第0話 序章 (2)
「どうして民間人がこんなところに……しかもまだ、子供だぞ。 ……ああ、ローレッタ、木兎の通信は彼にも聞こえるようにしてくれるか」
あの後――
いとも簡単にタタリギを斃した青年と、黒い飛行物体と共に――
ベルは彼らと来た道を引き返すべく、小走りに廃墟を移動していた。
ミミズク……斑鳩が目を向ける、黒い飛行物体の事だろうか。ベルは自分たちの頭上をぴったりと飛来する初めてみるそれに視線を移すと、突如その機体から声が発せられる。
『や、タイチョー。 私も最初見つけたときは、何かの冗談だと思ったけどね……それで、えっと……君はどうしてここに……っていうか、どうやってここに来たの?』
黒い飛行物体……木兎と呼ばれたそれから、ローレッタと呼ばれる女性からの優しく諭す様な声に、ベルは少しだけ驚くと同時に、安堵を覚える。
「……兄貴を探しに来たんだ。 ……ここには、歩いてきた」
「もしやと思ったが……本当にA.R.K.から歩いて、か。 よくもまあ、あの距離を無事にここまで来れたな……」
感心と、飽きれ半分といった黒髪の青年に、ベルは黙って一枚の地図を押し付ける様に突き出す。
「これは……A.R.K.周辺の軍用地図じゃないか。 ……なるほど、確かにタタリギの少ないルートはこれを見れば……いや、どうして君がこれを? ――兄貴というのは、ヤドリギなのか?」
青年の問いかけに、ベルは小さく頷く。
「ザック……ザック・オールディス……あ、あんたらと一緒の、ヤドリギだよ……!」
『……ザック・オールディス……おっけー、ちょっとデータ照合してみるよう』
名前を復唱する木兎と呼ばれたそれに、青年は「ああ」と頷くとベルへとその視線を向ける。
「……その兄貴を、探しに来たのか」
「そ、そうだよ……死んだって……ここで、死んだって聞いて……でも、俺たち、信じられないんだ! あの兄貴が、死ぬなんて……」
小走りする足を止め、ベルは立ち止まると強くその拳を握る。
青年も同じく足を止めると、一旦周囲を確認する様に辺りを見渡し――彼の肩を抱え、廃墟の壁際へと連れしゃがみ込む。
『……タイチョー、MIAリストにあった。 13A.R.K.所属、Y031部隊……回収班護衛所属、"式狼"ザック・オールディス。 4日前、この廃墟跡での物資回収任務中に、タタリギと交戦。 重症を負い、以後消息不明……』
「――なるほど。 ……その兄貴を、探しにきたのか、お前」
零れ落ちる大粒の涙を、ぐし、と乱暴に拭うと――ベルは大きく頷いた。
「……よし、ええと……名前、聞いてもいいか?」
膝を付き、視線を合わせる黒髪の青年は、ベルの肩を抱える。
「……ベルナード・オールディス」
小さく応えたその名に、青年は肩を抱えたまま、大きく頷く。
「よし、ベルナード。 さっき"俺たちは"、と言ったが……ベル、君の他に誰かと一緒に、この廃墟に来たのか?」
「……い、妹……ノマと一緒に来たよ……でも、ノマは、ここに通じてた壁の穴の中で待ってる……」
「――了解だ。 ベルナード、俺の名前は、斑鳩 暁。 ……いいか、ザックは――兄貴は、俺たちが探してやる。 お前はノマと一緒にすぐにA.R.K.に帰るんだ、いいな?」
「――っ、で、でも……!」
斑鳩と名乗った青年の言葉に一瞬、声を上げそうになるが――先ほど見たタタリギを思い出し、恐怖に凍えた感覚が蘇ると――ベルは何度か小さく、頷いて見せた。
「頼むよ、イカルガ……兄貴は、絶対に……生きてると、思うんだ……」
「……ああ、任せとけ。 ――ローレッタ、確か俺たちと同発した、この廃墟近くの環境調査をしている回収班が居たな?」
『――えっ、ああ、うん……分かった、そっちに通信して、この子ら回収してもらう様に打診してみるよ!』
「頼む」
そう言うと、斑鳩は立ち上がり――ベルの背中を軽く叩いてみせた。
