第五章『姉×妹』①
「大丈夫かな、神宮寺さん」
昼休み、悠間と弁当をつついていると――文字通り悠間の弁当をつついてる――濃野が話し掛けてきた。例に漏れず思案顔だ。
ホームルームの時間、担任は風邪だと言っていたが、俺にはとてもそれが真実であるとは思えなかった。
来るかもと思い連日にわたり悠間とともにラプソに張り付いていたが、月がラプソにログインした様子はない。
やっぱりあの日、月が待ち合わせに指定した場所に先輩が来て、そこで何かあったと考えるのが普通だよな。
こうなったら先輩のとこに押しかけるか? いや、月でさえ軽くあしらわれたんだ。俺一人が行ったところですんなり話をしてくれるとは思えない。それどころか会えない可能性だってある。校長に話を訊くという手もあるが詳しいことが聞けず徒労に終わりそうだし何より一生徒の俺が校長室に行くのは敷居が高すぎる。月のためだからそうも言ってられないが、下手を打ったら元も子もない。これは最終手段にとっておくことにしよう。
「学校が終わったら、みんなで神宮寺さんのお見舞いに行かない?」
そう濃野が切り出した。悠間は濃野の話などお構いなしに弁当を食べ続けている。
「構わないぞ。月の家の場所なら知ってるしな」
と、弁当箱からタコさんウィンナーを取ろうとして、箸を止める。
すぐ行きてえ。すぐ行きてえのに、俺にはトイレ掃除が待っていやがる……!
俺は面を上げ、ミートボールを口に入れ咀嚼する悠間に話し掛ける。
「おい便所マスター。お前に頼みがある」
「便所マスター!?」
露骨に驚いてみせた後、はたと我に返った悠間は俺をジロリとした目付きで見た。
「そんなエアみたいに言われても困るよ。そもそも細田じゃないんだし」
「分かってる。だが便所マスターのお前にしか頼めないことなんだ」
「正しくはお前しか頼める相手がいないの間違いじゃないの? それ」
「うぐっ。……そうとも言う」
「やっぱり」
悠間にしては痛いところを突きやがる。いつもならすんなり受け入れんのに。
「全く、そんな回りくどいこと言わなくても言ってくれれば引き受けるのに」
「え?」
「なに鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんのさ。僕達友達だろ? 友達が困ってたら助ける。当然のことじゃないか。もちろん、神宮寺や濃野もこれに当て嵌まるよ」
「悠間……」
本当にいつもと一味も二味も違った。濃野も柔和な眼差しを向けている。
今日ほどお前を頼りになると思ったことはない。
下校時間。
トイレ掃除を悠間に任せ濃野とともに月の家路を辿る。他愛もない話をしながら。
「内越くんって成績いいの?」
「内越? ああ、悠間のことか。いんや、俺と同じでおつむの方はからきし駄目だな。俺といい勝負だ。それがどうした?」
「うぅん、少し気になっただけ。教えてくれてありがと」
「? ああ」
どうしてこんなことを訊くのか分からない。ま、まさか濃野は悠間のことを!? ……って、それだけは地球の自転が止まるくらいに有り得ないな。我ながらバカな想像をしたもんだ。
やおら歩くこと数分、月の自宅前に辿り着いた。
「うわあ、すっごい大きな木。ここが月ちゃんのおうちなんだねー」
眼前にそびえる齢級不明の樹木を見上げながら、濃野が感嘆の声を漏らした。
名物的存在と称してもおかしくない何度見てもやたらと目を引く木だ。相変わらず凄い存在感だな。素直にそう思う。
「……あのさ。穂積くん」
「ん?」
「神宮寺さんの家の場所を知ってるってことは、何度かここに来たことあるの?」
「んん?」
インターホンを押す手前、濃野がそんなことを訊いてきた。
俺は思い出しながら、
「いや、ここに来たのは一回だけだな。月が学校で足を捻った時にその付き添いとして来たんだ」
「そ、そっか。そうなんだ」
俺の言葉に何やら安堵したような面持ちを浮かべる。意味が分からん。
