第五章『姉×妹』④
セリヌンティウスを想うメロスのような気分で街中を疾走した俺は、月と合流し南條稲荷神社まで来ていた。
鳥居を潜り、お互い何を言うでもなく石段を登る。
頂上に差し掛かった時、ピタッと月の足が止まる。つられて俺も。
月の鹿爪らしい顔付きは健在だ。やっぱ緊張でもしてんのか。
「大丈夫か?」
懸念点から投げ掛けた言葉に月は大丈夫と口にし、ばつが悪そうにはにかんでみせた。
「……ごめん、嘘吐いた。全然大丈夫なんかじゃないわ。もう心臓バクバクよ」
「知ってるか? 左手の薬指を揉むと緊張が解けるらしいぞ」
「なにそれ?」
「昔なんかのテレビで観た」
「ふーん……」
俺の言葉を鵜呑みにしすぐに実践する月だが、確か一時間くらいやらないと効果出ねえぞ、それ。
まぁ病は気からの逆パターンで案外緊張がほぐれるかもな。要は気の持ちようだし。
「そういやパスワード聞いた時、動揺した風だったが、あれどうしたんだ?」
左薬指を握り続ける月は思案投げ首の体で、しかし話すことに決めたようだ。つっと俺に白い顔を向ける。
「0725、七月二十五日。……誕生日よ、あたしの」
「誕生日ってことは、まさか狙ってこの番号にしたのか先輩は」
「分からない。分かんないけど、偶然この番号になるとは考えにくいから故意にやったんでしょうねきっと」
再度月が歩き出し、俺もそのあとに続き頂上に辿り着く。風がうすら寒い。花冷えの夜だ。俺の春はどこいった。
「あそこ」
月の視線の先、月明かりに照らされ長い影を落とす神藤先輩の姿があった。黒を基調とした私服姿。そのモデル顔負けのスタイルも手伝って実によく似合っている。この人なら何を着ても似合いそうだ。境内独特の空気と先輩の掴みどころのない霊妙さも相俟って幻想的だ。まるで一幅の絵のよう。
「……来たか」
夜風が吹き木々をざわめかせる中、真摯なまでの顔付きで先輩が迎える。
無言でいる俺達にそう斜に構えるなと首をすくめて笑う。その動作こそ気を許した証と受け取っていいのか? 月を一瞥するとひどく神妙な面持ちが先輩を捉えていた。葛藤はまだ解けない、か。
「……さて、何から話したものかな」
組んでいた腕を下ろし風で乱れた髪を撫で付ける先輩は、
「四年前のあの日、私が君をにべなく突っぱねたのは覚えているか?」
「……覚えてるわ、そのくらい……」
傍目に、覚えてないわけないじゃないと言ってるように俺の目には映った。
「そもそもの発端は両親の離婚が決まった時からだ。私はお前をすげなくあしらい、そして父親に引き取られるよう教え諭した」
「あたしは両親が離婚するのがどうしても嫌だったから、その場でみっともなく喚き散らして泣き付いたりもしたわ。それはもう無我夢中に。けど、何の意味もなかった。あたしの懇願虚しく離婚は確固たるものだったし、あんたからは父さんの元に残れって言われるし」
「そうだな。そんなことも言った。では訊くが、どうして私は父親の元に残れと言ったと思う? その言葉の意味を正しく理解していなければ、これ以上私は話を続ける気はない」
「え……」
自信なげに月が口ごもる。
「それは……今あたしが話した通り、泣き言ばかり言う私に愛想を尽かしたからじゃ……」
「……」
先輩は口を真一文字に結び、あとに続く言葉を紡ごうとはしない。
これが先輩の望む答えじゃないのは俺にも分かる。月だって深く考えれば分かりそうなもんだが、こりゃ完全にテンパっちまってるな。
「えっと……その……」
ああもう、見てらんねえ。
「先輩」
「なんだ?」
「別に俺が横槍を入れてもいいですよね?」
「構わんよ」
先輩は二つ返事だ。
まるで俺が助け舟を出すのを予見していたような物知り顔だな。先輩の場合、今に限ったことじゃないが。
「これはあくまで俺の想像ですが、先輩は月にどうしても父親の方について行ってほしかったんじゃないですか? 理由は精神的な幸せよりも経済的な幸せを与えたかったから」
俺の言葉に思い当たる節でもあるのか月がハッと息を呑む。
俺は続ける。
「月の未来志向を鑑みた結果、先輩は自分が嫌われる覚悟の上で己が意見を押し通した。演じてたんだ。獅子は我が子を千尋の谷に落とすということわざがあります。この場合、獅子が先輩で、子が月だ」
「確かにお母さんは専業主婦だから昔から働いてないし、経済面を考慮するなら父親に引き取られるのが一番いいんだろうけど……」
でも、と月が独りごつ。まだ分からないことがある、と。
「留年は? 玲霞が留年したのにはどういう意味があるの? あたしと違って完璧な玲霞がそんなヘマをするとは到底思えない。わざとじゃなきゃありえない」
