第7話 エピローグ
「教授、イカルガの傷はどうだ……?」
アダプター2、その宿泊施設なっているコンテナハウス内――
ギルは純種から受けた噛み痕――その連なった様な裂傷を五葉に消毒と包帯を施してもらいながら、横たわる斑鳩と処置に当たる峰雲の背中に声を掛ける。
「ああっ、ギルバートさん動いちゃだめッスよ……私、あんまり包帯巻くの得意じゃないんスから……!」
「あっ、ああ、すまねえ……!」
慌てて包帯の束を落としそうになる五葉に、ギルは素直に頭を下げる。
「撃牙の貫通痕のほうは、一応縫合は終わったよ……後は彼の狼としての特性を十分発揮させる為にも、安静第一、と言ったところかな。 とは言え、ここでは以上の処置は難しいね。 触診しか出来てないけれど、両腕とあばらに骨折……内出血も酷い状態だ。 この状態だと、恐らくヒビが入っている骨もあるだろうね」
「暁……」
詩絵莉は目を閉じ眠る斑鳩の枕元に腰かけ、その顔を心配そうな表情でじっと見つめていた。
峰雲は彼女の様子に苦笑すると、頷いてみせる。
「――出血量が多かったけれど、幸い持ってきた輸血パックで事足りたからね……命に別状は無いよ。 けれど、継続治療が必要な状態なのは確かだ……ここの設備じゃ、心もとない。 やはり一度、A.R.K.に帰還してきちんと治療に当たるべきだと軍医としては提案するよ」
「教授……ありがとう、ございます」
その言葉に、詩絵莉はぺこりと頭を下げる。
峰雲は「教授ではないんだけどなあ……」と再び苦笑しながら、斑鳩の傷に包帯を巻いていく。
「……しかし、驚いたよ。 マルセル隊長から君たちの状態を聞いて……局長も司令代行も大慌てさ。 勿論、この僕もだったけどね……」
そう言うと――改めて斑鳩、詩絵莉――そしてギル。
三人が負った傷をゆっくりと彼は見回した。
N33式兵装甲車であのアダプター2を後にした彼らY028部隊は、通信可能範囲に入ると即座にアダプター1を預かるY036部隊隊長、マルセルへと入電し最低限の事態を伝えた。アダプター2で遭遇した、未知のタタリギとの戦闘が行われた事。それによる部隊の激しい損傷――。
事態を重く観たマルセルは即座に第13A.R.K.へと連絡を取り継ぎ、それを受けたミルワード司令代行はすぐさま峰雲を始めとした数人の医療班を編成、派遣してきたのだ。
「よし、出来たッス!」
五葉はそう言うと、包帯を巻き終わったギルの背中をぱん、と軽く叩く。
「……ッてぇぇ!? ちょ、お前……もうちょっと優しく扱ってくれよ……」
「あ、申し訳ないッス、つい……! じゃあ、私は医療班の人たちに労いのお茶でも入れてくるッス!」
両手を合しギルに謝ると、五葉はテキパキと医療箱に散らかった薬品や包帯を収めていく。
「あ、そう言えば……フリッツはどうしてるの?」
詩絵莉の言葉に、五葉は医療箱を抱え立ち上がると振り返る。
「彼は今、うちのマルセル隊長と一緒にローレッタさんからの報告を聞いているところッス! 彼、本当に心配してたッスよー、皆さんが戻ってくるまで気が気じゃなかったみたいだったッスからね。 あ、それは私もそうだったッスけど! 皆さんが無事で本当に良かったッス……!」
「――そっか、そうだね……うん。 ありがとう、五葉。 ――後であたしらも彼と話、しておくよ」
彼女の言葉に小さく頷く詩絵莉に、五葉は頷き「それがいいッス!」と言い残し、笑顔でコンテナを駆け出していった。
ぱたん、と軽い音を立てて閉まる扉を眺めていた峰雲は、それを確認するとギルと詩絵莉に向き直る。
「……それで、彼女の事――なんだけど」
そう言うと、斑鳩のベッドの奥――部屋を仕切る様に掛けられた白いカーテンをそっと開く。
