第7話 この力、誰が為に。(7)
芯核を再生し、深過を遂げた、純種。
その身に致命の一撃となる牙を受け、倒れる斑鳩。
残された者に過るは、全滅という二文字―。
――確かに俺たちは勝ったはず……なのに……
血飛沫を上げながら――。
高速で飛来した自らの螺旋撃牙に左わき腹を貫かれ、後方へと吹き飛ばされる斑鳩が感じていたのは……芯核の復活という、想定外……いや、ヤドリギならばこそ想定など出来る筈もないその光景に対する、混乱だけだった。
「……がっ」
体勢を崩したまま、身体を貫く撃牙をそのままに――彼は何度か力無く後転するように転がると、どさり、地面へと臥せる。
何とか膝を付き、震える上半身を起こすが……同時に傷口から広がる生暖かい血が、その制服を、地面を紅く染めていく。
――何故……だ……デイケーダーは……確かに……
口元から溢れる血をそのまま地面に咳き込む様に吐き捨てる。
震える手で、その身体を貫く傷口を無意識に止血するように、かばう様に覆い――斑鳩は、痛みよりも響くその黒い想いに身を任せようとしていた。
……この出血……もう、自分は戦えないだろう。
アールもあの一撃を受け、致命傷までは行かずとも確実に回復まで長い時間を要するはずだ。残されたのは、ギルと……平地に再び降りてしまった、詩絵莉、そして2機の木兎のみ――
そして……あの、デイケーダーによる深度経過の影響なのか……明らかな強化を得た純種……
……詰み、だ。
――まさか、芯核が……復元するとは……
――そもそもあの純種は……倒せる相手じゃない……人類が、滅亡に追いやられたわけ、だ……
彼がヤドリギになった理由――それは、自らの考察の証明。
ヒトは、タタリギに打ち克てるのかどうか……その思考の帰結、思い描き焦がれた"その先"の場所が、ここだ。
ヒトは、タタリギに打ち克つことは出来ないという、結末。
遠くに押しやっていた、身体を鋭く貫いた螺旋撃牙の激痛が、寄せる波の様に訪れ――彼の意識を乱していく。
嬉しそうに、悔しそうに、恨めしそうに斑鳩は震える顔を上げ、純種を見つめる。
だが、気を失いそうになる鋭い痛みの中――彼の脳裏に芯核の復元などというでたらめをやってのけた純種に対して、一つの疑問が浮かぶ。
――俺たちヤドリギですら、倒しきれない相手……?
――ならば旧人類は、一体どうやって……いや。 どうして……こいつらに、完全に滅ぼされるに至らなかったんだ……?
再び彼の思考が回転し始める、が――
地面に滴る血に、粗い呼吸に、彼の一瞬頭を上げたその闘志と思考は沈みゆく。
今この現実が、全ての結論だ。この先など、もう俺には無い――ならば、この頭を巡る疑念も、もはや意味はないんだ……。
彼は出血にかすむ目を伏せると、その地面へとゆっくりと下し――
「……暁ッ!!!」
震える銃口越しに、彼女は叫んでいた。
螺旋撃牙をその身に受け、力無く転がり……起こしかけた上半身を、力無く地面へと落とす斑鳩――
その光景に詩絵莉はすぐさま駆け出そうとしたが、視界の端に映る純種の視線を感じると――その足を止めた。
純種は斑鳩に放った撃牙が貫いた右前足の傷口を癒しながら……詩絵莉にゆっくりとその身体を向ける。
「……なんでッ……なんでこいつ……死なないのよッ!!!」
身体を駆け抜ける恐怖をかき消す様に、怒号が口を突いて出る。
同時に彼女は最後の一発となる、デイケーダーが格納された小さな銀箱を取り出し、唸りながら乱暴に開封し、装填する――!
『……!! シェ、シェリーちゃん、まっ……て……!!』
崩壊するはず、しなければならいはずの純種の復活。そしてあっけなく起こった、斑鳩に対する致命傷――
見つめるモニターの向こう側――あまりに現実味の無い出来事に、どこか意識が遠のきそうになっていたローレッタは詩絵莉の怒号でその意識を取り戻す。
「ローレッタッ!! 二人の状態は……ッ!!」
ギルは玉の様な汗を大量に額へと浮かべながら、身体を落とすと撃牙を装填しながら叫ぶ。
その声に、彼女ははじける様に各隊員が首へと装着したバイタルチョーカーから得れるデータが表示された別個のモニターに視線を飛ばす。
『タイチョー、バイタル、意識レベル低下……! 命に別状は無い……でも、あの傷は狼と言えど早急に処置しないとまずい……アルちゃんは……!』
――えっ……!?
