第10話 Y028部隊 (7) Part-2
式梟として復帰を果たしたクリフとの再会を喜ぶ皆の前。
セヴリンとフリッツと共に、配備された戦車の一台を任されるリッケルトとシールと名乗る二人の正規式兵が訪れた。
正規式兵と、腰を据えての会話。
胸中、様々な疑問が渦巻く中――戦車に関する疑問を問う彼らに、グラスを交わした彼女たちは快くそれに答えるのだった。
「……他に質問はありませんか?」
リッケルトはそう言うと、目の前に盛られた万能ナッツの素焼きを口へと運び、ぽりぽりと軽快な音を立てながら丸机に座る皆の顔をぐるりと見渡した。
彼女とシールが席に着いて、二十分程たっただろうか。
今回配備されたNTK七型戦車に対する斑鳩たちの質問に彼女は丁寧に受け答えていた。
その中でも特に熱心な問いを繰り返していたのは、クリフに加えローレッタとフリッツの三人。基礎的な兵装に関する疑問や、弾丸などの供給ラインやその頻度。加えてタタリギに侵食された場合の脱出、及び爆破処理を含めた対処法……他にも戦車自体としてのウィークポイントの解説は、対乙型などに対する知識としても改めてY028部隊にとって有用となる知識だった。
斑鳩は一通り質問を終えた様子の皆を見て頷くと、二人に向かい軽く頭を下げる。
「勉強になったよ。 丁寧な解説痛み入る、リッケルト……兵長」
一瞬詰まり、彼女の胸元に輝くアガルタの階級章に視線を向ける斑鳩。
アガルタと指揮系統が異なるこの13A.R.K.において、階級章は存在しない。腕章による部隊の識別を以て、いわば階級は誰も皆同じ。唯一部隊長のみ伝統としてネクタイを着用している程度である。
そんなA.R.K.独特のしきたりを知ってか知らずか、彼女はかまいませんよ、と小さく首を横に振りながらにっこりと笑顔を浮かべた。
「いーえいーえ、戦車に関する知識を共有する……これも私らの仕事の一つですし。 ああ、リッケルトでいいですよー、斑鳩隊長」
気さくにそう答え、再びナッツをつまむリッケルト。
アガルタ所属の正規式兵――そう聞けばもっとお堅い印象もあったものだが、受け答えする彼女の姿に皆もいつしか同じヤドリギとして認識していた。
「ならば俺も斑鳩と呼んでもらってかまわない、リッケルト。 気遣い感謝するよ」
「皆さんもリッケルトと呼んで下さいな。 堅苦しいのは趣味じゃーなくって」
「俺の事も気軽にシールさん、と呼んでほしい。 なあ、リケ……リッケルト」
ふいに会話に飛び入るシールをジト目を向ける彼女に、彼は思わず言葉を正し目線をそらす。
リッケルトは彼に平手で突っ込みながら「自分だけさん付けですか」と肩を竦め、手にしたグラスに注がれた水をキュッと口に含む。
セヴリンは隣でその様子に笑みを零しながらも、表情を引き締め立ち上がり皆を見渡した。
「戦車に対して、乙型や甲型の印象はあると思います。 かく言う僕も間近で見たときは少し恐怖を覚えました……しかし、それでも使い方を間違わなければこのA.R.K.の守りはより堅固なものとなるはずです」
彼の言葉に、フリッツは複雑な表情を浮かべながら視線を落とす。
「旧時代、人類が扱った最新鋭の兵器はことごとくタタリギに飲まれ、逆に人類を危機に追いやった。 だけど確かに使い方次第では今でも有効な局面はあると思う……いや、思いたい。 それにこの時代において、僕らヤドリギでない人間でも扱える貴重な兵器だ。 けれど……」