そこには眠る様に横たわる、彼女――アールの姿が、あった。
ギルと詩絵莉は峰雲に続くように移動すると斑鳩のベッドの脇に腰掛け、横たわる彼女を見つめる。
「気絶している、と伝え聞いて運ばれてきた彼女……見たところ――目に見える外傷は、このアダプター2へ到着した時には既に……なかった。 君たちのいう事が本当ならば……ここに到着するまでに、この状態ながら全て治癒してしまった、という事で間違いはないね……?」
峰雲の言葉に、ギルと詩絵莉は神妙な顔つきで頷く。
「見てくれ、教授――アールの服に開いた穴をよ。 ――無数にあった、背中まで貫いていたこのサイズの傷が……塞がっちまったんだ」
「……だけど、アールは……呼吸もしてない、脈拍も、ない……」
二人の言葉に、峰雲は改めて横たわるアールの手を取り、脈拍を確認し。呼吸を確かめ、聴診器を数か所押し当て――まぶたを開くと、小さな灯りを手にその瞳孔反応を確認する。
「……確かに、ヒトとしては……死んでいる状態、だ……。 だが、確かに妙だ……経過時間的に顎部に死後硬直の兆しが見られてもおかしくはないはずなのに、それが全くない……どころか……」
峰雲は手袋を外すと、アールの首元や頬を何度か触る。
「……圧迫した部分の反応は、とても死人のそれじゃあ、ない……。 ――出来れば、アダプター2で何があったのか……経緯を詳しく知りたんだけど……」
再び手袋をはめながら振り返る峰雲に、ギルと詩絵莉の二人は伏目がちにその目を見合わせる。
あのアダプター2で見せた、彼女の姿――
渦巻き蠢く様な白い髪をなびかせ、おおよそヒト――いや、ヤドリギをも超えた動き。
そして、あの最期を――伝えるべきか、伏せておくべきなのか。
――その時だった。
「……教授。 アールはもともと、この状態だった……彼女は、既に死んでいた、とするならどうです……?」
背後から響いた声は、斑鳩のものだった。
彼はベッドに横たわったまま、首だけを彼らの方に向けて薄目を開き――その黒い瞳を峰雲へと向けていた。
「……ちょっ、暁……! い、いいの? その……」
「――いいんだ、詩絵莉。 どちらにしろ、俺たちの知識だけじゃアールの……この状態を判断するのは無理がある。 ……教授が直接アダプター1に出向してきてくれていて、良かったよ……手間が、省けた」
そう言いながら身を起こそうとする斑鳩を、詩絵莉は「寝てなきゃだめだってば!」とその肩を制止する。
「……待ってくれ、斑鳩君。 ――既に、死んでいた……だって?」
彼の言葉に、峰雲は細い目を大きく見開き問い返す。
斑鳩は神妙に頷いてみせると、詩絵莉に肩を支えられたまま言葉を続けた。
「ええ。 思えは……最初に彼女と出会い――握手をした、あの時。 ……確かに違和感を感じたんです――妙に冷たい手だな、と……」
斑鳩は、静かにアールと出会った局長室での一幕を思い出していた。
始めて握手をした――そう言いながら繋いだ手を振ってみせた彼女は……あの時、確かに体温らしいものを、感じさせなかったのだ。
詩絵莉は斑鳩の言葉に、「そう言えば……」と彼の肩から手を放すと、出撃前夜の出来事を思い出していた。
「……出撃前の夜……彼女と、ロールと三人で入浴した時……アールは何故か、冷水を浴びていたの。 ……あたしたちがお湯を掛けると、凄く嫌がってね……単にお風呂嫌いなのかと思ったんだけど……」
詩絵莉は横たわるアールの手を、そっと撫でる。
「お風呂あがり、この子の背中を拭いた時――汗が……全く浮かんでいなかった」
「……つまり、彼女は呼吸と脈拍はおろか……代謝を行っていない可能性もある」
