第10話 アルバイト始めます
その日の夕食。
奏多はまた花音から貰った、というか着せられたお下がりを着ていた。ショートパンツと大して変わらないし、スカートじゃないから大丈夫でしょとキュロットスカートを穿かされていた。確かに厳密に言えばスカートではないけど、日に日に女の子っぽい服になってる気がする。
「……騙されてる気がする」
「ん~にゃに、おにいひゃん?」
口の中いっぱいにハンバーグを詰め込んでる花音だったが、奏多はどうにも食欲がわかないでいた。
「体育は慣れる気がしないよ……」
「あら~母さんには見せてくれないの、奏ちゃんのブルマ姿」
「絶対に嫌」
「けちーいいじゃない減るもんじゃなしに」
「僕のプライドが減り続けるよ……」
そんな事を言いながら、家でも女の子な格好ばかり。
本当にこんな生活を3年間も続けられるのだろうかと不安になる。
いや、反対に3年間もこんな生活を続けたらどうなっちゃうんだろうか、とも。
「そうだ、お兄ちゃん。今度の土曜日って何も予定ないよね?」
「うん、特に予定はないけど」
「じゃあさ、ちょっと付き合って欲しい所があるんだよね」
「買い物?」
「そうじゃないんだけどぉ、高校生になったからやりたい事があるんだよね、あたし」
「やりたいこと? 一体どこに行くの、というか僕も行かないと駄目なの?」
「秘密~」
花音は何か勿体ぶって教えてくれないのだけど、なんか隣で母親がニヤニヤしていて、これまた実に嫌な予感しかしない。
この二人して、一体何を企んでいるのか……。
そして入学式からの長かった1週間が終わった土曜。
アンジェリカ学園に通い出して初めての週末。
「お兄ちゃんもスカートで外を歩くの慣れてきたよね」
「うんまぁ、なんというか、慣れって怖いというか……」
奏多は、女子制服での登校にもそろそろ慣れてきていた。たまに「なんで自分はこんな格好してるんだろう」と我に返る事もあるけど、それ以上に新しい学校での新しい授業が楽しくなってきていた。
「相変わらず、有栖川君は気に入ってないみたいだけどね~」
「いやいや、僕も気に入ってはないよ!」
「凜ちゃんとか毎日楽しそうなのに~」
「そりゃ凜は好きこのんで着ているんだから、楽しいだろうけど……」
「だから、お兄ちゃんも好きになっちゃえばいいんだよ」
「女装を?」
「そうそう。可愛ければ男の子だっていいじゃない、の世の中だよ」
「そんな世の中にはなってないと思うけど……」
「大丈夫大丈夫……っと、無駄話してる時間とかないんだった。ほらほら約束通り出かけるよ~」
行き先も用事も告げられないままに先導する花音。
奏多は昨日着ていたキュロットスカート姿、何故か花音にウィッグまでしっかり装着するように言われていた。
奏多が連れてこられたのはお洒落で可愛い外見の喫茶店のようだった。中を見ると思ったよりも賑わっているようだった。
この店に何か花音が食べたいメニューがあって、一人で来るのは嫌だから女同士ならって事で自分が呼ばれたのかと理解して、なんだ~という気分になった。
(そっか、それで女装までさせられてたんだ……。これくらいちゃんと言ってくれればよかったのに)
何かもっと嫌な予感がしてただけに、ほっと胸をなで下ろした奏多であった。
カランカラン。
花音がドアを開けると、ドアに掛けられている鐘の音が鳴る。
「いらっしゃいませ~」
内装も可愛い、そして何より笑顔でこちらに向けられたウェイトレスの女の子の笑顔がまた可愛かった。
それに、可愛いのはその笑顔だけでなく制服だ。一見するとメイド服のように見えるけど、より可愛さが増すようにであろうかレースやフリルが付いていて、スカートも膨らんだふわふわな制服だった。
「こんにちは、青葉花音です」
「あ~青葉さんね。待ってたわ、えーと、すぐに行くからあっちのテーブルに座っててくれるかしら?」
花音は店に入るとすぐに自分の名前を名乗り、そして何故かそのウェイトレスに認知されていた。
「ちょっと花音、どういう事なの?」
「いいから、いいから~」
花音に連れられてお店の一番奥の開いているテーブル席に着かされた。美味しそうな料理の香りが漂って来てお腹が刺激されてしまう。花音は特に料理を注文しようともせず、ただじっと待っているだけだった。
