第二章『ネカマ×ネナベ』③
寝落ちしてしまった。
カーテンを開け朝の燦然とした陽の光に目を眇めてから、俺は昨日から点けっ放しのディスプレイに目を遣ると、画面中央には俺の分身であるカノンが地面に横たわり、その上にはポップ体で踊る【Dead】の文字。
狩りの最中に寝落ちなんて一年振りくらいだ。全く情けねえ。
俺は手元のマウスを手繰ると、近隣の街に復活してからそのままログアウトをしパソコンを切った。
それからあくびを噛み殺しつつ学校へ行く準備をし――ってもう八時過ぎかよ。このままじゃ遅刻路線だな。いやいっそ遅刻してもいいか別に。
なんつうかなあ。やる気が出ねえっつうかなあ。
昨日色々なことがありすぎた。いや昨日だけじゃねえ。昨日含めたここ一週間中々に熾烈を極めたぞ。これじゃあリア充を目指すどころの話じゃないな。くだんのラプソ引退も一旦保留だ。
俺は自室を出て奥の寝室をそっと窺う。
母さんは……寝てるか。ならそっとしておこう。起きたらまた酔っ払いよろしく絡んでくるだろうし、それはそれでめんどくさい。
俺は家を出る。自転車はパンクしたから捨て置くしかないな。一週間振りの徒歩通学だ。亀の歩くような速度でゆっくり歩く。神宮寺にパンク代請求したら払ってくんねえかな。したらしたで十中八九セクハラした慰謝料を請求されかねないが。端から負ける試合はしない主義だからここは泣き寝入り決め込むしかなさそうだ。これが好きな女のためってなったらたまの男気見せるかもなあ俺も。
そりゃあ触った俺も悪かったけど、あんなに目くじら立てる必要ないよな。減るもんでもあるまいしそもそも不可抗力なんだから。
そんな詮無いことを考えていたせいか、物凄い速度で曲がり角から飛び出してきた人物の存在に気付くのにワンテンポほど反応が遅れた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
ぶつかってから悲鳴を上げる。そして一瞬のことだが、俺には分かる。
――この香りと柔らかさは間違いなく女の子だ!!
その証拠に俺はノーダメージだ。倒れてすらない。
俺は痛むフリをしながら、尻餅をついて倒れた女の子を見る。
女の子はうちの制服を着ていた。それに物凄く可愛い。って、この子確か同じクラスの……
……オーマイガッ! 俺としたことが名前が出てこないぞ!? そういやそん時は俺には高嶺の花だからって逆に意識してなかった気がする。
漫画によくあるベタにパンをくわえた女の子と鉢合わせとは相成らなかったが、代わりにパンツが見えていた。
そして俺の想像していた通り見た目に違わず清楚な白パン。まるで心が澄んでいくよう――元々真っ白に澄み切ってるがな――だが、俺の身体は正直なようだ。俺は自己主張激しい息子を気合で抑え込み、前屈み気味に立ち上がり空いた方の手を女の子に差し出す。
「だ、大丈夫か?」
ついどもりながら言ってしまうあたり童貞丸出しの俺。女子相手だとやっぱり駄目だ。まともに視線が合わせられねえ。こんなんじゃリア充の道は険しそうだな。
「あいたた……ありがとう穂積くん」
「え?」
驚く俺をよそに、短い謝辞を告げ俺の手を取り少女が立ち上がる。
それから俺がよほど不思議そうな表情を浮かべていたのを見取ってか少女が、
「あれ? 名前違ったかな? 穂積華都くんだよね。一緒のクラスの」
「あ、ああ。そうだけど。どうして俺の名前知ってるのかちょいと疑問に思ってさ」
「ああ、そっか、そうだよね。驚くほど簡単なことだよ。クラス名簿を見て覚えたんだ。わたし、人の顔と名前覚えるのは得意な方だから」
そう言って満面の笑みを浮かべる少女。そこでようやく俺は少女を直視した。
雰囲気的にはハイビスカスのような笑顔を振り撒く少女。
整った目鼻立ちに、淡くも質量有りげなロングヘア。第一印象は大人しそうな、しかし彼女の態度を見てると活発そうに見えなくもない。
丸みを帯びた女性らしい身体付きに加え、モデルに負けず劣らずの美しい脚線美。特に注目すべきなのはなんといっても発育、発達、その域を当に超え限界など知らんと言わんばかりに自己主張するいわゆる巨乳にあると言えた。俺の目はもうそこに釘付けで……って、またセクハラで告訴でもされたらどうする。いい加減学習しろよな、俺。
「全然簡単じゃないだろそれ。単にお前の記憶力が凄いだけだと思うぞ」
俺なんて悠間の名前くらいしかまともに覚えてないしな。それはそれで両極端すぎるか。ん、待てよ? この時点で既にリア充になる努力を相当怠ってると言えるんじゃ……まぁいいか。
「……ぶつかって悪かったな。少し考え事しててさ」
「ううん。急ぐあまり周囲に気を配ってなかったわたしに落ち度があるから穂積くんは何も悪くないよ。――ハッ」と文字通りハッとする少女。いきなりどうした?
