第三章『友達×友達』①
バラすとあっちゃいかないわけにも行かない。
悲しいかな、卑劣な脅しに屈した俺は屋上まで足を運んだ。
掃除当番を終えてからきた只今の時刻は四時過ぎ。屋上には未だ誰の姿も認められない。
夕暮れ時の屋上にいるからかいやに余寒が厳しい。おとなしく室内で待ってた方がいい気がしてきた。いっそ来ないなら来ないで話のネタくらいにはなりそうなもんだが。
――しっかし、これからどうすっかなあ、ラプソ。
結局引退の件は師匠にもメルトにも伝えそびれ宙ぶらりんになったままだ。
いっそこのままフェードアウトしていってもいいが、そしたらまたメルト……神宮寺の奴に現実で絡まれそうだしな。でもそんなこと言ってたら止められないままずるずると続けていくのが目に見えてる。ああ、一体俺はどうすりゃいいんだ……!
こうして俺が思案に暮れていると、唐突に厳しい鉄扉が開く音が聞こえた。
午後の光がいくらか薄らぎ、あたりに夕暮れの気配が混じり始めた頃。
そこに立っていた人物を見ても俺は驚かなかった。
神宮寺月がそこにいた。
俺の姿を認めドライアイスのような目付きで見つめる神宮寺は静かに鉄扉を閉めると、出入り口を塞ぎでもするかのように扉に背中を預けて胸の前で腕組みした。
一見喧嘩腰とはほど遠くどこか悲壮めいているように見えるのは、まぁ俺の気のせいだろう。
「これ」神宮寺に近付き俺は取り出した手紙をかざす。「お前が書いたのか?」
「そうよ」
あっさり首肯する神宮寺に、俺は軽い眩暈を覚えた。
「百歩譲って脅しの件はいいにしてもハートの封なんて使うんじゃねえっ! ラブレターかと思って勘違いしちまったじゃねえか!」
「うっさいわね。それしか家になかったんだからしょうがないじゃない。……あー、だからトイレに駆け込もうとしたのか」
納得すんな。その通りだから何も言えねえけど。
「ってそんなことはどうでもいいのよ! 手紙にも記述した通り、あたしはあんたの秘密を握ってるわけ。そんな態度取ってられるのも今のうちよ」
「秘密ってなんだよ。つーか二度と合わないんじゃなかったのか? まぁ最低一年は同じクラスだから顔を合わさないってのは無理にしろ、お互い干渉さえしなければ十分に接触を避けることも可能……」と、そこまで言って俺は昨晩のことを思い出す。
そういや昨日の晩、こいつはチャットで不可解な謝罪を申し立ててきた。
それはネカフェの騒動に対しての謝罪なんだろうけど、いくらなんでも脈絡がなさすぎる。それに俺ですら昨日の蟠りが完全には解けてねえのに、こいつが触発からほんの数時間程度で矛を収められるわけがない。
「実を言うと、あんたを呼び出したのにはもう一つ理由がある。というか命令に近いかもしれないわね。あたしはあんたの秘密を握ってるから拒否権なんてないに等しいし」
拒否権がないとかどこのブラック企業だよ。無論残業手当はつくんだろうな。
「耳の穴かっぽじってよく聞くといいわ。穂積華都っ! あんたはこれから――あたしの奴隷になりなさい!」
「え、嫌だけど」
間髪を容れずに答える。
日本での奴隷制は確か平安時代までだったと記憶してるが、奴隷身分みたいなのも含めると一応江戸時代も含んでいいか。
「……即答ね」
そう口にする神宮寺はどこか楽観的だ。
「なんで俺を奴隷にしたいんだよ。まさかそういうプレイを俺にご所望なのか? ――そういうことなら、悪い少し考えさせてくれ」
「なんでそんな突拍子もない発想になんのよこの変態」
俺としては面と向かって奴隷とか言ってきた奴に突拍子もないとか言われたくないのが本音だ。あと変態言うな。
「……フン、そんな軽口叩けるのも今のうちよ。なんてったって、あたしはあんたの秘密を知ってるんだから」
秘密……そうだ。手紙にも記述してある通り、それにつられて俺はここまで来たんだ。
こいつがこれほどどや顔浮かべる理由は、きっと俺に関する超重要な秘密を知り得ている以外に考えられない。
秘密と聞いて気後れする俺を見取ってか神宮寺は嵩にかかって調子付き、
「教えてほしい? 教えてほしいのね? フフン、いいわ。特別に教えてあげましょう。あんたの秘密、それは――《ラプソディオンライン》でのネカマだと言うことよ!!」
