第7話 この力、誰が為に。(5)
タタリギとの遭遇が無いまま、彼らはアダプター2へと辿り着く。
一抹の不安を感じたまま、彼らは内部の調査を開始する。
そして――。
「……静かね」
詩絵莉は首筋を流れる汗を右手の甲で拭うと、そう小さく呟いた。
アダプター2の防御壁に開いた大穴を、時折強く吹き抜ける生ぬるい風がふわり、と詩絵莉の結った髪を揺らす。
「しっかし、アダプター1を出てからここまで一度の会敵も無し、か。 ……なんかこう、流石に不気味だよな」
「……」
Y028部隊の面々は今回の侵攻対象場所であるアダプター2……その内部へと続いているであろう、壁面に開いた半ばトンネルの様な入口の前。
停車させたN33式兵装甲車のたもとで様子を伺っていた。
「ローレッタ、中の様子はどうだ」
斑鳩は開かれた装甲車の前方ハッチに向けて声を掛ける。
「……内部は緩やかな右曲がりになってる。 この壁面は、内部に部屋がある構造になっているけど……そのひと部屋を貫通する様な形でこの穴が出来ているみたい」
大型のヘッドマウントディスプレイにその顔を埋めたまま。
突入前の偵察の為に木兎の一機を内部に飛ばしている彼女は、手元のコンソールと、トラックボールに沿えた手を小刻みに動かしながら、やや緊張した声でそう答える。
「壁面内部に出来た通路にもタタリギは見えないよ、タイチョー。 ……やっぱり何かおかしい」
「……タタリギの痕跡は確認出来るか?」
「うん。 壁面、地面……新しいものから、古いものまで……壁面の擦傷、履帯、車輪跡……あとは血痕……かな。 ……複数の丙型に加えて、あの乙型壱種みたいなやつらが通過した痕跡……それも、かなりの数見てとれるのに……」
「肝心のタタリギが発見出来ない、か。 ……以前の調査で確認されていたタタリギ共はどこへ消えたんだ……?」
いぶかしげな表情で彼女の報告に頷くと斑鳩は、装甲車の後方をカバーする詩絵莉の横で高い防御壁を見上げるアールに声を掛ける。
「アールのほうはどうだ? ……何か感じるものはあるか?」
「……うん。 少しだけざわざわするの、感じる……でも今、は……あの時とは違う……けど……」
それでもどこか不安そうな表情を浮かべるアールに、詩絵莉は「うーん」と首を傾げる。
「……ねえ、アール。 そのタタリギを感じる感覚って、式神特有のモンなの? それとも私たちも感じれる様になるのかな、例えば訓練とかでさ」
彼女の言葉に、アールは見上げていた視線を申し訳なさそうに落すと、眉間にしわを寄せた。
「う、うーん……わからない……。 アガルタに居た時は、こういう感覚……感じたことは無かったから……ごめん」
「謝るこたねーよ。 俺だってリアのパイが焼ける匂いには敏感だしな? ま、理屈はわからねえけど似たようなモンだろ、なあ」
得意気にそう言うと、ギルは右手に装着されたフリッツから託された螺旋撃牙をぐるんと肩口で大きく回してみせる。
詩絵莉はじと目でそんなギルに視線を向けると「例えがバカ」と小さくあきれ顔でため息をつく。
「タイチョー、一号ちゃん、通路を抜けたよ。 ……これは……!」
彼女は操る木兎の一機が壁面に開いた通路を抜け、アダプター2内部へと進入した事を告げると同時に驚きの声を上げる。
「……どうした、何が見える?」
「かなり広い場所……奥には恐らく基地として機能してた施設、それに例の鉄塔が見える……けど、広場中央のあれは一体……?」
要領を得ないローレッタの言葉に斑鳩はタラップに足を掛けると車内へその半身を滑り込ませ、モニターを覗き込む。
「なんだ、これは……」
そこには、何とも異様な映像が映し出されていた。
