第三章『友達×友達』④
「まさかこのあたしに放置プレイを強いるなんて思いもしなかったわ。寒いし」
帰途に就いている最中、月がくどくどと愚痴を並べていた。特に寒いが今日の彼女のトレンドのようだ。
「しょうがないだろ。人がいたんだから。そんな中堂々と出て行ったらあっさり捕まって生徒指導室送りにされちまうよ」
「されればよかったじゃない。あんたメンタルだけはゴキブリ並みに強いんだから」
「ひどいっ!」
さっきは心配してるみたいなこと言ってたのに……ひょっとしてツンデレか? お?
因みに、今現在俺達は月の家に向かっていた。
一応勘違いのないよう言っておくと、吊橋効果で親睦が深まったお陰で女の子の家にお邪魔できるぞムフフなんてエロゲ的展開は皆無で、俺はただ足を捻らせたこいつを老婆心から家まで送ってるだけだ。こんな時に自転車の一つでもあれば楽なんだが、ないものねだりをするだけ虚しいの一言に尽きる。
「あ、見えてきた」
月が指差した方向を目指して歩くこと一分、目的地にはすぐに到着した。
月の家は多少古風な佇まいを感じさせるものの、かといってそこまで老朽化が進んでいるわけでもなく、一軒家としてみれば中々の大きさで、そして何より家の庭先にそばだつ樹木の特色がやけに目立つ家だった。家はすっかり傾いた夕日を浴びて、どこか郷愁の念すら覚える俺がいた。
俺は月に肩を貸したまま、ポストの横に備え付けられたインターホンに手を伸ばした。
そのまま何の気なしにボタンを押すと、ピンポーンと聞き慣れた音が鳴る。
「こらあ! 本人を前になにナチュラルにピンポンなんか押してんのよ!」
「あ、わりぃ」
インターホンを前につい押しちまったけど、こればかりは返す言葉もない。
とりあえず押したからには待つべきだよなとインターホンの前で月と並んで立ち尽くしていたのだが、インターホンの向こうからは一向に相手が出てくる気配が感じられない。
「ひょっとして誰もいなんじゃないのか?」
いい加減痺れを切らした俺が聞きただす。かれこれカップラーメンが出来上がるくらいは待ってると思う。
そんなはずないと首を振る月は向かいの窓を見るように促し、
「ほらあそこ、現に明かりだって点いてるじゃない。そもそもこの時間なら必ずと言っていいほど家にいて――」
発言の最中、パッと玄関に明かりが灯り、歪な音を立て扉の中から出てきたのは、これまた人当たりのよさそうな老婆だった。
「遅くなってごめんなさい。一体どちら様で――おやまぁ、月じゃないか」
「ただいまお婆ちゃん。ごめんね、間違えてピンポン押しちゃった。別に鍵無くしたとかじゃないから大丈夫」
「ああそうかい。今日は帰ってくるのが遅かったから、何かあったんじゃないかって心配していたんだよ」
「あたしもう高校生よ。遅くなる時くらいあるからいちいち心配してたらキリないわ。……まぁ何かあったってほどじゃないけど、体育の時間にちょっと足捻っちゃって」
「ええっ!? 大丈夫なのかい? 身体にはしっかり気を付けないと……おや、隣にいるのはどちら様だい?」
「どうも」と礼儀正しく一礼。
「かざ……彼が怪我をしたあたしを家まで送ってくれたの」
月の紹介のあと、老婆は値踏みするように俺を上から下まで見ると、まるで何かを理解したようにふんふんと頷いて、
「初めまして、この子の祖母の神宮寺千代と言います。いやまさか月が彼氏を連れてくるなんてねえ。お婆ちゃん年甲斐もなく吃驚しちゃったよ」
「これはどうもご丁寧に。俺は……って、」
「ブッ!?」
驚きのデュエットを二人して上げ……てはいない。俺が驚くより先に、月が吹き出していたからだ。
「ちょっとお婆ちゃん!? あたしと華都はそんな関係じゃないんだからっ!」
「おやおや、もう下の名前で呼び合う仲なんだねえ。最近の若い子は進んでるって言うけど、これは孫の顔が見れる日も近いってことでいいのかしらね」
「「それはない」」
今度は完全にハモった。
これは仲がいいと勘違いされてもおかしくないな。
「うふふ。あなた達ほんに仲がいいのね。お婆ちゃん、若い子と話せてなんか若返っちゃった気分」
俺との会話にそんなアンチエイジング効果がっ!?
