第7話 この力、誰が為に。(3)
アダプター2突入前夜。
喧騒から離れ、一人夜風に当たる斑鳩の元へ、彼女が訪れる。
…それはどこか、意を決したような表情で――。
「斑鳩…見つけた」
すっかり日も暮れ、闇に包まれたアダプター1。
アールは回収班たちの手によって物見やぐらに改造された古い給水塔のはしごを登ると、佇む斑鳩の背中に声を掛ける。
「……アールか。 湯あたりしてたようだったが、もう大丈夫か?」
斑鳩は振り返ると、設置されたランタンの僅かな灯りに照らされ現れた彼女を振り返る。
朱色に薄く照らされ、その白髪と紅い瞳は昼間見る彼女より神秘的に彼の眼に映る。その姿に斑鳩は彼女と出会ってすぐ……第13A.R.K.の墓地で、同じように淡い灯りに照らされた光景を思い出していた。
「その、お風呂……苦手、なの。 …あんまりお湯って、得意じゃなくて……」
「はは、そうか。 ……詩絵莉のやつも、ローレッタのやつも、手加減を知らないからな。 まあ、妹分みたいなお前が出来て嬉しいんだろうさ。 許してやってくれるか」
苦笑しながらそう答える斑鳩に、アールは小さく頷く。
「斑鳩、ご飯あまり食べてなかったから……うまいやつ、今日は一杯あったのに」
彼女はそう言うと、満腹だよ、と言わんばかりに自分のおなかをさすって見せる。 その仕草に斑鳩は「確かによく食べてたな、アール」と少し嬉しそうに笑った。
――ロビーコンテナでのやり取りの後。
入浴する女性陣を待つ間、斑鳩とギルはフリッツと合流し、互いに斑鳩は作戦の進捗を、フリッツは手掛けている兵装の進捗を互いに報告しあった。 なんでも詩絵莉が扱う新しい兵装を手掛けているが、中々難航している様だ。
「次の作戦には間に合わないけれど……必ず数日中に形にしてみせるよ」と、真剣なまなざしでそう答える彼は、ここ、アダプター1に来てからというもの今までくすぶっていた分を取り返す様に、兵装の調整、空いた時間は新兵装の開発に没頭している様だ。
その後、彼女たちと交代で入浴を済ませ、皆での食事。
明日の突入を控えながらも、五葉の手料理に加えギルの妹――コーデリアが持たせた温め直されたパイを囲み大いに盛り上がる中、斑鳩は少し早めにその輪を脱すると、このやぐらで夜風に吹かれていたのだ。
「……緊張して食欲が、なんてガラじゃないんだけどな。 少し考え事をしたくてね」
「…また、むずかしいコト?」
「む……そ、そうだな……難しい事、かもしれない」
真っ直ぐに瞳を見つめ、問い返すアールに彼は少したじろいだ。
斑鳩は、ふう、と息を小さく吐くと少し笑う。
「……アールこそ、この作戦が始まってからずっと、難しい顔をしているぞ? 皆、心配するくらいには、な」
「そ……そうか、な?」
言われ、彼女は少しの間俯くと、ふいに顔を上げて自分の頬を両手でつまんで見せる。
これはローレッタが彼女に教えた「笑って笑って」の仕草だ。斑鳩は、頬をつまんでもなお無表情がちの彼女のその顔に思わず噴き出す。
「……斑鳩、わらった」
「卑怯だぞ、それは」
二人は少しの間、小さく笑う。
夜風がふわりと斑鳩の黒髪とアールの白髪、対象にも見える互いの髪の毛を揺らした。
「……何か、感じているんだな?」
ふと、真顔に戻ると斑鳩はアールの瞳を真っ直ぐ見つめ直す。
彼女も、斑鳩の言葉に頬から指を放すと……数歩進み彼の隣に立ち、やぐらの鉄柵へと手を掛ける。
アールは何も言わず、真っ直ぐと眼下に広がる景色の先――アダプター2をひたと見据えながら、口を開く。
「……うん……アダプター2……あの時と一緒。 ざわざわする。 ……とても」
「あの、乙型を感じた時の様に、か?」
斑鳩の言葉に、彼女はアダプター2の方角を見据えそのまま深く頷く。
