第8話 D.E.E.D. (1)
A2での死闘、そして生き残ったY028部隊―。
負傷した斑鳩、ローレッタ…そして今は眠る様にその身を横たえたままのアールは、13A.R.K.へと帰還する。
事の全てを局長達に報告する為にローレッタは作戦指令室へと向かう―。
「――以上が、前作戦……アダプター2で起こった概要の全て、です……」
ローレッタは読み上げた報告書……それが閉じられた薄手のファイルを、ミルワード司令代行へと両手で丁寧に手渡した。
彼女は鮮やかな赤い頭髪を揺らすと、小さく頷きながらそれを受け取る。
「……報告、ご苦労様でした……木佐貫君。 このアダプター2侵攻作戦が、まさかこの様な憂慮すべく事態になるとは……貴方たちを預かる身として、謝罪します」
「い、いえ……そんな……あんな事は、誰にも――そう……誰にも予測なんて、出来なかった事、ですし……」
背筋を伸ばしたまま頭を垂れるミルワードに、ローレッタは思わず両手と首をぶんぶん、と振ってみせた。
その彼女の向こう――部屋の中央に置かれた重厚で広々とした机を挟んだ奥に座るヴィルドレッド局長もまた、同意するとばかりにローレッタに頭を下げる。
「――いや、木佐貫……これは、人手不足を理由に君らをこの任務に充てがった我々にも責任はある。 一歩……そう、何かが一歩違えていれば、こうして君に頭を下げる事も出来なかったかもしれんのだ。 この責任は重く受け止めよう」
「そ、そんな……局長まで……」
――あのアダプター2での死闘から、僅か7時間後。
ローレッタは、負傷した斑鳩と――アールと共に、13A.R.K.へと帰還を果たしていた。
事前に通信で事情を把握していたミルワード作戦司令代行と、ヴィルドレッド局長の直々の出迎えを格納庫で受けると、斑鳩とアールはすぐに付き添いの峰雲と共に最低限の人員により病棟へと運ばれ――ローレッタもまた、先の戦いの反動から来る疲労と睡魔に抗えず、ひと時の休息を得た後。
夜も深まり、人気の無くなった兵舎の奥――最低限の光源で薄暗く照らされる作戦指令室。
そこには、ローレッタと作戦司令代行に局長――そして、少しだけ遅れてやってきた教授……峰雲の四人が一様に険しい表情を浮かべていた。
「……峰雲。 彼らの様子はどうだ?」
ヴィルドレッド局長は顔を上げると、細い目をさらに細目、いつになく険しい表情を浮かべる峰雲に声を掛ける。
「ええ、斑鳩君の方は問題ないでしょう。 重症には違いないが幸い彼は式狼……明日には自分の足で歩けるまでには回復するはず……」
「となると……やはり、問題は渦中の彼女、ですか……」
頷くヴィルドレッドを横目に、ミルワードはローレッタから受け取ったファイルを開き、目を伏せる。
「……ええ。 木佐貫君の報告書、そして報告の通り――彼女は、ヒトとしては完全に死亡していると言って間違いはない……けれど、戦闘で受けた傷は既にあらかた完治している……局長、貴方ならこれをどう判断しますか」
ややフレームの曲がった眼鏡の角度を整えつつ聞く峰雲に、ヴィルドレッドは自らの机の引き出しからアガルタからの来訪者――ヒューバルトから受け取った"R"についての資料を取り出し、深くため息を付く。
「……にわかには信じられんが、木佐貫と峰雲が言う通り……彼女が既にヒトでないとするならば、さて……」
"R"に関しての資料をはらり、はらりとゆっくりとめくるその表情には、流石のヴィルドレッドと言えど明らかに戸惑いの色が浮かんでいた。
「……アガルタが彼女の性質を秘匿していた理由、そして誂えた様に十数年ぶりに出現した純種タタリギ……か。 流石に、俺も頭を抱えざるを得ないな。 あの小僧……ヒューバルト大尉には一杯食わされた、と言いたいところだが……彼女、アールのお陰で脅威を退けれたのも、また確かだ」
「局長、この事はアガルタに報告を……?」
ミルワードはそう言いながら眺めていた報告書を閉じ、丁寧な所作でヴィルドレッドにそれを渡す。
「いや、現状アガルタへの報告は個人的にも行ってはいない。 ……そもそも、提出するログが無いのだからな」
そう言うと、報告書をめくる手を止めヴィルドレッドは開かれたままのファイルを、机の上に静かに置いた。
そのページに記載されている内容は、本来装甲車内コンソールに自動的に記録・保存されるはずの作戦中の戦闘ログと、音声会話ログがあるタイミングから何故か、一切記録されていなかった、というものだった。
