二章:介入と浸食‐弐
「ここです」
ちなみに促されながら辿りついたところは、啓太も名前だけなら聞いたことがあるような高級ホテルだった。
「すご……」
おそるおそる入った瞬間に漏れたつぶやきは感嘆だった。踏めば心地よい感覚の敷物、上を向けば輝くシャンデリア、横を向けばどっしりと輝く壁に柱。受付には笑顔で対応する美人なコンシェルジュ、歩く人々は皆スーツやしっかりとした衣装で年齢も高い。平凡な公立高校の制服を着た少年少女がいるにはどうにもそぐわない。
啓太がふらふらと視線を動かし、それらを観察していると、
「こっちです」
先を行くちなみがエレベーターのボタンを押していた。
啓太がちなみの後ろに立つと同時に、小さな音を立ててエレベーターの扉が開く。無言で乗り込み、上に向かう。
今から昨日の魔法使いに会う。そう考えると、今更ながら肌が泡立った。
破壊。ちなみの魔法も恐ろしいものだが、やはり、破壊と言うわかりやすい形をしめされると恐怖を覚えてしまう。
やめよう、考えすぎてもどうしようもない。啓太は頭を振った。
ちん、と軽い音を立ててエレベーターの動きが止まる。
「ここです」
エレベーターを降りるちなみについて降り、やけに数の少ないドアの一つを開く。
ふところからカードキーを出し、ちなみがドアを開けた。
「ただいま戻りました。兄さん」
靴を脱がずに部屋の中に進む。大きなソファーが向き合い、ガラスのテーブルをはさむ。カーテンは閉められ、室内は暗い。高級感のある家具は派手すぎず、落ち着いた意匠だ。啓太はもの珍しそうに部屋を見渡した。
ちなみはかばんをソファーに置き、カーテンを開けた。明るい日差しが室内に満ちる。
「兄さん、いますか?……兄さん」
「……聞こえている」
繰り返したちなみの呼びかけに返事があった。
かたり、小さな音を立てて奥の部屋から男が現れた。
啓太は息を飲んだ。昨夜の記憶がよみがえる。左手に鈍く光る刃、こともなげにそれを振りまわした男。
昨日と同じラフな服装に、長身、長めの髪と眼鏡で表情はよく見えない。眠そうにあくびをした彼は、部屋に入り、立ち止まる。白い肌に眼鏡越しに見える薄紫の瞳。整った顔の男。
近づいた男は啓太の前で止まった。差し出された手は手袋をはめている。
「こんにちは、小日向くん。協力感謝する。俺はリカード・ベン・アレグザンダー。ちなみの兄だ」
「……はじめまして」
「すまないね、手袋は触指――俺の魔法系列者の礼儀なんだ。触っただけで全てを把握することが出来るから、それを抑えるために行う。君にはそれが通用しないことはわかってはいるが、一応誠実さを表した形だ」
「そうなんですか……」
とうとうと説明した彼の言葉にうなずく。この妙に感情のこもっていない辺りがちなみに通じるものがある。
「ソファーに腰掛けてくれ、そんなに長くは話さないよ、安心してくれ。ちなみ、飲み物と菓子を持ってきてくれないか。――コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「じゃあ、紅茶で」
ちなみはうなずくと静かに奥に消えた。
「さて」と、リカードは啓太が座るのを確認すると、自身も向かいのソファーに座った。
「ちなみからはどこまで聞いたんだ?」
「蓮杖って人が僕を狙っているってことと、僕が世界から外れている?っていうことを一応把握しています」
「まぁ、だいたいだね。君には迷惑をかけるから、何らかの形でお礼はしたいと思っているが……」
「い、いえ、そういうことは特に」これが終わったら日常を返してくれ。それくらいしか、求めることはない。
「そうかい?日本人はそういう風に遠慮しがちだと聞くが、あまりよくないと思うぞ……まぁいい。で、何か聞きたいことはあるかい?」
聞きたいこと、と考え、浮かんだのは兄妹の名前や外見の差異、そして、彼女の首輪。
(いや、これは今聞くことじゃないな)
色々と。
「――お茶が入りました」
啓太が悩んでいると早くもちなみがお盆を持ってやってきた。小さな音を立てておかれたカップから湯気が上がっている。柔らかい香りに心が軋む。彼女はお盆を持ったまま、壁に控えた。
カップを少し見つめた後、啓太は口を開いた。