「前よりも、もっと、もっとざわざわする感じ。 でも……前とはなにか、違う感じがする」
斑鳩はアールの言葉に、同じく視線をアダプター2がある方角へと移した。
彼女は……タタリギの気配の様なものを感じ取る能力か何かを持っているのだ。
感じた"それ"を上手く言葉で表現するのは難しい様だが、前回の作戦で乙型が動き出した時の様に今回もまた、何かを感じ取っているのだろか。
「――きっと、何かがいる。 わからないけど……とても危ない、そんな感じがする」
「とても危ない……か。 ……前も聞いたが、どんな風に感じるんだ? それも式神の力の一つ…なのか」
絞り出すように言う彼女の言葉に、斑鳩はアールに視線を移す。
「……どんな風に。 ……う~ん、言葉で言うの……むずかしいケド。 におい、のような……気配、のような。 ……今、感じてるのは……遠いけど、とても近くに居る……そんな、不思議な感じ、かな」
「とても感覚的なもの、なんだな」
彼の言葉に、アールは一つ頷く。
「……斑鳩たちが、同じ感じしないなら、式神の力……なのかな。 アガルタに居る時には、感じたコトなかったから、わたしもよく…わからなくて。 ごめん」
「ああいや、いいんだ。 むしろ頼りになるさ、その感覚は…」
アダプター2に居る"何か"。それは彼女をこうも塞ぎ込ませる程のタタリギが存在している、という事なのだろうか。 斑鳩は彼女の言葉に無言で俯き、厳しい表情で右手を口元に添える。
「……俺たちでは敵わない様な相手、か?」
斑鳩の言葉に、彼女はちらり、と横目で彼を視界に入れる。
何か言いたそうにアールは一瞬口を開く事数度。喉元まで出掛かる言葉を何度が飲み込むと、少し考える様に俯いたのち、彼に向き直った。
「……ううん、勝てるよ。 きっと、だって……」
そこまで言うと、彼女は再び口を閉ざす。斑鳩の目を見据えたまま、じっと。
「……アール?」
「わたし、"式神"として……戦ってみせる、から」
斑鳩は、彼女のその言葉の真意が分からず、疑問の表情を浮かべるものの……彼女のいつになく真剣に。真っ直ぐこちらを見据える紅い瞳に宿された強い意志の様なものを感じると……その表情を僅かに崩し、その瞳に小さく頷いてみせた。
「アール、気負わなくていい。 ……あのアダプター2で何が待っているかは分からないが……俺たちは、Y028部隊にやれる事を果たそう」
「……うん。 わかってる……わかってるよ、斑鳩。 ……わかってる。 きっと……だいじょうぶだよ」
アールは斑鳩にではなく、どこか自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
その様子は、明らかに今までの彼女の様子と比べて異質だ。
「……平気か?」
強い覚悟の影に、どこか思い詰めた様な表情を浮かべるアールに、斑鳩は彼女の肩に手を掛け顔を覗き込むと心配そうに声を掛けた。
「……ごめん、斑鳩。 わたし……うまく、言えなくて。 でも……」
「アール、いいんだ。 お前がこの作戦に本気なのは……十分に伝わってるさ」
アールは、肩に掛けられた彼の手の温もりを感じながら、目を閉じる。
――ああ、彼に本当の事を告げれたなら、どれほど楽だろうか。
――明日の戦い、感じているこの"気配"が本物ならば……
覚悟したはずなのに、皆と楽しい時間を過ごす度、揺らいでいく自分が嫌だ。
こんな感情は、アガルタに居る頃には過った事すらなかったのに。
皆を、守りたい。 ――その気持ちは……うん、本物だ。 だからきっと……揺らぐ。
皆と、共にありたい。 ――彼らがくれたこの場所は……暖かい。 あの白い部屋と違って。
皆に、見せたくない。 ――わたしが式神としての力を見せた時、皆は……。
