第11話 別つ道の先へ (1)
共にタタリギと戦うはずだった、シール、リッケルト。
そして整備兵として初めて戦場に立ったセヴリン。
彼らの命を飲み込み果て、タタリギと化した戦車の内側の世界で出会った、エル。
ヒトとして最期まで抗う事を魅せたセヴリンによって、アールと斑鳩は戦いを制し現実世界へと帰還を果たす。
だが、そこで待ち受けていたのは――何故か図った様に現れた黒衣の男、ヒューバルトだった。
「何故、貴方が13A.R.K.に……」
煌々と焚かれた照明に目が慣れ始めた斑鳩の視界に映る、一つの影。
数ヶ月前。初めて出会った時と変わらない真っ黒な式制服に身を包み、眼鏡越しにこちらを見上げる男――。斑鳩は逆光の中、その男がヒューバルト大尉である事に驚きの声を上げていた。
同時に、周囲の気配に視線を配る。
見慣れない戦闘服に身を包み、鉄塊となった戦車の上に片膝を付くこちらを取り囲む様に展開し、微動だにしない兵士たち――数にして十二人。その全ての者が長身の大型ライフルと思しきシルエットをこちらへ向けたまま物言わず静止していた。
(初めて見る式制服と兵装……)
斑鳩は兵装もさることながら、取り囲む兵たちに不気味なものを感じ目を細める。
よく見れば全ての兵がその顔にフルフェイスのガスマスクのような装備を身に着け、表情や視線すらも視て取る事が出来ない。だがそれよりも斑鳩に異様さを感じさせていたのは、まるで生気や感情といったものを感じさせない、彼らが放つ独特の気配だった。
(こいつら、式兵――か? 部隊識別用の腕章すら装備しているように見えない……まさか、こいつらが……)
"F30(フェブラリー・サーティ)"。
取り囲む異様な気配にアールもまた、斑鳩に肩を抱かれたままうっすらと開いた紅い瞳を僅かに動かす。
(……あの人たちの、気配――どうして? わたしは、この気配を……どこかで……)
ヒューバルトは一歩前へ足を踏み出すと、警戒する斑鳩へ笑みを浮かべたまま一度……そして二度。ゆっくり手を鳴らし、その両手を歓迎するかの様に大きく開いてみせる。
「まずは生還を賞賛しよう、斑鳩隊長……そして"R"。 あのタタリギを前によくぞ生き残ってくれた……心底、君らに尊敬の念を抱かずにはいられない――が」
広場に響く低いが良く通る声。
賛辞を並べ、言葉に合わせ再び二度手を鳴らすと――ヒューバルトは眼鏡に一度触れ、言葉を続ける。
「第13A.R.K.直下所属小隊、部隊識別Y028。 隊長 斑鳩 暁、及び所属式兵――"R"。 以下二名をアガルタ本部権限行使により現時刻を以て部隊より登録を抹消し、拘束。 その身柄をアガルタ医療機関へ移送させて貰う」
部隊登録抹消、身柄拘束。
目の前の男が放った言葉に斑鳩は一瞬だけ奥歯を強く噛み鳴らした。
大規模なタタリギの襲撃、A.R.K.内に配備された戦車の突然の深過……そして間髪入れず現れた、ヒューバルト大尉。
(……最期にセヴリンが言っていた。 戦車内のシール、そしてリッケルトのチョーカーから黒い蔦根が噴き出した、と)
斑鳩の脳裏に浮かぶ、深過共鳴の先に在った闇の中での出来事。
彼が間際に言葉にしたそれが事実であるならば、タタリギの大規模襲撃はさておき戦車の深過は明らかに仕組まれていたもの。
アールの肩を抱く腕に力を込めながら、斑鳩は小さく舌打ちする。
(誰に? ……決まっている)
ぎ、と今は黒を湛える瞳で不敵な笑みを浮かべるヒューバルトを睨み付ける。
だが直ぐに、斑鳩は瞳に宿した敵意を散らす様に小さく首を横に振る。
(今は、誰が今回の事を引き起こしたのか――その過程はいい。 考えるのはその先だ!)
もう一歩――踏み出すヒューバルトが鳴らす靴音と同時に、包囲が等間隔に詰められる。
(部隊登録の抹消、身柄の拘束……奴らの目的は――アールの回収か? だが何故こんな強引な手を使う? 何故、このタイミングなんだ?)
