三章:空転と前転‐弐
「では、この問題を一旦解いてー。わからない時は参考書を見て」
教卓の前の教師がそういい、板書した数式を指した。応用を重ねた難しい問題。ノートに式を映り取りながら、ぼんやりと考える。
数学の補講はランク別に教室が違う。この教室は上級クラスで、津久田と遠田と自分、そして、来栖ちなみと残り十五人ほどが集まっている。新藤と安谷は隣の中級クラスだ。
横を伺えば、来栖ちなみは真面目に授業を受けている。
ノートにシャーペンで筆記する音、外からかすかに運動場で部活をする声が聞こえる。
「答えは……」
教師の手から黒板に数式の答えが書きだされる。
「はい、今日の補講はここまで。後一時間だけど、空気濁っているから教室の窓は一旦開けて換気するように」
数学の教師がそう言って、パタンと問題集を閉じた。
同時にチャイムが鳴る。電子音、鳴り響く。いつもとは違う音だ、啓太は首を傾げ、
「地震だッ!」
誰かが小さく悲鳴を上げた。
「皆机の下に入れ!おい、小日向、何やってるんだ!」
教師が叫ぶ。教室中で、皆が椅子から転げ落ち、机の下に潜る。
「?!何が」
啓太は立ちあがってあたりを見渡す。何を、地震なんてどこにも、
「蓮杖ですッ!音で聴覚に作用し平衡感覚に影響を与える……、魔法を応用した魔術……!」
横で机にしがみついていたちなみの言葉に、息を飲む。見れば彼女の足は震え、立つこともままならない。
その言葉と同時に、悲鳴が鳴りやむ。同時に、放送が穏やかな音楽に移り変わる。
気がつくと教室の面々は皆、床に倒れていた。
「……きます」
ふらつきながらちなみが立ちあがる。首にあてた手を震えさせ、顔は青ざめたまま。真っすぐに、教卓へ向ける視線。つられて、啓太も顔を向けた。 そして、気付く。
「蓮杖……」
そこには白衣の女、蓮杖清香がいた。
「久しぶりねー、ちなみちゃんとけーたくん。今日は話しに来たわよー」
何事もないような顔で、蓮杖は微笑んでいる。また、違和感と、既視感。
「啓太くんッ、逃げてください!!」
啓太を振りかえらないまま、彼女は腕を強くつかみ、叫んだ。
「来栖さん……」
「私も後から行きます!!」
彼女は振り返らない。ちなみの向こうの蓮杖は、微笑んだまま啓太を見て片目を閉じた。
さながら、合図のように。
悪寒が身体を走った。何が何か分からない。でも。
思考は一瞬だった。
ドアを開け、身体を押し出すようにして、廊下に出る。教室の外には幾人か人が倒れている。それを横目に、手短な階段を駆け降りる。
「あっ」
踊り場、身体を翻しながら、上を見上げた途端、啓太はバランスを崩した。声を上げる間もなくよろけ、階段をころがり落ちる。
上と下、右と左が移り変わり、壁に当たってその動きを止めた。
「いっつ……」
右足をひねったらしい。立ち上がると右足首に痛みが走る。
「何やってんだろ、僕」
教室は見えない。ただ、窓が見えた。
外は快晴。いつも通りの外だ。こんな日常なのに、どうしてこんなに日常じゃないのだろう。破壊は一瞬だ。そんなこと、ずっと前からわかっている。
耳を澄ませば音がする。そうだ、未だに魔術は掛かり続けているのだ。
大きな音が教室の方からした。少し身を震わせ、啓太は首を振った。
「あぁ、もうッ」
わかっている、自分は餌でそれ以上ではない。何も出来ない存在だ。だけど、
(あんなふうにただ庇われるだけ……)
彼女の助けにはなれないだろう。その事実が、もっと嫌になる。