斑鳩の言葉に、詩絵莉は小さく頷いた。
「汗と言えば……確かに戦闘で、あれだけアールは激しく動き回った後っつうのに息一つ乱れてなかった。 勿論、一筋の汗も、な……」
ギルも詩絵莉の言葉に静かに頷いてみせる。
峰雲は三人の言葉を黙って聞くと、眉間に皺をよせ深く考え込む様に腕を組んで天井を見つめる。
そんな彼に斑鳩は、暗いコンテナの中で静かに……事実を慎重に思い出す様、ゆっくりと――アダプター2での出来事を、彼に語り始めた。
当初の報告よりも格段に小型、大型のタタリギの個体数が少なかった事。
まだ正式な報告は行っていないが、純種と見られる個体と遭遇し、戦闘に至った事。
その個体は、芯核を複数持ち――そして、デイケーダーによる深度経過を耐え、強化へと転じた事。
そして、彼女――アールの、"あの力"と容姿……抜け落ち灰と散ったあの髪の事を。
「――以上が、今回のアダプター2侵攻作戦で起きた全容だ……教授」
「……と……とても信じられない……! こんな近くに、タタリギが――それに"黒い樹"……!? さらにそこから純種が現れ……い、いやしかし……君の言葉が本当ならば……彼女は……いや、そんな馬鹿な……!!」
峰雲は斑鳩の語りを聞き終えると、口元を抑えたままよろよろと後ずさり、簡易な椅子へとその腰を落とすと額に玉の様な汗を浮かべる。
「全部事実、だぜ……教授。 ――俺たちは、アールのおかげで……今、こうしてここに戻ってこれたんだからよ」
「あたしだって、こうして生きて帰ってこれた今……あの光景は夢だったんじゃないかと思う……ケド、全部本当の事……」
俯きながらそう呟くギルと詩絵莉の声に、峰雲は大きくため息をつく。
「……わかってる、君たちが嘘をつく理由もないし、事実彼女の状態は……いや、だとしたら、式神を生み出した新型A.M.R.T.とは一体……!? いや、新型A.M.R.T.だとしても、そこまで深過を促進した状態でヒトである事を保っているなど、荒唐無稽すぎる……!! 確実に丁型や丙型の様に、自我は崩壊し、タタリギへと墜ちる他はない……ありえない、不可能だ……!!!」
だが、ひとしきり頭を掻きむしりながら取り乱した峰雲は、何かに気付いた様にぴたり、とその手を止めた。
「――いや……ま、まさか……まさか……?」
「……教授?」
そのまま、1分、2分――
峰雲はぴたりと身体を止めたまま、静かに時間だけが過ぎてゆく。
そして。
「……僕は"教授"と呼ばれる事に対して不本意である理由が、あるんだ……」
「……? な、何の話だ? 教授……」
突然、頭に添えた手を降し、虚空を見つめながら口を開いた峰雲に、ギルはわからない、とい言った風に答える。そんな彼の言葉に椅子から立ち上がると――彼は、アールのすぐ傍まで歩み寄り、目を細めて彼女を見つめながら続けた。
「もう、15年……いや、20年は昔の話だよ。 ……僕は医療技術を学ぶ傍ら当時あった研究所の、とある教授の元へと講義を受ける為に通っていたんだ」
「……随分、昔の話ね?」
詩絵莉の相槌に、峰雲は静かに頷く。
「講義の内容は……そうだね。 今で言うヤドリギの構築理論……いや、A.M.R.T.の生成理論、といったものだった。 加えてタタリギの生態、構成体組織、その目的や行動理念……興味深い授業だったよ。 その教授こそが今の僕……軍医としだけでなく、タタリギの生態調査や考察する基礎を作ってくれたと言っていい。 ……彼女こそ、僕にとって理想の"教授"だったんだ」
話が見えない、と言った風に顔を見合わせるギルと詩絵莉。
そして斑鳩は、半身を起こしたまま静かに彼の言葉の先を待つ。
