第5話 来たる、乙型壱種 (6)
戦闘開始から数分。互いに命を燃やすその戦いに、ついに終わりが見える。
誌絵莉が抜き放つは、人類がタタリギに対して唯一持ちうる特効の弾丸、デイケーダー。
今、その弾丸がついに放たれようとしていた――。
――ゅゆおおおおおおおオオオオオォォォ……
予想だにしなかった窮地に乙型は、その深度を深めようとする前兆なのか。
二匹の狼がまさに獲物に喰らいつき、その肉を鋭利な牙で削ぐ様に、乙型の履帯へと撃牙を突き立て、えぐる中。
乙型は先ほど斑鳩を捉えて見せたその黒い蔦をくゆらせながら、今はなすがまま……地の底から湧きあがる様な不吉で、そして不気味な咆哮をあげていた。
『……乙型履帯部分、損傷率80%、超過!!』
ローレッタの声に斑鳩とギルは、とどめだと言わんばかりに互いに左右から乙型の足を担う履帯へと一撃をくれると、撃牙を引き抜き、離脱する。
「……よし!これなら暫く身動きは取れないだろう!」
「へっ!ざまあねえ……キサヌキ!こいつを"座らせる"角度はこれで大丈夫か!!」
二人は履帯を破壊しつつも、詩絵莉からの射角を考慮し……最終的に芯核が向き出す面が彼女に向く様、ローレッタからの指示で攻撃を加えていた。
『……射角は十分に確保出来たと思う!損傷具合も問題なし……少しだけ余裕を持たせてる、これでいいよ!式狼両名は退避を!』
ローレッタは木兎の二機を駆り、乙型の状況を再度確認していく。
その様子を見届けると、詩絵莉は愛用の銃を地面にそっと置く。
そして緊張の面持ちで「ふうう……」と深く吐息を吐きながら、デイケーダーが封入されたパッケージをバックパックから無造作に取り出した。
彼女の護衛にと傍らに立つアールは、その様子を静かに見守っている。
「……詩絵莉。デイケーダー……撃つの、むずかしい?」
アールは周囲に警戒を払ったまま、詩絵莉に問いかける。
「……そ……そうね……アール。もう時間が無いから……説明は省くわ。……見てて」
そう言うと彼女は左手に持つパッケージを、ぽん、と軽く叩いてみせた。
厳重に透明なフィルムで幾重にも巻かれた長方形の箱。サイズは詩絵莉の掌よりやや大きいくらいか。
「こちら式隼!……デイケーダーを開封、装填に入る!!」
そう、覚悟を決めた様にインカムに向かって言い放つと、勢いよくそのフィルムを引き千切る。
幾重にも巻かれたフィルムを剥がすと、その下から現れるのはさしずめ、鉛色の小さな棺――
その上部にはアガルタの印である、"宿り木"をモチーフとしたエンブレムがうっすらと刻印されていた。
詩絵莉は今一度、ギッ、とその視線、意識を乙型へと向ける。
――損傷度合は十分。本体の挙動によるブレは……十二分に許容範囲。大丈夫――問題ない、わ。
『こちら狼、二人とも着弾、深過に備えての離脱、完了した。……詩絵莉、頼む!』
『シェリーちゃん、最終発砲許可、承認!お願い!!』
『……どうせ二発目もあるんだ、気軽にブッ放しちまえ!シエリ!!』
……――ギルのやつ、あとでブン殴らなきゃ。
詩絵莉はアールに見守られながら、いよいよ鉛色の箱――その側面に備えられた開封輪に手を掛け……一気にそれを引き上げる。
パシュウウウウウウッ……
開封と同時に少量の白い煙……そして密封された空気が噴き出すような音を響かせ、鉛色の棺から引き出されたもう一回り小さなその箱。
そこには今はもう見ぬ新緑を思わせる鮮やかな碧色を湛えた、大型の弾丸が静かに横たわっていた。
「……デイケーダー、開封を確認!」
『……梟より隼へ。デイケーダーの開封を確認!残り有効時間カウント4:55よりカウントダウン!!』
彼女は鈍く輝くそれを小箱より取り出し、慎重に愛銃のマスケットを地面より抱え上げ、バシッ、と軽快な音を立て弾室を開く。そしてゆっくりと慎重に弾室へとデイケーダーを送り、それを覗くように装弾を確認する。工程を確認するように大きく頷き――再び、バシッ、と勢いよくマスケットを折りたたみ、装填を完了させた。
――これでデイケーダーを扱うのは……3回目、か……相変わらず緊張させてくれるわね、この子は。
『シェリーちゃん!残り有効時間、4:00!周囲式狼、安全距離まで退避再度確認!!』
「……了解、装填工程完了。……射撃に移る!!」
ロールにそう答えると、彼女はバックパックより手早くストックを取り出すと銃身の中ほどに装着し、すぐさま地面にうつ伏せにその身を伏せると、銃を番え 伏射姿勢をとった。
普段は立射と膝射を主とする詩絵莉だが、このデイケーダーだけは別だ。
当然、少なく貴重な弾丸であるデイケーダーを最も安定した体勢で射撃に臨む、という意味もあるが……理由はそれだけではなく単純に、弾頭が大きくその射撃により生じる反動が凄まじいが故だった。
今回の乙型、芯核のサイズは人の頭部よりやや小さい程度の大きさか。
詩絵莉は意識をそれに集中させると、愛銃に強くその頬を押し付ける。
同時に、頭の中に飛び往く弾丸を思い描き、イメージする。
射撃に影響する様々な要因を瞬く間に考慮した、銃弾が奔る軌跡。
完全に集中を果たした式隼、詩絵莉に今映る世界は、それだけだ。
視線――意識はそれをトレースするように突き進み……芯核へと、到達する。
「……翔べ!」
瞬間、彼女はそう呟くと……引き金を強く――弾いた。
ッズッバァッ!!!!