望遠で映し出されたそれは鮮明でこそないが、広場の中央よりやや奥。
瓦礫……いや、兵器の残骸だろうか。小高い丘かと錯覚するそれは、よく観察すると、砲塔や機銃……折れ曲がり、凄まじい力で引き裂かれた様な戦車や装甲車の残骸の山……。
そして、それらに絡みつく様に真っ黒い植物の根の様なもの。
それらは残骸丘陵の頂上に続き、そこには、まさにその形の成す様に空間を切り取ったかの様な、さながら影絵の様な葉を着けぬ黒い樹が一本……まるでこの空間の支配者である、と言わんばかりに……どこか現実離れした様な存在感を放っていた。
「まさか……タタリギそのもの……!?」
ローレッタは首筋から背中に掛けて、つう、と冷たい汗が流れるのを感じていた。
"タタリギ"とは、本来、大元を辿れば数十年前、突如世界各地に出現した黒い樹、である。
それらは周囲の環境を一変させ、同時に自ら子を産み落とす様に、異形の分身を生み出したという。そしてそれらに対抗するために投入された人間の戦力、そのことごとくへ寄生を果たし、自らの力と変え――人々を襲った。
彼らヤドリギは後年、今で言う型式が付けられたタタリギ――丁型、丙型、乙型などに対抗する研究の成果として生まれ、そしてまたそれらと戦い往く存在である。
故に、大元となった"タタリギ"そのものを目撃した事は無いのだ。
「記録では、ここにタタリギの本体が存在するなんて記述はない……。 だが、これは……」
「どうする、タイチョー? 今のところ、他に脅威は見当たらない……というか、周辺の丙型や乙型タタリギが居ないのは、あの残骸がきっと答え……でも……」
斑鳩は口元を手で押さえたまま、モニターに映し出されたそれを凝視する。
「……行って、調査するしかないだろうな。 幸い、周辺に他のタタリギの影は無い。 どちらにせよ、あれが本物の"タタリギの母体"であろうがなかろうが、俺たちはこれを処理するしかない」
「確かにそう、だけど……本部はおろか、アダプター2とも通信出来ない今、私たちだけで判断していいのかな……」
彼女は顔面を覆うバイザーを上に押し上げると、傍らの斑鳩に視線を落とす。
今まで遭遇したことの無いこの状況に、彼女の額にはべったりと冷たい汗がにじみ、前髪を貼り付けていた。
それも無理はない。
今モニターに映し出されているあの黒い木が、タタリギそのもの、斑鳩が言う母体であるとするならば。
恐らく第13A.R.K.設立から今に至るまで、どんなヤドリギ、式兵たちも遭遇した事のない事態だ。付け加えるならば、人類を脅かすその大元の一片であるそれが、こんなに近くまで、静かに迫っていたという事実が彼女の肝をさらに冷やしていた。
「……もしあれが、アダプター1で発見された例の"幼樹"の様に……いつ何らかの影響を及ぼすか分からない。 ……それにローレッタも解かっているだろう」
斑鳩のいつになく真剣なまなざしと眉間に寄せたしわに、ローレッタはごくり、と唾を飲み込む。
「こんな近くに……こんな危険なものが存在してるなら、もうこれは単なるアダプター2拠点奪還の為の掃討作戦じゃない。 ……アダプター1、ひいては第13A.R.K.も確実に……危険に晒されている事になる」
「……わかった、タイチョーが言ってる事は、正しいと思う」
――でも、何か……とても嫌な予感がする。
ローレッタは喉まで出掛かった言葉を、唾と共に飲み込んだ。
そうだ。彼の言う通りあの黒い樹……あれがアダプター1に密かに根を下ろしていた幼樹と同じ様に、タタリギを呼び寄せはじめたら?……いや、もしあれが本当に記録で伝わる、タタリギを次々と産み落とす、母体だとしたら……?