「けれどの先。 ええもお言いたい事は理解出来ますよー、フリッツさん。 でもだからこそ、ですよ?」
リッケルトは大きく頷くと、隣の無表情に腕組みをして鎮座したままのシールの肩に手を乗せる。
「この安全な敷地内での運用。 専守防衛。 戦車としての性能面ばかり説明しちゃった気がしなくもないですがー、本来アガルタでもNTK七型戦車はいわば"移動可能な防衛砲台"なんですから。 ねえ、シール」
「ああ、ああ。 その通りだリケルト」
肩掴んだ手で彼をゆさゆさと揺らしながら、リッケルトは再び「リ・ッ・ケ・ル・ト!」と表情豊かにシールに詰め寄る。だがシールはそれを意にも介さず、腕組みをゆっくりと解きながらフリッツへと向き直った。
「フッツリ……貴方にとって危惧する存在には違いないでしょうが、それは我々とて同じです」
「……フリッツです」
「だが、防衛戦力としては非常に有用なのも確か。 奴らからの襲撃があった場合、大門開閉の一助には間違いなくなりましょう」
小声で手を挙げ名をもう一度名乗るフリッツの声を聞いてか聞かぬか、シールは深く頷く。
その様子に肩を落とす彼に詩絵莉はくすりと笑うと、テーブル中央に置かれたナッツの素焼きに手を伸ばしながらリッケルトへと視線を寄越した。
「……ま、そうね。 生半可な攻撃はタタリギに対しては逆効果……それが丁型であれ、丙型であれ、即死させなければ意味がないわ。 侵攻の為に使うんじゃあなくて、あくまで防衛で使うなら……いい具合かも、ね」
「ああ。 詩絵莉の言う通り、守りであればこそ……だな」
彼女の言葉に斑鳩は顎に手を添え、考えを巡らせるよう視線を宙へと浮かべる。
「機銃による掃射も、砲撃も、各大門の守りに使うなら有用になりえる。 想定されるタタリギの襲撃に対して、点ではなく面での攻撃。 即死させる事は叶わなくとも動きを封じ、深過してしまう前に防衛戦力として待機する式狼と式隼で処理する」
「スッ転がってるやつにトドメ刺して引くだけなら、式兵の練度に左右される事もねえってわけか……案外、ありなのかもしれねえな」
「……うしろにA.R.K.がある状況なら、機銃で足止めしたタタリギにトドメを撃つヤドリギの数も、確保出来てる」
ふむうと眉間にしわを寄せながら腕組みするギルに、斑鳩とアールは小さく頷いた。
――あくまで、理想論ではあるが。
斑鳩は目を細める。
小口径の銃などでは、たとえ当たったとしてもそれが致命傷にならない限りタタリギに対し意味はない。むしろ逆に、追い詰め手負いとなったタタリギは深過を遂げ、想定外の力と姿を得て向かい来る。だからこそ、撃牙、または大口径のマスケット銃の一撃を以て急所を撃ち貫かなければならないのだ。
兵器寄生型のタタリギにしても同じ。
アールの初陣ともなった乙型タタリギ……。
あれもまた、追い詰めればよりタタリギの本質とも言える姿へと果ててゆく。足である履帯を崩せば、それに代わる"足"を生やしたという報告もある。交戦時間が長引けば長引くほど、負う傷が重なれば重なるほど、その危険性を増してゆく……それ故速やかに、確実に、最短の一手を積み重ね斃さねばならない相手――それが、タタリギだ。
ふとローレッタは斑鳩たちの言葉に食堂の壁に掲げられた13A.R.K.の全体図を視線に入れると、以前見たタタリギとの戦闘録を思い出していた。
かつてはA.R.K.の外周に、襲来するタタリギに対する防衛策として地雷原があったそうだ。しかし、それはA.R.K.を守るどころか、逆に危機を招いたという記録がある。
