第11話 別つ道の先へ (6) Part-3
「……さあ、こっちッス! このコンテナの影に……」
真夜中過ぎと言うのに、多くの式兵や局員が行き交う格納庫内。
五葉に先導されながら、三人はその一角――乱雑に積み上げられ厚手の布が被せられた物資コンテナの死角に身体を滑り込ませる。
「それにしてもローレッタさんのナビ……恐ろしいほど正確ッス。 お陰で随分楽させて貰っちゃったッス!」
やっと一息付けたとばかりに襟元へ指を差し込むと、汗ばんだ首元をパタパタと扇ぎ涼む五葉。
ローレッタはその横顔を見つめ、小さく息を漏らした。
"ナビが正確だった"……。
――タタリギの気配を、生身でありながら感じ取る事が出来る力。
目の前の五葉は事も無げに、それを当然の様に受け入れている。
本来ならそう――気味悪がられても仕方ない状況だと言うのに。ただでさえ式兵が怖れる、深過を遂げたとされる自分たちを目の前にしてもなお、彼女は初めて出会った頃と何一つ変わらぬ様子で接してくれている。
(ごよちゃん……)
思い返せば、自分たちはアールという存在をずっと間近に見てきた。
共に過ごし戦いを重ねるごとに明らかになった、彼女の卓越した戦闘能力。それだけではない、式兵……いや、ヒトとは遠い位置にあった確かな異能。その凄惨だったであろう生い立ちも含め、段階を踏み、知り、彼女に触れてきたからこそ……自分たちは、アールを受け入れてこれた様に思う。
――だが、彼女は違う。
「? どうかしましたッスか? あっ……! ひょ、ひょっとして匂うッスか?! やっぱりシャワー浴びて来ればよかったッス……!」
「ううん、違う違う!」
あわわ、と襟元を詰める五葉に、ローレッタは一瞬きょとんと瞳を大きくした直後、思わずくすりと笑みを漏らしていた。
彼女は私たちがアールの事を"式神"としてではなく"アール"として受け入れていたように。彼女もまた私たちを式兵ではなく、一個人として受け入れてくれているのかもしれない。局長たちからの説明があったとは言え、私たちを今受け入れ、手を貸してくれている。
それが何より暖かく……そして心強い。
何かを口にしようとしたローレッタだったが、そのまま言葉を飲み込むよう目を伏せ、自然と胸の前で小さく拳を握り込んでいた。
――それでもこの状況に、不安が無い訳がない。
深過の影響により発現しつつある、本来自分たちにあるはずのない"能力"。
斑鳩とアールを取り巻く状況、二人に対するアガルタの意向。古病棟の一室から唐突な脱出……それを命じた、局長の真意。
けれど今、何より気掛かりなのは――目の前に居る、五葉の事だ。
今だ私たちの脱出は把握されていないのか、ここまでの道中で管内放送等で自分たちの事が周知される事は無かったが――彼女は、アガルタの式兵に手を掛けている。いかに局長たちの意思がそこにあったとしても、その行動はアガルタが定め、A.R.K.の皆が従う軍規を逸脱した行為に違いない。
もしその行いが明るみになるような事があれば……五葉だけに留まらず、Y036部隊は間違いなく、A.R.K.を超えアガルタから何らかの処罰を受ける事になるだろう。
(ううん、そんな事は当たり前……彼女が理解してないはずがない)
ローレッタは、そうだ、と思わず唇を強く噛む
五葉はそれら全てを理解した上で――何も聞かず、疑わず、手を貸してくれているのだ。
「……ありがとう、ごよちゃん。 」
今はそれしか、言葉がない――。
俯き、どこか苦し気に絞り出すよう紡いだローレッタからの感謝の言葉に、五葉は一瞬ふと真顔を見せる。だが直ぐに彼女は……数か月前、一緒にアダプター1で共に過ごした時と変わらぬ笑顔で親指を立てると大きく頷いてみせた。
「お安いゴヨウッスよ! 自分も隊長も……知った以上、みなさんの事を放ってはおけないッス。 それにアガルタ……ううん、あのヒューバルトとか言う男……どうにも匂うッス」
「奴と会ったのか?」
