第8話 D.E.E.D. (3) Part-1
アールは、目を覚ます。
朧げで優しい記憶と、静かにその心を刺す痛みに揺られ―
涙も無く…だが確かに彼女は、泣いていた。
そして、目覚めた彼女―式神の処遇とこの先へ踏み出す一歩を―
彼らは、模索し始める。
「――それが、君たちが見た、式神の……彼女の、力……」
峰雲の私室でもあるラボラトリ。
本棚から溢れだした様々な書籍や資料が床のあちらこちらに山積し、お世辞にも片付いたと言い難いその部屋は、本来の間取りよりも狭く感じさせる。
そして先程、斑鳩からの報せ――彼女の目覚めを受けを受け足を運んだ三人――ローレッタ、ヴィルドレッド局長……そして峰雲が、アールと斑鳩が座るベッドを取り囲む様に佇んでいた。
流石にやや窮屈なその空間の中心。
簡素なベッドの上に腰掛け、事の顛末……あの戦闘で何をしたのか。その説明を、ぽつり、ぽつりと呟くように話すアールに対し、峰雲は額に玉の様な冷や汗を浮かべ、その言葉の一つ一つに驚愕の表情を浮かべていた。
「……自らに宿る"タタリギ"を意図的に深過させ、身体的強化をさらに促す、それが"深過解放"……そして、解放し色濃く"タタリギ"としての側面を発現させる事により、他の"タタリギ"に干渉する……それが、"深過共鳴"……」
改めて彼女の発言を整理する峰雲に、アールは俯いたまま小さく頷いた。
眉間に深くシワを寄せた峰雲は右手で、まるで「理解出来ない」と言わんばかりに頭を抱えていた。
「……アルちゃん、今は身体、なんともないの……?」
心配そうに彼女に寄り添い、その手に触れるローレッタの目元は赤く腫れていた。
今は落ち着いているものの、ラボへと一番に飛び込みアールの無事な姿を確認した瞬間……目を覚ましてくれて、良かった――そして、私が助けてと言ったばかりに、彼女は――。
歓喜と安堵、そして後悔に感情を揺さぶられローレッタは思わず溢れる涙を止める事が出来なかったのだ。
アールは、ローレッタを真っ直ぐ見つめ返すとゆっくりと頷いてみせた。
「――少し、身体が重い感じはするけど……今は……だいじょうぶ」
「……そっか、うん、うん……よかった。 アルちゃん、ちゃんとお礼言えてなかったから……本当に、ありがとうね。 アルちゃんのお陰で、私たち皆無事で済んだの……本当に、ありがとう」
そう言って、再び涙を湛えた瞳を伏せる様に彼女は、アールに向かって頭を下げる。
その彼女の暖かい手を、アールは、きゅ、と握り返した。
「……うん」
整えられた髭を右手で撫でながらその様子を見ていたヴィルドレッドは、ゆっくりとその腰を彼女の前――斑鳩のベッドに下すと、アールの深紅の瞳を見据える。
「俺からも礼を言わせてくれるか、式神――アール。 お前の決死の行動は、生存が絶望視される状況から斑鳩たち……いや、13A.R.K.の部隊を一つ、救ったのだ。 本当に、感謝している」
「……ぅ」
そう言って頭を下げるヴィルドレッドに、アールは少し照れるような表情を浮かべ――そして、すぐに助けを求める様に斑鳩にその視線を向けた。
斑鳩は彼女の視線を受けると、少しだけ苦笑し――隣に座るヴィルドレッドに改めて向き直る。
「……局長。 ローレッタからの報告の通り、彼女は……こういう存在だ。 皆が部屋に着く前に彼女から聞いたのですが、あの純種を斃した"共鳴"――あれは、彼女の死……その死、そのものにタタリギを"共鳴"させる事により、対象を崩壊させるもの……だそうです」
『――!!』
その場に居る者たちは、斑鳩の言葉に驚愕の表情が浮かぶ。
死を共鳴させる事により対象共々、崩壊せしめる能力。それは言うまでもなく――自爆。
「……ほ……本当なの? アル、ちゃん……」
震える声でアールの顔を覗き込むローレッタの視線を避けるように、アールはゆっくりと目を閉じる。
「……深過解放で状況が好転しない場合……深過共鳴で、わたしの死にタタリギを共鳴させて、重ねる……タタリギと共に滅ぶ。 ……――それが、わたしに与えられた、アガル……」
「ちょ……ちょっと……待って貰っても、いいかい」
小さく呟く彼女の声を遮ったのは、先ほどまで頭を抱え続けていた教授――峰雲だった。
一斉に振り返る皆の視線を受け、自らを落ち着かせる様に、何度か片手で眼鏡を掛け直す。
「……アール君。 そこから先は……そこから先を聞く事は、君の処遇を決めてからでないと……局長。 これは、僕らが聞き及んでいい事態を遥かに逸脱している……」
峰雲は額に浮かぶ汗を白衣の袖で拭うと深くため息をついて見せる。