それでも――皆が往くのならば、もしもの時は……やるしか、ない。
肩に掛けられた斑鳩の手の温もりに、アールは彼の命の暖かさを感じる。
それは皆と一緒。 ギル、詩絵莉、ローレッタ……共に戦う彼らの鼓動を、いとおしく思える。
きっとこの温かさが、"わたし"が"わたし"として、戦う意味……存在する意味に、なるはずだ。
その結果、何かを失う事になろうとも……わたしはこの"式神"としての責任を、果たそう。
――打ち克つために失い往く、それが……式神の役目、ならば……。
「……ごめん、斑鳩。 もう、だいじょうぶ。 今日は……早めに休むね」
「そうか……わかった」
アールはそう言うと、地上へと延びるはしごに足を掛ける。
斑鳩は、はしごにゆっくり足を掛ける彼女に気の利いた台詞の一つ掛けてやりたかったが……どうにも思いつかず――
「斑鳩」
その時、彼女がふいに顔を上げ斑鳩を呼んだ。
アールの声にはっとして彼は彼女に視線を落とす。
「……明日、もし何かあっても……わたしを信じて、欲しい。 きっと……役に立ってみせるから」
斑鳩は目線を合すようにはしごに足を掛けた彼女の前に跪くと、大きく頷いた。
「……わかった、アール。 改めて言うまでも無い、俺たちは、お前を信じているよ」
その言葉に、彼女はうっすらと笑みを浮かべると、「おやすみ」と一言口にし、はしごをゆっくりと降り……コンテナからわずかに漏れる光の方、アダプター1の暗がりへと消えていった。
あのアールが、一人でこうして何かを伝えに来た……アダプター2に感じられる、危険を知らせに。
恐らく、あの場所で待つであろうその"何か"は並大抵のものではないのかもしれない。我々第028部隊の戦力を以てして、無事に作戦を終える事が出来ない程の、今までにない危険が。
……だが、それ以上に引っかかるのはあえて彼女が、"式神"という単語を使った事だ。
式神として戦って見せる。彼女はそう言った。 それが何を意味するのかは、斑鳩にはわからない。
「式神として……か」
斑鳩はふと、暗がりの向こう――アダプター2へと再び視線を向ける。
前回の作戦、対乙型壱種との戦闘で見せた彼女の動き。 そして今回、侵入経路を得るための探索中での対丙型との戦闘……。
どれも、接近戦闘を得意とする狼として見た場合でも、彼女の動きは紛れも無く一級品のそれだ。しかも、言えばまだ余力を残している様にすら感じる。
その彼女が、"式神として戦う"と言った意味――。
それはやはりどうあれ、あの乙型壱種を超えるタタリギがあの場所に居る、という事……なのだろう。
そして式神とは俺たちが伝え聞く、単に狼・隼・梟の能力を備え持つ第四の式兵ではない、という事を彼女は暗に言いたかったのか……?
「全ては明日、か……」
斑鳩はやや目を細めると、そう呟く。
もし、今回彼女が予見し、警鐘を鳴らすその未知の脅威に対して戦果を上げれないようであれば、それは言わば現段階で人類に打つ手がない、という事になりえる。 だが自分たち……そして新型ヤドリギの彼女とその脅威を退ける事が出来たなら……。 ゆっくりと、確実に。 滅亡へ至る様に真綿で締め付けられるような人類からの、反撃の一矢となり得る結果を、この手にする事が出来るかもしれない。
どこまでも暗い夜を見つめ、斑鳩は自分を鼓舞する様に、大きく深呼吸をする。
――それこそが、俺が見たかった景色だ。 予見出来る未来の先……叶うなら、その先の景色を見てみたい。
――その為に、俺は戦うんだ。 本当に、ヒトが生き残れる可能性がこの世界にまだあるというのなら。
彼はどこか達観した様な表情で、静かに。
夜の闇に溶けるような黒髪を風に揺らしながら……アダプター2を、見詰めていた。
……――第7話 この力、誰が為に。(3)へと続く。




