第0話 序章 (1)
この乾き荒廃した世界でも、"ヒト"はそれでも生きる。
だが、残酷を代弁する様な世界の有様は、常にヒトへと無常を強いる。
戦う者も、残された者も、等しくそれを飲み込み、時に吐き出し、それでも希望を願う。
果たして、この世界の行く末に、ヒトは存在を許されるのだろうか――。
「……ここのどこかに……あるはずなんだ」
年の頃、10歳といったところか。
少年は服に着く泥の汚れも気にせず、崩壊した瓦礫に出来た隙間の下をくぐる。
「ベル兄ちゃん、待ってよ……!」
その後ろを、たどたどしく一人の少女が追い縋ろうと、必死に兄と呼んだ少年の姿を追っていた。
「……ノマ! ……お前は外で待ってろって、言っただろ?!」
「でも……」
ノマと呼ばれた少女は兄の後ろ……瓦礫の隙間からその顔を申し訳なさそうに覗かせる。
周囲に気を配る様に左右を見渡すと、ベルと呼ばれた少年は彼女の手を取り、瓦礫から引き摺りだすように立たせた。
「兄ちゃんが、兄貴を探してくるから……お前は外で待ってろって!」
「……ベル兄ちゃん、でも、やっぱり危ないよ……ノマ、ベル兄ちゃんも居なくなったら……うう、うううう」
ノマは顔をくしゃ、と歪め、みるみる溢れる涙にベルは慌ててその口を押えると一緒にしゃがみ込んだ。
「しっ……! 馬鹿、兄貴が死ぬわけないだろ!? そうさ、ここのどこかで……きっと、怪我して……助けを待ってるに違いないんだ……」
自分に言い聞かせるように、ベルはそう言うと改めて周囲を見渡した。
以前は沢山の人が暮らしていたのだろう。自分たちが住む第13A.R.K.とは全く違う光景……今は多くの崩壊し朽ちた建物が並び――その間を通り抜ける風が、乾いた土煙を巻き上げる。
広がるは、まるで人気のない廃墟――。
だがその建物の影に、壊れた窓に、道脇にある溝に。何やら得体のしれない気配を感じるような、昼にしては薄暗いその光景に、ベルは改めて身震いする。
「……いいか、ノマ。 兄貴は、俺が見つけてくる。 俺の足の速さは知ってるだろ? タタリギなんかに見つかっても、捕まるもんか」
「……ぐず……ほんと……? でも、沢山歩いてきたから……ベル兄ちゃんも、疲れてるんじゃ……」
ベルは大きく頷くと、震えるノマの肩を抱きかかえその瞳をまっすぐ見つめる。
「全然平気さ! 俺も兄貴と同じ、ヤドリギを目指して鍛えてるんだ。 このくらいの事、何でもない! ……それに兄貴はすぐ見つかる! きっとどこかで、ちょっとヘマしただけさ……!」
「……っぐす……ザック兄ちゃん、おっちょこちょい、だから……」
「そ、そうとも。 多分、怪我でもして……通信する機械も壊しちゃってんだよ、きっと。 だから俺が見付けて、一緒に帰るんだ……三人で、一緒に……!」
「……うう、わかった。 ノマ、待ってる。 でも、早く帰ってきてね、ベル兄ちゃん……」
見上げるノマの眼差しを受けて、ベルはもう一度大きく頷いた。
のそのそと入ってきた瓦礫の隙間へとその身体を後ろ向きに入れると、顔だけを覗かせ心配そうな表情を浮かべるノマ。
ベルは精一杯の強がりと言わんばかりの笑顔で彼女に親指を立てると、彼は小走りに瓦礫の影に消えて行った――。
・
・・
・・・
改めて、10歳の少年の目に映るその廃墟の街は、その予想より遥かに不吉な場所に思えた。
身を隠しながら、叫ぶ様な小声で呼ぶ兄貴――ザックの名は、時折吹き抜ける強い風と巻き上がる土煙に消されてゆく。
疲れたその身体を奮い立たせ、廃墟の壁から壁へ――建物の影に隠れるように、徐々に崩壊した街を進んでいくベルだったが、疲れからか手頃な廃墟跡に身を隠す様に滑り込むと、へたり、と座り込んでしまった。
ぐう――。
……おまけに酷い空腹だ。
無理もない。本来自分たちが暮らす第13A.R.K.からこの廃墟まで、ザックの残した遺品――いや、荷物の中にあった作戦地図を頼りに、半日以上掛けて歩いてきたのだ。せめて、万能ナッツのクッキーくらい、懐に忍ばせておくんだった。空腹を叫ぶようにもう一度鳴ったお腹を押さえると、ベルは少し後悔した――その時、だった。
――ざす……ざす……
「……!」
突如聞こえたゆっくりとした足音に、ベルは思わず窓枠の下へとその身を貼り付ける。
「……足音だ……もしかして……!?」
ベルはそうっと頭を崩れた窓枠から外を覗く。
すると、舞い上がる土煙の向こう――確かに人影が、ゆっくりと歩いているのが見てとれた。
――誰か、居る……もしかして、兄貴……?!