地雷による負傷を負いながらも致命を免れ、四肢を失ったヒト型タタリギが深過を遂げより異形な存在となり押し寄せたのだ。城壁もまだ未完成だった頃も相まって、多大な被害が出たという。
地雷原では足止めしたタタリギに対し近接する事は、言わずもがな難しい。
処理は式隼の銃撃しかない……が、確実に、的確に急所を撃ち貫くとなればいかにその能力に特化した式隼と言えど、練度が問われる事となる。
想定されるのは覚悟を決め立ち向かうと決めた相手ではなく、予期されたわけではないタタリギによる襲撃…少なからず混乱が生じるその状況下では、なおさら新兵には荷が重い。
さらに撃牙とマスケット銃、その性質の差も問題となる。
式狼の象徴でもある力でもって引き絞る撃牙と違い、銃弾そのものがこの時代において貴重品でもある。
弾頭こそA.R.K.でも精製されているものの、弾丸として撃ち出す為の薬莢や雷管は、そのほとんどがアガルタに近い内地で限定的に製造されている。その理由は人類が有する土地から得られる資源が乏しいという懐事情もあり、一度の供給量には限りがあるのが現状だ。
真綿を締め付けるよう包囲を狭めるタタリギから人類の領地を守るには、閉じこもり防御に徹するだけでは叶わない。討って出る攻めの姿勢があったからこそ、13A.R.K.は長年この戦線を維持してこれたのだ。それは13A.R.K.そのものだけでなく、周辺のタタリギを常に駆除し内地からの物流を守る為にも、である。
「ま、なんにせよだ。 この箱舟にゃ民間人だって沢山いる。 今まで見たこともねー戦車の配備が俺らヤドリギ以外の人間にどう受け入れられるか、ってのも大事になるんじゃねーかな」
「……あ、ギルやん鋭い。 ギルやんのクセに」
「お前な……」
椅子へ逆向きに座り背もたれへ両腕を預けな何とも言えない表情を浮かべるギルをローレッタは笑ったが、すぐに頷きその表情を引き締める。
確かに期待できる部分、憂慮すべき部分、戦車に対して様々な考察を重ねてはいたが、ギルの言う目線はもっともだ。東西南北、大門前に設置される大型戦車はいかに民間人が頻繁に訪れる場所ではないにしても、どうしても目にはつくだろう。
ヤドリギでさえ"敵対するタタリギとしてのイメージ"を持たざるを得ない、戦車という兵器。
13A.R.K.は最前線とはいえ、民間人も少なくはない。そんな彼らに、不安と動揺を与えてしまわないだろうか。珍しく眉をひそめるローレッタに、リッケルトは静かに頷き口を開く。
「だからこそ、皆さんには戦車の事を良く知って貰いたい――それがここを訪れた我々の願いでもあるんです。 どんなに知らないものでも、理解出来れば受け入れられる。 きっとそうである事を願っているのですよ」
――そう、なのかな。
うんうん、と頷くリッケルトとシールを、目深に被るフードを僅かにたくし上げアールはその紅い瞳で二人の姿をじっと見つめる。
どんなに知らないものでも、理解出来れば。彼女の言葉に、アールはそっと知れず自らの手を自らで握り込み……戦車とこの冷たい身体が、重なるような感覚を覚えいた。
斑鳩たちはわたしの事を信頼してくれている。それは今強く、これ以上ないほど確かなものとして信じられる。だがこのA.R.K.において……ヒトよりも、むしろタタリギに近い性質であるわたしの事を知って、それでも受け入れてくれるヒトは、どれほどいるのだろう?
