表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/137

第10話 Y028部隊 (9)

13A.R.K.格納庫。


タタリギの襲撃が刻一刻と迫り来る中――

残りの者は指令室へと報告に向かった斑鳩とアールを待ちながら、出撃へと向け準備を続けていた。

そんな中、詩絵莉は駆ける足音に気付くと、整備を確かめていた銃を抱えたまま振り返る。


暗い通路からこちらへと駆ける、二人の影。

彼女は愛銃を立て掛けると、座っていたタラップから腰を上げるのだった。

(あきら)、アール……早かったわね」




 格納庫の一角。


 停車されたN31型式兵装甲車に駆け寄る二人に気付いた詩絵莉は、迎える言葉と同時に斑鳩へと戦闘用の式制服をふわりと投げる。彼は立ち止まり様それを手慣れた様子で受けとると、素早く袖を通し彼女へと頷いた。


「ああ、アールの索敵能力を事前に報告出来ていたのが幸いした。 まもなく防衛作戦が発令される、俺たちも通常装備で出撃待機だ」

「すぐにわかって貰えて、よかった」


 後ろに続くアールにも詩絵莉はうんうんと頷くと、彼女が普段纏う独特な式制服を手に取り、頭からずぼりと被せるように着せた。大きな襟元からきょとんと現れるアールの表情に少し笑うと、傍らの備品机からフリッツの整備が行き届いたグラウンド・アンカーを手渡していく。


 斑鳩は受け取ったアンカーを手早く左腕へと装着しながら、同じく備品机の上に並べられたY028部隊の腕章を手に取り左腕へと通し、開かれた後部ハッチに置かれた螺旋撃牙を視界に入れる。


「隊長お帰り。 こっちは問題ないよ。 ひとつ確認だけど、通常装備というのは……」


 ハッチに置かれた螺旋撃牙の横、意外な身軽さで姿を表したフリッツへと斑鳩は大きく頷く。


()()()()()()は継続使用許可が出ている。 引き続き宜しく頼むぞ」


 そう言いながら装備したアンカーをポン、と軽く叩いて見せる斑鳩に、フリッツは力強く頷き返した。


「了解だ、任せてくれ。 螺旋、マスケット、アンカーに備品。 全ての兵装の分解清掃、微調整は終わっているよ。 ただし……」


 言葉を濁しながら、フリッツはすぐ傍にある作業台の脇――装甲車の運転席、恐らくは備え付けられたコンソールから伸びる複数のケーブルに繋がれたままのドローン……"木兎(ミミズク)らしきもの"に視線を落とす。つられて視線をやる斑鳩の眼に写ったのは、ローレッタが操る他の木兎とは明らかに大型で異なるシルエット――それはまさに、斑鳩をしても"()()()()()()()"としか表現できないシロモノだった。


「木兎4号機の調整に難儀していてね。 まだ詰めきれていないんだ……時間一杯まで調整を続けるつもりではあるけれど、試運転もまだ満足に行えていないんだ」

「……これが、例の"切り札"か」


 木兎、4号機。


 過去、理由はどうあれ大きな失敗の一因として、そして傷として目をそむけるよう封印していた彼女が保有する最後の一機。


 13A.R.K.に所属した歴代の式梟(フクロウ)の中でも最もポテンシャルが高いと評価され、秀才として扱われてきた彼女を象徴する4機目のドローン。通常一人の式梟が扱う木兎は平均して2機。その中でもベテランと呼ばれる域に達し、熟練を積んだ式梟ですら3機を限界としている。


 そんな中、彼女は自分の四肢のように4機の木兎を操ったという。斑鳩自身、その光景は未だ目の当たりにしたことはない。恐らく式兵としてのポテンシャルで言えば、彼女はY028部隊の中でも破格中の破格だ。遠征の最中、斑鳩はアールにそれとなしに聞いたことがある。式神……全ての式種の技能を持つお前なら、ローレッタのように4機同時に扱う事が出来るか、と。


 だが、彼女は謙遜する様子も無く静かに首を横に振った。



 ――「むり。 わたしには、出来ない」



 あのアールですら、素直にそう否定した。


 斑鳩はふと彼女を部隊に誘おうと決意したときの事を思い出す。その実力に期待こそしていたが、4機を操り……様々な影響があったとは言え、彼女は大きなミスを犯してしまい塞ぎ込んでいた。だが、それでも。無理に最大のポテンシャルを発揮しなくとも、それでも彼女が優秀であった事に変わりはない。