「……俺もこの椅子に座り、大事も小事もそれなりに経験してきたつもりだが……こんな事態は初めてだな。 ログデータに触れる事が出来たのは木佐貫、君だけだが……式梟には作戦ログのデータを消去する権限は与えられていない、そうだな?」
そう――あのアダプター2での激戦、いや、死闘……その作戦記録。
会敵後、純種との戦闘が始まってから数分後からアールがその身を呈して純種を退けたその瞬間までの戦闘ログ、その一切の記録があたかも抜け落ちたかの様に消去されていたのだ。
本来ならば作戦行動開始直前、式梟による各式兵のバイタル確認、チョーカーの稼働確認を以て戦闘の記録を開始する。
勿論、幾度となく経た行程だ。この工程を、万が一にもローレッタが記録し損ねるはずもない。
さらに言えば、データは戦闘開始直後……ギルがあの純種から被弾を受けた辺りまでの各自のバイタルデータの記録は残っているのだ。つまり、作戦中にログの保存が中断された……または、作戦終了後の混乱の最中、意図的にそこだけを切り取ったかの様な所業という事になる。
ローレッタはヴィルドレッドからの視線に緊張の面持ちで頷きながら、13A.R.K.を発つ直前――格納庫での局長とのやり取りを思い出していた。
……局長が言葉に含ませている意味は分かる。私が借り受けた局長のコードを以てすれば作戦ログにアクセスする事は可能……だが、それを私がする意味が無い事は、局長も理解している……だからこそ、これは確認の意図を込めた問だ。
――作戦ログが消失しているタイミングは、やはり間違いなく……あの時……
「その事なんですが、その。 ……戦闘開始してから間もなく、コンソールに異常というか……見た事もない表示が現れまして」
「……この報告書にもあるな……ここだな、装甲車内のコンソールに異常が発生……何が起きた?」
彼女の言葉に「ふむ」頷き、ヴィルドレットは椅子からやや身を乗り出す。
「それが、あの区域は完全に通常交信が途絶しているエリアにも関わらず……稼働しているモニターすべてに、"ON LINE"の文字が次々と突然浮かび上がって……」
「……あの場所で、オンライン……ですって?」
ローレッタの言葉に、ミルワードは目を大きく見開く。
「はい。 その時は作戦に集中する事を選び、捨て置いたのですが……実際、木兎の操作や各種コンソール、計器自体には異常や誤作動はありませんでした。 でも、あれは……」
「オン、ライン……」
彼女の隣で今だ険しい表情を浮かべる峰雲は、そうポツリと呟いた。
その言葉に、ヴィルドレッドは眉を顰める。
「オンライン……さて、最後に聞いたのはいつだったか……懐かしい単語が出てきたものだ……。 だが、おかしな話だな。 タタリギにより蹂躙される以前の世界では、確かに衛星を介した連絡手段が存在し、ネットワークと言われるものを構築していたのは確かだが……現在、稼働している衛星は存在しない筈なのだがな」
「……えい、せい……」
ヴィルドレッドが放った聞き慣れない単語にローレッタは小さく俯くが、すぐにハッとした様に顔を上げる。
「衛星、というと……世界が荒廃する以前に宇宙へ打ち上げられていた、様々な通信インフラ等に利用されていたという、あの……?」
確かにそういった物が存在していた事は、おぼろげながら過去の書籍に記されていた。
だが、確かにヴィルドレッドの言う通り――タタリギが出現し、大きな戦いの中でそれらを管理していた場所はことごとく破壊され、あるいは破棄され……現在は利用すらされていない筈の、言わば旧世代の高度なシステムの一つ、だ。
「そんな、まさか……局長、あの装甲車に……いえ、確かにアガルタから支給されているコンソールとはいえ、そんな機能があるなんて聞いた事もないですが……」
いぶかし気に首を捻るミルワードに、ヴィルドレッド
「……それがそうとも言えんのさ、ラティーシャ。 ……そうだな? 木佐貫」
「……!」
何かを含んだ様なヴィルドレッドの口調にローレッタはコンソールに存在する例の、アガルタの刻印が刻まれた黒い箱を真っ先に思い浮かべていた。
もし、局長が言う衛星……この時代においても、稼働している衛星が存在していたとして――それを利用した通信が秘密裏に行われていたとすれば……そして、その中核、機能を担っているのが……あの、不気味に明滅する黒い箱……?