「……では、僕に対して護衛とはどんなことを行うのか、具体的に教えていただけませんかあと、いつまで、とか」
蓮杖という魔術師に、追われると言うのならば罠を仕掛るというのだから策があるのだろう。その策を知る権利は啓太にもあるはずだ。何しろ、餌なのだから。
「半年前の蓮杖の事件は夏至に起こった。彼女は天文の理を持ち込むのならば、再びを狙うのは冬至ということになるかな。――あれが失敗ではなく、布石だった可能性もあるのでね。魔術の誓甲府成功は自身でなければわからないところもあるから、明言は出来ないけど。
護衛に関しては既に昨日の時点でいくつか使い魔を君の周りに放っておいた。あとは、ちなみが君の近くにいて常に護衛する」
「かの、いや、来栖さんが?」
「異性にそばをうろつかれるのは嫌か?嫌なら俺が変わるしかないが、俺は少しやらなければいけないことが多くてね。あまり頼りにならないと思うが」
「いえ、その、来栖さんで、いいですけど」
慌てて手を振る。
「そうか。あとは――、出来たら君の家に魔術印を入れさせて欲しいね。そうしたらこのホテルと君の家を自由に行き来できるようになる」
「自由に?」
「瞬間移動とでもいうのかな。場所指定がないと難しい術だが印を刻ませてくれるならいくらでも行える術だ。ただ印から印へ、自由に行き来できる装置なのでこちらからは君の家に勝手に入れるようになってしまう。嫌なら断ってくれていい。その場合、このホテルに君も宿泊してもらう形になるが……、もちろん経費は俺たちが持つ」
「ああ、それくらいなら……その、魔術印?でお願いします」
日常は出来る限り壊れないほうが良い。
「そうか、ありがたい。出来たら人目につかないあまり家具がない部屋がいいのだが」
両親が生きていたころから暮らしていた部屋を想い浮かべる。
「では、あとで向かわせてもらう。――他には?」
「……特に無いです」
膝に乗せた手を握る。
不甲斐ない。日常から離れてしまえば、もうどうしていいかわからない。
自分の命、日常の崩壊。何を天秤にかけるか、そんなことは決まっている。紅茶を飲んだばかりなのに、口が渇く。
「お願いします」
改めて言った言葉は思った以上に小さかった。
「あぁ、契約完了と言うことで。では、俺からも少し質問をさせてもらおう」
一口飲んだカップを置くと、余韻もなしにリカードは膝の上で手を組んだ。
「――君は過去、俺たちのような存在に会ったことはないか?魔法魔術、もしくは超能力、みたいなものでもいい。奇跡、通常ありえないようなことに遭遇したこと。記憶のかぎりに思い出してくれ」
自分の過去。両親の死、そして、何かを失った事実。
家にある写真、微笑む家族の写真。
家族の、父の母の、奪われた命。
七年前の事故。命の危機、皆奪われた。日常からシフトを変える瞬間、奪われた彼ら。命ある限り守ると言った誰かの声、取り残された僕。それは、
「僕が、生きていること、が、奇跡……」
小さいつぶやきに前の二人は表情を変えなかった。
「君の過去は調べさせてもらった。確かに七年前君は命にかかわる事故を味わっている。そして、その中で君以外の家族は亡くなった」
リカードの声が遠い。亡くなる、そうだ、彼らは失われた。されど、
「しかし、それだけで世界から外れることはない。何かが、事故の時に起こった。そのために君は世界から外れた、その可能性は確かに高い」
眉尻を下げて、リカードと目を合わせる。
「君も思い出せない、か。そんなものだろう、大丈夫だ。まだ時間はある。君はゆっくり思い出してくれ。こちらも色々と調べる。ただ、覚悟はしておいてくれ。君という存在はとても稀有だ。もしかしたら、これからも俺たちや蓮杖のような魔法魔術の関係者に追われること、関わりを持ち続けることになるかもしれない。……いや、関わらざる得ないだろう」
リカードの言葉に視線を下に送った。そうか、また日常はもう崩壊したのか。
――世界は貴方と誰かで繋がっている。
どこかで誰かが言った言葉だ。――いつなのだろう。
◇◇◇
思いのほか長居したホテルからの帰り道。もう道も半ば、昨日の公園が近い。
契約の後、リカードから聞いた魔法と魔術の説明を思い出す。