デイケーダーが遂に放たれる。
凄まじい衝撃、そして空気がはぜる様な爆音。
伏射の詩絵莉の髪が、周りの土埃が。射撃の衝撃により後方に円を描く様にふわり、と舞う。
放たれた瞬間、傍らに佇むアールも目を細める様にしてその弾丸の行く末を見守る。
"翔べ"と命じられたその弾丸は、彼女のイメージ通りの軌跡を描き。
履帯の殆どを破壊され、うごめく様に身をよじる乙型……その芯核へと――
パギィィンッ!!!!
硬質なガラスを叩き付ける様な音を上げ、着弾した!
『梟より隼へ!……デイケーダー、着弾を確認!!』
同時に木兎で観測を行っていたローレッタが声を上げる。
自らの眼でも着弾を確認していた詩絵莉は、「……よし!」と小さく伏せたまま、ぐっと拳を握る。
「うん……詩絵莉、すごい。構えから射撃まで……無駄がない。デイケーダー苦手って……ほんと?」
アールはゆっくりと起き上がる彼女の傍で、横からその顔を覗き込んだ。
「……ほぼ停止した対象に向けて撃つ……お膳立てはあっても、これを撃つ時は実際……いつも気が気じゃないわ……さて……」
詩絵莉はギュッと再び、デイケーダーが着弾した乙型に焦点を合わせる。
つられる様に、アールもそれに続く。
「――はじまるわ」
その彼女の言葉を待っていたかの様に――
……――ィィィィイイイィィイィイィィイイイイイイイイイ……
着弾から数秒。うなり声すら消え沈黙していた乙型から、唐突に。
頭の奥に響く様な高い異音が当たりに木霊する。
『着弾より3秒、対象、深度急速経過……発生!!タイチョー、ギル!ちゃんと離れててよ!』
「……ああ!」
「っぐう……始まったなッ……この音……!!」
撃ち込まれたデイケーダー――、いや、正確には弾頭が着弾の衝撃により爆ぜ、その内部に圧縮されていたデイケーダーの"核"とも言える溶液が、余す事なく乙型の芯核を"濡らす"。
先ほどまで鼓動の様に鈍く明滅してたそれは、デイケーダーが着弾した今、不規則なリズムで光を刻んでいた。
「……あれが、デイケーダー……そっか……」
アールがぽつり、と呟く。
尚も異音を発しながら、乙型は戦車自体を覆うその黒い蔦――そして、戦車全体を小刻みに痙攣させる。
『……着弾から10秒……効果大!未だ深度急速経過中……!!』
――ずばあっ!!!!
その時だった。
ローレッタの声と同時に、黒い蔦が新たにその繁みから幾重にも生まれ――地面を噛む。
――ィィイイイイイ"イ"イ"イ"イ"イ"イ"イ"……!!!
