第11話 別つ道の先へ (6) Part-2
軟禁されていた三人の前に突如現れたのはY036部隊に所属する五葉つかさだった。
彼女は見張りの立哨二人を峯雲から預かったという鎮静剤で昏倒させると、ギル、詩絵莉、ローレッタの脱出を手引きをすると言う。
突然の状況に困惑しながらも後戻り出来ない状況に、三人は五葉の言葉に従い古病室を後にするのだった。
真っ暗な古病棟に響く、四人の足音。
五葉を先頭に、詩絵莉、ローレッタ、ギルは目深に被ったフードをたなびかせ、導かれるまま通路を左、右、と何度か折れ曲がる。
そうして、5分程走っただろうか。薄暗く細い通路の行き止まりで五葉は足を止める。
「みなさんの事情は粗方、司令代行とヴィッダさんから伺ったッス。 それに、今回のA.R.K.襲撃の顛末も……ッス」
言いながら彼女はしゃがみ込み、行き止まりの一角――不自然に置かれたままの小ぶりなコンテナへと手を掛ける。
むっ、と一声上げた彼女がそれを手前へと動かすと現れたのは、壁際にぽっかりと開いた人一人がやっと通り抜けれそうな穴、だった。
そこから吹き込んで来た新鮮な外気が、三人のフードをふわりと持ち上げる。
「こんなところに抜け穴……? まったく、なんだかそれっぽくなってきたわね」
どこか呆れた様子で呟くと同時、肩を竦める詩絵莉に五葉は振り返ると「たはは」と笑ってみせる。
ギルも同じく呆れた様子でしゃがみ込むと、壁に開いた穴の淵を指先でなぞり僅かに差し込む月明かりにその指を翳した。
「……煤? 砲弾の痕か……って事はこの壁、13A.R.K.が出来る前のシロモンか?」
「――ほんとだ。 タタリギと戦った痕跡なのかな。 ……何十年前の事なんだろ」
真っ黒にすすけた指先を擦り合わすギルの隣にしゃがみ込んだ詩絵莉も思わず、年季の入った壁を前に感嘆の息を漏らす。
古病棟と呼ばれるこの場所は、ここがA.R.K.として整備されるよりも前からの建物だという事は知る所だったが、おそらくはヤドリギが登場するよりも以前……旧世代の戦いの痕に三人は素直に驚いていた。
「ごよちゃんもここから入ってきたの? よく、知ってたね……こんなところがあるなんて」
振り返ったローレッタに五葉はこくんと頷く。
「病棟入り口はまだ人目が多いッスからね。 あ、この抜け穴はヴィッダさんから教えられたッス。 増築増築の繰り返しで迷路みたいになってるこの建物の中でも、ここは一番古い区画……補修されてない場所が何か所かあるみたいで。 じゃ、ちょっと外を確認してくるッスよ」
言うと彼女は態勢を低くすると壁に開いた穴へ上半身を静かに差し込み辺りの様子伺うと、そのまま素早く残った身体を潜らせ壁の向こう側へと姿を消す。
そして数秒後、通路側でしゃがみ込む三人に向け外側から差し込まれた五葉の左腕が周囲の安全を知らせる伝えるハンドサインを切った。
彼女のサインを見て頷きあう詩絵莉とローレッタの横で、ギルはどこか複雑な表情を浮かべ腕組みをしたまま押し黙っていた。
「……ギル? どしたのよ、難しい顔して」
「あ? ……ああいや、何でもねえよ」
それに気付いた詩絵莉が顔を覗き込むが、ギルは視線を合わす事なく生返事を返すと、壁の外の様子を覗き込むように態勢を低く保つ。
どことなく迷いのようなものを感じさせる彼の背中を見つめていたローレッタは、詩絵莉の肩にそっと手を置くと振り返る彼女へ小さく首を横に振ってみせた。
「……今は、ごよちゃんに着いて行こう。 ギルやんも、それでいいよね?」
「立哨、昏倒させちまってんだぜ。 今更いいも悪いもねえ……行こうぜ。 二人が先だ。 俺は一応、通路見てっからよ」
促されるよう、まずは詩絵莉、そしてローレッタ……最後に背後へ気を配っていたギルが穴を潜り抜ける。
全員が外へ抜け出た事を確認すると、五葉は素早く壁穴に上半身を突っ込み、背負ったカバンからロープを取り出す。そしてコンテナへ投げ掛けると、元合った場所へと引きずり戻し穴を塞ぐ。
その間三人は誰ともなしに立ち上がり、夜空を見上げていた。
生ぬるい夜風と、いつもと変わらない闇夜にたゆたう澱んだ雲。時折その隙間から淡い光を漏らす月の光。
しかし頭上覆う静かな空模様とは違い、普段この時間静まり返っているであろう13A.R.K.は今、喧噪に包まれていた。
遠く近くで聞こえる甲高い金属を打つ音は、先の戦いで被害を負った防壁を修繕する工事が行われているのだろう。普段は静まり返る兵舎にも明かりが煌々と灯り、光が漏れる窓の向こうには慌ただしく誰かが駆ける影が躍っている。