インターホンのボタンを押すと、そこまで待つことなく月のお婆さんが出た。因みにこの出たというのはインターホンの方だ。月曰く基本インターホンには出ないというから珍しい。
挨拶もそこそこに月のお見舞いに来たという旨を伝える。するとお婆さんは申し訳なさそうな声色で、
『ごめんなさいね。まだ咳も出ていて風邪をうつすといけないから月が会わないって言ってるのよ。せっかく来てもらったのにおもてなしもできず申し訳ないねえ』
「こちらこそ急に押し掛けてしまってすみません」
『お見舞いに来てくれたことはしっかりと月に伝えておくから、是非また来ておくれ』
「あの」
切られそうになる前に、お婆さんを呼び止めた。
「一つ確認したいのですが……神宮寺さ、月は本当に風邪なんですか? 俺には到底それが本当だとは思えないんですよ。もっとこう、別の理由があるんじゃないかって」
『……』
インターホンはまだ切れない。インターホンの前では、正直に言っていいものか、お婆さんが言いあぐねているんじゃないかと思った。
沈黙は続く。
長期戦になりそうなら先に濃野を帰そうとも思ったが、そう長いこと沈黙は続かなかった。お婆さんの言葉により、ようやく均衡は破られる。
『……ふう。嘘を吐いてごめんなさいね。本当はあの子、風邪なんかじゃないのよ』
これまたあっさりネタばらしをされた。やっぱり俺の予想は当たっていたか。
「よろしければ本当のことを話してもらえませんか。月のことを。お婆さんの知ってる範囲でいいので。……お願いします」
「私からも、お願いします」
俺の隣にいた濃野がインターホンへと身を乗り出す。
『あなたは?』
「濃野椛と言います。神宮寺月さんの友達です」
『……そうかい』
インターホン越しからでも分かるちょっとした感情の変化。その情緒。
『――分かったよ。月から口止めされているのだけど、あなた達の熱意に根負けしたわ。むしろ話しておくべきだわ。実を言うとね、何年か前にも今と同じような状態に陥ったことがあったのよ。こうして何日も塞ぎ込んじゃうんだけど、精神的な問題だから、こればかりは私達の力じゃどうすることもできないの。声を掛けてあげることは可能だけど、立ち直るのは結局本人の意思によるものだからね。次いつ学校に行けるようになるのか、いつ元気になるのか、明確なことは私には分からないわ』
「そうですか……」
お婆さんの話を聞いて俺は頭を抱える。
大体の事情は月自身が語ってくれたや今までに知り得たことと一致するが、まさかこんなことになっていようとは。
だが、ここでめげるわけにはいかない。
俺はもう立ち止まるわけにはいかないんだっ!
「ありがとうございます、話していただいて。……それじゃあ今日はもう帰ります。月には俺と友達の濃野が来たとだけお伝えください」
『お待ち』
インターホンからピシャリ言い放つ。
『あの子は……月は今家にはいないわ』
「いないって、どこかに出掛けたんですか?」
『昼に買い物に出掛けるまではいたから、その間に外出したんだろうね。申し訳ないことに、場所までは分からないけど』
「……ありがとうございます」
今度こそインターホンが切れる。
考えろ。よく思い出せ。ヒントならたくさん出ただろ。連想ゲームは得意じゃねえが閃きならある。
一匹の狐が見える丘。神様の住まう場所。ここから導きだされるものは――
「……神社か」
独りごつ。
「悪い濃野っ! 急用思い出したから先に帰っててくれ!」
「えっ? ……うん、分かった」
神妙なようで覚悟を決めた面持ちの濃野を見取り、俺は夕闇に支配されゆく街並みを一直線にひた走る。ここから一番近い場所にある神社というと南條稲荷神社だ。
五分ほど走り俺は目的の神社に着いた。可及的速やかに石段を駆け上がる。
祭りも開かれない割りかし小さな神社だ。だがこの上からの景色は絶景で、月が丘と称しても何らおかしくない。
そして何より……狐が一匹しかいない。