むう、と表情をしかめる五葉の後ろ、コンテナの隙間から周囲を伺いながら問いかけるギルの言葉に彼女は否定するよう小さく首を横に振る。
「まさか。 自分はここに居ないって事になってるッスからね。 でも、遠巻きには。 何というか……今まで感じた事のないよーな気配、と言うか……」
「……同感ね」
言いながら首を捻る彼女に、詩絵莉は小さく頷く。
「暁とアールをあいつらが取り囲んだ時、あたし銃口向けてたのよ。 あの男にさ」
「ひぇ。 詩絵莉さんも大分おっかないッス……!」
「あの時は肝を冷やしたよ……シェリーちゃん引き金に指、掛けてたもん」
驚く五葉と、重い吐息を放つローレッタの言葉。
詩絵莉は少し顔を赤らめ、コホンと咳払いをすると、「未遂よ、未遂」と小さく呟くと言葉を続ける。
「あの時――あいつとはかなり距離があった……そうね、直線距離で250m強ってところかしら。 あたしたちは格納庫、暁とあいつらは大門手前。 銃を構えた局長の背中越しに、あたしも隼の目を使ってあいつを捉えてたんだけど……」
そこで詩絵莉は記憶を辿るよう僅かに視線を外すと、口元に手を添える。
「あいつと、目が合った――ように、思えたのよ」
『!?』
詩絵莉の言葉に声もなく驚く三人。ローレッタはあの時の光景を思い出していた。
深過共鳴を行うため単身タタリギへ特攻したアール、そしてそれを救うと後に続いた斑鳩。
ギルと詩絵莉はすぐにでも斑鳩たちの元へ戻れるよう、兵装の手配をフリッツに任せ、不甲斐なさに歯を食いしばりながら負傷の手当てを行っていたその時だった。
タタリギが突如、灰と霧散し――鉄くずとなった戦車と、散る灰の中から二人の姿が現れたのは。
(そうだ……あれは、アダプター1の再現だった)
ローレッタは記憶の光景に小さく頷く。
フリッツ以外、三人には斑鳩とアールが何をしたかは――方法はともあれ……すぐに理解出来ていた。けれど、あの時とは違い……遠巻きに見える二人は、確かに生きていたのだ。
ともあれ、二人の元へと駆け出そうとしたそのとき――突如としてあの男……ヒューバルト大尉が現れ、二人を包囲したのだ。
そして直ぐに、私たちの背後から拳銃を携えた局長とレジード大尉が現れる。
「いいか、何があっても手を出すな」
混乱する私たちにそう言って、局長は格納庫からヒューバルトの元へと向かったが――すぐさま、私は最後のドローン、木兔を旋回させ録画と集音を開始した。
ヒューバルトと斑鳩が交わす言葉を、装甲車のコンソールにかじりつくよう四人で聞いていたけれど、その途中で詩絵莉は一人マスケット銃をひったくるように掴むと装甲車から飛び出し、格納庫の扉の隙間からその銃口を黒衣の男に向けたのだ。
「目が合った、って……シェリーちゃん、あの時の事、だよね」
ローレッタの言葉に、詩絵莉は小さく頷く。
「気のせい――とは思いたくないわね。 目が合ったと思った瞬間、正直――背筋が凍った。 銃を構えてたことすら一瞬、忘れるくらいにね」
「……あの時、突然銃を身体から離したのはンな事があったから……か。 確かに気味が悪ぃ話だな。 シエリ、お前が怖がるなんざ普通じゃあねえ」
普段なら「うるさいわね」とギルを睨みつけるであろう詩絵莉だったが、彼の言葉に情けない、とばかりに小さく舌打つ。
「とにかく、あの男は……信用出来ないッス。 一緒に式兵として戦った身として、斑鳩さんやアールさん引き渡すなんて出来っこないッス」
五葉はそう力強く頷くと、物陰から一点を――格納庫最奥の暗闇を見詰め、目を凝らすように瞳を細める。
「んでゴヨウ……今からどうするってんだ。 格納庫が目的地……なんだろ?」
「もう少しだけ待機を……予定よりかなり早く到着出来たッスからね。 あとは合図を座して待つだけッス」
ギルの問いに答える彼女の言葉に三人は改めて深く息を吐くと、それぞれ物陰から周囲に気取られないよう改めて格納庫を見渡す。
