゃない、か……。 暁がきっと……
気持ちをリセットする様に小さく息を吐くと、再び詩絵莉は周囲を見渡しながら五葉へと聞き直る。
彼女は「よいしょ」と両手に携えた荷物を抱え直すと、大きく頷いた。
「今は、アダプター2へと出向する準備をしているところッスよ! 例の通信設備の修復をする為に、本部から必要な資材をフリッツさんが取り寄せてくれたんッス!」
「! ……そっか、フリッツが……って、ちょっと待って、必要な資材って……一体どうやってそれを……?」
五葉の言葉に疑問を感じ、聞き返す詩絵莉。
あの時……他にタタリギは散見されなかったものの、あの地が今、純種を失ったあとどういう状況にあるのか。
先の戦闘では部隊全体の損傷が激しく、本来の一つでもあった鉄塔……あの電波塔の調査も行えず引き上げてきてしまった事を、詩絵莉は歯がゆく感じていたのだが……彼女の口ぶりからすると、既に調査は行われたのだろうか――?
「――現地の状況については確認済みだ。 おはよう、泉妻隊員」
口元に手をやり、思わず考え耽る詩絵莉の横からの声。
そこには、普段見慣れたシャツにネクタイではない、部隊服に身を包んだマルセル――Y036部隊隊長の姿があった。
「マルセル隊長……」
「……よく眠れたか? 身体は……大丈夫そうだな」
改造こそされているものの、式梟が身に纏うタイプの制服……だろうか。
詩絵莉は彼の言葉に頷きながら、その見慣れぬ姿に思わず驚きの表情を浮かべる。
ヤドリギにとって、支給される制服を改造する事はさして珍しい事ではない。
むしろ、企画が統一されている撃牙を纏い前線で戦う事を前提で造られた式狼や、オペレーターとして直接戦闘に参加せず作戦に従事する式梟よりも、使い手によって様々にカスタムされた銃火器を繰る式隼にとって、そのスタイル・得意とする射撃姿勢・バレットベルトやポーチの位置など、特に個人の趣向に基づいた改造が成されているのが常でもあるのだが……マルセルのそれは、詩絵莉が今まであまり見た事の無い形状のものだったのだ。
「ん? はは、制服姿を見せるのは初めてか。 そう見つめないでくれよ、流石に照れてしまうな」
苦笑するマルセルに、は、と詩絵莉は我に返る。
「い、いえ……深い意味は……それよりも、今が好機というのは?」
言葉を口にする詩絵莉とマルセルに、軽く会釈し小走りに駆けていく五葉を見送ると、彼は腕を組みながら詩絵莉へと向き直った。
「ああ。 実は、君らが休んでいる間に……アダプター2をひとっ走り、偵察してきたんだ」
「! アダプター2……に!?」
事も無げにそういう彼に、詩絵莉は驚いた様に目を見開く。
「大丈夫、心配には及ばないさ。 ……うちはご存知の通り護衛・局地防衛を旨とする30番台の部隊だが、俺とここに居る数人は、元一桁の出身だ。 と言っても、戦闘を回避しながらの偵察……多少の無理は必要だと腹をくくったのは確かだが……アダプター2の現状確認は、何とか、な」
そう、だった……と、詩絵莉は改めてマルセルの姿を凝視した。
ここ、アダプター1で的確な指示を下す彼の、言わば内勤姿に失念こそしていたが、マルセルは元々ヤドリギの中でも功績を残すエリートが在中する……通称、一桁部隊に所属していた人物だ。彼の纏う雰囲気、そして……恐らく、独特な操銃のクセに完璧にあつらえてあるだろう、独特の改造を施された式隼の制服。……その実力は推して知るべし、か。
――しかし、だとしても無茶な……
確かに、想定外の敵……純種の出現によって本来の任務の一つである通信設備の調査を行う事が出来なかったため、Y036部隊がそれを代行する、という手筈にはなっていたが……それは、護衛戦力として期待出来るギルや自分の快復を待ってから、だと詩絵莉は考えていた。だからこそ、まずはと薦められた休息に身を横たえたのだ。
Y036部隊が出向くという事は、ここ、アダプター1の防衛力は落ちる事に他ならない。
クレバーそうに見えてこのマルセル隊長だが、意外と無茶な事を……と、詩絵莉は心の中で驚きとも呆れとも取れる声を漏らす。
「でも、少数であの……アダプター2に向かうなんて」