表示される脈拍・血圧・体温・呼吸数・発汗値などから斑鳩の状態を確認し――
次いで目を落としたアールのデータに、ローレッタは一瞬その目を疑い、思わず木兎から得られる彼女の姿を確認する。
先程、純種が新たにその身に生やした触手による強烈な一撃を受け、今震える身体を何とか起こそうとうずくまる彼女――
だがその彼女のバイタルデータは……一切の異常なく、全くの正常値を示していた。
「あっ……アルちゃんも、大丈夫、そう……」
『……くそッ……!! だがどうすりゃいいんだ、こいつは……!!!』
混乱を何とか抑え――そう伝えると、ローレッタは今一度バイタルデータとモニターに映る彼女の姿に視線を往復させる。
式神としての、身体能力……なのだろうか?しかし、いかに式兵と言えど人間だ。先程彼女が受けた一撃に対するダメージはありあり、だ。
今のアールの様子から、もつぶさに見て取れる。
だが、バイタルデータは……まるでそのダメージを示していない。
……むしろ出撃前に行う確認値と何ら変わらないと言っていい。
ローレッタは素早く今回の純種との戦闘が始まってから今までの、彼女のバイタルデータの推移を表示する……が、徹底して、正常値を示している。データ上だけで言えば、彼女は……息ひとつ乱していない。
――思えば先の乙型との戦闘時もそうだった。
あの戦闘においても、確かに本部へと提出した彼女のバイタルデータは常に……正常値を示していた……。
脈拍はおろか、呼吸すら乱す事なく――。
確かに違和感はどこか、感じていた。
だが彼女は"特別"。驚く程の体力と耐久性を誇る、式神としての特徴なのだろう、程度に考えていたが……。
その時だった。
ローレッタが観るモニター越しに、純種がゆらり、と詩絵莉へ向け身体を揺らす――
「!!! シェリー逃げてッ!!」
『――舐めンじゃないわよッ……!!!』
「――!! シエリッ……!!」
彼女へ向けて、純種は肩の触手をたなびかせながら一直線に駆ける――!
同時に、重心を低めに備えていたその身体を一気に解放させ、追い縋るように地を蹴る。
瞬間、視界に過る無残に転がる斑鳩の姿――
詩絵莉は純種に対する怒りにその身を任せ、デイケーダーが込められたマスケット銃の銃口を上げる――が……
――……ッ! ……"これ"が当たったとしても……当たったとしても……また、もし効かなかったら……!!?
装填された、残り一発分しかないデイケーダー。外せない……その意識よりも、先程確かに、確実に撃ち込んだデイケーダーが効果が無かった――いや、むしろタタリギの強化にすら繋がったのでは……そう感じる彼女の意識が引き鉄を絞る指にブレーキを、掛ける。
……あるいは、装填される銃弾がデイケーダーでなければ彼女はその引き鉄を弾けていただろう。
その刹那の迷い。
反応が遅れた彼女の身体を捉えようと、純種は駆けるまま――不揃いな黒い牙が並ぶその口を大きく開け――!
「くそッ……たらああアァァァッ!!!」
「ギル……ッ!!」
ズッギャアァアッギィィ"イ"イ"イ"ッ!!!
咆哮と共に――横から、詩絵莉をかばう様に飛び込み様――!
純種へと追い縋ったギルの放つ右手の螺旋撃牙が、その頬かすめるように捉える!!
――ちく……しょうっ……!! こいつ、さっきより動きが速えぇッ……!!
だが、詩絵莉をかばいながら放つその螺旋の牙は真芯で捉えるに敵わず……純種の頬、その外皮を削るに留まり――
瞬間、大きく開かれたその口が、二人に向けて閉じられる――!!
撃ち流れる撃牙に身体を泳がせながら、ギルはその刹那――詩絵莉を視界に入れる。
――隼に対する致命傷だけは、避けねえと……ああ、そうだな……こいつは……式狼としての矜持、だぜ……。
彼は、とっさに。
その大きな身体で、純種からかばう様に――詩絵莉の身体を覆う。
「ギル……!」
ザッシィイイイッ……!!