「ここから先、式神の――アガルタの真意を知る事になれば、どうなる? 彼女がどういう存在なのか、僕らは少なくともそれを知ってしまった……これはアガルタにとって機密中の機密のはず……僕は……」
峰雲の言葉に、斑鳩、ローレッタは視線だけを交差させる。
……確かに、彼の言う通りだ。
アガルタから非公式に配属された新式種、"式神"……これだけでも、周囲に秘匿せよとの通達だった。現にアールは現在、13A.R.K.には式狼として登録されている。
だが、それすら今や表層の出来事。
人類の最後の砦、希望の都と謳われる存在が新たに切り札として作り上げた存在の式神は、もはや常識の範疇を超えたものだった。そう、彼が言う通り……遥かにヒトはおろか、ヤドリギすら逸脱した、存在……。
斑鳩たちが見た、深過解放を経た彼女の、あの姿。
そして彼女が受けた命でもある、彼女を、ヒトと引き換えと言わんばかりの手法……タタリギを討つ、深過共鳴による、自爆。
本来、アガルタは人類にとって希望であり、存亡の象徴だ。
その光溢れる場所で、彼女の様な存在が生まれているとすれば……これは、いち式兵が知り得、触れて良い内容では無い事は、嫌でも理解出来る。
「……そうだな。 峰雲の言う通り、だ……」
ヴィルドレッドはヒゲを触る手をひたり、と止め――そして、ゆっくりと……斑鳩へ振り返った。
「斑鳩隊長……いや、斑鳩。 単刀直入に聞こう。 お前は、彼女をどうするつもりでいる」
「!」
思わぬヴィルドレッドからの唐突な言葉に、一瞬瞳を見開く斑鳩だが――
すぐにその表情は落ち着きを取り戻していた。そして……
「局長。 彼女は、俺たちに必要な存在です」
一縷の迷いも無くそう答えた斑鳩に、アールとローレッタは跳ねる様に顔を上げると、ヴィルドレッドを向き直る斑鳩の横顔を見つめる。
「確かに彼女に関して、俺たちは知らない事は多い……多かった。 ただ、同部隊に所属する仲間として受け入れ……そして共に過ごし、戦ってきた。 ……その中で、確信出来る事実があります」
「確信……か。 ――それは?」
斑鳩は、静かに瞳を閉じ――そして、静かに、力強く。
「彼女は、紛れもなく……ヤドリギだった、という事です」
「斑鳩……」
彼の力強い言葉に、アールはその紅い瞳を大きく見開く。
「先の戦いで彼女が、その死をも覚悟し式神の"力"を俺たちに見せたのは、アガルタからの命令を全うする為だけじゃない。 確かにあの時……アールは、俺たちの部隊、そして、その後ろにあるもの、背負っているものの為に……文字通り死力を尽くしてくれた。 少なくとも、俺……俺たちには、彼女の背中はそう、見えました」
静かに語る斑鳩に、ローレッタはアールの手を強く握ったまま、座るベッドが軋む程何度も首を縦に振ってみせる。
「……ヤドリギは、式兵は……A.M.R.T.によって与えられた能力でタタリギと戦い往く……だが局長、貴方になら分かって貰える筈です。 戦うという事は、必ずしも……目の前の敵だけを斃すと言う意味だけを指す意味ではない、と」
「……ほう」
斑鳩は言いながら、視線を局長からアールへとゆっくりと向ける。
今はローレッタにその手を握られ、肩を抱かれ、普段よりも一回り小さく見える彼女……。
だが、その内に秘める凄まじい力に劣らない意志に、斑鳩は惹かれている自分に頷く。
戦う……それは言葉にすれば、とても単純で、簡単なものだ。
斑鳩自身、自らもヤドリギとして戦っていたつもりだった。しかし振り返れば今はただ……任務をこなし、自らのどこか歪んだ衝動に突き動かされていただけだった様に思う。言葉と理屈を並べるのは、簡単な事だ。
……だが、彼女は違った。
言葉もたどたどしく、口数も少ない。
それでも彼女は、思えば入隊して間もないにも拘わらず斑鳩の作戦に、言葉に従い、いつだって全力を尽くし行動していた。
いや、彼女だけではない。ギルも、詩絵莉も、ローレッタもそうだ。皆、戦っていた……そんな当たり前の事に、彼女は気付かせてくれた。
……自らの、なんと愚かな事か。
「彼女は、本当の意味で……戦った。 戦ってくれた。 ……そんな彼女と、そして部隊の仲間と……共に在りたい。 そう思っています」
アールに視線を送る斑鳩の瞳を、僅かに眉間へシワを寄せ射抜く様な鋭い眼光で見据えるヴィルドレッドに、ローレッタは体中を緊張が奔る。
――いい、目つきになった。 ……紛れもない本心からの言葉なのだな、斑鳩。
そう心の中で呟くと、ヴィルドレッドはゆっくりと彼女――アールへと視線を移す。
「アール……お前はどうだ?」