世界の仕組みが理解出来ないものには死んでも魔術は使えない。先天性の才能をも必要とする魔法なんてもってのほか。理解出来るものしか理解出来ないものは、世界を理解する魔法魔術を拒否する。だからこそ、うまく賢く世界を渡る。その能力の価値を知らないものにはその存在すら知られずに。ただその身に刻まれた世界の欠片を手繰って生きていく。それが奇跡の担い手、魔法使いであり、魔術師。
興味深い話だった、聞くだけならば。これに自分の命がかかっていなかったらどれだけよかったことだろう。小さくため息をつく。
と、半歩後ろ歩くちなみが少し、身動きしたような気がした。軽く振りかえる。
一度家に帰ったものの、彼女は制服のまま、かばんすら学校帰りのままだ。
「どうかしましたか?」
視線のあった彼女に、聞かれて焦る。ふと、首輪の輝きが目に入った。
「あ……、いや、その首輪が気になって……」
「あぁ、これですか。そうですね、貴方には見えるんですよねこれ」
今更の質問に彼女は戸惑うように首に手をやった。
「なんかとても意味ありそうだけど、なんでまたわざわざそんな見つかりやすいとこにつけてるの?リカードさんみたいに腕につけといたら一々認識操作だか、しなくていいのに」
もっともらしく言葉を連ねる。その質問に思いのほか、ちなみは真面目に言葉を返した。
「これは、協会に所属しているという証でもあるんです。形も素材も人や流派によって違います。つけるところは魔法系列によって違います。魔眼の私は首で、触指の兄さんは腕なんです」
「へぇ……」そういえば袖から見え隠れする左手首にきらめくものがあった気がする。
「あと、通信とか、そんな機能も組み込まれていて……、私は兄さんとしか繋がっていませんけど。まだ、半人前なので」
「半人前って、あんなに魔法が使えるのにどうして?」
「まだ制御しきれないんです。この首輪をはずしたら、人を勝手にコントロールしてしまう。考えただけで、その人を使ってしまうんです。自分の力なのに、使いこなせない。今はこの首輪に魔術印や魔法を使って抑制をしてるからなんとかなってるのですが……」
「もっと本当はすごいってこと?」
「そう言っていただけると嬉しいですが、うまく扱えないだけの力はどうしようもないんです」
「じゃあ、僕だけが、絶対に操られないのか」
「そうですね、あ、あと、同じ魔眼の人で私と同じかそれ以上の力を持っているなら大丈夫です。それくらいの力を持つ人は両手に満たない程度しかいませんが」
「ふぅん」
「この首輪は私が生まれた時に父が作ったんです、家系的に協会に属するものなので早々に。父方の触指は特に金属の扱いに長けますから。触媒としての力も持つし、様々に応用の効く、魔術の塊でもあるんです。協会のものでもあるのですが、普通のものよりもよほど高価なものです。これを扱えるのは私と兄だけ。これに縛られるのは私だけ。一心同体みたいなものなんです」
とうとうと語るちなみは当たり前のような顔で、一緒に歩いているのに、ちなみと啓太は違う世界を見ているようだ。
(いや、違う世界を見ているのか)
それが魔法使い、魔術師と常人の差。何より、常人同士でも、魔法使い同士でも見ている世界は違うのだ。
(でも)
ちなみの首を見る。前だけ少し開いた、U字型の首輪。ペンダントなんてものじゃない。まさに、首輪。
(これよりも、ペンダントの方が似合うだろうな。せめて形くらい変えればいいのに)
無意識に胸ポケットを探る。
その様子を見ていたちなみが唇を噛んだことに啓太は気付かなかった。
「……すみませんでした」
と、ちなみは言った。啓太はその言葉に「えっ」と小さく聞き返した。
いつの間にか昨夜の公園の前だった。振り向くと少し後ろを歩いていたちなみは立ち止まり、真っ直ぐと啓太の顔を見ていた。
「こんなことに巻き込んで、本当に、すみませんでした」
少し遠い距離。それを越えてはっきりとした声で区切りながら言われた言葉に啓太は目を丸くする。
漆黒の瞳に魅入られたように固まった。ちなみは少し視線をそらすも、すぐに向き直る。
「貴方は私たちに出会わなければ、きっと普通の生活のままでいられたと思います。魔法や魔術を使えるものはそう多くいるわけではありません。だから」