ヒューバルトの言葉が再び胸の内側を不快に撫でる。
――モノ。 兵器。 ヒトではない……モノ。
アールはまとわりつくようなそれを、僅かに首を振り払いのける。
その隣でクリフはぎしりと音を立て車椅子の上でリッケルトたちに向き直ると、僅かに笑顔を浮かべた。
「その事に関しては、局長たちにも考えはあると思うぜ。 それに今は懐疑的に思う連中も多いかもしれないが……こうやって理解を深めていけば、ゆくゆくは皆にも分かって貰えるはずだ」
どこか楽観的なクリフに、ローレッタは少しむっとした表情を浮かべるとテーブル越しにその身を乗り出す。
「……そう、だと……いいね」
言いながら、ローレッタはリッケルトとシールを見て言葉尻を弱くすると、僅かに浮かせた腰を椅子へと下した。今ここで配備された戦車に対して異論を述べたとしても、意味はない。むしろ危険な旅路を覚悟でここへ訪れてくれたリッケルトたちに失礼にもあたるだろう。
――それに、これ以上議論したら……言わなくていい事まで口走っちゃいそう。
彼女はふう、と小さくため息を吐くと、眉間に浅くしわを刻み考え込む様子の斑鳩をちらりと視界に入れる。
考えていることは同じ――と、言ったところだろうか。彼が浮かべる表情もまた、複雑だった。
戦車の配備とは予想を大きく超えたものではあったが、レジードやリッケルト、シール……彼らのような"表"のアガルタからの支援は、素直に喜ばしい。だがマルセルと交わした会話も頭を過る。
今までこのような大々的な戦力支援は無かった。当然、純種の出現に加え今までと違った概念のタタリギともいえるマシラの出現。だからこその支援……なのだろうが、アールを始めとした"裏側"の存在に、やはり不穏なものを感じざるを得ない。
ローレッタの視線に気付くと、斑鳩もまた目を薄め、僅かに頷いてみせる。
――これ以上はアガルタの暗部について、こちらから話さないといけなくなってしまう。
戦車部隊自体に何かしら"意図"を感じる事が出来れば。そう思っての立ち合いだったが、リッケルトたちとこうして会話を重ねた上で見てとれるのは、これ以上ない"まっとうな"存在だ。彼女だけでない、無口だが時折的確な相槌と知識を披露するシール、そしてあのレジード大尉。
アガルタの裏……暗部について彼女たちが何かを知っていることは、アールに対する反応から見てもまず無いだろう。実際に戦車部隊をこの目で見極め、マルセルに報告するとは言ったものの……こうまで"まっとう"では逆に不安が募る。
斑鳩は右手に持ったマグカップの水面にゆれる灯りに目を落とした。
今まで見てきたアガルタの裏の部分を、強い光で覆うような存在と感じてしまう正規式兵である、彼ら。
当然だが式神、D.E.E.D.に関してこちらからおいそれとしゃべる訳にもいかない以上、あれこれ考えてもこの状況で答えは出なだろう。
彼らに全てを伏せたまま戦車部隊の配備を局長が認めたとなると、何かしらの思惑はあるはずだ。クリフの言葉ではないが、局長は全てを知った上でアガルタと切り結んでいる。ならば、今はその局長の判断を信じ、ここに訪れてくれた彼ら、そして戦車の事を今は知って行くことが役目なのだろう。
「……そうですね、確かにまだ初日ですしー。 皆さんにも色々思うところもー……ありますよね」
「無理もないですな。 彼らには彼らの、我々には我々の価値観もある」
ほんの一瞬だが場を支配した沈黙に、リッケルトとシールは少しだけ困り顔を浮かべ気まずそうに互いの顔を見合わせる。
「ああいや、すまない……気を悪くさせたなら謝らせて欲しい。 あなたたちがこうして末端のA.R.K.に戦力を届けてくれた事には、本当に感謝しているんだ」
は、と斑鳩は顔を上げる。
こちら側の戦車に対しての憂慮を汲み取った様子の二人に、斑鳩は姿勢を改めて僅かに頭を下げた。
「遠いアガルタから、13A.R.K.のためにわざわざ来てくれたんだもの。 色々小難しい話になっちゃって申し訳ないケドさ、みんな本当に歓迎してる、リッケルト、それにシール。 ね、暁」