「――こっちの撃牙、全部弾芯がイカれちまってるぞ! 代えを用意してくれ、予備分も頼む!」
「予備の弾薬、これだけなの? 兵站部の連中、出し惜しみしてるんじゃない……?!」
「木兎の充電、終わったものから出撃予定の装甲車へ積んでくれ! ……人手が足りない? 積むだけなら新人でも出来るだろう、急げ!」
喧噪……飛び交う怒号に、走り回る式兵たち。
それだけではない。慌ただしく装甲車を整備する者、携えたカバンから携帯食料を皆に配る者……A.R.K.に所属する非戦闘員である彼らもまた、額に汗を浮かべ奔走している。
その光景を怪訝な表情で眺めていた詩絵莉は思わず首を傾げていた。
「――それにしてもまた、随分騒がしいわね……戦闘が終了してから、数時間は経つってのにさ。 これじゃまるで、またタタリギからの敵襲があるみたいじゃない」
「当然ッス。 A.R.K.近郊に新たなタタリギの群体が補足されたもんで、みなさんピリピリしてるッスよ」
「ッ何だって!?」
詩絵莉の呟きに事も無げに答えた五葉の言葉に、ギルは思わず腰を浮かせ声を上げる。
「しーっ! しーっ! ……ッス!」
「わ、悪ぃ……けどよ、またタタリギがここに向かってんのか……!?」
「い、いーからまず座んなさいっ!」
詩絵莉にポカリと頭をはたかれながら再び屈みこむギルを尻目に、五葉は身を隠すコンテナの影からちらりと頭を覗かせると、一番近く――撃牙の代え芯を運ぶ二人の式兵の様子を確認する。
こちらの様子に気付くことなく通り過ぎて行くその二人に安堵の息を吐くと、五葉は静かにギルへと向き直り小さく首を横に振った。
「ギルやんさん、安心して下さいッス。 今のところA.R.K.への再襲撃の心配は……多分ない、と思うッス」
「……そうなのか?」
「うーん、あくまで今は……ッスけどね」
どこかはっきりとしない言葉と首をひねる五葉の姿に、詩絵莉はその顔を横から覗き込んだ。
「どういうコト? 今は……って」
詩絵莉の大きな瞳に自分の姿を映しながら、五葉は再び「うーん」と唸ると、小さく頷いてみせる。
「現時刻、A.R.K.のごく近郊でタタリギの群体が確認されてるのは事実ッス……これは、先にA.R.K.を襲撃したタタリギの残党勢力だと予測されてるッス」
「残党――さっきの戦いで討ち漏らしたタタリギってワケか……通りで殺気立ってるワケだぜ」
ギルは目を細めると、コンテナの隙間から装甲車の周りで慌ただしく準備を進める式兵を視界に入れ拳を握り込んだ。
「先の襲撃で死んだ奴もいる……その敵が目と鼻の先に居るんだ。 出来るなら俺も追撃隊に志願してえが……くそッ!」
「――うん。 あたしたちも出来れば参加したいところだけど……」
歯ぎしりが聞こえそうなギルの表情に、詩絵莉も悲痛な表情で小さく頷いていた。
その二人が視線を送る先に、ローレッタも表情を曇らせる。格納庫に出入りする式兵たちの中に混じる、青い部隊腕章……あれは、いわゆる新兵、訓練式兵の印だ。
まだ部隊に配属されておらず、課せられる任務と言えば内地、A.R.K.間を行き来する物資運搬の護衛任務が関の山と言ったところだろう。タタリギとの実戦経験も今だ少ない者も多いはず。
先の戦い、別門では負傷者も多かったと聞く。もちろん、命を落とした者も。
彼ら新兵まで追撃部隊に編制されているとするなら、13A.R.K.の兵力は相当に手薄なのだろう。
だが、A.R.K.防衛の要とも言える鋼鉄の大門も破損し心許ない状況……ならば再び攻め入られるよりも、戦場をA.R.K.から離れた場所で展開させる――恐らく追撃の理由はそこだろう。
「……せめて一桁部隊の連中が戻ってきてからってワケにゃ……行かねえんだろうな」
同じことを考えていたのか、ギルはやるせない表情で頭をかきむしる。
しかし、憂慮する三人の様子に五葉は「大丈夫ッス」と力強く頷いてみせた。