「そうだお兄ちゃん、この後はあたしに話合わせてね」
「話を合わせる?」
「うん、なんていうか、その~ま、すぐにわかるから、ねっ」
何故か目を合わせないようにする花音の様子を見て嫌な予感が蘇ってきた。
「ねぇ、何か食べたいものでもあるんじゃなかったの?」
「えっ食べたいもの? 今は別に食べたいものなんてないよ?」
「そんな、じゃあ何しにこの店に来たのさ」
「それはその……、すぐわかるから……」
しばらく待たされた後、お店に入った時に声をかけてきたウェイトレスがバタバタとこちらへやってきた。
「ごめんなさいね、お待たせしちゃって」
「いえいえ、大丈夫ですよぉ」
と、ニッコリ返事をする。
「えーと、青葉さんこちらの方が前に言ってた?」
「そうですそうです、双子の妹の青葉奏です!」
「え、ちょ、いも……ぐはっ」
奏多は思いっきり花音に足を踏まれ、そして思いっきり睨まれた。
「かなでちゃんか~うん、話聞いてた通りよく似てるわね~」
「えへへ、よく言われます」
「え、か、かな……うぎゃあっ」
再び踏まれる足。
「ほらほら、かなでちゃん自己紹介して。はい、早く!」
花音はアイコンタクト、というか反抗許さぬと言わんばかりの本気の目で睨む。
怯んだ奏多は、さっきの話を合わせて続ける。
「あ、あの、青葉奏です。よ、宜しくお願いしますっ」
「あらあら~照れちゃって可愛い妹さんねっ」
「いや、その、あの……」
可愛いと言われてなんとも言えない恥ずかしさで、ますます赤くなるのがまた可愛い。
「気に入っちゃった、二人とも宜しくね。後は青葉さん、契約書に承諾は貰ってきてくれたかしら?」
「はいちゃんと2枚ここに……」
ゴソゴソと鞄の中から封筒を出し、その中味をウェイトレスに差し出す。それはアルバイトの契約書だった。
見ると1枚は「青葉花音」、もう1枚は「青葉奏」と名前が書いてある。さらに性別の所を見るとしっかりと「女」に〇がしてあった。
「あ、アルバイト? 契約書……」
契約書は簡単なものだったが、一番下の所には保護者の承諾の一筆を書く欄があり、勿論そこには母親の署名がしてあった。
そこで奏多はハッとし、花音と母親が何かを企んでるようなそぶりを思い出す。
(嵌められた……)
「ん~問題ないわね。うちみたいな小さい喫茶店で契約書ってのも面倒なんだけど、一応形式的にって事で。じゃあ、これから二人とも宜しくね」
「宜しくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします……」
テンションのまるで違う二人の返事だった。
女子更衣室。
プレートにはそう書かれてあった。
男子たるものが絶対に足を踏み入れてはならない、まさに秘密の花園。
奏多はその未知の部屋の中にいた。
「さ、さすがにこれはマズいんじゃないかな……」
女子更衣室といっても、ロッカーが並んでるだけのなんてことない部屋だった。しかし、そこが女子更衣室というだけで全く違う居心地の悪さがあった。
「大丈夫よ、大丈夫~今はあたししか居ないから」
「そういう問題じゃないよ~」
契約書を渡し簡単な説明を受けた後、女子更衣室に案内された。後は実際に現場で色々教えてくれるという事だった。
ロッカーにはすでに「青葉花音」「青葉奏」とネームプレートが貼られていた。その横にもネームプレートが貼られたロッカーがいくつが並んでいるが、それは勿論女の子の名前だった。
一文字足りないとはいえ、女の子の名前の中に自分の名前があるというのはなんとも違和感があるものだった。
「そもそも、なんで僕が妹なんだよ」
「あ、あ~それはほら、女の子としてはあたしの方が先輩だし~?」
「女の子になったつもりはないんだけど……」
「その格好でそれを言う」
「~~~~~~~」
何にせよまたもや流されるがままの奏多。
「ほら、早く着替えて行かないと」
花音が自分のロッカーを開けると、ビニール袋がかかったウェイトレスの制服が掛けてあった。奏多も自分のロッカーを開けると、そこにも当然女性用のウェイトレス制服がかかっていた。