「……互いに、何か心当たりでも?」
視線を結んだままの二人の顔を交互に見るミルワードに、ヴィルドレッドは「まあな」と小さく頷いて見せる。
「なに、心当たりはあるが確証は無い……そういった程度の話だ……この事は折を見て共有しよう。 この件も勿論捨て置けない問題ではあるのだが、話を一旦戻そう」
「……彼女――アールについて、ですね」
鋭い視線を向けられた峰雲は、変わらず普段の彼からは想像出来ない程の深刻な表情を浮かべたまま、その視線をゆっくりと宙へと移す。
「現在、彼女は斑鳩君と共に病棟の僕のラボ内に運び込み……一応、拘束した状態で寝かしてありますが……」
「!? ……こ、拘束!?」
峰雲の言葉に、ローレッタは思わず弾ける様に峰雲を振り返った。
「ど、どうしてアルちゃんを拘束なんて……」
そう口にした瞬間、ローレッタは直ぐにその口を閉じると、少しだけ唇を噛んだ。
――当たり前、か……。
確かに、アールはY028部隊の皆を守る為に戦ったのは事実だ。
だが――同時に、ローレッタは彼女の姿を思い出す。
ぎらぎらとした深紅の瞳に、渦巻き伸びた白髪を振り乱し戦う彼女の姿――。
そう、彼女……アールは紛れもなく、既にヒトではない……帰路の道中、教授から聞いた話になぞらえるならば、丁型等に見られるむしろヒトよりもタタリギに近い性質の存在、という事になる。
それは、その姿を実際に目撃したローレッタには――十分に理解出来る話だった。
確かにあの時彼女は、ヒトとして、ヤドリギとして戦ってくれた。
だが同時に意識を失い、その傷を癒し続ける彼女が目覚めた時――果たして、彼女が彼女である保証は、どこにもない――。
「……木佐貫。 辛いだろうが、これは俺の指示でもある。 ……その意味は、分かってくれるな?」
背後から投げ掛けられたヴィルドレッドの言葉に、ローレッタは振り返らずも小さく頷く。
「もし、彼女が目覚めた時――丙型や丁型の様に自我を失っている可能性も、無い訳じゃない……なにしろ、何一つとして今彼女の事は分からないんだ。 こうした処置を君の仲間に強いてる事は心苦しいんだけど……」
「……わかって、ます、教授。 万が一に備え、このA.R.K.を……守るための拘束だと……。 ……斑鳩タイチョーはこの事を……?」
ローレッタの声に、木佐貫は頷きながら答える。
「ああ、彼も了承済みだよ。 そして、万が一の時には……彼が、彼女を止める役目を自らの意志で、負ってくれている……」
「……そ、それって、つまり……」
少しだけ震える声で聞き返すローレッタに、峰雲は小さく頷くと、自らの首元を人差し指でトントン、と叩いて見せた。
「……そうですか、タイチョー……が……」
峰雲のその所作に、ローレッタはごくり、と喉を鳴らす。
恐らく、万が一の為に、アールを止める為に……本来、瀕死時に起こり得る深度経過により、ヤドリギからタタリギへと堕ちようとした者への最期の安全弁――毒針が仕込まれたチョーカーの起動スイッチを、彼……斑鳩が握っている、という事なのだろう。
「……現在、アガルタからの連絡は無い……まあ、どちらにせよこちらから作戦報告ログを提出しない限り、本来はこちらでの出来事を知る事などアガルタには不可能だからな。 だが、南東区域に対する侵攻はアガルタの意志でもある……彼女の試験運用を兼ねた、な」
机に両肘を着き、顔の前で手のひらをゆっくりと組むヴィルドレッドの横で、ミルワードもまた頷いていた。
「つまり、どちらにせよ彼女を預かった以上、この作戦の事は報告する義務がある……ですが……」
「ああ、その際、彼女をどう扱うか……だ――」
どう扱うか……ヴィルドレッドのその言葉に、峰雲は厳しい表情を浮かべたまま、俯いていた顔を上げる。
「……局長。 僕は、アール君の事は……触れないでおいた方がいいと……そう、思う」
「……」
「彼女は……アールは、明らかに異質な存在だ。 タタリギを斃す――その目的の為に生まれた既存のヤドリギ何かとは比べ様も無い程に……僕は、正直恐ろしい。 もし彼女を生み出したのが本当にアガルタ……いや、あの黒江教授だとしたら……僕は……」
全身を駆け上がる震えを抑える様に、峰雲はその身体を両の手で抱える。
その姿に、ヴィルドレッドは目を閉じ――そして、ゆっくりと息を吐き出した。
「触れないでおく、か……。 確かに、アールの存在がもし峰雲が先に教えてくれた通り……その、黒江という人物の理念を元にアガルタの暗がりで生まれたモノだとするならば……我々の様な末端組織が首を突っ込むべき事柄ではないだろうな……だが」
