二章:介入と浸食‐参
「御馳走様でした」
「失礼しました」
「またいらっしゃいね」
叔母に謝るとそのまま夕飯に誘われた。断れず、そのまま夕飯を食べ、「今日は早く寝るのよ」と念を押されて啓太とちなみは叔母の家を出た。今朝のことは、叔母は簡単に許してくれた。今後は気をつけるように、と言われた言葉に頭を下げていると、ちなみが少し気まずい顔をしていた。そのことを思い出すと、少しだけおかしかった。
満腹のおなかを抱えて、徒歩数分のマンションに向かう。火照った顔に夜風が涼しい。
「なんかごめん……、叔母さんたち結構強引だから。気遣いはうれしいし、ご飯はおいしいんだけどね。そういえば、叔母さんたちにも、その、操作したの?」
階段を上がりながら後ろのちなみに声をかける。
「あなたの中学校から恋人ってことにしました。前にも何回か会ったことがあって、貴方の部屋にもよくいくくらいの仲です」
「そっか」
努めて軽い口調で返事を返す。
チェーンを手繰り、鍵を引き出す。鍵穴に差し、ドアを開ける。
一人暮らしには少し大きいマンション。
ちなみが後ろで興味深げに見渡したのが分かった。
「ここに一人暮らし、なんですよね」
「まぁ、そうだね。たまに叔母さんや実花ねぇが掃除に来てくれたりするけど、だいたいは自分でやっているよ」
「そうなんですか……」
「ここ、前両親が使っていた部屋で……、ちょっと埃っぽいかもしれないけど」
そう言いながら部屋のドアを開ける。リビングと直接繋がった六畳の和室。七年前からここは定期的に掃除するだけで使っていない。
「両親はあんまり物を持ちたがらない人で、この部屋もほとんど当時のままなんだ。……少しとはいえ私物があって、ちょっといやかもしれないけどここが一番人目に触れないで家具が少ないから」
そう言いながら部屋の電気をつける。照らされた部屋は言葉通り物がない。全てたんすに入っているのだ。
両親は本当に物を残さなかった。
一つ物を買うたび、ここに入るたびにそう思う。
「質素な部屋ですね」
「だろう?」
小さくつぶやいた言葉に、ちなみは首を振った。
「でも、細かいことは分かりませんけど、この部屋は温かいです。ここは誰かが優しい気持ちで使っていたんでしょう」
「温かい?」
言われた言葉を繰り返す。ちなみは軽く首を振り、答えなかった。
「とりあえず、この部屋に魔術印を刻んでもいいということですね。兄さんに連絡を取ります」
「あっ、よろしく」
ぼんやりした啓太は気持ちを切り替えるようにうなずいた。それを確認し、ちなみは首に手を伸ばす。瞳を閉じて、彼女は小さく何かつぶやいた。
そして、
「すみませんが席を外してもらえませんか?この部屋を汚さないように十分注意しますが、その、貴方がいると」
申し訳なさそうに言われた言葉に、「分かった」とだけ言って、啓太は部屋を出た。ドアを閉める。
魔法も魔術も通用しない自分。きっと、だからだろう。別に悲しいじゃない。わけじゃないのに。ドアに目をやる。白いそれはもちろん透けることもなく、かすかに彼女の声が聞こえるのみ。
縮まった気がした距離、しかし、それは『気がした』にすぎないのかもしれない。
「彼は就寝しました。使い魔に触媒を足してきたので、朝までは持つかと」
午前零時。背後で空気を裂く独特の音がした。リカードは振り返る。妹が戻ってきたのだ。
「ご苦労。彼はどうだった」
「思った以上に現状を受け入れているようです。魔眼が使えないので、詳しいことはわかりませんが、協力的です」
「あっちで寝るのか?」
「はい、でも、その、シャワーはこっちで浴びようかと……」
「そうか」
妹の言葉に生返事をしながら、啓太の家のものとは対になる空間移動の魔術印の横に立ち、ちなみの首に手を伸ばす。触れる手に暖かな感触、触指。
世界と繋がる感覚。