 それは勿論式梟としての実力もさることながら、部隊の皆を元気づけ、繋ぐ役割……それこそが彼女に見出した本質だったことに違いはない。


「ああ、これがもし稼働出来れば……確かに既存の式梟に捕らわれない、戦闘への直接介入が可能になる……けれど。 僕にはそれが正しい事なのかは、今はまだわからない。 彼女から少しだけとはいえ、昔話を聞いているだけに、ね」


 眼鏡に手を添えながら、僅かに悲しそうに眼を細めるフリッツの背中を不意に衝撃が襲う。

 思わず「痛い!?」と声を上げ振り返ると、そこにはいつの間にかコンソールの調整に勤しんでいたはずのローレッタの笑顔があった。


「フリフリ、そんな弱気な事言ってるバヤイじゃないでしょお。 ねえ、タイチョー?」


 にかっとこちらにも笑顔を向ける彼女に、斑鳩は口元を緩めると同時に肩を僅かに竦ませる。


「このローレッタちゃんが過去のトラウマを乗り越えパワーアップしようと艱難辛苦! ……してるんだから。 だいじょぶだいじょぶ。 それにこの4号ちゃんは……きっと、昔の4号ちゃんとは違うの。 ……うん、絶対違うから」

「……そりゃあ、まあ、飛行可能重量の限界を突き詰めた設計に、君や詩絵莉が提案した構想を元に……痛い!?」


 眼鏡をきらり、と煌めかせ言葉を並べようとしたフリッツの後頭部を、今度は詩絵莉の容赦ないチョップが見舞われる。


「ロールはそー言う事言ってんじゃないわよ、このバカフリ!」

「し、詩絵莉……」


 涙目になりながら振り返りずれた眼鏡を直すフリッツに、彼女たちは笑顔を浮かべながら頷いた。

 その光景を眩しそうに見つめていた斑鳩は、ローレッタをひたと見つめ、口を開く。


「ローレッタ、言って聞くお前じゃないことは知っている。 だから判断の全てはお前に任せる……いいな?」

「……わかってる、タイチョー。 わかってるよ」


 斑鳩は、こう見えて優しいのだ。

 その思いがどうであれ、彼は過去の失敗を無理に乗り越えようとしてる自分を気遣ってくれている。ローレッタはフリッツに説教する詩絵莉をちらりと視界にいれると、少しだけ目を伏せた。



 ――でも、違うんだ、タイチョー。 私、もっと皆を助けたい……初めてだよ、私の"才能"を私自身が信じてみたくなったのって。



 ……皆は自分の力をきっと信じている。


 詩絵莉は式隼としての自らの能力に全てを預け、皆の為に引き鉄を弾いている。ギルもそうだ。式狼として、持てる力を余すところなくタタリギの前で行使する。そこには迷いも、一切の怯みを感じさせる事はなく……そして深過した斑鳩をも撃ち貫く覚悟を見せた、本物のヤドリギだ。フリッツだって凄い。黙々と部隊の縁の下を担うとばかりに兵装の整備を始め、私の負担を減らす為に色んな事務手続きなんかも今では率先してやってくれている。


 そして、アール……。

 ローレッタは皆の隣で撃牙を装着しながら静かに笑顔を向ける彼女へとゆっくり視線を向ける。

 語るまでも無く式神として……望まずして、D.E.E.D.というヒトの輪から外され与えられた力を持ちながらも、その全てを仲間の為に……まさに自らの命も存在をも天秤に掛けることすら厭わず、彼女は戦場へと立っている。彼女の凛と立つその後ろ姿に、これまでどれだけ助けて貰ってきたことだろう。