「戦力については心配ないッス。 A.R.K.の残存兵力に加えて、滞在中のアガルタの式兵が追撃作戦に参加予定となってるッスからね……本追撃作戦の陣頭指揮はうちの局長とヒューバルト大尉。 それに実働部隊長として……ラティーシャさんが同行する予定ッス」
「……マジ? 局長がアイツと合同作戦なんて」
五葉の説明に詩絵莉は驚きに目を丸く見開いた。
「それに"元"司令代行か……思惑はどうあれ、ヒューバルトが連れてきた連中が戦列に加わるなら、戦力的には問題はねえってワケか」
ヒューバルトはA.R.K.を守るという"大義"を掲げ、このA.R.K.に訪れ斑鳩とアールの身柄を要求している。となれば、この作戦はヒューバルトとしてもその"大義"を局員や式兵たちに見せる絶好の機会とも言えるだろう。
ローレッタは「むぅ……」と小さく唸る。
「その……戦力的には問題は無い、と思うッスが。 でも何というか……確認されてる全てのタタリギが今に至るまで沈黙を保ってるッス。 それがまあ、自分としては不気味、と言うか……」
「沈黙って……活動はしていないの? 確かに夜だけど、A.R.K.に押し寄せたタタリギは丁型や丙型にマシラ……夜間も活動出来る、ヒト寄生型のタタリギだったはずよね?」
ローレッタは疑問を口にすると首を大きく傾げる。
「ええ。 でもでも、どのタタリギも糸が切れた人形みたいにふらふら~、ふらふら~と特定のポイントを彷徨ってるだけで。 それがなんとも……」
「確かに不気味ね……先の襲撃なんて、まるで団結したみたいに雪崩れ込んで来たってのに」
詩絵莉はいぶかし気に眉間にしわを刻む五葉の横で肩を竦めてみせる。
五葉はふと思い出したようにコンテナの隙間から周囲の様子を伺うと、再び三人へ向き直り首を傾げた。
「タタリギの群体はA.R.K.に戻る道すがら自分たちY036部隊が偶然発見したんスけど、その時から奴らそんな調子で。 内密での帰還だったので道中、ほぼほぼ装甲車の照明も付けてなくて、目の前――あわや衝突、って距離まで接敵しちゃったんスけど……」
「襲ってくる様子が……無かった?」
問うローレッタに五葉は静かに頷いてみせた。
彼女の話が本当であれば、確かにおかしい話だ。タタリギは動くもの――事、ヒトや装甲車に対しては必ず殺意を以て向かってくる。まるでそうある事が原動力と言わんばかりに、だ。
そのタタリギと至近距離で遭遇したというのに、襲われることがなかった……タタリギに見逃されたなど、そんな話は今まで聞いた事がない。
「……ともあれ、いろんな意味で運が良かったッス」
「?」
五葉は式制服の首元、開けていた襟をきゅっと閉じると、三人の顔をそれぞれ見渡した。
「タタリギの残党が発見されたお陰で、アガルタの連中の目もそっちに……なので、みなさんの脱出の手配が想定より容易になったッスからね。 喜んでいいのか――は、ちょっと微妙なところッスけど」
局長たちの思惑の一助になっているとは言え、A.R.K.自体は状況、逼迫した状況に変わりはない。作戦に参加出来る状況でない以上、皆の無事を祈るしか出来ないのだ。それが何より、もどかしい。
三人が彼女の言葉にそれぞれの思いを胸に頷いた、その瞬間。
五葉は唐突に中腰に立ち上がると、コンテナの隙間から格納庫の奥――その暗闇に瞬間数度瞬く光を視界に捉える。
「! 合図が来たッス! ギルやんさん、ローレッタさん、詩絵莉さん。 格納庫一番奥、照明が消えてる真下へ向かうッス……行くッスよ!」
振り返る五葉の声に三人はそれぞれフードを被り直し、互いに小さく頷き合う。
だが、ローレッタは交わした視線に小さな違和感を感じていた。
(……ギルやん?)
今しがた、ふと視線が合ったギルの表情にどこか迷いのようなものを感じたが――何を言うわけでもなく、無言で五葉の後ろに付き先へ進む彼の背中の後を、今は詩絵莉と共に追う事しか出来なかった。
……――第11話 別つ道の先へ (7) へと続く。




