第10話 Y028部隊 (18) Part-3
南門前の広場に訪れる、静寂。
その瞬間、Y028部隊の戦いを見守る全ての者が。
弾丸も、撃牙も、その身に通す事を許さなかった漆黒の巨躯に、取り込んだ戦車の面影を確かに残した上体部に穿たれた砲弾痕に、息を呑んだ。
ローレッタの木兎、詩絵莉の狙撃、そしてギルの一撃によりその威力をいくばくか削がれた砲弾は、斑鳩の背を支えとしたアールがタタリギそのものとも言える右腕で受け止め、大きく弧を描き撃ち放った砲弾。それは元の砲撃の威力を超え純種を貫くと、後方――その地面を轟音と共に大きく抉り飛ばばす。
「ぐぁ……!」
あるいは勝利とも呼べるであろうその光景を前にしながら。
アールを後ろから抱きかかえる様に伸ばした右手に感じる、意識すら遠のきそうな激痛に、斑鳩は意識を保とうと小さく強くその首を横に振った。"共鳴"――式神、アールが持つ、D.E.E.D.足りえる能力。この右腕を引き千切られるような痛みは、死すら同期を果たす深過共鳴の一端を介したものだろう。
だがもし、共にする事で彼女の痛みの僅かでも背負えているのなら。
斑鳩は腕の中、ぐったりと力無く抱えられたまま――僅かにその首を純種へと向けたままのアールへと視線を落とす。
アールはこの小さな身体で戦車の砲撃を受け止め、投げ……いや、文字通り見事撃ち返した。
皆の助力で、砲撃の威力はある程度の減衰はあっただろう。
だとしても誰であろうとあの砲を受け止める事など……ましてや撃ち返す事など出来はしない。斑鳩は右腕に感じる痛みに表情を歪ませながら、改めてアールへと視線を落とす。彼女の黒い腕は、まるで引き千切ったかの様な様相で肘より上の部分が消失していた。撃ち返す瞬間、アールは包み込んだ砲弾に刃と化した自らの腕を纏わせたのだ。砲撃の推進力を殺すことなく弧を描くよう返し放たれたそれは、鋭利な砲弾と再構築され――その威力は、如何にあの装甲を持つ純種さえをも易々と貫いて魅せた。
――お前程の覚悟で、俺は今……この場に立てているだろうか。 アール。
『ッ……! た、タイチョー!! みんなッ!!!』
その時、和らぐことのない右腕の激痛を瞬間遠いものとしたのは、インカムを揺らすローレッタの声だった。
『――芯核、確認!! 大きい……あれが、あれのためにッ……』
「ッ暁、ロール!! デイケーダー開封承認手順、以下略ッ!!」
同時にそれに気付いた詩絵莉は叫ぶや否や、飛牙のアタッチメントを外すと同時――その手を後腰に纏わせたバックパックへと滑り込ませると、銀色に鈍く光るパッケージを乱暴に引き抜いた。
穿たれた大きな弾痕に見て取れたのは、引き裂かれた黒い蔦肉に覆われ、露出させた表面を紅々と不気味に明滅するそれは――Y028部隊皆の記憶に刻まれた、アダプター2で邂逅した黒い獣の純種、その体内に宿り最期、アールが抱え打ち砕いた――ひと際巨大な芯核、まさにそのものだった。
――あれが芯核なのか、副核なのか……そんな事は、どうだっていいッ!!
びいっ、と音を立て引き破った銀色のパッケージから現れる、緑色の液体を湛えた巨大な弾頭。
九十三型コラプサー試薬……タタリギの芯核をごく急速に深過させ崩壊へと至らせる、ヒトが持ちうる"敵"に対する切り札の一撃。何度目か、詩絵莉はそれを手にすると緊張を感じる暇も着かす事無く弾室へと送り込んでいた。
「――やれえッ、シエリ!! ぶち込んでやれえェッ!!!」
態勢を立て直し、斑鳩たちの方へと駆け出しながら叫ぶギルに、詩絵莉は応えるように銃口を純種へと――黒い蔦根が絡みつつもむき出しとなった芯核へと持ち上げ狙いを定める。
その瞬間、照準越しに詩絵莉は視た――いや、確かに聞いた。
駆け寄ったギルと斑鳩に両脇を抱えられるよう支えられ、その場を離れるアールの揺れる長い白髪。その隙間から彼女の深紅の瞳が、僅かに動いた唇が、力強く告げる声を。
――撃って、詩絵莉……!!