 そうだ、部隊の……部隊の皆は本当に……本当に、強い。


 ……だからこそ、タイチョーに……斑鳩に、私は惹かれたのかもしれない。


 彼は……私と同じ。

 今でも過去に怯えどこかで逃げている私と一緒。

 きっと……本当はとても弱くて、自分の力を信じ切る事に迷いを持っている……いや、きっと"そうだった"んだ。



 ――でも、そんな彼も……"変わった"。



 あの14A.R.K.で交わした言葉、そして彼が見せた覚悟。それは、とても……とても眩しかった。

 でも同時に少しだけ、嫉妬してしまった。少しだけ、追い抜かれたような、置いて行かれたような、そんな気持ち。だからこそ、無理をしてでも……とは、ちょっと違う。


 歴代の式梟きっての能力を持つ、ローレッタ。そう呼ばれるのが、いつしか重荷になっていた。

 だけど、今はどうだろう……?重かったその呼び名を、再び背負える……そう、今なら何の苦も無く背負えるんじゃないかと心のどこかが予感している。


 詩絵莉のように、ギルのように、フリッツのように、アールのように。


挿絵(By みてみん)


 そして何より――いや、きっとみんなも同じなのかもしれない。

 皆が強く在れる、そんな居場所を作ってくれた人……斑鳩の為に。私は、もう一度"天才"と呼ばれたい。


「おぉ、全員揃ってんな!」


 ローレッタが人知れず決意を胸に秘め、拳を握ったその時だった。

 格納庫の奥、斑鳩たちとは反対方向の通路から、大きな箱と頑丈そうな麻袋をいくつも抱えたギルの声が響く。


「あ、戻ってきた。 何よ、思ったより遅かったじゃない。 みんなすっかり準備出来てるわよ」

「おぉおい随分な言い回しだな!? これ全部、お前が使うモン……だろうが……っと!!」


 やれやれと両腕を組む詩絵莉に向かって、ギルは装甲車の脇へと抱えていた荷を下ろす。身を屈めるその動きで背負っていた麻袋がずり落ちそうになったが、それを見たアールは素早く彼の元へと身体を入れると、軽々と両の腕でそれらをキャッチしてみせる。


「っと、すまねえな、アール。 助かったぜ」


 アールは「ん」と小さく頷くと、二つの麻袋をまじまじと見つめる。


「これ、何? けっこう重い」

「だろ? シエリのヤツひでえよな、式狼っつっても重いモンは重いんだぜ、なあ?」


 彼女から麻袋を受け取り箱の上へとそれを置きながらジト目を向けるギル……いや、どちらかと言うと大きな目をぱちくりさせこちらへ視線をやるアールに、詩絵莉は「う」と声を上げると腰に手を据える。


「とにかく、これで全部? ありがと、助かったわ……これがフリッツが言ってた、撃牙の芯……?」

「ああ。 言われた場所にあったやつはこれで全部だな。 しっかし、よくもまあこれだけ集めてたもんだな、フリッツ」


 肩をぐりぐりと回しながらため息を着くギルの後ろから、フリッツは顔を覗かせると、ギルに感謝の言葉を掛けながら荷を確認していく。


「……ああ、これで全部だ。 こっちが螺旋撃牙に加工する前の撃牙の弾芯……そしてこっちが、加工に失敗した、言わば弾芯の"端切れ"だ」

「撃牙の、芯……これが、ぜんぶ?」


 意外そうに目を丸くするアールに頷きながら、麻袋から取り出した鈍く鉛色に輝く端切れの一つをフリッツは詩絵莉へと手渡した。彼女はそれを受け取ると、弾丸としての重量に改めてため息をつく。"魔法の翼"で射出する移動、拘束用のアンカーもそれなりの重量があったが……これは、短いながらも間違いなくそれ以上の重さだ。


 確かにあのアンカーを撃ち出すパワーを持った飛牙でこれを撃ち出せば、相当の威力の弾として成立する事は理解出来る、が……。

 詩絵莉はあからさまに顔色を曇らせると、フリッツへと向き直る。


「これがあんたが言ってた、あたしの新しい弾丸……ってワケ?」

「いや、これはもうただの弾丸じゃあない……言うなれば"バリスタ"だ。 ウィン……いや、飛牙の射出構造を利用した、より原始的な飛び道具……君だけの"魔法(スコルピウス)"だよ」

「……魔法(スコルピウス)、ねえ」


 スコルピウス。それは二人が愛読する創作物語、"ギルティア"に登場するアーリーン・チップチェイスが放つ魔法の一つ。詩絵莉は彼の言葉にやれやれ、と言った風に肩を竦めてみせるがその表情はまんざらでもない様子だった。