Y028部隊をアガルタの権限下で登録を抹消させる。
そんな強引な手はヒューバルトの独断で行える事ではない……少なくとも、本部からの正式な命が下っていると考える方が自然だ。式神の存在……それは今日、13A.R.K.の内側で白日の元に晒された事になる。ならばそれに携わった者を、D.E.E.D.というアガルタが抱える闇が露呈しないよう攫うため……?
(――いいや、逆だ。 あの戦車を深過させたのが奴らだとするなら、アールの存在を露呈させるように仕向けた……そうだ、俺たちがA.R.K.にとって危険な存在であると周囲に報せるため。 多少強引であっても、大義名分を必要としている……何故? ――それこそ決まっている!)
「……理由を」
「――ん?」
(アールの存在はアガルタの上層部にまで届いていない。 奴はあくまでD.E.E.D.計画を隠匿したまま、アールを回収するつもりだ)
当初、アールが初めて深過共鳴を行ったあの戦いの後。
ヒューバルトからアールの身柄をアガルタへ引き上げさせる打診があった。斑鳩はヴィルドレッドから聞いていた報告を思い出す。あの時から、随分と事情は変わっている。更なる深過を遂げてなお戦い続けるアール……そして、自らもまた――。
(式神として戦ったアールは、既にこのA.R.K.内で目撃されている。 表向きは深過を遂げた式兵として処理する……俺を含めて、か)
斑鳩は今一度大きく深呼吸すると、眼下のヒューバルトの瞳を真っ直ぐ見据えた。
「登録抹消、身柄の拘束。 その理由をお聞かせ願いたい。 加えるなら、俺たち以外の隊員も同様の処遇が?」
斑鳩は言葉を並べながら、自らの身体の状態を判断する。
あの暗闇から解放され、数分。四肢を動かす事に問題はない――が、凄まじいまでの倦怠感、疲労感が身体の芯に重く残っている。一方抱えるアールもまた、呼吸こそ荒げていないが未だに自分で立ち上がる事も出来ず、うっすら明けた瞳をこちらに向けているままだ。
(……丸腰でこの包囲を強引に抜けるのは無理だ。 ならばせめて、今は時間を稼がなければ)
「安心したまえ、"隊長殿"。 移送されるのは君ら二名だけ――もっとも他の者たちも事態が事態だけに拘束は免れないだろうが」
「…………」
斑鳩はヒューバルトの言葉に一瞬、ギルと詩絵莉が向かったローレッタたちが待つ格納庫へ視線を送る。
「それにしても……理由? 理由だって?」
改めて一歩、鉄塊となった戦車へ一歩間を詰めながらヒューバルトが嗤う。先ほどの斑鳩の言葉を思い出し思わず、といった様子で黒衣の男は口元に拳を当てながら、くくくと愉しそうに肩を揺らし斑鳩を見上げ肩を竦めてみせた。
「斑鳩君――聡明な君に今更説明の必要などないと私は思うが……それとも、手鏡でも用意させようか?」
見上げた斑鳩の頭髪――。
アール……D.E.E.D.と同じ白を湛えた自らの前髪越しに真っ直ぐな瞳を向ける斑鳩に対し、ヒューバルトは「ふう」とため息一つ、わざとらしく首を傾げる。
「A.M.R.T.規定値以上の深過傾向、過度の身体汚染が認められた式兵はすべからく拘束される対象となる……例外はない、そうだろう?」
「……現在13A.R.K.は、我々Y028部隊は目下交戦中です。 その規定は帰投後のメディカルチェック、医療班診断結果の元に適用される……現時点での適用は受け入れかねます」
時間稼ぎとは言え、あくまで正論に対して正論をもって返す。
怒気や敵意すら感じさせない冷静な斑鳩の言葉に、ヒューバルトは少し考える様子を見せたのち、静かに指を伸ばしたままの右手を肩の高さまで掲げてみせた。