ビシッと俺の鼻先に人差し指を突き立てる。
ここは突っ込むべきところなのか無言でいるべきなのか俺は頭を悩ませ、
「いや、別にバラしてもいいけど」
「えっ?」
あっさり否定の言葉を投げ掛けると、神宮寺は耳を疑ったと言わんばかりに困惑した表情を作った。
「なんでっ!?」
なんでって、こんなの考えるまでもないだろ。ネカマをバラしたところでお前が得するメリットが何一つないし、俺が損することもない。それ以前にその脅しはブーメランすぎだ。
そのことを言うと、何やら神宮寺は真剣に考え込み、これ以上秘密が利かないと分かってかこんなことを言い出した。
「……こうなったら決闘よ。力尽くであんたをあたしの奴隷にしてやる」
「お前ここがラプソの世界と勘違いしてねえか?」
「うっさい黙れ。やるって言ったらやるのよ。あんたに選択権はないっ」
言うが早いか、神宮寺は両手をグーにいわゆるファイティングポーズを取ると俺目掛けて走ってきた。思った以上に敏捷だ。
くそ、俺はやるつもりはないってのに……しょうがない。事態の沈静化のためだ。少しくらいなら付き合って――あっ!
「ええっ!?」
それはほとんど同じタイミング。
派手にすっ転んだ俺の足に、減速しきれなかったであろう神宮寺がものの見事に蹴躓いた。偶然できた足払い。両手を上げて思いっきりコンクリートとキスした神宮寺は、物言えぬ屍のように沈黙した。
「だ、大丈夫か?」
起き上がってから、一応は心配して神宮寺の元に駆け寄る。しかし返事はない。無視かよ。それとも本当にグロッキーってか。
「……大体そんなことバラしたところで俺には痛くも痒くもないぞ。俺はもうラプソを引退するんだからな」
俺の言葉にピクリ反応する神宮寺。うつ伏せの状態で沈黙していた神宮寺は、まるでゾンビ化した村人のようにゆっくりと起き上がると、
「ラプソを引退……? それってつまり辞めるってこと?」
「まぁそうなるな」
あっさり返すと、神宮寺の顔が次第に青ざめていく。顔面蒼白になる神宮寺なんて生まれて初めて見た。俺そこまで気に触るようなこと言ったか?
「――あたしのせい? あたしのせいであんたは……」
「いやまぁ正確にはリア充になるための、」
「どうしてあたしの行動は毎回裏目に出るのよっ!!!」
いきなり金切り声を上げる神宮寺に思わず面食らった。えっなに。急にどうした?
おもむろに神宮寺が立ち上がると、
「…………やる」
「え? なんだって?」
「――死んでやるって言ったのよ!」
突如そのように叫ぶと、神宮寺はフェンスに向かって走り出した。
一瞬すぎる出来事に、口を半開きにしてアホ面を貼り付けた俺はもはや思考停止の域。……だったのも束の間、不意に意識が戻ってくる。
バッと神宮寺を見ると、既にフェンスに手を掛けよじ登ろうとしていた。おいおいおいおい一体何の冗談だよ? その向こう側には足場なんてないし、ギャグにしたって笑えないぜ? ほんと……何がしたいんだよお前は!
気が付くと、身体が勝手に動いていた。
コンクリートを蹴飛ばし一瞬にして神宮寺の元までつくと、フェンスに登る神宮寺の細身に腕を回して引っ張った。この際世間体なんか気にしねえ。非常事態だ。
「きゃっ。は、離しなさいよ。このバカ! 変態!」
「目の前で一生もんのトラウマを植え付けようとする奴のことをそのままほっとけるか! そうでなくとも、俺は死のうとしてる奴を黙って見過ごすほど薄情な人間じゃねえっ!」
「……っ! し、死ぬの。あたしは今から死ぬのよ。もう生きてくのが辛いのよ!!」
「お前を追い詰めてるものの正体が何なのかは知らねえけど、だからって死んでいいもんでもないだろ! 早まった真似はよせ!」
「い、いやだ!」
「止めろ!」
「やだ!」
「止め、あっ」
「ああっ」
互いに感情をぶつけ合っていたのとほぼ同じタイミングで、俺が神宮寺の身体を引っ張り、反対に神宮寺がフェンスをギュッと掴んでいた正にその時、見た目よりも老朽化していたのかフェンスが黒板を爪でひっかいたような不快な音を上げ、思いっきり俺達側に縦に裂けた。
マジかよ!? 管理不行き届きにもほどがあんだろ!?!?
