第10話 Y028部隊 (13)
指令室より被弾し倒れたアールの状況を知らされた峰雲からの命を受け、Y021分隊の救護班に属する三人はY028部隊と純種との戦闘を迂回するための最短経路――まさにアールが救った民間居住区を通り抜け、彼女の元へと駆けていた。
"負傷したY028部隊式兵を、状態の如何に関わらず収容し、速やかにICU(緊急治療室)へと運ぶ"。
その命令に隊長は僅かな違和感を感じながらも、A.R.K.を救う仲間の為、異形と間近にある彼女の元へと急ぐ。
そして…
「指令室、応答願う。 こちらY021分隊、救護班……救援対象の式兵と接触……!」
あろう事か、突如A.R.K.の内側で発生した異形のタタリギ。そして、そのタタリギと拮抗する死闘を繰り広げているY028部隊――。
救護の任を任された三人の式兵は峰雲の命を受け、その異形に気取られぬよう細心の注意を払い、機を逃さず気配を殺しながら……ようやく、斃れるアールの元へとたどり着いていた。命令は、状態の如何に関わらず"彼女"を速やかに回収する事。
『隊長、くれぐれも戦闘に巻き込まれないよう注意してれ。 僕も今、指令室入りしたところだ……。 それで、彼女の様子は?』
「たった今接触したばかりですが、これは……」
だが、斃れる彼女を一目見た救護班を率いるであろう男は、直ぐにその表情を厳しいものへと変える。
直接目撃した訳ではないが、砲撃を受けたと報告のあった右腕は肩口から装備もろとも砕け千切れている。損傷はそれだけではない、不自然に折れ曲がった残った左腕…………恐らく吹き飛ばされ地面に打ち付けられた時に骨折したのか。
「右腕損失、左腕にも複雑骨折が診て取れる――それに、呼吸も……止まっているように、見えるが……」
うつ伏せに斃れる彼女、その血に濡れた式制服を纏った背中は、僅か程も上下していない。これだけの損傷、意識があろうがなかろうが、まだ命が在るのなら呼吸の乱れがあって当然――それが全く確認出来ない事を、隊長と呼ばれた男は峰雲に伝える。
『……大丈夫だ、とにかく今は速やかに彼女を回収し戦線を離脱して貰いたい。』
「……了解。 命令通り、搬送先はラボ直下のICU(緊急治療室)でいいんですね?」
『ええ。 搬送が確認出来たら、すぐにそちらへ向かう……彼女の状態に関わらず、お願いします』
「……」
隊長は峰雲の反応に一瞬首を傾げる。
目の前の式兵――この少女は……"死んでいる"状態にしか見えない。重度の損傷、それによる出血量も、如何にヤドリギであるとはいえ、生命を保てる状態であるとはとても思えなかった。
あの異形に対し臆する事なく挑み、そして負傷した。この13A.R.K.を守るために死力を尽くしてくれた彼女。当然、出来る事なら助けてやりたいと心からそう思う。救護班として、今まで数多くのヤドリギたちの間際を見送る度にそう強く思う。
だが同時に、その間際は緊張感を伴うものだった。
ただ――死亡しているのなら、ヤドリギとして逝けたのであれば……それがむしろ一番だ。
「おい、あんた! 聞こえるか!」
傍らにしゃがみ込む救護班の男は、生と死――その両方を望んだかのような声を掛ける。
「深過せず逝けただけでも、よかったのかもしれない。 隊長、早く彼女を……!」
隊長と呼ばれた男の元へ、後ろで中腰に純種の様子を伺っていた女性の式兵が膝を着く。もう一人の若い式兵は、万が一に備え装填していた撃牙をそのままに深く頷いた。
「一刻も早くこの場を離脱しましょう! 彼女の収容を終れば、Y028部隊も自由に戦える……!」
「そうだな……おい、担架を! 俺とお前で彼女を載せ……!?」
若い式狼の言葉に頷き、アールへと再び視線を落とした隊長の顔が、瞬時に強張る。
「な……なんだ、これは……」
「「!?」」
彼の言葉に後ろで控えていた二人の式兵も隊長の視線の先――
横たわる少女へ視線を落とすと、まさしく言葉を失った。先程まで力無く横たわるだけだった彼女の身体。
――しかし、今。