「ッぐは!!!」
「あぐっ……」
閉じられた純種の上顎に生え並ぶ無数の不揃いの牙が、ギルの背を貫く――!
同時に、かばい切れなかった下顎の短い牙が詩絵莉の背に食い込み……その衝撃で、彼女の手からマスケット銃が、滴る血と共に――地面へと乾いた音を立てて滑り落ちた。
『ギルッ……シェ……リ――……!!!』
やすやすと二人をその顎に咥え、掲げる純種――。
ローレッタはあまりの光景に、木兎を操作する事すら忘れ――その口元を両手で覆ったまま、大粒の涙がその頬を伝う。
そして、一瞬の間を置いて。
純種は咥えたそれを、さながら興味を失ったおもちゃを扱う様に数度、首を始点に振り……勢いそのまま、二人を空中へと高く――
高く、投げ捨てる様に放る――。
『――いけない!!!』
血飛沫を上げながら投げ捨てられる二人に、ローレッタは反射的に手元のデバイスを操作し――
――ガッ……シャァアッ……ッ
地面へ叩き付けられる寸前。
二人の身体を受け止めるように――木兎がクッションとなるよう巧みに操作し――差し込んだ。
見事に二人を受け止めた木兎だが、流石に二人分の体重を支える事は敵わず……地面へと落下し、大破する。
それを気に留める様子もなく、ローレッタは二人のバイタルを確認するが――
――一命は取り留めてる……けどッ……だめ……! 二人とも、もう、戦える状態じゃあ、ない……あんな、あんな一瞬で――……!!
全滅――。
その二文字が、突き付けられた様な感覚――
それは、画面越しに見る彼女にも理解出来る。先ほどまでの純種の動きのそれではない。芯核の再生を経て、確実に――深過を遂げている。
普通の大型タタリギにおける、深過における強化は理解出来ている。体の一部を破壊する事で、その生存本能から深過を遂げ、強化に至る――しかし、それはあくまでも……例えば足回りであったり、それに該当する部位の破壊によって、である。
――弱点であるはずの芯核を破壊する事で、深過を遂げ強化に至る――? こんなっ……こんなの……はなから倒せる相手じゃないッ……!!
震える手で、モニターを見つめる彼女を後目に。
純種は振り返り、斑鳩へと向き直る。
『……たっ……タイチョーに……!!』
――とどめを刺すつもりなのか。
純種はゆっくりとその身体を、うずくまり息を粗く吐く斑鳩へと向け……そして地面を、弾ける様に――蹴った。
――もうだめだ。もう、私たちは、ここまでだ。
ギルと詩絵莉は、既に意識が無いのか――壊れた木兎の上で、ぴくりとも動かない。
斑鳩は、横腹に受けた螺旋撃牙に貫かれたまま、たとえ立ち上がれたとしても、純種の攻撃に対処できるはずも――ない。
そして、アールも先ほどの触手の一撃で、今……や……
『ごめんローレッタ、回復に……時間、かかった』
「――!!?」
諦め俯き――震える身体を両手で抱くように抱えるローレッタの耳を。
彼女の声が、震わせた。
『……アー……ル……?』
その声に、ローレッタは俯いた顔を反射的に上げ――信じられない様な光景を、そこに観た。
うずくまり、地面に滴る血に濡れる斑鳩に駆ける純種――それよりも、疾く。
その影は、駆け抜け――斑鳩の前に立つ、彼女を。
まるで重さを感じさせる事のないその動作は、おおよそヒトに……いや、ヤドリギにすら、可能とは思えない異質な動きで――!
「……な……」
そんな彼女に構う事なく。
純種は駆け着くと同時に、その右前足を振り上げ、二人を凪ぐように撃ち下ろし――!
『アルちゃんッ……!!』
――ズッドァアアンッッ……!!