「そういえば、あなたお名前は?」
「あ、これは紹介が遅れました。華都です。穂積華都と言います」
「華都君ね。わざわざ月を家まで送ってくれてありがとう。お茶を出したいから、よかったら上がっていっておくれ」
「えっ?」「え?」
自宅に招かれ初めに驚いたのは俺だが、俺の隣にいる月も一緒に驚いていた。
「そんな、悪いですよ」
「そうよお婆ちゃん。華都もこう言ってるんだし、別にそこまでしなくてもいいってば」
「こら月。華都君に家まで送ってもらっておいて、それを無碍にするような態度を取っちゃ駄目じゃないか」
「あうっ」
怒られサッと身を引く。さしもの月も、どうやらお婆さんの前では形無しのようだ。
「そういうわけだから、遠慮なんかしないで上がっていっておくれ」
「……分かりました」
何がそういうわけなのか分からないが、とりあえず了承しておこう。親切からくるお婆さんの気持ちを無碍にするほど俺は人間ができてないわけじゃないからな。
お邪魔する覚悟を決めた俺の傍ら、未だ納得していないのかアヒル口を作る月に再度肩を貸しながら、月の家の敷居を跨いだ。
跨いだはいいが、なぜか月の部屋にお邪魔していた。
あれだけ自宅に上げるのを渋ってたってのに、一体なぜ自室にまで通されたのか。
それは覚えている限り、本人たっての強い希望があったからに他ならない。
混乱の海に沈む俺。因みに月の部屋には今現在俺しかいない。
その理由は、単純に体操服姿がお気に召さなかったらしい。せっかく俺が苦労して取ってきたってのに何が気に入らないんだよ。ひょっとして臭いが気になるからか? 肩を貸してたから分かるが、別に変な臭いとかしなかったけどな。むしろいい臭いだったぞ。
まだ月は自室に戻ってこない。
俺を部屋から追い出さず階下に降りていったところをみると、洗面所辺りで着替えでもしてんのか。なんてことを考えながら室内を見回し、思った。
……月もれっきとした女の子なんだな。
あんなに威張り散らしちゃいるが、この部屋を見てると改めて思い知らされる。
俺の部屋よりも二倍以上手広い室内には、いわゆる年頃の女の子が好きそうなかわいい物がやたら目に付き(主にぬいぐるみ)、それが余計に俺の心を惑わせた。
総じて桃色ばかりが目立つのもこの部屋の特色なんだろうけど、手紙の丸文字といいこの部屋といい、色々とギャップがありすぎるんだよあいつは。
肉体的な疲労のみならず精神的な疲労も覚えた俺は、花柄のカーペットに寝転びしばしの休息を取ることにした。
あー……広ーい、いい臭ーい。
なかなかどうして寛げるぞこりゃ……ん?
寝返りを打った直後、机の下に一枚の作文用紙を認めた俺は、何の気なしにそれを手に取った。顔の前で大きく広げる。
今時珍しく全て手書きだ。端から端まで文章がびっしりともきっちりとも書かれている。
速読を得意とする俺は右から左に目を通し――思わず唸った。小説だった。
これを月が書いたってのか? 内容的には俺の母親と同じライトノベルに分類されそうなもんだけどこれは普通に続きが気に、あーいやそうじゃなくて、こんなところを月に見られたら何言われるか分かったもんじゃ、
ガチャッ。突如聞こえた部屋の扉を開ける音。
フラグ回収に定評のある俺である。
開け放たれたドアの前に立つ月と仰向けになった状態のまま目が合う。そう、それはまるで廊下の時の再現のような、ってそんなのん気なこと言ってる場合じゃないな。
部屋の中だから薄着なだけなのか、月の服装は体操服からビフォーアフターして桃色のワンピース。その上には半袖のドルマンカーディガンを羽織っていた。
そして俺が手にしている物がなんなのかすぐに理解したのだろう。口元は引き攣り、赤面する月の身体はわなわなと震えていた。当然の反応。気持ちは痛いほど分かる。俺もエロサイトを閲覧中、ノックもせず母さんが入ってきてそれを見られた日には死にたくなったしな。
急に冷静を取り戻した月はフッとニヒルな笑みを浮かべると、
「どうやら見てはいけないものを見てしまったようね……!」
「そんな見てはいけないようなものを無用心に置いておくな!」
「ここはあたしの家であたしの部屋なんだから、そんなのあたしの自由でしょうがっ!」
ごもっともである。
よほど恥ずかしかったのか羞恥に頬を染めた月が俺に差し迫る。
足怪我してんだから無茶なことすんなよと言う前に月が俺に向かって跳躍。しかもクロスチョップの構えでだ。
正しく息つく暇もなく月の攻撃をかわそうと身を引くも、結局は避けきれず月の腕を押さえ付ける。すると振りほどくために暴れる月――っておい! そんなに暴れたりしたら……!