思うところは皆同じ――なのだろう。
フォローするように肩に手を掛け笑顔を浮かべる詩絵莉に、斑鳩は僅かに笑みを浮かべて頷いてみせる。その様子に少し安心したように表情を和らげる二人に、ギルはニッと笑い、「その通りだぜ」と二人に向き直る。
「一週間こっちに居るんだろ? その間に色々互いに理解を深めていきゃあいいんじゃねーかな。 前線張ってる俺らには俺らの、内地を守るあんたらにはあんたらの価値観もあんだろ、いきなり他人行儀に笑顔浮かべてるよりゃ、よっぽどまともな流れだと俺は思うぜ。 なあ、イカルガ」
「同感だ。 内地の……それもアガルタの式兵とこうして面と向かって交流出来ることだけでも、俺たちにとっては十分貴重で尊重すべき機会だ。 互いに理解を深めていくのが、ここの皆に戦車を受け入れてもらう事に関しても最短の道だと思う」
ギルと斑鳩の言葉に、場にいる全員がゆっくりとそれぞれ頷く。
すると、シールはおもむろに壁に掛かった大きな時計に目をやると、「む」と細い瞳を僅かに開けるとリッケルトの肩を叩く。
「リケ……リッケルト。 もう、こんな時間だぞ」
「あ、ほんとーだ! 皆さんすみません、そろそろ私たちはお暇しますね」
「あ……もう時間かい? 久々に内地の話も聞ければと思ってたんだけど……」
名残惜しそうに残念そうな表情を浮かべるフリッツに、彼女は立ち上がりながら静かに首を横に振った。
「ゆっくりしたいところは山々なんですがー、配備中の戦車に残っている隊員もいまして……彼らに食事の差し入れを、と」
「我々は書類の提出を言付かり、兵舎に寄った次第でして。 他の部隊員からもついでに、と頼まれてたんですよ」
言いながら立ち上がる二人に、セヴリンは「そうでした!」と平手を叩く。
「すっかり忘れてました、ごめんなさい皆さん! 僕も整備班の同僚に差し入れを持って行こうと思ってたんでした。 なにしろこれから戦車の整備についても学ばないといけないので、彼らも今必死に勉強してくれてるんですよ」
「おぉ、それは頼もしい。 リケルト、戻りついでに整備班にも顔を出しておきませんか」
彼の言葉にうむうむ、と何度か頷くシールに、リッケルトは「リ……」と口を一旦大きく開けたが、直ぐにクリフへと視線を向け「是非ご一緒しましょう、クリフ」と笑顔で答えた。
「――では改めてこのあたりで、斑鳩隊長、そして部隊の皆さん。 短い時間でしたがお話出来てよかったです……明日、今度はゆっくりと食事でも。 今度は他の隊員も連れてきましょう」
「ああ、楽しみにしている。 こちらこそ忙しい中引き留めてしまった。 ……また、明日にでも」
再度差し出された右手を、斑鳩はその手で軽く握り返す。
彼女とシール、それにクリフはそれぞれと挨拶と会釈を交わすと、未だA.R.K.の職員と正規式兵たちが交わす喧噪へと消えていった。
その姿を確認して、クリフも「さて」と車椅子の車輪のロックをがちり、と外す。
「俺も一度指令室に戻るとするよ。 民間人へ向けての周知について、ヴィッダ補佐官と共有しておきたい事も出来た。 あんたらと話が出来てよかったよ、集まって貰って感謝する」
「……そうか。 了解だ、クリフ。 しかし指令室付き、か。 今後世話になる事も増えるだろうな。 改めて、宜しく頼むぞ」
そう言うと、斑鳩はクリフが付き出した拳に自らの拳を合わせる。
「……クリフ、送ろうか?」
車椅子を案じてか、立ち上がるローレッタにクリフは苦笑しながら首を横に振って見せると、右手でバン、と自らの左足を叩いて見せた。
「心配には及ばないぜ、ローレッタ。 こう見えても俺はまだ式兵だ……と言ってもこんなものに乗ってれば説得力に欠けるかもしないが。 まだリハビリ中とは言え、一応立つ事も出来るんだぜ。 気持ちだけ貰っておくさ」
「――そっか」
言いながら器用に車椅子を反転させるクリフに、ローレッタは苦笑する。
彼は背中越しに振り返ると「じゃあまたな」と器用に車椅子を操り、テーブルの隙間を抜けて食堂の出入り口へと消えて行った。