ごめんなさい、そう続けた。
異能の戦い、ちなみの力、見つめるだけで人の心を変えることが出来るということ。
「もしかして、僕と目を合わせるのが怖い?」何かが腑に落ちた気がした。
「……そう、です。不快に思われていたならば申し訳ありません。……私の力は人に強く影響するもので、普通の人の気持ちはどんなに防御していても見えてしまうんです。けれど……」
ちなみはとうとう視線を外した。手は強く握られ、震えている。
少女、自分と同年代の、違う世界の少女。
それは本当に違う世界なのだろうか。自分と違う日常と生き、違う価値観を持つ、そんなこと、誰だって同じではないか。その差が違うだけで。
「大丈夫、気にしてないよ」
そう言うと、小さく視線をあげ少女はほっとした顔をする。その顔に胸が熱くなる。大きく深呼吸。目をそらさずに。なんだろう、なんだろう、本当に。
――この子を、僕は、知りたい。この子の世界を知りたい。
薄暗くなりつつある公園の横、まだ遊ぶ子どももいるのだろう。昨日の公園はリカードが直したと言っていた。そこから時折聞こえる甲高い声。
けれど、ここには二人しかいない。
「来栖さん、これからよろしく」
「……はい、こちらからもよろしくお願いします」
微笑んだ少女に笑い返し、思い直す。
何があるかはわからない。でも、自分に出来ることもある。それを一つ一つやっていくしかないのだ。両親を亡くし、変なことに巻き込まれた。でも、ここに自分を助けたいと思う人がいる。それがどれだけありがたいことか、考えるまでもない。
そう考えたら、少しだけ心が晴れた。
「いこうか」
止まっていた足を動かし、家に向かう。先ほどと同じ無言。でも、先ほどとは少し違う。
「ちょっと、少し叔母の家に寄っていい?」
「はい、大丈夫です。……私もその、認識操作しなきゃいけないので」
頷いたちなみがふいに目を啓太の後ろにやった。なんだろう、振り返る前に、
「啓太、何してんの?デート?」
「あ」
不意に後ろからかけられた声。振りかえった啓太の目に映ったのは、にやにやという言葉と野次馬といった言葉を絵にかいたような表情をした実花だった。
「……何してるの?」
何事もなかったように平静を保ち、啓太は聞いた。
「おつかい。卵とキャベツとえっと……。いや、そんなことよりも啓太、私の質問に答えようか」
謎のロボットの刺繍の入った買い物バックを一瞬覗き込んだものの、すぐに実花は視線を上げた。その顔は笑顔だ。
視線を真正面から受け止め、口を開く。しかし、何も言葉を紡げない。
「あれか!彼女とか?啓太のくせに生意気な!……まぁ、いい。こんにちは、啓太姉の実花ですどうもどうも」
頭がフル回転しているが何を言っていいかわからない。まず、姉ではない従姉だ。ていうか、どうする。ちなみを見るも、彼女も固まったままだ。どうしたらいい。何をどこからいうべきなのだろう。
「へぇ、啓太はこんな子が好みなの……、スレンダーっていいわよねぇ」
「……!」
固まったままの二人に気づかず、一人で納得するように実花は言い募る。言葉が終わるよりも早く、ちなみは啓太を押しのけるように実花に近づいた。そして、
「ひゃッ、え?」
近づいた陰に実花が視線を合わせ、凍りついたように動きが止まる。
数秒。
「うっ……、あれ……?えっと」
実花は頭に手をやりながら数歩後ずさり、ちなみは啓太の横に並ぶ。
「え、私何してたんだっけ。あ、買い物?キャベツと、卵と、……、あれ、啓太とちなみちゃんどうしたのこんなところで!さぁ、家入ろう!」
あっれー立ちくらみかなー。もしかして年かなー。まぁ、いいや、帰ろっかー二人ともー。何事もなかったように実花に続いて歩き出したちなみ。
「啓太くん。早く行きましょう?」
目を見て微笑んだ彼女の親しみさえこもるその笑顔がやけに輝いて見える。
「………」
実花のプロポーションは思いがけずいいものだ。従姉でなければもうちょっとそう言う眼で見ていたかもしれないくらい、その、割と大きい胸。
対して微笑むちなみの胸は正直どこが膨らみかわからない程で――、
「啓太くん?」
「啓太?」
「……いや、なんでもない」
啓太は何も聞かないことに決めた。