悠長に構えている暇は、確かに無いかもしれない……彼女はモニターに映る黒い樹にもう一度視線を落とす。あの残骸の丘が、他のタタリギが居ない理由なのか――理屈は分からないが現状、稼働している大型タタリギは、見えない。あの黒い樹を破壊するには、この上ないチャンスなのかもしれない。
何とか自分を納得させると、覚悟を決めた様にローレッタは深く息を吐く。
「……わかった……やろう、タイチョー。 ……皆を呼んで」
ローレッタはそう、深く斑鳩に頷いて見せた。
・
・・
・・・
「要するに、あの黒い樹をヘシ折っちまえば事は終わるんだろ?」
暗いトンネルを抜け、アダプター2へと進入を果たしたその第一声。
ギルは鋭い眼光で距離にして約百メートル先に見える、黒い樹を指差して見せる。
その彼を、詩絵莉は後ろからジト目で睨み付けた。
「……あんたホントにバカに加速掛かってきたわね、ちゃんと作戦聞いてたんでしょうね」
「ひ、ひでえな。 ……それは問題ねえよ」
ギルは少し悲しそうな表情を一瞬浮かべて見せるが、すぐに自信ありげに自らの右手――装着された螺旋撃牙をぽんぽん、と叩いて見せる。
「俺とイカルガ、アールでまず先行してあの残骸丘を登って、あの樹に傷を付ける。 ある程度付けたらすかさず退避して、今度は詩絵莉がデイケーダーをぶち込む……で、いいんだよな」
そう言うと、ちらり、と厳しい表情を浮かべる斑鳩にギルは視線を向けた。
「ああ、作戦という程大げさなもんじゃないけどな……ローレッタ、記録によるとタタリギ……あれが母体となる樹であるなら、芯核は存在しない……そうだな?」
『うん、間違いないよ。 外皮に対するデイケーダーは効力が極めて薄いけど、傷を着けた場所に直接デイケーダーを撃ち込めば、他のタタリギと同様に深過崩壊する、ってある……でも、2発のデイケーダーで足りるかどうか……』
斑鳩は自分たちの頭上に着き従うように飛ぶ、ローレッタが操る木兎の一機に視線を向ける。
『ここにある資料じゃ、タタリギ本体に対する有効量は記載されていない……。 だから、出来るだけ傷は大きく付けて! よりデイケーダーを浸透させるためにも……』
「了解だ。 ……もしも仕留めきれなかったその時は、一時撤退も視野に入れる。 事情が事情だ。 報告と、更なるデイケーダーの携帯申請を行う」
『距離もだけど、地形の関係で通信電波が完全に断たれているのが本当に残念……』
インカムを通じて感じる彼女の緊張した声に、斑鳩は静かに頷いた。
同時に、一瞬だが彼にはある疑問と、違和感が頭をよぎっていた。
――まさにあの、タタリギの母体と予測されるあの樹に対して、デイケーダーが有効、か……。
――何か……違和感を感じる……なんだ?
ふと、考え込みそうになる自分の意識。
――だめだ、今は考えるな。 目の前のあれは、俺たちを計る場に相応しくない。 早急に対処しないと。
よぎる疑問を振り払うように激しく首を左右に振り、斑鳩は傍らでじっと黒い樹を見つめる彼女に視線を落とす。
「アール。 ……他にタタリギの気配は、本当に感じないんだな?」
「……うん。 今のところは、あの樹……以外には」
アールは少し自信なさげにそう言いながら、小さく頷く。
昨晩からの彼女の様子も気になる。いつも以上に歯切れが悪い様に感じるが……かといって、迷いがある様には見えない彼女の紅い瞳には、どこか達観したかのような覚悟の念すら感じる。
「――暁、大丈夫?」
詩絵莉はそういうと手にした愛用のマスケット銃を肩口に担ぎ、斑鳩の二の腕をぽん、と叩く。
「……大丈夫さ。 詩絵莉、今回の相手は普段と違う、が……遮蔽物が無い上に俺たち前線との距離も近い。 万が一に備えて十二分に距離を取っていてくれ」
「わかってる。 こういうだだっ広い場所での戦闘は経験がないけれど……暁たちがあの樹に攻撃してる際、周辺には十分警戒を払うつもりよ。 ロールと一緒に、ね」