確認しようと目を凝らした瞬間――ベルの希望は、一瞬にして凍り付いた。
土煙が晴れた向こうに見えた人影……いや、それは果たして人影と呼んでいいものか。
力無く天を仰いだまま、足を引き摺るように前に、ただ前に運び。
纏うボロボロになった服から覗くのはどす黒く変色した肌……開かれたままの口からは、よだれと共に何やらうわごとの様なものを吐き出すその姿は――!
「……たっ……タタリギ、だっ……!」
言うが否や、ベルは思わず上げた小さな悲鳴を必死にこらえるよう自らの両手でその口を塞ぎ、慌てて崩れた窓枠から覗かせた頭を下げる。
今まで塞ぎ込んでいた恐怖が一気に吹き出し、ベルの身体を小刻みに揺らす。
"タタリギ"――幼い自分にも十分、その恐ろしさは……分かっている。
何十年も前に突如現れたそれらは、沢山の人を殺して……沢山の兵器に取り憑き――もっと、沢山の人を殺して……。
そしてまた、死んだ人間にすらも取り憑き、破壊を続けるが為に彷徨うそれは……今も変わる事のない、恐怖そのものだ。
あのタタリギたちによって、人間は住むところを奪われ……追いやられているのだ。
ベルは息を何とか整えると、もう一度ゆっくりと窓枠からそっとその顔を覗かせる。
先程までゆっくりと歩いてたそれは、今はその足を止め――天を仰いだまま、その黒い身体をゆらゆらと揺らしている。
「……はあ、はあ……あ、兄貴……!」
"タタリギへと果てたヒト"――それは、ある意味最も身近なタタリギの一つだ。
あれらから自分たちを守る為に、"ヤドリギ"は……兄貴たちは戦い、そして……死んだ。
数日前、第13A.R.K.、その居住区にあるベルたちが暮らすコンテナハウスに女軍人が訪ねてきて――深々と頭を下げ申し訳なさそうに、それを口にした。
ザックはこの廃墟跡に発見されたタタリギを倒す為に出撃し、そして――死んだ、と。
――嘘だ! ……兄貴が、俺たちを残して簡単に死ぬもんか!
彼女――身なりのいい、赤毛の軍人は辛そうに「遺体の回収は出来なかった」と言った。
……嘘だ。きっと、仲間から逸れてしまって……今、この廃墟のどこかで助けを待っているんだ。ベルはどうしてもザックの死を受け入れる事が出来なかった。だから、兄が残した荷物の中を頼りに住処を抜け出し、ここへと自ら――来たのだ。慕う兄貴を、助ける為に……。
だが、目の前にするタタリギに、彼の決意は簡単に揺らいでしまっていた。
物心ついた頃から教わってきた、タタリギの恐ろしさ。ヒトのカタチをしていても、それは既にヒトではなく。兵器のカタチをしていても、それは既に兵器ですらない。
心は無く、絶えず人類を探し続け、そして――殺す。それだけの存在。
初めて目の前にした"恐怖の代弁者"……10歳の少年が耐えられるはずもない。
ベルは改めて身を隠そうと窓枠の下を、震える身体で移動しはじめたその時――。
がらん……
「――!!」
足元に転がる、空き缶を気付かずに蹴とばしてしまった音に――ベルは全身の血液が凍る感覚に襲われる。
小さな音だったかもしれない。だが――その音は、タタリギには十分聞こえる大きさ……。
……ざす……ざす……
「ひ……」
案の定、窓の外から近付く足音。それは先ほど聞こえていた間隔よりも明らかに短く、そして――こちらへ、向かってきている……!
――ああ、あああ、兄貴……兄貴……!!
再び口を突いて出そうになった悲鳴を両手で押さえ、かみ殺し――
だが、確実に近付いてくる足音に、ベルの恐怖はついにその口から溢れ出してしまった――!
「……うわ、うわあああああ!!」
堪え切れず上げてしまった悲鳴――。
ベルは身を隠していた窓枠から立ち上がると、迫りくるタタリギが見える反対側の窓から転げ落ちる様に外へと飛び出していた。
――ざっ、ざっ、ざっ……!