アールは、凄まじい勢いで駆け、そして振り下ろされたその純種の前足を――
「…………ッ」
その純種の、前足を――
――掲げた、左手一本で……――受け止めていた。
『……え……えっ……?』
モニターに映る、その光景に……ローレッタの思考は、否応無しに止まる。
その衝撃波が、彼女の足元の土煙を一瞬の間の後巻き上げ――
そして……その残り風が。彼女の背にうずくまる、全てを諦めた男の髪を――優しく、撫でる。
「……アー……ル……?」
顔を上げる、斑鳩の目に映ったのは――震える身体で、純種の右前足を受け止め、視線は純種を睨み付けたままの――アールの姿。
――なに、してるんだ……こいつ……
あまりに現実感の無い目の前の光景に――斑鳩は、目を見開く。
「斑鳩……わたしを、信じてくれる?」
「……え……」
純種はゆっくりと――アールをその視界へと捉えるように、彼女の鼻先に自らの顔を向け――
そして、彼女に撃ち下ろし、防がれたその前足に――さらに力を、体重を、身体を預けるように掛け力む――!!
ばぎっ……
乾いた音を立て――その前足を受け止め震えるアールの左足が、地面を割り、沈む――
だが、彼女はそれを意に介する事ない様に、斑鳩へ振り返る。
「斑鳩――わたしを……信じてくれる?」
一体何が起こっているのか。
この異常な事態に、理解が追いつかない。
だが、一つだけ――
彼女は、アールは……あの純種の攻撃を、受け止めている。
こんな事は、ヒトには……いや、ヤドリギにだって、不可能だ。出来るはずが、ない。
まさか、これが――今目の当たりにしている、これが、本当の"式神"の、力だとでも言うのか――。
真っ直ぐな、紅い瞳に――うずくまる、自分の姿を映す。
……だが、そうだとしても。
「お……俺……かはっ……。 俺、には……お前の言葉に……応える資格が、ない……」
ばぎぃっ……
「……斑鳩、わたし、難しいことは、今もわからない……でも……!」
俯く斑鳩に――彼女は受け止めたその左手に、純種からの圧力に反発するかの様に力を籠める。
「斑鳩が……みんなが、わたしを信じてくれるなら、それだけで……それだけで! ここに居れた……意味が……ある……!!」
そう言い放つと、彼女の白い頭髪が――ぎゅるぎゅる音を立て逆巻いて行く――!
「……アール……」
何を、彼女が何を言ってるのか――わからない。
斑鳩は、彼女の姿に、その行為に、その言葉に――胸が焼けていく。
――俺には、分からない……彼女は、一体……一体……!!
『……私、信じるよ、アルちゃん』
その時。
ローレッタの静かな声が――斑鳩とアールの二人のインカムに響く。
「ロ……ローレッ……タ……」
『アルちゃん、私……信じる。 今、何が起きてるのかわからないけど……わからないけど……』
ふ、と視線をバイタルデータが表示されるモニターを視線に入れるローレッタ。
そこには、絶え絶えとなる皆のデータの中で一つ――一つだけ、正常値を示したままの、彼女の数値――。
『お願い、アルちゃん。 私、信じる……あなたが見せる、式神の本当の姿を――』
「……ローレッタ」
『だからお願い、みんなを……助けて……』
その消えゆくような彼女の声に――アールは静かに瞳を閉じる。
「……うん」
――ここだよ。
――うん、きっとここなんだ。
――往こう、往こう、わたし。
――斑鳩も、みんなも――きっと。
――きっと……信じてくれる――。
見開く瞳に、何かが渦巻いていく。
それは形容ではない、紅い紅い、意志のカタチを成す。
その白髪はぎゅるぎゅると渦巻くようにたなびくと――少しずつ、何かを掴む様に伸びてゆく。
「――いくよ、わたし」
彼女は呼びかける。
内側に隈なく宿る、ヤドリギ――いや、"タタリギ"に。
彼女の内側に生え伝い、彼女自身を成すモノに――。
――みんなを守るんだ、わたしの意志で。
――ここは、わたしを試す場所なんかじゃない……
――ここが、ここが――わたしの……意地と誇りを見せる場所、だよ。
――ッズガッ……バァアアンッ!!!!
彼女は――アールは。
受け止めていた純種の右前足を、地面を踏み込み一気に突き上げると同時。
その顔面へと、投げつけるような荒々しい所作で撃牙を撃ち込み、純種のその巨体を一気に後退させると――
さらに間合いを詰めるべく、渦巻く髪を、意志を纏い……その身体を、抜いた――!
……――第7話 この力、誰が為に。(8)へと続く。