一章 再会した夏葵編
読んでくれた読者のみなさまへ、どうか長い目で最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
登場人物
速水〈はやみ〉翔琉〈かける〉
親友の健の家で営む漁船に、乗っている。
陣内〈じんない〉健〈けん〉
早くに両親を亡くした翔琉にとっては、親友でもあり家族的存在。
金剛寺〈こんごうじ〉夏葵〈なつき〉
デザイナーズブランド wave
オーナーの愛娘。
千葉〈ちば〉陸〈りく〉
翔琉たちの後輩、波乗りと女に関して
は一枚も二枚も上。
金剛寺〈こんごうじ〉照美〈てるみ〉
夏葵の母。
大豆〈だいず〉武夫〈たけお〉
翔琉たちとガキの頃から何をするのも共にしてきた
船は違うが、同業の漁師。
伊出川〈いでがわ〉雪〈ゆき〉
翔琉とは恋仲だった、その界隈では名を知られはじめ、
マイクパフォーマンスはかなりの腕前。
小豆〈あずき〉千景〈ちかげ〉
掴みどころのない性格で、煮豆を引き付ける。
バスケではインターハイ経験ありの腕前。
チエ
夏葵と共にトップモデルの地位を確立している。
業界ではヤキモチ焼きと言ったら、誰もがチエ
の名を上げるほど。その度合いは女癖の悪かった
陸のメル友を撃退したほど。
〈序章〉
平日の昼下がり,辺りに人の気配はほとんどない。
休日ともなれば、人の声が絶えることなく翔琉の耳にも届く。
正確にいうと、人の気配はあることにはあった。
二人の老夫婦が少し離れたところで、油絵を描いているのだが、
声もなく自然と同化してしまっているのだから、
気配がないという言い方が的を得ていた。
「翔琉だよね、....」
寄り掛かっていたテトラポットの上で、ガバッと上体を起こす。
ボンヤリとしていた視界が、次第に声の主にピントを合わせていった。
「な、なっ夏葵?」
潮の香りも、波の音もする。
服装も三年前と違う、夢じゃない。
「今そっち行く」
服をはたきながら立ち上がる。
テトラポットを渡り飛び遊歩道のフェンスを乗り越えた。
可愛らしさ、上品さ、全てを一つの言葉で表すとしたら
この美しさ、と表現するのが今の夏葵には相応しかった。
翔琉の前に立った夏葵をまじまじと見つめる。
流線型のスポーツカーのボディーを思わせる。
三年前、夏葵の母照美に感じた、見る者を圧倒する
オーラのようなものを、そこに立つ夏葵はすでに持ちつつあった。
「そんなに見られてたら、恥ずかしいよ」
「本当に、きれいになったなって・・・」
それは、夏葵から見た翔琉にも感じられた。
逞しく成長して現れた翔琉。
「夏葵お腹すいてないか?」
「え・・」
「丁度今頃健のお袋が用意してくれてる、行こうか」
「う、うん」
翔琉の仕事は、漁師。
水揚げしたばかりの魚で、昼食が常であった。
三年間思い続けていた翔琉との昼食が、思わぬ形で実現となった。
そんな思いを悟られぬよう冷静を装う。
三年前、母照美と共にバーベキューを楽しんだ、健の家の庭。
日光浴をさせていた健の愛車も、今日は布団干しにされている。
「行こうか」
翔琉が手を伸ばし、夏葵の手を引いた。
すぐ隣の喫茶店から、店の人が、
掃除用具を手に出てくるのが見えた。
「あら、翔琉くん、えっ、ええっ、その子」
あ、あ~あ。
倒れたバケツから水がこぼれる。
慌てて店内に駆け込んでいった。
溜息の翔琉。
シェフであり夫でもある静雄さんと、予想通りだった。
「ちょーっと、ちょっと翔琉君」
店の中に夏葵の出てる雑誌が並んでいた気がする。
「あ、今健の家で飯用意されてるんで」
隣の夏葵がぺこりと頭を下げる。
「あっ、あ、どうもぉ、またね翔琉君」
いつまでも夏葵にぺこぺこしていた静雄さんが
紀子さんに店内に連れて行かれた。
「面白い人たち」
「相手が、夏葵だからだな」
昔ながらの漁師の家らしい玄関。
荒波をモチーフに、彫刻されている両開きの戸を引いた。
「翔琉です、娘が来ましたよ」
「なにい?」
野太い声にぱたぱたと、どたどた。
現れた声の主に、ぺこりと頭を下げた夏葵。
「お久しぶりです、来ちゃいました」
「おお上がれ上がれ、腹いっぱい上手い魚食ってけ」
健のお袋が夏葵を抱きしめた。
「早く来いよ」
翔琉同様、逞しくなっていた健。
部屋に案内される。
「あれ?」
愛用のソファーに女の姿があった。
「夏葵は翔琉貰いにきたの?」
照れ隠しから出た健の一言。
戸惑いの目が翔琉に向いた。
「こ・・こんにちは宇部さん」
慌ててはぐらかす。
翔琉の言葉に合わせ、お辞儀する夏葵に気付いた
双葉、懸命に言葉を探す。
「えっ、・・あっ、はい宇部
双葉《ふたば 》です、すっごい・・綺麗」
ヤクルトの販売員として、翔琉のアパートへも
やってくる双葉。
いつもの眼鏡は、営業スタイルなのだろう。
「奥手の健が?」
「私から告白したんです」
(そう・・だよな・・やっぱ。)
話の中で、翔琉の妹真由美の親友とわかる。
真由美に何度か、健の写真をせがまれたことを、思い出す。
どうやらそれが双葉だったらしい。
妹の真由美は、看護師。
看護学校を出てすぐに、都内の病院へ行った。
そろそろ里帰りに来る頃だ。
夏葵が、初めての健の部屋に、辺りを見回す。
かなり大きなガラスのショーケース
オートバイのパーツや、雑誌が綺麗に並んでいる。
「あっ」
夏葵が小さく声を上げた。
「着てなかったんだ、あれ」
「俺も、飾ってある」
三年前、照美が、二人に手渡したものだった。
「いただこうぜ」
ヒラメ、ホウボウ、キス、焼きウニに
アラ汁と茎わかめの酢の物。
夏葵が好物だと言っていたウニ。
好きなものは後から、そのタイプのようだ。
「おいしい、なんて魚?」
「キスっしょ」
「いきなり・・?」
慌てて口元を拭う夏葵。
どうしていいかわからない翔琉。
「何で?」
目を閉じている夏葵。
「ぷはっ、夏葵最高」
ホウボウという魚を、方々に噴出しそうになった健。
金目鯛のように目を大きくする双葉。
「魚・・なんですけど」
「あ、魚ね」
頬に手を当て赤くなる。
「ところで、今回も法事?」
一瞬夏葵の顔が曇る。
数秒の沈黙の後、夏葵が口を開いた。
「ううん、力を貸してほしいの」
翔琉と健が見合う。
夏葵が泣いていた。
「あれ、・・・どうしちゃったのかな私」
「何があった?」
「お母さんがね・・・・・・」
照美さんが、・・・入院してる?。
「食事中なのに・・・ごめんね」
「おい、翔琉」
「あ、ああ」
キッチンでは楽し気に会話を挟みながら
洗い物をする声が聞こえてくる中。
事情を説明する健。
海の男らしい腕を、組みながら黙った
まま聞いて居たおやっさん。
戻ってきた夏葵に飛んだ声。
「バカ野郎、もっと早く来いってんだ」
「おじさん、ありがと」
「翔琉、戻ってくるとき夏葵連れてこなきゃクビだ」
「へ?」
「嫁にもらって来い」
なな、んな無茶くちゃな。
「おれ帰ってこれんのかな」
行く前に結構疲れている。
「ちはー、あれ?二人が女連れって、なっちゃんじゃん」
「陸くん、何で?」
思わぬ助っ人だった。
「お前どうせ暇だろ、いくぞ」
「はあ?」
見るとワゴン車の陸、とりあえず乗り込む。
「ところで、何で夏葵のこと?」
「最近雑誌の取材で、ちょっと」