そう言うと、ヴィルドレッドは静かにまぶたを開くと、ひたり、と峰雲を射抜く様に見据える。
「だが、それでも――だ、峰雲」
ローレッタは彼――局長の迫力に、口を一文字に閉じると同時に、思わず喉を鳴らす。
あの格納庫内でも見た、ヴィルドレッドの本質を問うような、鋭い視線――。
「もし、彼女がお前が想像する通りの存在だとするならば、いいのか? そんな研究を、成果を――お前は、赦し捨て置けるのか」
「……!」
赦し、捨て置けるのか――
ヴィルドレッドが放ったその言葉に、峰雲は眉間に皺を寄せると、再び天井を仰ぐ。
「……アガルタの全てが"黒"とは思っていない。 人類が今まで存亡してきたのは、紛れもなく彼の地の尽力もあればこそだからな。 ――だが、タタリギを斃す為ならば、ヒトをヒトとして扱わない……その様な所業を、お前は捨て置けるのか? ……峰雲」
局長の言葉に、ミルワードは机の上に広げられたアールの資料を、悲痛そうな表情で見つめていた。
「我々が戦う理由を思い出すのだ。 俺たちは明日生まれ来る新たな命の為に戦っている。 決して現状を先延ばしにし、生き長らえる為では断じてない。 若い命を、矢に盾にと差し出し掴み縋るその明日に……お前は価値を見出せるのか?」
――長い沈黙。
ローレッタも、ミルワードも動けない。
ヴィルドレッドの問答――それは勿論、理論的な面も大きいのだろう。もし、峰雲教授の師……黒江という人物がアガルタに拾われ、ヒトとしての理……領分を超えるに等しい研究の成果が彼女ならば……それは、タタリギに抗う為とはいえ、常軌を逸脱した行為に他ならない。
もしそんな事が世間に露見すれば、どうなるのか……
生まれる前の胎児に対して行われる人体実験……そう、生まれる前から目の前に墓穴を用意されるが如く、造られた式兵、それが彼女ならば……。
ローレッタは、アールと共に過ごした時間を思い出す。
狭いコンテナで一緒に囲んだ祝いの夕飯、交わした言葉、時折見せた屈託のない笑み……そして、綺麗で儚く淡い光に照らされる白髪に、紅い瞳……
――「斑鳩が……みんなが、わたしを信じてくれるなら、それだけで……それだけで! ここに居れた、意味が……ある……!!」
……そうだ。
きっと、彼女は自分がどういう存在なのか、理解していたのだ――。
でも、何て悲しい事なのだろう。ローレッタは、最後に見た彼女の声……そして、その姿が脳裏に過り……つう、と一筋の涙が頬を伝うのを感じた。
"ここに居れた、意味がある"……そうだ、彼女は戦う為のみに生まれてきた、その事を全てを理解していて……きっと……彼女は、それ以外の意味を見出そうとしていたのだ。……いや、私たちに、それを見出してくれていたのかもしれない。
そうだとするならば、ヴィルドレッドの言う通り……彼女の様な存在をもしアガルタが生み出しているのだとしたら……?
――式神が、もしそういう性質だと言うのなら……私は……
不意に、ローレッタの視界に可愛らしいピンク色のハンカチが差し出された。
その差し出された手を見上げると、そこには、悲しそうに――だが、確かに笑みを浮かべたミルワードの顔。
ローレッタは、ぎゅ、と目を閉じ涙を拭うと、彼女に向けて「大丈夫です」と言わんばかりの表情を以て答え――その表情に、ミルワードもまた、小さく頷いた。
その二人のやりとりを眺めていた峰雲が、ゆっくりと、静かに再び口を開く。
「……僕は、黒江教授の理論を聞いたとき、恐ろしさと同時に憤りを感じた。 もし、アールが……彼女がそうならば、彼女はそうある様にしか生まれ得なかったんだ。 ……こんな時代とはいえ、生まれる前からタタリギとの戦いが約束された存在だなんて……いや、ヒトですらない存在として生まれる事が決められるなんて……そんなのは、あまりにも……ろくでもない事だ……」
言いながら、彼はその拳をぎゅう、と握り込む。
「そうだ、峰雲……そんなお前だからこそ、俺はお前を第1A.R.K.から引き抜き、ここへ連れてきたのだからな。 ……彼女の事は――」
――その時だった。
――ピーッ、ピーッ……
静かな部屋に唐突に鳴り響く甲高い電子音――それは、ミルワードの背後、壁に掛けられた通信機からだった。
彼女はすぐに白い受話器を取ると、「はい……はい、すぐに」とだけ言うと、振り返りながら受話器を掛け、そして――緊張の面持ちで口を開いた。
「――話を遮って申し訳ありませんが、斑鳩隊長から通達が……彼女が、目を……覚ました、と……!」
『!!!』
……――第8話 D.E.E.D. (2)へと続く