「……ベルナード、ノマの所へ行くぞ。 場所は分かるか?」
「……うん」
ベルは溢れた涙を汚れた袖で何度も拭き……
斑鳩、そして黒い飛行物体共に――来た道を引き返し、二人と一機はノマが待つ元へと、向かうのだった。
・
・・
・・・
ノマと合流してほどなく――
ローレッタが通信し、呼び寄せた回収班によって二人の兄妹の保護は無事に行われた。
余程心配していたのだろう。妹――ノマは、兄であるベルと斑鳩の姿を見るや否や、息を殺して泣きじゃくっていた。
諭す斑鳩とローレッタ(木兎を通してだが)に頷くと、二人は素直に回収班の装甲車に乗り込み――拠点である、第13A.R.K.へと引き換えしていく。
その次第に小さく、遠くなる装甲車を、斑鳩とローレッタはしばし見つめていた。
『タイチョー、ザック・オールディスの事なんだけど……MIA前に、その……』
「……わかってる。 バイタルチョーカーの生体反応は、消えていたんだな?」
少し悲し気な彼女の声に、斑鳩は岩陰に消え行く装甲車の後ろを眺めたまま、小さく頷く。
『……うん。 残念だけど……あの子らの兄貴さんは、もう……』
「……珍しい事じゃないさ」
そう言うと、彼は自らの首に巻かれた太めの黒いチョーカーに指を掛ける。
バイタルチョーカー。斑鳩を始め、ヤドリギは作戦行動時にこれを着ける事が義務化されていた。その名の通り、装着者のバイタル……脈拍、呼吸、体温、発汗量――様々な情報を随時発信し、記録するもの。
このチョーカーからのバイタル反応が無かった――という事は、既にタタリギの手によって亡くなっているか……それとも――
「今回の俺たち任務の一つは、この廃墟跡のタタリギの一掃……願わくば、ザックが俺たちの前に現れない事、だな……」
『……どうする、タイチョー? 一応他の二人にも情報は共有、しとく?』
ローレッタのその言葉に、斑鳩は任務地となる廃墟跡を振り返り――少し考え込む様に口元に手を添えた。
「……ただ、息絶えているだけなら、いい……。 もしタタリギとして堕ちてしまっていたら……そういう事情の相手だと知れば、やり辛いだけだ……」
斑鳩の言葉に、ローレッタは小さく息を飲む。
タイチョー……彼のいう事は、ある意味とても残酷なものだ。
――だけど……ここは、戦場なんだ。
死に際……死後を含め、タタリギに寄生されてしまったヒトは、人類の宿敵とも言える存在へと墜ち果ててしまう。
そしてそうなってしまったら最後、二度とヒトへと戻る事は敵わない。
もし、ザックが――今作戦、この領域内で確認されているタタリギの討伐対象だったとしたら……それを知ってしまう事は、マイナスにこそなれど、プラスに働く事は、きっとない……。
ローレッタは僅かに噛んだ唇から力を抜く。
『そう……だね。 うん、わかった……』
作戦に参加した者が、行方不明になる――それは、もう――……
だが、斑鳩とローレッタは、それを面と向かってあの兄妹に伝える事は、出来なかった。
"ヤドリギ"とは、そういう存在なのだ。
常に、死を傍らに置き――残された人類を背に、想う人を守り、タタリギと戦い逝く為の存在。それは、斑鳩も……そして、ローレッタも変わる事は無いだろう。
「……作戦に戻ろう。 ローレッタも索敵を再開してくれ」
斑鳩は右手に備わる無骨で無機質な、大きな篭手と一体化した様な杭撃ち機にあるレバーを強く弾き上げ、"装填"する。
『――っ了解!』
斑鳩の言葉に、どこか寂しげな――だが、その感情を後ろに置き去るようにローレッタは力強く応えると、自らが遠隔操作する斑鳩の頭上で静止していた黒い飛行物体――木兎に備わる4枚の羽根を駆動させ、一気に廃墟の街へと飛来させてゆく。
その姿を追う様に、斑鳩も地面を蹴り付け――走り出す。
――願わくば、Y031部隊……ザックとの邂逅が無い事を、と――
切に、願いながら。