第二章『ネカマ×ネナベ』②
とても春とは思えない身も凍るような北風が吹き荒れる中、物言わぬ自転車を押して勾配の急な坂をいくつも乗り越え、やっとのことで自宅に辿り着いた俺は珍しく起床していた母さんに「ネタが出ないよ~」と絡まれながらもそれを無理矢理引っぺがし(酔っぱらいかよ)、急いで自室まで向かうと真っ先にラプソを起動した。
そして友チャで挨拶する前にチャットログに目を通す。もしかしたら何かの手違いで、神宮寺が友リスから消さず挨拶をしてくれているかもしれない。
しかしそんな生ぬるい思考がよもや神宮寺に通じるはずもなく、ログにメルトの名前はなかった。希望的観測。
……ま、当然と言や当然だよな。
自転車がパンクし長い道のりをせっせと押してきたせいでかなりの時間を要したんだ。神宮寺がどこに住んでるのか知らねえけど、流石に先に帰っただろうよ。つまりは先にログインして、友達リストから俺を除名したってこった。
神宮寺月……だったよな。現実世界でのあいつは無理無体で、横紙破りで、とにかく生意気な奴だったけど、《ラプソディ・オンライン》でのメルトは、本当にいい奴だった。
今でも同一人物とは思えない神宮寺とメルト。だが実際は二人で一人。万が一神宮寺と教室で鉢合わせた際には、その、なんだ。適当にはにかんでやりゃいいか。
メルト、三年半もの間、本当にありがとう。晴れて俺はラプソを引退するけど、お前も忘れないでほしい。この世界にカノンがいたことを。三年半もの思い出を。
それからこれは帰りながら考えていたことだが、俺は今日中にラプソを引退する。
友達のみならず大々的に、ワールド全体に発言を響かせる《スピーカー》を使ってな。
だがその前に、本日のOFF会での出来事を師匠に伝えておいた方がいいよな。結果として残念なものになっちまったけど、それでも師匠ならきっと理解し、受け入れてくれることだろう。
師匠がログインしているかの確認のため俺が友達リストを開くと、……? あれ? っかしいな。
見間違いかと思い目をごしごしと擦って見るも、やはり変化はない。
なぜって、ログイン側一覧には未だに【メルト】の名前が表示されていたからだ。
株式会社リアルよ。ひょっとしてアレか? バグか? バグなのか?? そんな奇妙奇天烈なサプライズ、俺は求めてないんだが。それとも別の線でいくと、ただ単に神宮寺が消し忘れてるだけとか……いや待て、こうしてログインまでしてるわけだし流石にそれはないか。つまり本人は消したつもりなのに実は消すのに失敗していたと考えるのが妥当―――
『こんばんは』
「ファッ!?」
あまりに唐突すぎる囁きに、俺は意表を突かれて仰け反った。危うく椅子から転げ落ちそうになる。
なんで、なんでメルトから囁きが入るんだ? おかしいだろおいッ!
『急に話し掛けられて驚いてると思うけど、いるなら返事をしてほしいかな』まるで近い位置から俺を見てるようなことを言って『今日のことでどうしても伝えなくちゃいけないことがあるんだ』
伝えなくちゃいけないことだぁ? んなことよりも、お前なんかキャラ変わってねえか?
今までと比較してみても話し方が一変してまるで別人のようなこの態度。いやもしかしたら俺の見立て通り本当に別のやつが操作してんじゃないのかこれ。
『……なんだよ』
あくまで態度はすげなく、そっけなく。
『うん。あのね……今日はごめんなさい! あんな態度取っちゃって。あたし、穂積君にどうしても謝りたくって』
「……っ」
――正しくそれはメルトのような、とてもとても真摯な謝罪。
まさか神宮寺がこんなにも素直に謝ってくるなんて思いもよらなかった。
『あんなに言って、ごめん。自転車蹴っちゃって、ごめん。許してほしいとまでは言わないけど、友達リストからは消さないでこのままにしておいてほしいな』
『そ、それはどういうs9んnk当の変kwだ』
「あ、やべ。ミスった……」
あまりにてんぱりすぎてたせいで、打ち込んだ文字をろくに確認もしないままエンターキーを押してしまった。本当は『そ、それはどういう心境の変化だ』と打ち込んだつもりなのに。
穴があったら入れたいっ。じゃなくて入りたいっ。
『……あの時は冷静さを事欠いていたから、我を忘れて、暴言を吐いたり足を出したりしちゃったけど、もう大丈夫だから』
あ、スルーしてくれた。
心の中で感謝しつつ、俺は神宮寺に訊いた。
『こんなこと訊くのは野暮ったいかもしれないけど、お前は本当に神宮寺なのか?』
『そうだよ』
特に間が空くことなく手早いタイピング。肯定。それから続けざまに、
『今日は疲れちゃったから、もう落ちるね。それから何度も言うようだけど、本当にごめんなさい。……それじゃ、また』
『お、おい! ちょっと待てよ! 俺にはまだ訊きたいことが』
とそこでエンターを押すも、ログには【”メルト”様がログアウトしました】の表示が出るだけ。つまりはもう落ちたってこった。
「……あー! わっかんねえ!」
考えれば考えるほど底なし沼に引きずり込まれる気分を味わい最終的には思考を放棄。髪をくしゃくしゃと掻き乱し、今後どうすればいいのか頭を悩ますことすらままならない俺だった。
誤字脱字、感想等あればどうぞ。
次回一週間以内に投稿予定。