「凄いな。 端切れとは言えこれだけの撃牙の弾芯を……フリッツ、一体どうやって集めたんだ?」

「全部廃棄予定だったものだよ。 弾芯は折れたり曲がったりはもちろん、整備の際に耐久力や品質に問題ありと判断されたものは基本、破棄されるだろう? それを内地に居た頃から、コツコツとね……」


 撃牙の装着具を確認しながら荷を覗き込む斑鳩にフリッツは苦笑する。

 その横から、ギルは首を傾げながら腕を伸ばすと端切れの一本を麻袋から取り出した。


「流石に撃牙の芯だけあって結構な重さだな。 しかし捨てるなんざ勿体ねえ……高価なんだろ? 撃牙の芯つったらよ。 端切れも集めてもう一回鋳造でもすりゃあいいんじゃねえのか?」

「ギルやん、撃牙の芯は再鋳造出来ないんだよ……教授の授業でもやったじゃない、兵装構造講義の」


 詩絵莉の影からひょいと顔を覗かせたローレッタの台詞に、ギルは「おお、そうだった、なー?」と、ひきつった笑顔でアールに同意を求める。が、その様子に「アルちゃんが来る前だよ!」と突っ込む彼女の手刀をアールの影に隠れてやり過ごす。フリッツは二人のやり取りと目をぱちくりさせるアールに少し笑うと、麻袋からもう一本弾芯の端切れを手に取り、指でゆっくりと撫でる。


「その通り……一度成形し終えると、それっきり。 再度成形しようとしても、二度と結合する事は無く灰のように崩れてしまう……。 だからこそ、こういった折れた端切れや不良品と認められたものは、すべからく廃棄されるんだ。 こうなってしまっては本来無用の長物だからね」


 だがそれ故、彼は廃棄物を集め、そして研究を重ね――螺旋撃牙を生み出した。

 そして回転を与え射出する構造を撃牙に施し、そこに至る肯定で培った様々な技術があらゆる糧になり……アガルタの機構を借りて今、詩絵莉が扱う飛牙という常識から大きく外れた武器を生み出すに至った。


 フリッツはふと、今一度袋の中に詰められた端切れたちに視線を落とす。


 折れ、曲がり、ちぎれ……本来ならば破棄されるであろう、不揃いの弾芯たち。これらアガルタ直下の工房でのみ生産される撃牙の芯には、装填ワイヤーにも使用されるタタリギ由来の素材が織り込まれているという。それ故、恐ろしいまでの硬度を誇り――そしてそれ故、この弾芯は灰のように()()()()()


 そう、この弾芯たちには"消費期限"があるのだ。


 極々ゆっくりとだが深過し続けている弾芯たちは、おおよそ数年でその耐久性が失われてしまう。

 この特殊合金は、ある程度の質量を持って形成されなければその強度と耐久性を発揮する事が出来ないという。故に弾丸の弾頭や、完全被甲弾(フルメタルジャケット)の転用など、少量での構成では朽ちるまでが非常に早く、不向き――というより、使用が現実的ではないのだ。


 例えるならば、極度に酸化が早い鉄のようなもの。


 撃牙の芯ほどの質量を凝固し錬金し得ることで初めて武器として、成立する。撃牙本体をも凌ぐコストで製造されるにも関わらず、同時に戦場で使い捨てられる弾芯たち。


 その様はまさに"ヤドリギたち"と同じなのだとフリッツは手にした弾芯をぎゅう、と握り込む。

 A.M.R.T.(アムリタ)の効力が限界を迎えるまで、その身体にタタリギを宿し、彼らは前へと向かい……ただ、その身を撃ち放つ。


 彼は目の前にかざした弾芯越しに、自身にとって初めての"仲間"と呼べる者たちの姿を眩しそうにその瞳に写す。彼らの有限のひと時を共有出来る事に……儚くも気高く生きようとするこの"弾芯たち"の傍で、今は確かな誇りを感じることが出来る。彼らの存在は、どんな状況でも自分に勇気を与えてくれる。