「――彼女の名前は、黒江……黒江、教授……。 美しいヒトだった……そして、本物の天才だったよ。 いや、天才過ぎた、と言うべきかな……」
峰雲は昔を懐かしむ様に――細めたその目を、深く閉じる。
「A.M.R.T.の基礎理論が完成した頃……彼女は当時勤めていた、第1A.R.K.にあるアガルタ直属の研究所を後にしたんだ。 その理由は……完成前のA.M.R.T.の効力に疑問を呈し、学会と研究所全体から強いバッシングを受けたからだと聞いている」
「完成前のA.M.R.T.に、疑問……? どういう意味です、教授」
斑鳩の言葉に、峰雲はそのまぶたを開け、再びアールを見据える。
「僕も全容を把握しているわけじゃない……だけど、姿を消す直前、常々――黒江教授は僕にも愚痴をこぼしていたよ。 ……A.M.R.T.では、真にタタリギに勝つことは出来ない、と――もっと、根本的な方法が必要だ、とね……」
『……』
A.M.R.T.では真のタタリギには、勝てない――
それは、現状のヤドリギである斑鳩たちが純種であるあのタタリギに敗れる事を、まるで予見していたかのような話に、一同は眉間に皺を寄せる。
「――そして彼女が提唱していた理論が……現在の様なA.M.R.T.の注入による後天的な力の付与ではなく……」
アールを見据える峰雲の額に浮かんだ汗が、つう、とその顎を伝う。
それを左手で拭うと、ごくり、と喉を大きく鳴らし――乾いた唇を動かした。
「……タタリギの体細胞そのものを……ヒトの胎児期より移植し、出生させる――黒江教授曰く、タタリギからの脅威に真に対抗しうる、次世代の……"ヒトの創造"、だったんだ」
『――な……』
峰雲の言葉に、一同は文字通り言葉を失った。
胎児期に、タタリギの体細胞を移植し、出生させる――それは、もはやヒトが行っていい領分を遥かに超えた、まさに狂気の領域だ。
……いや、今でこそ人類が受け入れている、A.M.R.T.……そしてヤドリギという存在も、言えば袂は同じ――
人類を滅さんとする存在すら、自己の種の保存の為に利用し、抗うのがヒトである事は変わらない。
変わらない、が――
――それはあまりにも、あまりにも、"人でなし過ぎる"――。
「無論、そんな研究が容認されるはずも無かった。 彼女はある日を境にA.R.K.からも姿を消して――そしてそれ以来、黒江教授の話を伝え聞く事は無かった……だがもし……あの研究を、彼女がどこかで続けていたとしたならば……まさか、この子は……!!」
現実離れしたその真っ白な髪。
そして、塗れた血の様な、紅の瞳。
――彼女の理論通り、胎児期に移植されたタタリギが定着し、まさにヒトとタタリギの狭間に生まれたならば……この姿も……
峰雲は乾いた唇を震わせながら、アールの頬に手を伸ばし――だがその手が触れる直前、はっと我に返った様にその身を弾くと、そのまま再びよろよろと真後ろの椅子へと腰を砕けさせる様に落とした。
「……教授、そんな事が……可能、なのか……?」
いつの間にか半身を起こした斑鳩の言葉に、峰雲は静かに首を横に振る。
「……わからない。 ――正直、僕には荷が重すぎる。 もし仮に可能だとして、彼女はあのアガルタから来た……黒江教授が生きていて、何らかの理由でアガルタに籍を置き……――いや、あり得ない! そんな非人道的な研究を、アガルタが行うだろうか……!?」
再び頭を掻きむしる様に抱える峰雲の肩を、ギルが力強く叩く。
「おい教授……! しっかりしてくれよ!」
「ああ、あ、ああ……ああ、そう、だね……すまない、君たちより歳を重ねているはずの僕がこんな体たらくでは……申し訳ない……」