『シェリーちゃんの目と、私の目で。 万が一、防壁や施設からタタリギが出てきた時は出来る限り対処してみせるよ、タイチョー』
「ああ、宜しく頼む」
斑鳩は改めて詩絵莉の目を見つめ、真剣な面持ちで頷く。
その姿は、いつもの彼の姿だ。人類から人々を守らんとする為に力を振るう、ヤドリギとしての――彼だ。
詩絵莉は、振り返りギルと言葉を交わす斑鳩を目で追う。あの時感じた違和感は、今の彼からは……感じられない。
――やっぱり、私の勘違い、だよね……暁。
それぞれ狼と、式神。
3人の前衛である、斑鳩、ギル、そしてアールは再度、己の右手に装着された撃牙の動作を確認すると共に、装填を果たす。
「皆、今回は少し想定と違ったが……先も言った通り、あれがもしタタリギの母体の一本だとするならば、早急に討ち果たす必要がある。 一気にあの残骸丘を駆けあがり、予定通りに――……」
『……――じゃあバイタルデータの確認に入ります……タイチョー、バイタル正常値、通信接続――』
「……了――……だ」
――どくん。
『ギル、バ――……タル確――……、及び通信――続確――……』
――どくん。 どくん。
……ああ、また、だ……。
彼らが交わす言葉の中…………アールはいつかの様に、再び一人。
彼らの声が、その気配が――段々と遠くに感じられる感覚に襲われていた。
数日前から聞こえていた、この音は……なんの、音……?
内側から、外側から……わたしを震わせる、この音……。
……ざわざわ、じゃない――やっぱり、前と……ちがう。
――どくん。 どくん。 どくん。
まわりの音が遠くなっていく。
この音は、どんどん大きくなっていく。
この音――……わたしは聞いた事がない音――……誰の、音?
わたしの音じゃない――わたしの音のはずが、ない……
どくん!!
『――ルちゃん、アルちゃん……?』
「……!!!!」
一段と大きく。
自らの外側と、内側――。
強く、強く鳴り響く音に、アールは体を撃たれたように、弾かれるように、震わせると同時に。
「斑鳩!!!」
唐突に。 まさしく唐突に、彼女は吠えた。
身構え、そしてその紅い眼をあの黒い樹へ、凛と光らせながら。
彼女の異様な様子に一同も一斉に、弾かれる様に黒い樹へと視線を向けると――そこには。
先程までは影絵の様に静かに、そして音も無く樹枝を風に揺らしていた、あの黒い樹から。
漏れだすように、噴き出すように。無数の黒い根が次々と生え現れ、収束し――そしてそれは徐々に、樹が、己の根を張る兵器の残骸たちを飲み込み、吸い上げるように取り込みながら――形を、作ってゆく。
『――な……』
その光景に、皆――言葉が出ない。
凍り付いた様に固まり、背筋に奔る悪寒を感じるのが――精一杯だった。
異様。 異形。
そう形容するしかない、空間を切り取った様な黒い樹から噴き出す様に産み落とされた"黒い塊"は。
ぎちぎちぎち、と何かを締めあげ纏めるような異音を挙げ――それは、次第に"獣"の様な形を作り上げて――。
「――詩絵莉ッ!!!」
斑鳩は全てを察した。
――あれは、あれは――……まさか、ここで!!!
そう、心が爆ぜると同時。
斑鳩は詩絵莉の名を叫ぶ。
「――ッ!!」
その逼迫した斑鳩の声に、詩絵莉は彼の指示を完全に理解した。
斑鳩の怒号に金縛りを解かれた様に、振り返るギルが見たのは……
恐ろしく素早い動きで身を落としながら、左手で弾丸をバックパックから抜き出し。
マスケット装填部分を開くと同時に装填せしめ、膝を着くと同時に射撃の行程全てを完成させた、彼女の姿――!
ッズバァッァァン!!!!
今、ここに居る誰もが見た事の無い――まさに、異形として産み落とされた……黒い、黒い"タタリギそのもの"に向けて。
詩絵莉は凄まじい轟音と共に、弾丸を撃ち放った――!!
……――第7話 この力、誰が為に。(6)へ続く――。