「うちのモデルと付き合ったんだよ、ちなみにこの車の持ち主」
「浮気できないようにって、結構気にいってるけど」
またか、といった顔になる俺と健。
同級生でもあった双葉。
「誰?」
「双葉ちゃん、チエだよぉ」
夏葵の口から出るチエ、思い当たるのは一人しかいない。
「うっそ?」
俺と健と双葉の言葉が重なった。
千葉陸
翔琉も健も波乗りをするが、こと波乗り
に関しては、一枚も二枚も上をいく。
最近は、あまりツアーを回ったりは
していないようだが、日本ランクで上位
だったこともある。
昔から、男にも女にも手だけは早かったが
パリコレデビューを果たしたチエとは。
「確か、チエ今日オフだったんじゃない」
「朝っぱらからライン入りっぱなし、一応海入ってることに」
「はは、やっぱり・・」
「武夫さん寝てるんすよ、どうします?」
「禁漁入ったからそのまま拉致」
一緒に来ていた父との会話。
あの厳格な父の総が、翔琉と居ると伝えた
途端言葉を和らげた。
商談が済み次第駆け付けると言った総。
車内では、こんな会話が続いていた。
照美に負担を掛けぬように、何か新しいことを
取り入れてみたいと夏葵が言った。
「で、夏葵の中でこれだってのはあんのか?」
頷いた夏葵。
子供服も視野に入れ、大人と子供が必ず集まるその場に
セットを用意して、新作の発表を狙いたいと言う。
人を引き付けるのは夏葵たちの腕にかかっている
が、その流れを作る人材が必要だ。
「陸、誰か居ない?」
「居るには・・居るんすけど、いいのかなあ」
女性なのは間違いない、顔に出ている。
浮かない顔をしたまま何処かへ連絡する陸。
「今バイトで、八○島シー○イスにいるって」
「折り返し連絡するって言ってくれないか」
「夏葵、照美さん話せる状態なのかな?」
「いつも契約の連絡するし、話す?」
久しぶりの照美さんの声、嬉しさと不安が交差する。
通話中
「あっ、お久しぶりです、はい・・・・・・・」
俺は ある ものを頼んだ。
お安い御用よと言って笑う声。
三年前と変わっていなかった。
回診の時間となり、通話を終わらせた。
「元気そうだったか?」
「ああ、早く顔見せろって」
健が、安堵のため息を吐いた。
「何頼んだの?」
「新作を積むステージ用のトラック」
「それを?」
「夏って言ったら海だろう」
「それなら俺も少しは役に立てそう」
「陸くんも?」
「大会の会場使えるように、聞いてみる」
「夏葵は、モデルの子たち集めないと」
「あ~あ翔琉さん、泣かしちゃったよ」
これまで張りつめていたものが・・・。
「ううん、・・みんなありがとう」
「んん~ん、さっきからっうわあああ、何?」
「初めまして、武夫さん」
「わりい、頭変になってる、もう一回寝る」
「煮豆起きてくれ、大事な話」
背を向けている煮豆こと、大豆武夫
船は違うが、漁師だ。
「よく見てみ、本物だって」
夏葵の熱烈なファンである煮豆
数ヶ月前、そっくりな子でイタズラ
されていた。
「ほんんものおおお」
ゆっくり振り返った煮豆、手を合わせている。
「ふふふ、どうも」
夏葵も手を、どっかの宗教民族のように。
「なんで、なにがどうなって、俺をどうしようって、
俺んち金ないぞ、ってか泣かしたの誰だ」
もはや自分でも何を言っているのか解らない煮豆だったが、
泣いている夏葵に対しては正義感からか。
「憧れの夏葵が、一緒にバイトしようって、お前帰るか」
「帰るかったって、ここ」
居るのは高速道の上である。
宜しくねと、煮豆の手を握りる夏葵。
思わず気を失いそうな煮豆。
苦笑する夏葵を乗せた陸のワーゲンバス『正確にはチエの』
の中で、少々不安気なメンバーを加え、照美の元へ向かっていた。
病室のドアを開けた瞬間、空気が一変した。
言葉が出なかった。
健も喉を鳴らした。
三種類の点滴、二つは無色透明、一つはオロナミンのように黄色い液体
それらが、手首につながるチューブで、液体を送り込んでいる。
「やだ、私ッたら飲み物も出さないで」
その場の沈黙に耐え切れなくなった夏葵が、明るく振る舞う。
話を切り出した。
声が震えるのを抑えることができない。
「どうしたんですか、照美さんらしくない」
「医者が大袈裟なのよ、それよりせっかくの禁漁期間でしょ」
「覚えてたんですか」
「私じゃないの、そこのモデルさんがね」
「たまたま覚えてただけよ」
嘘である。
首をすくめた照美。
照美はずっと健の隣に居る女が気になっていた。
これまで多くのモデルを育ててきた、照美のアンテナが
何かをキャッチした。
「健くんの彼女?家で働いてみる気ない?」
「さっすが、お母さん」
「双葉スゲーよ」
「もう・・陸なんて、彼女がパリコレじゃない」
照美が首を傾げている。
「チエの言ってる、陸くん・・なの?」
「そう、本人」
「どうも初めまして、翔琉さんと健さんの後輩の
千葉 陸です」
照美に緊張する陸。
心臓に生えていた毛が何本か抜けたらしい。
「次の○○杯は出るのかな」
「いや・・あの、出ます」
意外と詳しい照美。
「翔琉はあの大会のジンクス知ってる?」
俺は首を振った。
「大切な人と、キスしてから海に入ると、優勝できるんだって」
「翔琉は出ないの?」
「あら、夏葵にあれだけのギャラリーの前でキスができるの?」
「ただ出るか聞いただけでしょ、ふんっ」
「見てみたいな、翔琉の勝つ姿」
そう言って、照美は窓の外を見つめていた。
知っていて当然、この大会の運営スポンサーだった。
あとから陸に聞かされたのである。
当面の着替えなど、必要なものを準備するため引き上げた面々。
翔流の分は健が引き受けた。
陸は、半ば強引にチエに拉致された。
照美が用意してくれたマンションの一室。
寝不足気味の翔流。
夏葵が横で静かな寝息を立てている。
洗面台に向かう。
ざぶざぶと、顔に当たる水の冷たさが、心地いい。
それはいつも船の上で使うタオルと違い、洗濯洗剤の
CMに出てきそうなタオルも同じだった。
柔軟剤の香りを感じながら、鏡を見る。
映っていた人物に慌てて振り返る。
「お、お起たのか」
「おはよう」
大きめのシャツのボタンが二つほど外れていた。
つい男の性から、ちらちらと見てしまう。
歯を磨き始めた夏葵。
「夏葵、コーヒーと紅茶どっちがいい」
「やるから、座ってて」
夏葵が開けたのだろう。
東京湾が望める窓、隙間から入った風に
チョコレートブラウンのカーテンが、息づくように、靡いている。
「誰かさんの視線で、火照った顔冷やすのに時間かかっちゃった」
俺は、夏葵の軽い冗談とも言える罠だと気付いた。
立て肘で、翔琉の顔を眺めていた夏葵。
「ん、何?」
「こんな時間もいいなって」
インターホンが鳴る。
「俺出てくるから、早く髪乾かしちゃえよ」
がちゃり。
沈黙が続いた。
「誰?」
夏葵の声に、我に返った。
「久しぶりね、翔琉」
「雪だったのか」
陸のあの態度は、これだった。
伊出川雪
中三の二学期に入ったばかり、周りが進路相談で
慌ただしくなり始めた時、両親の離婚によって、
一人の女子生徒が転校した。
付き合い始めたばかりだった。
また明日、いつも通りの別れ際の挨拶。
次の日、翔琉の隣の席に彼女の姿はなかった。
ホームルームで知らされた転校。
机の中にあった手紙。