ヅッ……
――ッバァアアァァアアンンッ!!
確かに聞こえたその声に、詩絵莉は強く引き鉄を引き絞り――応えた。
詩絵莉の方へと、彼女が構える銃口へ向け駆ける三人に迷いはない。刹那、その銃口より凄まじい衝撃と音を奏でながら放たれた碧色の閃光が、南門に落ちる闇を切り裂いた。一縷の迷いも怖れも無く放たれたその弾光が、流れるアールの後ろ髪を薙ぎ、焦がす。
ッぱぎぃぃいぃんッ……!!!
次の瞬間、斑鳩たちは詩絵莉の元へと転がるように倒れ込む。
同時に広場に木霊すデイケーダーが芯核へと着弾したことを告げる乾いた音。アールの砲弾により大きくその身を抉られた純種。激しく損傷したその巨躯は微動だにする事なく――必殺の弾丸を受ける他なかった。
「……ローレッタ!! 観測は出来るか!!」
『任せてタイチョー、まだ一号ちゃんが上に居る! デイケーダー着弾を確認、シェリーちゃん、第二射備えて!!』
「……わかったわ!!」
アールを抱えたまま地面へと倒れ込んでいた斑鳩は、着弾音にすぐさま半身を起こすと左手を耳に添えインカム越しにローレッタへと叫ぶ。彼女はそれに応えると上空――離れた位置へと静止させていた、唯一残された木兎一号機を純種からやや離れた位置を保ち空中に静止させる。
詩絵莉はローレッタの言葉に返す返事と共に片膝を固い地面へ着いたまま、ばくんっ、と愛銃を折り畳み薬室から大型の薬莢を排莢すると、すぐさま虎の子――携帯する最後のデイケーダーの一発が封入された銀色のパッケージをバックパックから取り出す。そして躊躇う事なく、射撃時の衝撃の余波で僅かに震える細い指を、詩絵莉はパッケージに備え付けられた開封線に繋がる金属の輪へと通した。
「「…………」」
それは、彼らY028部隊を見守る者たちにすれば、一瞬の出来事。
指令室のヴィルドレッドたちは、クリフが繰る大型の木兎が望遠で映し出す映像に――歓喜の声一つ、上げる事が出来ないでいた。
今、大型モニターに映され起こった出来事に、その光景に。あまりにも、あまりにも現実離れした一瞬に、言葉を失っていたのだ。それは、彼らが"何か"を遂げようと一丸となって動き始めたまさに瞬間、指令室へと息を荒げながら駆け込んだ峰雲も同じだった。
――戦車の砲を受け止め、あまつさえそれを撃ち返すなんて……!!!
モニターを見上げる峰雲の身体に、驚愕と同時に強い寒気が突き抜ける。
部隊の助力があったとはいえ、それは純種が放った砲弾に対しては微々たる効果だったはず。ヤドリギと言えどまともに受ければそれこそ微塵と砕け、死は免れないであろう威力を秘めたその砲弾を、タタリギとしての側面を色濃く発現した――いや。
一部とはいえ、その身をタタリギそのものとした彼女の力が凌駕したのだ。
――そうだ、あれがタタリギだ……。
人類の理解など到底追いつくはずもない存在。
旧世代……あれらに対抗すべく投入した大量の破壊兵器群は多くのヒトの命と共に無残に砕かれ、あるいは無力に取り込まれていった……その異形の一端を、あろうことかヒトの姿で在りながら、彼女はその力を垣間見せたのだ。指令室へと足を踏み入れると同時に見上げたモニターに映った一瞬の出来事は、長年タタリギの研究に従事し続けてきた峯雲にとって、研究者としての興味や考察よりも何より、純粋で根源的な畏怖を感じさせるものであった。
放たれた戦車砲すら受け止める強靭さ。そして己が身を纏わせ、より強力に相手へと返す破格の反撃能力。旧世代タタリギに対して展開し続けたというあらゆる地上兵器を以ってしても、当時より純粋な存在であったタタリギからすれば、障害の一つですら無かった事だろう。
それを、そんな存在を――ヒトの身にああも纏わせるなど……。
果たしてそれが、どれほど冗談のような存在なのか。
そしてそんなものを身に宿したアールが何故、ヒトとして自我を保っていられるのか。
峰雲は、震える身体を自らの両の手で抱きしめると、彼女――姿を消す直前、最後に会った黒江教授の言葉と姿を思い出していた。
―『全部全部、全部……タタリギは、私から奪っていったわ。 だから、返して貰わなきゃ……そうでしょう、巌くん?』
明かりの消えた研究室の椅子の上。
様々な資料やサンプルが所せましと転がり散らかされた彼女の机。両肘をつき、その両手で覆われた顔からは表情こそ伺えなかったが……夕暮れの窓から差し込む夕日を背に、彼女の細い指の隙間から見えたのは確かな狂気を宿した瞳だった。
あれから幾十余年。
