第7話 この力、誰が為に。(8) Part-1
遂に、式神としての真の力を見せるアール。
時を同じくして―遠く離れた"彼の地"。
そこには、アール…いや、Rの姿を観察する、二人の影――
彼らは、彼女に何を見るのか――
そして、戦いの行方は――!
「……」
煌々と焚かれた白い照明の下――
作りのよい、簡素ながらしっかりとした椅子に深く腰掛けた黒髪の男――ヒューバルトは、腕組みした右手をゆっくりと口元に添えながら、複数枚並ぶ薄型のモニターの一つを、黒縁眼鏡越しに――無表情な顔つきで静かに見つめていた。
「始まったわねえ、ヒューバルト……。 まさにヒトの歴史に刻まれる瞬間だわあ……」
ゆっくりとその背後から歩み寄り、彼のすぐ傍らに佇む女性――
長め白衣の上からでも分かる豊満な身体を身震いさせると、白衣のポケットから右手を抜き、栗色の長い髪の毛を掻き上げた。
「ヒトの歴史……か。 案外安っぽい言い回しをするんだな、クロエ」
「あら、これでも私、興奮しているのよ……。 本当に、待ちに待ったDEED検体の記念すべき実戦稼働日……だもの」
舌なめずりをするように、クロエと呼ばれた女性はその美しく細い指で、気怠そうにモニターに映るアールの姿をぬらり、と撫でる。
その姿にヒューバルトは小さくため息をつくと、彼女の細腕を鬱陶しそうに自らの右手を伸ばし払いのけ、どかせた。
「……私は今、忙しい。 用事が無いなら研究室に戻って他の連中に相手をして貰うんだな」
「相変わらずつれないわねえ、大尉殿? 私は他の誰でも無く、貴方とお話しながらこの歴史的瞬間を愉しむ為にここに来たのにぃ……」
歪んだ恍惚の表情を浮かべ、クロエはその指でヒューバルトが座る椅子をツツツ、と撫でる。
しかしヒューバルトは彼女の言葉にも、その動作にも一切興味を示す事無く……無表情でモニターへと視線を落としていた。その様子に少しつまらなそうにクロエは小さくため息を吐くと、何かに気付いた様に目を見開く。
「あら? それにしても……フフッ。 この梟の子、いい腕じゃない……木兎での撮影、お上手ねえ? 記録資料として十二分の出来だわあ……」
「……13A.R.K.でも指折りの式梟らしい。 ――同時に4機まで飛ばせるらしいぞ、彼女は」
無表情にモニターを見つめたままのヒューバルトが返す言葉に、クロエは少しだけ驚いた表情を見せる。
「へえ……それは凄いわねえ。 4機……彼女の脳内領域、興味あるわあ……。 でも、今はこの子……No,7よぉ」
「……No,8だろう。 DEED No,8。 ……"R"」
「あら、そうだったかしら? ……ま、細かい事はどうでもいいのよ、どうでも……」
彼の指摘に彼女は口元を歪め、笑う。
「――初の実戦投入に至ったDEED……まるで我が子の初めての授業参観に参列してる気分よ。 あは……いい動きしてるわぁ」
ローレッタが映し出す、その映像の中で――
アールは禍々しく渦巻き伸びた髪を振り乱し、一心不乱に純種との戦闘を継続している。
一撃一撃を交換しながら――果敢に挑み、撃牙を撃ち込み続ける彼女にヒューバルトはその目を細める。
「……意外だな。 もう少し苦戦するかと思っていたが……生まれたばかりの幼体とは言え、"白虎"を相手によく戦っている……事前の想定スペックを確実に上回っているぞ、これは」
「そうねえ……私もちょっと驚きだわあ。 ……初撃に防御した時の左腕と右足の骨折の治癒も、想定以上……戦闘中の自己治癒能力も素晴らしいわねえ。 DEED……もう、コレが完成品でいいんじゃないの……?」
「……まあ、そう結論を急く事もない。 なにしろ、数え切れん程の失敗作の上――ようやく実戦へと漕ぎ着けたんだ」
そう言うと、彼は少しだけその眉をひそめ、ク、と口角を上げる。
「このDEED……"式神"が完成すれば、五月蠅い軍部の連中にはいい目くらましになる……同時に人類の新たなカードを提供するという題目も出来る……そして、我々の真なるアガルタの理想に、一歩……いや、結果によっては二歩、三歩と近づく事が出来るのだ」
「あらあら……ヒューバルト"大尉"ともあろうお方が、今日はいやに饒舌ねえ……やっぱり娘の晴れ舞台だと……ねえ、パパ?」
彼の言葉を茶化す様に笑うクロエに、ヒューバルトは不機嫌層に小さく舌打ちをすると改めてモニターへと視線を落とす。
「とにかく――データは一つとて漏らさず記録する。 最後のその時まで、な」
「それはもちろん――と、それはそうと……この部隊の子たちはどうするのお?」