小さく真ん中に、ごめんね、それだけ。
近所の噂話で、親の離婚を知った。
「陸から聞いた、夏葵さんと上手くやってるって」
「そ、そうか」
俺は彼女の話に何度も頷いていた。
「あ、雪さんね。本当にうちでやってくれるの?」
「宜しくお願いします、こんなチャンス無いですから」
雪は大きな手土産とともに現れた。
八○島シー○ラ○イスで、期間限定の花火フェスタ
その会場で行えるという。
雪がその日の動員予想数やら、子供たちの数
ステージの設置場所を説明していた。
「あっ、お母さん、
シー○ラ○イスの花火フェスタでやれるって」
照美の嬉しそうな声が、聞こえていた。
「うん、わかった事務所ね寄ってく」
「電車だな、照美さんの車二人乗りだし」
「私ので」
オフィスが集中しているであろうビルの、配送業者用の
駐車スペース。
端のほうに、昼食の販売準備をする、移動販売車が止まっている。
この通りだけで、三台居るのが確認できた。
定番のホットドック、日替わりランチ、
イベリコ豚の冷しゃぶうどん、とある。
どの販売車も見ているだけで、楽しくさせるカラーリングと、
サイドオーニングから、引き出された日よけのシートの異なる色が、
青々と葉をつける並木の下で、目立っている。
夏葵は、ホットドックを買ってきた。
ビルの地下駐車場の入り口で警備員が呼び止める。
夏葵の顔を見ると、態度が一転した。
「いいんですか私なんかが、金剛寺の事務所なんて」
「面接よ、翔琉も初めてだね」
慌ただしくオフィス内を動き回るスタッフ、テレビの中で
よく見るシチュエーションを想像していた。
実際には、数人のお姉さんが、
パソコンに向き合っているだけだった。
「夏葵ちゃん、おはよう第二駐車場に届いてるわよ、
何に使うのあれ?」
「みんな、ちょっと手を止めてミーティングいい?」
二列に並んだテーブルを挟んで数脚のチェアー。
お姉さま方が座り、俺と雪も空いた席に座った。
ホワイトボードに、サラサラと書き込んでいく夏葵。
「うわっ、よく場所取れたわね」
「雪ちゃんのおかげ、雪ちゃん自己紹介いい」
「今日から、ステージでのマイクをやることになった
伊出川雪です。宜しくお願いします」
「よくその子に目をつけたわね」
「え?瞳さん知ってるの?雪ちゃん」
瞳が立ち上がる。
肩にかかった茶色い髪、耳元のピアス、ルージュの色
そこに居たスタッフたちとは、異なる雰囲気。
遊び慣れた、そんな雰囲気を感じさせる。
「クラブで、今一番声掛かってるんじゃないかな、友達が
よく言うもの」
「ありがとうございます、でももう卒業ですね」
「ええ、もったいない私好きだったのに」
「なら、腕は間違いないってことだね」
夏葵は、瞳に問いかけるように言う。
「私が保証する」
周りのスタッフもこの言葉に、頷いた。
場所 八○島シー○ラ○イス
七月○五日
日時 十七時~二十時 二十一時半~二十二時半
〈販売のみ〉
参加モデル
夏葵 チエ 千景 双葉 他
他 翔琉 健 陸 武夫 他バイト六名
目的 若い年齢層の母親を含めた女性と子供たち
への新作披露と販売、ふれあい作りと、会場内への
動員数増加。
販売
スタッフ一同
機材 大型トラック二台 〈ウィング車 箱車〉
ステージ用 更衣室兼楽屋
新作服その他のグッツ
司会 マイクパフォーマンス
伊出川 雪
特別ゲスト
照美 総一
〈本人の強い要望による参加〉
ドクター待機 担当医 看護師三名
ホワイトボード記載
「何か意見ある?」
「スタッフは私服?」
「新作の浴衣からお好きなのを着てもらっていいわ、腕章はつけてね」
彼女たち、満足気に頷く。
「風船、五千個って、空でも飛ぶ気?」
「瞳さんらしいけど、当日は子供たちに配ります」
「それは、俺たちが」
翔琉の声に、ざわつくスタッフ。
「そっか、自己紹介まだだったね」
「いや、それが噂の翔琉くんでしょ、照美さんから
聞いてる、なるほどタイプだなあ、うんいい」
「瞳さん」
ちぇ、と舌打ちし、下を出している。
スタッフが、笑う。
「あとは私たちに任せて、夏葵たちはステージに集中してね」
「機材の搬入は、開園前に済ませてほしいそうです」
「すぐに伝えておくわ、それと・・」
ガチャッ、
「夏葵い、ステージ入ったなら連ら・・」
スタッフが、次々に溜息をはく、夏葵は慣れた様子で、
やって来たやたら派手な女を席に着かせた。
「なになに、いい男じゃん」
腕を組んでいた瞳が言った。
「あんたじゃ無理」
「噂の翔琉君?やっばい、夏葵ちょうだい」
スタッフ一同、考える人になる。
雪は、笑いを堪えていた。
「もう、瞳さんといい・・千景も」
「あのう、話しが逸れてません?」
翔琉の言葉に同調した千景。
「そうそう」
「お前が言うな」
スタッフが呆れ気味に言った。
こういう時は、纏まるんだな。
俺と雪を除いた声が重なった。
翔琉は、何だかな~と、心の中で呟いていた。
次の日。
朝一で照美に顔を見せてきた翔琉と夏葵。
マンションの入り口を入る。
何やら三人ほどの作業服の男たちが、開かれたままになった
エレベーター内で、作業している。
「すいません、不具合があって二時間ほど掛かりそうなんです」
「そ、そうですか・・」
サングラス越しの夏葵が、ふくれていた。
こうして、十一階建ての最上階までぶつぶつ言いながらの夏葵と
上る。
部屋の前まで来たとき、二人ともかなり息が荒かった。
「翔琉顔真っ赤」
まさか夏葵のミニから覗く、太腿に興奮したなんて
言えるはずもない。
笑って誤魔化す。
俺と夏葵は、パソコンの画面で、先ほど会った照美さんと
会話してから、朝食を済ませたところだった。
コーヒーが、カップに注がれたと同時に、インターホンが鳴った。
健と双葉だった。
二人も息が乱れていた。
「朝っぱらから、双葉とローカルポイントの、ビーチクリーン
いやあ大分流れ着いてたわ」
「しかも、エレベーターダメだったろ」
「ああ、最悪だ荷物あるってのに」
「丁度コーヒー入れてた、荷物ひとつよこせ」
意外に早く合流した健と双葉、照美さんの顔を見てきたという。
「そうだ昨夜、千景ちゃん来たんだ、キャラ強いわ」
「今からくるよ、駅で雪ちゃん拾ってから」
「双葉、あの子好きだな」
「でもバカだよ」
確かに見た感じは、でもどこか違うんだよなあの子。
「今、雪って聞こえたけど」
「うん、陸くんの紹介でマイクパフォーマンスする子」
「あの雪だったよ」
「そ、そうか」
「え、何」
俺はこの先の関係がぎくしゃくしてもマズいと思い
夏葵にすべてを打ち明けた。
「そ、そう・・どんな思いで翔琉のこと振り切ったのかな、強いね」
「今は、新しい恋してるって」
「良かった、あっ丁度千景から」
吹き出しながら電話を切った。
「ブーブー言ってたよ、まだ直ってないみたい」
「そういえば、煮豆は」
「車で爆睡」
「何で煮豆なの」
「名字が大豆」
「ウケる、千景の名字小豆だよ」
インターホンが鳴って、玄関先に出ていった夏葵。
何やら大声で笑っている。
「やっほー、みんな元気」
「何で俺が・・・」
両手に、抱えきれぬほどの荷物を、持たされている煮豆。
「お前それで上がってきたの」
「チエの車に、カッコいい男が寝てるじゃん、キスして起こしちゃった」