その音を追う様に、先ほどまでとは全く違う走り込む様な地面を蹴り付ける音――。
何とかベルはその身を起こすと前に駆け出そうとするが……。
「うわ……!」
恐怖にもつれる両足は、それすら許してはくれなかった。必死に立ち上がり、駆け出そうとして、転ぶ――。
ほんの少しの距離を移動しただけというのに、大きく乱れる呼吸、吹き出す汗――。
――そして。
「ハァァァアァァァ……」
「――!!!」
乱れた頭髪。切創だらけの、どす黒い肌。黒く濁り腐った血に濡れたような、虚ろな瞳。
破れぼろきれの様になった軍服――そして、右手に備えられたままの、無骨な杭撃ち機の様な兵器――。
先程ベルが見たあのタタリギは、あっという間に彼に追い縋り――その暗くも紅い瞳で、彼を見下ろしていた。
恐怖――。
ベルの身体は、その二文字に完全に支配されていた。
始めて間近で目撃する、人類の宿敵――タタリギ。その手先と化してしまった、タタリギに寄生されたヒトを――。
――ザック兄ちゃん……
声を上げる事すら敵わず、涙すら、いや、時間すら止まった様なその感覚。
瞳をこれ以上ない程、大きく見開き――彼が見ていたのは、その凍った時間の中、ゆっくりと無骨な鉄塊が纏われた右手を振り上げる、タタリギ――。
――その時だった。
――ヴィイ"イ"イ"イ"イ"ッ!!!
突如間近で鳴り響いたのは、けたたましく響く不快な羽音の様な怪音――!
「!?」
その音に、ベル――そして、今まさに彼に対し右手を振り上げていたタタリギすらも、弾かれる様にその音の出どころを振り返る。
そこには、この廃墟には似つかわしくない――一機の、真っ黒に塗装された飛行物体――。
それは4枚のプロペラで地面を削る様に地面すれすれを旋回し――!
――ズッガァアァァンッ……!!
刹那。その飛行物体に目を奪われていたベルとタタリギの視界の外から飛び込んできた"何か"が、耳をつんざく様な撃音と共に、タタリギを吹き飛ばした――!!
「うあああああ!?」
立て続けに起きた出来事に、恐怖に縛られ凍った身体は無意識に突き動かされ――ベルは尻もちを付いたまま後ろずさる。
そして、顔を上げたその目が捉えたのは――一ヒトの、男の背中――だった。
「……ローレッタ。 何とか間に合った、まさに間一髪だな」
そう言うと――黒髪を揺らし、チラリとこちらを一瞬、男は振り返る。
歳は、ザックと同じ――二十歳過ぎといったところだろうか。
真っ黒な髪の毛に、真っ黒な瞳――そしてその身に纏うのは、白を基調にした厚手のジャケットコート。腕には黒い腕章――そこには、赤文字で何やら英数字が刻まれている。
この服は……ザックが自慢げに見せてくれた、あの"ヤドリギの制服"――。
「……ぅぅう"あ"ぁぁあ"あァ……」
ベルが呆然と見上げる視界の数メートル先、先程吹き飛ばされたタタリギがゆっくりとその身を起こす。
「……咄嗟だったからな、急所を突けなかった――ローレッタ、彼を頼む」
対して、彼――黒髪のヤドリギは、耳元に手を添えそう呟く。
すると、先ほどけたたましい音を立てていた小型の飛行物体が、今度はうってかわり殆ど音も立てず、ヤドリギの青年とベルの間に滑り込む様に飛来する。
同時にその機体から、少女の声が響く。
『はいほー、そこのボク! いい? ちょっとの間だけど、ずぇったい、動かない様にね!』
「……!?」
ベルは事情が呑み込めないまま……だが頭だけをかくかくと、その飛行物体に向けて何度も縦に振る。
「……行くぞ!」
それを確認した黒髪の青年は、地面を蹴り付け――一気にタタリギとの間合いを詰める!
――は、はやい……!
その一瞬の光景に、ベルの目は奪われていた。
自分も、自慢ではないがすばしっこいほうだ。ノロマな大人には捕まらない自信だってある。
だが、今見たこの男の動きは、そういった類のものではない事だけは、理解出来た。
低い姿勢、地面を蹴ったその瞬間から最高速に達する様な加速――!
そして――先程吹き飛ばされた一撃のダメージが抜けきらないタタリギの懐に一瞬で潜り込むと……
――ズッガァァアンッ!!
彼が右手に装着していた、無骨な杭撃ち機のようなそれは――
いとも簡単に、タタリギの首から後頭部に掛けてを、貫いていた――!!