細かく指示し、思考が読めない程度にまで感覚を落とさせ、手を放す。妹は慣らすように大きく一つ深呼吸をした。
「何か進展はありましたか」
「小日向啓太と世界の件、引っかかるところがあって現在新しい資料を請求中だ」
妹が部屋を見渡した、乱雑な部屋は今までのリカードの行動を示していた。持ちこんだ書物は重ねられ、層をなしている。傍らのいすにおいてあった手帳は開かれ、ページには筆記体で様々な考察が書かれている。その中の単語をちなみは読みとるように視線を送っている。
「七年前の事件には関係している可能性が一番高いからな。あれには蓮杖清香も関係していた」
言葉尻がだんだんと下がり、ふとリカードは顔を上げた。
ちなみは無表情でこちらをうかがっている。その頭に軽く手を載せ、
「今お前に伝えるべき物はもう無い、早く行け」
遮るように手帳を閉じると、ちなみは反論することなく従順に頷き、傍らを通りすぎた。
啓太が世界から外れた理由。
自分が蓮杖の世界軸理論に対して人並み外れた興味を持っていることは自覚していた。それは魔法使いとして当たり前の感情と共に、過去の面影を探すことに等しい。
――彼は知らない。
事故の捜査資料に手で触れ、すぐに放した。機械としか触れあってこなかったコピー用紙からは、冷たい感触しか帰ってこない。
手帳にメモしてあった魔術の説明、その意味をちなみは知らないはずだ。蓮杖本家からの催促。さて、どうしたものか。
知らないほうがいい事実も存在する。しかし、それを決めるのは誰なのか。
間違えた人がいた。そこから起こった悲劇を知っている。それでも、
「……後悔はつきないな」
窓は閉まっているが、カーテンは開いている。
そこからのぞく細い月に目を細める。
「もう、十年、か」
◇◇◇
「そうなんだー」
声に耳を澄ませ、横を見れば夜闇が窓の外を埋める。カーテンを元に戻しながらカレンダーをみた。
赤い丸印。明日から、補講。
『桃子ちゃん?もう眠い?』
「……うん……ごめん、私からかけたのに」
『気にしないで、私ばっかり話し聞いてもらっちゃったし、その……、うん。お休み』
「うん、お休み」
返した言葉が解けて、電話を切った。
中学で知り合ってからずっと、嫌なことや悲しいことがあれば木葉に電話していた。嫌なこと悲しいことには一切触れず、ただの意味のない世間話を。木葉は何があったか聞いてくることは無い。それが彼女の優しさで、それにただ、甘えている。
子機を机に置いて、ベッドに倒れこむ。腕を目の上に載せれば、思いだす光景がある。
それは、高校の合格発表の日だった。
掲示板の前で木葉と手を取り合い喜んでいると、バカみたいにズボンをずり下げた奴に罵倒された。侮蔑的な言葉に苛立ち、反射的に言い返していて。
「もういいよ、桃子ちゃん」
気付けば木葉がすがるように制服をつかんでいて、相手は顔をゆがめてさらに失礼なことを言っているところだった。まわりを見渡せば、みんな遠巻きに自分を見ていて、相手は憎たらしい顔でまた余計なことをいう。
ざわめきに視線を動かせば、走ってくる高校の先生らしき人。また、やっちゃった。
私、入学してないけど、退学になっちゃうのかな。私立になったら、おこずかいが減らされちゃう、そんなことを考えて、瞬間、前に人が立った。
「大丈夫だよ」
振り返った顔がほほえみ、小さくかけられた声に少し震えた。
「どうしたんだ、喧嘩か」
「違います、少し、行き違いがあっただけです」
なぜか自分の代わりに前に出た見知らぬ少年は教師に説明していた。
その背中。すごく大きい訳じゃない。けれど、その時はとっても大きく見えた。ふと周りを見渡す。いつのまにか自分と言い合っていた奴は消え、野次馬たちも消えている。
「本当かね?」
聞かれた言葉にあわててうなずく。何があったのか、いつのまにか、「春からよろしく」と教師に肩をたたかれ、校門の外にいた。