「断れねえだろ、さきに報酬貰っちまったら」
悪い報酬ではない、人気モデルからのキス、宅配業者なら
荷物どころか千景まで運んでくれるだろう。
「夏葵、何人か借りていい?」
「何?」
「今回のイベント、あっしに任せておくんなせい」
「そんなこと言って、またステージのお客巻き込むんじゃないでしょうね」
「確かに巻き込むっちゃ、巻き込むけどノープロブレム」
「あんたのそれが、一番心配なの」
溜息の夏葵に、ぺろりと舌を出す千景。
夏葵は、チエと雑誌の取材があると言って、出かけて行った。
「これで、夏葵の大事な翔琉君と話す機会が出来たっと、ああそんな
心配そうな顔しないで、冗談よ」
「ところで俺たちは何をすれば?」
「ちょっと私の母校に用があるの、陸くん運転お願い」
「あの・・う、千景ちゃんの母校って、・・」
双葉が、探るような言葉を投げかける。
「ん、・・・・・だよ」
「やっぱり」
「双葉知ってんの?」
「え、うんちょっとね」
観光に来たと思ってついていくことにした。
高級住宅街を通り抜ける。
一軒の中古車販売店の前で、陸が停車を余儀なくされた。
熊だか猫だか分らぬ着ぐるみを着た二人が、ぺこぺこと
お辞儀していた。
陸が、ほんの少しウィンドウを下げる。
言葉はなかった。
「俺そっちの白がいいな」
もう一人の着ぐるみから、白い風船を
取ってくると、チラシと共に手渡した。
風船に満足気の陸。
ふわんふわんと、天井に浮遊する風船。
「チエが言ってたけど、本当に子供みたいだね」
「これはお土産」
何気なく振り返ると、数台後ろの車が着ぐるみに止められていた。
振り返った際視界に、いつの間にか仲良さそうな煮豆と千景。
雪が俺の隣に、マンションからかなり控えめだ。
「どうした、具合でも悪いのか」
「う、ううん今のこの時間、いろいろ思い出しちゃうね」
雪の心の中、声が張り裂けんばかりに泣きたかった。
新しい恋をしていると言ったが、本当は恋などしていない。
翔琉には夏葵が居る、頭では分かっていても心が抑えきれない
このまま仕事を続けられれば翔琉と離れないで済む、
片思いでもいいとにかく傍に居たい。
翔琉に気付かれぬように何度顔だけ見て帰ったか、
後悔と思う気持ちが複雑に絡み合い膨らんでいくのだった。
長年翔琉との付き合い、そして雪とも付き合いのあった健は
雪の気持ちが、わかっていたがどうすることもできない、
ただじっと見守る事しか出来なかった。
いかにも聖職者らしい、落ち着きのある車が並んでいる。
場違いとも見える、チエのワーゲンバスが空いた駐車スペースへ滑り込んだ。
所々に教会を思わせるイメージの校舎、来客用のスリッパに履き替え、千景についていく。
「千景って、もしかしてお嬢様?」
陸らしい単純な疑問。
「夏葵ほどじゃないよ、でもこう見えて全国大会経験あり」
「何で?」
この先の千景の言葉に興味を傾けていた面々。
「ん~、将棋」
聞かなきゃよかった。
頭の中で、千景が将棋を打つ姿を思い浮かべる。
これに負ける対戦相手が、気の毒に思える。
「え?」
「双葉、どしたの?」
「あっ、うん何でもない」
「よう、来たな」
何処にでも居るのである。
やたら睨みの聞く、ごっつい顔の先生が、出迎えた。
「で、どれが俺の可愛い教え子の彼だ?」
煮豆の腕に縋り付いた千景。
「え?おれ、ちょっちょっと」
「いやなの?」
「いえ、光栄ですけど」
「何か微妙だな、まあいい体躯倉庫だ千景」
プロレスラー並の体格で歩く教師の後ろについていく。
人気はあるらしい。
すれ違う生徒の表情からそれが窺えた。
「これよこれ、翔琉くん達で運んで」
かなりの数のパイプ椅子・・トランポリン。
「何すんのこれ?」
「えへへ、楽しい夜になりそうなのだ」
とりあえず、言われた通り車に積み込んだ。
「ふう、戻ってきてくれって言ってたから、行くか」
戻ってみると、千景の手にバスケットボールがあった。
鬼瓦のような顔の教師の顔も緩んでいる。
陸が、千景の様子を見て唸った。
「ありゃ上手いわ」
バスケ経験のある陸、確かに素人目に見ても、鮮やかなドリブルだ。
「あっ、お帰りぃ」
「千景、十本連続で入ったらこれだ」
教師の手には、上映が始まったばかりの、映画のチケット。
「武夫君、映画行けるよ」
「行けるよって、陸お前行けるか?」
「無理無理、千景ちゃん将棋じゃなかったの?」
「ほんとはこっち、恥ずかしいじゃん」
将棋のが恥ずかしい、と思う。
俺は、何だかな~と溜息をついていた。
「健君私知ってたの、やっぱ本物だったんだ」
そういえば、妹の真由美もバスケ部だった。
ダダンッダダダン、早いドリブルから構える。
翔琉の喉が鳴った。
隣の雪も,固唾を飲んで見守っている。
鮮やかなフォームから放たれたボール。
弧を描き、リングには触れることなくパサりとネットに吸い込まれ、
待ち受けていた、鬼瓦のような顔の教師が受け止めた。
ほえ~っ、と間の抜けた声を上げた健。
「全く腕は鈍ってないか、○○先生と行こうと
思っていたのにこりゃ負けたか」
気が付いてみれば、ひらひらとチケットを手にほほ笑む千景がいた。
賭けには負けたものの、苦笑いながらどことなく嬉しそうだ。
「時々で構わん、教えに来れんか」
「いいよ、またくるね岸部先生」
話を聞きつけた生徒たちが、通路を塞いでいた。
ざわざわとする中、岸部先生の姿に気付き道を開けた。
何人かの生徒が、雑誌を手にしながら手を振る。
「見ててくれてありがと、またくるね」
とんだ有名人だったチエを知った俺たちは、まるでコンサート
のあとのような気分でその場を後にした。
早く行きたいね、と煮豆にすり寄る、一つ疑問が浮かぶ。
「あのさ、うしろのこれ何に使うんだ」
「事務所に行ってからのお楽しみ」
「そういえばさ、やたらでっかいレンズでカメラ構えてた
先生居なかった?」
「雪ちゃん、たぶん英語の安西先生」
「カメラが趣味なの?」
「んん、たぶん社長がよく知ってるよ、同級生だって言ってたから」
「それにしても、あの先生一見見たらヤクザだよな」
思ったことはストレートに言う陸。
「確かにね、でも面白いよ」
事務所に着いた俺たちは、目を丸くした。
「照美さん、外出?」
「何言ってるの、現場復帰よ現場復帰」
周りのスタッフたちは、戸惑いの入り混じった複雑な顔だった。
「まだゆっくりしてた方が、夏葵とみんなで何とかやってみますから」
「そんなときに寝てられないでしょう、千景それよりあれ何?」
スタッフの瞳が、言った。
「そうそう、今日夏葵たちの予定は?」
「あと二時間はかかるかな」
千景は、照美に頼んでスタッフも含め皆をミーティングルームへ
集めてもらった。
ホワイトボードの前に、何やら山積みの衣装がある。
普通の衣装ではなかった。
「照美さんこれって、ついこの間終わったばかりの戦隊ヒーローじゃん」
意外に、この方面に詳しい煮豆。
「昔の連れが、まとめて譲ってくれたの」
「これ、翔琉くん達のバイトだよ」
「はあ?」
間の抜けた声はトーンから大きさまでぴたりと重なった。
千景の奇抜な発想に、照美は腕組みをし閉じていた目を開けた。
「どう思うみんなは?」
端から意見を求める照美。
煮豆が目を輝かせ俺たちを見る。