D.E.E.D.……黒江教授が妄執と共に示し手掛けたそれは遂に形を成し。あの時、狂気に堕ちる彼女から目を背けた自らの前へと、それは現れた。ヒトとして許されるべきではない一線を越えた、妄執の帰結。ただ勝利するためだけに……ただ、タタリギによって奪われたものを取り戻すために……あの人の狂気の終着点があるいは、彼女なのだろう。
……あの時、何故正面から言えなかったのか。
貴方の大事なものは、きっと、完璧に、これ以上なく明確に、戻ってくる事などないと――あの時、何故告げてやれなかったのか。
一瞬胸を支配する、自らにとって"今更"の後悔に、峰雲は瞳を強く閉じそれを頭の片隅へと追いやる。
そしてすぐに……いち研究者として正しくあった頃の、本来の彼女を継ぐ志を思い出すとそれを鼓舞するように歪んだ眼鏡をその指で正す。
――だが、本当に彼女……アールが、あの式神が……そうなのか……?
峰雲は無意識に奥歯を強く噛み結ぶと、アールを抱え血と泥に汚れた斑鳩へと視線を移していた。
確かに砲撃を返したのは式神……彼女に他ならない。
しかし、その砲撃を受け止めた際に生じる衝撃を殺し、砲を受け止め放った彼女のまさに土台となっていたのは……彼、斑鳩 暁だ。
式神の身体、その内側を構成するものはタタリギであったとしても彼女自身がタタリギそのものという訳ではない。
ヒトの形をした器と表現するべきか――その能力の規範となる部分は、如何に強化されていようと"ヒトの身体"だ。あくまで今、彼女がタタリギとして顕現させているのは"右腕"のみ。如何にあの状態……深過解放を経て身体能力の全てを向上させていたとしても、ヒトの身体のままでは――あのタタリギたる右腕で砲撃を受け止めたとしたならば、その衝撃により遥か後方へと吹き飛ばされていた事だろう。
その本来受けるべく衝撃を、斑鳩は抑え込んだのだ。 ……それも、たった一人で。
――式狼の……A.M.R.T.で得る事が出来るその身体能力の上限を、明らかに上回っている……一体……。
状況が限定されているとはいえ砲弾の衝撃を受け止め耐える事など、如何に身体能力向上に特化した式狼と言えど不可能だ。
そう眉をひそめた峰雲は、モニター越しに見る彼の映像に再び身体へ悪寒が奔るのを感じた。
14A.R.K.、マシラとの戦闘で彼はアールの深過共鳴により体内に宿るA.M.R.T.に共鳴を受け、深過を遂げながらもヒトとして生還を果たした。その証拠、活性化されたA.M.R.T.身体への負荷の一環か、頭髪に現れていたまるで式神の……アールのような白髪が。
ひと房だったあの白髪が、彼の黒髪を蝕むよう、明らかに――広がって、いる。
……式神、D.E.E.D.。
その存在が"タタリギに対する特効"としての存在であるならば、それは現段階において余りにも非効率だと言わざるを得ない。
"あれ"はA.M.R.T.のように後天的にタタリギに対抗する力をヒトに授けるものではない。黒江教授の――彼女が数十年前提示したあの計画が今、芽吹いたとしても……胎児期からタタリギとヒトを掛け合わせる必要があるとするならば、実戦へと"式神"が投入されるには少なくとも十余年の歳月が必要になるだろう。
幾ら"彼女"がタタリギそのものの力を奮う事が出来るとはいえ、追い詰められた人類の危機を切り返すに足る存在ではない。世界は、あの黒い存在に満ちている。それをたった一人で世界の状況を打破する事など、荒唐無稽の絵空事だ。
当然アガルタには"彼女"の様な存在が水面下で"量産"されている可能性は否定出来ない――が、それは現実的ではないだろう。大々的な計画であるのならば彼女たちのような存在を秘匿する事はいかにアガルタと言えど難しいはず。あの男……ヒューバルト大尉と同位として名を馳せ、アガルタの中枢部と繋がりも強いはずのレジード大尉ですら、彼女のような存在の事を全く耳にした事がないという。
斑鳩 暁……いや、Y028部隊の面々の実力は当然、この短い期間危険な任務で幾度となく死線を潜り手にしたものでもあるだろう。
だが正体不明とはいえ純種と呼ばれるような高い戦闘力を有したタタリギと少数ながら渡り合い、あまつさえ式神――アールと共に戦ってみせる彼らの能力は既に、経験で得られるであろうそれを遥かに越えている。
――深過を遂げ、タタリギと共鳴を果たす……それが、式神。
式神はタタリギと死を共有する事で、少なくとも相打ちへと持ち込む。
まるで自爆のような、決してヒトに課す使命とは言い難いそれも……ある種、説得力はある。
だが式神一人と引き換えに、無数に存在するタタリギ一体を確殺する――それは余りにも、余りにも非効率的だ。そんな事を"あの"彼女が許すだろうか?タタリギを憎み、タタリギを滅ぼす為にヒトそのものへと背を向ける程の彼女が、それを赦すだろうか?