「多分それも似たような理由で、お前のことが心配だったからじゃないかな。そしてそれが本心であると月に気取られないがためにわざと突き放すような真似をした」
むしろそうでなきゃ、それこそ俺の中で辻褄が合わない。
先輩が会話に夢中になってる生徒の注目を引くようにパンと手を打つ。
「流石は華都君だ。観察眼が尋常じゃない。やはり君には探偵の素質がある」
それは背後からワッと驚かせてきた時のようなまるでおどけた口調。殊勝な顔付き。
「……先輩がどうしてラプソをやっていたのか、なぜ最初から俺と月がラプソをプレイしキャラクター名まで把握していたのか、その理由を教えてください」
「何も難しく考える必要はない。それこそ灯台もと暗しなのだからな。初めに月がネトゲをやっているのは祖母と父親を通じて知り得ていたし、名前は父親の協力を仰いだ。次いで華都君だが、これは偶然だ。君がネットカフェ『マテリアル』を利用した際、たまさか私もそこに居合わせたのだ。記憶を辿るに、ネカフェ限定のイベントが開かれていた時だったか。君が個室ブースを離れた時、不用心にも戸が半開きになっていたのを見取ってな。老婆心ながら引き戸を引こうとしたところラプソの画面が視界に入り君を特定するに至ったわけだ」
呆気に取られる俺をよそに、面白い話をしようと先輩は続けて、
「華都君の後ろの個室に間違いようもない月の姿があった。つまりその日、ラプソのイベントが開かれていたとはいえ偶然同じ時間、同じ場所に全員居合わせたことになる。同じ穴の狢だな。中々に笑える話だろう」
マジかよ。俺達はそんな前から会って……はないか。にしてもすごい偶然だな。
「そしてラプソを始めた理由は、……あー。月を、だな。その……」
なんだ? 今までの先輩からしてみれば有り得ないほど煮え切らない。急にかよわき乙女になったかのようだ。
「まさか月を心配して、今の今まで三年半もの間、プレイし続けていたんですか?」
「…………」
図星だとでも言わんばかりに先輩が両瞼を閉じる。気まずい沈黙が落ちる。
その間、俺は脳内で言葉を組み立てていた。先輩を言い包めるための言葉を。
「先輩が秋ぇるというキャラ名にしたのも、心のどこかで本当は気付いてほしかったからじゃないですか? もし知られたくなければこんな名前付けないし、ヒントを与えるような真似もしない。だから俺はこれが先輩からのメッセージなんじゃないかって思います」
「私の気まぐれかもしれないだろう? 適当に名前を付けた。そういうこともある」
「俺はそうは思いません。今までの先輩の行動を思い返してみても、神藤先輩のやることには必ず理由がある」
「君は私を買い被りすぎだ。……と言いたいところだが、ここまで露見してしまってはもはや隠す必要もあるまい」
視線を落とし、これまた自嘲に満ちた笑みを口元に浮かべる。
「君の言う通りだ。私は私自身の考えに基づき行動している。留年然り父親の件然り、それは今回に限っても例外ではない」
先輩がぷっくりとした桜色の唇の開け、紡ぎ出す。
「両親の離婚に関しては正直遺憾の意しかない。離別を避けるべく最後まで私なりに動いてもみたが力及ばず離婚を余儀なくされてしまった。だからせめて月だけでもと経済面において豊かな父親と住まわせるよう説得したのだ。私は不倫の影響でノイローゼ気味になった母親に付き添う必要もあったからな。留年をしたのは、君の言う通り月のことが心配で高校でも見届けたかったというのが本心だ。ラプソを始めたのも同じ理由と受け取ってくれていい。今までまともに取り合おうとしなかったのは真実を悟られたくなかったからだ。良くも悪くも君に勘付かれてしまったがな」
――これまでのことを一息に語る先輩。
大体は俺の言ったことと一致するが、そんなのは二の次だ。これを先輩の口から話してくれたことに意味がある。
今回は月のことを思うがために先輩がいきすぎた行動を取ってしまったのが原因だ。自分が悪人となることで真実を悟られまいとした。しかしその行動の結果、悲しいすれ違いが起きた。月が追い掛け、先輩が突き放す。延々とこれの繰り返しだ。
先輩は月が自殺しかけるほど精神的に追い込まれてることを知らないんだろうな……。
「今回のことで君達には多大な迷惑を掛けた。すまなかったな。特に月は私を恨んでいることだろう。秘密を明かさず一方的に私の考えを押し付けてしまったからな。だがそれも致し方あるまい。不肖の私を許してほしい」
そう言うと先輩はすっと俺達の横を通り過ぎていく。
確かに話は終わったが本当にこれでいいのか? これが月の、俺達の望む結末なのか?