俺が見やると、健と陸も苦笑いで頷いた。
「ヒーロー役が三人ですね」
飛び付くように、俺レッドと叫んだ陸。
お先にどうぞ、と煮豆。
健がブルーを選んだ。
残ったイエローとなった煮豆。
「じゃあ、怪人はおれで、手下は?」
「バイトを頼むわ」
「千景、これは夏葵たちには内緒なのね」
「その方が面白いかなって。」
「でも、あのヤキモチ焼きのチエが、大丈夫かしらね」
この業界ではチエのヤキモチはかなり有名らしい。
「それは、陸が最後にチエにプロポーズで、完璧」
おおお、一同が声を上げる中、陸だけが少々不満げな顔をする。
「ま、まあそこは陸くんが上手く考えてあげてね」
やはりこの千景、只者ではなかった。
「じゃあ、このコスチューム、大至急アレンジしておいて」
照美の声に、自信をもって応えるスタッフ。
「あと男物の浴衣も急ぎます、 新作のほうも目を通してください、
夏葵ちゃんが来たらと思って運んできてあるので」
「じゃあ、社長衣装のほうは絶対に夏葵たちに見つからないように
お願いしますね」
「ええ、翔琉くんたち、楽しみにしてるから」
照美さんの笑顔が、何だかとても寂しそうに見えた。
俺は、駐車場わきの販売機に健を誘った。
「照美さんのことだろう」
「どう思う?」
「はっきり言って、病院に戻したほうがいいな」
「行って聞いてくれると思うか?」
「無理だな、たぶん夏葵でも。」
照美の用意してくれたマンションには、健、双葉、雪、俺の四人。
千景は、戸惑いつつも嬉し気な煮豆を連れ、戦利品の映画を見に
出かけて行った。
雪が重たい口を開いた。
「ねえ、夏葵ちゃんのお母さん、無理してない?」
「双葉も思った」
翔琉にすがるような目を向ける雪、それは健を見る双葉も
同じだった。
ちりりり、ちりりり、りり。
「何?」
「照美さんの部屋からだ」
どうしようか迷ったが、翔琉がそっとドアを開いた。
照明のスイッチを入れる。
ソファーの前のガラステーブルの上に、それはあった。
「鈴虫?かな」
ケースの中には、雪の言う通り、数匹の鈴虫が入っていた。
ケースの上に、小さなメモが乗っている。
事務所に来る前にここに来たのだろう。
夏葵へ
しばらくは、一人になると思う、寂しがり屋のあなただから
これを置いておく、餌は冷蔵庫に、今は翔琉君とは別々に眠ること。
照美
「夏葵ちゃんが来るまで、そっとしとこう」
「雪ちゃん、おいしいもの作って待ってようか」
「そぅだね、陸くん運転いい?」
「翔琉さん行きますか?」
「俺と健は待ってるよ」
俺と健は、バイクショップに行くことにした。
「これ、借りたのかよ」
「好きな時に使えって」
ショップに着いたら、オールバックのビッチリ決まった
社長が吹っ飛んで出てきた。
「何だ?照美かと思ったらお前ら」
「しばらく借りたんですけど、凄いんですよこれ」
「当たり前、俺が組んだんだから」
なるほど、納得だ。
「何か、パーツがどうとかって」
従業員にミニを片付けるように言った社長。
「総に頼まれちまってな、あいつ俺がいくら言っても
出さなかったくせに、こっちだ」
軽く見ても、軽トラック一台分はあった。
「しかし、不思議なことってあるもんだな、総のバイクに
乗っただけでも大したもんなのに、あの夏葵がお前に
夢中なんだもんな、総がよく認めたよ」
そんな会話が交わされていたことなど、翔琉は知る由もない。
「そんだけありゃ、困らねえだろ」
「こんなレアなパーツ、どうやって」
空を見上げ、笑いだした社長の渓
渡ケ瀬渓
1980年代のバイクブーム全盛期、総の周りに集まった
メンバーの一人として、仲間のバイクのメンテナンスを、
してきた男だ。
「まさかこんなにあるなんて、あとで来ます」
「いや、大丈夫だ丁度今日届いたエンジンが梱包
されてきた木箱が空いてっから、ミニのキャリアに
載るよ、ラッシングベルトだけあとで持ってきてくれ」
「すげえな、翔琉」
「帰ったら分けようぜ、夏葵の父さんに会ったら、礼言わなきゃな」
「礼なら夏葵もらってやれよ、それが一番の礼になる、はは笑」
「はは、はぁ」
最近、この貰えといわれることに、よく出くわす翔琉だった。
「中に、ピストンが二セットあったのは、こっちに置いておくから
あとで二台で来い」
渋いオールバックの髪を、撫で上げながら渓は言った。
「社長、コーヒー入りましたよー」
「おう、あとはうちのがやっとく、中で茶でも飲んでけ」
こういう言い方が似合うのも、その世代ならではだ。
「そうか、照美のやつ言い出したら効かねえからな」
翔琉と健の不安気な顔に気付いた渓は言った。
「まあ、おれからも言ってみる」
夏葵は、父総一があれからすぐに、九州に向かったと言っていた。
電話ではその場で返事はしたとしても、聞くとは思えない、渓なら
そんな思いから打ち明けてみて、よかったと思うのだった。
マンションへ戻る車の中で、溪に相談できたこともあり、不安が
消えかけた翔琉と健。
今、頭上に乗っているお宝の山に、話が弾んだ。
頭の片隅に照美のことがあったのは二人とも同じだった。
幸いにもエレベーターは、完璧に修っていた。
「これ十一階まで階段だったら死んでたな」
「でも、置いとけねえからな、これだけの物」
マンションの考慮に感謝だ。
エレベーターの一階、五階、十一階に荷物運搬用の台車が
設置されていた、のちにこれが照美の寄贈したものだと知った二人。
ベランダにひとまず荷物を置いた。
すでに帰ってきていた三人。
陸の姿を見て思わず吹き出してしまう。
これ程、台所が似合わない男も珍しい。
「チエに見せてやろうぜ」
スマホのシャッターを切る健。
ふくれっ面で、黙々とジャガイモの皮むきをしている。
「何で陸が文句言わないか知ってる?」
俺たちは首を傾げる。
雪がにやけながら言った。
「チエちゃんに食べさせたいんだって」
「それでも、やっぱ似合わねえぷっく、笑」
「この二人に毒でも盛ってやりたい」
ぼそりと呟きながらも手は休めない陸だった。
えらい勢いで開いたドア。
次の瞬間、叫びにも近い声。
やっと一息つくことができていた陸が、溜息をもらす。
「陸ぅ、何でいくら電話しても出ないの、浮気者」
ちぇっ、と舌打ちする陸が無言でテーブルを指さす。
あまりの勢いに茫然としていた面々。
「仕事中は仕事に専念しろよ、腹減ったぁ」
「だってえ、怒ってる?」
「お前のそのヤキモチで、俺がメル友居なくなったの知ってるだろう
ほら夏葵ちゃんと座れよ、早く食おうぜ」
「夏葵お疲れ、どうだった」
「翔琉、仕事は上手くいったんだけど、隣でずっとこの調子」
「ははっ、ある意味大変だったんだ、笑」
いつもなら、騒ぎまくる千景の姿がないことに気付いた夏葵。
「千景、武夫君と一緒?」
双葉と料理を並べていた健が言った。
「今頃、映画館で煮豆襲われてるかもよ」
「ああ、もしかして始まったばかりのやつ?、陸私たちも行こうよ」
「千景が映画、そんな趣味あったかな」
首を傾げる夏葵に、双葉が説明した。
バスケ経験者らしい説明は解り易かった。
「でもなんでそんなとこ行ったの?」
双葉と雪がちらりと翔琉と健を見やった。
慌てて誤魔化す。
「何か、前からバスケのコーチを頼まれてたらしいよ、
一人じゃ行きづらかったんだって」
