第6話 アダプター1へ向けて (4) part-1
Y028部隊、式梟 木佐貫・ローレッタ・オニール。
他の部隊員である皆より少し遅めに目を覚ます――。
重い頭を抱える彼女が向かう先とは。
「……ううん」
朝。
重く感じる頭を枕の上でゆっくりと転がすと、ローレッタは瞼を開けた。
肘を着き、腕を着き。彼女はベッドの上で億劫そうにゆっくり彼女は起き上がると、座ったままの姿勢でうなだれる。
――任務明けにちょっと……はしゃぎすぎたな……。
ベッドから離れた場所に置かれた全身鏡に映る自分の顔。
ぼさぼさの髪の毛に、瞼の下にはひどい隈。我ながら、なかなか酷い。
ギルなんかに見られた日には一週間は馬鹿にされ続ける出来だろう。
しかし、今回の”反動”は思いのほか大きい……乙型壱種との戦闘任務明けとはいえ、ここ最近の中でも随一の目覚めの悪さを感じる。
彼女たち、式梟は、A.M.R.T.による劇的な脳の処理速度を得ている。
視覚と聴覚から得た大量の情報を高速かつ多角的に処理を行う力は、言い換えれば強化されているとはいえ脳を酷使することに変わりはない。
そのため式梟は個人差こそあれど、任務後その反動として24時間内に偏頭痛や倦怠感に襲われる者も多い。ローレッタの場合は能力酷使後、数時間内と、翌朝目が覚めたときにその症状が現れやすかった。
「……今回はでも……二日酔いなのか、反動酔いなのか分からんぬぅ……」
眉間にシワを寄せながら、強くもないアルコールを昨晩勢いに任せて口にした事を後悔するように呟くと、彼女はベッドの上で両膝を抱え込み……薄目で天井を見上げ、ため息を一つ。
重い瞼を馴染ませるように何度かゆっくりと瞬きすると、今度はゆっくりとあたりを見渡した。
閉めきられた暗い部屋。床には無数の本や機械類が所せましと並べられている。中には整備班から無理を言って譲ってもらった、故障し破棄される予定にあった偵察索敵用ドローン、木兎までもが転がっていた。
どれもこれも彼女にとっては式梟として様々な知識や見聞をインプットするための"勉強"の材料ではあるのだが、確かに他人から見れば乱雑に散らかった部屋に見えるかもしれない。
何度か訪れた事のある詩絵莉にも「いい加減片付けなさい!」と説教をされたこともあるが、この配置こそがローレッタの"片付けた"結果なのだ。
大量のモノを集める彼女にとっては狭いコンテナの住居……部屋の中央に置かれたベッドから手を伸ばせばなんでも手に取ることが出来る。そう、これが理想の配置……のはずだ。
改めて彼女は一人「うんうん」とうなずく。……詩絵莉や別のA.R.K.で暮らすお母さんに見られたら、こっぴどく叱られそうではあるが……それはこの際、聞き流そう。彼女はそう考える事にしていた。
ローレッタはベッド上を足元へと移動する。
ベッドの足元に設置されたハンガー掛けには、必要な衣服が意外な程綺麗に吊るされている。
このハンガー掛けに吊るされた彼女の洋服が、カーテンとなり入口からベッドを隠している。
当然、これも彼女が意図的にそう配置したものだ。起きればすぐベッドの上で着替えられ、不意の来客からもプライベート空間であるベッドはこれのおかげで視界に入らない。
…我ながらなんと合理的な配置だろうか。
長めのレギンスに足を通し、寝間着をハンガーへと丁寧に掛け、代わりに手にしたヤドリギの制服に袖を通す。
「……えっと……格納庫への集合までの時間は……」
ハンガー掛けに吊るされた、自作の吊るし時計を目にする。
集合までの時間はちょうど1時間程。
アダプター1へ向けて、斑鳩と詩絵莉は整備班で兵装のチェックや申請……ギルとアール、コーデリアは、身の回りや雑貨の買い出し……時計通りなら、すでに皆、動き始めている時間だろう。
彼女は吊るされた衣服の下から鏡や櫛、髪留めが収められた籠をベッドの上から身を乗り出すようにして取り出すと、慌ただしく準備を始めた。
髪を梳かしながらローレッタは、集合までにやっておきたい事を思い浮かべる。
本来、式梟は戦闘以外にも装甲車の運転、偵察、索敵、哨戒……その仕事は多岐に渡る。
さらに戦闘時はその感覚と処理能力を以てオペレーターとして参加するため、総じて比較するならば式狼や式隼よりも圧倒的に仕事量が多い。
そのため、基本的に式梟が与えられる出撃準備……というのは、”十分な休養を取る事”。
……なのだが。