「穂積くんっ! こんなところで悠長にお喋りしてる場合じゃないよ! 急いで学校に行かなきゃ遅刻しちゃう!」
「え? いや俺は……」
「ほらっ、早く行こっ」
今度は向こうから手を握られる。きめ細やかな肌。風でさらさらの髪がなびく。
小さな手に引かれ俺も一緒に走り出す。まるで牽引だな。とても断れる雰囲気じゃなさそうだ。おとなしくついて行くことにする。
「悪い。今更なんだが、名前教えてくれるか?」
数瞬の間。
走る少女が顔だけをこちらに向け、俺に微笑みかける。
「濃野だよっ。濃野椛」
四階の教室に配備されたことを今ほど恨んだことはない。
予鈴が鳴るのと同時に、駆け込み乗車よろしく教室に飛び込んだ俺と濃野は二人仲良く肩で息をしていた。
「間に合ったー」
濃野が万歳のポーズをとって喜色満面の笑みを浮かべる。
と同時にただでさえでかい胸の膨らみが強調され俺の目のやり場に困る。なんてことはなく、俺の目は正確に濃野の胸をとらえていた。疲れて肩を上げ下げし、それに伴い胸が揺れ動くもんだから壮麗でもあり壮観だ。賽銭を奉納しながら子一時間拝んでたいが、周りの目もあることだしと自重はしないで上を向く。学習能力皆無の俺である。
「やったね穂積君!」
上機嫌な濃野が頭の高さに手を上げる。……何してんの? あ、ひょっとして。
濃野に倣い同じように手を上げると、いえーいと濃野が俺の手のひらを平手打ちした。いわゆるハイタッチ。ハイタッチなんて生まれて初めてした。多少大げさな感は否めないが、彼女なりの誇大表現なんだろう。志をともにし同じ物事を成し遂げたとしてある種の連帯感が芽生えたのかもな。
「先生来ちゃうかもだからそろそろ席に着こっか。まったね~~」
「おう」
手を上げ返し自席を目指すと、四方八方から刺さる視線。何だかいやに注目を浴びてるような。滑り込みで来たからか? にしては穏やかじゃない気がするんだが。
いい加減キリがないなと他人の視線など気にしない方向にシフトし席に着くが、この僅かな間に二点ほど気付くことがあった。
まず一つ目に、教室に悠間がいないのは想像に難くないが、あろうことか神宮寺が教室にいた。椅子に腰掛け、腕を枕代わりに顔を伏せている。友達いない子がよくやるやつ。……ん?! オイ待て、これ俺もよくやるぞ!?!