「ふーん、あの千景がねえ・・・・・」
危うく耳を撮みそうだった俺。
翔琉は嘘や照れた時、耳を摘まむ、夏葵は知っている。
こうして準備は整った。
千景の協力で、俺たちのヒーローショーの練習は
あの鬼瓦のような顔の、岸部の元で行われた。
普段から波乗りで培った反射神経。
岸部の呼びかけに集まった体操部の丁寧な教えに
宙返りの何パターンかは、すでにマスターし出した
俺たち。
「本番はこうは行かんぞ、トランポリンがあるのは
ジャンプの時だけだからな」
二日目の練習中、モデルの仕事を終えた千景が駆け付けた。
突然連れてこられた煮豆、千景の彼氏になったことからの感謝か
文句も言わず頑張っていた。
千景に気付かないほどに。
敢えて声もかけず、見守る千景。
「岸部先生彼お願いね、私バスケ教えてくるから」
「うむ、任せておけ」
二日目が終わってみれば、岸部、《通称鬼瓦》とすっかり打ち解けていた。
千景の、面白いといった言葉もわかる気がする。
こんな先生が一人はいないと、翔琉はそんな思いが頭をよぎった。
こちらは地味に飛んだり跳ねたりを繰り返していたが、すぐ隣は
わあ、とかきゃあ~の声が頻繁に聞こえてくる。
自前で用意してきたらしい、派手なジャージ姿の千景が、
コートの中を走り回っている。
片づけを終えた俺たちは、そんな様子をコートの外に居た
マネージャーらしき生徒とともに、眺めていた。
「あああ、俺も入ってくる」
マネージャーの首から下げられていた、笛に手を伸ばした陸。
辺りに響き渡る、ピりりりりりりいと甲高い笛の根。
突然、自分の笛を吹かれたマネージャーの子は、耳まで真っ赤にし
陸を見上げていた。
千景と対戦していた方のチームの一人
が、足早に岸部に駆け寄った。
「岸部先生、本当にあの人ブランクあるんですか」
「ははは、誰も止められないのか」
「だって、・・・・」
「俺が止めてやる、千景覚悟」
結果は見えている気がしたが、少々の期待の中。
普段からコートに慣れ親しんでいる生徒たちは声を上げる。
「ほほーう、見た目と違って中々良い動きするじゃないか」
岸部が、腕組みのまま言った。
スタミナには自信のある陸、だがレベルが違い過ぎた。
マンションへ戻る車内の中、陸だけが膨れていた。
「次は絶対勝ってやる」
「いつでもいいよ、笑」
当日の俺たちは、会場の至る所で風船を配っていることにしてある。
まさか体中痣だらけになって、戦隊ヒーローの練習をしていた
とは知る由もない夏葵とチエ、ここでチエのヤキモチが。
「だから何回も言っているだろう、そんな暇ないって」
「なら、ちゃんと目の届くとこに居てよね」
「はいはい」
この時、照美がICU に運ばれていたなど知る由もなかった。
いよいよ、新作発表とバイト初日。
「これはこんな感じでいいよね」
「うん、チエそれ終わったらメイク入っていいよ」
いつもなら、スタッフたちがやるところであるステージ
準備、キャップを深々とかぶり手伝うモデルの面々。
何としてもこの成功を照美に見せたい、マンションで
打ち合わせた通り、誰も嫌がることなく動いていた。
スタッフにあとを任せ自身もメイクに向かう。
「か、母さん・・お父さんも」
「ほ~う、なかなかいいじゃないか」
「お母さん今日は車椅子なんだ、大丈夫?」
「お父さんが心配性なのよ、しっかりね」
「あっ、照美さん・・あっどうも、あんなにレアなパーツ
いただいちゃって・・」
「喜んでもらえたならいい、こっちこそ夏葵のために
大切な休み使わせちゃってすまない」
照れ臭さから、耳を摘まんでいた翔琉が呼ばれた。
「あっ俺行かないと、お二人は今日は客席で?」
「その方が夏葵のこともみんなもよく見えるから」
「じゃあ、俺らは別のとこで準備なんで」
「あっ、翔琉・・」
弱弱しい照美の声に振り返る。
「終わったら、またあの海で打ち上げバーベキュー」
「いつでも」
なるべく夏葵たちの目に付かぬように、園が用意してくれた
更衣室へ向かう。
チエがきょろきょろと陸を探していた。
さすがに金剛寺のロゴの入ったトラックは目立つ。
すでにかなりの人だかりが出来ている。
ステージの両側に浮遊する五千個の風船も
その要因の一つと言えよう。
スタッフのメンバーが、観客の間を手に手にパイプいすを持ち
駆け回る。
夏葵たちの目から見えない位置でそれらを眺めていた翔琉たち。
思わず目を細めている。
見かけたお年寄りに話しかけては、椅子をセットして行くスタッフ
の誰もが、沈みかける夕日に照らされ額に汗を滲ませていた。
千景の良いところをまた一つ見つけた瞬間だった。
「煮豆、いい子に会えたな」
既に戦隊ヒーローのイエローになっていた煮豆。
「キィー!」
「ばっかそりゃ俺の手下だろう」
翔琉は大きく溜息、思った。
何だかな~。
「おっ、どうやら始まったみてえだぞ」
健の声に、俺たちはスタンばった。
とは言っても、先に行くのは俺一人・・少々考えた。
モデルの中で、誰に向かうのが一番無難か。
何せ突然怪人が乱入など知るはずがない。
下手すりゃ、逆切れされかねない・・特にチエ。
となると、千景か夏葵・・・よし。
ちなみに何怪人かというと、まさにこの場にうってつけの
サメ怪人だった。
流れるミュージックに合わせ、雪がテンポよく司会を進める。
雪のこの晴れ舞台は、翔琉も嬉しい限りだった。
最初にステージに出てきたのは千景、会場が一気に湧いた。
遠目ではあったが、なるほど様になった歩き方だ。
「か・・かっこいい・千景ちゃん」
羨望の眼差しで見つめる煮豆が放った言葉。
夏葵やチエと肩を並べるだけのことはある、静かにしていれば
トップモデルにしてお嬢様、に見えなくもない。
チエが出てきた。
「ちぇっ、俺にもあの位笑顔で居れば」
何だかんだ言って、きちんと見ている陸。
「そろそろじゃねえ・・」
「煮豆、花持たせてやるよ」
言い終わらぬうちに、俺は走っていた、いやこの場合
泳いでいるのか、どちらにせよ俺は千景に向かって、
全力疾走だった。
「な、なにあれ?」
チエがいち早く気付いた。
「さ、鮫かな?」
チエが呟いたとき、すでにステージの階段を駆け上がっていた俺は
トランポリンに飛んだ。
ぽかんとするチエ。
上手く宙返りを決めた俺が千景の前に着地を決めた。
一斉に会場から、声が上がる。
素早く千景の背後に回り、千景を捕まえた。
上手く雪がマイクを入れる。
「会場のちびっ子のみんな、千景お姉ちゃんがサメ怪人に
食べられちゃう、せえのでハッケイジャーよ」
翔琉もこのハッケイジャーの名は知らなかった。
噴出しそうになり、何とか堪えた。
「サメ怪人?ハッケイジャー?」
全く状況の飲み込めないチエ。
「何あれ?」
「さ、さあ・・」
夏葵と双葉は、出るに出れない。
千景が叫ぶ。
「きゃー、食べないで~」
雪が掛け声をかけた。
会場に集まっていたちびっ子が、一斉にハッケイジャー。
「ああー、みんなの声が届いたみたい、覚悟しなさいサメ怪人」
「とぉっー」
次々と、宙返りを決め現れた、赤青黄のハッケイジャー?。
「夏葵ちゃん、こんなの隠してたの?」
「し、知らないよ双葉ちゃん、どうしようか」
「ハッケイジャーレッド」
「ハッケイジャーブルー」
「ハッケイイエロー」
ジャーは?