クロエは別のモニターに表示されている、Y028部隊の4人へ視線を流す。
そこには、斑鳩、ギル、詩絵莉、そしてローレッタの経歴や戦歴……詳細極まるパーソナルデータがびっしりと表示されていた。
「……彼ら前線部隊にとって最脅威となる"純種"を相手にしているんだ……生きては帰れんだろうさ……」
「ふふっ……おうちに帰るまでに、不慮の事故……大量のタタリギに襲われちゃう、なんて事も、この場所ならないとは言えないものねえ……」
彼女の言葉にヒューバルトは、ふん、と鼻を鳴らし――モニターの端、うずくまる斑鳩にちらりと目を移す。
――斑鳩隊長……君はやはり、有能だった。 ……Rが想定を凌駕する性能を発揮しているのも、あるいは君の部隊に預けたから――かもしれんな。 ああ、心から感謝するとも……。
「……さあ、お前に残された時間はもう幾ばくも無いぞ、R……。 決着の時は近い。 DEED No.8……お前に我々の"式神"、人類にとっての、まさしくDEED…その先駆けとなる姿を見せてくれ――」
きし、と僅かに椅子を揺らし、彼は組んだ足を組み替える。
黒い、黒いその瞳に式神――Rの姿を写し、にいい、と歪な笑みを浮かべながら――
・
・・
・・・
「――ッ!」
――ズッガァァンッ!!
ずざざざああああ…ッ!
純種の鋭い前足から繰り出される一撃を、高速で装填した撃牙を撃ち込み相殺すると――
アールはその反動を逃がす様に後方へと大きく飛びのき――地面を削りながらの着地と同時に、再び撃牙の装填を果たす。
――ずっと感じていた、どくん、どくん、と、この耳を……この身体を打つ様なこの音……。
それは、より確かに聞こえる音……いや、むしろ規則正しく響く衝撃の様なもの……
今も聞こえ、感じ続けるそれは……純種の額に見える再生を果たし、新たに出現したあの芯核から伝わる音……じゃあない――。
アールはちらり、と渦巻き不揃いに伸びた髪の毛の隙間から、純種に向き合ったまま、隙を見せぬ様に周囲に気を配る。
ギルが背中に負った傷…重症だけど、式狼ならば……あの傷なら、きっと大丈夫。
詩絵莉は、ギルが庇ったおかげであいつの牙による傷は浅い……今、気を失っているのは、純種に投げられた衝撃から――なら、すぐに目を覚ます、はず……。
でも……問題は斑鳩……だ。
貫かれたその脇腹から溢れる血液――彼が負った傷は、見るからに……深い。
そして、それ以上に危うく感じるのは、以前の彼に感じていた"強さ"を……今、わたしを見つめるその黒い瞳に感じる事が出来ない――。
狼――式狼の治癒能力を高めるのは、いわば闘争本能に左右されるものだと彼女――アールは誰に教わったものではなく、自らの能力を介して理解していた。強い意志――それこそが、単純にも身体とその能力を支え、治癒能力を高めているのだと感じる。
……今の彼は、肉体的にも、精神的にも弱っている。
――斑鳩のためにも……はやく……決着を付けないと……。
"式神"としての、真の能力――それは、自らに宿るタタリギを、自らの意志で深度経過…即ち、"深過"させること――
意図的に体内に根深く寄生するタタリギの深度を促進させ、爆発的な能力を得るこの能力の行使――今回が初めて、という訳ではない。
アガルタでの強制的な処置による"深過解放"を初めて経験したときは……非常に短い時間ながら、感じたのは身を裂くような痛みと、想像を絶する辛さだけだった。
幾度なく行われた訓練でもそれは、変わる事は……無かった。
――だけど、今は違う。
それはまるで、心のありようがそうさせるのか。確かに全身を貫き裂く様な、普段全く感じる事のない、痛み。
気を抜くと無意識に掻きむしりそうになる程の、喉の乾き。
だが、同時に――それらを意識する以上に。
頭からつま先まで、いやそれ以上……髪の一本一本、体に流れる体液の存在、その動きすら明確に感じられる。
恐ろしい程研ぎ澄まされたこの感覚は、以前には感じる事が出来なかった……だけど、今は――。
"深過解放"から、時間にして僅か、2~3分。
それでも、時間と共に強くなる身体の中心からとめどなく溢れ出る、黒く……そして赤い粘ついた破壊衝動――
同時に、時間と共に感じるのは、再生治癒速度を上回りこの身を内側から蝕む様な、"深過崩壊"による、確かな臨界へと向かう"軋む音"。
明確に感じる二つの負の要素に……間合いを計る彼女は僅かに、眉をひそめる。
――もう、残された時間は……あまりない……!