彼女は性分として「皆が働いているときに一人のほほんと休む」事が上手く出来ない。
梟として任務をつつがなく全うする為の休息行為だと頭では理解出来ていても、性分がそれを拒むのだ。
以前居た部隊では、やはり出撃前に所用であちこちに出向く他の部隊員の目を気にして、明るく疲れをなるべく見せぬ様に準備を手伝ったりもしていた。
今思えば、周囲のからの目を気にした……なんとも情けない行為だったとも感じる。そうに至る理由はあれど、そうしなければならないと判断したのは他ならぬ自分だ。他人との自分の間にある壁、あるいは溝をそうする事でしか埋める方法を知らなかった。
だが、今の部隊では……"それ"は必要ない。
あの"事件"の後、式梟としてY028部隊へ正式に加入を決意した日。
自分を梟としてでなく、ただの一個人として付き合ってくれた三人に、彼女は思いの丈を全てを伝えた。
ギルは苦笑交じりに、わからねえ、と。
詩絵莉は背中をさすってくれて。
斑鳩は……真剣に私を見つめて。
話した結果。
梟として活動出来る「必要最低限」の休息は必ず取る事を条件に、好きな事を好きなようにしていればいい、と彼らは言った。無理に笑顔を作り、皆を手伝う必要が今はないのだ。
反動が強く無理なときは気兼ねなく休ませて貰えるし、逆に辛くてもやっておきたい事があった場合は、皆の前とて笑顔を作らなくてもいい。
そんな自分……梟の事を、理解してくれる。それが心底嬉しいのだ。
彼らの為にも出来る事があれば、やりたい。
たとえ少しくらい体調は辛くとも、笑顔を作っていたあの頃よりも随分楽だ。
そして今日は、どうしてもやっておきたい事が彼女にはあった。
今朝は"反動"が強めに出てはいるが……休息は十分取らせてもらった。
それに直近で、あれだけの覚悟と誇りを、同じ梟――クリフから見せられたのだ。部隊の仲間を思うのは常だが、加えて……彼の事を思えばこそ、じっとしては居られない。
今はこの重く感じる頭を以てしても、動きたい気分なのだ。
着替えを終えると、彼女はベッドの脇に脱ぎ置かれたブーツに両足を通すと、頭痛を部屋に置き捨てるように。勢いよく外へと続く扉に、手を掛けるのだった。
・
・・
・・・
「Y028部隊、式梟……木佐貫・ローレッタ・オニールです。次回作戦で使用させて頂くN33式兵装甲車の事前点検と、木兎との接続・稼働テストに入らせて頂きたいのですが、構わないでしょうか」
一足皆より早く格納庫へと足を運んだ彼女は、装甲車の足回りを確認していた数人の整備士たちに向かい、やや緊張の面持ちで敬礼する。
「こ、これはお疲れ様です……いや、しかし……自分らはそんな話、聞いてないのですが……?」
「……はい、勝手ながら個人的な所用でして。ええと……前任務で、木兎とのリンクに問題がある様に感じたので……少し、こちらのコンソールの設定などを確認させて頂ければ……と」
彼女は敬礼を崩さずに答える。
そんなローレッタに視線を向けたまま、予定にないヤドリギの訪問に戸惑う整備士。
すると、傍らに立つもう一人の整備士が耳打ちをする。
「……Y028部隊……ほら、前話したろう……何度もN33の点検に来る、例の"天才"式梟の……」
「!……ああ、この人が……」
その言葉に彼女の全身をまじまじと見つめる彼に、ローレッタは敬礼した手を下ろす。
「……何か?」
聞き返す彼女に、耳打ちしたもう一人の整備士はやや憮然とした顔を浮かべる。
「いえ、しかしこう毎度点検に来られずとも、我々もきっちりと整備していますよ……?」
「……それについては感謝の言葉も無いですが、なにぶんコンソール上で確認したい事ありまして……申し訳、ないです」
その言葉を受けると、彼女はそう言いながら一礼を一つ。
他の整備士に向けても同じ様丁寧に一礼を行うと車体前方へと歩み、タラップに足を掛けると素早く運転席へと乗り込む。
乗り込んだハッチを締めようとした彼女に、先ほどの整備士が忘れていた、という風に駆け寄った。
「……自分らはこれで失礼しますが……一応、外部装甲や足回りに問題はありませんでしたので」
「……わかりました、いつもご苦労さまです」
そう言うと再び頭を下げ、改めてハッチを閉じる。
ずしん、という重い扉が閉まるその音を聞き終えると、ローレッタは先程まできりりと引き締めていた表情を、ふにゃ、と崩し大きく息を吐く。
「ッぷはああああああああああ……」