――ガチャチャッ……
彼が右手を掲げた瞬間。
周囲を取り囲む兵士たちから鳴り響く、一糸乱れぬ様な撃鉄を起こす音。
「フフ……一理ある、が――交戦中ならば尚の事。 私の権限を行使してもよいというならば、君ら二名をこの場で過度深過対象として処分する事も出来るが……それは、私の望むところではない」
「…………」
言葉の通り、とでも言えばいいのか。
確かにヒューバルトからも、周囲を取り囲む兵士たちからも一切の殺気は感じ取れない。だが、得も知れないぬるりとした不快な雰囲気に斑鳩は目を細める。感覚が鈍っているのか、それとも――。
斑鳩が次に発する言葉に一瞬悩み、唇を軽く噛んだ瞬間だった。
――どぉぉおぉぅんん……っ
遠く聞こえる、空気を揺らすよう鳴り響いた轟音。
斑鳩思わず背後――西門の方へと反射的に振り向く。立ち上る黒煙と、僅かに聞こえる鬨の声。ヒューバルトも斑鳩の視線の先へ向けた瞳を細めると、ゆっくりと頷く。
「ああ、心配する必要はない……ここ以外の場所も、私が率いる部隊によって事は収束しつつある。 これは全く、13A.R.K.にとって幸いと言う他は無かった。 君らを拘束する勅命を受けこの地に赴いたわけだが……まさかこのA.R.K.がタタリギ共からこの様な大規模な襲撃を受けようとは――不幸中の幸いとはよく言ったものだな」
タタリギからの大規模な襲撃。
アールの脳裏に、エルの言葉と姿が浮かぶ。あのタタリギたちをこの13A.R.K.に寄越したのは、間違いなくエルの仕業だ。彼女は最初、遊びに来たと行った。けれど、リッケルトたちが載った戦車が深過したとき……彼女は、それが自分の仕業ではないとも言った。
(……エルが言ってた、首輪。 あれは……確かに、わたしの知ってる"もの"だった。 でもどうして、どうしてあんな事を仕組んでまで……)
ヒューバルトの言葉を聞きながら、アールはうっすら開いた視界に斑鳩を映す。
肩を抱えてくれたままの斑鳩、見上げる頭髪は明らかに以前よりも白髪が占める部分が広がっていた。
(……前より深過が進んでる……斑鳩は、どう、思っているの……かな……)
その時、アールの脳裏に浮かんだのはヒューバルトの言葉。
"二人をアガルタへ"。本来彼らが回収するべき対象は、D.E.E.D.検体である自分だけのはず。
(……まさか、斑鳩の――斑鳩の変化を知って……ああ、そんな!)
一般の式兵であったはずの斑鳩は今、自分の干渉により式神へと寄り始めている……そう、深過共鳴を行えてしまうほどに。
アールは大きく瞳を見開く。ヒューバルトらの目的はきっと、斑鳩を検体としてアガルタに連れ去る事。彼らにとってみれば、D.E.E.D.の根幹を揺るがしているのは、式神として既に在る自分ではなく、目の前の斑鳩かもしれないのだ。
エルとの邂逅――。
失っていた、忘れていたはずの記憶が、朧げに浮かんでは消える。
彼らヒューバルトたちが、取り巻く白衣の人間が口にする心無い言葉。繰り返される投薬と血に塗れ続けた永遠にも感じられた、あの時間。
手を伸ばした先にあった、在りし日のエル……。あの時、あの瞬間、確かに彼女は傍に居てくれた。けれど彼女もまた、アガルタの闇を抱えたまま変わり果ててしまった。それはある意味死よりも遠く、遠く往ってしまった――アールは心に突き刺さる鋭い痛みに瞳を閉じる。
(あそこに行かせては、だめ……斑鳩には――ううん、もう他の誰にも……あんな風になって、欲しくないっ……!)