特大ブーメランに自爆し胸を抉りつつ、神宮寺への不信感は未だ払拭できない。
昨日ラプソで謝ったのだって俺を油断させるための狡猾な罠かもしれないしな。そしてあれだけ憤慨していた神宮寺がこのまま何もせず終わるとは到底思えない。
これは蛇足だが、この後すぐに担任宍戸がやって来て、その五分後くらいにやって来た悠間が「間に合ったー」「アウトだよ」と出席簿で頭を叩かれていたのには笑った。
♀ × ♂
一限目の終わった休み時間。
俺がトイレに行こうと席を立つと例によって悠間が話し掛けてきた。暇なんだろうね。俺もだよ。
「いやー参ったよ。朝からレヴィアタンが沸くもんだから思いの外時間掛かったね」
「レヴィアタンって三日前に実装されたA級BOSSだろ? 実際にやってみて強かったか?」
「う~~ん、強いか強くないかで言えば前者かな。というよりもウザい。混乱と衰退の二連コンボが嫌んなるくらい鬱陶しくてさ。二パーティー構成で一時間掛かってんだから笑えないって。なんかハメバグの報告もあがってるし近々メンテも来るかもね、ってこれから引退しようとしてんのにそんなこと訊いてどうすんのさ。そんなことより、結局メルトには話したの?」
「話すには話したが……」
俺は神宮寺の席を見る。
お花でも摘みに行ってるのかそこに神宮寺の姿はない。俺も行きたい。あ、女子トイレに行きたいんじゃないぞ。男子トイレにって意味だ。
「ほーづーみーくんっ」
いきなり顔を覗き込まれる。
天使……じゃなくて濃野だ。思わず面食らう。
「あっ、ごめんねいきなり」
「い、いや大丈夫だ。それより急にどうした?」
「あ、うん。そういえばお礼言うの忘れてたと思って。――今朝はありがとね、一緒に走ってくれて。お陰で遅刻しないで済んだよ」
わざわざそんなことを言いにきたのか。これまた随分と律儀な奴だ。
「それならお互い様だろ。俺も助かったよ。ありがとな」
謝辞を告げるといきなり悠間に肩を掴まれ後ろへと連行される。なんだなんだ。
「オイオイ、どーして華都が濃野とこんなにも仲睦まじく話してるんだい?」
「そりゃ仲良くなったからだろ」
「えらく普通の返しをしてくるじゃないの。濃野っていうとクラスの枠に収まらず学年一美少女として学校中に名を轟かせてんだよ。加えて三年振りの特待生ってことでさらに一目置かれてる存在なんだ」
なるほど、特待生か。それならクラス全員の顔と名前を覚えていたというのも頷ける。よほど頭がいいに違いない。
それに美少女で人気者。てことはあの視線は嫉妬だったわけか。言われてみれば妬ましさを孕んでいたような。確かに俺が逆の立場であれば嫉妬の炎に身を焦がしそうだ。
「まぁ僕にはミレ――」
「お話中のとこごめんねー。穂積くんの机の下にこんなものが落ちてたよ?」
悠間の言葉を遮り、はいこれ、と濃野から手渡される。白い長方形の手紙だ。ひっくり返すとハートで封がされていた。その右下には「穂積華都様へ」の文字。
――――秒速理解する。
こいつはリア充にしか貰えないという伝説のラブレターだっ!!
俺は今まで出したことのないようなイケボで「トイレ……行ってくるぜ」と口にし、手紙を懐にしまい本当にトイレに向かう。ラブレター効果で俺の膀胱ももう少しもってくれそうだ。
廊下を一直線に抜けた先、プレートにトイレマークを認め安堵すると、女子トイレから出てくる神宮寺と鉢合わせした。
一瞬だけ視線を交え、神宮寺が嫌な奴に会ったと言わんばかりに露骨に視線を逸らし、無言のまま横を通り過ぎていく。
遠ざかる神宮寺の後ろ姿を見ながら、まぁいいやとトイレの個室に駆け込み期待に胸を膨らませながら封を切ると、綺麗に二つ折りされた紙が入っていた。
俺が高鳴る胸の鼓動を抑えつつ紙を開くと、いかにも女の子っぽい丸文字が視界に飛び込んできた。これはますます期待が持てそうだ。嬉々(きき)として俺が文面に目を通すと、そこにはこのように書かれていた。
『穂積華都様へ 私はあなたの秘密を知っています。それを全校生徒にバラされたくなければ、放課後、屋上まで来てください。 あなたの秘密を知る者より』
……わっついずでぃーす?
なにこれ、脅迫文? 今までに一度も貰ったことないから分かんねえけど。
え、てことはなんだ。ラブレターじゃないのか。人生初のラブレターに心躍ったってのに。ひょっとして濃野が拾ったって嘘吐いて俺に渡してきたんじゃないかって一瞬でも夢見たってのに……っ!
ふざけやがって! まんまと騙されたぜ!!
わざわざラブレター仕様に仕立ててあるのにも悪意を感じる。送り主は相当性格悪いに違いない。
くそ……まぁいい。
とにかくこの手紙に書いてある秘密ってなんだ。誰にも話したことのない俺の秘密といえば、ラプソの合間に深夜アニメをちょこちょこっと見る隠れオタクだということくらいしか思い浮かばないが。いやマジで悠間くらいしか接点がないから心当たりすらねえんだけど。悲しいことに。
そんなことを考えながら俺は先ほどすれ違った神宮寺のことを思い出す。
――まさか、な。
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