「わっ!」
案の定悲鳴を上げて月がカーペットに倒れた。ほれ見ろ言わんこっちゃない。
そして転んだ拍子にワンピースがめくれ、なんとパンツまでもが露になる。生理現象よろしくそこに目がいき凝視すると、んっ……? なんだ。ふとした違和感が頭を擡げる。
……ああ、そうか。分かった。
屋上にいた時は白と水色の縞パンだったのに黒の紐パンに変わってやがるんだ。
ひょっとしなくても俺が屋上で俺はパンチラの方がいいって言ったからか? だとしても明らかに方向性を間違ってるような。
でもまぁ、可愛いところもあるじゃないか。
しかしそんな俺の思いとは裏腹に、パンツを見られていることに気付き、慌ててワンピースの丈を押さえる月は怒りの形相を俺に向けた。あ、こりゃ完全に怒ってますね。
月の怒りを鎮めるにはどうすればいいか視線を彷徨わせていると、本棚にある物が視界に入った。
そのある物は一発逆転の要素を孕んだ月を言い包めるには十分すぎる代物だ。野球で例えるなら九回の裏満塁の状態から逆転ホームランを打ち込むくらいにな。
「月、お前小鳥遊なで子さんの小説読んでんだな」
「ハァ? なによ急に。そりゃ好きだから全巻揃えて読破もしたけど、それがどうしたって言うのよ」
「ああ。先に釘刺しておくと、今から俺が話すことは全て真実だから月も真剣に聞いてくれ。俺の母親だけどな。実は小説家なんだ。それもライトノベルの」
「ラノベ作家……ハッ。いきなりそんなこと言われて信じられるわけないじゃない。それにどうしてこのタイミングで……このタイミング?」
「察しがいいな。そうだそのまさかだ。俺の母親本名穂積撫子は、元売れっ子ラノベ作家にして、あの小鳥遊なで子本人なんだよ!」
カッと背景が光り輝きそうなくらい俺はキメ顔を貼り付けて言い放った。
小鳥遊なで子という名前を聞いて、一瞬ぱぁっと、しかし即座にムッとした表情を浮かべた月は訝しんだ目で俺を見て、
「本当なんでしょうね、それ。いくら華都でも嘘だったら承知しないわよ。もし仮にそれが作り話だって分かったら、あんたの息子あたしが無理矢理もぎ取ってやる」
「タマヒュンしそうなこえぇこと言うなよ……いやだからマジなんだって。少しは信じる心を持てよ。ほら思い出してもみろ。今までに一度でも俺が嘘を付いたことがあるか? ――まぁうん、あったな。あったけども、今回に限り本当のことなんだ。何なら俺がラプソで最大強化まで持っていったお殿様ヘアを献上してやってもいい!」
「いらないわよ。……そこまで言い切るんならあたしにだって考えがあるわ」指をもじもじと絡めながら月は「その……現実でなで子さんに会わせてほしい」
「なで子? ああ、母さんのことか。いいぞ別に。そんくらいならお安い御用だ」
「ほんとに!?」
ほんとにと言うからにはやはり今まで半信半疑だったのか。
それはそれでショックだが、機嫌が直ったようで何よりだ。案外チョロい。それと俺が胸を触ったことも不問でいいよな? あとでそれをネタに脅迫とかしたりしないよな?
「じゃ、じゃあ、サインとかもしてもらえるかしら? 神宮寺月へって名前入りで!」
「まぁ俺から頼めば少なくとも断りはしないだろうけど」
「やった! じゃあさじゃあさ、あたしに小説の書き方とか手解きしてくれるようお願いしてくれる? してもらえる? してもらえるわよね??」
興奮してのべつ幕なしに口を動かす月のテンションについに追いつくことのできなくなった俺は、アッハイだとか、お、おう。ともはや許諾しているのかすら怪しい言動で頷き、これはふと思ったことだが、サインを貰ったり書き方を伝授するってことは一度俺の家まで来るつもりか?
「約束したわよ。約束したんだから……わぁぁ」
自分の世界に入り浸るように思いっきり顔を綻ばせた月は上機嫌のまま体躯を捻り、それからと口にした。まだ何かあんのかよ。
「あんたは《ラプソディ・オンライン》を引退するって言ったけど、あたしとしてはしないでほしい。また一緒に色んな敵倒したりグル組んでクエストしましょ。それが駄目なら仮引退とかでもいいから」
急に真面目なトーンで喋り出す。真摯さよりも必死さが先行している感じだ。目の焦点が定まらずなんとなく頬も赤い。
これがこいつの、月なりの意思表示なんだろう。
それなら俺も真剣に応えて然るべきだ。
「……しねえよ、引退」
「ほんとに?」
「嘘なんか付くかよ。つか俺に同じくだりをやらせるな。確かに一度はラプソ引退を決意したけど、やっぱり駄目だ。麻薬よろしく俺はラプソを辞められそうにない。って今のは言い方が悪かったな。とにかく俺はラプソが好きなんだ。辞めるって口にして初めてそれに気付けた。そもそも俺がラプソをやり始めたのだって父親が蒸発したから……で……」
……なんだ。この違和感。言っててどこか引っ掛かる。それに何だか頭も痛い。まるで後頭部を思いっきり鉄パイプでぶん殴られたような――
「――よかった」
月の声にハッと我に返る。それと同時に慢性的な痛みも消え失せた。
「あんたのいないラプソなんて具のないカレーと同じよ。これからもよろしくね、華都」
月の顔を見ると、満足そうに顔を綻ばせていた。晴れやかな笑い声。
いやな感じはもうしなかった。
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