そう言うと、彼は何度か深く深呼吸をすると、掛けている古びた眼鏡を外し、白衣の裾でそのレンズをゆっくりと拭く。
そして、そのまま――斑鳩を振り返った。
「……斑鳩君。 この事はまだ誰にも……?」
「――ええ。 アールの……この状態を知るのは、俺たち4人と……現在はマルセル隊長だけです」
「……そうか、そうだね……だからこうして、"気を失っている"という形でこのコンテナに運び入れる事が出来たわけ、か……」
峰雲は何度か頷くと、眼鏡を掛け直し斑鳩の方へとその身体を向けた。
「……この事は極力伏せておいた方がいい。 現状――あくまで考察の域を出ないが、アール君は重度の損傷を負い、それを治癒して見せた。 ……恐らく今の昏睡……いや、寝ているのかどうかも分からないが、とにかくこの昏睡状態はその反動によるものと診ていいだろう……」
「……じゃあ、アールは……いつかは目が覚める、って事よね……教授……!?」
詩絵莉は身を乗り出して峰雲に詰め寄るが、彼は「落ち着いて」と彼女をなだめると、先ほどとはうって変わった様に冷静に言葉を続ける。
「……それは分からない。 数時間後には目覚めるかもしれないし、数週間、数ヶ月先の事なのかもしれない……どちらにしろ、保護と観察が必要だ……もちろん、もっとちゃんとした施設で……それも、秘密裏に、だ……」
「……なんで秘密にする必要があるんだ?」
首を少し傾げるギルに、峰雲はちらりと視線を向ける。
「……考えてもみるんだ。 もし、我々の考察通り――いや、完全に正しいかは分からないけれど、とにかく彼女は少なくとも"普通のヤドリギ"ではない事は明白だろう? その存在が我々の考察に近いものなら――こんな外法たる存在は、明るみになっちゃあいけない"もの"なんだ……!」
峰雲の言葉に、斑鳩は小さく頷く。
「つまり、アガルタの出方を伺う他ない、という事か……」
「彼女の様な存在を、アガルタが何故君たちの部隊に、どういう意図で配属させたかも不明のままだ……今は下手に動かない方がいい。 もしかすると再び使者が訪れて彼女を回収していく算段になっているのかもしれない。 とにかく今は、彼女の経過を観察し、保護するしかない」
彼はそう言うと、アールにゆっくりと薄手の毛布を掛ける。
その様子を見ながら、痛む傷口に苦戦しつつ、包帯の上から黒いシャツを羽織るギル。
「賛成だぜ。 どっちにしろイカルガもA.R.K.に一度帰還して、療養が必要だろ? 詩絵莉はどうする、お前も戻るか?」
呆然と天井を眺めていた詩絵莉は、彼の声にはっと我に返り斑鳩とギルに交互に視線を走らせる。
「えっ……あたし? ギルは一緒に戻らないの?」
「俺も一旦帰ってリアに顔を見せてやりてえけどな。 ……だけどよ、うちの部隊で今前線張れるのは、俺だけだろ? 今後調査とかなんやらで忙しくなるみてえだし、ここで何か手伝える事はあるだろ」
彼の言葉に、詩絵莉は口元に手を添え考え込む。
確かに、ギルの傷は浅くはないとはいえ、適切な処置を施された今なら彼の回復力であれば、数日もあれば傷は問題ない程度に治癒するだろう。
そしてここ――アダプター1の防衛。アールのおかげでアダプター2の脅威が排斥された今、あの場所へとY036部隊が調査に向かう算段になっている。当初行う予定だった、通信設備の調査を行えなかったのは、当然純種という想定以上の脅威と遭遇した為になされていない。
だが、それはそれ、これはこれ――任務を完全に果たせていないのは、確かだ。
「……ギルのくせに結構考えてんのね」
「う、うるせえな……。 それにほれ、キサヌキはどっちにしろ一旦帰還すんだろ、イカルガ?」