目の前で横たわったままの彼女が……その出血に塗れ赤に染まる頭髪が、不自然な速度で伸び始めていたのだ。
それは、明らかに常軌を逸脱した光景だった。肩に掛かる程度だったその頭髪は、先端を渦巻かせるようにあり得ない速度で今もまだ、目の前で伸び続けるている。
「な……隊、長……な、なんですか、これは……!!?」
時間にして、僅か数秒。
あっけに取られる一同の前で、背中の中腹を越えても未だ伸び続ける頭髪から、不自然に折れ曲がっていた筈の左手が現れ、血に濡れた地面を力強く叩く。
「左腕!? そんな、馬鹿な……!?」
「……深過!? だが、なんだこれは……こんな症状は……!? ――し、指令室ッ! 聞こえるか!!」
うつ伏せに斃れる彼女は間違いなく、呼吸すらしていなかった。
しかし今、荒く呼吸をしながら逆巻く白髪を風にたなびかせ――折れ曲がっていたはずの左腕を支えに、ゆっくりと立ち上がろうとしている。頭髪の変異こそ謎だが、一同は、瞬時に理解していた。
……彼女は今、ヒトではないものとして、甦りつつある、と。
生きているならば良かった。ただ死んでいるならば、それでも良かった。
だが、第三の命運――"深過"という最悪の結果に、三人は青ざめる。
「救護対象が……深過を開始している!! ――このまま、処分するッ!!」
『!! 待つんだ、隊長!!』
「――教授、命令に背く事は謝ります! だが今は有事……これ以上の危険をこのA.R.K.の内側で起こす事は……」
『止すんだッ!! せめて足を、動けなくするだけでいい、急所は……!!』
インカムを震わせる峰雲の声。
隊長の号令、それに頷く若い式兵は装填した撃牙を起き上がりつつある彼女の頸椎目掛けて振り構える。
「――出来ないッ!!」
『止すんだ――――ッ!!』
――ズガアァアンッ……!!!
式兵は、誰よりも深過を遂げた式兵の恐ろしさを知っている。
手練れであればあるほど、比例する戦闘力。目の前で起き上がりつつある新入りと噂の彼女は、詳細こそ定かではないが今や精鋭部隊と呼び名が上がるY028部隊の一人。ならば引き鉄を弾く事を迷えば、それは死に直結する。
仲間を護るため――若い式狼は引き鉄を弾いた。
訓練通り、頸椎目掛け。
――だが。
「…………えっ」
目の前で起きた絶対にあり得る事のない光景に、三人は思わず気の抜けた声を漏らす。
頸椎を撃ち抜いたはずの、撃牙より射出され急所目掛けて伸びきった弾芯は……無造作に掴み、止められていた。
刹那、身を翻した彼女が繰り出した――右手によって。
だが弾芯を掴むその右手が、ましてや腕でもない事を直ぐに三人は悟る。
式狼が繰り出した撃牙の芯に絡み付き、止めていたのは――右腕があった場所から伸びるそれは。
ヤドリギとして討つべく、幾度も目にしてきたであろうそれは。
――幾重にも絡み巻き付く、黒い蔦肉だった。
「なあっ、な……なん、なん……あああ!!」
悲鳴に近い声を上げる若い式狼の声に隊長は我を取り戻す。
「間合いを取れ、離れろォ!! 撃牙を引き抜くんだぁーッ!!」
「――うっ……ぐ、ぐうう!!!」
掴まれた撃牙を引き抜こうと、式狼が身体を落とし全霊の力を込めるが――まるで空中に固定されてしまったかのように、撃牙は動かない。その間、片膝を着いた彼女から伸びる黒い蔦肉は徐々に、真っ黒い腕へと形を変えてゆく。
――この深度!! ただ事じゃない……!! くそっ、聞いてないぞ、なんなんだ、"こいつ"は!?
式狼が顔に玉の様な汗を浮かべてもなお、掴まれたまま微動だにしない撃牙を見て、隊長は全身の血の気が引いていく。このままでは……彼は、彼女に……殺られる。
隊長は懐に潜ませているナイフへと手を掛ける。殺傷目的ではない、主に救護目的で雑多な用途として重宝する、大型のナイフ。こんなものでタタリギを倒す事など出来はしないが……幸い彼女はまだ、立ち上がっていない。式狼が放った撃牙の弾芯を掴んだその態勢は、運良くこちらに背中を向けている――!
――一瞬でいい! このナイフをこいつに……こいつに突き立てる事が出来れば、奴を逃がす隙くらいは出来るはずだ……!!