制服とはまた違った、女の子然とした服。
ひらひら。
ふわふわ。
当然、スカート。
「これを着るの、僕が?」
「お兄ちゃん似合うと思うよ!」
「うう~」
反抗しても仕方ないと奏多は服を脱ぐ。ロッカーには大きめの鏡が付いており、そこに服を脱いだ自分の姿が見える。
休日なのに女の子の下着姿。しかも、もう違和感を感じなくなっている自分が怖い。
ビニールを外して、服のパーツを確認する。女の子の服は複雑だ。
「まずはこのワンピースを着るのよ、ほら被って」
「う、うん」
そういえばワンピースは初めてだった。頭からワンピースを被って着る。ファスナーが後ろについていて、奏多はそれを留めようとするが手が曲がりきれずにファスナーが留められない。
「ねぇ花音、これどうやって留めるの?」
「お兄ちゃん身体かったいのね、ほらあたしがやってあげる」
そう言って、花音は奏多のワンピースについてる背中のチャックをさーっと上まで上げて留めた。
ワンピースは予想以上に身体をキュっと締め付け、男性物の服では感じられない着心地だった。特にウェスト部分が締め付けられて身体のラインがしっかり出る感じだ。
ブラをしているおかげか、胸の部分もしっかり形がわかるようになっていた。
「ちょっと花音、これ胸が……」
「何恥ずかしがってんのよ、パッドでしょ?」
「そりゃ本物じゃないけど、なんというかその、自分の胸がこんなになってるなんて」
「お兄ちゃん、自分の胸見てドキドキしてんの?」
「そ、そ、そんな事は……」
内心ドキドキしていた。制服と違って、全身が女の子になった気分だった。
「ワンピースの次はこれ、スカートの下に穿いてね」
「これはなに?」
「パニエっていうの。そのままだとスカートがしぼんだままでしょ? これを穿くと綺麗にスカートが広がるのよ」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
奏多はスカートの下にパニエを穿いた。するとどうだろう、スカートが綺麗な円状に広がって、それだけでも更にワンピースの可愛さが増したのだ。
「ホントだ凄いねこれ」
「はい、もう一個さらにその下にこれ穿いてね」
「えっまだ穿くの?」
次に出してきたのはちょっと丈の長いかぼちゃパンツのようなものだった。
「これはドロワーズ。ほら、スカート広がってると屈んだ時とかにパンツが見えちゃうでしょ? 特にお兄ちゃんはパンツ見えちゃったら大変な事になるからこれを穿くの」
「な、なるほど……」
パンツが見えるよりはマシとドロワーズを穿く奏多。
「こんなに何重にも着てるとか女の子は大変なんだな……」
「可愛くなるのも大変なのよ。はい、次はこのエプロン。背中でクロスさせるようにって、どうせお兄ちゃん出来ないだろうからあたしやってあげる」
そう言って花音は、ささっとエプロンを装着させた。
エプロンひとつでその制服は何倍にも可愛いものになった。清潔な白いエプロンにはこれでもかとフリルが装飾してあった。
鏡を見るのが怖かった奏多は、目をそらしながら白いニーソックスを穿き、用意された靴に履き替えた。最後に、頭の上にカチューシャを装着して出来上がり。
「お兄ちゃん……か、可愛い……」
花音が目を丸くして奏多を見る。
「ほらほら、お兄ちゃん! 鏡見てよ、鏡!」
「鏡はちょっと……」
「いいから、ほら!」
チラっと鏡に映った自分を見てしまった。そこには、さっき店内で見たあのウェイトレス姿となった自分の姿。
「あ、あ……」
他のアルバイトの女の子なんて目じゃない美少女がそこにいた。
「これが僕……?」
奏多は自分で見た自分の姿が信じられなかった。
ガチャ。
「ふたりとも着替え終わった?」
そこに、あのウェイトレスが入ってきた。着替え終わった二人の姿を見るやいなや、驚きの声を出す。
「す、すごいわ二人とも、ウチの制服をこんなに可愛く着こなすなんて! しかも双子でしょ? やだもう、絶対君たち目当てのお客さんとか来ちゃうわよ!」
目をらんらんと輝かせ、早く他のみんなに紹介したいと二人は引っ張られていった。
この時、奏多はまだ気がついていなかった。
ロッカーに書かれた「篠原みゆき」のネームプレートに……。