「あれ」
自分のかわりに説明した少年はいつのまにかいなくて、後ろからやってきた木葉にまた泣かれて。
お節介な変な人。そんな彼に少しだけ興味を持って。多分二度と会いことはないんだろうなとか、勝手に思って。
けど、彼は初めての登校日、教室の斜め前の席に座っていた。
振り返って「よろしく」と言った顔は全く自分のことなんて覚えていないようだった。
小学校の同級生だった津久田と仲良くなった彼の近くに出来る限り自然に見えるように近寄って、お節介な変な人、は、いつのまにか律儀で世話好きな大切な人になった。
言うなんて、死んだってできない。意地っ張りにそう考えていた。
律儀で世話好きな同級生は鈍感だから気づかない。というか、お節介なくせに妙に人と距離を置く、彼。
ベッドの上で横に転がる。二年と半年、ずっとそばにいた。そんな彼には恋人がいる。茶色の髪の女の子、来栖さん。
今日、二人で帰る彼らを見ながら、ぼんやりと思った。
成功しなくても、恥ずかしくても、自分から動いておけばよかった。家に帰って、かばんをおいて、なんでか知らないけどちょっとだけ涙が出て。そして、電話をかけた。
――大丈夫だよ。
根拠のない言葉を思い出して少しだけ笑った。
◇◇◇
暗がりに人影があった。
女だ。
赤く染められた髪、黒い瞳。先日蓮杖と呼ばれた女は、小さく「出来たッ」と声を上げた。
幾つもの文様が描かれた床には幾つもの水晶が置かれている。人によっては、目を剥くであろう、それらは、高度な触媒となり、世界に繋がり奇跡を起こすことが出来るものだ。
鼻歌を歌う声は軽やかに高い。女は声を上げたまま、触媒をつまみ、躊躇わず裸眼に押し当てる。
「 、 、 」
声の高低に水晶が揺れ、弾けた。駆けた葉瞬間灰になり、瞳に刺さることなく流れ去る。
水晶を押し当てていた瞳は涙にぬれていたが、女は気にせず横に置いてあった鏡を手にし、のぞきこむ。
「……魔眼もどき、少しだけどいけそうね。一時的にでも、機能を動かせたらいいわけだし、まぁ、簡易でも大丈夫よね。きついかもしれないけど、仕方ないわ。大丈夫、大丈夫。だから早くやっちゃおう、時間あんまりないし。しかしまぁ、こんな我ながら頑張ったもんね、有難う。いいのよ、お互い様じゃない」
人形遊びをするように、一人で言葉を続ける影は、ふいに黙り込んだ。
「――もう、触媒も残り少ないわ。大がかりな結界はあと一回程度かしら。それ以上は手荒なことをしないと無理ね」
思い出すのは泣いていた一人の子ども。守らなければいけない、繰り返してはいけない、悲劇。
だから。
「頑張りましょう、私。――ええそうね。もう駒は見つけてあることだし」
闇夜に小さく声がこぼれる。
やるしかないのだ。七年前より、願い続けていたこと。
絶対に譲れないものが自分にはあるのだから。
◇◇◇
狭い浴室の中で、小さく息をつく。
――疲れた。
学校に潜入して、説明して、魔術を行った。
その全てよりも、彼と話すことがつかれた。
どう考えているんだろう。何考えているんだろう、全てがわからない。
心が読めないのは彼だけじゃない。魔眼は首輪で抑制することもできるから、兄や協会のものの気持ちの基本的に読むこともない。それでも、いつもは感情くらい把握しているのに。彼のものは全く分からない。
疲れるというよりも、怖いのだろうか?
どうなんだろう?考えてみるも、答えは出ない。
(色々わからないけど、でも)
彼は、笑ってくれる。
それだけでいいような気がする。どうなんだろう?本当の笑顔なんだろうか?本当って何なんだろう?
――こんなこと考えている場合じゃない。
彼を守る、彼女を捕まえる。
首輪に触れる。お湯で温まったそれは固い感触。
私に出来ること。するしかないんだ。