本来御先稲荷は二匹で一対だが、一体いつからだろう。そこにあるはずのものがない。一匹欠けているのだ。石段を登り現物を見てようやく思い出した。何年か前にも俺はここに来たことがある。
参拝の作法なんか知ったこっちゃねえが、俺は神社を一礼し参道の真ん中を避けて歩く。
――――いた。
前に自宅にいた時と同じように桃色のワンピを着こなし、賽銭箱の横にだらんと足を伸ばして座り、悲しげに顔を伏せている少女。
俺はしっかりと息を整えてから、一歩二歩と歩み出る。
「仮病まで使って学校休んだのか、月」
「華都……」
アンニュイな表情のまま面を上げ俺に視線を向ける。
「まぁ気持ちは分かるけどな。俺だって平日の朝からラプソのイベントと被った日には無理くり学校休んでやったし」
ふんす、と誇らしげに胸を張る。
威張るほどのことじゃなという突っ込みは飛んでこない。
「……どうしてあたしがここにいるって分かったの?」
「俺は現実でもお前と友達登録してるからな。場所くらい簡単にサーチできる」
もう一度胸を張ると何よそれと力なく笑う。依然表情に陰りがさしたままだ。
断りを入れることなく俺は月の隣に腰を下ろす。
「何があった?」
顔を合わせずに訊くと、少し間を置いてから月がぽつぽつと漏らし始めた。
「学校が終わったあと、直接神社に向かうとそこには玲霞がいた。話があるから逃げないでって釘を刺すと真剣に話を聞こうって言ってくれたわ」
「じゃあ話をして駄目だったってことか?」
そう言うと月が悲しそうに首を振る。
「玲霞に言われたことがあるの」
「言われたって、何を?」
「……」
しばらくの沈黙の後、まるで死刑宣告を受けた受刑者のように月が眉根を寄せた。
そしてはっきりとした口調で、言った。
「私こそが《ラプソディ・オンライン》の【秋ぇる】だって」
思い掛けない一言に、背筋が凍り付く。
それは初め俺の聞き間違いだと思った。
だがこんなにもはっきりと言ったんだぞ。聞き間違いであるはずがない。だったらどうして――
どうしても信じることができず何かの間違いじゃないのか言うと、月は先輩の発言を裏付けるようなことを言う。
「当然あたしが食い下がると玲霞は秋ぇる本人にしか知り得ない情報をいくつも開示してみせた。それも本当に細かなことまで。……そのあと話は続けるか訊かれ黙りこくっていたら玲霞はあたしの横を通り過ぎていったけど、どうしても呼び止めることが出来なかった。こんな状態でまともに話なんてできるわけなかったから……」
月の目にうっすらと涙が滲む。口を閉じ必死になって嗚咽をこらえている姿は見るに忍びない。
こんな月、俺は見たくない。
「……卑怯だ」
「えっ……?」
「あの人のやり方はいつも卑怯だ。そんな切り札とも言える前口上を残した上でこっちの誘いに乗ってきたんだ。卑怯以外の何物でもねえよっ」
憤懣やる方ない思いに駆られ立ち上った俺は、月の思った以上に小さな肩をどやしつけた。思わず面食らう月に俺は口角泡を飛ばし捲くし立てる。
「神宮寺月っ! 目の前のことから逃げるな! 立ち向かえっ! そりゃあ怖くて足が竦んじまうかもしんねえけど、煙に巻かれたらそれこそ先輩の思う壺だぞっ!」
「でもこれ以上どうすれば……」
「俺が、俺がなんとかしてやる。導いてやる。だから絶対に逃げないって約束してくれるか?」
俺の言葉にまるで眠くなる効果があるように月が目を瞑る。
静寂が流れる。
森閑と静まり返った境内に柔らかな風が吹き、緩除に樹木をざわめかせた。
葉擦れの音がこの場を満たし、枝葉から覗く木漏れ日に目を眇めながら、木々から飛び立つ鳥の音を聞いていた。
不意に、心の葛藤が解けたように月の身体から力が抜ける。
覚悟の灯った瞳が俺に向く。
「……分かった。華都がそこまで言うんだもの。あたしが覚悟見せないでどうするって話よね」
「月……」
「もう大丈夫だから安心して。あたし逃げないよ」
一抹の不安はもう見られなかった。
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