一人で出歩くのは今もあまり得意ではない。
生来の性格もあるが、なにより一年前……前部隊に在籍していた時の自らの失敗による、負い目。
それは今も彼女を少なからず、罪悪感という縄で縛っているのもまた事実だ。
先程の整備士の一人が"天才"と小声で言ったあの言葉。
あれはある種褒め言葉ではないのだろう。それを証明すると彼女が感じるのは、その言葉で自分がどういった人物なのかと気付き向けられた視線……尊敬や敬意というよりも、もっと負の感情だった様に感じる。
確かに梟として目覚めてからというもの…自分は周囲の梟と比べると明らかに優秀だった。
木兎の操れる数もしかりだが、蓄えた知識や、情報の処理能力。
そんな中、向けられた期待と好奇の目の中、疲弊していく自分も同時に感じていた。
当然、失敗など許されない。高みに居れば居る程、周囲はそれを許容しないだろう……そうも考えていた。
しかしそれこそが、ヤドリギとしての"覚悟の外"に彼女の意識を置いてしまう結果となる。
周囲との摩擦を恐れ、嫌われない様に優等生を演じる事にこそ、価値を見出した結果が…あの失敗だった。
だが今、Y028部隊に身を置く現在、それはない。
ヤドリギとして、式梟としての本当の価値。
それは才能や能力の差ではない事を、今の彼女は知っている。
……どれだけの覚悟と誇りを以て生きるか。そこにこそ、本当の人の価値はあるのだろう。
少なくともそう自分は思う。
そして、そう思わせてくれた部隊の仲間――そして、より強くそれを認識させてくれたクリフの姿。
――この先……あれ程強く、私は梟で在れるだろうか。
クリフの病室を後にしたのち、ローレッタは飄々とした態度こそ皆の前では崩さなかったが……ずっとその思いが頭を巡っていた。自分がもし、彼――クリフと同じ状況に陥った時、この覚悟は揺らいでしまわないだろうか。その思考に、ずっと囚われている感覚…。
「……これじゃタイチョーと同じだね」
答えが出ない問題をぐるぐる考えてしまうのが俺の悪い癖なんだ、と首を捻る斑鳩が目に浮かぶ。
彼女は少し笑いながら、コンソールの電源スイッチを次々と慣れた手付きで指で弾き稼働させていく。
キュイイイ……イ……
高い電子音を奏でながら次々に立ち上がっていくモニターに照らされ、暗い運転席と彼女を照らす。
彼女はどうしても気になる事がこのN33式兵装甲車……
いや、それに備え付けられたアガルタ製のコンソールにあった。
ローレッタは式梟となったその時から、このコンソールのぶ厚いマニュアルをそれこそ、擦り切れページが抜け落ちる程読み返し、開いた時間には自ら触り、装甲車間の載せ換えから接続に至るまで、様々な角度からコンソールと付き合ってきた。
それは彼女にとって、言わば斑鳩たちの撃牙、詩絵莉のマスケットなどにあたる、式梟の最大の武器だと認識しているからだ。
認識し出来る事と出来ない事を把握する事は、武器を扱う身の上で当然の事。そう考えるため。
……だが。
不可解なことに、どれだけ資料を読み返しても、誰にそれとなく聞いても答えが出なかった部分……どうしうても彼女が理解出来ない部分が、このコンソールの一部にあるのだ。この箱舟の資料室で閲覧した古い資料にあった、この機器たちの設計図にも記載されていないもの……。
そう……まさにブラックボックスとしか言えないもの。
それがこのコンソールには埋め込まれている事を、彼女は知っている。
「……いつも通り、ログが残らないように……と」
彼女は立ち上がったコンソールのシステム画面に向けて、暗記しているコードを手早く入力する。
大きな声では言えないが……入力したコードは彼女のものではない。この第13A.R.K.を管轄する、ヴィルドレッド局長のものだ。
ローレッタが何故ヴィルドレット局長のコードを知り得ているのかは……彼女にとって全くの幸運だったとしか言いようがない。以前資料室で見たコンソールの設計などが記載された古い資料の片隅に貼り付けられた古いメモに、それはかすれた文字で記載されていた。
……管理のずさんさを感じはするが、どんなものでも動き、使えればいいと考えるのが普通だろう。
ましてや単純な機械ではなく、アガルタ製の、しかも精密なコンソールだ。長年ひっそりと資料室の片隅で眠っていたその資料。彼女の様な疑問を抱かなければ、手に取られる事もなかっただろう。