引っ張っていたから普通背中からコンクリートに叩き付けられるもんだと思って俺が身構えた瞬間、突如物凄い突風が俺達の背後から強襲した! 外部との気圧差による突風が吹いたらこんな感じだと思う。なんて悠長に考えてる場合ではなく、つまり――――俺達は屋上からものの見事に放り出された。
「う、うわああああああああああああああああ」
「きゃああああああああああああああああああ」
背中から宙に投げ出され自由落下の極みを味わう。し、死ぬ! 死んじまう! マジで洒落になんねえぞこれ!?
未だ神宮寺の腰辺りに腕を回していた俺は無意識のうちに神宮寺のスカートに手を掛けていたらしい。吹っ飛んだ衝撃だろうか。ピンポイントでスカートが腰からずり下がり、スカートと俺が神宮寺の腰から同時に離れた。
これにより今俺が手にしてるのは神宮寺のスカートだ。
漫画に出てくる忍者みたいにムササビ! とか言って自由に空を飛べるはずもなく、きっとこのまま地面に落ちた日にはニュース一面に『男子生徒立ち入り禁止の屋上から落下! なんと手にしていたのは女子生徒のスカート!?』なんて見出しで書かれちまうのかよ!?
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
必死も必死、私情を挟みつつ俺はただがむしゃらに利き手とは逆の左手を伸ばし、鉄棒を掴む体操選手よろしく校舎の側面に折り曲がったフェンスの網目に手を掛けた。次いで右手も続く。さながらスタントマンのようだ。
スカートは……時既に手遅れだ。当に俺の手から離れ――ってスカートなんか今はどうでもいいだろ! あいつは、神宮寺は大丈夫なのか!?
「はぁ、はぁ……」
か細い息遣いが聞こえた先、俺の斜めちょい下には神宮寺が息も絶え絶えといった様子でフェンスの網目に掴まっていた。よかった。生きててくれたか。
「うっ、うううっ」
息が整ったと思いきや、今度は呻き声のようなものを漏らし始めた。
「おい大丈夫か!? どこか怪我でもしたのか!?」
俺の声に反応したのか、神宮寺は完全に血の気の引いた顔を上げ、
「し」
「し?」
「死ぬかと思ったあ……」
――なんて、この場には全くそぐわない間の抜けた声を上げた。
本物の恐怖を感じた時のように口を震わせ、目には涙を溜めている。
「あ、ああ。そうだな。俺も死ぬかと思った、ぞ」
こんな時だってのに、神宮寺に見惚れちまってる俺がいる。
こいつってこんなに可愛かったか? これが噂に聞く吊り橋効果というやつなんだろうか。
「……だけど、安心するのはまだ早いぞ。俺らが揉みくちゃしただけで裂けたくらいだ。
こんな老朽化したとこにずっと掴まってたらいつフェンスが裂けるか分かったもんじゃない。だから早いとこ上に登って、」
フェンスの上部分に指を掛けた瞬間、まるで老朽化を物語るようにフェンスはぎしぎしと耳障りな音をたて、かなりの振動を残しながらやがて揺れは収まった。
「……な? ざっとこんな具合に」
実演したつもりはないのに何だか物凄く揺れてなかったか? 神宮寺に至ってはこくこくと首を振ってるしってうぉぉい! そういうのも地味に振動に繋がるから止めろって!
くっ、だが本当に危険なこの状況、一体どう打開すりゃいい。
今俺がいる場所はグラウンドとは真逆の木々が広がる校舎裏だ。
人通りもなければ今は放課後。授業が終わってからそれなりに時間も経過し人が歩いてるわけもない。部活動に勤しむ運動系がグラウンドや体育館に密集しているのを除けば、文化系は事前に与えられた教室。あとは教師が数名居残ってるだけで他の生徒はとっくに下校してしまっていることだろう。助けを呼ぶのは無理にひと……いや、ある。助けを呼ぶ唯一の方法が、俺にはまだ残されてる!!