首を振り、ひねった足を庇いながら走り始めた。
廊下をかける音。つかまらなければいいが。そればかりは祈るしかない。
目的が逃げたのに余裕そうな魔術師にちなみは向き直る。視線に意思を込めるも、しかし、それがつながることはない。魔法耐性の術式を編み込んだのだろう。
想定内だ。
「あらあら、せっかく話しに来たのにけいたくんにげちゃった
「蓮杖、ここで、貴方をリセットします」
「ふふ、なかなか威勢がいいのね。貴方にそれが出来るかしら?」
挑発的な言葉に返事は返さない。追う様子にない彼女に唇を噛むも、息を整え、タイミングを合わせ、右手で触媒――毛髪を封じた水晶を制服のポケットから出し、左手で首輪に触れる。
「 、 」
詠唱。音程は空気を揺らし、触媒に伝わる。指で空中に印を描く。思考が意図を持ち、その感覚を引くように繋がる。魔術印の意味は世界の接続、そことここはつながる空間転移の術式。世界との接続が深い触媒と高度な印を用いて行う魔術。
「貴方の相手は私じゃない」
瞬間凍る空気、瞬間、空間を切り裂くようにちなみの前に人影が現れる。
触指の魔法使い、リカード。
「蓮杖、このままのお前を野放しにするわけにはいかない」
低い声で彼は言う。
ちなみはその後ろで意識を蓮杖の後方に向けた。ちょうどタイミングが良いことに、彼らはドアの付近にいた。既に魔術印は刻んであるため、直接目を合わせなくてもいける。
問題は自分のほうだ。
「りかーどくんったら、またかぁ。タイミング悪い」
蓮杖はつまらなさそうにつぶやき、腰に手を当て、背伸びをする。
「んーッと。とりあえず、言いたいこと言っとくわ――記憶、戻ってるっていったら、貴方たち驚く?」
「……ッ」
からかうような声音にちなみとリカードは体を震わせた。
――今、何を。
蓮杖は微笑んだまま。ちなみは青ざめ、リカードは腰を落とし、蓮杖を睨む。
「ねぇちなみちゃん、どう?」
含みを持った蓮杖の言葉にちなみは一歩後ずさった。リカードが舌打ちをし、叫んだ。
「ちなみ、こいつにかまうな、さっさと行け!!」
「あらー、みなまで言わせてくれないの?」
蓮杖はそう言いながら白衣に手を入れた。懐から触媒、振りまかれるそれに詠唱。
「防御……」
リカードは手袋をはずし、机に手を当てる。触指、次の瞬間には彼の前に跳ね上がった板に雷撃が刺さり、手には刃が光っている。
ちなみは二人の攻防を見ずに廊下へ飛び出した。
――あんな、簡単な言葉でこんなに動揺してしまうだなんて。
蓮杖の目が笑っていた。からかわれているのか、そうだ。そうに違いない。例え事実だったとしても、今の状態に変わりはない……!そんなことより、啓太くんを……!!
自分はこの校舎の構造は理解している。彼はもしもの場合、美術室の方に逃げるといっていた。彼のことは心配だ。しかし、彼のもとに行く前にしなければいけないことがある。
「結界の核を壊さないと」
階段を下り、廊下を走る。一階、廊下の途中足を止め、窓に手をかける、開かない。開いた教室から椅子を持ってきてぶつける。しかし、窓はわれない。
物理の法則がねじれている。早々にあきらめ、啓太は身をひるがえす。
職員室と放送室の前を横切り、一階廊下、突き当たりの美術室準備室の前に立つ。
下の開き戸、空気の入れ替え用か、どう考えても人が入る隙間じゃないところを啓太はこじ開けた。
――なんでこんなとこ知ってるんだ。
――美術部の宮脇がエロ本ここに隠してるから。
――何やってんだお前等……!