「――しかし、驚かされたぞ」
改めてヒューバルトは鉄塊の上、斑鳩とアールの二人を見上げる。
「一体のみとは言え……我々が相手をしたとしても苦戦したであろう特異型を、よもや数人――いや、二人で滅し生還するとは。 ……だが、その代償は大きいな。 その姿――私としても本当に残念だよ、斑鳩君」
言葉とは裏腹に、俯き逆光となったヒューバルトは確かに嗤っていた。
「君のような優秀な式兵がこの様な自体に陥るとは、心痛に堪えない……。 しかし我らアガルタ……いや、人類にとって重要拠点である13A.R.K.内に発生した危険要素は看過出来ない……お前が今抱える、その"R"と同じように、な」
「……俺たちをどうするつもりだ」
ヒューバルトの言葉に、斑鳩は警戒心を高める。
周囲を取り囲む影、影、影――。
目の前、黒衣の男が従えた兵たちはまるで人形のように、微動だにせずこちらへ手にした火器を向けたまま。だがヒューバルトが掲げた右手を振り下ろした瞬間、彼らは間髪入れず自分とアールを拘束するためにあらゆる手段を講じるだろうという確信に近い予感を、斑鳩はつぶさに感じ取っていた。
「――くっく……なに、そう警戒する事はない、斑鳩隊長……いや"元隊長"」
緊張感を高ぶらせる斑鳩を前に、ヒューバルトは隠す様子もなく低く嗤う。
「ただそう――二人にはアガルタで最新設備、最高の医療班の元、手厚い"治療"に当たって貰うだけだ。 ……回復が早ければ現場復帰もあるいは可能かもしれんぞ?」
それが本心からの言葉ではない事を一切隠す様子もなく、目の前の男が抜け抜けとそう言い放った瞬間だった。
斑鳩は自らの内側、体の真芯を焦がすような怒りとも憎しみとも言えない、もっと黒く――もっと深い感情の炎に心が、視界が焼けるのをはっきりと感じ取る。同時に疲労と倦怠感に支配されていたはずの四肢へ、満ち爆ぜるような言いようもない衝動――。
そして頭の中に木霊する、身を駆り立て囃すよう囁く誰のものでもない声、声、声――!
(――斑鳩っ……!!)
「……ッ!?」
刹那、それら全てを打ち消すよう叫ばれた、自らの名を呼ぶ声。
それは紛れもなく、アールのもの。
いや、声ではなかったのだろう。肩を抱いた腕に添えられた、黒く染まった彼女の細い右手。そこから確かに伝わった、頬を掌で思い切り張られたような……純粋な、叩き付ける様な感情の衝撃。
瞳を大きく見開き、視線を落とした斑鳩の目に映ったのは目を閉じ口を噤んだまま、小さく首を振るアールの姿。
(……い、今のは)
アールの一声により霧散した黒い感情に、斑鳩は冷たい汗が頬を伝うのを感じていた。
怒りを感じることがあったとしても、先ほど感じたような身を焦がす衝動を感じた事は無かった。自分の中に制御できない"何か"が育ちつつある――それが式兵としての枠を超えた証なのだと、斑鳩は静かに瞳を閉じた。
そしてそのまま、アールから伝わる後悔と悲壮を秘めた感情を否定するよう、大きく――力強く首を横に振る。
(アール、すまない。 俺はいつも、お前に……いや、Y028部隊に助けられてばかりだ)
斑鳩は目を閉じ、大きく息を吸い込む。
13A.R.K.に満ちた冷たい夜に感じる、香る血と鉄火の匂い。灰となったタタリギの散る匂い。
Y028部隊――そしてあの暗闇で無念にも散っていったシール、リッケルト。いかなる状況でも、いかなる相手を前にしても最期まで戦い抗う意志を見せてくれた、セヴリン。
――そうさ……俺はもう留まる事などあってはならない。 後悔する暇も必要ない。 ただ前へ、ただ前へ進む……それだけだ。
「生憎ですが、大尉……拘束は拒否します。 俺たちY028部隊は戦い続ける……守りたいものが傍にある限り、守りたいものを脅かす存在がある限り、ずっと」
凛と顔を上げ放たれた斑鳩の言葉。
ヒューバルトは心底不快そうに閉じたまま、口元を歪めと瞳を細める。
鉄塊の上で斑鳩がこちらへ向け放つ気配には、自らの深過、加えて部隊権限剥奪といった状況を前にしても、まるで迷いも後悔の気配すら感じられない。出会った頃に観た、黒く沈んだ瞳は今……むしろどこか希望を求め光を放っているようにすら観てとれる。
(なんてザマだ……斑鳩 暁。 絶望と諦観こそがお前の全てだったではないか。 だからこそ、私はお前を選んでやったというのに――)
はああ、と、まるで上辺に淀み溜まった感情を吐き出すような、あえて演技するよう大きなため息を吐いたヒューバルトが次にその顔を上げたとき――刹那、斑鳩の背筋に冷たいものが奔る。
逆光の中、淀み沈む黒を色濃く湛えながらこちらを見上げるその瞳に。
(……こいつ、一体……!!)