――それはきっと、"彼女"にとっての敗けだ。 許す筈などない。
タタリギと、その"全て"を共鳴する事が出来るとするならば。
それはヤドリギたちが体内に宿すA.M.R.T.――薄く薄く希釈させたものだとはいえ、タタリギを由来とする体組織を取り入れた彼ら式兵とも共鳴を果たしている事は、既に斑鳩 暁を見れば明白だ。
だとすれば、式神が造られた本当の目的とは……それは、まさか……。
「――デイケーダー、純種芯核へと着弾を確認ッ……!」
加速し続ける峰雲の思考を遮ったのは、クリフの叫び声だった。
画面に映し出されているのは、詩絵莉の放ったデイケーダーが見事に純種の芯核へと着弾した光景。クリフは複雑な表情を浮かべながらも興奮気味に椅子から腰を浮かし、思わず拳を握り込む。
「局長は、こうなると――分かっていたのですか」
画面を見上げたままその視線を外す事なくキースが呟く声に、ヴィルドレッドは静かに頷いていた。
「揺らぎ迷う事もあるだろう。 だが奴らの意思は本物だ……誰かに望まれなくとも、例え咎められようとも、Y028部隊はY028部隊としての本分を果たす。 ヤドリギとしての、だ」
「……覚悟は出来ているという事、ですか」
"覚悟"。ヴィルドレッドの視線に感じるそれと、自らが口にした言葉にキースはモニターを見上げる瞳を僅かに細めた。
この戦いは、ただ勝利すれば収まるという範疇をとうに越えてしまっている。マシラを含む大量のタタリギによる13A.R.K.襲撃、アガルタから訪れた戦車のタタリギ化……そして何より、アールというヒトでもヤドリギでもない存在が露見してしまったのだ。
それでも彼らはわき目も振らずただ、戦う。戦っている。
ただこの13A.R.K.を守る……ヒトを護るために、己が身も立場も、命すらも漆黒の前に晒し、タタリギを斃すというヤドリギの本分を全うする為だけに。
局長が何を考えているのか、その表情からは窺い知る事は出来ない。だが彼らが戦うのであれば、また彼も戦うに違いない。ヴィルドレッド……この男は、ずっとそうだ。
彼は同期の中で唯一、生き残っている事を悔やむ素振りを見せる。
だがそれ以上に、覚悟……そう、覚悟を以て13A.R.K.を牽引している。
この男が魅せる覚悟を背に、彼らもまた覚悟を示し戦えるのだ。何があろうとも、前を向いていられるのだ。……当時ヤドリギであった頃、自分がそうだったように。
キースは一瞬口元を緩めると、改めてモニターを見上げ鋭い眼光でもって純種を睨み付ける。
「デイケーダー効力発揮まであと数秒……いかにY028部隊とはいえ、流石にこれ以上は……局長」
「――分かっている。 ヴィッダ、南門側、格納庫や武器庫に残っている人員があれば速やかに退避させろ。 タタリギが手薄な北側大門の格納庫に召集、万が一に備え脱出の準備をさせるのだ」
「……了解しました」
局長と司令代行、そしてヴィッダとのやり取りに、クリフは血の気が引いていくのを感じていた。
斑鳩たちY028部隊がもしあのタタリギを討つ事が出来なければ、この13A.R.K.を放棄する。彼らは冷静に、そう口にしたのだ。現段階現時刻、あのタタリギ……純種を仕留めうる手段は、彼ら以外にない。今A.R.K.に残る戦力では時間稼ぎが関の山だろう。それだけではない。依然東門と西門ではレジード大尉の戦車部隊とA.R.K.残存兵力であるヤドリギたちが一進一退の攻防を繰り広げているのだ。
襲い来る不安に一瞬表情を歪めるクリフだったが、小さく首を横に振ると再び自らが担当する各部隊間の中継補佐を行う為、斑鳩たちを映すモニターに背を向ける。クリフは一つ頷くとモニターとリンクするコンソール上に表示された大型木兎の映像を、すぐさまローレッタが映す木兎一号機の映像へと差し替え
た。
――デイケーダーは確かに着弾したんだ、信じるしかない……そうだな、斑鳩! 俺は俺の仕事をただ、全うするだけだ……!