ステージの誰もが、心の中でそう突っ込んでいた。
ただ単に緊張した煮豆の間違いに。
俺が叫ぶ。
「おのれぇ、手下たち出て来い」
「キイィー」
「もうっ、何すんの触らないでよ触っていいのは陸だけなんだから」
「ちびっ子のみんな~、みんなでハッケイジャー応援して。
がんばれ~」
懸命に叫ぶちびっ子の声、打ち合わせ通りレッドが。
「レッドハリケーン」
トランポリンで宙に舞ったレッド陸。
縦の回転を入れ、着地と同時にサメ怪人にパンチを放った。
絶妙なタイミング、サメ怪人がうなり声を上げ千景から離れ
膝から崩れそうになったが、持ちこたえる。
「ブルースパイラル」
今度は横回転を入れたブルー健が、寸止めで蹴りを入れた。
サメ怪人の俺は一度倒れた。
会場から、やったーとの声がちらほら。
フラフラと立ち上がった。
「ちょっと、そっちばっかで私は?」
チエには、もう少々手下に捕まったままでいてもらう。
ここで手下たちが、スタンばっていた夏葵と双葉を連れてきた。
そんな登場の夏葵だが、会場が湧きあがる。
「なかなか面白い演出じゃないか、照美」
「ほんと、これならだれも飽きることないわ」
そのときだった。
「イエロー・・・」
会場のちびっ子もみんなも、ハリケーン・・スパイラルと来て
次の必殺技に期待した。
ところが、
回転も何もせず着地したイエロー。
「ヒッププッシュ」
そう叫んだ煮豆イエロー。
クレヨンしんちゃん張りに突き出したヒップ、一応ヒットした。
瞬間、会場からかっこ悪い―と叫ばれる。
笑いの渦の中。
「ヒッププッシュで助けられたくない~」
ポツリとつぶやいたチエだった。
サメ怪人も、最後がこの技ではと、声を低く変えながら。
「くっそう、こうなったらこれで勝負だ」
これまでの展開だけでも、頭の中で?マークが飛び交う
夏葵に、新たな?。
「何で?」
いつの間にか用意されたバスケットゴール。
サメ怪人の俺が、雪に耳打ちする。
雪が言った。
「俺の手下に、こいつが物凄く上手いやつが居る
五本ずつ投げて、負けた方が言うことを聞く、
どうだ・・・そう言ってます」
「もし負けたら、私たちは何するのよ」
夏葵が膨れ気味に言った、頭の中では相変わらず
?が飛び交っている。
またも雪に耳打ちするサメ怪人紛する。
「そうだな~、客席の子供たちに三回早着替えでステージ
に立たせろ・・だそうです」
本来なら直接声を上げるところだが、そう何度もではばれる。
「何か、丁度いいような大変のような、千景」
「ほ~い来たがってんでい」
自分を勝たせるため、そう思っている千景だが、
そこは少々苦戦してもらいたい所である。
「うーんよくわかんないけど、会場のみんなはどっちの
応援してくれますか~、大きな声でどっち?」
圧倒的にお姉ちゃんの声が多い中、ちらほらと怪人。
「あれ?、怪人好きな子もいるみたい。千景さん
これは負けられませんね」
このとき、照美と総は怪人と叫んでいた。
「千景、勝ってよね・・いつまでも陸以外に
触られてたくないんだから」
「千景ちゃん、がんばって・・・」
俺は、ばれぬ様に声を低く叫んだ。
「よ~し、行け」
「キイィー」
すっかり手下になり切っている。
実は、先日悔しい思いで終わっている後輩を代表して
このために紛れ込んだ現役のキャプテンである。
「まずは、お手並み拝見しようか」
以前千景が見せた、ドリブルに劣らぬスピード。
「あら・・・やるわね」
この時会場では。
「やあ、どうも金剛寺夫妻・・」
先日、大きなカメラを構えていた教師。
「来たのね、あらそちらの方は」
安西の隣には、鬼瓦いや・・岸部の顔が。
「初めまして、いつも千景がお世話になっております」
「千景の担任にして、バスケ部の顧問だった岸部先生」
「そーうですか、で岸部先生はどちらが勝つと?」
「もちろん千景、と言いたい所なんですが相手は
今うちでキャプテンを務めてましていい勝負かと」
「そりゃ楽しみだ」
総は照美の車椅子の後ろで、目を細め腕を組んだ。
一本目を鮮やかに決めた怪人側。
全身黒タイツの中では、ライバル心を燃やすキャプテン。
「怪人の世界にも、スポーツが?」
雪はサメ怪人に問いかける。
ごにょごにょと耳打ちする。
「ふむふむ、いつかヒーローを倒すために・・意外に
努力家なんですね」
「そろそろ行くよ」
浴衣姿の千景が構えた、慣れない浴衣姿でのシュート。
リングに触れはしたものの、・・入った。
会場から拍手が起こる。
動きやすいジャージと浴衣のハンデ。
にも拘らず勝負は、四本ずつ入れた引き分け
流石としか言いようがない。
千景のレベルの高さを痛感しながら、サメ怪人の後ろに
下がる。
「こういう場合どうするの?」
夏葵が言う。
「え~、はい・・はい・・・サメ怪人さんは、お互いが罰ゲームを
受けようじゃないかと言ってますが・・・」
「わ・・わかったわ、子供たち連れてくるから離しなさいよ」
渋々承知するチエ、四人が相談し出す。
「それでいいんじゃない、雪ちゃん・・」
「お待たせしました、どうやら怪人さんたちには会場で
風船を配ってもらうみたいです、スタッフさんお願い」
両手にかなりの数の風船を手渡される、サメ怪人の俺と
キャプテン率いる手下たち。
ステージを降りていく怪人たちの後ろで、雪が言った。
「ちびっ子のみんな、引き分けちゃったけど頑張った
怪人さんたちにも、拍手~」
ヒーロー役の三人も、風船を手に。
こうして初めてのヒーローショーは、終盤を迎える。
「え~ 、会場のちびっ子のみんなどうだった
面白かった?お父さんお母さんも、彼女連れ
の彼に友達と来てる人、どうでした?」
なかなかの反応が返ってきた。
「か~ぁ、本当にやるんすか」
「せっかく照美さんが、バイト代って用意してくれたんだ。
ここらで観念しろよ、いつまでも若くねえんだから、なあ」
沢山の風船の中にひと際大きな風船を手にする、レッド。
もちろん、風船を配りながらの会話。
ステージでは、選ばれた子供たちと楽し気にする夏葵たち。