阿呆な会話をした、日常。――そうだ、それを取り戻すためにここにいる。
「……なんか、武器とかあったりしたら……」
膝をついて潜り抜け、立ちあがる。吹き溜まりのようなごちゃごちゃした一帯を見、肩をすくめて漁ると、何故か金属バットがあった。それを握り、床に腰を下ろした。
(来栖さんは大丈夫かな)
蓮杖と対峙する彼女、例え自分があそこにいたとしても、役に立てないことは分かっている。余裕だな、と自嘲する。これは自分自身の命がかかっているはずなのに。
(でもあの蓮杖、何がしたいのだろう)
啓太を捕まえるでもなく、ただウィンクした魔術師。前にちなみが”魔術も魔法も極めれば極めるほど浮世離れした変人になる”と言っていたが、そういう理由なのだろうか。
(今は深く考えるのはやめよう)
自分はただの『餌』であり、彼女と同じ立場にあるものではない。
壁に背を預け、じっとしていることにする。
遠くで音が聞こえる。何かがぶつかり、弾けるような音。――日常の破壊。
時間の感覚がわからない。ただ、ひたすらに手を握り、息をひそめる。
もし皆に危害が加えられたら、どうすればいいのだろう。最悪の事態が頭に浮かぶ。
膝を抱えて頭を下げた。静かに、音をたてないようにじっと。早鐘のように心臓が高鳴る。
――どうにもできない。ただ隠れていることしかできない。
物音。壁に預けた背を傾け、耳を澄ました。
もしや、蓮杖だろうか。
ちなみやリカードが倒されてしまえば、自分はつかまってしまう。つかまったら、何が起こるのだろう。わからない。
ただ、じっと待つ。
リカードは、啓太は物理的以外での奇跡には影響を受けないと言っていた。となると、ここでじっとしていることが自分に出来る最善のはず。
信じてよかったのだろうか。わからない、ここにいるしかない。
息が詰まる。唾を飲もうとした喉を掴んだ。
――信じることが正しいのか。
足音が一定間隔で聞こえた。
目を閉じ、息を吐く。
足音がとまる。息を詰める。
瞬間、
「あ、なんかやっぱここじゃね?」
聞きなれた声がした。
「……この声?」
つぶやいた口を覆い、息を吐く。耳を澄ませて、その声の続きを聞く。
結界、それは主には文様、字、図形などで形成されることが多い。しかし、今回の結界はどうも、魔法を模した特殊なもののようだ。
校内放送で流れた音、触指、魔眼、嗅探と同じく五感を使用し世界と繋がる魔法系列、聴覚使用、『聴兆』。今回の結界はそれを魔術に応用したものだろう。人の出せる音に限りはあるが、編集した音ならば、延々と流し続けることが出来る。魔術は魔法よりも強さや影響力には劣るものの、一定範囲に長時間かけることができる。
最初に地震だと思い込ませ、次に、その混乱に乗じて意識を喪失。最後に外への移動不可の結界。人間にも魔法魔術耐性があるものはいるが、地震を感じなくとも周りの様子で混乱する。その上で奇跡を行えば、耐性があっても一時的に魔術を効かせることが出来る。
――私のように訓練を受けたものや、魔術よけの印を結んだものには、効かないですが。
移動不可結界はもとよりちなみがリカードの髪を触媒として持っていたため破ることが出来た。既にリカードは結界内に存在する、と思わせることによって、魔術効果を否定したのだ。
蓮杖の結界は確実に弱くなっている。
魔術は基本的にち密な準備を行わなければ効果を強く保てない。リカードの出現に耐え切れず、滅びるほど。学校はリカードの監視下にあり、今回の結界は純粋に外部から持ち込んだ音源からのもののみだろう。
ちなみは走りながら学校の地図を思い浮かべる。ともかく、まずは、放送を止めないと。
放送室は一階、職員室と保健室の間。三階、階段から三番目の教室にいたちなみからすると少し、遠い。
それでも、音源のみでこんな大掛かりな魔術を作るなど、やはり、蓮杖清香は天才だ。
(その蓮杖は私を簡単に逃がした。つまり何か策があると言うこと。それにあの放送を流した協力者がいるはず)
二階から一階に、階段を降りながら、唇をかむ。
「来栖さんッ」
後ろから誰かの声がした。振り返った瞬間、後ろから押される感覚。
「……!」
ちなみは空を舞った。
唇が切れた。
「……」
リカードは無言で拭い、蓮杖を見る。