クリフは南門上空に留めていた大型木兎を旋回させると、戦闘が苛烈となっている西門へと向かわせる。
「レジード大尉! 東門上空からの映像を回します、貴方の部隊へ状況を!」
「――すまない、助かる! 今、東門の余剰戦力を西門へと回している……回線は開けてある、最短誘導を頼む!」
「了解……ッ!」
そう言葉を返したその時、装着し直そうとしていたヘッドセットがクリフの手から零れ、床へと落ちる――瞬間。
落下直前それを受け止めたのは、すぐ脇で既にヴィルドレッドの意向を各方面へと伝達し終えたヴィッダだった。
「……頼みましたよ、クリフ」
ヴィッダの鋭くもどこか優しさを湛えた瞳に、キースは力強く頷き彼女の手からヘッドセットを受け取ると、直ぐに部隊間への伝達を始める。
彼女はそれを見届けるとヴィルドレッドとキース、二人の背中に視線を注ぐ。
Y028部隊……彼らの姿を、今この戦いを見守る全ての者が目撃してしまった。
タタリギと戦う、タタリギ……式神、その姿を13A.R.K.の皆が目撃してしまったのだ。この状況、ヴィッダの脳裏に浮かんだのは――若かりし頃。初めて式兵、ヤドリギと呼ばれる兵士たちが、戦線へと投入された光景だった。
あの十余年前、あの当時。
ヒトの身のままタタリギと交戦する彼らに向けられた多くの視線。
それらは決して好意的なものだけでは無かった。その姿はヒトの身のままだとしても、あのタタリギと渡り合う生身の彼ら式兵たちを前にしたとき。命を賭し前線で散る彼らを見たとしても、それでも――ヒトは彼らを簡単に受け入れる事は、無かった。
今もこの瞬間を紡ぐ時の礎となるべく散った彼らに想いを馳せると同時、ヴィッダ自身、遠い昔に失った"守りたかったもの"を二人の背中に重ねる。
――ヴィル。 あの時、私に見せた貴方の"覚悟"。 それが私をここまで連れてきた……でも……。
ヴィッダは静かにその視線を、モニターに見切れるように映る斑鳩とアールへと移す。
――貴方はあの二人を、"彼"と重ねている。 ……私と、同じように。 もし貴方の"覚悟"が彼らを送る事を選んだその時は……次は、私が背負いましょう。
人知れず、ヴィッダは机の上――
斑鳩とアールの首輪を作動させるトリガー状のスイッチをそっと手に取ると、少しだけ――悲しそうに表情を曇らせる。
――ィィイイィィイイ"イ"イ"イ"イ"……ッ!