「暁とアールは……」
兵舎の向こう、僅かに見える司令塔を見上げふと呟いた詩絵莉の横顔に、隣で腰を上げた五葉が大きく頷いてみせる。
「二人の事は心配しなくて大丈夫ッス、詩絵莉さん。 あっちはうちの隊長が手を回してるッス……あ、あとフリッツさんは、先に合流地点で待ってるッスからね」
「……マルセル隊長が? 彼もA.R.K.に戻って来てるの?」
彼女の言葉にフードへ手を掛けたローレッタは瞳を丸くする。
(いち部隊長が私たちの脱走に加担を……こんな事、Y036部隊の独断じゃ出来っこない。 やっぱり、局長たちが……)
Y036部隊の部隊長を務める式隼――マルセル・ラフォレーゼ。
五葉と同じく以前の共同任務、またその後も何かとY028部隊の皆が世話になった男だ。飄々としていながらも時折見せる思慮深い様は、元一桁部隊に所属していた風格を十分に香らせる、信頼に値する人物である。
「当然ッス、隊長も皆さんに会いたがってたッス! ……でも、ホントはこんな形じゃなかったらもっと――っと、時間が無いッス!」
五葉はふと寂しそうな表情を一瞬見せたが、腕時計に目を落とし数度、大きな瞳を瞬いた。
「じゃ、一旦兵舎の裏口から地下通路へ……お三方も兵舎の中では絶対にフードから顔を出さないようにして下さいッスよ」
一転、真剣な表情を見せる五葉に三人はそれぞれ頷くと、姿勢を低くし壁に添うよう先行する彼女の後ろを追う。
中腰ながらかなりの速度で歩を進める彼女の背中を追いながら、ローレッタは驚いていた。
彼女の式兵としての実力の程は以前、一緒に作戦を共にしたギルから聞かされていたが……あの独特な語尾の「ッス言葉」や、あっけらかんとした態度とは裏腹――歩き方ひとつ見ただけでも、彼女がマルセルの右腕を務めるに足る実力の持ち主である事が伝わってくる。
「それでごよちゃん……今さら、なんだけど。 拘束中の式兵を連れ出すなんて、こんな事が明るみになったら……」
「自分らの事は心配しなくても大丈夫ッス、記録上じゃ今、自分らはアダプター1周辺の哨戒を行ってる事になってるッスからね。 アリバイ工作はばっちりッス!」
前を向いたまま歩調を変える事なく進みながら答える五葉の背中に、今度は詩絵莉が問い掛ける。
「そんな事、指令室の協力が無いと無理ね。 やっぱり、これは局長たちの手引きってコトだろうケド……一体どこへ向かってるの、これ」
「ええ、その通り――当然、局長たちからの指示ッス。 自分と隊長の任務は、みなさんを格納庫へ案内すること……ッス」
「格納庫? なんでそんなところに……」
詩絵莉の問いに答えた五葉の声にギルは表情を曇らせ、さらに言葉を続けようとしたまさにその瞬間、先頭の五葉は足を止め振り返る事なく後ろの三人へ向け、声を制すよう手を掲げた。
そこは兵舎の裏手、墓地へ赴くために利用される共用通路へと繋がる入口。
五葉は静かに扉へ手を掛けると、数センチほどゆっくりと音もなく押し開き中の様子を伺うと、小さく息を吐いた。
「むむむ……想定より人の通りが多いッスね……ここから入れば地下通路への階段はすぐそこなのに」
想定外とばかりに五葉は眉間にしわを寄せる。
普段、ことこんな夜中であれば人気のない通路のはずだが、A.R.K.が襲撃されたという非常事態……その影響なのだろう、彼女の言葉通り扉の向こうを小走りに往来する式兵や職員の姿があった。
うーん、と様子を伺いながら扉に張り付く五葉の背中を見詰めていたローレッタだったが、何かを決意したよう小さく頷くと彼女の肩へ手を掛ける。
「……ごよちゃん、地下通路ってここから入って左に曲がった先の下り階段、だよね」
「ですです……でも今向かうのは難しいッスね……格納庫まではなるべく、人と会いたくな――」
「なら、もう少し待って。 左から式兵が四人、右側通路奥からは五人、式兵がこっちに来てる。 その式兵の人たちが通り過ぎたら一旦、流れが途切れる……少なくとも、式兵はね。 そのタイミングで行こう」
扉の隙間を覗き込んでいた五葉だったが、唐突な予言を口にしたローレッタへ振り返ると、数度大きく瞳を瞬いてみせる。
「――? えっと、ローレッタさん……どう言う事ッス? どうしてそんな事が……」
「……う、そうだよね。 ええと説明、すると長くなるんだけど――」
「大丈夫だゴヨウ、信じてやってくれねーか」
首を傾げ疑問を口にする五葉と、戸惑うローレッタの言葉をギルは強い口調で遮った。