それを見届けた詩絵莉は、未だ表情を曇らせる斑鳩の横へと椅子を移動させ、すとんと腰を下ろし彼の顔を覗き込む。
「で、隊長殿? やっぱり心配って顔ね。 リッケルトもシールも、本当にまともだもの」
彼は大きな瞳でこちらを見つめる詩絵莉に彼は困り顔を浮かべ、「まあな」と小さく頷き右手のマグカップを煽る。
「――アガルタには裏がある。 けど、ここに来るまでに出会った戦車部隊の皆はそんな存在すら、まったく知らないようにしか……僕にも見えなかったよ」
真剣な面持ちで口元を片手で覆い、椅子の背もたれに身体を預けるフリッツの言葉に、斑鳩は空になったマグカップをテーブルへと静かに置くと、ゆっくりと両の腕を組む。
「俺たちはアールの存在を知っている……アガルタのまさに暗部そのものを、だ。 しかしヒューバルトと同じ階級のレジード大尉ですら、アールを前にして、式神の存在など露ほども感じていなかった」
「……同階級でも、機密情報が共有されてるとは限らないんじゃないかな?」
周囲を少し気にしながら声を潜めるローレッタに斑鳩は「そう、だな……」と歯切れ悪くつぶやく。
機密中の機密である彼女をY028部隊に置き、なんの動きも無いまま既に2ヶ月以上が経過している。今回の来訪で何かしらの反応はあるだろうと考えていただけに、この状況は何とも言い難い。
いつでも口を封じる事が出来る自信の表れなのか、それとも純種やマシラの出現により、それどころではないのか――。 どちらにせよ、あの局長がヒューバルト相手に立ち回り得た庇護とはいえ、あまりにもずさんに感じてしまう。
一度はアールを回収せんと腰を上げかけたあの男は、今はどこで何を考え行動しているのだろうか。 局長もレジードもヒューバルトの行方を知らないのであれば、それを考えても徒労に終わるだけではあるのだが……どうにも、引っ掛かる。
「正規式兵と戦車がここに来てまだ初日。 色々と考えるには早急過ぎる……か?」
「まあ、もし連中が何か裏と繋がりがあるんならよ、何かしらこっちにちょっかいの一つでも出してくんだろ。 動くのはそん時でいいんじゃねえか?」
「……ああ」
考えてても仕方ない、と肩を竦めるギルに、斑鳩は苦笑する。
――そう、だな。 何があっても、誰が相手でも……アールは俺が、俺たちが護る。 そう、決めたじゃないか。
斑鳩があの時得た揺らがぬ決意を人知れず胸内で確かめていた、その時だった。
それまで遠くを見つめ押し黙っていたアールがふいに立ち上がり、人目を気にする様子もなく両手でゆっくりとフードをめくる。
あらわになった暖かい照明を浴びて輝く彼女の白髪と紅い瞳に、皆は一瞬目を奪われたが――すぐにアールがその姿で以って告げる異常に気付くと、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。彼女のこの様子……見間違うはずもない。大きく見開いた紅い瞳が、瞬きを忘れたよう僅かに揺れる続けるこの姿を――皆は幾度となく、傍で観てきたのだ。
深過共鳴による、タタリギに対する感覚索敵――
明らかにタタリギの気配を捉えたであろう、彼女の表情。
机を囲む空気が、一瞬にして緊張に支配される。
「アール…!?」
喧噪の声が飛び交う食堂の音が遠い世界の出来事にすら感じながら、皆は表情に緊張を刻み音もなく立ち上がっていた。最中、斑鳩は苦渋の表情を浮かながら彼女の名を呼ぶと未だ遠く一点を見つめたままのアールの二の腕を掴む。
彼女はその手に冷たい自らの左手を重ね斑鳩へと向き直り――僅かに目を細めると、ぎ、と歯を食いしばる。いつにもまして悲壮の色が濃く浮かぶその表情は、感じ取ったタタリギがこの13A.R.K.に向かっている――皆にそう思わせるには、十分だった。
「…教えてくれ、何体だ。 ここに、何体来る!」
目を見開いた斑鳩の黒い瞳を見つめたまま――彼女は、吐き出す様に告げた。
「――数は、わからない……でも、ずっと、ずっと遠くに感じてた。 それが急に増えて、動き出して……13A.R.K.に真っ直ぐ向かって来てる……――斑鳩!!」
……――次話へと続く。