着弾から、何秒経過していたのだろうか。
永遠にも感じる緊張の中――それは突如として、南門……Y028部隊が纏う空気を震わせた。
斑鳩、アール、そしてギルと詩絵莉の前で……タタリギの芯核が上げる"悲鳴"。デイケーダーが作用し、強制深過が始まった事を告げる不快な振動音。
「……割れろッ……割れッちまえ!!!」
普段ならば耳を覆いたくなるような劈くその音に、ギルは悲痛な表情を浮かべたまま、拳を握り込んだ。
しかし、それは他の者も同じ……詩絵莉はギルの台詞に付き合う事もせず、いつでも動ける体制を維持したまま、二発目のデイケーダーのパッケージに指を添えたまま不動で。ローレッタとフリッツは、互いに祈る様にモニターへとかぶりつき――そして、斑鳩はその音に身体を起こすアールに気付き、抱えていた両手を解いていた。
「……苦しんでる、痛がってる……斑鳩、聞こえる?」
広場を揺らす音の中、辛うじて聞こえた彼女の呟く声に、斑鳩は静かに首を横へと振る。
ふと気付けば、いつの間にか肘から先を失っていたはずの、彼女の黒く染まった右腕が"右腕"として形作られていた。
「……アール、俺たちはただ、脅威を破ったんだ。 ……今はただ、それだけでいい」
絞り出すように――斑鳩はそう口にするのが精一杯だった。
今目の前で芯核を灰と虚空へ散らしつつあるタタリギは……あのタタリギの内側には。
ほんの少し、僅か数十分前まで互いに言葉を交わし、同じ机で食事を囲み、志を共にする仲間が……確かに、居たのだ。こうなってしまった原因は、分からない。タタリギはその活動が停止すれば、灰と散り往くしかない。"戦車だった"部品を除いて、全てはそう散っていくのだろう。
アールと自分たちは、覚悟の上であれと対峙する事を選び、撃ち貫いた。
ここに居る誰もが皆、そうと理解した上でそうしたのだ。斑鳩は小さく長い息を吐きながら――崩壊してゆく芯核を見つめる。
――リッケルト、シール……そして、セヴリン。 すまない……だが、今はそれしか言葉が見つからない。
だが、必ず。もしこの戦いが意図されたものだったのなら……必ず、その報いは受けさせる。何としてでも、必ず……。胸の内側に渦巻き沸く、怒りとやるせなさ。表情を険しいものとしていた斑鳩だったが――その時、ふと感じた違和感に、思わず眉をひそめる。
「音が、止んだ……?」
その違和感は、斑鳩と同じくして皆、気付いた。
確かにデイケーダーを受けた芯核は激しく、禍々しく鳴動し、そして灰となりこの南門広場の暗がりへと霧散していった。
――だが。
「なんで、本体が崩壊しねえんだ……?」
「あ、暁……!?」
本来ならば、芯核の崩壊と共にタタリギを構成する黒い蔦根もまた、灰となり崩壊していくはず。だというのに――皆の目の前、アールの砲によって撃ち貫かれたまま未だ微動だにしない漆黒の巨躯は、その姿を保ったまま――。
何かを感じ取ったギルと詩絵莉は、態勢を低く構える。斑鳩は詩絵莉の声に、すぐさまインカムへと左手を添えていた。
「……ローレッタ! どうなっている、芯核は完全に崩壊した、違うのか!」
『タイチョー、皆……分からない! 上からの映像も見てる……けど、確かにあいつの核は残らず崩壊している、他に核らしきものは見えないッ!』
「どういう事だ……何故、深過が止まった? 何故本体が残ってい……」
「――まって、斑鳩!!」
ローレッタと斑鳩の会話を遮ったのは、立ち上がったアールの黒い右腕だった。
「まだ、聞こえる……これは、なに? これは……これは、悲しむ声……痛がってる、声……?」
「アール……!?」
彼女の言葉に、斑鳩が、皆が立ち上がった――その時だった。
――ぞぶっ……!!
『――ッ!?!』
上空からいち早くそれを目撃していた、ローレッタとフリッツの眼が大きく見開く。
"純種"から聞こえた違和感を覚える音に、数瞬遅れて斑鳩たちが一斉に視線を向けた、その先。
「……な」
先程確かに崩壊した、タタリギの核があった場所。
その脇から何かを掴む様、暗がりの空へと突き出していたのは、真っ黒な……ヒトの右腕、だった。
あっけに取られる皆の前で、それは。
――ぞぶぅぁあッ!!!
突如として――飛び散る黒い蔦肉の破片と、飛沫く赤黒い大量の液体。濡れた音と共に地面を打ち鳴らす無数の液体と千切れた蔦肉に、みるみる地面が赤黒く染まってゆく。
それらを乱雑に散らし、喉を掻きむしるよう身体を揺らし唐突に現れたのは。
アールが穿った砲弾の傷痕から、苦しむように、もがく様に現れたそれは。
まさしくそれは、ヒトの上半身……
髪の毛一本から肌の全てに至るまで漆黒に染まった、女性の姿――だった。
……――次話 Y028部隊(19) へと続く。




