第1話 序章 (4)
緊迫した空気の中――
ローレッタの声が、斑鳩とギル……二人の狼の鼓膜を静かに揺らす。
『3……2……1……』
0(ゼロ)、のタイミングで上空に待機していた木兎の一機が、推進翼であるその羽根を索敵時とは打って変わり、けたたましく駆動音を奏でつつ丙型達のその背後へ威嚇する様舞い降り――それに気を取られた3体の丙型は振り返り、突然の事態に身構えるがごとく姿勢で一瞬硬直を起こす――。
瞬間、二頭の狼が駆ける――。
距離にして30m程。式狼ならではの瞬発力で、ギルを先頭に一瞬でタタリギとの間合いを詰めた。
「ッラァ!!」
奔り込んだ勢いそのままに、ギルは最も手前の丙型に対して滑り込むように足払いを仕掛けた。
凄まじい速度で繰り出されたその脚蹴に、ぱぁんっ、と弾かれるよう一体の丙型が足を掬われ宙を舞う。
刹那、低姿勢となったギルを一足で飛び越しざま、中空に浮いた相手を力強く地面へと蹴り落とし、その反動で斑鳩は2体目へと身を翻す――
「おおおッ!!」
烈迫の咆哮と共に、こちらに気付き再度振り返りつつあった相手へと、重い衝撃音を響かせ鋭い杭を急所である頸椎めがけて叩き込んだ。その衝撃で糸の切れた人形の様に弾かれ――成す統べなく地面へ崩れ落ちる丙型。その脇に斑鳩は体勢を崩す事なく地面を噛むように着地した。
斑鳩の一撃とほぼ同時にギルは、目前に蹴落とされ地面に叩き付けられた1体目の丙型へ、低い姿勢から一気にその身体を荒々しく反転させ、撃牙を容赦無くその頸椎に叩き込んでいた。地面ごと貫かれた丙型は、びくんっ、と四肢が一瞬の痙攣を見せた後、くたりと全身の力が抜ける落ちる。
「……ゥアアアアアァッ!!」
ようやく襲撃者という事態に反応が追いついた残された1体の丙型が暗い眼を左右に揺らし戦闘態勢に入る。斑鳩とギルは右手に装着された撃牙を装填しなおしつつ最後の1体を挟み込む様に、互いに素早く間合いを取り直した。
残されたその1体は一瞬斑鳩に視線をやったあと、弾かれるようギルへと向かって走り出す。
――来い!ギルは胸の内でそう吠えると、獣じみた動きで迫り来るその丙型に対し、迎え撃つように再び足払いを仕掛けようと体勢を沈める――……その瞬間だった。
「ギッ!」と小さく呼吸を吐いた丙型は、それを読んでいたかの様にギルの前方から一気に文字通り飛び掛かっていた。
「……ッ!?」
脚蹴を放つ為その身を沈めていたギルに、一瞬の動揺…その刹那が硬直を呼ぶ。
普段の彼ならば、その体勢からも十二分に迎撃出来る機転を持つが――その丙型の動きは、読んでいた、先ほど見たといった類のものではないと、彼にはそう思え――
「ギル!」
斑鳩は瞬間反応が遅れたギルを見逃さなかった、が。
察知し、駆け出したものの距離が遠く一足で詰めれる間合いではなかった。あの低い姿勢に上から丙型に叩き伏せられ様ものなら致命傷は免れないだろう。
ッガァン!!