「さっきも、俺たちよりも早くお前の気配に気付いてたんだよ。 お前があの立哨に走り寄る前にな」
「! ……気配は殺してたつもりだったんッスけど、一体……?」
ギルの言葉に驚き声を上げた五葉は、思わず口元を両手で塞ぐ。
そしてそのままローレッタへ視線を送ると、彼女は神妙な面持ちで小さく頷いていた。その様を見て、詩絵莉は「やっぱり」と小さく呟く。
「あの時も、今も……アールみたいにタタリギの気配を感じ取ってるってコトね、ロール。 ううん、この場合は式兵のA.M.R.Tか……そうなんでしょ?」
「……うん。 アルちゃんが見ていた景色と一緒かはわからないけれど……これもアルちゃんからの共鳴の影響、式兵としての能力の拡張……なのかな。 ……確信したのは、ついさっきだけど」
三人が交わす言葉に、五葉はぽかんと口を開け聞き入るしかなかった。
式狼、式隼――目の前に居るギルバートと詩絵莉の実力は元より確かなものだと知っている。その二人よりも前に、先の通路で自分の気配を察知し、さらに今……扉を隔てた向こう側にいる式兵の動きを把握していると言う。
そんな"能力"は式梟には……いや、"式兵"には備わっていない。
五葉は僅かに鳥肌が立つのを感じていた。
――彼らは斑鳩と同じく……"深過"している可能性がある……しかしそれは我々が知る、"死へと繋がる深過"とは異なるモノかもしれない。 現時点では確証はありませんが……ね。
目の前の三人に、五葉の脳裏にはマルセルと共にA.R.K.へ戻る道中、通信による状況報告で受けたキースの言葉が浮かぶ。
タタリギへ堕ち、討つべく対象と果てる"深過"ではない――それとは"異なる深過"。唐突に伝えられたそれが一体それがどういう状態であるかなど分かるはずもなかった。
だがアダプター2で純種を斃し、そして今回戦車を依り代としてA.R.K.に突如現れた特異個体のタタリギに打ち克った、彼らの戦いの様相。見たわけでなくとも、司令代行らが語ったそれが如何に並の式兵では不可能な事かは簡単に想像出来る。
そうだ、と五葉は僅かに俯く。
……きっと彼らは既に"普通"ではないのだろう。
それは、あるいは出会ったときからそうだったのかもしれない。
マルセルと共に聞かされた"アール"……彼女の正体、式神、D.E.E.D.、そしてアガルタの動向。
アガルタから彼女が、アールが訪れY028部隊に加わったその時から……きっと彼らの運命は"ただの式兵"でいられる事を否定されたのだろう。だがそれでも彼らは過酷な運命を強いられたアールと共に歩み、このA.R.K.を……大事なモノを守るために命を燃やし、ヤドリギである為に戦ってきたのだ。
あの短い時間の状況報告で彼らを取り巻く事情の全てを聞けたわけではないだろう。
だがそれでも、もし。局長たちが言った様に、もし本当にあのアガルタが……そんな彼らを勝手都合な道具のように扱うつもりならば。
五葉は頷く代わり、手に掛けた扉の取ってを強く握り締める。
(絶対に、許せない……許しちゃいけないッス。 だからこそうちの隊長も、局長たちも……今度は、この人たちを守ろうとしてるッス。 ……それが例え、痛みを伴う選択だとしても……!)
五葉はふんすと鼻息を鳴らすと同時――大きく、大きく二度頷いた。
「……分かったッス! じゃあローレッタさんの合図で一気に駆け抜けるッスよ!」
「――任せて!」
どこか吹っ切れたよう、満面の笑顔を浮かべサムズアップを見せる五葉。
ローレッタは小声ながらそれに力強く応えると、いつでも飛び出せるよう身体を扉に預ける五葉の肩へと手を置いた。
そして静かに息を整えると、五葉の肩に置いた手をそのまま静かに瞳を閉じる。
もう一度自分の意志で、アールと同じように"気配"を探る――ローレッタはその方法を迷う事は無かった。自分が式梟である事を強く意識すれば、それは自然と理解出来ていた。
木兔で索敵を行う……要はその意識の延長上だと、彼女は自分に言い聞かせる。
すると暗闇に閉じた視界が、次第に真っ白な世界へと塗り替わっていく。そしてゆっくりと広がる白い景色に残る、影、影、影――。
(まだ、アルちゃんみたいに遠くまでは掴めない……でも、これだけ分かれば……!)
ローレッタは眉間に残る影の感覚をそのまま、瞳を開けるとすかさず五葉の肩へ添えた手に力を込める。
刹那、五葉は無言で素早く扉を開けるとその身体を通路へと滑り込ませ――その背を追うよう、三人も彼女の後に続くのだった。
……――第11話 別つ道の先へ (6) Part-2 へと続く。