「何度もお目に掛かった事があるわけじゃないが……やはりエグい光景だぜ……身の毛もよだつってのはまさにこの事だな……」
ギルは瓦礫の影で不快そうに眉を顰め、耳を塞ぐように手をあてると、黒い蔦を鋭利な刃物の様に幾本も地面へ突き立て振動し、更なる異音を放つ乙型に目をやる。
次々と黒い蔦をその戦車の装甲版の隙間、砲塔、様々な場所から突き生やす乙型は、既に戦車としての陰は曖昧になりつつあった。
――爆発的な深度の経過、すなわち"深過"を強制的に促し、加速させる。
それが崩壊弾……デイケーダーの正体だ。
芯核に被弾したが最期、そのタタリギは恐ろしい程の速度で深度を深める。
通常の損傷……追い詰める事により発揮される"深過"のそれとは違い、環境や状況など一切の考慮する余地など与える間もなく、だ。
火薬が含まれた芯を持つロウソクを燃やすが如く、凄まじい勢いでその寿命が果てるまで、一気に不完全な深過を促す。
狼がデイケーダー使用時に退避するのは、着弾時に飛沫、霧散する可能性があるデイケーダーをその身に触れさせない、取り込まない為である。
ヤドリギもまた元を辿れば……その力の源は、いわばタタリギに依るもの…故に接触、吸引すると非常に危険とされているのだ。
デイケーダーがもしヤドリギに付着したら最期、どうなるかは想像もしたくない。
それ故、狼がデイケーダーを所持・使用する事は安全面の保証が無いため、現実的ではないとされている理由でもあり――もし、誤射や着弾点のズレからそれが起こったとしたら、と詩絵莉が極度の緊張を強いられる理由でもある。
「……そろそろか」
「……ざわざわ、しなくなった。……おわったんだね」
斑鳩は悶える様に地面に蔦を突き立て、震える乙型を観る。
インカムから聞こえる彼の言葉に、離れた場所でアールは誰に言うでもなく、ひとり小さく頷いた。
その言葉に詩絵莉は少し驚いたようにアールに顔を向ける。
――この子――やっぱりなにかを……。と、彼女はN33の中で叫んだ彼女の姿を思い出す。
パギッ……
乾いた、何かにヒビが入るような音と共に。乙型を覆う黒い蔦の震え、そして異音が――止まった。
『……着弾から20秒!深度経過、停止!……芯核明滅停止、及び亀裂確認!!……乙型、崩壊するよ……!』
ローレッタは木兎で、憎むべきタタリギの最期――その瞬間をつぶさに目撃していた。
通常の衝撃では破壊に至る事は極めて難しいとされるその芯核に、着弾場所を中心として亀裂が入る様を。
先ほどまで蠢いていた黒い蔦は、完全に停止し――次の瞬間。
ざあああああああぁぁぁぁぁ……
周囲に吹かれる緩やかな風に、崩れ、散る。
つい先刻まで斑鳩を締め上げ、軽々とその身を持ち上げ。詩絵莉の銃弾を弾いた面影は今は無く。
それはさしずめ、崩れゆく大量の黒い灰となって、静かに朽ちていった。
斑鳩、ギル、詩絵莉、ローレッタ、そしてアールの五人 は、崩れゆく乙型にそれぞれ、決着を感じ取る。
『……乙型壱種、崩壊。現時点を以て状況終了……みんな、ご苦労様……!……タイチョー、私達は、果たしたんだよね』
「……そうだ。ローレッタ、ギル、詩絵莉……そしてアール。……皆、よくやってくれた」
斑鳩はやや震える彼女の声に強く頷くと、一時目閉じ、皆に声を掛ける。
だがすぐに目を見開くと、表情を引き締め……通達を放つ。
「……斑鳩より各式へ。現時点を以て戦闘行動を終了……続いてY035部隊の捜索と救護に移る!……ローレッタは箱舟に報告、同時に救護部隊の派遣要請を。俺とギルはN32式兵装甲車の確認、詩絵莉とアールは乙型の痕跡を遡り、Y035部隊の式狼達を……頼む」
『こちら梟、了解。……早急に木兎も捜索に向けます!』
『……隼、了解。引き続き式神と共に行動。"何か"あればすぐに連絡入れる』
『えと……式神、了解』
皆は戦いの余韻を感じる暇も無く。
ギルは隣で強く頷くと立ち上がり、ため息を短く着くと――複雑な表情で、それでいて力強く撃牙を装填する。
「……念の為、な」
「……ああ、そう、だな……」
ギルの神妙な表情を見て、斑鳩も何かを決意したような面持ちで、撃牙を装填しながら立ち上がる。
タタリギとしての部位が崩れ落ち、今は屑鉄と言っても過言ではない崩壊した戦車を一瞥すると、二人は駆け出した。
――Y035部隊式梟クリフ。彼が居るであろう、大破したN32の元へと。
…………――――――――第5話 来たる、乙型壱種 (終)へと続く。