俺が呼び止めるべきかあぐねていた時、唐突に月が叫んだ。
「待って!」
足に根が生えたように先輩が立ち止まった。
俺達に背を向けたまま、月の言葉を待っている。
「恨んでなんかない。恨んでなんかないわ。あたしこそ、話を聞いてようやく気付けた。玲霞は、お姉ちゃんはあたしのために悪人を演じてただけなんだって。冷静になってじっくりと考えれば何かしら気付けてたかもしれないのに、思考停止してそれを怠ってたのは……あたしだ」
ここにきて月が抑え込んでいたであろう感情を露にする。
下唇を噛み締め、目に涙を溜めた月はスカートのすそを掴み小刻みに震えていた。
「……神藤先輩。一つだけ俺に教えてください」
先輩が俺を見る。その瞳には期待と不安がないまぜになった感情が含まれていた。
俺はこのことを先輩に訊かなきゃ一生後悔する気がする。いや、気がするんじゃない。
今ここで訊かなきゃ一生後悔するとと言っていい!
「先輩はあいつが、月のことが嫌いですか?」
「――嫌いなわけないだろう!!」
間髪を容れずに叫ぶ。
「月のことを嫌い? この私が? そんなわけあるか。血の繋がった大事な妹なんだぞ。かけがえのない唯一無二の存在だ。そんな月のことを嫌いであるはずがないだろう……っ!」
感情を押し殺すことのない先輩の本音、その全て。
本懐を遂げるとは正にこのことを言うのだろう。事実俺までグッときた。
「……ひっく、ぐすっ」
俺の傍ら、月が涙を流していた。
慟哭しまいと口元を押さえ、しかし最後には我慢しきれず堰を切った。涙腺崩壊。お、おい泣くなよ。泣くんじゃねえ。思わずもらい泣きしそうになるじゃねえか。
月の泣き声につられたのか、緩慢な動作で先輩が踵を巡らす。その顔は澄み切ったように晴朗で、我が子を見るように目元が緩んでいる。次いでその顔は俺に向き、
「君には大変世話になった。と同時にとても大きな借りができた。務めは必ず果たそう。今度改めて礼をさせてもらう。それから……月」
泣き止んだ月に先輩が声を掛ける。丸みのある穏やかな声色だ。
「四年越しに今更面と向かって言うのは小っ恥ずかしいが、こんな私でよければ仲良くしてやってくれ。これからもよろしく頼む」
「……うん。お姉ちゃん」
月の返事に満足したのか、それ以上言葉を投げ掛けるでもなく、今まで以上に軽い足取りで石階段を下りていった。
先輩の後ろ姿を見送り月を見ると、目付きに安堵の色が窺えた。憑き物が落ちたような柔和な表情。ようやく肩の荷が下りたな。これで安心して眠れそうだ。
「一件落着でいいんだよな。家ではネト充、学校ではリア充。ここ最近忙しくてすっかりできないでいたが、これで俺は晴れてリア充の道を歩めるわけだ」
「何言ってんのよ。あんたはもう立派なリア充じゃない。何せこんなにも美少女と一緒にいるんだから」
「……言われてみれば確かにそうだな」
「ちょ、華都あんたここ突っ込むところよ。冗談に決まってるじゃない。否定したら殴るけど」
「相変わらず理不尽だな……まぁでも、本当に可愛いと思ってるからな俺は」
「――っ!」
目を大きく見開き、ぷいとそっぽを向く。見た感じ怒ってるわけではなさそうだ。
「……天然ジゴロ」
ここでバカと言わない辺り語彙の豊富さを感じる。流石は小説家志望。正確にはラノベ作家だっけ。
月は俺の方をチラ見すると、そのまま向き直りはにかみながら口にする。
「華都」
「ん?」
「ありがとう」
投稿遅れてすみません。次回で一応最終回となります。
誤字脱字、感想等あればお気軽にどうぞ。
次回一週間以内。