感じた事のない程の殺気、そして怒気。ただこちらを見上げたその仕草に込められた、漆黒の感情。
まるでタタリギの中……あの闇を思わせる負の気配に、先ほど相まみえた少女、"エル"の姿が重なる。
「我々の拘束を拒むと言うならば、それは即ちアガルタの意向に反する事となる」
そう言いながら両腕を広げる眼下の男からは既に数瞬前感じた圧力は消え去っていた。
だが瞬き一つ程の時間とはいえ、紛れもなく視線に込められた異様な殺気放ったヒューバルトを前に、斑鳩は片目を細める。
(逃がすつもりはない――かと言って、生かすつもりもない。 ヒューバルト、お前の視線に込められた念は普通じゃない)
「――お前たちの身柄は"生きて"連れ帰る必要がある。 斑鳩"元"隊長――最後の警告だ……素直に投降するがいい」
ヒューバルトは改めてそう言い放つと一転、まるで感情を感じさせない氷の様な冷たい瞳を斑鳩へ向ける。先程とは違う圧力を秘めたその気配に呼応するよう、周囲を取り囲む兵の包囲が一歩、二歩と狭めらる。
「……今貴様が"宿すモノ"……その手に抱えるその"どれも"が――貴様には相応しく無い」
(やっぱり――ヒューバルトの狙いは、斑鳩……)
男の言葉に眉をひそめる斑鳩に抱えられたまま、アールは未だ満足に動かない身体に焦りを感じながら唇を浅く噛む。
"式神"……D.E.E.D.。それは後天的に処置され"ヤドリギ"となった斑鳩たち式兵とは、根源的に別の存在。だが斑鳩は明らかに今"式神"へと遂げつつある。意図的に深過共鳴を行えるほどに、彼はもう以前の彼ではないのだ。
式兵が"式神"へと変わる――原因は間違いなく、わたし。
ヒューバルトたちはつい先ほど斑鳩が深過共鳴を行った事実を知る由はない……それでも、このタイミングで――いや、彼を観察し、拘束、回収する為に今回の事を仕組んだに違いない。命を削る激戦を経た彼が、式神の領域に踏み込んだ事を知って……最初から、検証と実験のために。
(斑鳩……だめ、ヒューバルトに、捕まったら……もう、もう――!)
戻った記憶にある"あの場所"は、こことは違う――エルも、他のみんなも、居なくなってしまった、あの冷たく白い部屋。斑鳩だけでも、逃したい。何を犠牲にしてでも……たとえここで、ヒトと戦う事となってしまっても。
そう自らを奮い立たせるアールの瞳に、僅かに光が灯る。
だが昂る意識と反する様に、今はただその身起こす事すらが――果てしなく、遠い。
深過共鳴を行った反動なのか、それともあの時――
――"今度こそ……ずっと、ずっと傍にいてあげる。 約束よ……"
アールは今一度、縋るように斑鳩の腕へ真っ黒に染まった右腕を絡ませ、全身に力を込める。
斑鳩を、みんなを守らなければならない……彼を変えてしまったのは、わたし。こんな結末が来る事を、どこかで考えないようにしていた。斑鳩が変わってしまっていく様を、心のどこかで喜んでいたのかもしれない。
もしわたしが灰と散ってしまったとしても……斑鳩に、皆に、わたしがここに、Y028部隊に居たという確かな証を遺せた。
そんな風に――心のどこかで想ってしまっていたのかもしれない。
(ばかだ……わたし。 わたしはいい――でも斑鳩だけはせめて……だからお願い、動いて、動いて……!)
添えられた彼女の、黒く染まった腕から伝わる悲壮。
眼下の男から、取り囲む兵たちが告げる警告。眉間にしわを深く刻みながら、静かに斑鳩が目を細めた――まさにその瞬間だった。
ヒューバルトたちの後方、照明を背にこちらへ駆け寄る気配に、斑鳩は閉じかけた瞳を大きく見開く。
「――そこまでだ!」
広場に響く、貫録ある一声。
その気配は足を止めると同時、一切の無駄のない熟練の動作で腰から拳銃を抜き放つと、迷わずヒューバルトへ向け構える。
思わず思考を止め目を見開く斑鳩とアール、そして振り返ったヒューバルトの視線の先に居たのは――
「――ヒューバルト・クロイツ大尉。 これは一体どういう了見か……ご説明願おうか」
「……お出ましか」
照明を背後に眼光鋭く、鈍い鉛色を放つ銃を構えた立ち姿。
それは紛れもなく、13A.R.K.局長……ヴィルドレッド・マーカスの姿だった。
……――第11話 別つ道の先へ (2)へと続く。