「……」
ヴィルドレッドの目にゆっくりと視線を移すと、彼女は少し目を伏せた。
「わたし……は、目が覚めた時、夢を見ていると思ってた……でも、斑鳩が、ローレッタが……詩絵莉が、ギルが、生きているって聞いて。 ……とても……嬉しかった」
アールは、自らの左手を握るローレッタの手を、少しだけ握り返す。
ローレッタは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しい笑みを浮かべると――より、強くしっかりと、アールの右手を握る。
「わたしの役目は、深過共鳴を実戦で行うこと……そこで、終わりだと思ってた。 ううん、本当に今でも終わっていない理由は……わからない。 だけど……こうして、また……皆が居る場所に、居れる、なら……」
ゆっくりと視線を上げる。
自分を見つめる、斑鳩の黒い瞳。そして、横には強く……優しく握るローレッタの茶色の瞳。
まぶたを閉じれば、ギルと、詩絵莉の顔も鮮明に浮かぶ。そう……夢と違って。
――彼らは、わたしの傍に……確かに、居る……大事な人たち。 だから……
「……これからも、みんなと一緒に……往きたい。 みんなと、みんなが守りたいモノの為に……わたしは、往きたい」
ヴィルドレッドは、思わず彼女の言葉に小さく吐息を漏らす。
初めてあの小僧――ヒューバルトが連れてきたときの彼女とは、まるで違う人物の様にすら思える人間らしい顔付きと、言葉から感じる力。
「皆が守りたいモノの為に、か……」
――なるほど、な。
ヴィルドレッドはゆっくりと目を閉じる。
木佐貫が提出したレポート、そして峰雲が先に語った式神、その畏怖すべき存在について――。
本来ならばこの第13A.R.K.を預かる身として、得体の知れない彼女を囲い込む事はあまりにもリスキーだという事は、言うまでも無い。……だが、こうして相対して感じるのは、偽りの無い、むしろ無垢とまで感じる純粋なヤドリギ……いや、ヒトとしての想いだ。
「お前たちの心構えは理解した。 ……だが、彼女を13A.R.K.に置くとなれば、今後間違いなくアガルタからの介入があるだろう」
ゆっくりと腕を組み、より深く眉間にシワを寄せるヴィルドレッドの言葉に、峰雲は小さく頷いた。
「……もし、アール君が言う通り……深過共鳴というものが、自爆に近しいものであり、それが想定されていたとするなら……その彼女の自爆を以て、式神という存在そのもの、その性質を隠匿する予定だったとするならば……」
……恐らく、それがシナリオだったのだろう。
ヴィルドレッドは峰雲の推察に言葉を発する事は無かったが、内心で何度か頷いていた。
突然訪れたアガルタからの使者。通達の無い、相手方主導人員の配置。物資と引き換えだと言わんばかりの、謎の新式種"式神"の試験配備――なればこそ、斑鳩たちが選ばれたと考えれば、合点がいく。
――だが、その中で彼女と、斑鳩たちは生き残った……
偽装されたバイタルチョーカー、そして消失した戦闘ログに、装甲車コンソール内部に仕込まれていた謎の箱。もし斑鳩たちが生きて帰らなければ、何一つとして式神の痕跡を残すものは残らない……この点から見ても、あの戦いで……いや、やもするとそれよりも前の作戦でさえ、彼らの全滅まで織り込まれていた……そう考えるのが、自然だろう。
――だとすると随分と舐めた手を打ってくれる、あの小僧め……気に食わなんな。
ヴィルドレッドは、心内で強く舌打ちをする。
確かにヤドリギとは、死ぬ事もその仕事に含まれている。
だが、前線を退き、歳を重ね……慣れない管理職の椅子の座り心地が馴染んできた今でも、ヴィルドレッドは彼らの事を、昔――そう、突如として現れたタタリギに世界が混乱に陥った時、その脅威と相対し共に肩を並べ戦った、亡き同胞たちを今も重ね続けている。
守るべきものの為に命を厭わず戦い、誇り高く散っていった彼ら亡骸の上に自分は立っているのだと、ヴィルドレッドは常にそう考える。
命とは、誰しもがその手からこぼれ落ちぬ様、抱える程に大事なものだ。
だが、同時に使う為に、何かを成す為にそれは在る。
その己が命の使い道をヤドリギに見出した彼らの後ろ髪を引く気は、ない。
だが意図せず、ましてやこぼれぬ様にと持つその命を、知らぬままを誰かに払われる様な扱い……それだけは誰が相手だろうが……ヴィルドレッドは、許容する気にはならない。
何かを決心した様な表情を浮かべると、ヴィルドレッドは重い吐息を吐いた。
…………――――第8話 D.E.E.D.(3)part-2へと続く。