刹那、脇で展開途中の担架を槍のように構える汗だくの女性隊員に頷くと、隊長は"彼女"の死角にゆっくりと移動し、足に力を込め――
「……きょじゅう、く」
「「!!?」」
その時だった。
唐突に、しかし確かに"彼女"から発せられたか細い声に、一同は驚愕する。
深過した式兵――いわゆる丁型が、言葉を発する。それが如何にあり得ない事か、3人は理解していた。タタリギへと堕ちた者と言葉など交わす事は出来ない、そんな事例は長くタタリギがこの世界に現れてから、報告された事も無い。
だが、"彼女"は俯き黒い右腕で撃牙を掴んだまま――ごほり、と血の塊のようなものを地面へと吐き出すと同時に、再び――言葉を発する。
「…………居住……区は、無事?」
二度目の言葉と同時に、彼女によって拘束されていた撃牙が解かれ――そのまま力を込めていた若い式狼の身体が後方へと弾かれる。
「……おま……お前、意識が……あるのか……!?」
震えながら、それでも無意識に抜刀したナイフを彼女に向ける隊長に――アールはゆっくり立ち上がり、その顔を向ける。
立ち上がった彼女の眼――ヒトとは思えぬ、血を湛えたような真っ赤な瞳に、彼はごくりと唾を飲み込んだ。丁型タタリギと戦場で何度も相対した事はある。瀕死の重傷を得て、深過を遂げ堕ちゆくヤドリギもこの目で、間近で診た経験もある。
だが、彼女の瞳は虚ろだったそれらの存在とは――――明らかに違う。
不気味に光るその紅く渦巻く彼女の瞳は……確かな理性を、感じさせる。
「……きょ、居住区は無事だ。 あ……あ……あんたの、おかげ、で……」
「……よかっ……た」
隊長の言葉に一言だけそう呟くと、彼女は風になびく逆巻いた白髪をそのままに、真っ黒に染まった右手に視線を落とす。
「お前は、お前はなんなんだ……!? 深過、してるんじゃあないのか……!? ヒトなのか!? タタリギ、なのか……!?」
間合いを取った若い式狼が、震える手で撃牙を装填する様子に――彼女は一瞬、その紅い瞳を閉じる。
そして、僅かに訪れた沈黙を打ち破る、Y028部隊と純種との交戦音に、アールはそちらへ向けてゆっくりと踵を返す。
「――行かなきゃ、みんなの……ところへ……」
「……ま、待て!! い、行かせないぞ、お前は普通の状態じゃない……!! こ、この場で……拘束する!!」
背を向ける彼女に発した言葉と裏腹に、三人の誰もがその足を前へと踏み出す事が出来なかった。
血塗れの式制服、不気味に伸び逆巻く白髪、そして――失っていたはずの右腕を形成す、タタリギ特有の黒い蔦根。その全てが、今Y028部隊が戦うあのタタリギよりも、何よりも恐怖を感じさせる。
――ヒトではない、目の前のこれは、これは……タタリギだ……討つべき、化物だ……!!
噴き出す冷たい汗を拭う事も忘れ、3人は身構えたまま――彼女の背に視線を集中させる事しか出来ない。
「……かっ、Y028部隊は13A.R.K.を守る為、タタリギと戦っている……お前のようなモノを、い、行かせる訳にはいかない! それに……お前は、どっちなんだ!! ……何なんだ、お前は!!」
詰め寄ろうと一歩踏み出した背後の式兵の男の言葉を聞き終えると――アールは振り返る事もなく、地を蹴る。
一直線に、まるで稲妻が如く速さで駆けてゆく異形の少女の背中を見つめながら、三人は恐怖から解放された様に大きく息を吐くと、緊張の糸が切れたようにその場に膝を着く。
隊長の男は荒い息をそのままに――額を伝う冷たい汗をようやく拭うと、震える手でインカムのスイッチを入れていた。
「……み……峰雲先生、指令室……!! ――見てただろう、なんだ、あれは……あれは、何なんだ……!!? 我々は、一体……何を、見たというんだ……!!!」
『…………ッ!』
指令室からの応答は、無かった。
ただ、峰雲の荒い呼吸、そして聞き取れはしないが、恐らく今起きた事態を前にが飛び交う背後、ヴィルドレッドたちの声に――隊長は、震える唇を噛む。
――あれは、ただの深過じゃない……明らかに、普通ではなかった。 教授たちもその事を知っていたのか……!? Y028部隊の新入り彼女は一体、何なんだ……!?
……――Y028部隊 (14)へと続く。