そう、アダプター2に居たのは通常のタタリギではなかった……その報告を受けている筈の場所に、と、僅かばかりの批難と呆れ顔を浮かべる彼女に、マルセルは苦笑してみせる。
「なに、お前さんたちが切り抜けた状況に比べれば、無茶のうちにも入らないさ」
少しおどけて見せた彼は頷くと、直ぐに表情を引き締め言葉を続けた。
「……それにこの拠点周辺は、お前さんらがアダプター2攻略の為に動いていた間、範囲を広げ警戒と索敵……そして小規模になるがタタリギの排除を行ってきたからな。 ある程度の安全性は確保した上さ。 アダプター2は、死闘を制し無事帰還を果たしてくれたY028部隊が確保した大事な場所……そこを確保するのも、俺たちの仕事……っと、もちろん本部とここの連中、全会一致の判断に基づいて……な」
そう言うと、マルセルは再び大きく頷き周囲を見渡す。
「……ま、戦力が心もとないのは確かだ。 ここの防衛も最低限残しての、時間との勝負……戦闘は極力回避するつもりだったが、Y028部隊の報告通り、タタリギとの遭遇は幸い無くてね。 あのアダプター2も、今やもぬけの殻だ……今は、な」
なるほど、と詩絵莉はマルセルの言葉に静かに頷いた。
自分たちの事で精一杯になっていたが、Y036部隊はY036部隊で忠実に任務を果たしていたのだ。
アダプター1に都度、帰投する自分たちのケアだけでなく、拠点周辺の安全確保……改めて、彼らの存在の大きさと優秀さに、心の中で唸る。
そしてふと、もぬけの殻、という彼の言葉に、詩絵莉はアダプター2での情景を思い出していた。
あの広場に集められた様な兵器の残骸、そしてそこから生える、純種を突如生み出した影絵の様な黒い樹について――。
「! そうだ……あの純種を生み出した、広場にあった黒い樹は……!?」
闘いの後、あまりの状況にそのままにしておいたあの樹の事を思い出すと、詩絵莉は慌てて顔を上げる。
彼女の様子に、マルセルは落ち着いて首を横に振ってみせた。
「……報告にもあった、純種を生み出した黒い樹……タタリギの本身、と言ったところか。 ……俺たちが見た限りでは、確認は出来なかった」
「――無かった……? あの樹が……?」
マルセルの言葉に、詩絵莉はいぶかし気に眉をひそめた。
最後に見たアダプター2の光景はどうだっただろうか。
あの時は、皆の負傷……そして、アールの事で頭が一杯だった。思い出そうとしても、あの黒い樹があったかどうか……どうにも、記憶がはっきりしない。
「……とにかく、タタリギが確認されない今、あの軍事施設跡、アダプター2を確保するまたとない好機だ。 通信塔の修復に必要なものは、撮影してきた写真からフリッツが算出してくれた。 ここと本部からかき集めた修繕に必要な資材を積んで、1時間後には再び出発する予定だ」
「……一時間後」
通りで、慌ただしく皆が動いているわけだ。
それぞれが必要な資材を装甲車へとリレーする様に詰み直し、本部に使われているコンテナの前では数人の式兵たちが兵装の確認を行っている。
「――!」
そこで詩絵莉の眼に入ったのは、後頭部で雑に纏めた金髪を揺らし、書類を片手に右往左往する見慣れたツナギ姿――フリッツだ。
本部コンテナ横に設営されたテントの中、作戦ボードに貼り付けられた書類と写真を前に、置かれた机を転々としながら一心不乱に何かを書き記している。
「……フリッツ。 あいつ……頑張ってるみたいね……」
距離にすると10mといったところだろうか。
こちらにも十分気付ける距離ではあるが、まったく気付く様子も無く作業に没頭する姿に、詩絵莉は少し笑ってしまった。こちらに気付くや否や、あのキャラの名前を上げながらすっ飛んで来そうものだが……一心不乱に仕事に集中するその姿は、以前口にした「僕は僕にやれることを」と言った言葉そのまま――あの姿こそが、本来の彼、なのかもしれない。
「――よぉ、シエリ。 起きてたんだな、傷はどうだ?」
フリッツをぼんやり見つめる詩絵莉の背後から、聞き慣れた声に振り返ると―そこには黒いTシャツの端々から覗く包帯を気にする様子も無く、両脇に資材らしきものを抱えたギルの姿があった。
「ギル……って、あんた、なにしてんの……?」
…………――――第8話 Side:Adapter-1 再訪、A2へ向けて(2)へと続く。