涼しげな顔だ。基本的に魔術師は魔法使いに比べ直接的な戦闘が苦手だが、彼女は違う。前線に立ち、実戦を元に理論構築をする魔術師。腐っても蓮杖のものと言うことだ。
蓮杖から攻撃をしてくる気配はない。ひたすらに受け身だ。彼女は本気を出さず、いつだって余裕を持ったままだ。
立ちあがり、膝を払う。距離は四メートルほど、リカードは口を開き、一度閉じた。そして、もう一度開く。――本当に言葉をまじわすためだけに彼女は来たのだろうか。理知的に見えても、バグを起こしていることを思い出す。
「本当に記憶が、戻ったのか」
蓮杖は笑顔で肩をすくめる。
「戻ってないなら、何故あんなことをした。日本に来た」
「そんなことより、最近蓮杖のおひいさまと連絡取っているみたいだけど、本気なの?」
「……貴様には関係ないだろう」
「へぇ、そんなこと言うんだ」
何故、知っている。聞いても答えることのないだろう問いを切り捨て、目を細めた蓮杖から隠すように指先に力を入れた。意図して空気に触れる。そこにあるなら、大気も触れることができる。それを理解する法を知ること、腕輪を通じ、世界を感じ、息を整える。
答えずリカードはバックステップを踏んだ。壁に足を当て、空中に蹴りあがる。
瞬間、蓮杖の手が動く。空中に舞う触媒。電撃。
天井に足をつき、蓮杖の後ろに回ろうとするも、すぐに衝撃が後を追う。
「 」
小さい声、蓮杖は右手を押さえて腕輪を磨る。砕け散る一粒の水晶。
空気が白く濁り、リカードを追う。
天井を蹴り、下に落ちる。膝を曲げ、衝撃を吸収する。危うく一般生徒を踏むところだった。
「……結局、あんたも同じ穴の狢なのかしらね」
かすれるような声音で蓮杖はつぶやき、リカードは腕を振ってこたえた。
蓮杖は踊るようにステップを踏み、リカードの動きを避ける。両手は白衣に入れたまま。
「ねぇ、いいこと教えてあげる」
「……また戯言か」
「違うわよ。……少年のペンダント、調べてみなさい、私と彼の繋がりがわかるわよ」
「ペンダント……?」
思わずこぼれた問いに彼女は笑った。その笑みに過去を思い出す。
いつまでも彼女と自分は遠いままだ。年も、思考も、理解も届かない。
振り切るように空を切り、破壊を産む。
――失ったものは、取り戻すつもりはない。
今あるものを、守る。そう自分は誓ったのだから。
「遠田もここにいればいいじゃねーか」
「いや、俺は確かめたいことがある」
「じゃあ、僕も……」啓太の言葉に二人は一瞬無表情になり、
「「啓太くんは駄目です。ここにいてください」」
ちなみと同じ口調で言葉を重ねた。気味が悪い光景は先ほどから幾度か目にしたものだ。
そして、遠田はすぐに元に戻り、少し首を振り不審な顔をした後、「じゃあ後で」と準備室を出た。
「……」
ぼんやりした顔でそれを見送った津久田は、ゆっくりと意志を取り戻す。その手には薄青く輝く紋章、魔術印。同じものが遠田にも描かれていた。
(人を操る、これが魔術)
奇跡の威力は理解していた。彼女は日常に溶け込んでいた。日常と非日常が絡まり合っていた。
啓太は津久田を見る。意志はあるようで、ない。ただ、あたりに注意を向けているのみ。
魔法使い、魔術師。リカード、蓮杖、そして、彼女。
操られた友人に守られる状態なんていらない。彼女の意図がわからない。教室を出る前の言葉から、彼女がこの魔術を仕込んだことはわかる。でも、こんなこと、望んでなんかいない。このやり方は、好かない。自分が反対することをわかっていたから彼女たちはこのことを言わなかったのだろう。でも、それで、でも。彼女達は、啓太を信じていない。信頼していない。
彼女は自分を助けるためにこんなことをしている。津久田の異常も、遠田の異常も啓太を守るためのだろう。多分、啓太を守るように意志を操るのだ。
彼女達は、結局のところ、啓太の命を助けるためでなく、蓮杖を捕まえるためにここにいる。
「怖い、な」
自分と彼女達には明確なずれがある。自分が全て正しいとは思わない。しかし、彼女が全て正しいとも思わない。
「んー?どうした」
「いや、狭いなーって」
「ごっめんごめん、でもさぁー、隠れるためには仕方ないぜ」
人差し指を立て、左右に振りながらいう津久田にはまったく恐怖の色は無い。
「隠れる、か」
小さく口の中でつぶやき、啓太は目を伏せた。