細心の注意を払いながらフェンスから左手を離し、ゆっくりと右ポケットに手を入れる。持っててよかったスマートフォン。これで悠間辺りにでも連絡すれあっ。
うっかり、なんて言葉で片付けるのはおこがましいほどあっさり、俺の手から離れたスマートフォンは遥か下の地面へと吸い込まれていった。落ちていくスマホを半ば呆然といった面持ちで見送る。
「……………………」
やべ、ゲロりそう。
俺は可愛くアヒル口を作りながら視線を神宮寺へと向けた。
「うう、華都ぉ……」
目が合い、俺の愚行を目の当たりにした神宮寺が話し掛けてきた。なぜか名前呼びだった。
な、なんだ神宮寺。俺の命のかかった凡ミスを叱責するつもりか? まぁ確かに否定もできないし事実その通りだから俺はそれを真摯に受け止める気で、
「指が痛い……もう限界……」
「あ、ああ指……って指!?」
言われてみれば随分ときつくなってきたが、俺にはまだ僅かながらのゆとりがある。しかし手を回した時にも感じたが、こんな細い身体をした奴にそこまでの握力があるわけもなく、現に限界だと俺に訴えかけている。となれば長期戦に持ち込むのは体力的にも土台無理な話で、こうなったら一か八か登るべき……だよな。ここで男を見せずいつ見せるってんだ! 無論下ネタなんかじゃないぞ。
「神宮寺っ! 俺の身体に掴まれっ! 掴める場所ならどこでもいい! 早くっ!」
「えっ、あっ。わ、分かったわ」
言うが早いか、神宮寺は俺の――ズ、ズボン? そんなとこに掴まって本当に大丈夫か?
さっきの前例も……いや、考えてる暇はないな。神宮寺自体軽いのかそこまで重荷には感じないし、フェンスが裂けたら元も子もない。有限実行してやろうじゃねえか!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
落下時とは真逆の力強い咆哮。
これがアドレナリン分泌による効果か、はたまた土壇場からくる火事場の糞力が発動したのか定かではないが、俺は右手を勢いよく突き上げ掴んだ。生き残るための道を、そのフェンスを。
「もういっちょおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
ギシギシと揺れるフェンスには目も暮れず、今度は左手を真上に突き上げ、ガッと掴んだのは屋上のコンクリート。よし、何とか助かっ――
ビリビリッ。
突如何かが破れたような音。それはフェンスが裂けた音とはまた違ったナニか。
つい気なって下を見ると、神宮寺が、俺のズボンが、少しずつずり下がっていた。
このデジャヴを感じさせる展開を見て、俺は咄嗟に左手を神宮寺に突き出し叫んだ。
「俺の手に掴まれっ、神宮寺っ!」
俺の思いが無事届いたのか神宮寺はズボンから手を離すと、素直に俺の手を握った。
その瞬間、俺のズボンは呆気なく風にさらわれ――かろうじてトランクスだけは死守できたが――俺は最後の力を振り絞り上まで登りきることができた。無論神宮寺も。
「はあっ、はあっ」
汗をびっしょりとかいたまま、大の字になってコンクリートに寝転ぶ。過呼吸と勘違いされてもおかしくない速度で息をし、必死に地面の感触を確かめる。
「た、助かった……」
息も絶え絶え死ぬ寸前。
いや正確には生還した今でも十分死ねそうだ。
ひとまず俺は、隣で女の子座りする神宮寺に視線を投げ掛けた。
スカートを失いパンツが丸見えになった状態で(俺はズボンがないっていうね)、神宮寺はまるっきり放心状態になっていた。
……かと思いきや。
「――――うっく、ひっく。うわぁああぁあん!!」
神宮寺は生まれたての赤ん坊のように顔をくしゃくしゃに変え、泣いた。
一生分の涙をここで流しきるんじゃないかと思うくらいの勢いで大粒の涙を零し続け、神宮寺は俺の傍らで慟哭していた。
その光景をただじっと、俺は全てを把握しきれぬままに傍観していたのだった。
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