「どうしたの、フリッツ?」

「あ、ああいや……何でもないよ、詩絵莉」


 弾芯を見つめたままどこか誇らしげな表情のフリッツに、彼女は首を傾げ手にしていた弾芯を両手で支え睨み付ける。


「でもこれ、ギルが言う通り一発だけでもかなりの重量よ? 撃ち出す飛牙自体も結構重さあるのにさ。 それに加えてこれを携帯して……ってなると……タダでさえ最近、遮蔽物が無い場所での戦闘が多いし。 正直現実的じゃないように思えるケド」


 不意に隣へ「うーん」と不安そうな声を上げながら真横へとしゃがみ込み、弾芯を麻袋に戻す詩絵莉。

 彼女の憂いを秘めたような美しい横顔に、フリッツは思わずドキリと心臓が跳ねあがる。だが何とか平静を保つよう「ごほん」と立ち上がりながら咳払いをひとつ、彼は詩絵莉とローレッタへ交互に頷いてみせた。


「大丈夫だ、詩絵莉。 今回は特定方向に対する拠点防衛戦……これを生かす"ならでは"の作戦は、ローレッタと既に構築済みだよ」

「そうそう。 前からこの構想、フリフリから聞かされていたからね。 だいじょーぶだよシェリーちゃん。 楽しみにしてて」

「ふゥん……。 ま、何となく想像は出来るケド……ロールのお墨付きだもの。 期待しておくわ」


 ふふん、と詩絵莉は腕を組み、苦笑するフリッツの胸をぽんと叩く。


「――!」


 その時だった。その光景を眺めていたアールの顔がびくん、と跳ね上がる。


「アール、どうした?」


 斑鳩はいち早くそれに気付くと、兵装を全て装着し終えた彼女の顔を覗き込む。


「……斑鳩、聞こえる?」

「……?」


 虚空を見上げたままそう呟くアールに、一同は耳を澄ませる。


 だが、格納庫内に響く音に特別なものはない。指令室からの大々的な通達も未だ行われていないのだろう。夜間という事もあり、静けさ――とまでは言わないものの、整備士たちが装甲車を整備する声や音、兵站部の喧噪など、いつもと変わらない聞き慣れた音のみが響いている。


 斑鳩は一応皆へと視線を巡らせるが、他の者も小さく首を横に振った。


「いや、特別なものは何も聞こえないが……何が聞こえるんだ、アール? 接近するタタリギの(けはい)……か?」


 斑鳩の言葉に彼女は即座にそれを否定する様に首を横に振った。


「……呼んでる……これは、声? わたしを……呼んでいるのは、だれ?」

「……!! アール!!」


 変わらず虚空を見つめたままうわごとの様にそう呟くアールの目に、斑鳩は思わずゾクリとその身を駆け抜ける寒気に身が跳ねる。

 いつも通り、彼女を象徴するような大きな紅い瞳――だが、それは今……いつか見たであろう、不吉な赤い光を湛えている様に感じられた。斑鳩は思わず彼女の両肩に手を掛けると、力強くその細い身体を抱える。



 ――あの時だ。 この目は、あの時の……!



 純種戦で見せた、深過解放(リリース)した彼女があの"黒い獣"の芯核を抱いたその刹那見た、紅い光。

 肩を強く掴む斑鳩の顔へとゆっくりと視線の焦点を合すよう、アールは何度か瞬きをすると「斑鳩……」と、小さく呟きその手をで頭を抱えるように右手を添える。


「……ア、アルちゃん?」

「お、おい。 大丈夫かよ、アール」

「……へ、平気。 ごめん、なんだか……ううん、わからない。 でも……タタリギが向かって来るほうから……声が聞こえた気が、して……」



 ――声……声……だって? タタリギから……?



 斑鳩は頷くギルとローレッタへアールを預けると、彼女を肩を掴んでいた手をゆっくりと下ろしながら次第に表情を厳しいものへと変えていく。声が聞こえる……そう言った彼女の言葉に、斑鳩は直感的にあの14A.R.K.で深過共鳴(レゾナンス)がもたらした、現実離れしたあの暗闇の中での出来事が思い浮かんでいた。自らの姿を真似た、自分でありながら自分ではなかった、あの"何か"……。