彼女の言葉に小さくため息を吐くと、ギルは斑鳩に振り返る。
起こした半身をゆっくりとベッドに横たえながら、斑鳩は「ああ」と答えた。
「……そうだな、今回起こった事……純種の事にせよ、アールの事にせよ……直接局長と司令代行には報告する必要がある。 療養も兼ねて、俺とローレッタ……アールはA.R.K.に戻ろう。 ――申し訳ないが、ギル……詩絵莉。 フリッツとここに残って、マルセル隊長の手助けを頼めるか……?」
そう言う斑鳩に、詩絵莉は「むむむ」と、口に沿えた手を思わず今度は腕組みにした。
「……そ、そう……だね。 マルセル隊長には世話になってるし……今は暁の言う通り、動ける面子はここに残ったほうがいい、かぁ……」
ちらりちらりと、何度か視線だけ斑鳩に向けながら、渋々納得する彼女に、ギルは大きく頷いてみせる。
「ま、心配なのは分かるけどよ。 今、俺たちが雁首揃えて局長ンところに並んでも仕方ねえだろ? そう言うのはイカルガとキサヌキに任せようぜ」
「わ、分かってるわよ……うん……」
――暁と、話したい事……あったんだけどな。
あのアダプター2で、彼の黒く沈んだ黒い瞳に見た、危うさ――
詩絵莉はじっと、ギルと峰雲と言葉を交わす斑鳩の瞳を見つめる。
今の彼には、それを感じる事はないが……あの時確かにあった、彼に感じたあの違和感と危うさの正体を、知りたかった。
……けれど、アールが再起してから血みどろの身体を引き摺り戦う彼の瞳からは、あの危うさは消え……むしろ明らかに、違う輝きを放っていた様に思える。
それが、少しだけ……――悔しい。
「分かったわ、暁。 あたしもここに残る……くれぐれも、無理はするんじゃないわよ。 しっかり療養してないと今度はあたしがどてっぱらに風穴開けてあげるからね」
「それは怖いな。 ああ、傷が治るまで無茶はしない――約束するさ」
「ふふ、どうだか……」
差し出された斑鳩の拳を、詩絵莉はいたずらっぽく笑いながら――己の拳を重ねてみせる。
「……アールの事、頼んだわよ……暁」
「――ああ」
斑鳩の答えに、ふ、と目を細め頷くと、詩絵莉は勢いよく立ち上がると、壁に下げられた時計に目をやる。
「……ロールもそろそろ、報告が終わるころでしょ。 あたし、ここでの話を共有してくるよ」
「そうだな……よし、俺も行くぜ。 フリッツにも話してやらねえとだな」
ギルは斑鳩と頷き合うと、痛みが走る傷に一瞬顔をしかめながら椅子から腰を上げる。
立ち上がった二人は、二言三言言葉を交わすと――斑鳩と峰雲に手を挙げると、ローレッタたちの元へと向かう為、コンテナを後にしていった。
「……斑鳩君」
二人が出て行ったのを見届け、峰雲は再び斑鳩に向き直る。
「……アガルタの真意がどこにあるかは分からない。 だが、あのバイタルを偽装されたチョーカーは……」
「ええ、分かっています。 ……ただの式神の実戦検証ならば、俺たちに彼女が"生きている"という風に見せる必要は、ない……」
切り出し頷く峰雲の言葉に、斑鳩は目を閉じる。
――気掛かりなのは、そこだ。
何故、彼女が"生きている"という風に偽装する必要があったのか?
式神がもし教授が語った黒江という人物の理論に基づく存在だとしたら――当然、それを秘匿する為に違いないだろう。
だが、こうして現に自分たちは僅かながらも彼女の異質さに気付く形になってしまった。
もし、アールが見せた最後の"あの力"……
詳しくは分からない……だが、確実にタタリギの芯核を破壊してみせた、式神の"あの力"――
理論も根拠もない仮説だが、もし、あの力を使う事で本来アールが死ぬ筈だったとしたら……?