間に合わない!と斑鳩の血の気が引いたその瞬間、突如として鳴り響く耳を劈く音――。
同時に、まさに今ギルを襲わんとしていた丙型の体が空中で大きく弾かれ、どさり、と地面へ墜ちる。
「……詩絵利!」
『……ったく何を躊躇してんのよ、ギル!』
斑鳩はもう一人のヤドリギ―詩絵莉に呼びかけると、苛立ちを隠そうともしない声色で通信が跳ね返ってきた。インカムから聞こえる甲高い声を受けながら、斑鳩とギルの二人は弾かれ飛んだ丙型に目を移す。
すでに動かなくなったそれは、左の肩に大きな銃創――おそらく弾道が体内で逸れたのか。射入口と射出口のそれは並行ではないが、放たれた弾丸は頸椎付近を撃ち貫いている。
大きくため息を付き「すまねえ」と漏らしながら竦めた身を起こすギル。
倒れ動かなくなった丙型に一応注意を払いながら、斑鳩はインカムに声を送りつつギルの方へと小走りに近付く。
「……いい判断だった、詩絵莉」
『……また式梟から許可取る前に撃っちゃったケドさ』
『大丈夫大丈夫、シェリーちゃんナイス援……』
『ああっもうロールってば! そういう問題じゃないでしょ!』
「め……面目次第もねえ。 すまねえシエ……」
ローレッタと詩絵莉は互いに愛称で呼び合うその間。
ギルの謝罪を今は聞く気はない、と言わんばかりに「あーっ、もーっほんっとに!」と小さい声で遮りながら、装備を持ち上げるガチャガチャという慌ただしい音が矢継ぎ早にインカムを鳴らす。
装備品を上下左右に鳴らしながら走り出した彼女から、再び上擦った声が皆の耳を震わせた。
『もーっ! 撃っちゃった! 撃っちゃったわよもう知らないからね!! あと1体丙型、発見してないのに撃っちゃったからねッ!? ……ロール!木兎で合流地点まで誘導して! ギル、お説教は私が無事だったら、たんまりしてあげるわっ!!』
『はいほーりょっかい!ではでは3号ちゃんで経路案内っ。 シェリーちゃん走れ走れ~!』
ギルの通信を一方的に遮り捲し立て様、詩絵莉は一方的に通信を切った。
――彼女は"式隼"。
研ぎ澄まされた感覚力、空間把握能力…それに加えて卓越した視力を持つ、通称"隼"と呼ばれるヤドリギの式種を担っている。
部隊中唯一の銃火器を所持し、主に中~長距離からの先制射撃、戦闘時の射撃支援……そして式狼が無力化したタタリギへの決定打を行うのが主な仕事だ。
「……単騎相手にらしくもない……どうした、ギル」
狙撃され事切れたであろう先ほどの丙型に目をやったまま、ギルは呟く。
「……格闘演習でよ。 例の回収部隊の中に一人、組手してた奴が居たんだが…何度かやりあううちに、俺が足を掛けようとする瞬間に反応して、上から抑え込みに来るようになってな……」
「……」
ギルは苦虫を噛み潰したような表情で、考えたくもない可能性を語る。
「斑鳩、ひょっとしたらあれは……」
「……考えるな、ギル。 俺たちはやるべき事をやっているだけだ。 俺もお前も、ローレッタも、詩絵莉もだ。 人類を脅かすタタリギ―そこに転がっているのも、ただのそれさ」
「……ああ、わかってる」
「さあ、合流地点まで移動しよう、彼女が言った通りまだ1体残ってる……ひょっとしたら銃声で詩絵莉が補足されたかもしれない、急ぐぞ」
「そうだな」とギルは再びつぶやき、目を閉じて深いため息を付いた。
斑鳩の言う通り、まだ敵がどこかに潜んでいる状況で式隼に銃撃を許してしまった。式隼は確かに重火器の扱いに長けるが、一般的な丙型が相手だとしても近接戦闘に持ち込まれた際は危険が伴う。
そして何より式隼は、敗北しタタリギ化してしまう事が畏怖されている。
重火器を操る"丙型"へと変貌する事になれば、討伐の際、重火器を操る可能性を孕む厄介極まりない存在と成り得るからだ。他にも貴重な装備を携える可能性を考慮し、式狼が前線を担い、その上で式梟と連携し、周囲の安全を確保した状況で中~遠距離支援に徹している。