どうやらかなりのマセガキに当たってしまったチエ。
危うく会場中に、スカートの中を披露しそうになる。
捲り上げ損ねたちびっ子のおでこを、指で弾く。
雪の絶妙なマイク、双葉はずっと顔を赤らめている。
ステージ脇の、販売コーナー も上々。
俺は、照美さんを探した。
今日一番喜んでいるであろう照美さんを。
「て、照美さん・・・」
俺は走っていた。
先に気付いていた健が、俺に振り返る。
「先に病院に戻らないといけないみたい、夏葵お願いね・・」
「おれたちも・・・」
照美が翔琉の入っているサメ怪人を、睨んだ。
唇を震わせ、何かを訴える照美を支えていた総。
「此奴が楽しみにしてたステージ、かわりに最後まで見守ってやってくれ」
健が照美の前に立ち塞がった。
「夏葵が見てる、行け・・翔琉」
俺は、ちらりと二人に振り返る。
総が照美の肩を叩いてから言った。
「母さん、いいよな」
言葉なく頷く照美に、担当医が近付いたが。
「お願い、もう少しだけ・・・。」
「しかし・・・これ以上・・。」
「娘が・・・。」
震える手を握りしめた俺。
ステージに目を向ける、間に合う。
俺は叫んだ。
トランポリンを片付けようとしていたスタッフの手が止まった。
ステージに駆け上がる俺に驚き、茫然のステージ上。
雪でさえ、ことばを探していた。
突然、目の前に再び現れた怪人。
「今度は何?」
夏葵の言葉に応えるように、被り物を外した。
「え?・・・何で翔琉が・・」
予定外の事に戸惑う雪、いや会場の誰もが。
「い・・・いや~、これは驚きましたサメ怪人の中
から、イケメンのお兄さんです」
「夏葵、これからもずっと一緒に居てほしい・・
だからこれ・・」
手にしていたひと際大きな風船、夏葵の目が
その中の物に気付いた。
「私が貰ってもいいの?」
「いらないなら、これはこのまま空に飛ばすよ」
「いやよ」
しっかりと飛ばされぬように握りしめた紐。
「キスっしょ」
「こ・・今度は魚じゃないよね・・・」
「ああ、魚じゃない」
「照美、見えるか・・」
「総・・あり・・がと・う・・」
「い・・いかん、もうこれ以上は」
会場はいつまでも拍手が鳴り響いていた、夏葵たちのステージに
向けてだったのは間違いない。
一方で、照美を見送る拍手のようでもあった。
翔琉と健が、去っていく総を見送っている。
総がステージに背を向けたまま、静かに手を上げていた。
翔琉はそんな総の背中に、深々と頭を下げた。
その時だった。
会場中に響いた声。
「ちょっとまった~」
今の状況を知るはずもない、今日のステージが終わったら
夏葵と・・勢いで先になってしまったが、こうなるのは本来なら
この声の主だった。
順番は違ったが、どうやら決心がついたようだ。
トランポリンを使い、派手な宙返り。
着地したのはもちろん。
「ずっと傍に居たからな・・これ」
ここにきて、全てを理解した夏葵。
チエも驚きつつ、レッドを見上げる。
「な・・泣くからね、これからもヤキモチ妬くんだから・
う・・うぁ~ん夏葵ぃ~」
泣きじゃくるその手には、しっかりと風船があった。
「まさかのチエちゃんにも、こちらのお兄さんも
イケメンですが・・」
会場にもかなりの二人のファンが居たはずである。
あちこちから、お似合い~との声が拍手に乗った。
こういうことでファンが減らないところも、夏葵たちの
魅力かも知れない。
ステージに皆がそろった。
今日の出来事を、解り易く説明する雪。
花火が上がるまでの時間、販売ブースでのメンバー。
ファンに笑顔の夏葵。
客の女の子たちと記念撮影のチエと千景。
ちびっ子たちとの記念撮影の、レッド・ブルー・イエロー。
すでに、何人かのファンが出来た様子の双葉。
何故か、やたらヤンキー風なお兄さんと写メに
収まるサメ怪人が居た。
あまりにも好評だったステージに後日、週二回のステージ
を頼まることとなる。
「本当に、みんなお疲れ様でした・・ステージにオーナーから
素敵な贈り物があるの」
そこには、照美自身がデザインし、早急に作らせた浴衣が並んでいた。
スタイリストに手渡され気付く。
「俺の名前、健もか」
「あ、ああ入ってる」
「世界に一着ってことかよ」
煮豆、自分のあだ名が煮豆であるのにハトが豆鉄砲
をくらった顔。
あの状況でこれ等を用意してくれていた明美、これ程の気持ちで
袖を通した服が今まであっただろうか。
「翔琉、どうする?知らせるか・・夏葵に」
今照美はかなりやばい状況なのは間違いなかった。
花火会場へ向かう面々、満足のステージに笑顔が絶えない。
俺は隣を歩く夏葵の袖を引いた。
「ん、なに?・・・翔琉?」
「夏葵、すぐ病院に行こう」
「え?」
「照美さんが・・・」
「それなら、これ」
夏葵が浴衣の袖から取り出したスマホ。
画面には、総が入れたであろう文字が並んでいる。
〈 夏葵、母さんの具合が悪くなって先に戻る
今落ち着いたから、花火楽しんで来い・・将来の旦那と。〉
その文字を見た時、俺の中の不安が猛烈に膨らんだ。
「ダメだすぐ行こう」
「ちょ、ちょと翔琉」
「陸・・車のキー」
振り返った陸、慌ててキーを取り出す。
陸は翔琉のこの顔を知っている。
「おい、俺等も・・」
「最後まで頼む、照美さんの言葉だ」
誰もが照美の身を案じて付いていくと言ったが、
照美からの言葉を伝えて何とかわかってもらえた。
「夏葵、着いたらすぐ知らせてよ」
「うん…陸くんと楽しんで、千景も」
会場をあとにする二人はけたたましい音に
振り向いた。
助手席で夏葵が呟く。
「母さんと見たかったな」
「そうだな、早く良くなってもらって
来よう」
助手席で頷く夏葵の左手の薬指で、打ち上がる花火の
光が届く度に、指輪が様々な色を反射させる。
そんな中アクセルを踏む翔流の足は、
小刻みに震えながら、踏み込んでいった。
この文に目を通して下さった方々、本当にありがとうございました。
また何かの縁で次回作にてお会い出来ましたら、少しは文章力が上がったと思われる作品でお会いできるよう書き続けていくつもりです。