偶然手にしたこの最高責任者のアクセスコードならば、閲覧ログの削除はもとより、全ての項目に制限無く干渉出来る。
毎回、若干の罪悪感は感じるが……任務内容や作戦ログの改ざんに使用した事はない。
あくまで、不明瞭な部分があるこのコンソールの解析に使用するだけ……彼女はそう自分に言い聞かせる。当然、斑鳩にもこのコードを自らが所持している事は伝えていなかった。
そして、その最高責任者のコードを以てしてもアクセス出来ない領域の特定を、数か月前から少しずつ行ってきた。何故、この様な領域があるのか。自分の身体の一部ともなるこのコンソールにそうした部分がある事が、彼女はどうしても引っ掛かる。
「……やっぱり、局長のコードでもアクセス出来ない箇所がある……これは、何……?」
何かしらの信号を発信している様な形跡こそあるが、何を、どうやって発信しているのかはその一切の履歴が追えない。ローレッタは忙しなく備え付けられたキーボードと、ボール型の入力デバイスを操りながら疑問を口にする。
「……短い時間じゃ、このコンソール上では……限界かもしれない……」
一向に進まない解析に、彼女は少し苛立ちを感じる。
もっと時間を掛けれれば、何か糸口の様な物が掴めるかもしれない。
だが、周囲の目を気にしながらの作業では、中々まとまった時間も取れずに難しい……。
となると、次の手は……もう、物理的な手段しか……。
以前コンソールを別の装甲車に載せ換える作業を手伝った際に見た……設計図に載っていない金属製の箱。そんな事を知らない周囲の人間は気にすら止めていなかったが、恐らくあれが、核心部分だろう。
あれに何とか、解析するための機材を接続出来れば、あるいは……?
彼女は座席から立ち上がると、その足元へと潜り込む。
胸元から自前の小さな工具が収められたケースを取り出すと、その中から数本を口に咥える。
それらを迷う事なく選びながら装甲車のアクセルやブレーキ備わる脇の鉄板を止めるネジを手早く外していく。
意外な程簡単に外れたそれを座席の上に放ると、再び足元へ。
鉄板が退けられ開いた穴に、彼女は車内に備え付けられた小型の照明を手に覗き込む。
幾重にも配線が絡むその奥に、それらすべてを飲み込むように接続された、意外な程大きな金属の箱が見えた。
「あれね……」
ローレッタはごくり、と唾を飲み込むと照明をそれへと向ける。
大きさは人の頭部程だろうか。ここから見えるそれは、のっぺりとした金属に覆われており辺を繋ぐ溶接跡も見受けられない。
左上にある小さな青い光が三つ、鼓動の様に明滅を繰り返している。そしてその対角線上の右下には、アガルタの刻印が見てとれた。
……やっぱり、おかしい。
彼女はそれをじっと見つめたまま、思考を巡らす。
見える範囲ではあるが、コンソール内部にある配線の全ては、例外なくこの謎の箱を経由している様だ。おそらく重要な何かなのだろうが……だとすれば何故これが設計書に記載されていないのか。
「精が出るな、木佐貫。何か機材の不調でもあったのか?」
「……ううん、そうじゃなくて……このコンソールの内部にどうしても不明な点があって……それを調べてるんだど……」
……ん"?
不意に上から掛けられた声に、ローレッタは何も考えずにそう答えた後、上半身を運転席下に潜り込ませたまま硬直する。その威厳に満ちた声の主には、心当たりが……ある。
ごッ。
急いで身体を座席下から引き抜く最中、ハンドル部分に思い切り頭頂部をぶつけるローレッタ。
目の前に星が躍るとはまさにこの事だ。彼女は両手で頭を思わず抱えながら悲鳴を上げた。
「いいいいいいい……いったあああいいぃぃい……ぁぁあ……ああ……あああぁ!?」
鋭い痛みに頭を押さえながら身を起こす。
そこには……やや呆れた顔をした、身なりの良い立派なジャケットに身を包み、整えられた髭を蓄えた初老の男が彼女を見下ろしていた。
「……中々派手にぶつけたな……大丈夫かね?」
「ヴィイ……ヴゥロレッドきょくちょおお……!!!?」
そう、そこには狭い車内前方の室内、大柄な身をやや窮屈そうに折り曲げた……
ヴィルドレッド・マーカス、第13A.R.K.局長。その人の姿が、あった。
ローレッタは予想だにしなかった人物の登場に、驚きに加え打ち据えた頭の痛さのあまり。
意識が遠のいて行くのを、感じるのだった。
……――第6話 アダプター1へ向けて (4) part-2へと続く。