 暗がりで確かに感じた、アールでも、ましてや自身でもない存在の――"何か"からの声を。


「暁……?」


 その傍、詩絵莉は彼に触れようと手を伸ばすが、それすら躊躇われる鬼気迫る彼の表情にぴくりと身を竦める。ここまで感情を表にした斑鳩の表情は、あまり見た事がない。鋭い殺気すら感じさせる彼の黒く沈んだ目をそれでも覗き込む詩絵莉に気付くと、斑鳩は数秒、瞳を閉じたまま大きく――大きく、息を吐いた。


「……大丈夫だ、詩絵莉。 準備を急ごう……そろそろ指令室から防衛作戦が発令される頃合いだ。 ローレッタとアールは指令室へ状況の確認と報告を。 ギルとフリッツは兵装、備品の再点検を頼む」

「「了解」」


 斑鳩の言葉にギルとフリッツは装甲車の後部ハッチへ、手を握り互いに頷き合うローレッタとアールはコンソールがある車両前方へと駆ける。


「詩絵莉は兵站管理部へ弾薬申請書の提出だ。 申請する弾種はいつも通りお前に任せる。 それと、デイケーダーの配備に備えておいてくれ。 大型がいるかは今の段階では分からないが……十中八九、A.R.K.に残る式兵の練度状況的に、Y028部隊へ携帯命令が出るはずだ。 頼むぞ」

「…………」


 螺旋撃牙の各種動作確認を行いながら部隊長として冷静に指示を下す彼の表情は、いつもと変わらないものへ戻っていたが……詩絵莉は、それでも彼の前から動く事が出来ないでいた。


「……どうした、詩絵莉」


 足を止めたままこちらを真っ直ぐに見つめる詩絵莉の視線に、ふと顔を上げる斑鳩。


「暁、本当に……大丈夫?」


 一歩こちらに詰め寄る、栗色に揺れる髪の毛の奥から向けられる彼女の瞳。

 斑鳩は何かを言い掛けようと口を開こうとしたが、すぐにそれを飲み込むと彼女に向かい「ああ」とだけ呟いた。だが、詩絵莉は大きく首を横へと振り、もう一歩斑鳩へと踏み出す。


「話して、暁。 あたし、知りたいの。 ……暁が今、何を考えているのか。 あたしは……知りたいの」


 強い意志を感じさせる、彼女の凛々と輝く挑発的な瞳。

 斑鳩は複雑な表情を浮かべ格納庫の天井を見上げると、装着した撃牙に左手を添えながら瞳を閉じた。


「……アールは声と言った。 タタリギから、俺たちには聞こえない声が聞こえると。 ……詩絵莉、何か嫌な予感がするんだ。 やはりこの襲撃には、何かある。 ……そう思うと、不安で仕方がない」


 彼が口にした意外な言葉に、詩絵莉は一瞬目を大きく見開くと少しだけ笑みを浮かべる。


「暁でも不安で仕方がない……なんて、言うんだね」

「おかしいか?」

「んーん、全然。 むしろちょっと安心した。 ……おかしいね、こんな状況なのにさ」


 先程見た、殺気を孕んだような斑鳩の視線。

 それが向けられた先にあるものは、一体何なのか。アールが言う、タタリギから聞こえる声に、心当たりがあるのだろうか。


 だが、それが何であろうと関係ない。

 今度こそ、斑鳩に無茶はさせたくない。これ以上彼だけに背負わせるわけには、いかない。そう改めて決意すると、詩絵莉は自らの胸に手を置き――改めて彼の黒い瞳を真っ直ぐに見つめた。


「わかった、暁。 あたしを見てて。 その不安、ちょっとでも軽くしたげるからさ」

「……ああ、頼むぞ、詩絵莉」


 返事を返す斑鳩に彼女は笑顔を浮かべると、踵を返し兵站管理部へと駆け出していく。

 その時だった。まるで駆け出す彼女を待っていたかのように――格納庫に響く、詩絵莉の駆ける軽快な靴音をかき消す大きな警報が、ついに鳴り響き始める。



 タタリギの襲来を告げる警報の中、斑鳩は黒髪に揺れるひと房の白髪へと無意識に手を添えていた。



 そして、格納庫の外――

 窓枠から見える不吉さを予感させるような真っ黒な空をその黒い瞳で、静かに……睨み付けるのだった。






……――第10話 Y028部隊 (10)へと続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