それこそが実験の検証――
式神の能力は試され、成功すればよし。失敗すれば……誰も生きて帰る事は、ない……。
"式神"の機密は、守られる事になる、が――
――俺たちは生き残った。 そして本来知る由もなかった筈の、偽装されたチョーカーにまで気付いてしまった。
これは、間違いなくあの男――ヒューバルト大尉の思うところではないだろう。
もし始めから彼女の状態が露見しても良いものならば、バイタルを偽装する必要はないはずだ。
……だからこそ、俺たちの様な少人数の部隊が式神の配属先に選ばれたのだろうか……?
何かあったときの為……目撃者数の前提数を減らし、尚且つ秘匿の為にその存在を消されたとしても、A.R.K.の戦力に大きな影響が出ない……そんな都合のいい部隊として――
「彼女が、目覚めてくれれば……」
斑鳩は横たえたまま頭を動かし、隣のベッドで深く眠るように横たわる彼女を見つめる。
「局長と司令代行ならば、何か良い案を提示してくれるかもしれない……とにかく、今は出来るだけ早く行動したほうがいいと僕は思う。 それに……」
――もし、黒江教授の理論……本当に彼女が"そう"ならば……僕は……
最終防衛都市、アガルタ……。
そこは、この荒廃した世界において人類が誇り、守る――堅牢なる英知の都……最後の砦――。
タタリギから人類を守る為にこそ存在するその場所は、峰雲の憧れ誇る場所でもある。人類の文明、文化の保存だけではない。タタリギに対抗する為の最新の技術、理論が生まれる場所……。
言わば、まさに光輝く人類の存続の為にこそある場所なのだ。
しかし、そこからやってきたこの少女の正体が、もしあの黒江教授の理論の元、生まれた存在だとしたら――
それは光と希望から程遠く……仄暗い、狂気と偏執の渦の底――
まさにヒトが手にする事は許されない……いや、目にする事さえも許されない、深淵に手を掛けた存在に相違ない。
――あのアガルタが、人類の希望と謳われるあの場所で――一体、何が……
峰雲は湧き上がる式神への興味と――それに勝る嫌悪感に、焼ける胸をその手で強く抉るように抑え込む。憧れ、尊敬していたあの教授の背中が、今は黒く霞んでいく。
――教授……本当に、貴女なのですか? 貴女の狂気が、この"式神"を作り出したとしたら……僕は……
「――教授……教授!」
傷の痛みに顔をしかめながら呼びかける斑鳩の声に、峰雲は我に返る。
「あ、ああ、ごめんよ……斑鳩君」
「……いえ。 今は、教授の言う通り――早急にA.R.K.へ戻りましょう……俺も局長たちの意見が聞きたい」
「――わかった。 じゃあ、すぐに発つ準備を始めよう。 悪いが斑鳩君、アール君と二人にするよ。 僕もマルセル隊長にすぐにでも出立する事を伝えてくるよ」
「ええ、助かり……ます」
額に浮かぶ汗を拭いながら、そう言うと峰雲は慌ただしくコンテナを後にする。
その姿を見届けると、斑鳩は再びアールを見つめ――その手を伸ばし、動かぬ彼女の右手を握った。
「……アール。 早く、目を覚ましてくれ……。 ――俺は、お前に謝りたい。 お前の誇り高いヤドリギとしての姿に……俺は……」
あのアダプター2で見た、彼女が戦い往くその姿に――斑鳩の胸は今も僅かに……だが確かに、紅く焦がれていた。
根底にあった、あの戦い以前の自分――今でこそ思う、あの窮地の前に脆くも崩れてしまった、浅はかで……言葉とは裏腹に重みものなく、その身を突き動かしていた衝動と、その思考は今……
彼女の純粋で、真っ直ぐな……紅く輝く様に湛えたその意志に、焦がされてしまった様にすら感じる。
ならば、今こうして彼女がここに居るのなら。せめて彼女が目覚めるその時まで――。
――今度は……俺がお前を守る番、だ……。
強く、強く握った彼女の左手。
それは出会ったあの時と変わらず、冷たいまま――
――だが、握った斑鳩のその手は、今……静かな熱を確かに――帯びていた。
……――第7話 この力、誰が為に。(エピローグ) ―終―