式狼の武装が"原始的"とも言える"杭撃ち機"の様な単純な兵装を纏っているのも、タタリギ化してしまった際、少なくとも銃火器による遠距離からの先制攻撃や、一般人も居住する拠点に対する侵攻が行われた際の脅威度をなるべく低いものとする為の措置とされている。
「ローレッタ、残り1体の索敵はどうだ?」
『一応丁寧に索敵してるつもりなんだけど、見つからないんだよねー……』
彼女は「むむむ」と声を上げつつ斑鳩に答える。
『さっき、タイチョーとギルが接敵した3体、行動共にしてたみたいだし……ひょっとしたら斥候部隊の敵数誤認の可能性もあるよー……まあ無い話じゃあないしね』
「だと楽なんだがな……」
『天候も怪しい事だし、あたしは合流地点で中継局の設営がてら、待ち伏せを提案するよ』
そう、斑鳩達ヤドリギは今回二つの作戦を目的としていた。
今彼らが作戦行動中である放棄された拠点跡周辺で事前に報告が挙がっていたタタリギの排除―及び、同場所への電波中継局の設営――。
この南東区域は、ここの様なタタリギの脅威に晒され、放棄された拠点施設が点在している。
それが意味するのは、多数の脅威度の高い大小種別様々なタタリギの報告が挙がっている――つまり非常に危険度の高い区域であるという事だ。
今回の作戦で中継局の設営に成功すれば新たに通信可能区域を確保でき、彼らヤドリギによる作戦行動範囲の拡大に繋がる、その足掛かりとなる――。
これは現状タタリギによる汚染、そして侵攻により限られた資源と土地で生き長らえている彼ら人類にとって己が陣地を広げるという点、そして放棄された拠点跡から利用可能な資源を得るという二つの点から、非常に重要な任務の一つだった。
『はぁ、はぁ……こちら隼……泉妻より各式へ。現在F-1区画通過中…現時点での会敵は無し、及びその気配は無いわ……』
「了解だ、詩絵莉。 こちらも合流地点まであと1区画だ」
若干息を切らした泉妻――、詩絵莉からの通信が入る。斑鳩の声に、呼吸を整える様にふうぅ、と深く息を吐き、彼女は続けた。
『私もローレッタの意見に賛成するわ。銃声からそれなりに経過してるけど、残りの丙型がスッ飛んで来る様子も無いし……このまま索敵を続けるにも、雨の中は危険も増すわ』
「言えてるな、残り1体に警戒しつつ中継局の設営を急いだ方がよさそう……か」
『それこそ合流した後なら丙型1体くらい、どうとでもなるわ。そうでしょう?』
ギルも納得したように「ああ」と詩絵莉の声に頷いた。
報告に上がった7体中、現時点で6体は撃破。
事前のこの区域への斥候曰く、発見されたタタリギは全て丁~丙型。
実際敵数の誤認報告は、敵が全て丁~丙型……所謂、"小物"の場合、まま有る事案ではあった。それ以上の"大型"タタリギの報告も運よくここ数日、この作戦区域となる拠点跡で挙がってはいない。
詩絵莉の言う通り、報告を信用するなら残り一体も丙型……油断さえしなければ全員が合流してしまえば万が一にも遅れを取る事は無いだろう。斑鳩は隊を預かる身として安易な選択はなるべく執りたくないという気持ちはあったが、索敵に集中したローレッタの網にも掛からないようであれば、杞憂の可能性は高いだろう、と結論付けた。
「わかった。 ではローレッタ、お前もN33式兵装甲車で合流地点に向かってくれ。 ルートは任せる…だがなるべく崩壊した建造物の近くは避ける様にな」
『了解っ! んでは一応保険として木兎1号2号ちゃんを周辺展開しつつ、合流地点に向かいまーす! あ、タイチョーとギルから眼、少し離す事になるから。 そっちも十二分に注意してね、オーバーっ』
斑鳩とギルはローレッタの言葉の通り、より警戒を強めつつ。
詩絵莉は万が一の会敵に備え、愛用の銃に新たな弾丸を込めつつ。
4人はそれぞれ通信を終了すると、合流地点へとその足を早めるのだった。