彼女の脳裏にアガルタでの日々がちらつく。
式神の本当の"力"。そして、その能力を行使する意味、そして結末――それこそが、"式神"……わたしたちの役割だと、冷たく告げる周囲の人間たち。
あの時、わたしたちは兵器だった……――だけど、今は違う。
記憶が曖昧に溶け、薄れゆく日常の中で忘れていた、いや、感じる事すら無意味だった。
あの白い部屋、そして無数に並ぶ整えられたベッド。
何日?
何ヶ月?
いや、何年と繰り返した、あの日々……
もはや、アガルタで過ごした時を認知する事さえ、朧げな記憶の中……だけど――きっと、あの中で……わたしだけが……ここに立つ事が出来たんだ。
ならば、果たさねば。
誰にも名前を知られる事もなく生まれ、そして散っていった、今や思い出す事も出来ないけれど……確かに、共にあの場に居た、誰かの為にも……わたしが斑鳩たちと出会い得た、意地と誇りと共に……果たさねばならない。
それは、アガルタで過ごした時よりは遥かに短い時間だったかもしれない。でも……わたしにとって、きっと全てが大事な時間だった。
目に映る人々の生活。
街に漂う、食べ物のにおい。
行き交う人々の楽しそうな声。
みんなと狭い部屋で囲んだ、あのパイの味。
苦くて甘かった、コーヒーとかいう飲み物。
硬くてごわごわしてたけれども、いい匂いがしたベッド。
部隊みんなとの、何気ない会話。
アガルタのヒトたちは笑う事だろう。計画通りにわたしが動いていることに、満足している事だろう。
でも、たとえそうだとしても――私が描く大事なものを守るためなら……信じてくれる仲間の為になら……
わたしはどんな場所だろうと……きっと……"いく"ことが出来る……
――この力で破壊出来る"芯核"は、ひとつだけ……!
彼女は純種と睨み合ったまま、じりじりとすり足で間合いを調節しつつ……眼前の敵、その背後に横たわる目的のものを視界に入れる。
それは、純種に投げ飛ばされる際に詩絵莉の手からこぼれ落ちた……デイケーダーが装填されたまま地面に投げ出された、マスケット銃――。
何とかして、あれを拾わねばならない――だが、その僅か奥には横たわるギルと詩絵莉……。
彼らを巻き込まない様に、あの銃を拾う機会を作る――残された、短い時間で……!
改めてアールは、その渦巻く意志を湛える赤い瞳を大きく見開くと、全身を駆け巡る感覚をさらに研ぎ澄ます様に――
自らの身体の内に根を張り、自らを成す"タタリギ"を意識する。
己を中心に、認識周囲が広がってゆく……研ぎ澄まされた感覚の中。
純種から伝わるあの音……どくん、どくん、と脈打つ音が、より鮮明に、より強く感じられる。
――……この音を鳴らす本当の芯核は、あの胴体の内側にある……だから……!!
思考と、結論――。
そして、僅かな焦りが彼女の身体を駆け巡る。
次の瞬間、彼女は弾けるように地面を蹴り付け――純種へと真正面から飛び込んだ――!
――びゅるんッ!
純種はそれを待ち構えていたかの様に、両肩から幾重にも生える触手――まるで太く鋭い黒い鞭の様なそれをしならせると、アールを迎え撃つ!
だが、彼女は全く臆する事など無く、逆にその身体を加速させるように――
まさに、地面すれすれを滑空するかの如く一直線に……威嚇するように身を屈め、その黒い鞭で地面を削り空気を裂く様に荒々しく振う純種の真正面へと、飛び込んだ―!!
……――第7話 この力、誰が為に。(8) Part-2へと続く―。